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タレントの写真を本人に無断で使って良いのか? 肖像権の深淵に挑む(1)

自分の好きなタレントの顔写真を、

タレント本人(もしくは所属事務所)の許可なく勝手に使った場合、

問題はあるのだろうか?

 

今回はこの疑問に答えたい。

 

ファンがブログで使う場合

ヤマダ君という人物を想像してほしい。

彼は女優・有村架純さんの大ファンだ。

それはもう、好きで好きでたまらない。

もちろん出演作品は、ドラマも映画もCMも全てみている。

彼女の明るい笑顔。

ときおり見せる憂いのある表情。

成長とともに微妙に変化する顔立ち。

語り出したら止まらない。

ロイヤルホストローズヒップティーを飲みながら

友人と何時間でも語り合っていられる。

 

そうだ。

有村さんへの思いを文章で表現しよう。

それをブログにアップしよう。

僕なら誰よりも熱く専門的に掘り下げた記事が書けるはずだ。

ブログタイトルは「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」に決定だ。

 

いざ書き始めてみると止まらない。

彼女への思いがあふれてくる。

気がつくと1万字を超える大論文になっていた。

でも、困ったことに気付く。

彼女の顔立ちや表情について詳しく分析・解説してる以上は、

彼女の写真がどうしても必要だ。

そうしないと分かりやすく説得力のある記事にならない。

ドラマ「あまちゃん」のシーン写真を使いたい!

「お~いお茶」のCMのポスター画像を使いたい!

「このときの彼女の笑顔は、〇〇に出演したときと比べて

 より内面の明るさが発揮されていて・・・」

とか写真をつかって評論したい!!

 

写真のデータはネット上で収集していたので、すでに持っている。

でも、これを使っても大丈夫なんだろうか?

彼女はタレントさんだから「肖像権」というものがある。

そう誰かに聞いたことがある。

やっぱり彼女の許可がないと写真は使えないのだろうか?

困ったぞ。

彼女の連絡先なんて知るわけがないし・・

 

思い切って彼女の所属事務所に電話してみた!

きっと怪しがられると思っていたら、丁寧に対応してくれた。

 

「あの・・有村架純さんの大ファンなんですが、

 彼女の演技や表情について分析したブログを書いています。

 すっごく良い記事が書けました!

 有村さんにも読んでほしいです!

 つきましては「あまちゃん」や「お~いお茶」の写真が

 どうしても使いたいんです。

 使用の許可をいただけないでしょうか!?」

 

「弊社の有村をいつも応援いただき、大変ありがとうございます。

 残念ながらタレントには肖像権というものがございまして、

 一般の方には許可を出せないことになっております。

 申し訳ございませんが、使用は諦めてください」

 

「(がーーん)やっぱりそうですか・・」

 

「ちなみに有村架純の公式ファンクラブがあることはご存知ですか?

 ご入会いただけると会員限定の写真やメッセージが手に入るんですよ。

 入会費は・・・」

 

「あ、ファンクラブにはもう入っているんで大丈夫です・・

 失礼しました・・・」

 

電話を切ったヤマダ君はガックリとうなだれてしまう。

「有村さん(の事務所)に断られた・・」

まるで失恋したような気分だ・・・ しゅん。

 

きっとこんな流れになるだろう。

(有村さんにファンクラブがあるかどうかは確認していないので、

 会話の後半は私の空想です。すみません)

 

結局のところ有村さんの顔は、

「肖像権」があるから使えないのだろうか?

 

そんなことはない。

上記のケースなら、有村さんや所属事務所の許可は必要ない。

 

肖像権のあいまいさ

有名なわりにはちゃんと理解されていない「肖像権」について、

まずは簡単に解説しよう。

 

「肖像権」は、非常にあいまいで❝ふわっ❞とした権利だ。

まず最初に、このことをしっかり理解しよう。

 

著作権とは全然ちがう。

著作権の場合、「著作権法」というちゃんとした法律がある。

著作権は何に発生するのか?

著作権は誰がもつのか?

著作権はどういうときに働くのか?

著作権はいつ切れるのか?

そういったことが、法律に明確に書いてある。 

だから、誰でもルールが分かる。

 

プロ野球のゲームのようなもので、

「3ストライクで1アウトになる。3アウトで攻守交替になる」と

 選手も監督も審判もみんなが分かっている。

たまに審判の判断について文句を言う人もいるが、

ルールそのものについては、みんなの認識は一致している。

 

 これに対し、肖像権についてはちゃんとした法律がない。

「肖像権法」なんてものは、どこにも存在しない。

だから、誰が肖像権を持ち、どういうときに働くのか、

明確なルールが確立していない。

肖像権について争われた過去の裁判を参考にしながら

「きっとこういうルールなんだろう」と

推測しながらやっていくしかないのだ。

 

ボールとバットを与えられた子供たちが、

公園で自由に遊んでいるようなものだ。

「2回空振りしたら交代しろよ!」

「いや、4回まではいいんだよ!」

「あの壁にあたったらホームランな!」

みんなが好き勝手にルールを言い合う。

そのうち、徐々に声の大きな子の言うルールが

「公式ルール」になっていく・・

 

もちろん裁判の事例は少しずつ積み重ねられているので、

ある程度のルールの輪郭は見えるようになってきている。

それでも、まだまだあいまいな部分、「グレーゾーン」は多い。

 

法律の専門家も、歯切れの悪い説明しかできないことが多い。

「〇〇の可能性が高い」とか、

「〇〇だと思われるが、裁判で結論を出さないと確かなことは言えない」

とか、そんな言い方になってしまう。

グレーゾーンがいっぱいあるんだから仕方ない。

 

グレーゾーンでは声の大きい人の意見が通りやすい。

タレントの所属事務所が

「タレントには肖像権があります!我々の許可なく使えません!」

と自信ありげに断言するのは、そいういうわけだ。

とりあえず大きな声で主張すると有利なのだ。

 

肖像権とパブリシティ権

ここまでは「肖像権」と一言で済ませてきたが、

厳密に言うと「肖像権」という言葉には、

種類の違う2つの権利が含まれている。

 

それが「肖像権」と「パブリシティ権」だ。

 

「肖像権」という言葉に「肖像権」が含まれるという時点で

分かりにくいが、そもそもあいまいな権利なんだから仕方ない。

 

2つの権利を1つずつ簡単に解説しよう。

 

肖像権とは

まず「肖像権」とは何か?

 

「自分の姿を勝手に撮影されること、

 撮影されたものを公表されることについて

 「イヤだ!ダメだ!」と言える権利」

 

一般的にはこう説明されている。

 

「あなたの顔」は「あなたの人格」とは切っても切り離せない。

あなたの友人があなたを思い浮かべるときには

必ずその顔を頭の中にイメージさせている。

あなた自身も、自分の❝中身❞つまり「アイデンティティー」と

自分の顔を結び付けて考えている。

だから、自意識に目覚める思春期には、誰もが自分の容姿を気にする。

(それを逆手にとって楽しめるのが、

 ネット上であなた自身を表現する「アバター」や「アイコン」だ)

 

人格とつながっているあなたの顔は、

ひとつの「人権」として守られるべきだ。

他人に好き勝手に扱われていいはずがない。

 

こんな考え方がベースになっている。

だから、「肖像権」は人間なら誰もが持つことになっている。

 

パブリシティ権

パブリシティ権」とはどういう権利だろう?

 

「❝タレントパワー❞を商売目的で人に勝手に使わせない権利」

と理解すれば良い。

 

人気のある俳優、アイドル、タレント、スポーツ選手等には、

タレントパワーがある。

彼らがCMに出ていると、ついつい見てしまう。

おススメの商品に興味が湧いてしまう。

彼らの顔写真を商品に使ったら、思わず買ってしまうファンだって多い。

これがタレントパワーだ。

(「顧客吸引力」と呼ぶ人もいる)

 

世の中には、他人のタレントパワーにタダ乗りしようとする人もいる。

ジャニーズタレントの写真をプリントしたグッズを売って儲ける人。

大坂なおみ選手もおススメです」と広告して売上を伸ばす人。

 

こんなことを勝手にやられてしまうと、

彼らが長年の努力で手に入れた名声が不当に「搾取」されている感じがする。

さすがにこれはマズい。ということで、

パブリシティ権」が認められるようになった。

タレントパワーを本人に無断で商売目的に使ってはいけない。

 

「肖像権」は全ての人間が持っている権利だが、

パブリシティ権」は人気のある有名人にしか発生しない権利だ。

タレントパワーを持っていることが前提になっている権利だから

当然そうなる。

 

ヤマダ君と有村さんの場合

ヤマダ君と有村さんのケースに戻ろう。

 

有村架純さんのような有名タレントの場合、

「肖像権」はもちろん、「パブリシティ権」も持つことになる。

だから両方の権利が働いてヤマダ君は写真を使えない!という結論に

なりそうだ。

 

しかし実際にはそうならない。

有名タレントにとっては「2つの権利の両方ともに使いづらい!」

そんなケースもあるのだ。

 

 まず「肖像権」の方だが、

タレントには働かないことが結構ある。

そもそもタレントの仕事は人に撮影されることだ。

そしてその写真や映像を公表されることだ。

「撮影・公表に対して「イヤだ!」と言える権利」が肖像権だが、

「イヤだ!」などと言っていると仕事にならない。

タレントという職業を選んだことと、肖像権を主張することは、

根本的に矛盾しているのだ。

 

仕事をしていないプライベートな時間での写真であれば、

タレントの肖像権が認められるケースも多いが、

仕事として撮影された写真なら、

肖像権を主張するのはかなり厳しい。

 

上記の事例でヤマダ君が使おうとしていたのは、

あまちゃん」「お~いお茶」などの「仕事の場」で撮影された写真だ。

肖像権は主張できないだろう。

 (肖像権の細かい判断基準については次回以降に説明したい)

 

 

それでは「パブリシティ権」ならどうか?

