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創作、学習、書評など

あなたの作品がハリウッドで映画化!?~悲劇の契約~(1)

『名探偵ピカチュウ』、『ゴジラ』、『アリータ』など、

日本原作のハリウッド大作に注目が集まっている。

 

子供の頃に日本の作品に夢中になっていた世代のアメリカ人が成長し、

映画プロデューサーとしての権限を持つようになり

「大好きだったのマンガを俺の力で映画にしたい」

と思うようになったのだ。

 

この流れは当面のあいだ続くだろう。

 

映像化するにあたっては、当然契約書を結ぶことになる。

 

契約で起こりがちな悲劇を、

いくつかのパターンで紹介したい。

 

ハリウッドから連絡が!!

角野君は中堅の出版社・芸漫社に勤めている。

大手ではないが、マンガ雑誌を毎月出版している会社だ。

1980年代にはいくつかの大ヒットマンガを世に出したこともあり、

一部のファンからは今でも支持を得ている。

 

角野君は法務部門を担当している。

マンガ作家さんとの契約書や、

キャラクターの商品化ライセンスなどの責任者だ。

 

ある日、編集部の同期・花田君から電話がかかってきた。

声がうわずっている。

 

「お、お、おい、角野。

 至急調べてほしいことがあるんだ。

 80年代にヒットした『電脳ウォーズ・ヒロシ』ってマンガが

 あっただろ?

 作家の細見先生との契約を見てくれ。

 マンガの権利はどうなってる?」

 

「調べてみるけど・・・何かあったの?」

 

「それがな!

 ハリウッドのプロデューサーから連絡があったんだ。

 『電脳ウォーズ・ヒロシ』を映画にしたいって!!」

 

これは大きな話になりそうだ。

早速、細見先生との契約書を確認する。

 

「花田君、大丈夫だよ。

 作品の著作権は先生が持っているけど、

 「専属契約」になっているから、

 我が社が窓口になってハリウッドと交渉できるよ」

 

「そうか!良かった!

 さっそく細見先生に伝えるぞ!

 最近ヒット作に恵まれずに苦労してたから、喜ぶだろうな~」

 

それから5分後、担当役員の郷田さんから電話がかかってきた。

現場には全然顔を出さない人だ。

 

「聞いたよ!

 ハリウッドで映画化だって?

 良かったな~。

 業績が低迷していた我が社にとって、起死回生の事業になる!

 しっかりと契約をまとめてくれたまえ!」

 

小さな会社なので噂が回るのも速い。

その日のうちに、❝全社員が知っている極秘プロジェクト❞になった。

 

契約書案が来る

マンガ家の細見先生は大喜びだったようだ。

 

「『電脳ウォーズ・ヒロシ』は私の代表作です!

 ぜひとも映画化を進めてください!」

 

プロジェクトにGOが出された。

ハリウッドとの交渉窓口は法務の角野君がやることになった。

 

「前向きに進めたい」と

ハリウッドのゴールドマン氏に伝えたところ、

「まずは契約を締結したい」と契約書がPDFで送られてきた。

もちろん英語だ。

 

幸い角野君は英語が使える。

顧問弁護士とも相談しながら、内容をチェックした。

 

その内容は・・・・非常に厳しいものだった。

 

・作品の著作権のライセンスを全面的かつ独占的に相手に与える。

・映画の内容に関する決定権は相手にある。

・映画が完成して公開されるまではライセンス料は発生しない。

 などなど。

 

あらゆる面でゴールドマン氏に有利なように書いてある。

こんな契約を結んでしまって、本当にいいのか・・・。

 

編集部と打ち合わせをすることにした。

 

「花田君、これは慎重になった方がいいよ。

 めちゃくちゃ不利な契約になってるんだ。

 じっくり腰をすえて条件交渉するべきだと思う。

 もしどうしても折り合えなければ、この話は見送ろう」

 

「え!?

 冗談いうなよ!

 細見先生とは、もうお祝いパーティーまでしちゃったんだぞ!

 今さら無かった話になんか出来るわけないだろ!

 硬いこと言わずに、柔軟にやってくれよ!」

 

孤立

編集部のサポートを得られなかった角野君の孤独な戦いが始まった。

 

契約内容について、どうしても譲れないポイントだけを決め、

重点的に交渉する方針だ。

 

契約書案に直接手を加えたいが、PDFなので編集できない。

仕方ないのでメールでこちらの希望する内容を伝えることにした。

 

2週間後ゴールドマン氏から返事が来る。

 

「これが標準契約なので、変更することは出来ない。

 理解してほしい。

 私はトム・クルーズとの間にコネクションがある。

 彼にこの作品の企画書を送ったが、悪くない反応だった」

 

この話を花田君に伝えたところ、彼の鼻息はますます荒くなった。

 

「すごい話じゃないか!

 ハリウッド映画化すれば、細見先生の名前は世界中に知れ渡るんだぞ!

 そうすれば、これ以外の作品でも大きなビジネスができるじゃないか!

 そのときになって条件を吊り上げればいいさ。

 今回は条件にこだわるべきじゃないだろう!

 契約成立を最優先にしてくれ!」

 

「いや、、でも・・・・」

 

「せっかくの良い話を、細かいことにこだわって潰す気か!」

 

気が付けば、角野君は社内中から白い目で見られるようになっていた。

「あいつがうるさいこと言って、邪魔している」

と陰口をたたかれるようになった。

 

決着

周りから聞こえてくる悪口に心が折れそうになりながらも、

角野君は粘り強く交渉を続けた。

大事なところはなかなか変えてもらえないが、

いくつかの点では改善してもらうことができた。

例えば「映画が完成して公開されるまではライセンス料は発生しない」

となっていた条件を変更し、

「手付金(オプション契約料)として100万円支払う」

とすることが出来た。

 

この調子で続けていれば、最低限は納得できるところまで

たどり着けるかもしれない・・・

 

そんな見通しが見えてきた頃に、

担当役員の郷田さんから呼び出しを受けた。

 

「ちょっと今から役員会議室へ来てくれたまえ」

 

行ってみると、郷田さんと花田君が待ち構えていた。

 

「角野君、ここへ座りたまえ。

 ハリウッドから話をもらってもう半年だぞ。

 いったいどうなってるんだ。

 役員会議でもせっつかれてるんだ。

 とにかく早くしてくれ。

 聞くところによると、先方とモメてるらしいな。

 そんなことをして相手を怒らせてしまったらどうするんだ。

 君には契約をしっかりと進めてもらうように言ったはずだぞ」

 

「でも・・・お言葉ですが郷田さん、

 契約内容が非常に不利になっているんです。

 作品と作家さんを大切に思うのなら、

 簡単に譲ってはいけないと思うんです。

 具体的にはこの点が問題なんです」

 

と、契約の問題点を説明する角野君。

一通り聞き終わった郷田さんはこう言った。

 

「君の言い分はわかった。

 でもな、角野君。

 ゴールドマンさんだって人間だ。

 契約書に書いてある通りにはしないだろう。

 『電脳ウォーズ・ヒロシ』をリスペクトしてくれているんだから、

 契約書を結んだあとでも、こちらからお願いすれば

 柔軟に対応してくれるはずだ。

 それにな、細見先生は若い頃に私が担当していたことがあるんだよ。

 何とか良い思いをさせてあげたいんだ。

 わかるだろう?

