マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

ゲームの歴史と著作権の未来を考える

 

ゲームとは、映画である。

 

いやいや、別に比喩表現で深いことを語りたいわけじゃない。

 

著作権の世界では、

ゲームは間違いなく映画だということになっている。

そういう話だ。

 

著作物のジャンル

小説、音楽、絵画・・・など、

著作物と言われるものには色んなものがあるが、

とりあえずのジャンル分けがされている。

 

著作権法には、以下のように書いてある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(著作物の例示)
第十条 この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。

一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
二 音楽の著作物
三 舞踊又は無言劇の著作物
四 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
五 建築の著作物
六 地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
七 映画の著作物
八 写真の著作物
九 プログラムの著作物

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

自分のつくった作品が、上記1~9のどのジャンルに分類されるのか?

または、どれにも当てはまらないのか?

(あくまでも「例示」なので、当てはまらない著作物もあり得る)

それによって、法律的な扱いが変わることがある。

 

例えば「美術の著作物」。

美術品が著作権法の中で特別な扱いがされていることは、

以前に説明したとおりだ。

 

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ジャンルはけっこう大切なポイントだ。

 

ジャンル分けを見ていて気付くのは、

「あれ?マンガ、アニメ、ゲームは??

 書いてないの?

 日本が世界に誇る文化のはずなのに??」

ということだ。

 

まあ、これは仕方がない。

この法律は、1970年に出来たものだから。

マンガ、アニメ、ゲームが全く存在しなかったわけではないが、

今ほどメジャーではなかった。

わざわざ法律に書きこむようなものではないと

考えれらたのだろう。

 

(「プログラムの著作物」という異質なものが

 紛れ込んでいることに気付いた人もいるだろうが、 

 今回は無視してほしい。

 これは、アメリカの要求で後付けで入ってきたものだ)

 

マンガ

手塚治虫氏が『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『火の鳥』などを

描いていたのは、1950年代。

有名なトキワ荘藤子不二雄氏、石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏らが

活躍を始めたのも50年代からだ。

だから法律が出来たときには、

マンガはみんなが読むものになっていた。

 

それでも、著作権法の中には入れてもらえなかった。

「マンガはレベルの低い読み物にすぎない。

 高尚な文化を守る法律に入れるなんてケシカラン!」

みたいなことを言う人がいたのかもしれない。

 

マンガファンにとっては見過ごせない話かもしれないが、

実質的な面では、特に問題はなかった。

マンガのストーリーやセリフは、

「小説」や「脚本」と同じように「言語の著作物」として扱えば良いし、

マンガの絵柄は、

「絵画」なので「美術の著作物」と考えれば良いからだ。

 

マンガは「言語の著作物」と「美術の著作物」を組み合わせたものだ。

この説明で、十分いけた。

 

著作権法の世界では無視(?)されていたマンガだが、

 今では逆にマンガを守るために「ダウンロード違法化」を

 無理やり成立させようとしている。時代は変わるものだ)

 

アニメ

東映動画(現:東映アニメーション)が

白蛇伝』や『太陽の王子 ホルスの大冒険』などの傑作を

作ったのは50年代から60年代にかけて。

手塚治虫氏が『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』などの

テレビアニメを手掛けたのは60年代だ。

 

マンガと同様、商業的にも十分な存在感を見せていたが、

著作権法に「アニメ」と書かれることはなかった。

そして、それで問題なかった。

 

 黒澤明監督や小津安二郎監督の作った作品と同じ

「映画の著作物」のジャンルに入れてしまえば、

それで十分だったからだ。

 

ゲームはどうなる?

それでは、ゲームはどうだろう?

上記のジャンルの中の、どれに当てはまるだろう?

 

ゲームは、マンガやアニメより歴史が浅い。

 

著作権法が出来た1970年。

ゲームはまだまだ黎明期だった。

一部のコンピューター愛好家や先進的な企業が

原始的で簡単なゲームを作っていた時代だ。

「ゲームは著作物なのか?

 どのジャンルなのか?」

などとは、誰も考えていなかった。

 

1977年、アタリ社が家庭用ゲーム機「Atari2600」を

アメリカでヒットさせる。

翌年、日本では『スペースインベーダー』が喫茶店で大流行。

1980年代に入ると、

任天堂ゲームウォッチファミコンを大ヒットさせる。

一気にゲームがメジャーになった。

 

コンピューターの処理能力の向上とともに

数々の名作タイトルが生まれた。

パックマン』『ゼビウス

スーパーマリオブラザーズ』『ソニック・ザ・ヘッジホッグ

ドラゴンクエスト』・・

子どもも大学生も、みんなが夢中になった。

 

中でも鮮烈な光を放ったのが1997年発売の

ファイナルファンタジーⅦ』だ。

全編3Dの美しい表現。

繊細なCGで描かれた登場人物たちが繰り広げる

熱いアクションと悲しいドラマ。

これを機に表現の幅が一気に広がった。

ゲームは芸術だ!と堂々と言えるようになった。

 

しかし、この時点でも

「ゲームは著作物のどのジャンルに入るのか?」

は明らかになっていなかった。 

長年はっきりしないままだった。

 

中古ゲームソフト事件

この疑問に答えを出したのが、「中古ゲームソフト事件」だ。

エニックスカプコンナムコセガ、SCE・・・など、

名だたるゲームメーカーが、中古ソフトの販売業者を訴えた事件だ。

 

ゲームメーカーにとっては、

遊び終わったソフトがすぐに中古品として売られてしまうと、

新品が売れなくなってしまう。

中古品の販売を禁止したい!

 

メーカーが勝つためには、2つのハードルを越える必要があった。

 

1つ目は、「ゲームは映画だ」と認めさせること。

ゲームは映像で表現されるものだ。

そういう意味では映画と同じだ。

他のジャンルと違って、

「映画の著作物」には「頒布権(はんぷけん)」という、

映画の流通を支配できる強力な権利がある。

全国の映画館のうち、

次はどこに映画のフィルムを渡すのか決めることができる権利だ。

「ゲームも映画だ」となれば、この特別な権利が手に入る。

 

2つ目は、

「頒布権は特別なんだから、中古品の流通もコントロールできる」

と認めさせること。

例えば本屋で小説を買ったあなたが、

読み終えた後にブックオフなどの古本屋に売ることは自由だし、

ブックオフが他の人に売ることも自由だ。

小説に著作権(譲渡権=販売権)があっても、

いったん本が売れた後に再販売することには口出しできない。

中古ゲームも同じではないのか・・?

「いやいや!そうじゃない!

 頒布権というのは、すごーく特別なんだから、

 一緒にしないでください!

 映画の場合は、中古品の販売にも権利が働きます!」

というのが、メーカー側の主張だった。

 

この2つのハードルを越えることが出来たのか・・?

 

疑問への回答

結果としては、

1つ目のハードルは越えたが、2つ目は無理だった。

 

2002年の最高裁判所で結論が出た。

 

「ゲームは映画の著作物だ。だから頒布権がある」

そこまでは認められた。

 

でも、

「いくら頒布権があるといっても、

 一般の消費者向けに販売しているゲームソフトは、

 本と同じように中古品の販売は自由にすべきでしょう」

ということになった。

 

中古品の業者は今まで通りの商売を続けられるようになった。

ゲームメーカーは敗北した。

「ゲームは映画だ」という長年の疑問への回答だけを残して。

 

(ちなみに、映画会社はトバッチリを受けた。

 自分たちが戦う前に「頒布権では中古品販売を止められない」と

 結論が出されてしまったからだ。

 映画の中古DVDを売ることは自由になった)

 

私見だが、映画であることを裁判所が認めたことに、

ファイナルファンタジーⅦ(FFⅦ)』の功績は大きかったように思う。

平面的な画面を単純なキャラクターがピコピコと動き回るだけの

ゲームでは「映画だ」と断言しづらい。

でも『FFⅦ』レベルまで昇華された表現なら、

「映画だ」と言うことに何の抵抗も感じない。

裁判官がゲーマーだったのかどうかは知らないが、

『FFⅦ』以降の進化したゲームを見せられて確信したのだろう。

「ゲームを映画のジャンルに入れよう」と。

 

最初は著作権の世界から見向きもされなかったゲームだが、

少しずつ進化を積み重ね、

ついには「映画の著作物だ」と認めさせるに至ったのだ!

