マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

コロナウイルスは英語を滅ぼすのか?

人類とコロナウイルスとの戦いが続いている。

残念ながら長期戦になりそうな気配だ。

 

日本では「和牛券」を配る案に批判が殺到したり、

舞台芸術を中心とした文化を支える人に補償金を求める声が

あがったりしている。

日本にとって、畜産農家舞台芸術家の

どちらの優先順位が高いのか、私には分からない。

当面は人命を守る活動に全力を注ぐしかないだろう。

 

あなたの大切な人に感染させてはいけない。

「戦時中」は不必要な外出を控え、

家に閉じこもっているのが一番良い。

それがコロナへの最大の攻撃になる。

 

イベントや飲み会で大騒ぎしてSNSにアップすることだけが、

人生を豊かにする方法じゃない。

この機会を前向きにとらえ、家で本を読もう。

教養を高める大チャンスの到来だ。

 

英語の歴史

私は今、英語の歴史に関する本を多く読んでいる。

 

学術論文のようで読みづらいものや、

単なる小ネタの羅列で深みのないものも多かったが、

この本は良かった。

 

 『英語の歴史から考える英文法の「なぜ」』

 

 

 実際に使われている「生きた英語」を例にしながら、

しっかりと体系立てて英語の進化の過程を説明してくれる。

ところどころに入れられている小ネタも面白い。

読みやすさと学問的内容のバランスがとれた良い本だった。

 

ほとんどの日本人が悩む「theをつけるかつかないか?」の問題も、

この本を読めば、かなり肚落ちして理解できる。

名著として名高い「日本人の英語」と一緒に読めば、

「aか?theか?それとも無冠詞か?」という悩みは、

かなり解消されると思う。

 (それでも、私はいまだに悩むことも多いが)

 

 

「200フレーズを丸暗記するだけで、ペラペラになれる!」

とうたう薄っぺらな英会話教材を買うより、

歴史を勉強した方が

はるかに身近な感覚で英語を理解できるようになる。

 

古英語と屈折

詳しくは上記の本をぜひ読んでほしいが、

ここでは英語の歴史のエッセンスを軽く紹介しておきたい。

 

英語の歴史は西暦449年に始まる。

ローマ帝国の力が衰え、ブリテン島(今のイギリスのメインの島)に

ゲルマン民族(アングル、サクソン、ジュート)が侵入する。

彼らの使っていた言葉が英語の元となった。

(アングル民族の言葉 → English)

 

英語は大きく4つの時代に分かれる。

 

古英語・・・・449年~1100年ごろ

中英語・・・1100年~1500年ごろ

近代英語・・1500年~1900年ごろ

現代英語・・1900年ごろ~

 

それぞれの時代に英語は独特の変化をするのだが、

重要なのは古英語時代だ。

 

キーワードとして「屈折」を覚えよう。

 

「屈折」とは何か?

例えば、動詞の「sing(歌う)」は

過去形、過去分詞形、三単現のS、などにより変化する。

 

sing、sang、sung、sings、singing

 

このような語形の変化を「屈折」という。

 

古英語時代は、屈折が今よりはるかに多かった。

現在形か?過去形か?1人称か?2人称か?3人称か?

単数か?複数か?直説法か?仮定法か?命令法か?・・・

などによって、動詞の「singan(歌う)」が様々に変化する。

 

singan、singe、sang、singest、sunge、singep、singap、

sungon、singen、sungen、sing

 

動詞だけじゃない。

名詞もはげしく屈折した。

今は「king(王)」という名詞は

king、kings、king's

とシンプルに変化するだけだが、

古英語で王を表す「cyning」は、

cyning、cyningas、cyninges、cyninga、cyninge、cuyningum

と複雑に変化した。

 

日本語を使う我々の感覚からすると、

動詞が屈折するのは理解できる。

日本語だって「歌う」「歌い」「歌って」「歌えば」「歌え」

などと動詞が変化するからだ。

でもなぜ名詞まで屈折するのか?

日本語なら、どんな文脈で使っても「王」は「王」だ。

 

王が歌う。

王に歌う。

王を歌う。

 

日本語は名詞が屈折しないのに、英語ではなぜ屈折するのか?