実はこの権利も、かなり使いづらい権利だ。

 

キング・クリムゾン事件」、「ピンク・レディー事件」という

有名な2つの裁判があり、

「タレントがパブリシティ権を主張できる範囲は、かなり狭い」

ということが判明してしまったのだ。

詳細は次回以降の記事にゆずるが、大まかにいうと

「モロにタレントパワーに乗っかることが目的じゃない限りは、

 パブリシティ権は働きません」

ということになった。

 

ヤマダ君は、

「女優・有村架純の演技や表情を評論すること」

を目的に記事を執筆している。

評論するためには、彼女の顔が必要なのだ。

決してタレントパワーに乗っかることを

メインの動機にしているわけではない。

 

有村さんはパブリシティ権を主張することもできないだろう。

 

なので、今回のヤマダ君のケースでは、

ブログで彼女の写真を使うにあたって、

有村さんや所属事務所の許可は必要ない。

という結論になる。

 

無名の一般人と有名タレント

こうして見てくると、

「タレントだから肖像権がある」

という考え方は、必ずしも正しいとは言えないことが分かってくる。

 

有名タレントよりも無名の一般人の方が、

肖像権が強く働くことも結構多いのだ。

 

これは、多くの人が理解していることとは逆の結論だと思う。

先に書いた通り、タレント事務所は

「タレントには肖像権があります!」と強く言うことが多い。

グレーゾーンでは声の大きな人が主張する内容が通りやすい。

その主張が多くの人に届き

「ああ、そういうものなんだ」と理解されているのだろう。

 

それ以外の主張

タレントの顔を勝手に使われるのを止めたい所属事務所からは、

肖像権やパブリシティ権以外で攻撃されることも予想される。

 

肖像権やパブリシティ権と「セット」にして主張されやすいものが

いくつかあるので、何点か検討しよう。

 

・「プライバシーの侵害だ!」

肖像権と一緒に主張されることの多いものだが、

上記の事例で使っているのは、あくまでも仕事の場所・公の場で、

彼女自身が「撮影されている」と分かった上で撮られた写真だ。

有村さんの私生活を暴いているわけではない。

 

プライバシーは全く関係ない。

 

・「名誉が傷つけられた!」

これもよく主張されるものだが、

上記の事例では彼女の名誉をおとしめるような写真は当然つかってない。

文章の内容も彼女を賞賛する内容だ。

ヤマダ君は有村さんの名誉を傷つけるなんてことは決してしない。

(ちなみに、もし批判的なことも書いている場合であっても、

 批判すること自体は悪いことではない。

 健全な批判こそが文化をより高めるからだ。

 よほどひどい悪口を根拠もなく書いていれば話は別だが、

 常識的な範囲の批判なら裁判で負けることにはならないだろう)

 

・「不正競争防止法に違反している!」

有村架純の公式認定ブログ」であると誤解を与えるような

内容やデザインになっていたりしたら、

不正競争防止法にふれる可能性はあるが、

ヤマダ君のブログは、そのようなものではない。

「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」を公式なものとは誰も思わない。

 

というわけで今回のケースでは、

所属事務所からの有効は攻撃材料はないと思う。

 

あれ?著作権は? 

ここまで検討したのは、あくまでも肖像権やパブリシティ権の話だ。

一番忘れてはいけない権利が残っている。

 

そう。写真の「著作権」だ。

 

多くの人はタレントの写真を見たときに、

写っているタレントに目を奪われ「肖像権は・・」とか言ってしまう。

本当に大事なのはそこではない。

肖像権とは違い、明確に確立した権利である「著作権」の方が、

ずっと大きな問題だ。

 

写真には著作権がある。

だから、ブログに写真を使いたかったら

(写っている人ではなく)写真を撮影した人の権利を

クリアしないといけない。

これが基本だ。

 

記事の内容によっては、

「引用」(著作権法32条)というのに当てはまり、

著作権さえも働かないことも有り得る。

ただ、「引用」の判断は専門家でもかなり難しい。

今回は肖像権とパブリシティ権がテーマなのでここでは触れないが、

いずれじっくりとりあげたい。

(本当にまじめに彼女の写真を批評するのなら、

 「引用」になる可能性はけっこう高いと思う)

 

写真を使いたかったら、肖像権を気にするより先に

著作権をクリアしよう。

写真の著作権をもっている人(実際には会社であることが多い)を調べ、

連絡をとり、許可をとろう。

個人のブログに許可を出す会社は多くないと思うが、

的外れの相手(タレント事務所)に許可を求めた挙句に

そもそも権利の無い相手から断られて

ヤマダ君のように「失恋」してしまうよりは、

ずっとマシなプロセスだ。

相手によっては許可をくれるかもしれない。

「写真の著作権の許可は出してもいいですが、

 肖像権についてはあなたの責任で判断してください」

と言われることもあるだろう。

その場合は自分で判断すれば良い。

「あの事務所に許可を必ずとってください。

 それが許可を出す条件です」

とまで言われてしまえば、従うしかない。

写真の著作権をもっている会社も、わざわざグレーゾーンに踏み込んで

「タレントの肖像権は働きませんから大丈夫です!」

なんて太鼓判は押してくれないだろう。

 

ちなみに、事務所に連絡をとって許可をもらおうとした時点で、

「彼女の肖像権かパブリシティ権の存在を認めた」ということに

なってしまう可能性もあるので、連絡するときは慎重にやろう。

 

結局は・・

まとめると、こうだ。

 

・ヤマダ君が有村さんの写った「あまちゃん」「お~いお茶」の写真を

 ブログで使うにあたり、肖像権やパブリシティ権は働かない。

・でも、写真の著作権の許可は必要。

著作権の方は「引用」でクリアできる可能性もあるが、

 判断が難しい。

 

ここまで読むと、

「な~んだ、結局のところ、著作権のせいで写真つかえないじゃん」

となってしまうと思う。

多くの場合はその通りだ。

 

それでも、やはり正しく判断した上で写真の利用を諦めるのなら、

ヤマダ君も納得感が違うと思う。

何だか分からないままに「肖像権」に意識が向いてしまい、

本来の権利者でない人に断られてしまったり、

「なんとなく、うるさそうな気がするらヤメておこう」

となるよりは、ずっといいと思うのだ。

 

次回以降

次回からは、数回に分けて肖像権・パブリシティ権について

考えていこう。

 

今回の例として挙げたケースでは、

タレントの肖像権、パブリシティ権は働かない。と私は判断したが、 

これはあくまでも「今回のヤマダ君の事例」に限った話だ。

・タレントではなく素人ならどうなのか?

・記事の内容がタレント本人と関係が薄い場合は?

・写真をもとに似顔絵にしたらどうなの?

など、今回とは違う色んなケースが考えられ、

その全てで「権利は働きません」と言うことはできない。

 

次回以降の記事では、もっと応用して判断できるように、

肖像権とパブリシティ権について少し詳しく見ていこうと思う。

 

・覆面レスラーに肖像権はあるのか?

・手タレ、足タレ(手や足のモデル)の肖像権は?

ディープインパクト(馬)の肖像権は?

・整形したタレントの肖像権はどうなる??

余裕があれば、こんな難問にも挑戦してみたい。

 

肖像権についてじっくり考えると、

「自分とは?人間とは何だろう?」

という深い謎の淵に立っていることに気付く。

どこまで真実に迫れるか分からないが、

挑んでみたいと思う。

 

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来週の連載はお休みします。

読者の皆さま、

熱中症に気をつけて良い夏休みをお過ごしください。

 

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歌手たちの大胆な戦略変更(2)

お笑いタレントと事務所のゴタゴタ騒ぎに世間の視線が集まっているが、

もっと大きなゴタゴタが静かに進行している。

 

歌手たちとレコード会社が

業界全体でつばぜり合いを始めているのだ。

 

復習

かるく前回の復習をしておこう。

 

音楽業界には3人の登場人物がいる。

・作詞・作曲家・・・・・・・大室さん

・歌手たち・・・・・・・・・ナムロちゃん

・レコーディングする人・・・ベイエックス

 

大室さんは「プレイ(演奏)」「放送」「ネット配信」の全てに対して

「禁止権」という強い権利を持っている。

 

ナムロちゃんとベイエックスは、

「プレイ(演奏)」に対して何の権利も持っていない。

「放送」には「お金の請求権」という弱い権利しかない。

「ネット配信」には禁止権を持っている。

 

同じ権利をもつナムロちゃんとベイエックスは

これまでは歩調をあわせて戦ってきた。

しかし、最近になってナムロちゃんが違うことを言い出した。

「禁止権はいらないから、全部お金の請求権でいいよ」

と言っているのだ。

 

一体どうしたというのだろう?