 

最近は、そして未来は

その後もゲームの進化は止まらなかった。

 

コンピューターはさらに高速になり、

オンラインで世界中とつながれるようになった。

ゲームは単に楽しむものではなく、

その世界に没入して体験するものになった。

 

一昨年のことになるが

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

には、本当にハマった。

私は主人公のリンクになりきった。

 

ハイラル王国の美しい景色の中で自由に駆け回る解放感。

竜骨モリブリンバットでガーディアンを打ちのめす興奮。

ライネルに見つかり逃げ惑う絶望感。

ゼルダ姫を救いたいという一途な思い。

 

仕事をサボって1週間家に閉じこもった。夢中になった。

私の人生の中で最も充実した時間の1つになった。

 

ゲームはまだまだ進化する。

 

eスポーツが浸透し、プロゲーマーは憧れの職業になった。

VR、AR、MR技術の登場で、

ゲームと現実世界の境目が消えつつある。

超人スポーツが注目をあび、

人間の肉体とデバイスも結びつこうとしている。

 

ゲームの中で人と出会い、友だちになり、

作詞や作曲をし、アイドルに歌ってもらい、

新しい街を建設し、買い物する。

ゲーム世界が「生活空間」となり「経済圏」になっていく。

マトリックス』や『レディ・プレイヤー1』でおなじみの世界観だ。

 

そのとき、ゲームは「映画の著作物」と言えるのか?

 

「映像で表現されているから・・」なんて理屈が

説得力を持たなくなっていくだろう。

 

17年前には、やっとのことで「映画の著作物」の仲間入りを

させてもらえたゲームだが、今では立場が全然ちがう。

もはや「著作物」という枠組みさえも飛び越えそうな勢いだ。

 

ゲームという巨大な存在をどう扱ったらいいのか??

近いうちに著作権法が向き合う大テーマになるだろう・・。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

秋は、読書の季節でもあり、ゲームの季節でもある。

ゲームもたっぷり楽しもう!!

 

 


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読書は数珠つなぎ

読書の楽しみ

秋は本を読もう!

たくさん読もう!

 

「あ!ここで書かれていることは、

 あの本の内容とつながってる!」

 

そんな発見があれば、

読書は途方もない楽しみを与えてくれる。

 

今回は良い本を紹介しつつ、

頭の中で本の記憶がつながっていく様子も説明したい。

 

『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』

最近読んだ本はこれだ。

『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』

 

 

死とは何か?

死は悪いことか?

死を恐れるべきか?

自殺は許されるか?

どう生きるべきか?

 

全ての人間が悩む大問題について、

丁寧に理屈立てしながら追求していく本だ。

 

古典的な哲学や倫理学上のテーマを

非常にわかりやすく解説した上で、

著者の考えも聞かせてくれる。

 

人生の価値

例えばこんなテーマがある。

「人生に価値があるかどうか、どう測れば良いのか?」

 

1つの考え方はこういうものだ。

人生における良いこと、悪いこと、

すべてのプラスとマイナスを合計した結果がプラスなら、

その人生には価値がある。

マイナスなら価値がない。(というかマイナス)

 

2つめの考え方は、1番目の考え方を調整したものだ。

人生の中身の問題とは別に、「生きることそのもの」に価値がある。

だから上記の計算に加えて、「生」の価値をプラスすべきだ。

結果として合計がプラスなら、人生には価値がある。

 

3つめの考え方は、「生」の価値を絶対視する。

人生で何があったとしても、「生」は無条件にすばらしい!

だから、辛いことしか起きない人生にも価値がある。

全ての人生に価値がある。

 

本の筆者は、1番目と2番目の見方のあいだで揺れている。

もちろん、簡単に答えなど見つかるわけはない。

4つめ、5つめの考え方だってあるだろう。

 

仮に2つめの考え方に立つとして、

「生」の価値、つまり「命の価値」って、どう測ったら良いのだろう・・?

 

ルクレーティウスの難問

他にも面白い論点が紹介されている。

古代ローマのルクレーティウスが提起した難問だ。

 

私たちは自分がいずれ死んでしまうこと残念がる。

自分という存在がなくなってしまうからだ。

でも「自分が存在しない」という意味では、

生まれる前も同じ状態だ。

なぜ人は、死ぬことは残念がるのに、生まれる前を残念がらないのだ??

 

たしかにそう言われれば、不思議な気がする。

多くの人は「あと10年の人生が欲しい」というときに、

死ぬタイミングを「後ろ」にずらして考える。

生まれるタイミングを「前」に発想する人はめったにいない。

どちらも同じ10年なのに。 

なんとも不合理だ。

 

人間は「未来志向」だから、過去よりも未来の方が大事なんだ!

とりあえずそう説明することはできる。

でも、なぜ未来志向なのか?それは正当な考え方なのか?

納得のいく回答は無い・・。

 

ん?

なんか、こんな議論を別の本で読んだ気がするぞ・・。

そうだ!

経済学の本だ!

 

行動経済学の逆襲』

思い出したのは、この本だ。

行動経済学の逆襲』 

 

 

内容をきわめて大雑把にまとめると、こんな内容だった。

 

・ これまでの経済学は、

 人間は合理的に判断して行動することを前提に理論を作っていた。

・しかし実際の人間はそんなんじゃない。

 不合理な行動をとることが多い。

・人間の脳には「不合理な判断をするクセ」がある。

 それを理解した上で、良い方向へ人を動かす経済政策をとろう。

 

人間の脳のクセに焦点をあてて経済を考えるのが、行動経済学

この20年ぐらいで何度もノーベル賞をとっている成長分野だ。 

 

クセの中でも代表的なものが以下の例だ。

 

質問1:あなたはどちらを選びますか?

A:100万円が無条件で手に入る。

B:コインを投げて、表なら200万円が手に入るが、

  裏なら何ももらえない。

 

質問2:あなたには200万円の借金がある。どちらを選びますか?

A:無条件で借金が100万円免除になる。残りの借金は100万円。

B:コインを投げて、表なら借金が全てチャラになる。

  裏なら借金200万円のまま。

 

多くの人が質問1ではAを選び、質問2ではBを選ぶ。

リスクを嫌い確実な利益を好む我々は、

借金を背負うとなぜか急にリスクを好みだす。

なんとも不合理だが、これが脳のクセなのだ。

 

なんだかこの議論、

さっきの「ルクレーティウスの難問」に似ていないか?

 

人生を前に延ばすより、後ろに延ばしたがる傾向・・・

これって、ただの「脳のクセ」に過ぎないのでは??

 

「過去より未来に価値を感じるのはなぜか?」という疑問に

真正面から答えてはいないが、

「ただのクセです」と言わてれしまえば、それはそれで納得感がある。

人類が数千年も悩んできた哲学的難問に、

行動経済学が「正解」を与えてしまったのかもしれない。

 

すごい。

さすがは、ノーベル経済学賞

 

そういえば・・・今年の経済学賞はRCTの人だった。

ランダム化比較試験(RCT)の手法を使って

世界の貧困問題に取り組んだ人が受賞していた。

RCTを解説した本も読んだことがあるぞ・・。

 

『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』

これは、統計学の本だ。

『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』

難しい本が多い中で、これは読みやすかった。

 

  

大量のデータが計測される現代社会では、

データを正しく分析する力が重要だ。

 

しかし、統計を駆使してどんなに正しく分析しても、

「因果関係」が分からない。

 

「広告を打ったときにアイスクリームの売上が伸びた」と分かっても、

広告を打ったからなのか?

その夏が暑かったからなのか?

景気が良かったからなのか?

全然違う原因があるのか?

因果関係がわからない。

 

こうなると正しい行動がとりづらい。

売上アップのために、広告を打つことに意味があるのか、

証拠に基づいた判断ができない。

 

統計は因果関係が苦手だった。

 

しかし、学問は進歩する。

ランダム化比較試験(RCT: Randomized Controlled Trial)

という方法が開発され、因果関係が分かるようになってきた。

 

RCTは、現実の世界で実際に実験をしてしまう手法だ。

ランダムにグループ分けした上で、

結果の差を比べることで因果関係を調べることができる。

 

例えば、消費者をAグループとBグループにランダムに分け、

片方には広告を見せ、片方には見せない。

各グループの売上の差を分析することで広告の効果を明らかにするのだ。

(こう書くと簡単なようだが、いつもRCTが使えるわけではなく、

 特定の条件に当てはまったときに初めて有効になる)

 

こうして、様々な問題の解決策がわかるようになってきた。

実際にアメリカでは、

政府がRCTを活用して政策を決めるようになってきている。

アイスクリームの広告と同じように

「この政策は効果がある」という科学的な証拠に基づいて、

国の予算が組まれているのだ。

 

そういえば、

科学的な政策決定についての本も読んだことがあるな。

何だっけ・・・

 

ナッジ

行動経済学は、人間のクセを分析する。

この新しい経済学から得られる知見を活かし、

うまく相手を良い方向へ誘導する手法が「ナッジ」と呼ばれている。

(「ナッジ」=「ひじで軽くつつく」)

 

例えば、年金制度に多くの人に加入させるため、

「初期設定」を「加入」にしておく。

嫌なら加入しないことも選べるが、自分でそれを選択しないといけない。

そのようにデザインしておく。

たったそれだけのことで、加入率が跳ね上がるのだ。

 

大切なのは、「強制」ではないこと。

最終的に選択する権利は、ナッジを受ける人々に残すという点だ。

 

そういえば、何かと話題の小泉進次郎氏も、ナッジが好きだったな・・。

 

小泉進次郎オフィシャルブログ 「ナッジ」とは。

https://ameblo.jp/koizumi-shinjiro/entry-12422659472.html

 

よく考えてみれば、ナッジに近いことは昔から行われてたんじゃないか?