それは、日本語には「助詞」があって、英語にはないからだ。

 

王が歌う。王に歌う。王を歌う。

助詞の「が」「に」「を」があるから、それぞれの意味の違いが分かる。

 

英語には助詞がない。

(前置詞はあるけど、日本語の助詞より応用範囲がずっと狭い)

だから、名詞の方に「が」「に」「を」の意味を込める必要があった。

「王は」「王を」「王の」「王に」それぞれを表すために、

名詞がcyning、cyning、cyninges、cyningeと屈折したのだ。

(その上、単数形と複数形の違いでも屈折した)

 

古英語の特徴は、とにかく屈折が多いということだった。

 

屈折の水平化

8世紀から11世紀にかけて大きな変化がおきる。

屈折が減っていったのだ。

 

793年、ブリテン島に

デーン人(今のデンマークに住んでいたゲルマン民族)が侵入してきた。

アングロサクソンのアルフレッド大王が押し返したものの、

デーン人はそのまま居座るようになる。

アングロサクソンとデーン人は交流し、同化していく。

 

デーン人にとっては、古英語の屈折はやっかいだ。

あまりにも複雑なので、覚えきれない。

それでも、コミュニケーションをとる必要はある。

仕方なく彼らは屈折を無視して会話するようになっていく。

 

カタコトの日本語しかしゃべれない人の会話のようなものだ。

「私は京都へ行きます」と言いたいけど、

「私、京都、行く」としか言えない。

 

同じように8~11世紀の彼らも屈折を無視してカタコトで会話していた。

そのうち次第に英語から屈折が消えていき、

語形の変化がシンプルになっていった。

これを「屈折の水平化」という。

 

しかし、それでは困ったことが起きる。

屈折があったのは文章の意味を表現するのに必要だったからだ。

屈折のない単語を並べるだけでは正確な意思疎通ができない。

例えば

「人類」「ウイルス」「やっつける」だけでは、

「人類がウイルスをやっつける」のか、

「人類をウイルスがやっつける」のか区別できない。

「人類」と「ウイルス」のどっちが主語か、どっちが目的語か分からない。

 

どうすれば良いのか・・・

そこで、彼らは「語順」に注目することにした。

 

最初に出てくる単語を主語とみなそう!

動詞の後に出てくる単語を目的語とみなそう!

ということに決めてしまった。

 

Humanity beats the virus.

The virus beats humanity.

語順が違うだけで、意味が180度変わる。

 

屈折が多かった時代の古英語では、語順はおおらかだったが、

屈折が消えていく中で語順のルールが厳格になった。

そうしないと意味が伝わらないからだ。

複雑な屈折を覚えるよりは、語順を覚える方がずっと楽でいい。

 

屈折の名残

英語が進化するとともに屈折はどんどんなくなっていったが、

今の英語にも昔の屈折の名残がある。

 

代名詞の

I、my、me、mine

などは、古英語の雰囲気をよく残しているらしい。

 

be、am、is、was、wereなどのbe動詞もそうだし、

複数形になると語形が変わる

children(←child)やmen(←man)も、

屈折の名残のようだ。

(変化の経緯は複雑)

 

その後の変化

その後も英語は変化を続ける。

 

1066年、

イリアム征服王がフランスからやってきた。

この「ノルマン・コンクエスト」を契機に

フランス語由来の単語が激増し、語彙がやたらと増えた。

同じ「牛」でも「cow」と「beef」がある。

ブリテンで暮らしていた人が家畜にしていた「cow」は英語由来だが、

支配者層が食用にしていた「beef」はフランス語由来だ。

 

その他、「語尾の消失」「大母音推移

シェイクスピアの登場」「印刷技術による綴りの統一」

などなど・・・を経て、現代英語に辿り着いている。

 

詳しくは本を読んでみてほしい。

 

これからの英語

歴史を知ると、その言語がすごく身近な存在になる。

「日本語も苦労を重ねてきた言語だけど、

 英語もけっこう大変だったんだね」

と思えるようになる。

「日本語も不自由な言葉だけど、

 英語もけっこう不自由だよね」

と感じられるようになる。

 

(日本語は同音異義語が多すぎて、「音」だけでは意味が通じない。

 漢字に頼る必要がある。

 英語は語順の柔軟性が低い。

 単語がシンプルになりすぎて、ヒアリングが難しい)

 

英語はこれから、どう変化していくのだろう。

 

アングロサクソンとデーン人の交流の例を見ても分かるように、

異なる言語を使う人が会話するようになると、

言語はどんどん単純化していく傾向にある。

 