 

お金の取り方の違い

ナムロちゃんの狙い。

ポイントは、お金の配分のやり方だ。

「放送」に対するお金の請求方法・配分方法と、

「ネット配信」に対するお金の請求方法・配分方法が違うのだ。

 

1つずつ説明しよう。

 

テレビ局やラジオ局に請求するとき

ナムロちゃんとベイエックスは、

「放送」に対して「お金の請求権」を持っている。

「禁止権」ほど強い権利ではないが、

権利を持っている以上は当然その権利を使う。

テレビ局やラジオ局に対して

「放送で我々のCDを流した分のお金をください!」

と要求する。

 

しかしこの要求を、個々の歌手やレコード会社がすることはできない。

法律でそう決まっている。

文化庁長官に指定されたたった1つの団体を通じてしか

できないことになっている。

(個々の歌手やレコード会社からいちいち請求されたら、

 放送局も大変だ)

歌手たちについては

公益社団法人日本芸能実演家団体協議会

(ながっ!略して芸団協(げいだんきょう))という団体が、

レコーディングする人については

一般社団法人日本レコード協会(略してレコード協会)という団体が

それぞれ指定されている。

 

ナムロちゃんを代表するのが芸団協で、

ベイエックスを代表するのがレコード協会だ。

団体が集めたお金が個々の歌手やレコード会社などに配分されている。

 

彼らがどのように放送局等にお金を要求し、

どれぐらいの金額をもらい、それをどうは配分するかは、

業界全体の注目の的だ。

なにしろ金額が大きい。(各団体で70億円以上)

正式な文化庁長官の指定団体なので、

会員に対してちゃんと説明できる状態にしておかないといけない。

みんなが見ている。

 

こんな状況では、

芸団協とレコード協会は自然と仲良くふるまうようになる。

「全く同じ権利をもつ者同士、一緒にやりましょう。

 法律上の権利は同じなんだから、金額も同じにしましょう」

となる。

こうして、放送局からもらうお金を「50:50」で分け合う体制が

できあがる。

 

みんなが見ている前だから、ナムロちゃんとベイエックスは平等なのだ。

 

ネット配信事業者に請求するとき

では、ネット配信の場合はどうだろう?

 

ナムロちゃんとベイエックスは、

ネット配信に対しては禁止権を持っている。

 

SpotifyApple MusicやアマゾンPrime Musicに対して、

「配信したければ〇〇円払え」という交渉ができる。

(実際の現場では交渉するのは難しいという話も聞くが、

 金額が安すぎると思えば配信を拒否することはできる)

 

禁止権の場合、

お金の請求権と違って文化庁長官の指定団体というものが無い。

「禁止権である以上は、

 それぞれの権利者に連絡をとって、ちゃんと事前に許可をもらいなさい。

 そうしないと権利侵害になります」

という「オプトイン」の考え方がベースにあるからだ。

 

ネット配信事業者が相手のときは、

指定団体を通じての交渉ではなく、「個別交渉」が基本になる。

 

個別交渉はどう行われるのか?

 

「Spozon」という音楽配信事業者が、

ベイエックスが発売しているナムロちゃんのCDを配信したいと思ったら、

まずはベイエックスに連絡を取る。

そして「御社には売り上げの〇%を配分します」のような提案をする。

ベイエックスが納得したら、許可を与える。

このとき、ベイエックスの権利だけでなくナムロちゃんの権利の分も

一緒に許可を与えてしまう。

そしてSpozonからお金が振り込まれたら、

その金額のうち1~2%程度をナムロちゃんに配分する。

だいたいこんな感じになる。

(場合によっては、上記1~2%が20%程度のこともある)

そしてこの交渉の全体像を知っているのは、

交渉に関わった当事者だけだ。

多くの人の目線が集まらない場でものごとが決まっていく。

だって「個別交渉」なんだから。

 

比率の差

もうお気づきと思うが、

放送とネット配信ではナムロちゃんの「取り分」が全然ちがう。

 

放送では、ナムロちゃんとベイエックスの取り分は「50:50」だ。

それがネット配信になった途端に「1:99」ということも有り得るのだ!

 

お笑いタレントと吉本興業の取り分比率として話題になっている

「30:70」とか「10:90」と比べても、相当にキツい。

 

ベイエックスの方にも

「レコーディング費用がかかっている」

「契約に従っているだけだ」

「CD販売の印税にそろえている」

「業界の慣習だ」

とか、色々と言い分はあるのだが、

そんなことでは納得できないほど「不平等感」のある配分に

なってしまっているのだ。

 

理由

なぜ放送とネット配信でこんなにも差があるのか?

 

これまで書いてきたとおり、

「みんなの目線」があるかどうかの違いが原因だろう。

 

みんなが見ていると「平等にしよう」という圧力が働く。

でも、個別交渉になり誰も見ていなければ、

レコード会社と歌手との間の力関係がそのまま出てしまう。

多くの場合、レコード会社の方が強い。

だから「1:99」のような極端な比率でも

ナムロちゃんは受け入れるしかなかった。

 

強引な例え話でいえば、「ソトヅラのいい旦那」のようなものだ。

ご近所さんが集まるホームパーティーでは、

みんなが見てるから甲斐甲斐しく料理を手伝う。

「うちは、家事を平等に分担してるんですよ~」とか言ったりする。

でも2人だけになると急に偉そうになる。

「おい!メシはまだか!?お風呂はわいているのか!?」と言って、

家事をする気配は見せない。

奥さんの中では、旦那に対するストレスがたまっていく・・

 

歌手たちの大胆な戦略変更

この「不平等」に対して、

おそらく芸団協とレコード協会のあいだでも

何らかの交渉が続いていたのだと思う。

 

ネット配信の権利が「禁止権」であっても、

体制さえ整えれば「個別交渉」ではなく「団体を通じての交渉」に

することは可能だ。

(実際、JASRACがそれを実現しているし、

 芸団協とレコード協会も分野によってはそうしている)

しかし芸団協だけでそれを行っても、実務上は意味がない。

いろんな契約の都合があり、レコード協会の協力が必要なのだ。

 

しかし、レコード協会が首を縦にふることは無かったのだろう。

 

ナムロちゃんはこう考えた。

「ネット配信はこれからの音楽ビジネスのメインフィールドよ!

 ネットからいかに収益を上げるかが、私たちの将来を決めるわ。

 それなのにベイエックスは話し合いに乗ろうともしない。

 もうこれ以上彼らと交渉してもラチがあかないわ!

 私は自分の道を進もう。

 夢は見るものじゃなくて、叶えるものよ!

 こうなったら捨て身の作戦だわ。

 法改正で「禁止権」を「お金の請求権」に格下げしちゃえ!

 そうすれば、ベイエックスの権利も私たちにひっぱられて

 「お金の請求権」になるはず。

 ネット配信と放送の権利が同列にならぶってことよ。

 放送と同じように団体を通じての交渉になるから、

 「みんなが見ている前で」交渉することになる。

 歌手とレコード会社は平等になる。

 権利が格下げになって、全体としてのお金のパイは減るけど、

 そんなことは構わない!

 ベイエックスとの不平等が解消されれば、それでいい!」

 

 

こうして、歌手たちは戦略を大胆に変えた。

レコーディングする人(レコード会社等)と共同戦線を張るのはやめた。

独自路線で、自分たちの利益を追求することにしたのだ。


ベイエックスが100万円売り上げても、

ナムロちゃんには1万円しか配分がない。

こんな状態よりは、全体の売り上げが50万円に減っても、

半々で分け合って25万円受け取る方がいいに決まってる。

 

 歌手たちが、ついに大きく舵を切ったのだ。

ネットの世界から流れ込む巨額のマネーを求めて。

 

今後の動きに注目したい。

 


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歌手たちの大胆な戦略変更(1)

エンタメ業界やクリエイティブ業界が、何やら騒がしい。

 

吉本興業・お笑いタレント・反社会的勢力

人気お笑いタレントが反社会的勢力のパーティーに参加して

ギャラをもらっていたという事件。

それがきっかけになって、

吉本興業と所属タレントのあいだで起こったゴタゴタ騒ぎ。

 

当事者にとっては大変な事態だと思うが、

基本的には「内輪モメ」なので、

外部からどうこう言う話ではないだろう。

 

これを機に反社との組織的な関わりがクリアになり、

事務所とタレントとの契約関係がクリアになることを願う。

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ジャニーズ事務所・公正取引員会

ジャニーズ事務所が元SMAPのテレビ出演に圧力をかけた「疑惑」に対し、

公正取引委員会公取)が注意をした。

 

もし本当に圧力があったのなら、公取の言うことは正論だ。

タレントから活躍できるチャンスを奪ってはいけない。

 

一方で、「人間そのもの」を商品として扱うタレント事務所の経営は、

正論だけでは成り立たないところがあったのも事実だ。

「事務所をやめても❝村八分❞にならない」と分かれば、

売れたタレントから順に次々と独立していってしまう。

こうなると、伝統的なタレント事務所の経営は難しくなる。

売れっ子だけを好待遇で迎え入れるマネジメント会社、

つまり美味しい所だけをかっさらっていく会社が

業界を席捲するようになるだろう。

 

将来売れるかどうかも分からない新人を

手取り足取り教えて育てるなんて

そんな効率の悪いことをする事務所は消えていくかもしれない。

 

新人タレントにとっては、

自力で這い上がる努力が求められる時代になりそうだ。

 

 

参議院選挙・山田太郎

参議院選挙が行われた。

自民党山田太郎氏が

54万票という非常に大きな数字の得票で当選した。

(いくつかの地域では、彼の票が「れいわ新選組」の「山本太郎」氏に

 間違われてカウントされるという、トホホな事件も起きた)

 

以前の記事で

著作権には「左派思想」と「右派思想」があると紹介したことがある。

www.money-copyright-love.com

 

山田氏は「表現の自由を守る」を旗印にしながら、

マンガやアニメの表現規制に反対し、

オタク文化を守るために活動してきた政治家だ。

「今の著作権は強すぎる」と考える左派思想の持ち主でもある。

(本人が認めるかどうかはともかく。)

 

山田太郎オフィシャルサイト

https://taroyamada.jp/

 

今後の彼のアクションに注目したい。

 

 

歌手たちの戦略変更 

今回は、事務所と所属タレントのゴタゴタよりも、

もっとスケールの大きな「ゴタゴタ」を解説したい。

 

音楽業界全体で、

歌手たちが大きな戦略を描いて動き始めているという話だ。

業界に関係する人や音楽に興味がある人なら、

知っておいて損はない。

 

以前の記事に書いた通り、

音楽の権利の世界には3種類の登場人物がいる。

 

1.作詞・作曲家

   ・・・例:小室哲哉

2.歌手(楽器を演奏する人も含む)