政府が国民を誘導するって、普通にやることなんじゃないか?

例えば、子育て世帯にたくさんの補助を与えることで

子作りを奨励するとか。

 

そういえば、このあいだ読んだ歴史の本にも似たようなものがあったな・・。

 

オスマン帝国500年の平和』

 この本も本当に面白かった。

オスマン帝国500年の平和』

歴史の本だが「戦争」よりは「統治」に重点がおかれた内容だ。

 

 

行動経済学統計学と同じように、

オスマン帝国の研究もここ数十年で大きな進歩を見せている。

 

オスマン帝国は、13~20世紀に繁栄した多民族帝国だ。

アナトリア、バルカン、アラブ地域などを支配していた。

 多種多様な文化、宗教、風習をもつ民族を治めるのは大変だ。

この本は、帝国のスルタン(皇帝)や官僚たちが、

苦労しつつも柔軟に統治を進めていった様子を詳しく教えてくれる。

 

オスマン帝国は「右手に剣、左手にコーラン」を持って、

 征服した民族を無理やりイスラム教に改宗させていた。❞

以前は、そんなイメージが一般的だったが、

研究の進んだ今は、全然ちがう。

間違ったイメージだったとわかっている。

 

それぞれの民族が、

それぞれの宗教を認められながら平和に共存していた。

 

それでも帝国の「公式な」宗教はイスラム教だったので、

できるだけ多くの人にイスラムの教えを信じてほしい。

 

そこで帝国は「イスペンチ」という税金を導入した。

これによって、イスラム教を信じない人は、

イスラム教徒より少しだけ多く税金がとられるように調整した。

でも、改宗することは強制ではない。

自分の宗教を信じ続けることは自由だ。

 

これって、「ナッジ」のようなもんだな。と思う。

 

民族の時代

おおむね平和に統治されていたオスマン帝国だったが、

18~19世紀に「民族の時代」がやってくる。

 

それまでの人々のアイデンティティは宗教だった。

「俺はイスラム教徒だ」「キリスト教徒だ」「ユダヤ教徒だ」

そうやって自分を理解していた。

イスラム教は他の宗教を認めていたので平和だった。

 

しかし「民族の時代」には、

「俺はギリシャ人だ」「セルビア人だ」「ブルガリア人だ」

と、民族で自分を定義するようになった。

「なぜ俺たちが、他の民族に支配されないといけないんだ!」

となっていく。

 

こうして中東やバルカンで民族紛争が際限なく起きるようになった。

多くの人が死んでいった。

 

以前に紹介した『オシムの言葉』と『ブラック・スワン』で、

ユーゴスラビアレバノンの内戦を話題にしたが、

オスマン帝国を学んだおかげで、そのルーツがよく分かるようになった。

また読み直してみたい。

 

 

 

 

 

『シンプルな政府 ❝規制❞をいかにデザインするか』

 オスマン帝国の政策はわかった。

そうだ!現代の❝帝国❞、アメリカの政策の本を思い出した。

『シンプルな政府 ❝規制❞をいかにデザインするか』 

 

 

行動経済学統計学を使い、

オバマ大統領の下で❝科学的証拠に基づいた❞政策を

実際に作っていた人が書いた本だ。

 

環境規制や福祉の分野で「ナッジ」を活用しまくって

政策を作っている様子がよく分かる。

アメリカって、やっぱり凄い。

 

日本の著作権も、うまく科学的証拠に基づいて再設計できないだろうか?

「作品を創作した人に、著作権という❝ご褒美❞を与える」

これもある意味「ナッジ」かもしれないが、

そんな大雑把な仕組みではなく、

もっと緻密に科学的に制度を作れないだろうか??

そんなことも考えてみたくなる。

 

命の価値

この本の中で印象的だったのが、

「命の価値」をお金で計算している部分だ。

 

例えば、ある政策を実施することで10億ドルのコストがかかるとする。

それによって大気汚染が減り結果的に1000人の人間が

肺がんにかからずに済み、命が助かるとする。

でも、10億ドルを別の政策に使った方が、

もっと人々の幸せを向上させるかもしれない。

この政策を実施すべきか?

 

こんなときは、「命の価値は何ドルか?」を算出しないと、

判断のしようがない。

「人の命は地球より重い!」と叫んで何もしないより、

命の値段を決めた上で前向きなアクションをとった方がいい。

 

では、命の値段って、いくらなの??

 

難しい問題と思われるかもしれないが、 

実は、命の価値はすでに決まっている。

我々が悩むとっくの前に「市場」が決めてしまっているのだ。

 

例えば、同じ会社に勤めるAさんとBさん。

2人とも普通のデスクワークをしているが、

Bさんにだけ特別な業務がある。

工事現場に行ってガス漏れがないか確認する業務だ。

Aさんよりも、ほんの少しだけ危険な仕事だ。

もちろんめったなことは起きないが、

この業務のせいで死んでしまう確率は10万分の1だけある。

だからBさんには危険手当として50ドルのボーナスが支払われている。

Bさんもそれを納得している。

 

この場合、Bさんの命は

「50ドル × 10万 = 500万ドル」

ということになる。

 

市場を調査して広く受け入れられている金額をもとに、

命の値段は算出できる。

というか、いつの間にか市場の中で決まっていたのだ。

命の価値は測れる。

 

ん?

こんな議論、どこかで見た気がするぞ・・。

 

そうだ!

『「死」とは何か』の本の中にあった論点だ!

「生」の価値をどう測るか?

こんな哲学的な難問に、市場が答えを見つけていたのだ!

 同じように人生の喜びや苦しみの価値も値付けしてしまえば、

人生に価値があるかどうか、分かるようになるかもしれない!

 

少しゾッとするような考え方だが、

こんなドライな結論が案外正しいのかも・・。

 

いやいや!そんなことはない!

人の命の価値を数字で測れるわけはない!

そう反論してみたい気もする。

この反抗心こそが「人間らしさ」なのかもしれない・・。

 

読書は数珠つなぎ

こんな感じで、良い本に巡りあうと

次々と本の記憶が呼び覚まされる。

思考が数珠つなぎになっていく。

知識が立体的になったのが分かる。

脳の中で、❝グオッ❞と巨大な建物がたちあがる感じ。

この快感は、他では代えられない。

 

私は読書が大好きだ。

これだけで、私の人生の価値はプラスだ。

間違いない。

 

気になる本を手あたり次第に読めば、

あなただけのつながりが見つかる。

自分だけの建物ができる。

それがあなたの個性になる。

 

秋は本を読もう!

たくさん読もう!

 


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ダウンロード違法化ウォーズⅡ ~文化庁の逆襲~(2)

前回、法改正に失敗した文化庁

今回は本気だ。

何が何でも「ダウンロード違法化」を成立させようとしている。

 

文化庁が実施中のパブコメについて見ていこう。

パブリックコメントパブコメ

 国民に広く意見を求めること)

 

まずは結論

この話をしていると、どうしても細かい理屈の話になってしまう。

だから、疲れてしまう前に結論だけ先に言っておこう。

 

文化庁パブコメは「自由記述」ではなく、

 「質問形式」になっている。

 

・「質問形式」の場合、質問する方が有利。

 議論をうまく誘導することができる。

 

パブコメは、文化庁の望む結論に導かれるように出来上がっている。

 

・「誘導尋問だ!」と非難の声をあげても良いが、

 鉄壁の布陣を打破するのは、かなり難しい。

 

・他の妨害要素がなければ、法改正は成立しそうな気がする。

 

・法改正されても、クリエイターやユーザーにとって

 実質的な面では何も変わらないので、気にしないで良い。

 

というわけで、前回に引き続き色々と理屈っぽい話は出てくるが、

「世間でダウンロード違法化が話題になっても、

 あんまり気にしないでいいよ!