グローバル化が進んだ現代、英語を世界中の人が使うようになった。

そしてコロナウイルスの襲来。

人々は家にこもるようになる。

その上「5G」の時代がやってくる。

テレワーク化が進む。

ネットゲームで地球の裏側の人と会話するようになる。

「人」の移動が減る分、「情報」の交流はさらに進む。

英語の流通量が爆発的に増大する。

 

ネット上では今まで以上に「カタコトの英語」が氾濫する。

「カタコト英語」が「本流の英語」を駆逐していく。

受験生を悩ませた「3単現のs」なんて消えてしまうだろう。

 

昔ながらの美しい英語を愛する人にとっては受難の時代かもしれない。

「最近の若者は動詞の変化すらロクにできなくなった・・」

と嘆くようになる。

コロナウイルスは、古き良き英語を滅ぼしてしまうのだ!!

 

これが、私の未来予想だ。

 

読書は楽しいよ!

みんなで家で本を読もう!

 

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巣ごもり読書の時代が到来!

コロナウイルスが荒れ狂っている。

イベントの自粛要請も続く。

その上、花粉のシーズンだ。

 

外出できない・・

 

でも大丈夫。

 

僕らには本がある。

家に閉じこもって読書をする良い機会だ。

春は、巣ごもり読書を楽しもう!

 

固め読み

どんな本を読もう?

 

目についた本を次から次へと気ままに読むのもいい。

買ったけど積んだままになっている本を読んでみるもいい。

一度は挑戦したかった大長編を一気に読み上げるのもいい。

 

私がお勧めするのは、「固め読み」だ。

 

何かテーマを決めて、関連する本をまとめて読むのだ。

10冊ぐらい読めば、その分野のだいたいのことが理解できる。

どの著者にも共通する内容や、

著者によって言っていることが違う点、

それを把握することで業界の言論状況も分かる。

 

自分の頭の中に、一まとまりの建築群が突貫工事で出来上がる。

とても楽しい。

 

ちなみに、今私が固め読みしているのは、以下の分野だ。

 

移民問題

 (文化と文化が衝突するとき、何が起きるのか!?)

 

・英語の歴史

 (日本語の歴史に負けないくらい波乱万丈!)

 

SGD

 (人類文明は次の段階に進むのか!?)

 

村上春樹さんの小説

 (実は今まで1冊も読んだことがなかった!)

 

私はプチ専門家になりつつある。

人に偉そうに語ることだってできる。

聞く方は迷惑かもしれないけど。

 

外出しづらいこの時期、固め読みはお勧めだ。

 

春は、家に閉じこもって本を読もう!

 

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ダウンロード違法化ついに法改正へ!でも、気にしないでいい。

文化庁の勝利!(?)

世間を騒がせた「ダウンロード違法化問題」。

改正法案が国会に提出された。

文化庁の執念が実ったのだ!

 

●「海賊版」対策 強化決定…著作権法改正案 ダウンロード規制

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20200310-OYT1T50387/

 

この法案は本来なら去年国会に提出されて成立するはずのものだった。

しかし「国民が普段からやっていることを違法にするのか!」

という世論の反発をうけ、自民党内部でストップがかかった。

文化庁文化審議会を通過したものが、止められてしまうだなんて、

これまでなら考えられなかったことだ。

文化庁の面目は丸つぶれとなった。

 

それから1年。

文化庁は雪辱を果たすべく作戦を練り直した。

巧みなパブコメを使って世論の反発をうまく吸収した。

内容を程よく調整しつつ再戦を挑み、国会提出までこぎつけた。

文化庁の執念による「勝利」と言ってよいだろう。

 

ここまでの流れや法律の内容の解説は、以前の記事に書いた通りだ。

 

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例外の例外の・・・

今回は法改正の内容を解説するのはやめて、

簡単なコメントにとどめておこう。

そうしないと、話が細かくなりすぎてしまう。

 

以前の記事で解説した通り、

ダウンロード違法化をちゃんと理解するためには、

すごく丁寧に理屈の流れを追っていく必要がある。

 

1.大前提として、ダウンロードはOKだ。

2.でも、〇〇の場合はNGだ。

3.〇〇の場合でも、△△の場合はOKだ。

4.〇〇の場合で△△の場合でも、

  ◇◇で◎◎の場合はNGだ。

 

こういう構成になっている。

例外に例外を積み重ねている。

 

この構造を理解できずに、

2番目の論点なのに4番目の論点と勘違いして

書いている解説記事も見かける。

 

今回の法改正では、さらに以下が付け加わる。

 