   ・・・例:安室奈美恵

3.レコーディングする人

   ・・・例:エイベックス

 

彼らが協力することで、良い音楽が生み出されている。

 

www.money-copyright-love.com

 

以下、イメージしやすいように、

作詞・作曲家のことを「大室さん」、

歌手のことを「ナムロちゃん」、

レコーディングする人のことを「ベイエックス」

と呼ぶことにしよう。

(特定の作家や歌手等ではなく、

 作家、歌手、レコード会社の全体像を表したものだと思ってほしい)

 

権利者たちの間の区別

大室さんとナムロちゃんとベイエックス。

彼らのあいだには、差別・・・というか、区別がある。

大室さんだけが、他の2人よりも偉い。ということになっている。

 

大室さんだけが、より多くの権利を与えられているのだ。

 

例えば「プレイ(演奏)禁止権」。

お店でCDを流すとき、大室さんは権利主張をしてお金をもらえる。

(これを実際の現場でやっているのがJASRAC

でも、ナムロちゃんとベイエックスには権利がないので何もできない。

 

例えば「放送禁止権」。

テレビ局やラジオ局がCDの曲を流したいときに、

大室さんが「ダメだ!」と言えば、放送を禁止することができる。

つまり、強い立場で交渉して、より多くのお金をもらえる。

(これを実際の現場でやっているのがJASRAC

でも、ナムロちゃんとベイエックスは禁止する権利を持っていない。

その代わりに禁止権よりも一段低い権利が与えられている。

それが「お金の請求権」だ。

「ダメだ!」とは言えないが、

「使うならお金ください」とだけは言うことができる。

禁止権と比べると弱い立場でしか交渉できないので、

大室さんほどにはお金がもらえない。

(これを実際にやっているのが芸団協CPRAやレコード協会という団体)

(実際にはJASRACが「ダメだ!」ということは、

 現実的にも法律的にもありえないのだが、

 やはり禁止権とお金の請求権の差は大きく、

 JASRACが受け取る金額と芸団協CPRAやレコード協会が受け取る金額には、

 非常に大きな差がある)

 

ちなみに、「放送」ではなく「インターネット配信」であれば、

大室さん、ナムロちゃん、ベイエックスの3人は平等に扱われている。

3人全てがそれぞれに「ダメだ!」と言える禁止権を持っている。

 

 以上をまとめると、こうだ。

 

【プレイ(演奏)】

大室さん・・・・・禁止権

ナムロちゃん・・・権利なし

ベイエックス・・・権利なし

 

【放送】

大室さん・・・・・禁止権

ナムロちゃん・・・お金の請求権

ベイエックス・・・お金の請求権

 

【ネット配信】

大室さん・・・・・禁止権

ナムロちゃん・・・禁止権

ベイエックス・・・禁止権

 
こんな風に、大室さんとナムロちゃん・ベイエックスとの間には

扱いの差がある。

しかし、ナムロちゃんとベイエックスの扱いには違いがないことに

注目しておいてほしい。

 

(繰り返しますが、「大室さん」「ナムロちゃん」「ベイエックス」は、

 作詞・作曲家、歌手たち、レコーディングする人それぞれの業界を

 イメージしやすいように個人名や特定の企業名であるかのように

 表現したものです。

 特定の人や企業とは直接関係ありません)

 

歌手とレコーディングする人の連携

著作権の世界では、大室さんは「一級市民」、

ナムロちゃんとベイエックスは「二級市民」のように扱われている。

 

虐げられ(?)ている者同士が仲良くなるのは通常の流れだ。

ナムロちゃんとベイエックスは、

権利の話になると、ほとんどの場合協力してきた。

テレビ局に「お金の請求権」を使って金額の交渉をするときは、

足並みをそろえてほぼ同じ金額を要求し受け取っている。

法改正の話が出るときには、

共同戦線をはってだいたい同じ内容の主張をすることが多かった。

 

同じ権利を与えられたナムロちゃんとベイエックスは、

運命共同体のように手に手を取り合って活動してきたのだ。

 

歌手の独自路線

しかし、最近になって新しい動きが見え始めている。

ナムロちゃんがベイエックスとは違うことを主張し始めたのだ。

 

ここ数年、NHKが放送と同じ内容を

インターネットでも同時に配信しようとしていることはご存知だろうか?

NHKが最も力を入れて取り組んでいることの一つだ。

 

NHKがネット配信する上で最大の障害になるのが、

音楽の権利のクリアだ。

BGMなどで毎日大量に使われている音楽の権利を全て処理しないと

ネット配信はできない。

上記のとおり、放送とネット配信とでは権利の働き方が違う。

放送の場合は、ナムロちゃんやベイエックスにはお金の請求権しかない。

NHKは音楽を自由に使って、後でお金だけ支払えばよかった。

しかしネット配信の場合はそうはいかない。

ナムロちゃんとベイエックスは禁止権をもっている。

勝手につかうと権利侵害になってしまう。

 

どうすれば良いのか?

政府の検討会にナムロちゃん(芸団協CPRA)や

ベイエックス(レコード協会)等の権利者が集められ、

話し合いが始まった。

 

内閣府 規制改革推進会議 第12回投資等ワーキング・グループ

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/wg/toushi/20190327/agenda.html

 

一部の人からは

「ナムロちゃんとベイエックスが、ネット配信の禁止権をもってるから

 ややこしいんだ!

 放送と同じように、お金の請求権だけにすればいいじゃないか!」

という意見が出ていた。

 

 これまでのナムロちゃんとベイエックスなら、

「なぜNHKの配信のために

 我々がもっている権利を格下げされなくちゃいけないの!?

 我々がネット配信を邪魔してるみたいな言われ方をするのは心外だ!

 禁止権のままでも、スムーズにネット配信できる体制は作れる!」

と声を合わせるシーンだ。

 

しかし今回は違った。

ベイエックスが上記の主張をしたのに対し、

ナムロちゃんが全然違うことを言い出したのだ。

 

「わかりました。

 ネット配信については、禁止権を放棄します。

 放送と同じようにお金の請求権だけでいいです。

 その代わり、プレイ(演奏)についてもお金の請求権をください!

 その方が国際標準にも合っているんです!」

 

ナムロちゃんの主張は以下のようになる。

 

【プレイ(演奏)】

ナムロちゃん・・・権利なし → お金の請求権へ!

 

【放送】

ナムロちゃん・・・お金の請求権 → お金の請求権のまま

 

【ネット配信】

ナムロちゃん・・・禁止権 → お金の請求権へ!

 

 

つまり、「お金の請求権に全部そろえちゃっていいよ!」と

言い出しているのだ。

 

疑問

これまでは手に手を取り合って共闘してきたナムロちゃんとベイエックス。

ここにきて、ナムロちゃん(芸団協CPRA)が独自路線を歩み始めた。

 

なぜなんだろう?

 

当初、私は

「歌手たちは、そこまでしてプレイ(演奏)の権利が欲しいんだな」

と思っていた。

 

しかし、そうだとしても違和感は残る。

なぜベイエックス(レコード協会)と足並みがそろわなかったんだろう・・?

 

私の中で何となく疑問に思っていたのだが、深く追究して考えていなかった。

しかし、最近の吉本興業とお笑い芸人のゴタゴタを見ていて、

やっと腑に落ちた。

 

お笑い芸人の中では、

ギャラの配分についてずっと不満が溜まっていた。

音楽業界の構図もこれと同じだ。

ナムロちゃんの真の狙いは、

プレイ(演奏)の権利でも国際標準に合わせることでもなかった。

ずっと抱いていたお金の面でのベイエックスへの不満を、

法改正をテコにして解消することが狙いだったのだ。

つまり、歌手たちとレコーディングする人が

政府の検討会を舞台にしてスケールの大きなゴタゴタ騒ぎをしているのだ。

 

なぜそう言えるのか?

次回に理由を説明したい。

 


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追悼。 京都アニメーションの皆様。

京都アニメーションで34人の方が殺された。

(追記:35人になってしまいました)

負傷した方も30人以上いる。

 

彼らは東京でなくても素晴らしいアニメが制作できることを

証明し続けていた。

なぜこんな酷い目に合わなければいけなかったのだろう。

 

放火殺人の容疑者は

「パクりやがって」

「小説を盗まれた」

などと言っているという。

 

今回の事件について、

このブログのテーマに合った論点はいくつもある。

・(おそらく無いと思うが万が一)

 容疑者が本当に小説を書いていたとして、

 「パクリ」と言えるほどに似ていたのか?

・(おそらく無いと思うが万が一)

 もしその小説を❝商売っ気のある❞出版社が出版するとしたら?

 その行為は許されるのか?

 ピエール瀧氏がコカインの使用で逮捕されたときに

 「作品に罪はない。映画は公開されるべきだ」

 と主張していた人は、今回も同じことを言うのか?

 それとも違う理屈を主張するべきなのか?

著作権は今のままでいいのか?

 相手に不満がある人にとって「パクられた!」という主張は、

 非常にとっつきやすい理屈になってしまっている。

 過激な行動に(少なくとも本人にとっての)大義名分を与えかねない。

 もちろん、どんな理由があっても殺人が許されるわけはないが。

 

いろいろと検討すべきことは多いが、

今は考えたくない。

 

 

京都アニメーションの方々は、

どんな思いでアニメーションを制作していたのだろう?