 自信をもっていこう!」

ということだ。

 

レトリックと詭弁

 文化庁の作戦を知るうえで、良い本がある。

『レトリックと詭弁 禁断の議論術講座 』

議論で勝つための技術について解説した本だ。

読みやすくて面白いので、ぜひ読んでみてほしい。

 

 

 本の中で強調されているのは、以下の点だ。

 

・議論の勝敗を分けるのは「問い」の力。

・問いかける方が有利。

 問いを作るときは、自由に言葉を選ぶことができる。

 問いによって論点を都合よくすり替えることができる。

・問いかけられて言葉に詰まると「負け」になる。

 相手の論点のすり替えを指摘できれば逆転勝利できる。

 

(例)

 盗みを犯した学生と先生の会話。

「先生!あなたは可愛い教え子を警察に突き出すのですか!?」

ここで先生が言葉に詰まれば、負け。

「それは違う。君は私の生徒である前に1人の人間だ。

 人は罪を償わないといけない」

と言い返せれば、先生の勝ち。

 

「問い」に対しては、かなり慎重になった方がいい。

 

パブコメの構成

通常のパブコメなら、特定のテーマについて

「意見を提出してください」とだけ書かれている。

つまり「自由記述」だ。

自分の好きな論点について、自由な角度から意見を言える。

 

パブリックコメント:意見募集中案件一覧

https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public

 

しかし今回の文化庁パブコメは違う。

3部構成になっていて、第1部と第2部は「質問形式」になっている。

つまり、自由な意見が言えない。

第3部になってやっと自由記述欄が出てくるが、

第1部と第2部ですでに議論の大きな流れが作られてしまっている。

第3部でどんなに良い意見が出されていても、

どうしても「その他扱い」の意見に見えるように設計されている。


●侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメントの実施について

https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001067&Mode=0

 

すでに設計段階から、文化庁の執念が組み込まれているのだ。

 

パブコメ第1部

パブコメの第1部はシンプルだ。

質問が1つだけ。

それに対して、選択式で回答する形式になっている。

 

短いので、そのまま引用しよう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 1.基本的な考え方

(1)「深刻な海賊版被害への実効的な対策を講じること」と「国民の正当な情報収集等に萎縮を生じさせないこと」という2つの要請を両立させた形で、侵害コンテンツのダウンロード違法化(対象となる著作物を音楽・映像から著作物全般に拡大することをいう。以下同じ。)を行うことについて、どのように考えますか。①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。

①賛成

②どちらかというと賛成

③どちらかというと反対

④反対

⑤分からない

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

これは、上記の議論の本で紹介されている典型的な

「多問の虚偽」というやつだ。

 

「君は、もう奥さんを殴ってはいないのか?」

 

この質問に「はい」か「いいえ」で答えると、

昔は奥さんを殴っていたことを認めることになってしまう。

本当は「君は奥さんを殴っていたのか?」から

議論を始めるべきなのに!

 

痩せたいと思っている人に

「おいしくてお腹いっぱい食べられて栄養満点なのに、

 カロリーゼロで全然太らない食べ物を、

 良いと思いますか?悪いと思いますか?」

と聞くようなものだ。

こんな質問に「悪い」と答える人なんかいない。

本当は「そんな夢のような食べ物が存在するのか?」から

話を始めるべきなのに!

 

文化庁の質問も同じだ。

 そもそも「海賊対策に有効」と「国民を萎縮させない」が両立できない!

と多くの人が考えているのに、

「両立する方法について良いと思いますか?悪いと思いますか?」

と質問してしまっている。

 

対面で会話しているのなら

「いやいや、その質問はおかしいでしょう!」

と即座にツッコミを入れられるが、

文書で回答する形式だとそれが出来ない。

しかも選択式で回答しないといけないので、

ツッコミを入れることさえできない。

 

最初の質問から、文化庁の議論の流れに強制的に

のせられることになる。

答えた時点で、「負け」なのだ。

 

パブコメ第2部

第2部では質問が7つ並んでいる。

回答は、またもや選択式だ。

 

質問内容は、

「ダウンロード違法化をしたら、どんなことが心配ですか?」

というものだ。

7つの「心配事の候補」が挙げられている。

それぞれに対して

①とても懸念される

②どちらかというと懸念される

③あまり懸念されない

④全く懸念されない

⑤分からない

の5つの中から強制的に選択させられる。

 

「心配事の候補」は、こんな感じだ。

・ネット上のコンテンツは違法か適法か分からないので、

 こわくてダウンロードできなくなる。

・無料で提供されているコンテンツをダウンロードすることが

 違法になってしまう。

 

これは、テレビの通販番組でよくある

「でも、お高いんでしょう?」とか、

「電気代が高いんじゃないの?」とか、

そういう❝サクラ❞の質問と同じだ。

 

法改正という❝商品❞をアピールしたい文化庁は、

それぞれの心配事に対してしっかりと回答を準備している。

パブコメの「添付資料3」に全て書かれている。

こんな感じだ。

・違法だと確実に知っていない限りは、大丈夫です!

 ご安心ください!

・無料で提供されているなら、刑事罰にはなりません!

 ご安心ください!

 

こうして、想定される全ての反論をあらかじめ挙げておき、

対策をバッチリ打っているのだ。

 

これら7つの質問に答えさせられた後に、

やっと「自由記述欄」にたどり着く。

 

「その他、懸念事項があれば記入して下さい。」

 

「その他」って!!!

 

ここにどんなに鋭いコメントを書いたところで、

「その他扱い」されることは間違いない。

 

私ならこんな懸念事項を書きたい。

 

・国民がお茶の間でくつろぎならスマホを操作しているときに、

 きわめて複雑な法規制を理解し正しく判断しないと、

 安心してスクショすら出来ない世の中になる。

 国民の安らぎが減ってしまうことが心配。

著作権法は、もともと作家、出版社、放送局など

 コンテンツを扱うプロの人々だけを規制する法律だった。

 普通の国民には、あまり関係のない法律だった。

 でもダウンロードを違法化することによって、

 一般国民が直接的に規制されることになってしまう。

 コンテンツを楽しむ一般ユーザーを規制することは、

 法律の性格を根本的に変えることになるのではないか。

 そんな大きな変更を本当にやっちゃっていいのか心配。

 

これは文化庁の想定している「心配事の候補」には入っていない。

多少は有効な反論になるかもしれない。

 

しかし、どんなコメントをしても❝後の祭り❞かもしれない。

所詮は「その他」として扱われてしまうだろう・・・・

 

執念

パブコメにはその後もいくつか質問が並んでいるが、

どんな回答が来ても文化庁がコントロールできるように調整されている。

 

この形式で回答させられる限り、文化庁の優位はゆるがないだろう。

(この回答様式ではない様式の意見を出しても

 「これ以外の様式の場合、

  御意見が受け付けられない場合がございます。」

 ということになってしまう)

 

やはり、問いかける方が強い。

 何としてでも雪辱をはたしたい文化庁の職員が、

考えに考えて「問い」を構築したのだろう。

「誘導尋問だ!」と非難の声をあげても良いが、

鉄壁の布陣を打破するのは、かなり難しい。

 

彼らの執念を感じる。

 

法改正されたら

私は、今回の法改正が成立するだろうと予想している。

ダウンロード違法化とは違う方向から妨害が入ってしまわない限りは、

文化庁が逆転勝利をおさめることになると思う。

 

でも、心配することはない。

以前も書いたとおり、

この法律を使って個人のダウンロードを取り締まろう!

などとは誰も考えていない。

警察もそんなにヒマじゃない。

今まで通り、必要なものがあれば個人的にコピーをとって

保存しておけば良い。

あきらかに悪質なサイトの利用だけを避けていれば大丈夫だ。

何も気にせずコンテンツを楽しみ、

コンテンツを創作すれば良い。

萎縮せず、自信をもって行こう。

 

 

文化庁の逆襲」がどういう結末を迎えるのか?

今後も観察していきたい。

 

 

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ダウンロード違法化ウォーズⅡ ~文化庁の逆襲~(1)

ネット上に違法にアップされている文章やマンガをダウンロードすると、

著作権侵害になってしまう!