5.〇〇の場合で△△の場合で、

  ◇◇で◎◎の場合でも、

  ♡♡の場合や、※※の場合ならOK。

 

もはや訳が分からない。

条文案(著作権法第30条第1項第4号)の中では、

1つの文の中に「を除く」という言葉が4回も出てくる。

普通の人には読み解くのが不可能だ。

 

この件について記事を書いた新聞記者たちにも

上記の全体設計が頭に入っていた人は少なかったようだ。

ちゃんと全体像から解きほぐした記事は見かけなかった。

文化庁が用意した資料の中で

「こういう場合はOKなので安心してください!」

とアピールしている部分(上記「♡♡の場合」や「※※の場合」)

だけを、そのまま書いている記事が目立った。

結果的に、文化庁の宣伝をやる羽目になっている。

 

「この件をまとめなさい」とデスクから命じられた記者たちも、

よく分からないままに書くしかなかったのだろう。

同情する。

 

我々はどうすれば?

ダウンロードが違法になった。

我々はもうネット上のコンテンツをダウンロードできないのだろうか?

 

そんなことはない。

以前の記事に書いた通り、特に気にしなくてよい。

 

法改正に向けた条文の修正作業が繰り返されたおかげで、

違法になってしまう場合が非常に狭く絞り込まれた。

(そのかわり「を除く」が増えた)

よほど悪質なことをしない限り、違法になってしまうことはない。

 

どちらにせよ、

「これを機にダウンロードしている人を逮捕してやる!」

と企んでいる人はいない。

警察もそんなにヒマじゃない。

 

今回は「法改正すること」がゴールだった。

その先はない。

「対策をうってる感」さえ出せれば、それで良かったのだ。

 

このブログの読者の中に、

著作権的にすごく悪質な行為を確信をもってやっている人」は

いないと思う。

だから、今まで通りで良い。

自信をもってネット上で活動を続けてほしい。

 

 

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「文化の盗用」が大流行!! 未来の議論を過去から予習する(4)

「文化の盗用だ!」とネット上で大炎上させる手法が流行っている。

しかしこれは、昔から続く議論の続きだ。

ネット上の浅はかな大騒ぎではなく、

フォークロア、つまり民族の文化をどう守っていくのか?」

という大きなテーマで国際政治の場で真剣に話し合われていたのだ。

 

この議論が最も盛り上がった2005~6年あたりの、

WIPO世界知的所有権機関。ワイポ)での議論に話を戻そう。

 

デッドロック

WIPOの事務局が❝たたき台❞として提出した文書は、

特許や著作権と同じような「権利」に基づく厳しい制度を作ることが

前提であるかのようになっていた。

 

途上国は大喜びでその案を支持した。

制度の「中身」の議論を進めようと次々と発言する。

「先住民の許可なく、その文化をマネできないようにしよう」

「お金を徴収する組織をしっかり整備しよう」

「この言葉は、もっと分かりやすく書き変えたほうがいいんじゃないか?」

「じゃあ、こうしよう」

次々と話が進んでいく。

 

しかし先進国はその議論に乗るわけにはいかない。

ツッコミを入れたい点はいっぱいあるが、

ツッコミを入れると議論が進んでしまう。

「まだ中身の話をする段階じゃない」

「そもそも何を目的にするのか?そこから話をしよう」

「強制力のあるルールじゃない方がいい」

そんな発言ばかりする。

 

全く議論はかみ合わない。

まるで「マイホームを買いたい妻と乗り気じゃない夫」の会話だ。

 

「ねえ、あなた。

 壁の色はピンクとグリーンどっちがいいかしら?

 私はピンクがいいと思うんだけど」

「まだ僕らに持ち家は早いんじゃないかな?」

「あなたもそう思う?

 じゃ、寝室はピンク、リビングはグリーンね!」

「そもそも家を買う意味あるのかな?

 賃貸でもいいんじゃないか?」

「あとは、床暖房をどの部屋に入れるかよね?