 そうだ花田君、例のものを見せてやってくれたまえ」

 

花田君は1枚の紙を手渡す。

細見先生直筆の手紙だ。

そこにはこう書かれてあった。

 

「ハリウッド映画化は、長年の私の夢でした。

 条件は全く気にしません。

 とにかく契約を成立させてください。

 小学3年生の息子に「お父さんの映画だぞ」と見せてあげたいんです。

 お願いします」

 

最後に郷田さんは言い放った。

 

「今の条件でOKだと先方に伝えなさい。

 これは決定事項だ!」

 

こうして、芸漫社とゴールドマン氏の契約は締結された。

 

悲劇

契約が成立し、関係者一同大喜びだ。

 

「ヒロシ役は誰がするんだろう?トム・クルーズかな?」

「監督はマイケル・ベイって話もあるらしいよ」

「大ヒットしたら何億円と儲かるんじゃないか?

 細見先生も大金持ちだな」

 

・・・・それから3年がたった。

 

一向に映画化が進んでいるという話は聞こえてこない。

 

ゴールドマン氏はメジャースタジオへの企画の売り込みに

苦労しているらしい。

後で分かったのだが、

トム・クルーズとも単にパーティで会ったことがあるだけだった。

コネや実績もたいして無い人だったのだ。

 

角野君から「その後どうなってます?」と問い合わせても、

「頑張っている。見通しは悪くない」と返事があるばかり。

 

手付金(オプション契約料)の100万円も振り込まれていない。

支払いには条件があったからだ。

「この作品の権利は間違いなく芸漫社のものです」と

ゴールドマン氏が納得できる証拠文書を提出しない限りは

支払いはしなくて良いことになっているのだ。

細見先生との「専属契約」は証拠として出したのだが、

彼はそれだけでは満足しなかった。

30年前に作品をアニメ化した制作会社から

「我が社は何も文句を言いません」という誓約書が欲しいという。

でもそのアニメ社は潰れてしまっている。

今では誰が会社の権利を承継しているのかも分からない。

これではゴールドマン氏から1銭も受け取ることはできない・・

 

・・さらに3年がたった。

 

フランスで80年代の日本マンガのリバイバルブームが起きた。

好評だった映画『シティーハンター』の影響らしい。

 

フランスの大手テレビ局のプロデューサーから電話がかかってくる。

「『電脳ウォーズ・ヒロシ』をシリーズドラマ化したい。

 社内の決済は通っているので、

 そちらがOKならすぐにでも制作に取りかかりたい。

 ゲーム化などの商品化も見据えている。」

 

非常に良い話だ。

製作費を握っているプロデューサーからの話なので、

実現する可能性は極めて高い。

是非とも進めてほしい。

 

でも!!

無理なのだ。

 

『電脳ウォーズ・ヒロシ』の映像化権は、

ゴールドマン氏に独占的にライセンスされてしまっている。

他の人にライセンスを出すことは出来ない。

映像化権だけではない。

商品化権も押さえられてしまっているので、

ゲームなんか出せるはずが無い。

 

ゴールドマン氏に相談してみたが、

「これは私の正当な権利だ。譲る気はない。

 どうしてもと言うなら、1億円で買い戻してほしい」

と言われ、全く交渉にならない。

役員の郷田さんが期待した柔軟な対応をする気は一切ないようだ。

 

残念だ・・・。

 

他にも国内の会社などから色々と声掛けがあるが、

全てを断ることになってしまった。

『電脳ウォーズ・ヒロシ』の人気が復活するかもしれないチャンスは、

全て失われた。

 

・・さらに3年がたった。

 

いまだにハリウッド映画が実現しそうな気配はない。

 

いい加減、ゴールドマン氏との契約をやめてしまいたい!

 

しかし、契約期間はゴールドマン氏の判断で

複数回延長できることになっている。

一度手に入れた権利をタダで手放す理由はない。

芸漫社の都合で契約を終わらせることはできない。

彼は使える延長回数を全て使って、映画化のチャンスを狙い続けた。

 

・・さらに3年がたった。

 

やっと契約が切れた。

映画化は実現しなかった。

 

細見先生の夢はかなわなかった。

自分の代表作を全く活用できず、貧乏になった。

先生の息子は成人し親元を離れてしまった。

 

芸漫社は、大変な手間をかけて契約関係の作業をしたのに、

1銭も儲けることができなかった。

それどころが、契約が無ければ他から入ってきたはずのライセンス料を

失った。

角野君は会社に居づらくなり、退社してしまった。

 

完全に無駄で有害な12年間になってしまった。

これは悲劇だ。

 

教訓

こんな悲劇は本当にありえる。

 

私自身は、アメリカの巨大コンテンツ企業との交渉に

関わったことは1度しかないが、(すごく苦労した!)

日本企業の内部でどんな意思決定がされているかは分かる。

上記のような話は、ありがちなパターンなのだ。

 

ハリウッドと最初の契約(オプション契約等)を結べたとしても、

映画が製作され、公開までこぎつけられるのは、

1パーセントしかないというデータもあるらしい。

 

たった1パーセントの可能性と引き換えに、

作品の未来を全て奪うことにもなりかねないのだ。

 

契約内容にはこだわろう。

契約しない方がいい場合もある。

相手の能力を見極めよう。

相手の善意に期待するのはよそう。

交渉にも映画実現にも時間がかかることを覚悟しよう。

相手がハリウッドであっても浮足立だず、

地に足をつけよう。

 

 

次回は、また別パターンの悲劇を見てみよう。

いわゆる「原作レイプ」というやつだ。

 

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今回の記事は、経験豊富で百戦錬磨の福井健策弁護士のセミナー

「日本原作の海外ライセンス攻略法 対ハリウッド契約を中心に」

を大いに参考にさせていただき書いものです。

深く感謝申し上げます。

 

 

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NHKが大河ドラマで大失態!~ラジオの謎(フィクションです)

声優人気のおかげもあって、ラジオドラマの需要は根強い。

 

●ラジオドラマが続々復活 高まる需要の背景は?

https://www.oricon.co.jp/news/2059729/full/

 

ラジオの仕事をしている人は、

おそらく9割以上が間違えるクイズを出題したい。

架空の内容だが、現実にありえる設定だ。

 

設定

NHKは、2025年にラジオ放送100周年を迎える。

そこで、大型番組が企画された。

大河ドラマのラジオ版を制作するのだ。

織田信長が主人公の全50話の物語。

大河にふさわしいビッグネームのキャストと、

「ラジオならやってみたい」と凄いスタッフが集結する。

 

脚本:三谷幸喜(オリジナル脚本)

出演:渡辺謙木村拓哉沢尻エリカ(復帰第1作)

ゲスト出演:レオナルド・ディカプリオ(宣教師役)

音楽:すぎやまこういち

監督:新海誠

製作:NHK

 

さすがはNHK。

すばらしいドラマが出来上がった。

目を閉じて聞いているだけで、

戦国時代にタイムスリップしたかのようだ。

 

大好評だったので放送後に「らじるらじる」や「Radiko」で

インターネット配信することになった。

しかし、年配のNHKファンからは

「ネットは使えないからCDで発売してほしい」

という要望が多かった。

そこでCDでも売り出すことになった。

 

(ちなみに、NHKのラジオドラマのCDは実際にある)

●CD NHK日曜名作座宮本武蔵

https://www.nhk-ep.com/products/detail/h15143B1

 

しかし、思わぬことが起きる。

エフエム東京

「あの大河ドラマを全50話一挙にラジオ放送します!」

と特別編成を発表したのだ。

市販のCDを買ってきて、そのまま流すつもりらしい。

 

NHKはビックリしてしまう。

「そんなこと許可してないぞ!!

 あのドラマは、莫大な製作費をかけて作ったNHKのドラマだ。

 うちの許可なくそんなことが出来るはずがない!」

 

クイズ

ここでクイズになる。

 

エムエム東京は、NHKの許可なくこのドラマを放送できるか?