 

 

以前、東京のアニメ制作会社の人たちと

仕事で深くかかわっていた時期がある。

 

彼らはいつも寝不足だった。

「昨日も帰ってない」と言いながら、

首にタオルをまきサンダルがけで制作スタジオ内を歩き回っていた。

いつも締め切りに追われていたが、

打ち合わせでは常に真剣だった。

 

どのエンタメ業界にも❝スレた❞人はいるものだが、

アニメ業界にだけは、そんな人が見当たらなかった。

本当に一人もいなかった。

彼らはいつも純粋にアニメ制作に打ち込んでいた。

 

私は彼らがうらやましかった。

 

彼らとの打ち合わせが終わった後の帰り道、

自分が高校3年生だったのときのことを思いだしていた。

 

私の通っていた高校は、運動会が異様な盛り上がりを見せる校風だった。

優等生も不良も、みんなが運動会にだけは夢中になっていた。

夏の間中、放課後に生徒全員があつまって

汗だくになりながら「応援合戦」の練習をしていた。

 

当時の私は絵を描くのが得意だった。

観戦用の座席の後ろに掲げる巨大な「バックパネル」に

絵を描くチームのリーダーに選ばれた。

絵の出来栄えが、応援合戦の勝敗を左右することもある。

リーダーは大役だった。

 

放課後おそくまで残って数十枚のベニヤ板に絵を描いた。

秋になり運動会の日は近づくが、なかなか作業は進まない。

それでも私は楽しかった。

自分の頭の中にあるビジョンが、

チームの協力をえて少しずつ形になっていく。

完成に向けて進んでいるのが、目に見えてわかる。

 

チーム一丸となってモノづくりに打ち込むって、

こんなにも楽しいことだったのか!!

 

締め切りが近づいてきた。

私たちは夜中に学校に忍び込み、作業を続けた。

リポビタンDを飲みながら徹夜をするなんて、大人になった気分だった。

あの夜、立ち入り禁止の校舎の屋上でみた空の星は、

人生でダントツに輝いていた。

 

 

それから十数年後に出会ったアニメ制作会社の人たちからは、

懐かしい「高校3年の秋の匂い」がしていた。

私は彼らが大好きだった。

 

 

 

とりとめのない文章で恐縮です。

 

 

京都アニメーションで亡くなった方々が、どんな人だったのか。

毎日どんな思いでアニメを作っていたのか。

炎と煙にのまれながら、何を思っていたのか。

ただ、想像するしかない。

 

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、

負傷された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

一日も早い回復をお祈りいたします。

 


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金魚を電話ボックスに入れてもOK!/JASRACの潜入調査を擁護する

以前書いていた記事に関連する出来事が

立て続けに起きた。

話題は2つある。

 

・金魚電話ボックス事件の裁判の内容が判明した。

 そして、がっかりした。 

JASRACジャスラック)が

 音楽教室に❝潜入調査❞していたことがニュースに。

 それって話題にするほどのことか?

 

1つずつ見ていこう。

 

金魚電話ボックス事件

「金魚電話ボックス事件」については、以前とりあげたことがある。

 

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現代アートの作家・山本伸樹氏が

金魚を電話ボックスに入れた「インスタ映え」するオブジェについて

「自分のアートをパクられた!」と奈良県の商店街を訴えた事件だ。

 

この記事の中で、私は以下のようなことを書いていた。

 

著作権の根本思想として

 「アイディアはみんなのもの。具体的な表現だけは著作権で守る」

 というものがある。

現代アートはアイディア勝負。

 著作権との相性が悪い。

・「金魚を電話ボックスに入れる」というのは

 単なるアイディアにすぎないので、山本氏は裁判で圧倒的に不利。

・最近の裁判所には何でもかんでも「著作物だ」と

 認めたがる傾向があるので、部分的には山本氏の主張が認められるかも。

・どうせ裁判には勝てないんだから、

 山本氏は誰にも思いつかないような奇想天外な主張をすべき。

 それこそが現代アート作家としての生き様では。

 

私は、山本氏に期待していた。

 

そして先日、奈良地裁で判決が出た。

結論は、予想通りだった。

 

●ならまちプレス 金魚電話ボックス問題と「メッセージ」

http://narapress.jp/message/

 

判決の内容は以下のようなものだ。

 

・山本氏の作品が著作物であることは認める。

・でも、具体的な表現部分(色とか形とか)は似ていないので、

 著作権侵害ではない。

 

(最近の裁判所は何でもかんでも「著作物だ」と認めたがる。

 山本氏の作品も「著作物である」ということになった。

 個人的には、これは著作物ではないと思うが・・)

 

というわけで、山本氏は負けてしまった。

 

彼はどんな主張をしていたのだろう?

訴状によると、以下のような主張だった。

 

・表現を工夫して作家の個性が発揮されているので著作物だ。

・電話ボックスの外観や受話器の使い方など、

 (アイディアではなく)表現の部分が似ているので、

 著作権侵害だ。

 

私の感想はこうだ。

 

なんという、フツーーーーーな主張だろう!!

斬新なアイディアで世間をアッと言わせ、

世界に新しい視点を届けることが使命である

現代アートの作家の言葉とは思えない。

まるで、一度も冒険をしたことがない平凡なサラリーマンのような

主張ではないか。

 

というわけで期待していたのに、ガッカリの内容となってしまった。

やれやれ。

 

多くのクリエイターは、法律や契約のことになると

「そんな難しいことは分からないよ」となりがちだ。

弁護士さんに任せっきりになってしまうことも多い。

おそらく山本氏もそうだったのだろう。

 

しかし、表現者としての生き方を選んだ以上は、

そこがキャンバスだろうが、街中の電話ボックスだろうが、

契約書だろうが、裁判の訴状だろうが、どこであっても

自分の魂を表現してほしいと思うのだ。

 

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山本氏は諦めずに控訴するつもりだという。


年配の男性がカッとなって「著作権侵害だ!」と騒いだ結果、

負けてしまう事件は多い。

今回の事件も、そんなありふれた事例の一つとなってしまいそうだ。

 

今後もフツーの主張を繰り返すぐらいなら、

事件のことは綺麗さっぱり忘れて、

また新たな創作活動に励んだ方がいい。

著作権に執着しない方が健全だ。

そして、金魚ボックスを超える素晴らしい作品を

生み出してほしいと願う。

 

 

 JASRACの潜入調査

日本音楽著作権協会JASRACジャスラック)のニュースが話題だ。

 

JASRACヤマハ音楽教室等に著作権使用料を要求したが、

教室側は支払いを拒否。

裁判を通じてシロクロつけようという流れになっている。

 

そんな中で、JASRACの職員がヤマハ音楽教室に対して

❝潜入調査❞をおこなっていたことが判明したのだ。

身分をかくし「普通の主婦」のフリをして受講していたという。

 

JASRAC音楽教室に「潜入」2年 主婦を名乗り

https://www.asahi.com/articles/ASM756DFSM75UTIL041.html

 

世間には❝JASRACぎらい❞の人が多い。

「格好のネタ」に大喜びで飛びついた。

 

「なんて卑怯な奴らだ!ゲシュタポのスパイようだ!」

「子供たちが音楽に触れる純粋な場を汚した!」

「金のことしか考えていないのか!」

 

しかしJASRACの立場から考えると、

当たり前のことをやっているにすぎない。

 

 JASRACについては、以前の記事で簡単に解説したことがある。

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 JASRACとは、音楽を生み出す作詞・作曲家のために日々働いている

巨大集金組織だ。

1939年の設立以来80年の長きにわたり、

一貫して作詞・作曲家のために活動している。

 

想像してみてほしい。

昭和の初期、まだ日本人のほとんどが著作権なんて知らない時代。

 JASRACの職員は、音楽を演奏しているバーを見つけたら

乗り込んでいかなくてはいけない。

そして、胡散臭そうに自分を見ている店長に対して

「音楽には著作権というものがあります。

 使用料を支払ってください」

とお願いしなくてはいけない。

当然、すぐに払ってもらえるわけがない。

だから何度も説明し、何度もお願いする。

「わかった、わかった。

 よその店がぜーーーんぶ払ったら、最後にうちが払うから、

 それまで来るな!」

と追い払われることも多かった。

お金の代わりにゲンコツをもらって帰ってくる職員もいたという。

それでも彼らは諦めない。

それが彼らの使命だから。

作詞・作曲家が生み出した素晴らしい音楽。

その権利を正当に行使し、しかるべき対価を受け取る。

これこそJASRACの存在理由なのだ。

全国で音楽を使っているお店を一軒一軒まわって説得を続けるという

気の遠くなるような作業を地道に続けてきた。

悪質なお店に対しては「最終手段」として法的措置をとることもあった。

 

そんな彼らにとって「お店で音楽をどう使っているか」を

お客さんのフリをして調査するなんて、当たり前のことだ。

音楽は一度演奏がおわったら、形になって残らない。

正当な根拠にもとづいて支払いを要求するためには、

「たしかにお店で音楽が使われていた」という証拠がいるのだ。

 

もし私が作詞・作曲家だったとしたら、

JASRACは本当に頼もしい組織だ。

自分の代わりに「嫌われ役」を一手に引き受けてくれる。

手間のかかる業務を全国で真面目にコツコツとやってくれる。

世間から嫌われてもブレずに信念を貫く。

悪質な相手には敢然と立ち向かってくれる。

ときには相手の内部に入り込んででも。

 

昔から❝潜入調査❞は行われてきた。

今さら大騒ぎするような話ではない。

いたってフツーのことなのだ。

職員が身分をかくしたからといって

法的に問題になるような話でもないだろう。

 

JASRACの「潜入調査」は合法か?

https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20190708-00133309/

 

JASRAC「潜入調査」の歴史について

https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20190709-00133477/

 

というわけで、今回の❝潜入調査❞への批判はほとんど的外れなのだが、

JASRACぎらいの人は苦し紛れにこんな反論(のようなもの)を

することも多い。

 

「子供への教育目的なんだからお金をとるべきではない」

JASRAC内部でのお金の配分が不透明だ」

ブロックチェーンの技術があればJASRACなんか不要だ」

 

これらにも、軽く「再反論」をしておこう。

 