そんな法改正に向けて文化庁がまた動きだした。

すごい執念だ。

 

ダウンロード違法化の経緯

 ダウンロード違法化については、けっこうな話題になったので、

覚えている人も多いと思う。

このブログでも以前とりあげたことがある。

 

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この記事では、

「誰も望んでない的外れな校則を作ろうとする生徒会」

の例え話をつかって、文化庁を批判していた。

また「法改正されても実質的な影響はないので萎縮しないで大丈夫」

とも書いていた。

 

その後、

ネット上の世論に押される形で自民党内部でストップがかけられ、

法改正は見送られた。

文化庁の面目は丸つぶれとなった。

 

しかし彼らは諦めていなかった。

また同じ法改正をしようと活動を開始している。

 

「法改正の中身は問題なかった。

 単に国民が内容を理解していなかっただけだ。

 丁寧に説明すれば、次こそは大丈夫!」

と考えているようだ。

 

法改正の内容

文化庁の動きを見ていく前に、

法律の内容について少し丁寧に説明しておきたい。

前回の記事では大雑把な説明しかしていなかったが、

文化庁の言うように「正しく理解」しておいた方が、

より公平に考えることができる。

そもそも分かりにくいルールなのだが、

できるだけかみ砕いて解説しようと思う。

 

なぜ分かりにくいのかと言うと、

「まず大前提があって、その例外があって、さらにその例外が・・・」

ということを繰り返しているからだ。

「あなたが大好き!の反対の反対の反対の反対~♡」みたいな感じで、

ゆっくり考えないと好きなのか嫌いなのか分からなくなる。

 

大前提

まずは大前提から。

 

大前提:情報は誰のものでもない。自由に扱える。

 

例えば、我々のご先祖様が素晴らしい発見をしたとする。

美味しい湧き水のある場所。

簡単な火の起こし方。

農作物をたくさん収穫する方法。

発見した人はそれを周りの人に伝る。

そうすることで、みんなが豊かになっていく。

中には「秘密にしておこう」と考える人がいたかもしれないが、

いったん誰かにもれてしまえば、

情報の伝達を止める方法もルールもない。

 

ご先祖様が伝承していた神話、祈りの歌、工芸品の文様。

となり村の人がマネしたとしても、それを禁止することはできない。

お互いにマネしあうことで、文化を高度に複雑に発展させてきた。

 

情報は誰のものでもない。自由に扱える。

これが人類全体の基本ルールだ。

 

大前提の例外

そこに例外ルールが付け加えられた。

 

大前提の例外:新しい著作物については、コピーしちゃダメ。

 

昔からある物語や歌については今まで通り「みんなのもの」だけど、

今生きている作者がつくった作品については、

一定期間に限ってだけはコピーしちゃダメ。ということにしよう!

これが著作権だ。

 

一定の「例外期間」が過ぎてしまえば、基本ルールに戻るので、

自由にコピーできるようになる。

著作権そのものが例外ルールなのだ。

 

(ここで言う「一定期間」がどんどん長くなっていき、最近では

 「作者の死後70年」というとんでもない期間になってしまったが、

 今日のテーマとは別問題)

 

大前提の例外の例外その1

「大前提の例外」に対して、

「大前提の例外の例外その1」と「大前提の例外の例外その2」ができた。

(他にもあるが、「その1」と「その2」に絞って説明)

 

大前提の例外の例外その1:「引用」ならコピーしてもOK。

 

例えばマンガ『ONE PIECE』について批評・研究する論文を書くときには、

そのマンガの一部を自分の論文にコピーして

「このカットのセリフと表情は・・」などと説明する必要がある。

これが「引用」だ。

この場合に作者の許可がないとコピーできないとしたら、

作者の気に食わないことが書きづらくなってしまう。

正当な批評・研究活動ができなくなってしまう。

だから、「引用」ならコピーしてもOKというルールにしたのだ。

 

大前提の例外の例外その2

「引用」とは別の例外ルールも作った。

 

大前提の例外の例外その2:プライベートな目的ならコピーしてもOK。

 

後で自分で読んで楽しみたいから、マンガをコピーする。

妹に聞かせたいから、音楽をコピーする。

こういうプライベートな目的ならコピーしてもOKだ。

 

ただし、ここでいう「プライベートな目的」の範囲は、結構せまい。

自分、家族、親しい友人。そのぐらいまでと言われている。

 

また、あくまでもプライベートな目的であることが必要だ。

仕事に使うためのコピーは許されていない。

 

 

大前提の例外の例外その2の例外

上記の「大前提の例外の例外その2」に対して、さらにその例外がある。

どんどん複雑になっていくが、付いてきてほしい。

 

大前提の例外の例外その2の例外:

違法にアップロードされた映像や音声(音楽も含む)なら、

プライベート目的であってもデジタル方式でコピーしちゃダメ。

ただし、違法であることを知っていた場合の話。

 

 コピー禁止になってしまうためには、色々と条件がついている。

 ・映像や音声であること。

 (文章やマンガなら問題ない)

・違法にアップロードされたものであること。

・そのアップロードが違法だと知っていること。

・デジタル方式のコピーであること。

 (紙にプリントアウトするなら問題ない)

・もともと無料で提供されているものなら刑事罰はない。

 

以上だ。

 

現在の法律

ここまでが、現在の法律で決まっていることだ。

いや~、長かった。

 

まとめると、こうだ。

 

基本はコピーOK。

でも新しい著作物ならコピー禁止。

でも「引用」や「プライベート目的」ならコピーOK。

でも映像や音声なら色んな条件に当てはまれば

プライベート目的のコピーでも禁止。

 

「例外の例外の・・・」と言っているうちに、

「コピーOK」と「コピー禁止」が何度も入れ替わる。

「今話しているのは、どのレベルの話か?」

丁寧に理屈を追いかけないと、すぐに迷子になってしまう。

 

念のため、もう一度ルールを書いておこう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

大前提:情報は誰のものでもない。自由に扱える。

 

大前提の例外:新しい著作物については、コピーしちゃダメ。

 

大前提の例外の例外その1:「引用」ならコピーしてもOK。

大前提の例外の例外その2:プライベートな目的ならコピーしてもOK。

 

大前提の例外の例外その2の例外:

違法にアップロードされた映像や音声(音楽も含む)なら、

プライベート目的であってもデジタル方式でコピーしちゃダメ。

ただし、違法であることを知っていた場合の話。

また、もともとタダで提供されていたら刑事罰は無し。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「今回の法改正で仕事でのちょっとしたコピーができなくなる」

と思っている人がいるが、それは間違いだ。

それは「大前提の例外」のレベルですでに禁止されている。

法改正とは関係なく禁止だ。

今焦点があたっているのは「大前提の例外の例外その2の例外」

のレベルの話なのだ。

 

文化庁の目指す法改正

今、文化庁が狙っているのが

上記「大前提の例外の例外その2の例外」の部分だ。

 

今までは「映像や音声」だけに限定していたのだが、

「全ての著作物」にまで範囲を大きく広げようとしているのだ。

(当然、文章もマンガも写真も絵も入る)

 

でもそれだけだと、厳しすぎる印象を与えるので、

色々と付いていた条件を変えようとしている。

 

具体的には以下のような感じだ。

 

・「違法アップロードだ」とちゃんと認識していない限りはOK。

 (今までもそうだったが、そのことを明確にした)

・有名な海賊版サイトからのダウンロードであっても、

 ネットの知識がなくて分かってなかったのならOK。

・マンガ等をそのままアップしたものではなく、

 ファンが二次創作(パロディ等)して自分でアップしたものなら、

 ダウンロードしても刑事罰は受けない。

・何度も繰り返し行う悪質な行為でなければ、

 ダウンロードしても刑事罰は受けない。

・もともとがタダのものなら刑事罰ないのは元のまま。

 

文化庁はこう言っているわけだ。

 

「コピー禁止になる範囲は広げます。

 でも安心してください!

 条件を山盛り付け加えたので、

 実際に法律違反になったり警察に捕まったりするようなケースは、

 すごく限られた場合でしかないんですよ!

 全然たいした話じゃないんです!

 心配ご無用です!」

 

パブコメ

つい先日、文化庁パブリックコメントを開始した。

パブリックコメントとは、国民に広く意見を求めること。

 略称「パブコメ」)

 

●侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメントの実施について

https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001067&Mode=0

 

前回の「敗戦」 から学び、

「広く国民に開かれた議論」を「丁寧に」進めるつもりらしい。

 

次回はこのパブコメについて解説しよう。

読んでみると分かるが、これは単に上から「やれ」と言われた役人が、

仕方なく作った資料ではない。

「次こそは絶対に勝つ!!」という、

資料を作った役人自身の熱い執念がにじみ出てしまった内容になっている。

文化庁の逆襲が始まったのだ!!