 

答えは、Yesだ。

 

NHKに無断で放送できる。

NHKだけでなく、渡辺謙氏やディカプリオ氏の許可も不要だ。

エムエム東京は何の問題もなく

適法にドラマを放送できる可能性が極めて高い。

ラジオ業界の多くの人が驚く結論だが、本当だ。

 

まずは振り返り

ラジオではなくテレビの大河ドラマなら、

こんなことは起こらない。

どこかのテレビ局が大河のDVDを買ってきて放送すれば、

即座に著作権侵害だ。

テレビドラマは「映画の著作物」であり、

その著作権はNHKが持っている。

NHKの許可なく放送できるはずがない。

 

しかしラジオの世界では、これが当てはまらないのだ。

 

少し大雑把な説明になるが、ラジオドラマの場合、

テレビや映画ではなく、音楽業界のルールが適用される。

以前説明した通り、

音楽の権利の世界には3種類の登場人物がいる。

 

1.作詞・作曲家

   ・・・例:小室哲哉

2.歌手(楽器を演奏する人も含む)

   ・・・例:安室奈美恵

3.レコーディングする人

   ・・・例:エイベックス

 

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「作詞・作曲家」と

「歌手」「レコーディングする人」の持つ権利には、差がある。

 

作詞・作曲家は「放送禁止権」を持っている。

テレビ局やラジオ局は、音楽を放送したければ、

小室哲哉氏から許可を得ないといけない。

そうしないと放送できない。

(実際には、JASRACやNexTone等の

 管理団体から許可をもらっている)

 

しかし、歌手とレコーディングする人には「放送禁止権」がない。

放送局は彼らに無断で放送することができる。

安室奈美恵さんやエイベックスが「ダメだ!」ということは出来ない。

(その代わり、後で管理団体を通じて使用料の配分を受けることは出来る)

 

ここまでが、以前の記事の復習だ。

この理屈を今回のNHKの事例に1つずつ当てはめてみよう。

 

脚本に当てはめ

「作詞・作曲家」にあたるのが、脚本家の三谷幸喜氏だ。

彼の書いた脚本を出発点としてドラマが制作される。

脚本には著作権があり、三谷氏は「放送禁止権」を持っている。

エフエム東京は三谷氏の許可なく放送することはできない。

 

しかし三谷氏は「日本脚本家連盟」という脚本家の組合に

権利をあずけている。

エフエム東京は連盟から許可をもらえば良い。

連盟は申し込みを受けたら許可を出す義務がある。

法律でそう決まっている。

よほどの理由(いかがわしい目的で使われるとか)がない限り、

拒否することは出来ない。

だから、脚本の「放送禁止権」はクリアできる可能性が高い。

エフエム東京は規定の使用料さえ支払えば良い。

 

出演者に当てはめ

音楽の世界の歌手にあたるのが、出演者の渡辺謙氏らだ。

作詞家の書いた歌詞を情熱的に歌うのと同じように、

脚本家の書いたセリフを感情をこめて演じるという点では同じだからだ。

歌手に放送禁止権が無いのと同様に、

渡辺謙氏らにも禁止権が無い。

そしてそれは、外国人であっても変わらない。

ハリウッドスターのレオ様であっても、

エフエム東京の放送に「ダメだ!」ということは出来ないのだ。

 

音楽に当てはめ

ドラマのBGM(劇伴)を作曲したすぎやまこういち氏は、

作曲者なので音楽の著作権(放送禁止権)を持っている。

しかしこれも脚本と同じで、管理団体が権利をあずかっている。

実際にはJASRAC等とエフエム東京

すでに結んでいる契約の範囲内で済んでしまうだろう。

 

(音楽を演奏した演奏家は上記の出演者と同じ扱い)

(音楽のレコーディングした人は以下に書くNHKと同じ扱い)

 

監督に当てはめ

今回の新海監督だが、三谷氏の脚本にはタッチしていない。

脚本に基づいてドラマを演出した立場だが、

著作権的には特段の権利がそもそも無い。

だから、新海氏の許可は全く要らない。

 

(細かい話をすると、新海氏が俳優の演技指導をしているので、

 俳優と同じ権利(実演家の権利)を持つ可能性はある。

 いずれにしても、許可が不要という結論は変わらない)

 

NHKに当てはめ

そしてNHK。

NHKは、番組を企画し、製作費を負担し、キャストやスタッフを集め、

ドラマをレコーディングしている。

これは、音楽の世界でいう「レコーディングする人」に当たる。

エイベックスが音楽を作るときにやっていることと、

同じことをしているからだ。

 

「レコーディングする人」には、放送禁止権が無い。

だから、エフエム東京の放送をNHKが止めることは出来ない。

NHKがどんなに嫌がったとしても。

これが結論だ。

 

ラジオドラマの正体

エフエム東京は、NHKが発売したCDを買ってきて、

問題なく放送することが出来る。

 

エフエム東京が音源をサーバーに取り込んだり、

Radikoでネット放送しようとすれば、

NHKにも色々と対抗手段はあるが、

CDをそのまま放送するだけならば、禁止する手立てはない。

 

CDを発売する前なら、

脚本や音楽の権利の管理についての契約や

CDパッケージの表示を工夫することで、

何とか出来る可能性もあるが、

発売後であればどうしようもない。

NHKは手をこまねいて見る(聞く)しかないのだ。

 

ラジオドラマはテレビドラマと違い、著作物ではない。

音楽業界の「レコード」と同じものなのだ。

著作権で守ることはできない。

だから、NHKが莫大な製作費をかけたドラマを、

他局が許可なく使えるという衝撃的な結論になる。

 

ラジオ業界の人でも、この基本的な事実を知らない人は多い。

もしラジオ関係の仕事をする場合、意識しておこう。

 


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悪魔の契約 ~ 著作権譲渡について

今回は、一部のクリエイターから忌み嫌われている

著作権譲渡」について、ちょっと考えてみよう。

 

 クリエイターの目線から

あなたはフリーの若手イラストレイターだ。

自分の仕事に誇りを持っている。

 

ある日、塗装業の会社から依頼が来た。

「弊社は塗装ひとすじの会社です。

 技術力には自信があります。

 このたび創業30周年を迎えることになりました。

 これを機に、より多くの人に弊社のことを知ってもらいたいのです。

 弊社のイメージキャラクターを作っていただけないでしょうか?」

 

塗装業界のことはぜんぜん知らないが、

ギャラも悪くなかったので引き受けることにした。

担当者から塗装技術について色々と教えてもらい、

刷毛、エアスプレー、電着塗装などの機器を体に取り付けた

オリジナルキャラクター「ぬりぬり君」が完成した。

いい出来栄えだ。

 

そこへ、担当者から契約書案が送られてきた。

「弊社の総務部から、ちゃんと契約を結ぶように言われました。

 お手数ですが、内容をご確認ください」

 

読んでみると、気になる文章が見つかった。

「「ぬりぬり君」の著作権は譲渡します。

 著作権法第27条と第28条の権利も含みます」

 

これは、何かマズイ気がする!

 

先輩イラストレイターに相談してみた。

お酒を飲むといつも著作権について熱く語っている頼りになる先輩だ。

 

契約書をこっそり見せてみた。

「これはいけないよ!

 著作権の分のギャラは貰ってないでしょ?

 著作権はクリエイターの大切な権利なんだよ!?

 それをタダで奪おうとするなんて!

 クリエイターからの搾取だよ!

