マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

人口知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(5)

 

今回の連載では、AIを入口にして

色んな方向へ考えを進めてきた。

 

・作家やアーティストは、AIに仕事を奪われるのか?

・AIの活躍する時代に、コンテンツの長さはどうあるべきか?

・そもそも著作物とは何か?

 

今日は、これらの話題の中で掘り下げられなかったテーマや

関連する小ネタをとりあげようと思う。

 

AIが作曲

・AIが活躍しやすい分野は、作曲。

・AIの生成した音楽を人間の作曲家が活用できる。

 

連載の中で、私は上記のようなことを予想していた。

すると、6日前に本当にそんな内容の記事が出てきた。

 

●【音楽の未来】AIとのコラボで生まれる創造性に満ちた音楽の世界

https://newspicks.com/news/3664960/body/

 

タリン・サザンというアーティストが、

世界で初めてAIで作曲・編曲されたアルバムをリリースしたそうだ。

記事によれば、

AIが作った作品をサザン氏がアレンジ・編集し、

まとまりのある曲に仕上げたという。

 

やはり、音楽の「部品」を提供するという役割なら、

AIが活躍することは十分に出来るようだ。

今後も、サザン氏に続くクリエイターは増えるに違いない。

 

でも、このテのニュースを目にする機会は少しずつ減っていくだろう。

AIが使われなくなるからではない。

その逆だ。

AIが使われることが珍しくなくなっていき、

ニュースとしての価値を失うからだ。

 

本当はAIに頼っていても、そのことを隠すクリエイターもいるだろう。

「全てを自分の頭から生み出すこと」と、

「AIを自在に操って効率的に作品を生み出すこと」のあいだに

価値の差があるのか?

といった議論も起きるかもしれない。

 

(食品の世界では似たような議論が既にある。

 物質としては全く同じものでも、

 「天然由来成分」と「化学的に合成された成分」には、

 違いがあると主張する人も多いし、

 「天然由来」を売りにした商品、それを欲しがる消費者も多い。)

 

AI作曲については、今後も注目していこう。

 

 音楽の長さと著作権

「どのくらいの長さの文章なら著作権が発生するのか?」については、

連載の中で詳しく解説した。

 

では、文章ではなく音楽なら?

メロディが何秒以上なら著作物といえるのだろうか?

 

「4小節までなら大丈夫(つまり、著作権は無い)」

といった「常識」を、昔はよく聞いた。

もちろん、これは俗説にすぎない。

4小節以内の音楽でも著作権がある可能性は高い。

 

RPGゲームの傑作『ドラゴンクエスト』の音楽で有名な

すぎやまこういち氏は、

あの、レベルアップの曲(♪パカパカパンパンパ~ン♪)にも

著作権が発生すると主張している。

 

●やさしい著作権のお話~すぎやまこういちを囲む会にて~

http://sugimania.com/says/backnumber1.html

 

しかし、ここまで短い曲の場合、

裁判になってみないと確かな結論は出せないだろう。

 

「著作物かどうか?」の判断基準は文章の場合と全く同じだ。

 

「思想又は感情」

「創作的」

「表現したもの」

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

この4つで判断するしかない。

 

そして「結局のところ、明確に判断できる基準はない」というのも、

文章と同じだ。

 

「自分の作った曲の一部のパーツが、人の曲の一部と似てしまっている!」

「世の中の全ての曲の短い「部分」までチェックするのは不可能!」

と心配になる作曲家がいるかもしれないが、

必要以上に怖がらなくても良いと思う。

 

「記念樹事件」という有名な裁判がある。

大物作曲家の小林亜星氏が、これまた大物作曲家の服部克久氏を

「パクリだ!」と言って訴えた事件だ。

 

●「音楽著作権侵害の判断手法について -『パクリ』と『侵害』の微妙な関係」

https://www.kottolaw.com/column/000051.html

 

この裁判では、

「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」とか、

「メロディーの音の72パーセントが同じ高さの音」のように、

「曲全体」を比べながら争った結果、小林氏がギリギリで勝利した。

 

曲のごく短い部分がたまたま似ている。という程度で、

著作権侵害になってしまう可能性は低いだろう。

(もちろん、意図的に部分的なパクリをやるのはダメ)

 

マンガで名作を読む

連載の中で、

「短いコンテンツが好まれるようになっている。

 有名な文学作品もマンガ等で短時間で読めるようになった」

という状況を紹介した。

 

記事の文脈の中では、少し否定的なニュアンスで書いたが、

私は文学をマンガで読むのも「全然アリ!」だと思う。


「名作の良さは文章じゃないと伝わらないよ」という人もいるが、

そういう人だって海外の有名作品は

日本語(もしくは英語)への翻訳作品で読んでいるはずだ。

作品をダイレクトに楽しんでいるわけではなく、

翻訳家のフィルターを通して味わっていることになる。

マンガという表現も、そうしたフィルターの一種だ。

マンガ家の理解を通じて文学作品の世界に飛び込んでみるのも、

アリだと思う。

 

以前の記事で書いたとおり、

文化というものは先人の作品に手を加え新しい作品を生み出し、

さらに次の世代の人が手を加えることを繰り返して発展してきた。

 

www.money-copyright-love.com

 

文学作品をマンガにすることも、文化の発展のプロセスの一部だ。

文学、マンガ、映画・・・色んなスタイルで自由に楽しめばいい。

マンガを読んで興味が湧いたら、

その元になった文学作品に挑戦してみるのも良いだろう。

それぞれの作品の違いを発見するのも楽しい。

 

 

ちなみに、有名作品をマンガにした『まんがで読破』というシリーズが

あるのをご存知だろうか?

 

このシリーズの一部が、

アマゾンのKindleで、なんと1冊10円でセールされている!

 

いつまでセール価格になっているかは分からないが、

「いつかは読みたかったあの名作」を手っ取り早く読破する良い機会だ。

気になっていた作品がないか、チェックしてみよう。

 

 

 

私にも、学生時代から何度か挑戦し、

結局は難しすぎて最後まで読めなかった本が何冊かある。

そのうちの1冊がカントの『純粋理性批判』だ。

今回のセールのおかげで、たったの30分、たったの10円で、

長年の夢がかなってしまった!

ありがとう!アマゾン!

 

 

 

 

 

「意味」の意味

今回の連載では、繰り返し以下のように主張した。

 

「AIは意味を理解しない。

 人間は作品に意味を込めるべきだ」

「意味のある作品を生み出していれば、大丈夫です!」

 

ところが、偉そうに言っていた筆者に対して

「意味って何?」という、鋭すぎる質問が飛んできた。

 

「意味」の意味とは?

 

めちゃくちゃ難しい!

哲学者なら、それだけで1冊の本が書ける。

神学者なら「神の意図です」と一言で答えてしまうかもしれない)

 

意味とは何か?は難問だが、

「人は何に対して「意味がある」と感じるのか?」

という視点でなら考えることが出来そうだ。

 

私の考える「意味」とは「物語」だ。

 

そして、「物語」とは「人の感情を動かす因果関係」のことだ。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントです。」

これは物語ではない。

ただのデータだ。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントです。

 この確率に従って、100万人の中から田中さんが当選しました。」

ここには因果関係があるが、感情が動かない。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントしかありません。

 田中さんは、当選を願って毎朝神社にお参りしました。

 すると、100万人の中から田中さんが当選しました。」

こうなってくると、感情が少し動く。

物語になってくる。

「意味」のある話のような気がしてくる。

 

AIには、神社と宝くじの因果関係を理解することは出来ないだろう。

だって、理論的には因果関係なんてあるはずが無いから。

でも、人間は「神社に行ったから宝くじが当たった」と感じてしまう。

 

素晴らしい文学、音楽、映画には、全て「物語」がある。

 

人間は、独自の感性で原因と結果のつながりを感じ取り、

それによって感情が動かされたときに、

「物語」を感じる。

「意味がある」と感じるのではないか・・?

 

今のところ、私に言えるのはこれぐらいだ。

 

ついつい因果関係を考えてしまう人間の特徴。

感情が動くものに価値があると感じてしまう人間の性質。

このあたりに、「意味」というものの本質が隠れている気がする。

 

最後に

今回の連載は、人工知能をテーマにしておきながら、

気が付けば「人間とは?」ということばかりを考えていた。

 

・人間は意味が理解できる。

・人間は意味を求める。

・人間にとって大切な文化・芸術とは。

 

AIという比較対象に照らし出されることで、

人間というものの姿がよりはっきりと見えてくる

 

江戸時代に日本で暮らしていた人々が、

幕末に外国人と接触することではじめて

「日本人とは?」と考え始めたようなものだ。

 

AIの出現によって、

我々はやっと「人間とは?」を考えるスタート地点に立ったのかもしれない。

 

人口知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(4)

AIは、短い作品なら作り出すことができる。

 

では、短い作品に著作権は発生するのだろうか?

どの程度の長さから著作権は生まれるのか?

AIが作った作品に著作権はあるのか?

 

こうした疑問に答えたい。

 

今回は、これまでで一番「お勉強チック」な記事になるが、

著作権の神髄」に最も近づくことができる回になるだろう。

 

クイズ

以下の文のうち、「著作物」といえるもの。

つまり、著作権が発生しているものはどれだろう?