興味がある人は、パブコメの資料を事前に読んでみてほしい。

 

所感

私自身の考えを簡単に言っておきたい。

 

資料に書かれている文化庁の考え方や、

法改正の規定の1つ1つについては、納得できるものも多い。

 

それでも、全体を引いた目でみると、こう感じてしまう。

いくら何でも、ルールがややこし過ぎないか?

 

例外の例外の例外・・・を重ねた上に、

その例外ルールが適用になるための条件も大量にある。

これを全部覚えないと、

安心してスクショ(スクリーンショット)も出来ないなんて!

 

頭のいい人が色んな意見に気をつかってルールを作ると、

複雑怪奇なものが出来上がってしまう。

ルールとは、そういうものだ。

(消費税の軽減税率を思い出してほしい!)

ある程度は仕方ない。

 

でも今回の法改正は、業界のプロが理解すれば済むようなものではない。

ごく普通の人が、ごく普通に毎日やっているスクショのような行為を

規制する法律なのだ。

分かりにくいものじゃダメだ。

 

何度も言ってきたように、

昔は一部の業界だけのための法律だった著作権法は、

今では国民みんなが関わる法律になった。

これ以上ややこしくするのは、本当に避けた方がいい。

 

私見だが、そもそもの著作権の設計に無理があるように思う。

 普通の人間の感覚なら「プライベート目的のコピー」は、

 自由にできるのが当たり前のものだ。

 お茶の間でやっていることにまで文句を言われたくない。

 でも著作権法では「全てのコピーは禁止」にした上で、

 あくまでも「例外」としてプライベート目的のコピーを許している。

 まるで、権利者のお情けで特別に「お目こぼし」してもらっている

 ような感じだ。

 制度を設計する上で便宜的にそうしているだけなのだが、

 人間はどうしても出来上がったものに引きずられる。

 ついつい「本来は禁止なんだから、禁止だ!」となって、

 さらなる例外ルールを積み重ねてしまう)

 

(ちなみに著作権の制度設計がこうなっているのは、

 文化庁のせいではない。

 これが国際標準の設計方式なのだ)

 

次回は、「執念のパブコメ」について見ていこう。

 

 

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今、肖像権が熱い!

肖像権の円卓会議

肖像権についての勉強会に参加してきた。

いや~、熱い会だった。

 

「肖像権ガイドライン円卓会議 ー デジタルアーカイブの未来をつくる」

http://digitalarchivejapan.org/3661

 

主催は「デジタルアーカイブ学会」。

日本中にある歴史、伝統、文化にかかわる情報を、

どうすれば上手く集めて保存し、みんなで共有し、

未来へ残していけるのか?

研究を積み重ねている団体だ。

(「アーカイブ」とは、記録の保存書のこと)

 

アーカイブを作る上で問題になるのが、著作権や肖像権だ。

例えば、巨大台風の被害にあった人々を撮影した写真。

今後の災害対策で貴重な資料になるはずなのに、

保存してみんなが見れるようにしたら、

撮影した人の著作権侵害になるかもしれない。

撮られた人の肖像権侵害になるかもしれない。

公的なアーカイブが人の権利を侵すわけにはいかないので、

どんなに良い写真であっても、諦めることが多かった。

 

特にやっかいなのが、著作権よりも肖像権だ。

以前に解説した通り、肖像権については法律が存在しないので、

グレーゾーンが多い。

 

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「肖像権侵害になるかどうか、何とも言えない」

専門家でさえ、そう答えるしかないケースも多い。

 

せめて、はっきりした判断基準があれば・・・!!

 

そんな我々の宿願を果たすために、専門家たちが立ち上がった。

 

大学教授、弁護士、写真家、アーカイブ作りの実務家など、

業界の第一線にいるメンバーが集まり、

「肖像権的にアウトか?セーフか?」の基準を作るために

議論を交わすための会が、私が参加した勉強会だ。

 

秋葉原の駅から歩いて6分。

御茶ノ水の会場には、200人ぐらいのオーディエンスが来ていたと思う。

 

ガイドライン

会では、最初に「ガイドライン」の案が示された。

いずれ何らかの形で公開されると思うので、詳細は省略するが、

重要なのは「ポイント制」を導入していたことだ。

 

・撮られた人が政治家なら、プラス10ポイント。

・撮られた人が16才未満なら、マイナス20ポイント。

・屋外や公共の場なら、プラス15ポイント。

・水着などを着ていて肌の露出が多いなら、マイナス10ポイント。

・撮影から20年たっているなら、プラス10ポイント。

 

こんな感じで、ポイントを計算していく。

合計がマイナスにならなければ、つまり、ゼロポイント以上なら、

肖像権的にはセーフだ。

アーカイブ写真として公開できる。

 

以前の私の記事でも似たようなポイント加算の計算をしていたが、

このガイドライン案は、それ以上に詳細で明確だ。

過去の裁判例なども研究し、

ポイントの項目や点数に反映させているという。

 

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「裁判をしないと、はっきりしたことは言えません」

などと言ってお茶を濁す専門家も多い中で、

かなり❝攻めた❞ガイドラインになっていると感じた。

 

議論

このガイドラインを叩き台にして、熱い議論が始まった。

 

「ここのポイント数は、もっと少なくて良いのでは?」

「屋外かどうかではなく、

 普通なら撮影されてもおかしくない場所かどうかが大事なのでは?」

「性的な見方をされやすい若い女性の場合、他と同じ基準でいいのか?」

「撮影から何十年たっても、誰が写っているか分かる人には分かる。

 経過した年数をプラスポイントに数えて本当に良いのか?」

などなど。

 

一線級の専門家が次々と思いもよらない角度から

球を放り込んでくる。

それを別の専門家が巧みに打ち返す。

徐々に会場の熱量が上がり、エキサイティングな場へと変わっていく。

 

何より司会の福井健策弁護士が素晴らしかった。

発言者の問題提起に対して的確なコメントで論点をまとめ、

スピーディに議論を発展させ、

ときにはユーモアを交えてなごませる。

空中分解してもおかしくない程に広がった議論を、

無理に方向づけようとせず、

より高い次元のテーマへと昇華させていく。

会場全体を巻き込んで盛り上げるので、

オーディエンスも次々と手を挙げて発言する。

参加者全員が一体となっていく。

神がかった司会ぶりだった。

 

目立つのが苦手な私も場の熱さにやられてしまい、

思わず挙手してしまった。

「自分の顔や姿は、自分のアイデンティティとつながっている。

 勝手にモザイクをかけられたり、加工されたりするのは嫌だ。

 そんな観点も必要では?」

と言って余計な論点を増やしたのは私です。

 

今後

今回の議論をもとに、

ガイドライン案はさらにブラッシュアップされるだろう。

いずれは公開されると思うので、楽しみに待っていてほしい。

 

世間では、小泉進次郎大臣の「セクシー発言」が話題となり、

環境保護活動家グレタ・トゥンベリさんの怒りのスピーチが注目を集め、

あいちトリエンナーレ文化庁が「補助金ださない」と決めて

非難されたりしていた日だった。

 

そんな中で「アーカイブの肖像権問題」という、

マイナー(?)なテーマの会に200人が集まった。

そして、みんなで熱く語り合った。

 

AKB48も、始まりは秋葉原の小さな劇場だった。

観客も少なかった。

それでも会場の熱量は当時から高く、

熱狂的なファンがグループを支えていた。

そして国民的アイドルへと駆け上がっていった。

 

これはもう間違いない。

今、肖像権が来ている。

肖像権が熱い!

みんなも乗り遅れるな!