 それにこの「著作権法第27条と第28条」っていうのは、

 アニメ化、ゲーム化、着ぐるみ化の権利なんだ。

 その権利も取り上げようとするなんて!

 なんて悪質な会社なんだ! 

 悪魔に魂を売り渡すような契約にサインしちゃダメだよ!

 もっとクリエイターとしての誇りを持てよ!

 ここが頑張りどころだぞ!」

 

先輩にそう言われると、すごく不平等な契約に思えてきた。

腹が立ってきた。

塗装会社に思い切って返事をすることにした。

著作権譲渡なんて聞いてません。

 「ぬりぬり君」は私が精魂込めて作った大切なキャラです。

 あなた方にお譲りするつもりはありません。

 この話は無かったことにしてください。

 どうしても著作権が欲しければ、倍のギャラを払ってください」

 

発注者の目線から

この返事をもらった塗装会社の担当者は、ビックリしてしまう。

どうして!?

30周年のキャンペーンは来月に迫っているのに!

なぜ急にイラストレイターさんが怒り出したのか、ぜんぜん分からない!

着ぐるみを作ってイベント会場で活躍してもらうつもりだったのに。

このキャラクターはイベント後も自社のキャラとして

末長く使っていくつもりだ。

大切なキャラだから、手厚くギャラも払っているつもりだ。

そのことは、打ち合わせの席でちゃんと説明もしている。

今のところ予定はないが、

いずれはアニメのCMを作って流せたら良いなと思っている。

だから「著作権譲渡」と書いただけだ。

それを今になって急にゴネだすなんて!

キャンペーンの予算は使い切っているから、

今さら倍額なんて払えるわけがない!

なんて悪質な人なんだ!

もう二度と頼むか!!

 

キャンペーンはキャラクター無しで寂しく実施された。

イラストレイターはギャラを貰い損ない評判も落とした。

 

悪いのは誰?

こんな事件が起きてしまったとして、

悪いのは誰だろう?

 

まず言えるのは、

事前にしっかりと条件を確認しなかった両方ともが悪いということだ。

 

クリエイターもプロとしてやる以上は、

仕事を引き受ける前にしっかりと条件を詰めよう。

自分を守るためには、それしかない。

気を付けるべき点については、以前の記事で書いた通りだ。

 

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もちろん、依頼した会社にも責任がある。

しっかり確認した上で発注しないといけない。

世間の常識から考えても、個人よりも企業の方がちゃんとすべきだ。

何かあったときに責められやすいも、個人より企業だ。

 

(この取引が「下請法」という法律の対象になる場合で、

 著作権譲渡にしてほしいときは、企業から出す発注書に

 「著作権譲渡です。金額には著作権の対価も含みます」

 と書かないとダメです!という行政の指導もあったりする)

 

取引するときは、お互いに条件を確認しあう。

ここまでは、常識と言って良いだろう。

 

本当に悪魔の契約なのか?

クリエイターも発注企業も、両方が悪い。

でも、もう1人❝悪い人❞がいると思う。

 

クリエイターの先輩だ。

 

彼が後輩に「悪魔の契約だ!」と吹き込んだから、

今回の悲劇が起きてしまった。

 

でも、著作権譲渡を「悪」だと決めつけて良いのだろうか?

 

そもそもが企業のキャラクターなのだ。

常識的に考えて「その会社のものである」と考えるのが、

自然ではないのか?

 

仮に著作権譲渡しなかったとして、

エアスプレーや電着塗装を装備した「ぬりぬり君」を、

個人のイラストレイターが将来的にどう活用するというのか!?

誰にも使われず、死蔵されてしまうだけだろう。

「ぬりぬり君」にとっても不幸な話だ。


企業の側もクリエイターを騙して搾取しようなんて思っていない。

具体的に決まっているキャンペーンの内容は隠さず説明もしている。

ただ、将来の全ての可能性を1つ1つ説明できないだけだ。 

 

「自社のもの」を自社で今後も色々と使う。

そのためのキャラクターを制作する。

そういう、大まかな共通認識はお互いにあったはずだ。

それを契約書という形式に落とし込んだときに、

著作権譲渡」という言葉になることがある。

それだけの話だ。

 

一部のクリエイターは「著作権譲渡は悪だ!」と信じている。

そういう人は、「著作権譲渡」という言葉を見ると熱くなる。

ひどい!搾取だ!と言い始める。

 

冷静になろう。

その取引の本質を見よう。

著作権譲渡にするのが自然なケースもある。

「譲渡」にせずに「許諾」にすれば十分なこともある。

譲渡をした上で「ただしアニメ化のときは追加でギャラを」という

条件を付ければ良いときもある。

「作者としての名前は表示する」という点だけにこだわれば

済むこともある。

契約条件は「0か?100か?」ではない。

どこかに丁度良いポイントがきっとある。

「100%の悪」も「100%の正義」もない。

話し合おう。

 

その上で、目の前の仕事に全力を尽くし、相手に喜んでもらおう。

これこそ、クリエイターの誇りをかけるべきポイントだ。

 

著作権にこだわるべきシーンもあるが、

こだわり過ぎるのは良くないのだ。

 

覚えておこう。

 

 

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冬の日差しに感謝しよう

冬の本

本格的な冬が来る前に、読んでほしい本がある。

 

八甲田山死の彷徨』

 

戦後に活躍した小説家・新田次郎氏の傑作だ。

 

 

日露戦争が目前にせまっていた時期。

ロシアとの戦いに備えるため、

日本陸軍は寒冷地での予行演習をする必要があった。

雪と寒さの中で、どれだけのスピードで移動できるのか?

どんな装備や食料が必要なのか?

そこで、青森県の2つの部隊に

真冬の八甲田山を踏破させてみることにした。

 

軍の上層部は軽く考えていたが、

冬山の厳しさは想像を絶していた。

観測史上最大の寒波が襲ってきていた。

命がけの任務となった。

 

吹雪がつづき全く先を見通せない中、

胸の高さまである雪の中を泳ぐように進む隊員たち。

手足の感覚が失われていく。

持ってきた食料はカチコチに凍って食べられない。

それでも進まないといけない。

あたりは一面真っ白だ。

ただただ、寒い。

疲れた。

何も考えることができない。

眠ってしまいたい。

 

こんな隊員を率いる隊長には、ものすごい重圧がかかる。

作戦を成功させないといけない。

遭難してしまえば、自分のせいで隊員の命が奪われる。

でも、先は全く見通せない。

この道で正しいのか自信がない。

進むべきか?戻るべきか?

休憩したくても休むと体温が下がって危険だ。

悩んだ末に決断をくだしても、上司や部下が言うことを聞かない。

どんどん追い詰められていく・・。

 

2つの部隊のうち一方は、

周到な準備と隊長の果断な行動のおかげで

全員が生きて山を下りることに成功する。

 

しかしもう一方は、

準備不足、指揮系統の乱れ等によって遭難してしまう。

隊員は次々と凍死し、部隊はほぼ全滅となった。

 

 実際に起きた悲劇をモデルにした物語だ。

 

寒さの描写

新田氏は山の厳しさを書き続けた作家だが、

この小説での寒さと疲労の描写はすさまじい。

 

「彼等は歩きながら眠っていて、突然枯木のように雪の中に倒れた。二度と起き上がれなかった。落伍者ではなく、疲労凍死であった。前を歩いて行く兵がばったり倒れると、その次を歩いている兵がそれに誘われたように倒れた。」

 

「雪の中に坐りこんで、げらげら笑い出す者もいた。なんともわけのわからぬ奇声を発しながら、軍服を脱いで裸になる者もいた。」

 