 

① 世界の人口は70億人以上です。

 

② 女性が差別されているのを見ると悲しくなる。

  人間は性別によって差別されるべきではありません。

 

③ 8日の日経平均先物は3日続落した。3月物は前日比235円安の2万0305円で終え、大阪取引所の終値を15円上回った。米中貿易協議の難航見通しや、欧州景気の減速懸念を背景に売りが進んだ。米株式相場が下げ幅を広げる場面で、3月物は一時2万0160円まで売られた。取引終了にかけては米株式相場が下げ渋り日経平均先物にも買いが入った。3月物の高値は2万0535円だった。

日本経済新聞の記事)

 

④ 咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや

(20世紀を代表する俳人中村汀女の俳句)

 

⑤ 咳をしても一人

(自由律俳句の俳人・尾崎放哉の俳句)

 

⑥ ボク安心 ままの膝より チャイルドシート

交通安全のスローガン

 

⑦ 朝めざましに驚くばかり

(古文の単語を記憶するための語呂合わせ)

 

⑧ 音楽を聞くように英語を聞き流すだけ 英語がどんどん好きになる

(英会話教材のキャッチフレーズ)

 

⑨ 鈴懸(すずかけ)の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの

AKB48の歌のタイトル)

 

⑩ にこにこうぱうぱブルーベリー

(AIが作った歌詞) 

 

どうだろう?

答えられるだろうか?

 

著作物か?

著作物ではないか?

1つずつ正解を確認していこう。

 

「著作物」とは

著作権をテーマにしたブログを開始して半年。

ついにこの時が来てしまった。

著作権の基礎中の基礎、「著作物」とは何か?

について語る時が・・。

 

先に結論から言ってしまうと、

著作物かどうか?の判断基準について、

いまだに誰もはっきりした結論にたどり着いていない。

裁判で結果が出ているもの以外では

「この作品は著作物である」と、

断言できる人はいないのだ。

 

そんな無茶な話ってあるか!?

みんな著作権があるということを前提に、

権利にお金を払ったり、ビジネスを成立させたりしてるんじゃないのか?

その前提がアヤフヤなら、全てがひっくり返っちゃうじゃないか!?

と言いたくなる話だが、それが現実だ。

 

そんな状況の中でも、

我々は法律や裁判所の言っていることをヒントにしながら、

個々の作品について「著作物かどうか?」を判断していくしかないのだ。

 

というわけで、法律や実際の裁判を見ながら、

上記10個のクイズを解いていこう。

 

法律は何と言っているか?

このブログは、法律の条文を紹介することを避けてきた。

だって、「お堅い」文章になっちゃうから。

 

でも、今回は避けられない。

 

著作権法で「著作物」はちゃんと定義されている。

以下の通りだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【「著作物」の定義】

思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

やっぱりお堅い文章だが、これだけは理解する必要がある。

 

 

 条文を分解した上で、1つ1つ見ていこう。

まずは、以下の4つに分解しよう。

「思想又は感情」

「創作的」

「表現したもの」

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

 

それぞれの言葉を理解するには、「著作物とは何か?」ではなく、

「何が著作物ではないか?」という発想で考えると良い。

 

●「思想又は感情」のないものは著作物ではない。

喜び、悲しみ、愛情・・そういった人間らしい気持ちや、

自由、平等、博愛・・といった人間の考えこそが、

著作物を生み出す。

そういう気持ちや考えのこもっていない物は著作物ではない。

つまり、単なる「事実」や「データ」は著作物にはならない。

 

だから、クイズの第1問の文章

「世界の人口は70億人以上です。」

は著作物ではないと判断できる。

単なる事実・データに過ぎないからだ。

 

●「創作的」でないものは著作物ではない。

作家が表現を工夫し、個性を発揮してこそ、素晴らしい作品が生まれる。

どんなに価値のある「感情」や「思想」であっても、

ありきたりのフツーの表現しかしていなければ、著作物とは言えない。

 

だから、

クイズの第2問

「女性が差別されているのを見ると悲しくなる。

 人間は性別によって差別されるべきではありません。」

は著作物ではないと言える。

言っている内容は立派でも、ありきたりな表現でしかないからだ。

 

第3問の日本経済新聞の記事は、結構な長さのある文章だが、

これは2重の意味で著作物とは言えない。

単なるマーケットのデータに過ぎないし、

書き手の個性が全く感じられない文章だからだ。

長い文章だからといって、必ずしも著作物になるとは限らない。

 

●「表現したもの」でないものは著作物ではない。

これは当たり前のことだ。

いくら作家が

「素晴らしい作品が私の頭の中で完成している!

 まだ書いてないだけだ!」

と主張しても意味がない。

その頭の中の作品を、

「頭の外」に出してはじめて他の人が鑑賞することができるからだ。

ちなみに頭の外に出す方法は、実際に書く必要はなく、

口で語るという方法でも良い。

どんな方法でも「表現した」ということにはなるからだ。

(だから、即興で演奏した音楽は譜面がなくても著作物にはなる。)

 

また、作品の形になっていないアイディア段階のものも

「表現したもの」とはいえない。

 

●「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」でないものは著作物ではない。

これは、大まかにジャンルを決めている言葉だ。

「文化・芸術の範囲に入るもの」を著作物ということにします。

と言っている。

逆に、「自然科学」や「工業・産業」のジャンルに入るものは、

著作物ではないということだ。

万有引力の法則」「相対性理論」といった、

ニュートンアインシュタインの研究成果は素晴らしいものだが、

それ自体は著作物にはならない。

また、電球、テレビ、自動車といったものは、

世界を変えた凄い発明品・工業製品だが、著作物ではない。

 

以上が、法律が決めている「著作物」の定義だ。

 

解説書・裁判所の傾向

著作権についての解説書は多い。

もちろん、その中では「著作物とは何か?」について

法律の条文をもとに詳しく解説されている。

 

多くの解説書では、このような趣旨・ニュアンスのことが書いてある。

 

「この条文の大事なポイントは3つです。

 「思想又は感情」、「創作的」、「表現したもの」。

 この3点を覚えておきましょう。

 その後に書いてある

 「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」は、

 ただの目安です。

 あんまり大事じゃありません。」

 

興味がある人は本屋などで実際に確かめてほしい。

ここまであからさまに書いてあることは少ないが、

こういう気持ちがにじみ出た解説書が多い。

 

しかし、私は違うと思う。

 

我々が大切にしたい文化・芸術を守り、育てていくために

著作権法は存在している。

その「我々が大切だと思う文化・芸術って何だろう?」という視点を、

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という言葉は与えてくれる。

この根本を見つめることを避けるわけにはいかない。

 

例えば、「友だち」の定義について考えてみよう。

以下のような定義だったとしてみよう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【「友だち」の定義】

毎月1回以上は話をする相手で、将来の夢について語り合ったことがあり、

友情を感じている相手

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「毎月1回以上は話をする」と

「将来の夢について語り合ったことがある」という条件は、判断しやすい。

「YesかNo」で答えの出るデジタルな基準だ。

でも、一番根本的なのは「友情を感じる」という

曖昧でアナログな部分のはずだ。

 

「友情なんて人それぞれの感じ方なんだから、そこを考えても仕方がない。

 判断しやすい「毎月1回以上の話」「将来の夢」の2つの基準でいいじゃないか」

という人がいるかもしれないが、

その人は、致命的な間違いを犯してしまうことになる。

2つの基準だけだと、

「仕方なく付き合っている仕事上のお得意様」や「進路指導の先生」まで

友だちだと判断することになりかねないからだ。

 

「友だちとは何か?」を知るためには、

「友情とは何か?」という、非常に難しい問題に向き合う必要がある。

 

著作物についても同じことが言える。

 

「文化・芸術として何が大切かなんて、人それぞれだから決めようがない。

 そんな曖昧な基準に頼るより、

 「思想又は感情」、「創作的」、「表現したもの」の3点に絞って

 デジタルに判断した方が明確だ」

そういう考え方をする人が多い。

しかし、それでは重大な間違いが起きてしまうのだ。

 

実際、こういう考え方で判断する裁判所が増えているように感じる。

 

その結果、

昔だったら「著作物だ」と判断されることがあり得なかったような物まで、

著作物だと認定されてしまう裁判が出てきている。

 

中でも一番有名な例が「トリップトラップ事件」だ。

 

●椅子デザインにも「著作権」、知財高裁「実用品は意匠権」から一転、保護長期化、そっくり家具姿消す?

https://messe.nikkei.co.jp/ac/news/132056.html

 

幼児向けにオシャレにデザインされた椅子が、

「著作物です」と認められてしまった事件だ。

 

「こんな、よくある家具のデザインにまで著作権を認めてしまったら、

 自宅で写真をとってSNSにアップすることさえ、

 おちおち出来なくなるじゃないか!」

と衝撃の走る裁判となった。

 

椅子のデザインを守るための権利には「意匠権」というものがある。

これは、「文化・芸術」のジャンルではなく、

「工業・産業」の分野の権利だ。

椅子という工業製品を守りたいのなら、

著作権ではなく意匠権を使うべきだった。

 

この裁判の結論は、

「思想又は感情」「創作的」「表現したもの」というデジタル基準だけを重視し、

「文化とは何か?何を文化として守るべきか?」というアナログ基準を

考えることを軽視してしまった結果、

出てしまった結論だと思う。

 

我々の文化・芸術として大切にすべきものは何か?

文化・芸術と、工業・産業の線引きをどうすべきか?

この世界における文化・芸術の意味は?