教育目的の場合に著作権が働くかどうかは、ルールの問題だ。

JASRACはルールに従って真面目にプレーしているに過ぎない。

サッカー選手に「オフサイドのルールがおかしい!」と文句を言っても

的外れなのと同じだ。

 

(一応ルールの方の話もしておくと、

 学校での授業で音楽が演奏されても、著作権料は発生しない。

 法律でそう決まっている。

 一方で、商業目的の事業で使われるなら著作権が働くケースが多い。

 そういうルールなのだ。

 今回の裁判は、そのルールに当てはまるかどうかを

 はっきりさせるために行われるものだ。

 (裁判を起こしたのは音楽教室側)

 最終的には裁判でJASRACが勝つ可能性の方が高い。

 過去の似たような事例でもJASRACが勝っている)

 

ルールがおかしいと思うのなら、

責めやすい相手を寄ってたかって叩いても仕方ない。

正々堂々と法改正を主張すべき問題なのだ。

 

JASRAC内部でのお金の配分が不透明だ!」という人も多いが、

外野が口をはさむような話ではない。

それはあくまでもJASRACという組織と作詞・作曲家のあいだの問題だ。

よその家庭内の家計やお小遣い制度について、

他人がとやかく言っても仕方ない。

口出しはやめよう。

 

ブロックチェーンの技術があればJASRACなんか不要だ!」

という声もたまに聞く。

これも、ほぼ的外れだ。

ブロックチェーンは非中央集権的なデータの記録方法なので、

❝集権的な❞JASRACのデータベースを置き換えれば

色んなことが解決するというイメージが湧くのは理解できる。

JASRACを信用しない一部の作詞・作曲家にとっては、

 自分の音楽の使用履歴や支払い計算の信頼性が高まるというメリットは

 あるのかもしれない)

でも、ブロックチェーンはSF小説のロボットではない。

人間の代わりに地方のバーに行って頑固な店長と

粘り強く交渉してくれたりはしない。

人間の代わりにゲンコツをもらってくれたりもしない。

ブロックチェーンを導入したとしても、

JASRACの職員の地道な活動は相変わらず必要なのだ。

 

新しいテクノロジーに対して

楽しく夢物語を空想するのは悪いことではないが、

勝手に膨らんだ妄想を他人への攻撃材料に使うのはやめよう。

 

 

というわけで、私自身はJASRACの敵でも味方でもないが、

的外れな批判に対して普通に反論してみた結果、

JASRACを擁護することになった。

 

今後も何かにつけて

JASRAC関連のニュースや批判を耳にする機会があるだろう。

発言者が感情的に「嫌い!」と言っているだけなのか?

それとも、冷静に正しく主張をしているのか?

慎重に判断してほしい。

 


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「KIMONO(キモノ)」ブランドが炎上した本当の理由

「KIMONO(キモノ)」の炎上

アメリカのセレブであるキム・カーダシアン氏が

補正下着の新ブランドを立ち上げた。

ブランド名は「KIMONO(キモノ)」だ。

 

彼女が商標登録出願をしたところ、炎上した。

「KIMONOは日本の伝統衣装であって下着ではない!」

「文化の盗用だ!」

といった声がSNS上にあふれた。

❝着物文化の中心地❞である京都の市長までもが「考え直すように!」と

メッセージを送ったという。

 

●キム・カーダシアンが立ち上げた下着ブランド「キモノ」が"文化の盗用"と物議、商標出願に懸念も

https://www.fashionsnap.com/article/2019-06-26/kim-kimono/

 

キム氏は当初は「ブランド名を変更する予定はない」と表明していたが、

炎上の拡大をうけ、最終的には諦めた。

別のブランド名にすると発表している。

 

●「KIMONO」撤回?キム・カーダシアンが新名称でブランド展開へ

https://www.fashionsnap.com/article/2019-07-02/kim-under-a-new-name/

 

ネット上では

「最初から撤回するつもりで出願したんだろう。

 炎上商法だ!」

といった声も聞かれた。

しかし新ブランド名を即座に発表しなかったところを見ると、

彼女がそこまでズル賢く立ち回ったとは考えにくい。

本気で「KIMONO」を使いたかったのだろう。

 

炎上の理由

なぜ炎上してしまったのか?

 

最大の理由は、

アメリカで「文化の盗用だ!」と言って大騒ぎすることが

一種のブームになってしまっているからだ。

アメリカの金持ち白人が黒人発祥のデザイン、ファッション、音楽等を

取り入れた表現活動やビジネス展開をした場合等に

最近になってよく使われるようになった言葉なのだ。

「KIMONO」も、たまたまこのブームに乗っけられてしまっただけ。

というのが、今回の騒動の真相だ。

 

「文化の盗用」が流行り言葉でなかったときには、

フランスのセレブ、アラン・ドロンが香水のブランド名として

「サムライ」とネーミングしても、全く騒ぎにならなかった。

(むしろ喜んだ日本人の方が多かったのでは??)

❝サムライ文化の中心地(?)❞である鎌倉の市長も、

何のメッセージも発していない。

 

●サムライ公式サイト

https://sprjapan.com/samourai/

 

炎上してしまった他の理由としては、

・商標出願によって「KIMONO」という言葉を

 独り占めしようとしたこと。

・下着というものが、

 「性的で恥ずかしいもの」というイメージを持つ人も多いこと。

 (「日本の伝統文化をそんな恥ずかしいものに使うなんて

   ケシカラン!!」)

等が挙げられるだろう。

 

上記のような理由が、今回の炎上の原因と言える。

しかし、そんな表面的なことではなく、

もっと根源的な理由があるのでは?

人間の脳の仕組みに関わる話なのでは?

というのが、今日のテーマだ。

 

「文化の盗用」について

炎上の根本原因について追及する前に、

「文化の盗用」についてコメントしておこう。

 

もしあなたが「文化の盗用だ!」と誰かを糾弾したくなったとしても、

いったん深呼吸をして落ち着いた方がいい。

だって、あなたも文化の盗用をしているからだ。

あなたが今朝飲んだ紅茶(日本製)はイギリス文化の盗用だし、

あなたが着ているTシャツ(日本製)はアメリカ文化の盗用だし、

あなたが使っている漢字は中国文化の盗用だし、

「文化の盗用だ!」と騒ぐ行為自体がアメリカの一部の人々の文化の盗用だ。

 

大昔に日本が漢字をたくさん輸入して日本語を作り上げていったことは、

以前解説したとおりだ。

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しかし、中国人も日本語から漢字を大量に逆輸入している。

二十世紀はじめ頃の話だ。

中国(当時は清帝国)の偉い役人が部下の書いた文書を読んでいたが、

急に怒り出した。

「「健康」という言葉を使っているが、「健康」は日本の名詞だぞ!」

文書をベリベリと破り捨ててしまう。

しかし部下は少しも慌てずこう言った。

「「名詞」も日本の名詞です」

 

誰もが文化を盗用し合って生きている。

 

人類は大昔からそうしてきた。

となりの集落の農作業のコツをマネし、

となりの村のお祭りの作法をマネし、

となりの国の武器の製造技術をマネし、

マネしマネされながら、現代までたどりついている。

 

他の国、他の人種、他の民族とのあいだに経済的な不平等を感じたり

自分の民族の尊厳が侵されている気がしたりしていて、

そこに不満があるのなら、

流行り言葉に乗っかるだけでは解決しない。

原因を冷静に分析した上で、

あらためて公正なルール作りをするしかないのだ。

(これも大事な論点だが、

 「文化」という切り口では多分解決できない)


「文化の盗用だ!」と軽々しく言わない方が身のためだ。

 

『言葉をおぼえるしくみ』

話を戻そう。

なぜ「KIMONO」が炎上してしまったのか?

 

参考になる本がある。

『言葉をおぼえるしくみ』。

 

 

 認知科学や心理学などの専門家である著者が、

「人間はどういうプロセスで言葉を学習していくのか」について

研究した本だ。

たくさんの子供に聞いたことのない言葉を聞かせ

その反応を観察するなど、地道な調査に基づいて書かれている。

 

 この本の中で「ガヴァガーイ問題」というものが紹介されている。

 

もし言語学者が初めて探検する土地で現地の人に出会ったとする。

その現地人は今まで聞いたことも無いような言語をしゃべっている。

その人がウサギを指さして「ガヴァガーイ」と言う。

さあ、この「ガヴァガーイ」とはどんな意味なんだろうか?

「ウサギ」という意味か?

「白い」とか「フワフワしている」という意味か?

「耳が長い」と言いたいのか?

「飛び跳ねている」と言いたいのか?

その人が名付けたウサギのニックネームなのかもしれないし、

もっと抽象的な「ウサギ的なもの」という概念かもしれない。

言語学者は、どうやって「ガヴァガーイ」の意味が分かるのか?

どうにも分からないのではないか?

 

そんな哲学的な問いかけだ。

 

ところが、大人にも答えられないような難問に

人間の赤ちゃんは日々取り組んでいる。

周囲の大人から色んな言葉を聞きとりながら、

少しずつ言葉の意味を理解していっている。

母親から「ほら、イヌよ」と言われたとき、

赤ちゃんの脳の中では何が起こっているのだろうか?