「「小便がしたい、誰か釦(ボタン)をはずしてくれ」

 と悲痛な声で叫ぶ者がいた。返事をする者はなかった。寒さと睡(ねむ)さで頭が朦朧としていて他人の世話をする気も起らないのであった。尿意を催して、叫ぶ者はいい方であった。声も発せずそのまま用便をたれ流す者が出てきた。異常な寒さのために急性の下痢を起こすものがあった。ズボンをおろしたくても、手が凍えてそうすることができなかった。悲惨を通りこして地獄図を見るようであった。自らの身を汚した者の下腹部は、その直後に凍結を始めた。彼等は材木が倒れるように雪の中に死んでいった。」

 

 

感想

読みながら、その恐ろしい描写に圧倒されてしまう。

冬山に立ち向かう人間の無力を思い知らされる。

適切な温度、風速、視界、食料・・

そういったものがたまたま揃っているから、

我々はこうして生きていられるのだ。

 

人工知能がもてはやされる時代でも、

ネット上で無限の選択肢を得られても、

拡張現実で自分の能力が上がったように感じても、

人間はどこまでいってもフィジカル(物理的・肉体的)な存在なのだ。

 

この本を読み終えた後に外出した。

良い天気だった。

暖かい太陽の光に包まれた。

幸せをジーンと感じた。

 

 おススメ

本格的な冬が来る前に、ぜひ読んでほしい。

冬の日差しだけでハッピーになれる。

太陽は無料だ。素晴らしい。

 

小説に登場する人物もみんな魅力的だ。

 

任務に対して真剣だからこそ、

部下や案内人へ冷たい態度をとる徳島大尉の二面性。

平民出身だというコンプレックスをバネに

頑張ってきた神田大尉の無念。

悲劇を引き起こした悪者として描かれる山田少佐の涙。

道具のように扱われる案内者たちの悲哀。

 

誰に対しても感情移入できる。

 

文章も非常に読みやすい。

これが50年前に書かれたものとは思えない。

技巧にたよらず平易な文を積み重ねることで、

これだけ心を揺さぶる小説が書けるのだ。

私もこんな文章が書けるようになりたい。

 

八甲田山死の彷徨』はおススメだ。

 

この作家の作品が気に入ったのなら、短編集も読んでみてほしい。 

 

 

自然の厳しさを肌身に感じると同時に、

自分のおかれた環境に感謝できるようになる。

 

冬は自宅に閉じこもって、本を読もう!

 


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マンガ作ったよ! & 権利はいつ切れるのか?

マンガ完成

制作していたマンガが完成した。 

 

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マンガ「助手席には流れ星」

 

(※実際の色味はもっと綺麗。写真撮影は苦手)

 

物流会社からの依頼を受けて制作したものだ。

トラック運転手が謎の女性と出会い、

ドライバーとして、人間として成長していく物語になっている。

 

マンガ制作は、端的に言って楽しかった!

そして、著作権への理解も深まった気がする。

 

創作の喜び

私はストーリー制作、脚本、ネーム(コマ割り)までを担当し、

作画を円井在郎(つぶらいあろう)氏にお願いした。

(ネット上のスキルマーケット「ココナラ」を通じて依頼。

 ほとんどネット上だけで作業が完結する。

 良い時代になったものだ)

 

創作活動はとにかく楽しかった。

 

物流会社の大豊物流システムさんからは、

知らなかった業界の話をたくさん伺うことができ、

非常に勉強になった。

 

ストーリー作りでは、

必要な要素をいかに効果的に構成するかを考え、

脳みそに汗をかいた。

 

脚本を作る過程では、

❝自分が創作した登場人物が、意志をもって勝手に行動し始める❞

という感覚を味わうことができた。

 

ネーム作りのときは、

これまで見てきた映画のカット割りが自分の中で醸成され、

見せたいカットを自然に選ぶことができた。

 

作画の段階では、

円井さんが描き出す人物の生き生きとした表情を見るのが

毎回楽しみだった。

「あ、このキャラはこんな顔もするんだな」という発見も多かった。

 

そして何より、最終的に良い作品ができた。

 

コンテンツ制作に携わることはこれまで何度もあったが、

今回ほど実際に自分の手を動かしてモノづくりをしたのは、

学生のとき以来だ。

みずみずしい気持ちを思い出した。

 

貴重な機会を与えてくれた大豊物流システムさんと、

素晴らしい仕事をされた円井在郎先生に、

心からの感謝を申し上げます。

 

著作権の保護期間

マンガを制作したからといって、

いっぱしのクリエイターを気取る気はないが、

今回は創作者の立場から著作権についての感想を語りたい。

 

強く違和感をもったのが、

なんといっても「著作権の保護期間」についてだ。

 

私のマンガの著作権はいつ切れるのだろう?

誰もが自由に使えるようになるのは、いつだろう?

 

なんと、私が死んだ70年後だ!

私が長生きしてあと50年生きるとしたら、今から120年後になる!

あまりに遠い先の話すぎて、自分では何一つ想像できない・・・

 

保護期間?存続期間?

保護期間の話をする前に、

少しだけこまかい言葉の整理をしておこう。

 

一般的には「著作権の保護期間」と言われている。

でも、これは本当は間違いなのだ。

 

作品が勝手にパクられないように発明された権利が「著作権」だ。

著作権は「手段」であって「目的」ではない。

本当の目的は「作品を(パクリから)保護すること」。

つまり保護すべきなのは、「著作権」ではなく「著作物(作品)」だ。

 

だから、正しい言葉づかいは「著作物の保護期間」だ。

どうしても「著作権」という言葉を使いたいなら、

著作権の存続期間」と言えば良い。

著作権法でも、丁寧に言葉の使いわけがされている。

 

ひじょーに細かい話なのだが、人間は言葉の影響を受けやすい。

何も気にせずに「著作権の保護期間」と言い続けると、

ただの手段に過ぎない「著作権」が保護すべき大切なものに見えてくる。

著作権こそが大事だ!」という思想に染まりやすい。

 

もちろん著作権は「人権」の一種なので、守るべきものなのだが、

どの程度大切にすべきかについては色んな見解がある。

そのあたりは以前の記事で「著作権・右派思想と左派思想」として

解説した通りだ。

 

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無頓着に「著作権の保護期間」と言うのはやめた方がいい。

このブログでも、今後はできるだけ

「著作物の保護期間」を使いたいと思う。

 

(分かりやすさ重視のときは「著作権の保護期間」と

 言ってしまうかもしれないけど)

 

創作意欲

著作権は「人権」であると同時に、「手段」でもある。

 

著作権がなぜあるかというと、

「作品をちゃんと保護すれば、

 作者がちゃんとお金を受け取れるようになる。

 そうなると、作者がやる気を出してもっと良い作品を生み出すだろう」

と考えられているからだ。

 

つまり、著作権は「作者からやる気を引き出すためのエサ」なのだ。

 

この考え方を延長していくと、こんな理屈になる。

「著作物を長いあいだ保護すれば、

 作者はもっとやる気を出して、もっと良い作品を生み出すだろう」

 

こうして著作物の保護期間はどんどん延びていった。

発行後14年から、作者の死後30年へ。

30年から50年へ。

50年から70年へ。

強い反対運動もあったにもかかわらず。

 

クリエイターはこう言われてきたことになる。

「あなた方は、保護期間が短いと、つまらない作品しか生み出せない。

 期間を20年延ばしてあげるから、もっとマシなもの作りなさい!」

 

それなのに、

ほとんどの作家や作曲家等は期間延長を喜んで受け入れてきた。

 

これっておかしくないか??