 

簡単に答えの出る問題ではないが、

この問いかけから逃げるわけにはいかない。

 

我々はAIではない。

人間だ。

デジタルな基準だけに頼らず、

アナログな考え方で答えを見つけ出せるはずだ。

 

「テクノロジーとアートが融合する!」と世間で騒がれている中で、

今後も国民全体で取り組まないといけないテーマになるだろう。

 

「文化・芸術とは」で判断

ここでクイズの問題に戻る。

 

第4問「咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや」という俳句は、

著作物だろうか?

 

著作物と言えるだろう。

「思想又は感情を創作的に表現したもの」と言えるからだ。

 

しかし、本当にそうだろうか?

この俳句が表しているのは、母と子の情景だ。

風をひいた子が、なぞなぞ遊びの相手になってくれるように母親にせがむ

かわいらしい様子を思い浮かべることができる。

この様子を「5・7・5」のたった17文字で表現しようと思えば、

誰が作ってもだいたいこんな俳句に落ち着くのではないか?

本当に作者が個性的に表現していると言えるのか?

本当に「創作的」といえるのか?

実は、著作物じゃないんじゃないのか・・・?

 

こう考え出すと、よく分からなくなってくる。

 

でも、先ほどの問題意識を思い出し、こう質問するとどうだろう?

「俳句は、日本の文化だろうか?

 この俳句は、我々が守り育てるべき文化だろうか?」

 

こう考えると、

自信をもって「Yes!」と答えることができるのではないだろうか。

 

 

次に第5問を見てみよう。

「咳をしても一人」

5・7・5の形式にとらわれない自由律俳句の俳人・尾崎放哉氏の俳句だ。

 

これは著作物だろうか・・?

 

さすがにここまで来ると、私にも分からない。

「咳をしても一人だった」という状況をそのまま言っているだけで、

何の工夫もない「創作的」ではない作品のようにも思える。

が、この俳句から漂ってくる何ともいえない寂しさ、わびしさを考えると、

守るべき文化だという気もする。

 

裁判になった作品ではないので明確な結論は出せないが、

この作品に著作権を認めるわけにはいかないだろうと思う。

ここまでシンプルな表現にも著作権があるとしたら、

その後の人たちが大変だ。

誰も小説の中で「咳をしても一人」と書けなくなる。

SNSで「1人で咳をした」とさえ書けなくなるかもしれない。

「くしゃみをしても一人」と言ったら逮捕されちゃうかもしれない。

そんな世の中は嫌だ。

シンプルさを大切にする日本文化と、

著作権のバランスを取るのは、とても難しい。

 

 

第6問はこれだ。

「ボク安心 ままの膝より チャイルドシート(交通安全のスローガン)」

 

これは、実際に裁判になった作品なので結論は出ている。

著作物だ。

 

例によって裁判所が

「思想又は感情」、「創作的」、「表現したもの」の3点を重視して

デジタルに判断した。

 

私はこの結論に不満だ。

たしかに「5・7・5」という俳句と同じ形式で表現されているから、

俳句と同じように著作物であるべきだ!

という考え方にひっぱられた裁判所の気持ちも分かる。

でも、これは単なる交通標語なのだ。

本当に「守るべき文化」と言えるほどのものだったのだろうか?

 

難しいことだとは思うが、形式だけにとらわれず、

作品の内容やその価値に踏み込んだ判断をすべきだったのではないだろうか。

 

 

続いて第7問。

「朝めざましに驚くばかり(古文の単語を記憶するための語呂合わせ)」

 

これは学生向けの学習参考書にのっていた語呂合わせだ。

(「鳴くようぐいす平安京」で794年を記憶するようなもの)

日本の古文に特有の「あさまし」「めざまし」という単語に

「驚くばかりだ」という意味があることを表している。

 

この語呂合わせについても、裁判で「著作物だ」と認められてしまった。

 

こんな短い文章に著作権があるというのだ!

 

上記第6問と同じく、裁判所が「守るべき文化」について考えなかった結果、

出してしまった結論と言えるだろう。

 

 

第8問はこれだ。

「音楽を聞くように英語を聞き流すだけ 英語がどんどん好きになる

 (英会話教材のキャッチフレーズ)」

 

これについては裁判所も著作権を認めなかった。

「誰が作っても似たようなフレーズになる」つまり、

「創作的な表現ではないから」というのが、その理由だ。

 

これについても、

「創作的な表現かどうか?」を判断する以前に、

「そもそも、文化じゃないじゃん!」と私は思う。

 

 

ここまで、第1問から第8問まで見てきた。

 

これで、「著作物かどうか」を判断できるようになった!

と感じている読者はいないだろう。

 

最初に私が

「「著作物かどうか?」の判断基準について、

 いまだに誰もはっきりした結論にたどり着いていない。」

といった理由が分かってもらえたと思う。

 

短い文章というジャンルに限ってみても、

裁判所の判断はフラフラしているのだ。

 

タイトル・AI

最後に、第9問と第10問を見てみよう。

 

第9問は以下だった。

「鈴懸(すずかけ)の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの

AKB48の歌のタイトル)」

 

これは、著作物にはならない。(多分。)

 

そこそこの長さのある文章だし、作者の気持ちや個性が表れているように感じるが、

なぜ著作物ではないのか?

 

それは、「著作物のタイトル」だからだ。

 

マヨネーズには「キューピーマヨネーズ」というような「商品名」が付いている。

マヨネーズ商品の「中身」と、「商品名」は別だ。

これと同じで、小説、歌、映画の「中身」と「タイトル」は別物だ。

「中身」には著作権があるが、

「タイトル」に著作権は無いということになっている。

 

なぜか?

そうしないと、何かと困るからだ。

 

テレビやネットで作品の紹介をしたくても、

タイトルに著作権があったら、そのタイトルを簡単に言えなくなってしまう。

「昨日めちゃくちゃ面白い映画をみてきました!

 主役はトム・クルーズでカッコいいんです!

 ハラハラドキドキします!

 皆さんも是非ご覧ください!

 でも、その映画のタイトルは言えません!」

こんな映画紹介は嫌だ。

 

 

 AKB48のプロデューサーの秋元康氏も、

せっかく自分が作った歌のタイトルが紹介してもらえないのは困るはずだ。

 

タイトルに著作権はない。

というのが基本ルールだ。

 

 

最後の第10問はこれだ。

「にこにこうぱうぱブルーベリー(AIが作った歌詞) 」

 

これも著作物ではない。

 

 そもそも著作権というのは「人権」の一種だ。

人権は人間にしかない。

だから、AIが作品を生み出しても著作権が発生することはないのだ。

 

見た目には人間が作ったものと見分けがつかない作品であっても、

著作物ではない。

という、不思議な結論になる。

 

(AIを操って作品を作った人間の方に権利を与えよう。

 という議論が一部でされ始めている)

 

今回のまとめ

以上、10問のクイズを通して

著作物かどうか?の判断基準を勉強できた。

 

短い文章に範囲をしぼってのクイズだったが、

それ以外のジャンルでも考え方は同じだ。

 

ポイントは以下の通り。

 

・「思想又は感情」のないものは著作物ではない。

・「創作的」でないものは著作物ではない。

・「表現したもの」でないものは著作物ではない。

・大切にしたい文化・芸術とは?という視点も大事。

・タイトルに著作権はない。

・AI作品は著作物ではない。

 

著作権について考えるとき、これが基礎中の基礎になる。

覚えておこう。

 

 

www.money-copyright-love.com

人口知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(3)

今回は、「コンテンツの長さ」という視点で見てみたい。

 

AIが文化・芸術作品を作るうえでの特徴については、

以下のようにまとめられる。

 

・長い作品、意味のある作品は作れない。

・作品の「部品」になるような短いものなら作れる。

 

 これを出発点に考えてみよう。

 

TikTok

動画アプリのTikTok(ティックトック)が人気を集めている。

ダンスや一発ネタなどの動画を投稿し共有できるアプリだ。

 

インパクトのある動画を投稿し、世間に注目されれば、

一躍有名人、インフルエンサーになれるかもしれない!

そう考える多くの人々が、たくさんの動画を日々アップし続けている。

 

このアプリで共有される動画の基本の長さは、15秒だ。

「私に注目して!」と言わんばかりのティックトッカーたちが

15秒ごとに次から次へ

入れ替わり立ち代わりのパフォーマンスを繰り広げてくれる。

 

ダンサーやお笑い芸人が瞬間的に入れ替わる舞台を見ているようで、

「次はどんな人が?」「もう少しだけ見てみよう」と、

ついつい見入ってしまう。

 

このアプリをしばらく楽しんだ後に、

YouTube(ユーチューブ)を見てみるとどうだろう?

試しに、5分程度のミニコンテンツを見てみよう。

画面の中では、人気ユーチューバーが

体を張って必死にユーザーを楽しませようとしてくれている。

 

しかし、TikTokを見た直後だと、こう感じる。

「なんか、テンポが悪いな~。

 5分って長!!」

 

ユーチューバーの全力のパフォーマンスも空しい。

古臭い昔のコンテンツを見ているような気になってしまう・・。

 

これは、なんとも不思議な現象だ。

 

ほんの少し前までは、

YouTubeのような短いコンテンツが今の時代に合っている!