 あなたどう思う?」

「ローンを組んでしまうと、会社をやめられなくなるよ」

 

こんなコントのような会話が、

各国の優秀な代表団のあいだで繰り広げられた。

議論は全く進まず、デッドロックとなった。

 

途上国の優勢

途上国はあきらめなかった。

彼らの方が単純に国の数が多い。

WIPOで発言するチャンスは自然と途上国の方が多くなる。

途上国同士が団結して❝人海戦術❞をしかける。

ナイジェリアが

「法的拘束力のある枠組みが必要だ!」

と演説をぶつ。

すると間髪おかずにエジプト、チュニジア、ガーナ等のアフリカ諸国が

「ナイジェリアに賛成!」

「我が国も賛成!」

「進めよう!」

と応援する。

 

先進国が「反対!」と割って入るすきもない。

場内は賛成一色のような雰囲気になる。

 

その上、先進国であるオーストラリアやニュージーランドは国内に

大きな先住民グループがいる。

あからさまに反対もできずに黙りこんでしまう。

今までずっと反対を表明してきたEUも、

ほとんど発言しない。

 

場の空気は途上国が支配してしまった。

反対発言をする先進国は日本とアメリカだけだ。

応援もなく完全に孤立してしまった。

このまま途上国が押し切ってしまうのか・・・

 

日本の事前準備

実は、日本はWIPOの会議の前に

国内でじっくりとこのテーマについて考えてきていた。

日本は世界有数の「文化大国」であり、

この問題は非常に大切だと理解していたのだ。

 

文化庁の会議で「3つの視点」をまとめていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

フォークロアをなぜ守るのか?

3つの視点から考えられる。

 

第1の視点は、「お金」だ。

フォークロアを使って金儲けしたのなら、

 それを伝承していた人たちに分け前があるべきでは?」

という考え方。

 

第2の視点は「尊厳」だ。

「民族にとって大切な伝承文化が汚された!

 我々の尊厳がおかされた!

 そう感じさせないようにすべきでは?」

という考え方。

 

第3の視点は「継承」だ。

「このまま放っておくと、グローバル化、資本主義化の中で

 文化を受け継ぐ人がいなくなる。

 何とか次の世代にバトンタッチできるようにすべきでは?」

という考え方。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

フォークロアについては色んな人が色んな意見を言っていたが、

それを「お金」「尊厳」「継承」の3つの視点にまとめている。

シンプルで分かりやすい論点整理だと思う。

その上で、こう結論づけている。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「お金」の視点については、

すでに著作権という制度がある。

これ以上新しい制度を作ることには反対。

そもそも著作権

「新たな作品を作った人に期間限定で権利を与える。

 期間が切れたら作品は「みんなのもの」になる」

という考え方だ。

大昔に作られ、すでに「みんなのもの」になっているはずの

フォークロアに権利を与えてしまうことは、

著作権の思想と根本的にぶつかってしまう。

 

「尊厳」の視点については、

「制度」というよりは「モラル」の問題。

ルール化するのに馴染まないが、

今後の議論の流れ次第で、具体的に検討する可能性はある。

 

「継承」の視点については、

その国の「文化財」として保護する話。

それぞれの国に合わせた形で保護すれば良い。

(日本の「人間国宝」「重要文化財」のように。)

国際的なルールにする話ではない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

つまり、「尊厳」については少しは考えるけど、

それ以外は反対だよ。ということだ。

 

別に日本が文化の保護に消極的というわけじゃない。

むしろ逆だ。

日本が文化を大事にしているからこそ、

フォークロア問題を真剣にとらえ、

まっとうな結論にたどり着いているのだ。

 

それだけにとどまらない。

日本はさらに踏み込んだ。

フォークロアを守る制度をつくると、

 逆にフォークロアが滅びちゃうんじゃないか?」

という考え方をしているのだ。

 

日本がWIPOに事前に提出したコメントの中で

以下のように言っている。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

歴史上、文化というものは異なる文化圏がお互いの文化的表現をほとんどの場合に相手方の了承に基づくことなくして拝借し合い、それに独自の表現を付け加えていくことによって発展してきている。フォークロアについて新たな財産的権利を創設することは、このような文化の自由な交流や相互啓発による発展を妨げる可能性があり、慎重に検討する必要がある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

まさにこういうことだ。

「文化っていうのは、お互いにマネし、

 マネされ続けてきたからこそ、進化したんだよ!