 

この本の見解は以下の通りだ。

 

・人間の脳には最初から一定のクセが組み込まれている。

・新しい言葉に出会ったときに、

 まずはそれを(動詞でも形容詞でもなく)名詞だと考える。

・名詞の中でも(「マサル」のような)固有名詞ではなく

 一般名詞だと考える。

・一般名詞の中でも❝程よい❞広さの意味をもつ名詞だと考える。

 (つまり「動物」でも「秋田犬」でもなく、「イヌ」だと捉える)

 

つまり、人間は初めて聞く言葉に対して、

ある程度の「決め打ち」をしているのだ。

「きっと中ぐらいの抽象度の名詞に違いない」と。

 

しかし「決め打ち」が外れることもある。

初めて見る四角形の小型電子製品を見せられて

「これは「アイフォン」です」と言われた人間は、

まずはこう考える。

「こういう形をした電子製品のことは全て「アイフォン」と言うのだな」

しかし同じような形の製品を「ギャラクシー」とか

「ファーウェイ」とか言っている人がいることに気付く。

そのときにこう考える。

「「アイフォン」というのは、このブランドの固有名詞だったんだ」

 

つまり「スマートフォン」と覚えるべきだった一般名詞への

決め打ちが外れたので、次に固有名詞への可能性を探ることになったのだ。

 

・人間の脳は「一般名詞ではない」と分かった時点で、

 「固有名詞ではないか?」という可能性を考え始める。

 

こんなことが『言葉をおぼえるしくみ』には書かれている。

人間は「決め打ち」することによって

「ガヴァガーイとはどういう意味か?」などと悩むことなく、

効率的に言葉を覚えていっているのだ。

 

一般名詞への引力

人間の脳は、言葉を覚えるときに「一般名詞だ」と理解する傾向がある。

 

それを証明する実例は多い。

 

「ホッチキス」は伊藤喜商店が販売した商品のブランド名、

つまり固有名詞だ。

しかし、似たような商品が世の中に存在しなかったせいで

人々はこれを一般名詞だと勘違いした。

(本当の一般名詞は「ステープラー」)

今でも日本人は「ホッチキス」を一般名詞として使っている。

 

「ラジコン」は増田屋コーポレーションの固有の商標だが、

一般名詞として使われているし、

「宅急便」はヤマト運輸のオリジナルのサービス名だが、

他社のサービスのことも「宅急便」という人は多い。

 

新しい物事に対して、新しい言葉を与えられたとき、

我々はそれを「一般名詞だ」と思ってしまうのだ。

(お金をかけて商標登録をしたのに、

 その言葉が一般名詞化してしまうという事態は

 多くの商標担当者にとって悩みのタネだ。

 その言葉が広まったということで嬉しい反面、

 独自ブランドとして差別化しづらくなってしまう。

 これについては別の機会に書きたい)

 

そして、ここから先は私の仮説だ。

「一般名詞として捉えてしまいがち」な人間の脳のクセは、

言葉を覚えた後も続くのではないだろうか。

いったんは「これは固有名詞だ」と覚えてしまったとしても、

ついつい一般名詞としての理解に引き寄せられてしまうのではないか。

 

言葉は「一般名詞への引力」に引っ張られ続けている。

 

これも実例は多い。

 

「フーバー」は掃除機のブランド名として認識されていたが、

広く使われているうちに「掃除機」を意味する一般名詞になってしまった。

ニンテンドー」は固有名詞として理解されていたはずなのに

海外ではゲーム機一般を指す言葉として使われた。

 

10年ほど前は、「キムタク」は一般名詞「イケメン」の意味で

使われることも多かった。

(使用例:「お前はキムタクじゃないんだから、

      もっと積極的に女性にアタックしなきゃ!」)

 

サラリーマン同士が飲みながらグチをこぼすときはこう言う。

「お互い大変だよね。どの部署にもキムジョンイルはいるもんだ」

この場合、固有名詞だったものが「独裁者」という一般名詞になっている。

 

突き詰めて考えると、ほとんど全ての一般名詞は、

元をただせば固有名詞だったのかもしれない。

我々の先祖が水の流れを指さして「カワ」と言っていたとき、

それは「この村で流れている俺たちの固有の川」という意味だったろう。

しかし彼らの活動範囲が広がり視野が広がっていくうちに、

他の地域にも同じような水の流れがあることに気付く。

それのことも「カワ」と呼ぶようになる。

固有名詞だった「カワ」が、いつしか一般名詞になっていくのだ。

 

「固有名詞」から「一般名詞」への引力は強い。

 

逆の力は?

逆方向の流れはないのだろうか?

一般名詞だったものが、固有名詞になってしまったようなものは?

 

私が考える限りでは、思いつかない。

 

うなぎパイ」はお菓子の商品名で固有名詞だが、

この商品のことを「うなぎ」と呼ぶ人はいない。

「ひよ子饅頭」のことを「ひよ子」と呼ぶ人はいるかもしれないが、

ある特定の会話の流れや文脈がある場合に限って通じる話だ。

英語で「the Car」と言ったときに、

「あの素晴らしい〇〇年製のフェラーリ」と言った意味に

なることもあるだろうし、

日本人が「山」というときに自動的に「富士山」を指すことも

あるかもしれないが、どれも限定的な事例だろう。

 

 「固有名詞」→「一般名詞」の流れはあるが、

その逆は無い。

(もし何かあれば、教えてほしい)

 (→追記:「GAP」や「Apple」は英語という言語の中で

      固有名詞として受け入れられてますね!)

 

我々の脳の中で働く引力は、

固有名詞から一般名詞へのほとんど一方通行で働いている。

 

再び「KIMONO」

ここまで考察したところで、「KIMONO」の話題に戻ろう。

 

「kimono」は、一般名詞だ。

「和服」を表す言葉として既に世界的に定着している。

karaoke(カラオケ)」や「kiosk(キオスク)」と同様だ。

 

キム・カーダシアン氏は

人々の頭の中に「一般名詞」としてインプットされている言葉を

自身のブランドの固有名詞として使おうとした。

つまり、「一般名詞」→「固有名詞」の方向だ。

これは人間の脳内で働く引力とは逆方向だ。

我々の頭の中で非常に大きな抵抗、ストレスが生じてしまう。

簡単にいうと「イラッ」とくる。

 

もし「うなぎパイ」の商品名が、単に「うなぎ」だったら。

我々の脳の中で面倒な作業が発生する。

いったんは「黒くてヌルヌルした魚」という意味で理解していた言葉を

もう一度脳内の記憶の倉庫の中から引っ張り出し、

あらたな棚に入れて整理し直さないといけない。

しかも、強く働いている引力に逆らいながら。

とてもイラッとくる。

 

これと同じことが、「kimono」という言葉で起こったのだ。

「kimono」をブランド名として覚えるためには、

せっかく覚えた言葉の棚卸しが必要になってしまった。

一般名詞から固有名詞の棚に移し替える。

これは人間の本能に反する。

イラッ。

 

それだけではない。

さらに悪いことに、移動させる「棚」が紛らわしかった。

「うなぎ」と「パイ」なら全然カテゴリーが違うものだ。

紛らわしくはない。

でも「下着」と「kimono」は、どちらも人間が身に着けるものだ。

意味が近いぶん、紛らわしい。

「え?着物なのに下着?どういうこと?」

となる。

(ソースのメーカーの広報担当者が、

 とんかつソースの新商品を発売するときに

 「商品名は「醤油」です。ヒネリが効いてて良い名前でしょ?」

 と得意げに言った場合のことを想像してほしい)

 

イラッ。イラッ。

 

せっかく覚えた言葉を棚卸しするのは面倒くさい。

イライラする。

こんなにイラつかされるのは、誰のせいだ!?

キム・カーダシアンのせいだ!

とっちめてやりたい!

何かいい口実はないか?

そうだ!「文化の盗用」という流行語がある!

これを使おう!

 

多くの人の頭の中で、無意識のうちにこのような思考が働いた。

そして炎上が巻き起こったのだ。

 

これが今回の騒動の根源的な原因ではないだろうか。

 

最後に

今回の事件と似たような事例は多いのか?

一般化できる理論なのか?

その部分は未検討だ。

 

私はキム氏のブランド名が「文化の盗用」にあたり、

非難されるべきだとは全く思わない。

一定のルール内で自由にネーミングすれば良いと思う。

 

しかし法律やモラル上のルール以外に、

我々も気づいていない裏ルールがあるのだ。

それが、知らないうちに組み込まれている「脳のクセ」だ。

これに逆らわない名前を付ける方が、

愛される名前になる可能性が高い。

ネーミングのセンスや商標登録に関する正しい判断方法については、

今後も研究テーマとしたい。

 

 

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オシムの言葉とナシームの言葉

オシムの言葉

オシムの言葉』は

ノンフィクション・ライターの木村元彦氏の書いた本だ。

 

 

世界的なサッカー指導者であるイビツァ・オシム氏の

「名言」を中心に据えながら、

・サッカー界における偉大な業績

・多くの選手に愛される人柄

・祖国ユーゴスラビアの崩壊による苦悩

脳梗塞からの奇跡の復活

などを丁寧に描いている。

  

オシム氏は日本でも

ジェフユナイテッド市原や日本代表の監督を務めていた超有名人だし、

この本も話題になっていたので、あなたも読んでいるかもしれない。

 

彼の言葉には、不思議な魅力がある。

本の中で紹介されているものをいくつか挙げよう。

 

「今のジェフは上位にいけるチームではないし、それを把握しながら戦っていくことが大事だ。本当に強いチームというのは、夢を見るのではなく、できることをやるものだ」

 

「サッカーとは危険を冒さないといけないスポーツ。それがなければ例えば塩とコショウのないスープになってしまう」

 

レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は、選手に『走って、走って、走れ』と言っている」

 

「皆さんも新聞を読む時に行と行との間、書かれていない部分を読もうとするでしょう?サッカーのゲームもそのような気持ちで見て欲しい」

 

「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか?要は準備が足らないのです」

 

どの言葉も聞いた瞬間に

「あ、なんか凄く深いことを言っている」

という気持ちになる。

でも、あらためて一つ一つの言葉を眺めてみると、

そんなに目新しいことや特別なことを言っているわけではない。

それでも、何だか心に残る。

その言葉の奥にある本当の意図や、

言葉を生み出した彼の人生観までも知りたくなる。

 

オシムの言葉は、深そうで、浅そうで、すごく深い。

 

ブラック・スワン

オシムの言葉』を読んだとき、不思議な感覚にとらわれた。

「あ、なんか、こういう言葉を発する人、

 もう一人知っている気がする・・」

 

 記憶をたどったところ、一冊の本が思い当たった。

それがこの本だ。

ブラック・スワン ー 不確実性とリスクの本質』

 

 

 

著者はレバノン出身のナシーム・ニコラス・タレブ氏。

金融トレーダー、エッセイスト、研究者など多彩な顔を持つ人物だ。

 

この本の内容を一言で説明するのは難しい。

金融理論や統計学の常識を批判し、

人間の脳が持つ厄介なクセを解説し、

哲学的な命題も取り扱う。

ジャンル分けが不可能な本になっている。

(本屋さんがどの棚に置けばいいか困る!)