 1時間も見なきゃいけないテレビ番組は古い!」

と言われていたのだ。

 

1時間から5分へ。

5分から15秒へ。

動画コンテンツはどんどん短くなっていく。

 

コンテンツの短縮化

これは、動画に限った話ではない。

他の種類のコンテンツも、徐々に短くなってきている。

 

日々の出来事や自分の考えを世の中に発表したい人々は、

以前なら自分のブログで数千字程度の長さの文章を書いていた。

今では、彼らはTwitterで140字以内でつぶやいている。

 

ここ数年よく売れているのが、

「有名な本の内容が、短時間で理解できます!」

という本だ。

本屋に行けば、

『あらすじで読む世界の名著 ー 世界文学の名作が2時間でわかる!』

『一冊で日本の名著100冊を読む』

『有名すぎる文学作品をだいたい10ページの漫画で読む。』

こんなタイトルがたくさん目に入ってくる。

トルストイの長編小説『戦争と平和』を

5分で読めてしまうとしたら、

どれだけ「便利」なんだ!と驚いてしまう。

 

音楽も同じ傾向のようで、1曲の長さが年々短くなっているようだ。

 

SpotifyApple Musicなど音楽ストリーミングの影響でヒット曲がどんどん短くなっている

https://gigazine.net/news/20190121-spotify-make-music-shorter/

 

この記事によると、Billboard Hot 100にランクインする曲の長さの平均が

この5年間で3分50秒から3分30秒にまで縮まったらしい。

サクッと聴ける2分台の曲も増えている。

 

多くの人がスマホを手にしている時代だ。

通勤時間、待ち合わせ、エレベーター待ちの時間でさえ、

コンテンツにアクセス出来るようになった。

細切れの時間でも楽しめる短いものが人気になるのも無理はない。

 

こんなニーズに合わせて、

企業も個人もどんどん短いものを作って発信するようになる。

 

こうして我々のコンテンツは、どんどん短くなっていく。

この傾向は今後も変わらないだろう。

 

こんな時代に、成功を目指す作家やアーティストは、

どんな作品を作れば良いのだろう?

 

世間の流れに合わせて、できるだけ短い作品をつくるべきだろか?

 

人間とAIが出会う日

思い出してほしいが、

AIは長い作品を作ることはできないが、

細切れの短いものなら作るのは得意だった。

 

今後、大量のデータから学習することで、

作れる作品の長さは少しずつ伸びていくだろう。

 

一方で、人間の方は創作するコンテンツをどんどん短くしていっている。

 

作品を長くしようと努力するAI。

作品を自分から短くしていく人間。

 

山の両側からトンネルを掘り進んでいるようなものだ。

両者はいずれ出会う。

人間の作る作品とAIの作る作品の長さが一致する日がやってくる。

 

その時、何が起きるだろうか?

 

AI作品が人間の作品を圧倒するに違いない。

 

AIは、人間の脳と違って迷わない。疲れない。

もの凄いスピードで24時間作品を生み出し続けることができる。

人間のティックトッカーが

「次はどんな映像にしよう?」と悩んでいるうちに、

「疲れたから明日にしよう」と休んでいるうちに、

数千、数万もの短い映像を生成しているだろう。

 

もちろん、その作品のほとんどは意味不明のつまらないものだろう。

でも、何しろ作品の数が膨大だ。

下手な鉄砲も数うちゃ当たる。

「まぐれ当たり」によって、大ヒットするコンテンツも出てくる。

 

それでも当面は、人間らしい表現、表情、声、質感によって、

人間の作る作品とAI作品との区別はつくだろう。

だが映像・音声の品質は向上する。

いずれは人間と見分けがつかない

AIティックトッカーが大活躍するようになる。

 

山の両側からトンネルを掘り進んだ両者が出会った瞬間、何が起きるか?

人間は徒歩でトンネルを通り抜けようとするが、

山の反対側から猛スピードやってくる機関車に蹴散らされてしまうのだ。

 

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の恐怖再び

前回の記事で私は

「作家やアーティストがAIに仕事を奪われることはありません!」

と請け合った。

 

しかし、それは

「意味のある作品を生み出し続ける」

という条件を守っていれば。の話だ。

 

人間の方から積極的に「意味」を捨て、

感覚だけに頼った短い作品しか作れなくなった瞬間に

AIの勝利がやってくる。

 

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を書いた新井紀子氏が

雇用の未来を心配したのと同じように、

私は文化・芸術の未来に危機感を覚え始めている。

 

もちろん私も

「最近の若者の文化は軽薄だ!ケシカラン!」などと、

つまらないことを言いたいわけではない。

短いコンテンツの交換は、

友達と楽しい時間を共有するには最高の方法だろう。

 

ただ、短いものしか作れない人、短いものしか楽しめない人が増えることで、

長い作品が絶滅してしまうのではないか?

長い作品にしか表現できない気持ちや考え方が

世の中から消えてしまうのではないか?

多様な文化が無くなってしまうのではないか?

ということを心配している。

 

これからの創作

AI時代の創作活動は、どうやっていけば良いのだろう?

未来を予測するのは簡単ではないが、考えてみよう。

 

小説家や作曲家など、長いコンテンツを作るのが好きな人、得意な人は、

そのまま続ければ良い。

自分の持ち味を生かして、作品を生み出そう。

 

短い作品に慣れた人が増えるにしたがって、

あなたの作品は「長い」と言われ、避けられるようになるかもしれない。

でもそれは仕方ない。

無理に時代に合わせる必要なんて無いと思う。

長い作品に込められた深い意味を味わえる人は、

いつの時代にも必ずいると信じよう。

多くのライバルが長い作品の制作から撤退すれば、

あなたの作品には希少価値が生まれる。

自分を信じて自分らしい表現を続けていれば、

AIに脅かされることのない唯一無二の存在になれる。

そのまま行けば良い。

 

一方で、TikTokのように短い瞬発的なコンテンツを作るのが好きな人に、

「やめときなさい」などと言う気はない。

そのまま続けて良いと思う。

 

ただし、それだけで稼いでいけるようになる可能性は低い。

少しずつAIに市場を奪われていくからだ。

あくまでも「楽しみ」と割り切って、どんどん作品をつくろう。

 

そして、ごく一部の天才には別の可能性もある。

コンテンツがどんどん短くなっていけば、

その先には今まで見たこともないような

新しいタイプの「表現の形式」が生まれる可能性だってあるからだ。

 

今はそんなに深い意味のないように見える15秒動画にも、

奥深い感情や思想を込めることは出来るはずだ。

 松尾芭蕉が、言葉を極限まで切り詰めて

「俳句」という新しいスタイルを生み出したように。

 

俳句は「世界で一番短い詩」と言われている。

5・7・5のたった17文字にさまざまな意味を含ませ、

宇宙の広がりだって表現できてしまう。

 

 荒海や 佐渡に横たう 天の川

 

日本の文化には、

短くシンプルな表現に深い意味を込めるという伝統がある。

今の時代にピッタリじゃないか!

日本のティックトッカーが、

全く新しいショートコンテンツの形式を創造する日がくるかもしれない。

「短いコンテンツをあれこれ工夫して作るのが楽しい!」

「俺、天才かも!?」

と思う人は、ぜひとも突き詰めていってほしい。

「現代の松尾芭蕉」の登場が楽しみだ。

 

そして、ここでも大切になるのは「意味」だ。

単純な感覚だけに頼らず、

短いながらも沢山の意味を込めたコンテンツを作り続けていれば、

AIには到達できない高みに上ることができるだろう。

 

熱中できることを

結局のところ、

自分が伝えたい意味のあることを

自分が熱中できるスタイルで表現しよう。

ということだ。

 

洞窟に壁画を描き、宴会で歌っていた人類のご先祖様は、

「最近の世の中の傾向」を考えながら

そんなことをしていたわけではない。

描いている瞬間、歌っている瞬間は、

ただ喜びを感じていたはずだ。

 

そもそも創作活動というのは、楽しいことなのだ!

 

「AI時代にどんな作品をつくるべきか?」

そんな問いかけ自体がナンセンスなのかもしれない。

 

長い作品でも、短い作品でも良い。

自分が打ち込めることをすれば良いのだ。

 

AIの時代には、熱中することこそが大事になる気がする。

 

次回

次回は、今回の連載に合わせた著作権の話をしよう。

 

AIは「にこにこうぱうぱブルーベリー」と作詞することができる。

こんな短い作品にも著作権は発生するのだろうか?

 

いや、そもそもAIが作った作品に著作権はあるのか?

 

こういった疑問に答えたい。

 

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人工知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(2)

 

前回の記事では、

・AIは大量のデータから学習し、どんどん勘が良くなっていく。

・AIが文章の意味を理解することは絶対にない。

ということを確認した。

 

AIは、人間に代わって小説を書いたり、作曲したり、

映画を制作したりするようになるんだろうか?

そのとき、作家やアーティストはどうなるのか?

我々は、AIが作った作品を受け取るだけの存在になっていくのか?

 

ブームの終了

先に言ってしまうと、これは「周回遅れ」の議論になりつつある。

と私は思う。

 

数年前までは、このテの話題は大人気で、

本、ネット記事、セミナーなどで多くの学者やアーティスト達が活発に議論していた。

「AIが創作した作品を、みんなが楽しめる世界がやってくる!」

と本気で語る人もいた。

 

しかしAIが出来ることと出来ないことが分かってくるにつれ、

徐々にこういう話が聞かれなくなってきている。

 

AIの第1次ブームも第2次ブームも、

(未来につながる研究成果は残したものの)

期待されたような人工知能を生み出すことはなく、

ただのブームで終わってしまった。

 

少なくとも文化・芸術の世界では、

第3次AIブームも同じように過ぎ去りつつあるのではないか?