 マネすることを禁止したら、文化がダメになっちゃうじゃん!」

 

これは、本質を突いた議論だ。

「文化」とは、煎じ詰めると「マネされ続けてきたもの」のことだ。

 

子供が親の口ずさんだ歌を思い出して歌う。

となり村の祭りの一部を拝借して踊る。

競合他社のコンテンツを参考にアニメ制作する。

これが文化だ。

 

逆に、マネされなかったものは、

「文化」として生き残れない。

 

「マネ」は文化そのものに埋め込まれている本質なのだ。

 

日本は事前にここまで考え抜いていた。

 

日本の起死回生

途上国が押しに押しまくるWIPOの議論。

先進国が次々と戦線から離脱していく中、

日本は一歩も引かなかった。

 

「「先住民への配慮」を見せておかないと、

 国際的に非難されちゃうんじゃないか」

そう心配する人も多い中で、

日本は空気を読まなかった。

正論を言った。

真正面からルール化に反対した。

日本の立場から、堂々と文化を語った。

 

「日本は古くは中国から文化を借用し、(中略)近代以降は逆に日本文化が西洋に影響を与えたことも多い。これら借用はほとんどの場合、事前同意手続などなかったが、双方に有益なものであったと考える」

 

途上国が押し切ろうとしたときも、こう演説した。

 

「議論を前に進めるための方法は、(中略)ストレートに問題の核心についての議論を始めることである。」

 

「①我々が議論すべきフォークロアの定義とスコープは何か。②我々が解決すべき真の問題とは何であり、そのどの部分が知的財産権の問題なのか。(中略)我々は、このようなステップバイステップの「基本的事項優先アプローチ」こそが、議論を前に進めると信じる。各国の協力的な理解を求める」

 

日本の演説に、すかさずアメリカが「賛成!」と発言する。

あまりにも正論だったので、途上国も無視できない。

 

日本が流れをググっと引き戻した。

 

最終的には

「具体的な制度の話に入る前に、根本的な論点を解決しよう」

ということになった。

 

日本がしっかり深く考えていたからこそ、

最後まで負けない議論ができたのだ。

 

日本の特性

国際政治の場で、

うまく立ち回るのが苦手と言われることの多い日本だが、

このときは輝いた。

 

日本が昔から文化を大事にする国だったという理由もあるだろう。

 

それ以外の理由として大きいのは、

日本では先住民や少数民族の問題が、

他国と比べてそれほど大きく表面化していないということも

あると思う。

 

大臣が「日本は単一民族の国」と、

あっけらかんと言っちゃえる程度なのだ。

 

●麻生財務相、「単一民族」発言訂正 アイヌ新法と矛盾指摘も

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020011400584&g=pol

 

だからこそ、

オーストラリアのように国内の先住民に気をつかうこともなく、

真正面から反対意見を言えたのだ。

 

もちろん、日本に「民族問題」が全くないわけではない。

今後のアイヌ琉球などとの関わり合いの中で、

大きな問題として表面化していく可能性もある。

そのときは、日本もWIPOで何も言えなくなるかもしれない。

 

「文化の盗用」問題について

2006年の日本の演説の後、フォークロアの保護をめぐる議論は、

いまいち盛り上がっていない。

フォークロアとは?」「守るべきコミュニティとは?」

というような、前回の記事で挙げたような論点について、

いつまでたっても結論が出せないからだ。

 

一時は「新しい権利が生まれるのでは?」と思われたが、

フォークロアを権利化する議論は下火になってしまった。

 

それが今になって、

同じテーマがネット上で盛り上がっている。

「文化の盗用だ!」という炎上騒ぎだ。

 

私に言わせると、この騒動は極めて幼稚で未熟だ。

 

ずっと前から深く考えられ、それでも結論が出なかった問題なのに、

表面的に似たものを見つけては「盗用だ!」と

感情的に騒いでいるだけだ。

過去から学んでほしいと思う。

 

いずれは、(日本のように)真正面から反論する人が出てくるだろう。

「文化の盗用っていうけど、

 具体的にはどの部分があなたの文化なの?

 それは本当にあなたの文化なの?

 不正な使用だと断言できるの?

 あなたは文化の盗用をせずに生きているの?」

「盗用されるからこそ、文化なんじゃないの?」

 

今さわいでる人では、

この反論に対してまともに答えることも出来ないだろうが、

少しずつ議論は成熟していくと思う。

 

そして、最終的には「答えは出せない」ということになる。

WIPOでの議論がそうだったように。

 

切り口

政治的、経済的、文化的に

マイノリティ(少数派)や弱者側にいる人にとっては、

「この社会の何かがおかしい。

 うまく言えないけど、どこかに不正がある」

という感覚を持つことはあると思う。

 

その感覚は正しいかもしれない。

間違っているかもしれない。

マジョリティ(多数派)や強者側にいる人も

無視してはいけない問題だ。

 

ただ、その問題を解決するための糸口というか、

とっかかりとして、「文化」を持ち出すのは良い作戦とは言えない。

筋の悪い戦略だ。

 