 

肖像権が、国民的な議論のテーマになる日も近いだろう。

そう予感させる良い勉強会だった。

 

 

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JASRAC 嫌いの人を、キャバクラから理解する

「ちょっと音楽つかっただけなのに請求書が来た!」

JASRACジャスラック)は金の亡者だ!」

「あいつらはカスだ!カスラックだ!」

 

あいかわらずJASRAC嫌いの人は多い。

JASRACから音楽を守る党」なんてものも出来そうな勢いだ。

 

JASRACから音楽を守る党 設立準備会

https://nojasrac.com/

 

今回はJASRACを毛嫌いする人々について考えてみよう。

 

キャバクラ

キャバクラというシステムのお店がある。

 

綺麗に着飾った女性が隣に座って水割りを作ってくれる。

自慢話、グチ、ウンチク、どんな話でも

「えー!すごーい!」

「おもしろーい!」

と聞いてくれる。

嬉しい。

つい調子にのって「フルーツ盛り合わせ」を注文してしまう。

僕のお気に入りの愛ちゃんも

「えー!おいしー!ありがとー!」

と喜んでくれている。

 

愛ちゃんは僕のことを好きに違いない。

思い切ってデートに誘ってみた。

 

「えー!うれしー!同伴かアフターで行きましょう!」

「いや・・お店とは関係なく2人だけで楽しみたいんだ」

「えー、私もあなたのこと好きだから、そうしたいんだけどー、

 お店に怒られちゃうんです・・」

「そんな・・」

 

仕方がないからお店を出ることにした。

そこへ黒服の人がスッとやってきた。

「お客様、本日はありがとうございました。

 お会計をお願いします」

 

5万円!

た、高い!高すぎる!

水割りを飲んだだけなのに、なんでこんなにするんだ!

フルーツ盛り合わせなんて、原価は数百円しかしないだろ!

 

「ボッタクリだ!」そう怒鳴りたい気持ちをグッとおさえて

黒服をにらみつける。

しかし彼は涼しい顔で

「適正なサービス料です」と言わんばかりだ。

 

仕方なく会計をすませて店を出る。

 

その後、愛ちゃんからメッセージが来た。

「今日はありがとー♡

 またお話したいな♡」

 

ほら見ろ!

愛ちゃんは僕のことが好きなんだ!

お店とは関係なく会いたいんだ!

僕と愛ちゃんの純粋な気持ちを邪魔しやがって・・・あの黒服め!

あいつ嫌いだ!!

 

悲しい気持ち

もしもこんなことを言っているオッサンがいたら、

悲しい気持ちになる。

 

このオッサンに「世の中の仕組み」を教えてあげる人はいなかったのか?

 

愛ちゃんと黒服は、単に役割分担をしているだけだ。

愛ちゃんは、接客サービスを提供してオッサンに好きになってもらう役割。

黒服は、しっかりと料金を回収する役割。

つまり、愛ちゃんは「愛され役」。黒服は「嫌われ役」だ。

個人個人がそれを意識しているかどうかは関係ない。

業界全体として戦略的に役割を分けているのだ。

だって、その方が儲かるから。

 

こんなことは、知識以前の問題だ。

生きる上での知恵というか、常識だ。

 
彼らの戦略にうまく乗せられている黒服嫌いのオッサンは悲しい・・・。

 

音楽

 音楽というジャンルの芸術がある。

 

素晴らしい感性をもった音楽家が作詞・作曲をする。

 

愛情、悲しみ、誇り、色んな気持ちを

心地よいメロディーに乗せて運んでくれる。

感動させられる。

この素敵な曲をみんなと共有したい。

自分のお店で流そう。

コンサートで演奏しよう。

僕のお気に入りの音楽家

「ぜひみんなに聞いてほしいです!」と言っていたし、

喜んでくれるに違いない。

 

お店は繁盛し、コンサートは成功した。

 

そこへ、JASRACがやってきた。

著作権使用料をお支払いください」

 

5万円!

た、高い!高すぎる!

音楽を流しただけなのに、演奏しただけなのに、

なんでこんなにするんだ!

音楽なんて、原価はゼロだろ!

 

「ボッタクリだ!」という気持ちでにらみつけるが、

JASRAC

「使用料規定に基づいた料金です」

とゆずらない。

 

その後、大好きな音楽家ツイッターでつぶやいていた。

「本当はお金のことなんか気にせずに、私の音楽を使ってほしい」

 

JASRAC方針に宇多田ヒカルさん「気にしないで無料で使って欲しいな」 歌手も一般人もネットで批判、反発、困惑…

https://www.sankei.com/entertainments/news/170206/ent1702060003-n1.html

 

ほら見ろ!

楽家だってお金のことを気にせず使ってほしいんだ!

 

純粋な音楽の喜びを邪魔しやがって・・・JASRACめ!

あいつ嫌いだ!!

 

再び悲しい気持ち

こんなことを言っている人が実際にいる。

悲しい気持ちになる。

 

この人たちに「世の中の仕組み」を教えてあげる人はいなかったのか?

 

楽家JASRACは、役割分担をしているだけだ。

楽家は、作詞・作曲をして音楽を好きになってもらう役割。

JASRACは、しっかりと料金を回収する役割。

「愛され役」と「嫌われ役」だ。

個人個人がそれを意識しているかどうかは関係ない。

業界全体として戦略的に役割を分けているのだ。


キャバクラほど露骨な分担ではないかもしれないが、

楽家JASRACの戦略も、相当分かりやすいと思うのだが・・

 

JASRACを嫌う人は、

キャバクラに通う黒服嫌いのオッサンと同じだ。

 

JASRAC嫌いの人は悲しい・・・。

 

優しく

世のJASRAC批判の中には、耳を傾けるべきものもある。

しかしネット上で見られる批判のほとんどが、

黒服嫌いと同レベルなのだ。

 

もしあなたの周りにJASRAC嫌いの人がいたら、

優しく接してあげよう。

できれば、世の中の仕組みについても教えてあげてほしい。

あなた自身が嫌われてしまわないように気を付けて。

 

上記の宇多田ヒカルさんの発言について、

彼女がどんな意図を込めているのかは知らない。

こちらの記事も一応よんでおいてほしい。

学校の授業ではもともと使用料はかかっていないという内容だ。

 

宇多田ヒカルJASRAC著作権料にツイート 内容を誤解していた?

https://news.livedoor.com/article/detail/12639151/

 

音楽とJASRACについては、こちらの記事でも解説しているので、

参考にしてほしい。

 

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音楽もキャバクラも、正しく楽しもう!

 


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能年玲奈さんの名前は誰のもの? 肖像権の深淵に挑む(5)

ここまでは、肖像権や人の顔を中心に解説してきたが、

今回は人間を表すそれ以外の要素についても浅く広く考えてみよう。

 

能年玲奈の決起集会

最近、ヤマダ君の気分が晴れない。

ブログ「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」に有村架純さんの記事を

毎日更新しているが、大きな反響があるわけではない。

書いている時間は楽しいが、

書籍化を果たしたスズキ君のブログとつい比べてしまう。

それにスズキ君の方が活動的だ。

有村さんだけでなくお姉さんの藍里さんにまで興味の範囲を広げ、

忙しそうに応援している。

スズキ君の毎日は充実しているようだ。

ヤマダ君にも、

有村さんへの気持ちだけは誰にも負けないプライドはある。

だけど「僕、このままでいいのかな・・」と考えてしまう。

 

ある日、なじみのない人からメッセージが届いた。

 

「久しぶり。ヤマダ君。

 「「あまちゃん」女優・ファンの集い」の幹事、タカダです。

 実は今度、能年玲奈さんのファンだけで、

 決起集会をしようと企画しています。

 ヤマダ君も能年さんの大ファンだったよね?

 新聞の写真みたから知ってるよ。

 ぜひ参加してください。

 次の土曜日、日比谷公園で!」

 

・・・誤解だ。

あの時の新聞に曖昧な書き方をされたから、

能年ファンだと思われている。

どうしよう?

・・でも、行ってみても良いかも。

スズキ君のように視野を広げてみるのも悪くない。

新しい視点から有村さんの魅力を再発見できるかもしれないし。

これは浮気じゃない!

 

会場に行ってみると、ハチマキを巻いた20人ほどの集団がいる。

その1人が近づいてきた。

 

「いや~、ありがとう!ヤマダ君!

 やっぱり来てくれたんだね!

 はいこれ!」

 

そう言ってハチマキを渡される。

ハチマキには「能年玲奈さんに名前を返せ!」と書いてある。

 

「君も能年ファンなら知ってるよね?

 能年さんが所属事務所とモメちゃって、

 自分の名前が使えなくなってること。

 だから今は「のん」って名乗ってるんだ。

 でも、能年玲奈って本名なんだよ!?

 本人が使えないなんておかしいよ!

 僕らファンが何とかしなくちゃ!

 だから能年さんには内緒で署名活動を始めたんだ!」

 

タカダ君は署名用のペンと用紙を手渡すと、

すぐに「いや~、ありがとう!ハマノ君!来てくれて!」と

行ってしまった。

 

どうしよう?

タカダ君の言っていることは正しいと感じる。

名前はその人を表す大切なものだ。

簡単に人から奪っていいものじゃない。

能年さんのファンではないけど、署名活動には協力してもいい。

 

こうしてヤマダ君は人々に署名を求めて一日を過ごすことになった。

 

名前は誰のもの?