というのが私の見解だ。

 

実際のところ、「AIが作った文化・芸術作品」として、

我々が本当に楽しみ味わえるものは、いまだに出来ていないのだ。

 

このことを、いくつかのジャンルごとに確認していこう。

 

小説

小説を書けるAIのプロジェクトとして、国内で一番有名なのは、

「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」

だろう。

ショート・ショートと呼ばれるSF短編小説の名手だった星新一氏のように、

AIに次々と小説を生み出してもらおう!という研究だ。

 

●きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ

https://www.fun.ac.jp/~kimagure_ai/

 

私も星氏のショート・ショートは大好きだった。

もし本当にAIが小説を書けるようになったら・・・・

そう考えると、星氏の小説を読むのと同じくらいワクワクする。

 

しかし、現実は厳しいようだ。

ホームページの中にある

「コンピューターが小説を書く日」というシステムを試してみてほしい。

 

●コンピューターが小説を書く日

http://kotoba.nuee.nagoya-u.ac.jp/sc/gw2015/

 

 

システムが生成した作品をいくつか読んでみれば分かるが、

どれも「似たり寄ったり」なのだ。

多少の設定の違いがあったとしても、

「ロボットがストレスを感じ、小説を書き始める。

 しかしその小説は、人間から見ればただの数字の羅列にすぎなかった」

という物語であることは変わらない。

そして何より、全然ワクワクしない。

 

開発者たちの苦労が伝わってくる。

最低限は小説として成立するように、

非常に限定された設定、限定されたストーリー、限定された言葉選びという

がんじがらめの条件のもとでAIが無理やり小説を作っているのだろう。

「自由に想像の羽根を広げて!」というスタイルとは

真逆のことになっちゃっている。

 

前回の記事で説明したように、

そもそもAIは文章の意味を理解しない。

そんなAIが意味のある文章を作れるようになるとは、私には思えない。

 

このプロジェクト、

数年前はメディアで取り上げられることも多かったが、

最近ではあまり話題になっていないようだ。

 

集まっているのは一流の研究者だし、今でも研究は続いているようなので、

何か素晴らしい発見をしてくれることを期待したいが、

「小説を生み出す」という面での成果は期待できないように思う。

 

その他、海外で話題になったAIでは

マサチューセッツ工科大学の研究者が開発した「Shelley」というものがある。

 

●Shelley

http://shelley.ai/

 

上で紹介した「コンピューターが小説を書く日」とは

異なる設計がされているようで、

ユーザーの書き込みに反応しながら、

次々とホラー小説のような文章を書き連ねていく機能を持っている。

 

これも読んでみてもらえれば分かるが、

「ホラー小説にありそうな設定や言葉遣いの文章」

「なんとなく前の文と話がつながていそうな文章」

を次々と生み出すことは出来ているだが、それ以上のものではないようだ。

AIの得意分野である「勘」で、当てずっぽうに言葉をつないでいるだけだ。

「Shelley」だけで意味のある小説が生み出せるとは思えない。

 

歌詞

小説は作れないとしても、歌詞ならどうだろう?

 

歌詞は、小説のような厳密な意味のつながりが無くても

それなりに成立する。

 

それに、人の心を動かす歌詞を書くには「感性」が大切だ。

この「感性」とAIの持つ「勘」は、同じもののような気がする。

AIの勘を使って、素晴らしい歌詞を生み出せるんじゃないか?

 

実際にこの研究は行われている。

アイドルグループ「仮面女子」と、

電気通信大学の教授が協力してAIに歌詞を作らせたのだ。

 

●「研究室が沸き立った」――AIが作詞、アイドル新曲ができるまで 電通大教授に聞く

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1705/11/news006.html

 

この研究ではアイドルの描いたイラストをAIが読み取り、

それに基づいて作詞したという。

 

こうして生まれた歌詞が以下のようなものだ。

 

「星、見つけよう!!まぶしい世界」

「白い川と落ち合うバラード」

「にこにこうぱうぱブルーベリー」

 

これを見て研究室は沸き立ったという。

ネット上でも「不思議だけど、どこかすてき」「言葉選びが独特」

と高評価だった。

 

ちなみにAIが作った「僕のくるみがはち切れそうで」という歌詞は、

「アイドルには歌わせられない」と人間が判断し、NGになったという。

 

これらの歌詞を見て、あなたはどう思うだろう?

 

私はこう思った。

「たしかに少しは面白いけど、

 そんなに有難がるほどのものか??」

 

「にこにこうぱうぱブルーベリー」からは独特な感性を感じるけど、

その30年近くも前にB.B.クイーンズ

「ピーヒャラ ピーヒャラ おどるポンポコリン」

と歌ってたぞ!

こっちの方がよほど凄いぞ!

と思ってしまうのだ。

 

 もちろん私も「AIが全然使えない」という気はない。

作詞家が創作中に煮詰まってしまったときに、

試しにAIに作詞させてみて、気に入ったフレーズがあれば使う。

というような使い方ならあるかもしれない。

でも、所詮はその程度のものだろう。

 

ましてや、THE 虎舞竜が歌う「ロード」のような、

長くてストーリーのある歌詞をAIが作るなんてことはあり得ない。

 

音楽

作詞の次は、作曲についても見てみよう。

 

正直にいうと、作曲ならAIでもいけるんじゃないか?

と以前は私も考えていた。

でも、今は少し違う意見だ。

 

作曲するAIについては、たくさんのプロジェクトがある。

AIが人間の注文を受けて、一瞬で曲を作ってくれるのだ。

「楽しい感じで」

「早いテンポで」

「楽器はピアノで」

「バッハのように」

等々の指令を出せば、

すぐにその場で曲を生成してくれるAIは既に存在する。

 

●Orpheus 自動作曲システム オルフェウス

http://www.orpheus-music.org/v3/index.php

 

●Jukedeck

https://www.jukedeck.com/

 

実際に聴いていみると分かるが、なかなかのクオリティだ。

 

しかし長い時間聴いていると、なんだか不安になってくる。

「いったいこの曲、何を表現したいんだろう?」と。

 

前回の記事で紹介した本

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』にも同じことが書いていあった。

著者の新井氏も

「長く聞くには堪えない」

「曲がどこに向かっているのかさっぱりわからない」

「だんだんイライラしてきます」

と言っている。

 

人間の脳は、どうしても「意味」を考えてしまうように出来ているようだ。

感性だけで音楽に浸っているつもりでも、

頭のどこかで音楽の意味を解釈しようとしている。

 

しかし人間が解釈しようにも、

AIの作った曲にそもそも意味なんかないのだ。

勘で作っているだけなんだから。

 

そういうわけで、じっくり鑑賞できる音楽をAIが作ることはないだろう。

でも歌詞の場合と同じように、

人間の作曲家をAIがお手伝いすることは出来そうだ。

AIが作った曲に作曲家がインスピレーションをうけたり、

AIによる短いメロディを人間が「部品」として使うことは十分あり得る。

また、短い映像のBGMとしてなら使い勝手も良さそうだ。

AIの苦手な「意味」は、映像の方で補ってくれるからだ。

 

現時点での私のAI作曲の評価はこのレベルだが、

将来的には、もっと凄いことができるようになる可能性は否定できない。

作曲は「第3次AIブームは終わった」とまでは

言い切ることができない唯一のジャンルだと思う。

 

画像・映像

絵画、写真、映像も「感性」が重要になる分野だ。

 

ここでもAI研究は盛んで、

画家のレンブラントが描いたような絵画を生み出すAIが開発されている。

 

機械学習したAIがレンブラントの"新作"を出力。絵具の隆起も3D再現した「The Next Rembrandt」公開

https://japanese.engadget.com/2016/04/07/ai-3d-the-next-rembrandt/

 

これにとどまらず、

動画を「ゴッホ風」に変換できるAIを使った商品だって既に発売されている。

 

●動画を「ゴッホ風」「印象画風」に一発変換できるPowerDirector用AIプラグイン

http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1804/25/news084.html

 

どれも素晴らしい技術だと思うし、最初に見たときは驚いたものだが、

「そのうち見慣れてしまうだろうな」というものだ。

 

こういいう視覚的な芸術の世界でも、感性だけが大切なのではない。

もっと重要なのは「意味」や「文脈」だ。

 

オークションで売れた絵画を

バラバラに切ってしまうパフォーマンスで世界的なニュースになった

芸術家のバンクシー氏が良い例だ。

 

バンクシーの絵、1億5000万円で落札直後にシュレッダーで裁断。なぜ?

https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/06/banksy-painting_a_23553085/

 

彼の絵そのものに数億円を超える価値があるとは思えない。

しかし、

「権力や資本主義に反抗するアーティストが、

 自身の作品を破壊することで強烈なメッセージを放った」

という「物語」としての付加価値が上乗せされることで、

オークションの落札価格の1億5千万円をはるかに超える価値を得たのだ。

 

アーティストとしての生き様、社会との関わり方、メッセージの発信方法・・

全てを計算し大成功したバンクシー

マーケティングの達人」と言えるだろう。

 

(話は逸れるが、ピカソは史上最高のマーケターだ。

 カンバスに絵の具を塗りつけた物体に数億円の価値がある!