 

クリエイター代表

今回だけは勝手にクリエイターを代表して言わせてもらいたい。

 

ふざないでほしい!

俺たちはニンジンをぶら下げられた馬じゃない!

創作の喜びを知るひとりの人間だ! 

なぜ作品作りに打ち込むのかって?

そんなの決まってるじゃないか!

魂が「つくりたい!」って叫んでるからだよ!

それ以外の理由なんてない!

もちろん、大切な作品で好き勝手なことをされると困るし、

お金だって大切だ。

だから作品を守るための仕組みは必要だ。

それは認める。

でもそれは保護期間の延長ではない!

断じて違う!

自分が死んだ50年後に、あと20年プラスされる。

だから、もっとやる気を出して今より良い作品を作れるだろうって?

そんなわけないだろ!

俺たちはいつも目の前の作品に真摯に向き合っている。

いつだって真剣だ。

保護期間が短いからって、出し惜しみするわけないだろ!

もっとクリエイターの心、創作の喜びを理解してくれ!

 

心からそう思う。

 

企業の場合

個人としてのクリエイターの思いと、

企業としての意思決定は分けて考えるべきかもしれない。

 

個人なら多くの場合、やる気さえあれば作品をつくれるが、

企業の場合、「制作費をかけるべきか?」という意思決定が必要になる。

(大型予算の映画などを想像してほしい)

創作意欲だけではどうにもならない。

この作品が将来的にどれだけのキャッシュを生むか?を計算しないと、

制作に着手すらできない。

できるだけ長い期間のキャッシュフローがある方が、

前向きな意思決定がしやすい。

これは間違いない。

 

しかし、50年も先の話になると、

現実的にはあまり意味のない議論になってくる。

 

不動産なら「この物件は10年後も1億円の家賃収入がある」と

ある程度は確信をもって言うことが出来る。

でもコンテンツ産業の場合は全然違う。

「今年はこの映画の興収が10億円だった。

 だから10年後も興収10億円だろう」と言う人はだたのバカだ。

コンテンツの賞味期限は短い。

旬な期間はせいぜい最初の数年までだ。

10年後にそれなりのキャッシュを生んでいる作品は、

ごくごく一部の例外にすぎない。

ましてや50年後となると、いったいどれだけの作品が

「現役」として生き残っているというのか。

 

また、50年先のキャッシュは「現在価値」で考えると、

どれだけの価値があるのか?

(「現在価値」というのは、

 「10年後にもらえる10万円より、

  今日もらえる9万円の方がいい!」という考え方。

 つまり、遠い将来のお金は価値を割り引いて考えないといけない)

だれも本気で計算しようと思わないほどの額になってしまうだろう。

 

こう考えると、保護期間を50年から70年に延ばしたことで、

どれだけの企業が「よし!それなら制作費を出そう!」と思うのか?

きわめて疑問だ。

 

多くの論点

著作物の保護期間については、

「クリエイターのやる気」や「企業の意思決定」以外にも、

多くの論点がある。

 

たとえば、

「海外(特にヨーロッパやアメリカ)と同レベルにすべき」

「過去の名作が忘れ去られてしまう」

「効率的な権利処理システムがあれば大丈夫」

などだ。

 

以下のサイトでほぼ議論は尽くされているので、

興味がある人は読んでみてほしい。

どの論点でも保護期間を延ばすことに

説得力がないのが分かる。

 

著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム

 保護期間「延長派」「慎重派」それぞれのワケ

http://thinkcopyright.org/reason.html

 

保護期間の憂鬱

日本の著作権の保護期間は去年の年末に

「死後50年」から「死後70年」に延長された。

(映画以外の著作物についての話。

 映画は一足先に20年延長されていた)

 

10年前に同じような話があったときは、

大きな反対運動が起きて見送られたのだが、

今回は「TPPで決まってるから」ということで

反対運動をするヒマもないまま、シレッと延長されてしまった。

 

これは、色んな意味で憂鬱になる事態だ。

 

著作権が切れて「みんなのもの」になるはずだった作品が、

 この先20年は使えなくなってしまった。

 

・人は一度手に入れたものを奪われるのを極端に嫌う。

 (流行りの行動経済学が指摘するとおりだ)

 一度延長されてしまった期間が短縮される望みはない。

 

・国民の意見とは関係なく

 著作権法がシレッと改正されるなんてことが

 いまだに起きることが証明された。

 

我々の文化は、こんなんで本当に大丈夫なんだろうか?

そんな気持ちになってくる。

 

でも憂鬱になってばかりもいられない。

豊かな文化のために、何かできることはあるはずだ。

 

クリエイターのはしくれ(!)として良い作品を生み出しつつ、

崩れた著作権のバランスを回復させるべく、

できることを考えていきたいと思う。

 

保護期間については、

いずれ改めて1から分かりやすく説明する予定だ。

 


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日本は英語を愛しすぎている。憎みすぎている。(2)

日本人は英語に複雑な感情を抱えてることを、

前回の記事では解説した。

 

健全な「憧れ」と「劣等感」。

そして、不健全な「罪悪感」。(「後悔」と言ってもいい)

 

教育界から(意図的に)コンプレックスを植え付けらえれた我々は、

どうしたら良いのだろう?

 

理解する

一番の正攻法は、コンプレックスの原因をちゃんと理解することだ。

「私が英語をしゃべれないのは、私のせいじゃない!

 悪いのは自分じゃない!」

堂々と言えるようになろう。

 

そのためには、前回の私のブログを熟読しよう(笑)。

 

この本を読んでみるのもいいだろう。

『日本人の9割に英語はいらない 英語業界のカモになるな!』

 

 

癖のある本なので受け付けない人もいるだろうが、

書いてあることは❝まっとう❞だ。

英語なんてものに囚われる必要がないことを繰り返し主張している。

 

これで「あ、英語のこと気にしなくていいかも」と思えたら、

しめたものだ。

 

自信を持つ

次にお勧めするのは、日本語をもっともっと使うことだ。

 

日本語は非常にユニークな言語だ。

複数の文字、間延びした発音、文字と思考の一体化・・・

など、前回書いたような個性にあふれている。

その上で、高度な内容を扱うこともできる。

 

日本語で多くのことを表現すれば、

それだけ日本語と仲良くなれる。

 

たくさん本を読んで、たくさん文章を書こう。

作詞なんてしてみるのも良いと思う。

日本語の面白さが分かる。

 

そのうち

「日本語を軽々と使いこなす我々こそがユニークだ!」

と気づく。

それが自信になる。

 

私もこうして毎週文章を書いているが、

「よくもまあ、こんな珍妙な道具を使い続けているものだなあ。

 でも、このコトバじゃないと自分自身を表せないなあ。

 これこそ自分の個性だなあ」

と感じ続けている。

 

楽しくなって、最近では「脚本」まで書き始めてしまった。

 

自信を持っていこう。

 

あきらめる 

それでもコンプレックスが消えなければ・・・・

 

あきらめよう!