そんな曖昧でお互いにマネし合っているものを「武器」にしようとしても、

使い物にならないからだ。

 

「文化」以外の切り口を、我々みんなで見つけていくしかないと思う。

 

「文化の盗用!」という言葉を聞いても、冷静に対応しよう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

WIPOでの議論の流れについては、

以下の資料を大いに参考にさせていただきました。

 

『コピライト』

2004.5.「伝統的文化表現の保護とこれからー第6回政府間委員会を終えてー」伊佐進一2005.3.「伝統的文化表現の保護をめぐる議論ー第7回政府間委員会を終えてー」伊佐進一

2005.9.「第8回知的財産と遺伝資源、伝統的知識及びフォークロアに関する政府間委員会の概要ー事務局提示案の解説と議論の今後ー」伊佐進一

2007.5.「フォークロア等の保護に関するWIPO政府間委員会(IGC)第9回第10回会合の概要及びフォークロア問題の今後の展望について」藤井宏一郎氏

 

深く感謝申し上げます。

ここで述べた私の意見は私自身のものであり、

間違いがあったとしても上記資料の著者に責任は一切ありません。

 

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JASRAC vs 音楽教室の話題をクールに語る方法

「文化の盗用」の連載は1回お休みして、

今回はJASRAC音楽教室の話をしたい。

 

JASRACの勝利

JASRAC日本音楽著作権協会ジャスラック)と

ヤマハ音楽教室等を中心とした「音楽教育を守る会」が

裁判で戦っていたが、

その第1ラウンドとなる東京地裁での判決が出た。

 

JASRACの完全勝利だ。

 

音楽教室での演奏は「公衆」、東京地裁JASRACによる著作権使用料の徴収認める判決

https://www.oricon.co.jp/news/2156333/full/

 

以前にもこのブログでJASRACの勝利を予想していたが、

その通りの結果となった。

(予想を当てたことは、スゴイことではない。

 著作権を少し勉強した人なら簡単に先が読める程度の戦いだった)

 

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注目を集めた裁判なので、法的な論点については

多くの記者や専門家が解説記事を書くだろう。

細かい話を知りたい人は、それらの記事を読めばよいと思う。

 

今回は、仲間内でこの裁判の話題が出たときに

“クールに見える語り方”を書いておきたい。

 

ポイントは3つだ。

JASRACを否定しない。

・音楽家の目線を持つ。

・ルールのあり方についても語る。

 

JASRACを否定しない

ネット上のJASRAC批判に影響をうけて

「あいつらヒドイよな!」

「子供が音楽に触れる場から金をたかるなんて、

 どんんだけ金の亡者なんだよ!」

カスラック最低!」

などと言うのは、恥ずかしいのでやめておこう。

 

楽家JASRACは、戦略的に役割分担している。

楽家は素晴らしい曲を作ってみんなに愛される役。

JASRACはお金を徴収してみんなに嫌われる役。

キャバクラにおける「キレイな女性と黒服の男」と同じだ。

 

「俺は音楽を愛している。

 JASRACは音楽文化を破壊している。

 JASRACは最低だ」

と言う人と

「俺はキャバクラの女性を愛している。

 黒服はキャバクラを潰そうとしている。

 黒服は最低だ」

と言っている人は同じだ。

彼らの戦略にまんまと乗せられている。

かなり恥ずかしい。

JASRACを感情的に否定するのはやめておこう。

 

今回の件について言うと、

ケンカ(裁判)をふっかけたのは、JASRACではない。

音楽教室の方だ。

JASRAC音楽教室に対して地道に使用料の支払いを交渉していたのだが、

音楽教室側が「いやだ!払いたくない!」と“逆ギレ”して

勝ち目はほとんど無かったのにJASRACを訴えたのだ。

感情的になってはいけない。

 

仲間内でこの話題が出たら、早い段階で

「音楽が好きなのにJASRACが嫌いっていう人が多いけど、

 不思議だよね~。

 音楽家JASRACはグルなのに」

とクールに言って、

誰かが恥ずかしい発言をするのを予防してあげよう。

 

楽家の目線を持つ

次に、音楽家の目線で発言できたら、

色んな立場で物を考えられる人間にみえてカッコいい。

 

もしあなたが『アナと雪の女王』の

名曲「let it go」の作曲者だったとしよう。

 

あなたの住む町には1軒の音楽教室がある。

モーツアルトショパンチャイコフスキー等、

著作権のないクラシックの名曲を子供たちに教えている。

月謝は5000円だ。

子供たちは一生懸命に音楽を学んでいる。

 

そこへライバル業者が現れた。

「こっちの教室では、流行りの曲をお教えします!