 と世間にまんまと思い込ませてしまったからだ。

 ピカソ以後に成功を収めた画家は、みなマーケターとしての資質をもっている)

 

我々は画像や映像そのものではなく、

そこに込められた意味を読み取ったうえで価値を判断しているのだ。

 

何度も言うように、AIには「意味を込める」ということが出来ない。

「社会に対するアーティストの目線」という文脈全体を使った

マーケティング戦略をAIが立てることは出来ない。

 

今回のまとめ

文化・芸術の全ジャンルを横断したわけではないが、

大まかな傾向は見えてきたのではないだろうか?

 

・AIは意味のある作品や長い作品を作ることは出来ない。

・人間が作品を創る上でAIを上手く使う方法はありそう。

 

というわけで、

「明日にもAIに仕事を奪われるんじゃないか!?」と

眠れない夜をすごしていた作家やアーティストの皆さん、

ご安心ください!

 

「意味のある」良い作品を、

自信をもって生み出し続けていれば大丈夫です!

 

雑感

AIと比べると分かるが、

つくづく人間は「意味」が欲しくて欲しくて仕方がない生き物なのだな。

と思う。

 

あの山に落ちた雷の意味は?

我が民族が苦労ばかりしている意味は?

勉強する意味は?

あなたと過ごす意味は?

自分の人生の意味は?

 

答えなんて出るはずの無い問いかけを、我々はずっと続けてきた。

 

でも、そんな無限の問いかけこそが

人類の奥深い文化・芸術を生んできたのかもしれない。

 

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次回は、「コンテンツの長さ」という視点から

AIについて考えてみよう。

 

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人工知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(1)

 

AIが人間を超える!

AIに仕事を奪われる!

AIが人間を支配する!

 

ここ数年、毎日のように聞く言葉だ。

 

文化・芸術の世界でも、

AIが作曲できるようになったり、小説を書くようになったり、

美しい映像を作れるようになったりして、

作家・アーティストは仕事がなくなるのではないか?

ということが言われている。

 

本当にそうなんだろうか?

 

AIが作品を生み出せるようになったら、

我々の創作活動はどう変わるのだろうか?

 

その場合の著作権の扱いは?

 

今回は人工知能著作権について、自由に考えてみたいと思う。

 

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

年末年始のお休みで、本棚にある本を読み返してみた。

その中の1冊が『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』だ。

去年とても話題になった本なので、読んだ人も多いと思う。

 

AIブームの中で、山のような数の解説書・関連書籍が出版されたが、

私が読んだ中ではこれが一番分かりやすく、しかも刺激的だった。

 

書いたのは数学の専門家・新井紀子氏。

「ロボットは東大に入れるのか」

というAI開発のプロジェクトを立ち上げ、有名になった方だ。

AIに大学入試を突破できる能力を与えようとする試みの中で得た

知見を解説した上で、

・AIとはどのようなものか?

・AIの活躍する社会で人間はどうなるのか?

といった疑問に対して、明快に答えてくれている。

 

まずは、私なりの解釈で本の内容を説明したい。

AIについては世の中でさんざん語りつくされているので、

「もう分かってるよ」という人も多いと思うが、お付き合いください。

 

本の内容

今回のAIブームは3回目だ。

 

過去2回のブームの中で開発されたAIは、

「論理の積み重ね」によって作られていた。

「AならばB。BならばC」というルールを事前にAIに教えておけば、

AIが自力で「AならばC」と判断できるという考え方だ。

全てのルールを事前に入力できていれば、

あとはAIが正しく判断してくれるはずだった。

 

しかしこの方法では上手くいかなかった。

人間なら当然のように分かっていることの全てを

ルールとして教えることは現実には不可能だったからだ。

野球に例えると、

野球のルールや打撃・守備の理論を身につけていても

選手としては使い者にならないということだ。

ピッチャーとバッターの駆け引き、チームメイトの体調、

球場の天気など、

その場その場の状況はいつも違う。

その全ての対策を事前に教え込むなんて出来るわけがない。

 

最近になって、全く新しいやり方でAIが開発されるようになった。

ルールを教えることはハナから諦めたのだ。

ルールを教えず、ひたすら「現場」に学ばせる手法がとられた。

何も教えずに野球選手をいきなりゲームに出すのだ。

最初は全然使えないだろうが、

場数をこなすうちにプレイのコツを掴んでくれるに違いない。

 

このAI開発の方法が、なかなかのヒットとなった。

これまでの「事前にルールを教える」という考えで開発されたAIよりも、

圧倒的に良い成績を出せるようになったのだ。

野球選手が

「以前の球と似ているから、きっとこうすれば打てる」

と一瞬で判断するようなものだ。

AIは、写真や囲碁の対局をみて

「以前みた猫の写真と似ているから、きっとこれは猫だ」

とか

「以前やったときの対局と似ているから、きっと次はこう打てば勝てる」

とか、上手く判断できるようになった。

(ただし、AIに大量の場数をこなしてもらうために、

 すごい量のデータが必要になる)

 

これがきっかけで第3次AIブームがやってきた。

 

要するにAIとは、

「何も考えてないけど、めちゃくちゃ勘がいい奴」

ということだ。

 

でも、AIは万能ではない。

勘だけはいいが、「意味」を理解できない。

AIには「文章を読んでその意味を理解する」ということは、

絶対にできない。

 

モーツァルトの最後の、そして最も力強い交響曲には、

 ある惑星の名前が付けられています。

 この惑星は何ですか?」

というクイズに

「ジュピター」と正しく答えることはできる。

しかし、問題文の意味を理解しているわけではなく、

「こういう問題のときは、こう答えると正解の可能性が高い」

と判断しているにすぎない。

 

アマゾン・エコーのようなAIスピーカーが人間の呼びかけに

上手く返答したとしても、意味を理解しているわけではない。

勘で答えているだけだ。

 

AIが進化して人間の知能を超えてしまうなんてことも、

ありえない。

 

かといって、人間の立場は安泰だ。ということではない。

 

中学生、高校生に対してテストを行ったところ、

多くの学生がふつうの文章を読んでも、

その意味を理解できていないということが判明した。

例えば以下の問題。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 次の文を読みなさい。

 

 Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、

 男性の名Alexanderの愛称でもある。

 

 この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを

 選択肢のうちから1つ選びなさい。

 

 Alexandraの愛称は(   )である。

 

 ①Alex ②Alexander ③男性 ④女性

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

正解は当然①のAlexだが、

中学生の正答率は38%、高校生でも65%という恐るべき低さだった!

 

多くの学生が文章の意味はちゃんと分からないままに

「以前のテストで似たような問題あったから、きっとこれが正解だ」

という「勘」で答えていたのだ!

(「④女性」と間違って答えた生徒が多かった)

 

文章の意味は分からないけど、勘で当てにいく。

これは、AIの能力と全く同じだ。

 

AIはデータから学習し、どんどん勘の鋭さに磨きをかけていく。

勘の良さでは、人間はAIに勝てない。

AIと似た能力しか持っていない人間は仕事を奪われる。

失業者が増え、世界経済はひどい状態になっていくだろう。

 

文章を読んで意味を理解する力を身につけ、

人間にしか出来ない仕事をやっていくしかない。

 

こんな内容の本だ。

(上記の「野球選手のたとえ」や

 「何も考えてないけど、めちゃくちゃ勘がいい奴」といった理解は、

 私の理解なので、間違っていたとしても新井氏の間違いではありません)

 

感想 

雇用の未来が、本当にお先真っ暗なのかどうかは異論のある人もいるだろうが、

読み物としては非常に面白い。

「AIのせいで仕事が無くなる!」と、むやみやたらと不安を煽る本は多いが、

この本はちゃんと根拠に基づいて怖がらせてくれる。

中高生の読解力を解説する部分では、

あまりの現状に背筋が寒くなる。

 

AIへの理解が深まると同時に、テスト結果に衝撃を受けるという、

贅沢な読書体験ができる。

まだ読んでいないのなら、読んでみてはどうだろうか。

 

 

 

文化はどうなる?

AIが発達した世界はどんな世界なのか?

雇用問題ももちろん心配だが、筆者の関心は文化・芸術への影響だ。

 

すでにAIは

作曲ができる。

動画も作れる。

 

こんな時代に、芸術家は生き延びることができるのか?

AIが作った作品の著作権で儲けることはできるのか?

 

今回説明したAIの知識を前提に、

次回以降はいろいろと自由に考察してみたい。

 

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日本の文化を強くしよう。

 

あけましておめでとございます。

 

昨年の12月の記事では、

マンガ『ONE PIECE』の制作体制や、著作権の管理のあり方について扱った。

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すると、先日放送されたテレビ番組『ホンマでっか!?TV』で、

尾田栄一郎氏の自宅とアトリエ(仕事場)が初公開された。

 

尾田栄一郎の自宅公開!さんま潜入&木村拓哉も登場 - シネマトゥデイ

 

尾田氏は自宅と隣り合った職場で『ONE PIECE』を描いている。

10人程度のスタッフのいる部屋とは少し離れた空間に

1人で閉じこもり、集中して作品を生み出しているという。

 

「ここで何億というマネーを稼ぐ著作権が発生しているのか。

 これだけの規模の作品なのに、会社組織の作品ではなく、

 あくまでも尾田氏個人の作品なのだな。」

と思うと、なかなか興味深い番組だった。

 

また、同じ記事の中で『ONE PIECE』の実写化についても触れていたところ、

その直後に本当にそれを実現したCMが公開された。

 

『ONEPIECE』とコラボで実写CM ルフィに斎藤工、ゾロに池内博之、サンジに窪塚洋介 ナミを泉里香 | ORICON NEWS

 

この実写化は成功しているだろうか?

