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能年玲奈さんの名前は誰のもの? 肖像権の深淵に挑む(5)

ここまでは、肖像権や人の顔を中心に解説してきたが、

今回は人間を表すそれ以外の要素についても浅く広く考えてみよう。

 

能年玲奈の決起集会

最近、ヤマダ君の気分が晴れない。

ブログ「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」に有村架純さんの記事を

毎日更新しているが、大きな反響があるわけではない。

書いている時間は楽しいが、

書籍化を果たしたスズキ君のブログとつい比べてしまう。

それにスズキ君の方が活動的だ。

有村さんだけでなくお姉さんの藍里さんにまで興味の範囲を広げ、

忙しそうに応援している。

スズキ君の毎日は充実しているようだ。

ヤマダ君にも、

有村さんへの気持ちだけは誰にも負けないプライドはある。

だけど「僕、このままでいいのかな・・」と考えてしまう。

 

ある日、なじみのない人からメッセージが届いた。

 

「久しぶり。ヤマダ君。

 「「あまちゃん」女優・ファンの集い」の幹事、タカダです。

 実は今度、能年玲奈さんのファンだけで、

 決起集会をしようと企画しています。

 ヤマダ君も能年さんの大ファンだったよね?

 新聞の写真みたから知ってるよ。

 ぜひ参加してください。

 次の土曜日、日比谷公園で!」

 

・・・誤解だ。

あの時の新聞に曖昧な書き方をされたから、

能年ファンだと思われている。

どうしよう?

・・でも、行ってみても良いかも。

スズキ君のように視野を広げてみるのも悪くない。

新しい視点から有村さんの魅力を再発見できるかもしれないし。

これは浮気じゃない!

 

会場に行ってみると、ハチマキを巻いた20人ほどの集団がいる。

その1人が近づいてきた。

 

「いや~、ありがとう!ヤマダ君!

 やっぱり来てくれたんだね!

 はいこれ!」

 

そう言ってハチマキを渡される。

ハチマキには「能年玲奈さんに名前を返せ!」と書いてある。

 

「君も能年ファンなら知ってるよね?

 能年さんが所属事務所とモメちゃって、

 自分の名前が使えなくなってること。

 だから今は「のん」って名乗ってるんだ。

 でも、能年玲奈って本名なんだよ!?

 本人が使えないなんておかしいよ!

 僕らファンが何とかしなくちゃ!

 だから能年さんには内緒で署名活動を始めたんだ!」

 

タカダ君は署名用のペンと用紙を手渡すと、

すぐに「いや~、ありがとう!ハマノ君!来てくれて!」と

行ってしまった。

 

どうしよう?

タカダ君の言っていることは正しいと感じる。

名前はその人を表す大切なものだ。

簡単に人から奪っていいものじゃない。

能年さんのファンではないけど、署名活動には協力してもいい。

 

こうしてヤマダ君は人々に署名を求めて一日を過ごすことになった。

 

名前は誰のもの?

「顔」だけでなく「名前」も、その人を表す重要な要素だ。

本人のアイデンティティと深く関わっている。

実際、パブリシティ権の対象には、

顔だけではなく名前も含まれる。

イチロー選手の顔写真を使っていなくても、

イチローモデル」として野球グッズを売り出せば、

彼のパブリシティ権が働く。

 

「名前」は誰のものだろう?

「当然、本人のものでしょう!」と言いたくなるが、

過去の裁判では必ずしもそうなっていなかった。

長嶋一茂事件」や「加勢大周事件」は、

名前(や肖像)が本人ではなく「所属事務所のもの」の場合もある。

という考え方だった裁判だ。

(争点が違うので、能年さんのケースと単純比較はできない)

 

しかし「ピンクレディー事件」で流れが変わった。

名前(や肖像)のパブリシティ権は本人の人格から生まれたものだ。

とハッキリ宣言されたので、

今では「名前は本人から切り離せない」という考え方が優勢だ。

能年さんの名前は、能年さんのものなのだ。

 

彼女と事務所の争いにどんな決着がつくか分からないが、

本人が自分の名前を名乗れないなんて、どう考えても異常だ。

堂々と「能年玲奈です」と出演する彼女の姿を見たいと思う。

 

名前以外は誰のもの?

「顔」や「名前」以外はどうだろう?

本人を表現しているもの。そして権利が発生するものはあるだろうか?

 

手や足のモデル、いわゆる「手タレ・足タレ」の手足は?

撮影されることで経済的な価値を生んでいるという意味では、

タレントの顔と同じだ。

体のパーツに肖像権はあるのだろうか?

 

フツーに考えると、権利は発生しないだろう。

人間は人間の顔を重視する。

待ち合わせの場で相手の手の形を確認して

「久しぶり!」とは言わない。

顔をみて、待ち合わせ相手だと判断する。

「人格」と「顔」のつながりは強いが、

それ以外のパーツとのつながりは弱い。

 

「声」ならどうだろう?

竹中直人井上陽水、クロちゃん・・・

声だけで誰か分かる。

その独特の声色に、本人の人格を感じる。

声色に肖像権(のようなもの)はあるだろうか?

 

国内には事例がなさそうだが、アメリカにはいくつか判例があるらしい。

有名な歌手の声に似せた歌をテレビCMに使った事件だ。

(「Midler判決」「Lahr事件」など)

本人の歌声を使ったわけではないのに、

権利侵害になるのか?という興味深い裁判だ。

勝った裁判も負けた裁判もあり、

「声色に権利がある」とまでは断言しづらい状況だ。

 

人間にまつわる情報は?