 

我々は若い時から洗脳を受けながら育った。

「世界を舞台に活躍しなさい」

「外国人とは英語でしゃべりなさい」

「日本語だと世の中から取り残されます」

 

全部ウソッぱちだと頭では理解していても、

数十年がかりでかけられた❝呪い❞は、そう簡単には解けない。

 

「自信を持とう」と言っている私自身、

英語で会話中に「ウっ」と言葉に詰まってしまうと、

コンプレックスが一気に噴き出してくる時がある。

心がズキッと痛む。

 

これはもう仕方がない。

あきらめよう。

 

そのうち他のもっと重大な悩み事が湧いてくる。

英語の悩みなんてどうでも良くなるだろう。

 

それでも英語を勉強したいなら

私は英語が好きだ。

他の言語を学ぶのは楽しい。

中国語も少しだけ勉強している。

 

 趣味としての語学なら、好きなだけやればいいと思う。

 

好きでないのなら無理して英語を学ぶ必要はない。

 

それでも・・・どうしても英語を勉強したいなら。

世間体のために、モテるために、コンプレックス解消のために、

勉強したいのなら。

 

とりあえず私から言えるのは3つだ。

 

・お金を無駄にしない。

・日本語の特徴から解放される。

・できるだけ先延ばしにする。

 

お金を無駄にしない

外国語の習得には、地道な努力が必要だ。

地道な努力。

それ以外の方法はない。

本当にない。

 

でも世の中は、努力が要らないかのような教材やコースであふれている。

 

「CDを聞き流すだけ!口から自然と英語が飛び出す!」

「200フレーズ暗記するだけ!これで英会話は全てOK!」

「ペラペラになるにはコツがある!

 優秀な教師があなたを最短コースへお連れします!」

 

冷静に考えると

「そんなわけねぇだろ!」の一言で済んでしまうものばかりだ。

そして、そういうものに限って値段が高い。

 

それでも「英語があなたを救う!」という宗教にに囚われ

熱くなってしまった人間には、魅力的に見えてしまう。 

あなたのコンプレックスにつけこむ悪質な業者は多い。

 

勉強するのはあなた自身だ。

高級な教材も教師も、あなたの代わりに勉強してくれない。

お金を無駄にしないよう気を付けよう。

 

日本人には英語が大人気なので、英語教材のマーケットは巨大だ。

そこでは熾烈な競争が行われている。

だから、安い教材でも十分にクオリティが高い。

自分のレベルに合わせてリーズナブルなものを選べば良いのだ。

 

日本語の特徴から解放される

以前の記事に書いた通り、言語の本質は「音」だ。

「文字」はそんなに大事じゃない。

 

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しかし、日本語はユニークだ。

中国から輸入した「漢字」と悪戦苦闘しながら成長したせいで、

「音」だけではなく「文字」の方も重要になった。

 

だから教育現場でも、ついつい「文字重視」になっていた。

難しい漢字や漢文の読み書きができて、その奥深い意味を説明できる。

つまり「漢字を知っている」ということが「教養」だった。

 

英語教育でも、ついその癖が出てしまう。

英単語や英文の読み書きができることや、

文法を正確に理解していることが必要以上に重視されるように

なってしまった。

 

でも英語は日本語とは違う。

英語の本質は「音」だ。

文法を習うのは、英語の音に十分に慣れた後でいい。

 

日本語とその学習法からは解放されよう。

音をひたすら勉強しよう。

 

私の場合は、この教材は非常に役に立った。

『英語耳』 

 

 

 他の教材でも良いと思うが、

とにかく飽きるほどに「s」「sh」「th」などの音を聞き発音することで、

❝英語の本質❞に迫っている実感が湧くと思う。

 

できるだけ先延ばしにする

そして一番大事なのはこれだ。

英語の勉強を始めるのは、できるだけ後回しにしよう。

 

人生には他にもっと大切なことがある。

 

山に登って素晴らしい景色を見ること。

美味しいごはんを食べること。

大好きな人と過ごすこと。

 

使うあてのない英語のために、

あなたの貴重な時間を費やしてる場合じゃない。

 

本当に英語が必要になったら、その時に必死になればいい。

真剣さが違うので、短時間で習得できるだろう。

何とかなる。

私も何とかなった。

 

そして、先延ばしにするメリットはもう1つある。

 

それは、技術の進歩を当てにできることだ。

 

今や自動翻訳のおかげで、簡単なやりとりには困らなくなってしまった。

「ポケトーク」の精度は日々向上しているので、

日本語しか使えなくても

海外旅行でマゴつくようなことは無くなってしまうだろう。

 

 

 ただし、自動翻訳に多くを期待しない方が良い。

AIは文章の「意味」を理解できない。

長い文章や、深い意味を込めた言葉を翻訳することは、

いつまでたっても出来るようにならないと思う。

 

期待したい技術の進歩は、

「自動翻訳」よりも、むしろ「教育手法」の方だ。

 

これまでは「効果的な英語の学習方法」について、

色んな専門家や実務家が好き勝手なことを言えていた。

 

「俺はこのやり方で英語を習得した!

 これこそが正しい学習法だ!」

「私はわが子をペラペラに育てました。

 秘訣を公開します!」

「私は脳の専門家です!

 これが科学的に正しい唯一の方法です!」

 

どれも結局は、その人にとってだけ正しい自己流の手法に過ぎない。

(上記で私が書いた「音に慣れる」も、その一種だ)

信じて実践してみても、あなたには合わないかもしれない。

(だいたいの場合、あなたには合わない)

 

しかし最近では統計学が大きく進歩している。

以前の記事で少しだけ紹介したRCT(ランダム化比較試験)が、

世の中の様々なことについて

「何が効果があるのか」を明らかにしようとしている。

 

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RCTを使えば、自己流とは格段にレベルの違う、

強い証拠能力に裏打ちされた「効果的な英語の学習方法」が

開発されるだろう。

 

私の知る限りでは、今のところそんな研究は行われていないようだ。

「学生を実験材料にできない」とか、

何か倫理的な問題があるのかもしれないが、

いずれは実施されると思う。

 

「いつかは英語をやらなきゃ・・」と思っている人は、

それまで待てば良いのだ!

統計的に効果のある学習法が開発された後で英語の世界に入っても

遅くはない。

 

英語の勉強はできるだけ先延ばしにしよう。

 

まとめ

今回のまとめは以下だ。

 

・あなたが英語をしゃべれないのは、おかしな教育のせいだ。

 あなたのせいじゃない。

・日本語はすごい。

 英語なんて気にしなければいい。

・どうしても英語を学びたければ、

 ラクな方法は無いことを理解してお金は節約しよう。

・発音の練習に力を入れると良いかも。

・英語の勉強は後回しにするのが利口。

 

英語に限らず、

コトバの問題は人が人と関わって生きる上で避けては通れないものだ。

より良い解決法ないか、今後も考えていきたい。

 


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日本は英語を愛しすぎている。憎みすぎている。(1)

大学入試に民間の英語試験を活用する件について、

延期が決定され、大騒ぎになっている。

 

●安どと不満の声 英語民間試験延期 教育現場から

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191101/k10012160221000.html

 

「若者たちには世界で活躍してほしい!」

「英語はこう教えるべきだ!」

 

日本人は英語教育の話題が大好きだ。

 

今回は、英語について私の感じていることを

多少の独断と邪推もまじえながら書いておきたい。

 

日本語のユニークさ

日本語は非常にユニークな言語だ。

 

・発音の種類が少なく、全体的に間延びした音になる。

 (英語だと「strike!」と一息に言ってしまえるが、

  日本語だと「ス・ト・ラ・イ・ク」となってしまう!)

 

・漢字を巧みに使うことで、高度に抽象的な概念を扱える。

 (「抽象」「概念」って、すごく難しいことばを普通に使えてる!)

 

・文字が多彩で、ひらがな、カタカナ、漢字を使いこなす。

 (コトバ遊びにチョー便利!)

 

同音異義語が異常なほど多い。

 (「キシャのキシャがキシャでキシャした」

  →「貴社の記者が汽車で帰社した」

  ことば遊びに最適!)

 

・「音」だけではなく「字(漢字)」を思い浮かべながらでないと、

 人と会話ができない。

 (「希望するコーコーに一発で合格してくれました。

   ほんとに親コーコーな息子です」

  →「高校」と「孝行」を一瞬で思い浮かべている!)