「顔」だけでなく「名前」も、その人を表す重要な要素だ。

本人のアイデンティティと深く関わっている。

実際、パブリシティ権の対象には、

顔だけではなく名前も含まれる。

イチロー選手の顔写真を使っていなくても、

イチローモデル」として野球グッズを売り出せば、

彼のパブリシティ権が働く。

 

「名前」は誰のものだろう?

「当然、本人のものでしょう!」と言いたくなるが、

過去の裁判では必ずしもそうなっていなかった。

長嶋一茂事件」や「加勢大周事件」は、

名前(や肖像)が本人ではなく「所属事務所のもの」の場合もある。

という考え方だった裁判だ。

(争点が違うので、能年さんのケースと単純比較はできない)

 

しかし「ピンクレディー事件」で流れが変わった。

名前(や肖像)のパブリシティ権は本人の人格から生まれたものだ。

とハッキリ宣言されたので、

今では「名前は本人から切り離せない」という考え方が優勢だ。

能年さんの名前は、能年さんのものなのだ。

 

彼女と事務所の争いにどんな決着がつくか分からないが、

本人が自分の名前を名乗れないなんて、どう考えても異常だ。

堂々と「能年玲奈です」と出演する彼女の姿を見たいと思う。

 

名前以外は誰のもの?

「顔」や「名前」以外はどうだろう?

本人を表現しているもの。そして権利が発生するものはあるだろうか?

 

手や足のモデル、いわゆる「手タレ・足タレ」の手足は?

撮影されることで経済的な価値を生んでいるという意味では、

タレントの顔と同じだ。

体のパーツに肖像権はあるのだろうか?

 

フツーに考えると、権利は発生しないだろう。

人間は人間の顔を重視する。

待ち合わせの場で相手の手の形を確認して

「久しぶり!」とは言わない。

顔をみて、待ち合わせ相手だと判断する。

「人格」と「顔」のつながりは強いが、

それ以外のパーツとのつながりは弱い。

 

「声」ならどうだろう?

竹中直人井上陽水、クロちゃん・・・

声だけで誰か分かる。

その独特の声色に、本人の人格を感じる。

声色に肖像権(のようなもの)はあるだろうか?

 

国内には事例がなさそうだが、アメリカにはいくつか判例があるらしい。

有名な歌手の声に似せた歌をテレビCMに使った事件だ。

(「Midler判決」「Lahr事件」など)

本人の歌声を使ったわけではないのに、

権利侵害になるのか?という興味深い裁判だ。

勝った裁判も負けた裁判もあり、

「声色に権利がある」とまでは断言しづらい状況だ。

 

人間にまつわる情報は?

そもそも肖像権とは、「人権」の一種だ。

顔が「人間の中身(アイデンティティ)」と

深くつながっているから生まれた権利だ。

 

でも、人間の中身とつながっているのは、顔や名前だけじゃない。

「自分が自分である」と確信できる根拠は、人それぞれだ。

 

それは、学歴かもしれない。

会社での肩書かもしれない。

クラスで一番モテるという事実かもしれない。

親友の数かもしれないし、

ツイッターのフォロワーの数かもしれない。

人間ドックで優秀だった数値かもしれない。

好きな音楽に打ち込んでいる瞬間かもしれない。

世の役に立つ仕事に生涯を捧げたという誇りかもしれない。

泣いているとき母親に抱きしめてもらえたという記憶かもしれない。

 

それら全ての事実や記憶や感情によって、私は私でいられる。

 

権利の対象を「顔」や「名前」だけに限定するのは、

おかしいんじゃないか??

自分に関する全ての事柄に、何らかの権利があって良いのでは・・?

 

最近、そんな考え方が流行っている。

「自己情報のコントロール権」という言葉も、

よく聞かれるようになってきた。

 

以前なら個人に関する情報のうちで、

気軽に扱ってはいけないものは限られていた。

「病歴」や「犯罪歴」や「思想信条」など、

いわゆる❝センシティブ❞な情報だけは、取扱注意だった。

今や「個人情報保護法」によって、

氏名や住所など、きわめて基本的な情報も

本人の同意なく扱えなくなっている。

 

EUでは、日本よりもはるかに厳しい規則(GDPR)が実施された。

グーグルやフェイスブックに吸い取られた個人の情報・履歴を、

ユーザーへ取り戻すためのルールだ。

 

「忘れられる権利」なんていう不思議な権利まで出てきた。

 

●「忘れられる権利」で日本の最高裁が初の判断

https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/8915.html

 

「個人にまつわる情報は、全てその人のものである」

これが発想の出発点になっているようだ。

顔や名前に限らない。

自分に関するものは、全部自分のもの!

きわめて「人権尊重」「個人主義」的な発想だ。

 

私はこの風潮に対しては、

「ちょっと行き過ぎなのでは?」

と感じている。

前回も述べた通り、自分に関する情報は、

「自分のもの」であると同時に「社会のもの」でもある。

何でもかんでも「自分のものだ!」と主張するのは、

極端すぎるのではないだろうか。

 

人間って何だろう?

自分を形作っているものは何だろう?

こう問いかけてから、1つ1つのルールを考えるべきだと思う。

 

ヤマダ君のアイデンティティ

ヤマダ君は能年さんのために署名活動をがんばった。

けっこうな数の署名が集まった。

日も暮れてきたし、そろそろ帰ろうとしたところ・・

 

「こんばんは」

 

綺麗な女性2人が話しかけてきた。

そのうち1人がこう言ってきた。

 

「あの・・・ありがとうございます。

 本当は色々ややこしいことになるから、

 来ちゃダメだって言われてるんですけど、

 こんなに熱心に応援してくれている人がいるって聞いて、

 どうしてもお礼がいいたくて・・・こっそり来てしまいました。

 いつも応援ありがとうございます!」

 

よく見ると・・じぇじぇじぇ!能年玲奈さんだ!

 

「い、い、いえ、とんでもない!

 当然のことをしてるだけです!

 でも・・・実は・・いつも応援してるわけじゃないんです」

 

「正直なんですね(笑)」

 

「僕、本当は有村架純さんのファンなんです」

 

「そうなんですか!

 聞いた?架純ちゃん?」

 

え?

もう1人の女性は・・有村架純さんだった!!

 

そうか、共演者同士仲が良いと聞いたことはあったが・・・

 

それからの10秒間は夢のようだった。

自分が何を言ったかは覚えていないが、

「応援ありがとうございます」と言ってもらい、握手をしてもらえた。

間近で笑顔を見ることができた。

 

有村さんは「今度よんでみますね!」と言い残して、

能年さんと連れ立って他の署名活動家に挨拶をしに去っていった。

 

最高だ。

有村さんのファンで良かった。

その上、今度よんでみるなんて・・・

 

ん?よむって何を?

 

そうだ!自分が言ったことを思い出した!

「「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」っていうブログを、

 毎日書いています!」

って言ったんだ!

 

有村さんがそれを読むと言っている!

これは大事件だ!

 

これからは今まで以上に有村さんを応援しよう。

彼女が読むかもしれないブログも、もっと頑張ろう。

有村さんに会えたこと、有村さんのファンでいること。

これこそが、僕のアイデンティティだ。

 

ヤマダ君の憂鬱は吹き飛んだ。

 

おわりに

( 当然ですが、ヤマダ君に関する部分は全てフィクションです)

 

肖像権について考えると、

どうしても「人間とは何か?」といった論点まで行きついてしまう。

 

今回の連載は話が広がりすぎて

舌足らずで掘り下げ不足のところも多い。

 

深淵なテーマなので、引き続き考えていきたいと思う。

 

積み残しの宿題についても簡単に触れておこう。

 

・覆面レスラーに肖像権はあるのか?

  → 覆面の顔はマンガのキャラクターと同じようなものなので、

    本来は肖像権ではなく著作権で守られるべきもの。

    肖像権は認められづらいと思うが、

    長いレスラー生活で本人とマスクが完全に一体となった人生を

    送っている人なら、肖像権は発生するかも??

 

ディープインパクト(馬)の肖像権は?

  → 肖像権やパブリシティ権は「人権」なので、

    人間以外には無い。

    「ギャロップレーサー事件」という有名な裁判で、

    「俺の馬を勝手にゲームに使うな!」という訴えがあったが、

    認められなかった。

 

パブリシティ権については、以下の本を参考にさせていただいた。

感謝申し上げます。

 

 

 


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