そもそも肖像権とは、「人権」の一種だ。

顔が「人間の中身(アイデンティティ)」と

深くつながっているから生まれた権利だ。

 

でも、人間の中身とつながっているのは、顔や名前だけじゃない。

「自分が自分である」と確信できる根拠は、人それぞれだ。

 

それは、学歴かもしれない。

会社での肩書かもしれない。

クラスで一番モテるという事実かもしれない。

親友の数かもしれないし、

ツイッターのフォロワーの数かもしれない。

人間ドックで優秀だった数値かもしれない。

好きな音楽に打ち込んでいる瞬間かもしれない。

世の役に立つ仕事に生涯を捧げたという誇りかもしれない。

泣いているとき母親に抱きしめてもらえたという記憶かもしれない。

 

それら全ての事実や記憶や感情によって、私は私でいられる。

 

権利の対象を「顔」や「名前」だけに限定するのは、

おかしいんじゃないか??

自分に関する全ての事柄に、何らかの権利があって良いのでは・・?

 

最近、そんな考え方が流行っている。

「自己情報のコントロール権」という言葉も、

よく聞かれるようになってきた。

 

以前なら個人に関する情報のうちで、

気軽に扱ってはいけないものは限られていた。

「病歴」や「犯罪歴」や「思想信条」など、

いわゆる❝センシティブ❞な情報だけは、取扱注意だった。

今や「個人情報保護法」によって、

氏名や住所など、きわめて基本的な情報も

本人の同意なく扱えなくなっている。

 

EUでは、日本よりもはるかに厳しい規則(GDPR)が実施された。

グーグルやフェイスブックに吸い取られた個人の情報・履歴を、

ユーザーへ取り戻すためのルールだ。

 

「忘れられる権利」なんていう不思議な権利まで出てきた。

 

●「忘れられる権利」で日本の最高裁が初の判断

https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/8915.html

 

「個人にまつわる情報は、全てその人のものである」

これが発想の出発点になっているようだ。

顔や名前に限らない。

自分に関するものは、全部自分のもの!

きわめて「人権尊重」「個人主義」的な発想だ。

 

私はこの風潮に対しては、

「ちょっと行き過ぎなのでは?」

と感じている。

前回も述べた通り、自分に関する情報は、

「自分のもの」であると同時に「社会のもの」でもある。

何でもかんでも「自分のものだ!」と主張するのは、

極端すぎるのではないだろうか。

 

人間って何だろう?

自分を形作っているものは何だろう?

こう問いかけてから、1つ1つのルールを考えるべきだと思う。

 

ヤマダ君のアイデンティティ

ヤマダ君は能年さんのために署名活動をがんばった。

けっこうな数の署名が集まった。

日も暮れてきたし、そろそろ帰ろうとしたところ・・

 

「こんばんは」

 

綺麗な女性2人が話しかけてきた。

そのうち1人がこう言ってきた。

 

「あの・・・ありがとうございます。

 本当は色々ややこしいことになるから、

 来ちゃダメだって言われてるんですけど、

 こんなに熱心に応援してくれている人がいるって聞いて、

 どうしてもお礼がいいたくて・・・こっそり来てしまいました。

 いつも応援ありがとうございます!」

 

よく見ると・・じぇじぇじぇ!能年玲奈さんだ!

 

「い、い、いえ、とんでもない!

 当然のことをしてるだけです!

 でも・・・実は・・いつも応援してるわけじゃないんです」

 

「正直なんですね(笑)」

 

「僕、本当は有村架純さんのファンなんです」

 

「そうなんですか!

 聞いた?架純ちゃん?」

 

え?

もう1人の女性は・・有村架純さんだった!!

 

そうか、共演者同士仲が良いと聞いたことはあったが・・・

 

それからの10秒間は夢のようだった。

自分が何を言ったかは覚えていないが、

「応援ありがとうございます」と言ってもらい、握手をしてもらえた。

間近で笑顔を見ることができた。

 

有村さんは「今度よんでみますね!」と言い残して、

能年さんと連れ立って他の署名活動家に挨拶をしに去っていった。

 

最高だ。

有村さんのファンで良かった。

その上、今度よんでみるなんて・・・

 

ん?よむって何を?

 

そうだ!自分が言ったことを思い出した!

「「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」っていうブログを、

 毎日書いています!」

って言ったんだ!

 

有村さんがそれを読むと言っている!

これは大事件だ!

 

これからは今まで以上に有村さんを応援しよう。

彼女が読むかもしれないブログも、もっと頑張ろう。

有村さんに会えたこと、有村さんのファンでいること。

これこそが、僕のアイデンティティだ。

 

ヤマダ君の憂鬱は吹き飛んだ。

 

おわりに

( 当然ですが、ヤマダ君に関する部分は全てフィクションです)

 

肖像権について考えると、

どうしても「人間とは何か?」といった論点まで行きついてしまう。

 

今回の連載は話が広がりすぎて

舌足らずで掘り下げ不足のところも多い。

 

深淵なテーマなので、引き続き考えていきたいと思う。

 

積み残しの宿題についても簡単に触れておこう。

 

・覆面レスラーに肖像権はあるのか?

  → 覆面の顔はマンガのキャラクターと同じようなものなので、

    本来は肖像権ではなく著作権で守られるべきもの。

    肖像権は認められづらいと思うが、

    長いレスラー生活で本人とマスクが完全に一体となった人生を

    送っている人なら、肖像権は発生するかも??

 

ディープインパクト(馬)の肖像権は?

  → 肖像権やパブリシティ権は「人権」なので、

    人間以外には無い。

    「ギャロップレーサー事件」という有名な裁判で、

    「俺の馬を勝手にゲームに使うな!」という訴えがあったが、

    認められなかった。

 

パブリシティ権については、以下の本を参考にさせていただいた。

感謝申し上げます。

 

 

 


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