 

こんなに変わった言語は、(おそらく)他にはない。

以前の記事に書いた通りだ。

 

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日本と英語の関わりの歴史

日本人は、西洋の文化・文明をどう受け入れてきたのか。

 

基本的には、他の「欧米以外の国」と同じだ。

 

欧米から先生を呼んで学問を教えてもらう。

国内のエリートが欧米に留学し、知識を仕入れ、

帰国し、学んできたことを伝える。

国内の知的レベルを上げていく。

こうして明治維新が推進されていった。

 

そして、その中心的役割を果たしたのが大学だ。

大学は、西洋の文化・文明を輸入するための施設だった。

 

大学では、英語を使えることは必須の能力だった。

(明治ではドイツ語とか他のヨーロッパ言語も大事だったが、

 ここでは英語で代表させておこう)

教材は全て英語で書かれている。

英語が分からないと授業にならない。

当時の学生の苦労は、夏目漱石の『三四郎』を読めばよく分かる。

 

 

英語ができないと学問ができない。

そして、出世もできない。

 

一部の家柄、血筋、地位の人でない限り、

出世してエリートの仲間入りをするためには、英語が必要だった。

英語が使えないと、❝お国のため❞に役立つ人材にはなれなかった。

 

こうして日本人の心の中には「英語への憧れ」が育っていく。

それと同時に、

英語が使えない人は「劣等感」を感じるようになっていく・・。

 

こう書くと悪いことのように感じるかもしれないが、

これはただの「自然現象」にすぎない。

それぞれの文化・文明を背負った言語同士の関係の中で、

どうしても「序列」「上下関係」が出来てしまうのだ。

これは避けようがない。

「出世したいけど英語がしゃべれない・・」と劣等感を持つ若者が、

「よし!英語を勉強しよう!」と考えるのは、

極めて自然で健全な向上心だと思う。

そうやって明治の偉人たちは道を切り拓いた。

 

ここまでは、他の「欧米以外の国」と同じ流れだ。

西洋文化・文明を取り込むときには、普通に起きることだ。

現在の途上国でも同じ状況がみられる。

 

しかし、日本ではその後ちょっと違う方向へ進んでいく。

 

日本語の進化

明治の知的エリートはすごく頑張った。

漢字を駆使して英語を次々と日本語に変換していった。

「science」「phylosophy」「life」「insurance」を

「科学」「哲学」「生活」「保険」と翻訳した。

識字率の高かった日本の庶民たちも、

新しい言葉を次々と理解していった。

日本語は劇的に進化した。

非常にユニークな言語になった。

 

しばらくすると、日本語だけで高度な学問をできるようになっていた。

英語がしゃべれなくても出世できるようになった。

 

今の学生たちは英語ができなくても東京大学を卒業できる。

英語が苦手でも、医者にも弁護士にもなれるし、

大学教授にだってなれる。

高級官僚にもなれるし、世界的大企業の社長にもなれる。

 

こんな国は、(おそらく)他には無い。

 

(ヨーロッパなら、自国の言葉だけで上に行ける仕組みはあるだろうし、

 アジアにもそういう傾向の国はあるだろうが、

 やはり日本の特殊性は際立っていると思う。

 「新しい大臣は英語が得意!」なんてことが

 話題になってしまう国なのだ!)

 

英語への姿勢

こうなると、日本人の英語に対する姿勢がおかしくなってくる。

 

明治の世の中と違い、英語の必要性は下がった。

英語なんか使えなくても出世できるのだ。

 

それでも、 言語の序列意識はそう簡単には変わらない。

日本人は相変わらず「英語への憧れ」と「劣等感」をもち続けた。

 

英語は、

「現実世界の役には立たないけれど、

 意識の中の序列付けにだけ使える言語」

になった。

つまり、日本人は「世間体」のためだけに英語を勉強するのだ。

 

ハイソサエティー❞の有閑マダムは、

歌舞伎を観に行ったり生け花を習ったりするのと同じ感覚で

英会話教室に通い、

イケメンの白人から使うアテのない言い回しを教わっている。

自分の序列を上げるために。


教育者の多くは、

自分の教え子が英語ペラペラになることを本気で望んではいない。

そんな生徒がいたら、自分の英語力の低さがバレてしまう。

大学教授の「権威」を守り、学内の「序列」を崩さないためにも、

生徒たちには英語が苦手でいてくれないと困る。

それでも教え子は出世していくので、自分の評価が下がることもない。

 

こうして英語教育は、実用性が低く、形だけのものになっていく。

重箱の隅をつつくような文法問題ばかりの大学入試テストが開発された。

現実の役には立たないけど、序列付けには最適のテストだ。

大学入試に合わせて、中学と高校の学習内容も細かい文法ばかりになった。

 

 こんな教育が行われているうちに、

「長年英語を勉強しているのに、全然しゃべれるようにならない!」

「テストの成績は良いのに、外国人をみるだけで緊張してしまう!」

「自分に問題があるのでは??」

と悩む生徒が増えていく。

 

こうして日本人の心の中では

健全な「憧れと劣等感」に、不健全な「罪悪感」がプラスされた。

(本人に罪はないのに!)

 

親は「子供たちにはこんな思いをしてほしくない!」とばかりに

英語教育にさらに熱心になる。

子供たちの心の中に「憧れ・劣等感・罪悪感」が再生産される。


多くの日本人が英語の話題になると

「いや~、いつかはやらなきゃと思ってるんだけどね・・」

と恥ずかしそうに笑ってごまかすようになった。

 

私の場合

こんなことを書いている私自身も、

「憧れ・劣等感・罪悪感」を抱えている1人だ。

 

私は日本人全体の中で言うと「英語ができる部類」に入ると思う。

 

学校での英語の成績は良かった。

(中高の英語の先生は、非常に熱心に文法を教えてくれた。

 個人個人の先生は生徒のためを思っている)

 

TOEICでは、上位1%ぐらいに入る点数を取ったこともある。

(4択の中で正解を見つけるのは得意。

 ギリギリで1%からは漏れたけど)

 

英語の本もたまには読む。

(日本語の本より時間がかかるけど)

 

ある程度の会話や議論もできなくはない。

(相手が配慮して会話のペースを落としてくれるなら)

 

それでも英語の話になると、

「いや~、もっと頑張らなきゃと思ってるんだけどね・・」

と恥ずかしそうに言ってしまう。

 

染み付いた「憧れ・劣等感・罪悪感」からは、

なかなか解放されない。

困ったものだ。

 

特に日本人特有の「罪悪感」はタチが悪い。

「憧れ・劣等感」だけなら、

英語力さえレベルアップすれば、いつかは克服できるだろう。

でも「罪悪感」だけは消えない。

これまでに費やした学習時間を無かったことにはできないからだ。

「こんなに勉強したのに・・悪いのは自分では?」

という思いだけは、消せない。

 

どうすれば?

日本人は英語に対して

非常に複雑な感情をもつようになってしまった。

 

だから誰もが英語教育の話になると、

ついつい感情的に熱くなる。

自分の経験に基づいて何かしら語りたくなってしまう。

日本人は英語教育の話題が大好きだ。

 

(余談だが、数十年後には「プログラミング教育」でも

 同じことが起きそうな気がしてしょうがない)

 

我々は今後、どうするべきなのだろう?

 

大学入試に民間英語試験を導入すれば解決するような話ではない。

これは、制度や技術の問題というよりは、

感情的・心理的な問題なのだ。

 

次回はこの大問題について、考えてみたい。

 


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