 

メインテーマは「黒い白鳥」だ。

想定外の出来事で、とても大きな衝撃があり、

それなのに後付けの説明ならできてしまうもの。

(例:9.11のテロ。市場の大暴落など)

著者はこれを黒い白鳥と呼ぶ。

 

世界が複雑に結びつき始めた現代。

黒い白鳥はより頻繁に現れるようになり、

その影響はより大きくなっている。

我々はどのように黒い白鳥と付き合い、生きていけば良いのか?

その考え方を説いている。

 

金融商品などに投資している人には特に参考になる。

(お世話になりました。)

投資に興味がない人にもお勧めだ。

一読しただけでは何が言いたいのか分かりにくいが、

読み進めるうちに少しずつ世界の見え方が変化していく。

ナシーム氏のいう「果ての国」(まぐれが支配する世界)へと、

誘われていく。

自分の考えが浅はかだったことを思い知らされる。

数年おきに読んでみたくなる本だ。

 

ナシームの言葉

ブラック・スワン』の著者・ナシーム氏の文章をいくつか挙げてみよう。

 

「フランス人は歴史からよく学ぶ人たちだ。ただ、おうむ返しに学びすぎる。彼らは現実的すぎて、同時に、自分たちの身の安全ばかりを気にしているのである。

 私たちは、私たちは学ばないということを私たちは学ばないということ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・を自然とは学ばない。」

 

「友だちの性格や道徳観や品格を知りたかったら、見ないといけないのはその人が厳しい環境でどうするかであって、ばら色の光に包まれた普通の日常生活でどうするかではない。犯罪者の危なさを見極めようというとき、普通の・・・日にその人がどうしているか調べてすむものだろうか?」

 

「今度火星人が地球にやってきたら、母親の腹の中にいる子どもを堕ろすのは賛成なのに死刑には反対する人がいるのはどうしてか説明してみればいい。中絶を認める人が高い税金には賛成し、軍備の拡大には反対するのはなぜか、でもいい。フリー・セックスが大好きな人が、どうして個人の経済活動の自由には反対するんだろう?」

 

「私たちは、後ろを振り返るときには優れた性能を発揮する機械だ。人間は自分をだますのがとてもうまい。」

 

どの言葉も、なんか、深いこと言っている気がする。

でも、言っていることの一つ一つは、そんなに凄くもない。

それでも、心にひっかる。残る。

その思考の奥をのぞいてみたくなる。

 

オシムの言葉とナシームの言葉は、似ている。

言葉から感じられる肌ざわりが非常に近い。

 

この感覚を共有してもらえると嬉しい。

 

共通点

なぜ二人の言葉は似ているんだろう?

 

オシムとナシーム。

その共通点は多い。

 

2人とも数学が得意だ。

高度な数式を駆使するトレーダーのナシームが数学に強いのは当然だが、

オシムも負けてはいない。

大学では数学を専攻しており、

なろうと思えば数学の教授になることもできた。

彼らはサッカー、金融、それぞれの分野で

緻密に数字で練り上げた戦略を駆使することで成果を上げてきた。

 

2人は型にはまった思考を嫌う。

オシムは「4-4-2」や「3-5-2」など、

選手の配置を決めるシステム論について語ることを嫌がる。

「選手の個性を活かすシステムでなければ意味がない」と言い切る。

状況に応じた戦術を自在に繰り出した上で、

選手が自分の頭で考えたプレーをすることを求める。

ナシームも金融アナリストが偉そうに語る誰かの受け売りの解説や、

ノーベル賞を受賞した経済理論に頼ることを嫌悪する。

独学でオリジナルの研究をすることの素晴らしさを訴える。

 

2人はお金に執着しない。

オシムはヨーロッパの名だたるビッグクラブから

監督就任へのオファーを受けているが、全て断っている。

そして、ギャラの安いクラブの育成に力を入れる。

ナシームは市場の大暴落を狙った戦略を的中させ、

業界の有名人になった。

その知名度を利用してさらに稼ぐこともできたはずだが、

トレーディングよりも自身の研究に力を入れることを選んでいる。

 

他にも共通点はたくさんある。

 

2人ともリスクを取ることを恐れない。

オシムの戦術や生き様、ナシームの研究対象そのもの。)

2人ともユーモアが好きだ。

(笑いを誘う言葉の数々については、本を読んで確かめてほしい。)

2人ともユーモアの裏側に熱い気持ちを隠している。

(これも、本を読めばわかる!)

 

内戦

多くの共通点があるが、やはり一番大きいのは、

それぞれの祖国が凄惨な内戦に突入し、苦しんだ経験を持つことだろう。

 

オシムが生まれ育った国・ユーゴスラビアは、

5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つと歌われた

モザイク国家だ。(実際には、もっと複雑)

オシムが若い時には、

セルビアの人もクロアチアの人もムスリムの人も、

みんなが仲良くお互いを尊重して暮らしていた。

違いを意識せず入り混じって生きていた。

当然、ユーゴスラビアのサッカー代表チームにも、

さまざまな民族、地域から優れた選手が集められていた。

 

しかし政治的な緊張が高まり、

それぞれの地域やグループが対立しあうようになっていく。

そして、殺し合いになった。

昨日までの友人同士が銃を向け合うようになった。

爆撃、難民、虐殺・・・・多くの悲劇を生みながら、

国家は解体され、崩壊した。

 

紛争が勃発したまさにその時に代表チームを率いていたオシムは、

国内の憎しみの連鎖の影響をモロに受けた。

民族対立をあおるマスコミは

「わが民族出身の〇〇を出場させるべきだ!」

と書き立てる。

そんな記者に対してヘタに選手の評価を語るわけないはいかない。

自分の発言かきっかけになって、どんな暴動が起きるか分からない。

政治的に大きな圧力がかかる中でも、

彼は純粋にサッカーに勝つためだけに選手の起用を決断しつづけた。

それでも選手たちは、

それぞれのやむにやまれぬ事情でチームを去っていく・・。

 

こんな経験をしたオシムだからこそ、

自分の発する言葉に慎重になったのだろう。

本人もそう言っている。

「今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ」

「だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ」

 

 

一方のナシームは若いころに内戦を経験している。

レバノンは多くの文化と宗教が複雑に入り乱れていたが、

平和に共存し、繁栄していた。

お互いに礼儀正しく寛容に暮らしていた。

しかし、キリスト教徒とイスラム教徒が激しい殺し合いを始めた。

そこへパレスティナ難民も加わった。

笑顔にあふれる天国が、血みどろの地獄に変わった。

内戦は15年つづいた。

 

ティーンエイジャーのときに友人の葬式に何度も出席した

ナシーム自身は自分の体験について多くを語らない。

しかし、言葉で表現することが出来ないような思いを抱えて

毎日を過ごしていたはずだ。

彼の思想や言葉に大きな影響を与えているのは間違いない。

 

 

隣人同士が殺し合う。

その様子を目の前でみてきたからこそ、

自分の発する言葉の影響を考える。

身の回りの大切な人、直接は知らないけど守りたい人、

彼らに悪い影響はないか?

優しい彼らは

言いたいことをズバリとそのままは言えない。

しかし言うべきことは絶対にある。

真実に近いことを例え話やユーモアを使って伝える。

こんな風にして、彼らの言葉は紡ぎ出されているのだ。

 

2人のお叱り

内戦を経験したから、2人の言葉には同じような深みがある。

私はそう考えているが、

そんな短絡的なことを言うと彼らから叱られそうだ。

 

ナシームからはこう言われるだろう。

「君の目には、

 内戦を経験したのに深みのないことを言う人の姿が見えないらしい。

 多くの人間は単純化した理屈を信じたがるが、

 現実の世界はもっと複雑だ。

 君みたいな奴のシャツの中にネズミを放り込んでやりたい!」

 

オシムからは静かに諭されるだろう。

「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが・・・。

 ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言った方がいいだろう。

 そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。

 そういう戦争が・・・」

 (実際のオシムの言葉

 

 

オシムの言葉を聞くとき、ナシームの本を読むとき、

彼らの心の声が聞こえてくる。

 

「考えろ!考えろ!

 表面的な理解に満足するな!

 安易な単純化に飛びつくな!

 もっと考えろ!」

 

彼らはいつもそう言っている。

 

関連本

オシムの言葉』は、

木村氏が書いた「ユーゴサッカー3部作」の3作目だ。

気になった人は、1作目から順に読んでいっても良いかもしれない。

 

1作目は『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』。

ファンタジスタストイコビッチを中心にした一冊だ。

 

 

 

そして2作目は『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』。

ユーゴスラビアのサッカー界全体と内戦の状況を、

木村氏が自分の足を使いまくって取材した力作だ。

情報量が多いので、まずは1作目の方を読んでからの方が理解しやすい。

 

 

 

投資が好きな人には、このあたりの本が定番だろう。

これらを読んだうえで、あらためて『ブラック・スワン』を読むと、

その際立ったユニークさが更に理解できる。

 

 

 

 夏は日陰で涼みながら、たっぷりと読書を楽しもう!

 


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