「テコリンの壁」は越えられているだろうか?

もし越えているとしたら、この映像の中のルフィは、

作者の尾田氏、役者の斎藤工氏、どちらのものなのだろう?


このブログは、

最新ニュースや時事ネタを追いかけることを目的にはしていない。

しかし、記事の内容と深くリンクする報道が、

年末年始に連続してあったことになる。

どうやら、世間の動きと自然とシンクロできているようだ。

 

「先にブログを読んでいたから、

 ニュースに触れたときに、

 人とは違う目線で見れた!」

そう感じてもらえるブログになっていれば嬉しい。

 

去年の振り返り

去年は、具体的な事例をあげながら

著作権の制度の基本や、権利ビジネスをする上で重要になる考え方を

解説した。

 

東京オリンピックエンブレム・パクリ疑惑」に関する記事を読めば、

 ・パクリか?そうでないか?の見分け方

 ・著作権と商標権の違い

 ・炎上騒ぎが起きたときに一番大切にすべきこと

についての知見が得られる。

 

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「ロックバンドのGLAYが結婚式での楽曲使用を無償に」の記事を読めば、

 ・音楽に関する著作権の基礎

 ・JASRACジャスラック)とはどういう組織か

について理解できる。

 

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NHK講談社が小説のドラマ化について裁判」の記事を読めば、

 ・クリエイティブ・エンタメ業界に登場する全ての権利者

 ・出版社の立場と弱点

 ・映像化権の仕組み

について正しい視点を持つことができる。

 

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スパイダーマン VS ルフィ」の記事を読めば、

 ・マンガの制作体制と著作権管理

 ・実写化した場合の役者の権利との兼ね合い

 ・日本とアメリカのマンガの違い

について勉強することができる。

 

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上記の知識・視点を持っているだけで、

クリエイティブ業界、エンタメ業界においては、

大きなアドバンテージになるだろう。

 

おかげ様で読者からは

「分かりやすい」

「おもしろい」

という評価をいただいた。

 

しかし一方で、

「長い」

「読むのに時間がかかる」

という声もいただいている。

 

今後は、もっと分かりやすく、おもしろく、役に立つ記事、

しかもコンパクトに読める記事を書いていきたい。

(でも、そんなに短くならないと思う)

 

今年は

今年はさらに知識の幅を広げていこう。

 

以下のようなテーマの記事を予定している。

 

・「肖像権」とは?

 友達の顔の写真を勝手にネットに上げちゃいけないのか?

 タレントの写真もダメなのか?

 

・「テレビ局」と「インターネットテレビ局」の違いは?

 ❝オワコン❞と言われるテレビ局の生存戦略とは?

 

・「日清カップヌードル」について記事を書くときに、

 Ⓡマークがないと、訴えられるのか?

 

・歌手、俳優、タレント、モデル・・どの職業になるのが

 一番「お得」なのか?

 

・作家、音楽家、画家、写真家・・どの職業になるのが

 一番「お得」なのか?

 

・結局のところ、著作権が切れるのはいつなのか?

 

その他、著作権のルール全体について

ストーリー形式で分かりやすく解説する連載も始めたいと考えている。

 

目的

ここ数十年のテクノロジーの進歩のおかげで、

我々の生活はずいぶんと楽に、便利になった。

時間に余裕ができた。

誰でも簡単に文章、音楽、映像、ゲームなどを制作し、

世の中に発表できるようになった。

世界中の人が創作した様々な作品を

いつでもどこでも楽しめるようになった。

我々は「自由」を手に入れた。

 

一方で、「コンプライアンス」なんていう

昔は見たこともなかった言葉を毎日のように聞くようになった。

やっちゃいけないことが増えた。

少しでもルールから外れたり目立ったりすると、

ネット上でめちゃくちゃに非難されるようになった。

我々は「不自由」も手に入れた。

 

こんな世界の中で、我々の「文化」はどこへ向かうのか?

 

私は、もっと面白い小説が読みたい。

もっと感動する音楽をききたい。

もっとワクワクするマンガを味わいたい。

もっと驚くような映画がみたい。

もっと夢中になれるゲームがしたい。

 

多くの著作権コンプライアンスの解説書では、

「気を付けないと、こんな恐ろしいことが起こりますよ!」

といって「不安」を与える書き方をする。

 

こういう「不安」を持つことも大切だが、

それだけじゃダメだ。

バランスが悪い。

 

私はクリエイターに

「不安」ではなく「自信」を与える側にまわりたいと思う。

 

素晴らしいアイディアを思いついたときに、

コンプラ的にひっかりそうだから、やめておこう」

と簡単に諦めてしまっては、もったいない。

正しく判断した上で

「大丈夫。やろう!」

と言ってほしいのだ。

 

また、今まで文化を支えてきたクリエイティブ・エンタメ企業には、

これまで以上に稼ぎまくって元気になってもらいたい。

過去の作品を活用するとともに、

新しい作品をどんどん生み出してほしい。

 

そのために役立つ記事を書いていくつもりだ。

 

そして、読者と一緒に

日本の文化を強くしていきたい。

と考えている。

 

日本のユニークな文化が活性化すれば、

世界の文化も、きっと今より素敵になるはずだ。

 

本年もよろしくお願いします。

 

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スパイダーマン VS モンキー・D・ルフィ 日米2大ヒーローの対決に完全決着!(3)

先週までは、スパイダーマンとルフィを題材として

日米のコミックヒーローを比較した。

 

大きな違いは2つ。

 

1つ目は、「作品が誰のものか?」という点。

日本では、マンガの著作権はマンガ家個人のものだが、

アメリカでは、会社が組織として権利を管理する。

 

2つ目の違いは、「素顔かマスクか?」という点。

日本のヒーローは素顔のままだが、

アメリカでは、多くのヒーローがマスクをして戦う。

 

この2つの違いにより、アメリカのコミックヒーローの方が

個人の持つ弱みに振り回されることなく、

より「組織的・長期的」に活躍できるシステムが

組み立てられていることが分かった。

 

では、全ての面でアメリカの仕組みの方が優れているのだろうか?

日本のヒーローは、アメリカンヒーローに勝てないのだろうか?

 

もちろん、そんなことはない。

 

アメリカンコミックの弱み

アメリカではマーベル社のような会社が複数のクリエイターを雇い、

チームを編成し、かなりの期間と予算を使って作品を生み出していく。

 

こうなると「冒険」がしづらい。

過去のデータを分析し、ある程度の読者が見込める企画、

好まれそうなビジュアル、ファンを引き付けそうなストーリーになっていく。

クリエイターの一人がマニアックな企画を思いついたとしても、

なかなか企画会議を通ることはないだろう。

ニッチな作品では採算がとれないからだ。

 

こうしてアメリカのコミック作品は、どれも同じようなものになっていく。

実際、アメリカのコミックではヒーローもの以外のジャンルの作品が少ない。

シン・シティ』のような王道の犯罪ものであっても、

「異色作!」と評価されてしまうぐらいなのだ。

 

そして、会社にとって一番手堅いのは、

すでに実績のあるキャラクターを再登場させることだ。

これならファンの数も読める。

スパイダーマンをそろそろ復活させようじゃないか。

 なぁに、大丈夫さ。

 ファンは同じものを何度でも味付けを変えて楽しみたいだけなのさ」

ということになる。

 

これでは、ヒーローの「新陳代謝」、「世代交代」が進まない。

ヒーローの世界が、年老いた「大御所」ばかりになってしまう。

1930年代生まれのスーパーマン(およそ80才!)が

いつまでたっても第一線で頑張っているのがアメリカなのだ。

これでは若いヒーローが活躍しづらい。

(まるで日本企業の悩みのようだ!)

デッドプール』が人気になったのは、

そんな硬直しきった業界構造や「大人の事情」をネタにし、

面白おかしく茶化してみせたからだ。

デッドプールの存在こそが、アメリカンコミックの限界を証明している。

 

日本のマンガの強み

日本はどうなっているだろう?

 

日本では個人が作品を生み出し、個人が権利をもつ。

作品が売れなくても、そのリスクを負うのはマンガ家個人だ。

この体制なら、思いきって好きなことを書きやすい。

 

こうして日本では、

マンガ家の個性が爆発した作品が、たくさん生み出された。

 

 アメリカの出版社の企画会議で、

素人が描いたような❝ド下手❞なタッチの作品に「GO」が出るだろうか?

(『珍遊記』)

 

アメリカには、

離島で医者をしているだけの地味な男を

「ヒーロー」として描き切るクリエイターはいるだろうか?

(『Dr.コトー診療所』)

 

アメリカ人は、

ひたすら麻雀しているだけの物語を、

面白い!と感じ、ファンとして支え続けることはできるだろうか?

(『麻雀飛翔伝 哭きの竜』)

 

アメリカには、

珍遊記』や『Dr.コトー』や『哭きの竜』を作り出す力はない。

これらは、日本でないと絶対に生まれなかった個性的な作品だ。

これほどバラエティに富んだマンガが読める国は、日本以外にはない。

 

制作体制や著作権を、全て個人任せにしてしまう日本のマンガ業界は、

驚くほどの多様性を生み出した。

 

そして今日も、

今まで見たこともないような新しいマンガ、

非常にニッチなヒーローが新たに生み出されているのだ。

 

今後の戦略

日本とアメリカは、コミックの世界では2大強国だ。

 

アメリカの強みは、組織力が生み出す安定性。

日本の強みは、個性が生み出す多様性。

 

この2つの特徴の「いいとこどり」はできないだろうか?

 

きっと出来ると思う。

 

日本の個性を生かす仕組みはそのままに温存しながら、

部分的にアメリカの体制をマネしてしまおう。

 

組織的にマンガを制作する体制を作ってしまうのだ。

出版社がやってもいいし、それ以外の会社が参入しても良い。

今大流行しているマンガアプリの運営会社がやってもいいだろう。

(彼らは他のアプリと差別化するために、オリジナルのコンテンツを求めている)

 

会社がマンガ家を(可能な範囲の期間で)雇ってしまうのだ。

チームを組織し、プロデューサーの指揮のもと、

役割分担しながらマンガを描こう。

 

マスクをかぶったヒーローも登場させてみよう。

文化の差もあり、日本では受け入れられるのに時間がかかるかもしれないが、

そのうち読者も慣れるはずだ。

 

素顔とマスクの「中間点」を探ってみても良い。

参考になるのは、『ガッチャマン』だ。

あの奇妙なヘルメットは、非常によくできたデザインになっている。

あれをかぶせれば、

誰にでもガッチャマンだと分かる程度には上手に描くことができる。

実写化したときも、ヘルメットがあればガッチャマンには見える。

役者の交代も簡単だ。

こうしたマスクのメリットを生かしつつ、

一方でちゃんと表情を見せることもできるデザインになっているのだ。

(他にも『タイムボカン』や『キャシャーン』など、

 タツノコプロのヒーローのヘルメットは、みな「優れモノ」だ。)

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ガッチャマン」DVDより ©タツノコプロ/2013映画「ガッチャマン」製作委員会

 

 日本オリジナルのマスクヒーローを開発し

組織の力を使って積極的に宣伝、商品化、映像化を展開し、

世界に売って出よう!

 

マンガ家のキャリア

同じことを1人のマンガ家のキャリアという目線で考えてみると、

分かりやすいかもしれない。

 

あるマンガ家の卵が、こんな夢を持っているとしよう。

「思い切り好きな作品を描きたい!

 有名になって大金持ちになりたい!」

 

いきなり個人としてマンガ家活動を始めても良いが、

自分1人でやっていく自信はない。

まだそんなに上手く描けないし、収入のアテもない。

かといってバイトをしながらマンガを描くような生活はしたくない。

自分の時間の全てをマンガに注ぎ込みたい。

 

そんなとき、ある出版社が契約社員としてマンガ家を募集しているのを知る。

申し込んだ結果、採用された。

こうして「社員」としてマンガを描く毎日が始まる。

部分的な作業を任せてもらい、プロデューサーの指示に従って描く。

キャラクターはマスクヒーローなので、描きやすい。

苦手な作業のコツは「先輩社員」に教えてもらえる。

本人の適性に合わせて、定期的に担当する仕事が変わったりもする。

脚本だけを作るライター専任の時期もある。

自分が部分的にでも貢献した作品が読者に届くのは嬉しい。

やりがいになる。

残念ながら担当していた作品は人気が出ずに打ち切りとなったが、

心配ない。

他の作品を制作する部署に異動になるだけだ。

新しい部署では、これまでとは違う作風を経験できる。

(有名なマンガ家にアシスタントとして雇われている友人もいるが、

 経験できる仕事の幅と、安心感が全然違う。)

給料は決して高くはないが、生活することはできる。

採用されるかどうか分からないマンガを個人で描きながら、

不安定な生活をするよりは、ずっといい。

その代わり、作品の権利は全て会社のものだ。

 

数年後、経験を積んだこのマンガ家は、キャリアアップを考え出す。

契約更新の時期にあわせて他社に移っても良いかもしれない。

いや、そろそろ1人立ちする時期なのではないか?

実は、温めてきた企画がある。

出版社の企画会議では通らないような、

マニアックで尖った企画だ。

でも、自分ならめちゃくちゃ面白いマンガに仕上げられる自信がある。

やろう。

自分の名前で作品を発表し、自分が権利者になるのだ。

 

こうして、自分のキャリアの中で油の乗った時期に独立し、

思う存分に活躍してもらえば良い。

そのとき生み出した作品やキャラクターの権利は個人のものだ。

権利ビジネスでしっかり儲けよう。

 

しかし、いつまでも調子の良い時期は続かない。

創作のアイディアが切れてしまうこともあるし、

作風が時代と合わなくなってしまうことだってある。

 

そんなときは、また会社に雇ってもらうのだ。

特定の技能に優れた「職人」としてキャリアをつないでいくのも良いし、

後輩の指導役になっても良い。

キャリアを生かし、

プロデューサーとして再ブレイクを狙ってみるのも良いだろう。

 

この場合、彼が個人で活動していた時期に生み出したキャラクターの権利は

どうなるだろう?

個人で管理しても良いが、ここはやはり会社が組織として管理した方が良い。

それなりの対価をもらい、著作権を会社に譲渡してしまおう。

精魂込めて生んだキャラクターが、自分の手元を離れるのは辛いかもしれない。

でもそれは、「自分だけのキャラクター」が、

会社を通じて「みんなのキャラクター」となっていき、

時代を超えて愛されるシンボルへと成長していくためのプロセスなのだ。

 

これは、自分が創業した会社が成長し、ついに株式公開する瞬間に似ている。

「自分のもの」だった会社が「社会全体のもの」になるのだ。

創業者は寂しさを覚えつつも、誇らしい気持ちで一杯のはずだ。

 

もちろん、著作権を譲渡するときに

「創作者として絶対に譲れないポイント」だけは

決めておくべきだ。

(例えば、「このキャラクターは、お酒のCMには出しちゃダメ!」のような)

契約で明確にしておこう。

でもそれ以外のことは、

出来るだけ会社が自由に使える条件にした方が良いだろう。

 

こうして、このマンガ家は「社員→個人→社員」

というキャリアを歩むことになった。

もちろん、これ以外のルートがあっても良い。

 

これまでのマンガ家には、

個人として「イチかバチか」で勝負し、

ヒット作を生み出せれば、その作品で稼ぎきる。

という成功モデルしかなかったように思う。

(それでも、いずれは「往年の人気マンガ家」と呼ばれ、

 過去の人になっていく)

 

「人生百年時代」と言われている中で、マンガ家にも 

もっと様々なキャリアの選び方があって良いと思うのだ。

 

日本のキャラクター

今回の連載では、マンガヒーローだけに論点を絞って考えてきた。

しかし日本のキャラクターは、マンガヒーローだけではない。

もっと色んな種類、性格、出身のキャラクターがいる。

 

・動物系

 キティちゃん、ドラえもんピカチュウなど。

・ロボット系

 アトム、ガンダムエヴァンゲリオンなど。

・特撮もの出身

 ゴジラウルトラマン、戦隊ヒーローなど。

・ゲーム出身

 マリオ、ロックマンなど。

ご当地キャラ

 ひこにゃんくまモンふなっしーなど。

 

その他にも、数えきれないほどたくさんいる。

どう分類したら良いか分からないほどだ。

 

さすが「八百万神(やおろずのかみ)」の国・日本。

日本で生まれ、世界中で愛され続けているキャラクターも多い。

 

これらキャラの中で、

世界規模・長期目線で見ると活躍しきれていないジャンルが、

1つあった。

それが、マンガヒーローだったのだ。

 

あなたが子供の頃に夢中で読んだマンガの登場人物で、

今でも現役で活躍しているヒーローはどれだけいるだろうか?

ほとんどいないのではないか?

 

マンガ出身のヒーローの多くが、一時的に日本国内で大人気となり、

世代がかわるとともに「過去のヒーロー」となってきた。

 

もったいない!

日本のマンガクリエイターは、誰よりも実力を持っているのに!

私自身、ヒーローの熱いセリフと行動に

何度となく勇気をもらって生きてきた。

だから分かる。

日本のコミックヒーローの本当の力はこんなもんじゃない!

 

仕組みを少しかえるだけで、もっと実力を発揮できるはずだ。

 

日本人お得意の組織力で生み出されたヒーローと、

マンガ家の個性が輝くヒーロー、

両方が一緒になって大活躍している世界を見てみたい。

そしてそのヒーロー達が国境を越え、世代を越え、

みんなに愛されるヒーローに成長していく様子を見てみたい。

 

そしていつか、どこかの国の親子にこんな会話をしてほしいのだ。

 

「マイク、何読んでるんだい?」

「『ルフィーマン』のコミックだよ。僕、大好きなんだ。」

「そうか!お父さんも子供のころは、ルフィーマンが大好きだったんだ!

 今でも当時のコミックは大切に保管してるんだぞ。

 ところで知ってたかい?

 ルフィーマンって、もともとは日本のコミックだったんだよ。」

「へー、そうなんだ!

 ねえお父さん、昔のルフィーマンってどんなだったの?」

「うん、きっと今と変わらないよ。

 昔からルフィーマンは、仲間のためにガムシャラに頑張る奴だった。

 お父さんは、友情の大切さをルフィーマンに教えてもらったのさ」

「へー、面白そう!

 お父さんのコミックと僕のコミック、交換して一緒に読もうよ!」

 


これが、今回の連載を書いた動機だ。

 

 

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読者の皆様、

本年はお付き合いいただきありがとうございました。

来年も良い記事を書いていく予定です。

 

来週の連載はお休みします。

 

良い新年をお迎えください!

 

吉沢計

 

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