 大人気の「let it go」を演奏できるようになりますよ!

 月謝は6000円です!」

ディズニー映画に夢中の子供たちは、新しい音楽教室に殺到する。

業者は楽器なども販売して大儲けだ。

 

これを見たあなたは、どう思うだろう?

「俺の音楽で金儲けしているなら、俺にも分け前をよこせ!」

という気持ちにならないだろうか?

これは自然な感情だ。

 

「子供たちからお金をとるなんて!」と言う人もいるが、

子供からレッスン料をとり楽器を売って儲けているのは音楽教室なのだ。

彼らは「子供たちのために!」と言って

ボランティアでやっているわけではない。

 

会話の中で音楽家の目線も入れて話そう。

「もし自分が作曲できたら、

 沢山の子供たちに演奏してもらえると嬉しいな。

 でも、業者が子供たちからお金とって大儲けしてるなら、

 何か言いたくなるかもしれないね」

ぐらいのことはサラリと言っておこう。

 

ルールのあり方についても語る

「教育目的なのに著作権が働くっておかしくないか?」

そういう感覚は、あって良いと思う。

そもそもルールが間違っているという観点だ。

(ちなみに、学校の授業で演奏しても著作権は働かない。

 営利目的の演奏だと著作権が働く(大雑把な説明))

 

JASRACは、ルールに基づいて最大限効果的にプレーしているだけだ。

サッカー選手に「オフサイドのルールがおかしい!」と

文句を言ってもしょうがない。

 

プレイヤーではなく、ルールの方に問題があるのかもしれない。

 

でも、それは今に始まった話じゃないのだ。

 

著作権法的にこれはOKなんだろうか?NGなんだろうか?」

そういうグレーゾーンはもともとあった。

 

その都度、裁判で争われ、白黒が付けられてきた。

音楽の分野では「カラオケ事件」「ダンス教室事件」などが、

その代表例だ。

 

どんどんグレーゾーンが狭くなっていった。

そしてほとんどの場合、白ではなく黒になっていった。

つまり、「著作権的にNG。権利が働く」ということだ。

 

今回の裁判をきっかけに

「今の著作権制度は一般人の感覚とズレてきている。

 そろそろルールの見直しが必要だ!」

と言う人も出てくるだろう。

 

その意見自体には私も賛成だが、「今さら」という気もする。

それを言うんなら「カラオケ事件」「ダンス教室事件」のときに

大声で言うべきだった。

(自戒もこめて。)

判例が積み重なった今になって言っても手遅れかもしれない。

 

会話の締めとして以下ぐらいのことを言っておこう。

著作権のルールもどんどん厳しくなってるみたいだけど、

 本当にこのままでいいのか?という気はするね。

 でも、ここまでの流れを全部ひっくり返して

 ルールを緩くするのも難しいんだろうね」

 

ここまで言えたら、とってもクールだ。

 

最後に「もっと著作権について勉強しなきゃ」と付け加えておけば、

何か質問が飛んできても

「いや、それについてはまだ勉強できてなくて・・」

とゴマかせる。

 

JASRACを否定しない。

・音楽家の目線を持つ。

・ルールのあり方についても語る。

3つのポイントを覚えておこう。

 

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(最後に、次回の最新記事のリンクがあります)

 

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次回は、前回の記事の続きです。

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「文化の盗用」が大流行!! 未来の議論を過去から予習する(3)

「文化の盗用だ!」と言って

人や企業を非難することが流行っている。

目新しい動きのように見えるが、

実はこの議論は何十年も前から続いているものの焼き直しだ。

 

世界知的所有権機関WIPO=ワイポ)を舞台にして、

国際政治の場でさまざまな意見がでてきた。

最も盛り上がった2005~6年あたりを中心に振り返ってみよう。

 

フォークロアの危機

フォークロア」とは、先住民族の歌や踊り、

少数民族の美術工芸品などのことだ。

 

フォークロアについては、様々な問題が起きていた。

 

勝手にマネされ、商業利用される。

利用した人は大儲けするのに、先住民には一銭も入ってこない。

 

先進国の人の目線で妙なアレンジが加えられ、誤解が広まる。

民族の誇りが傷つけられる。

 

「秘伝」とされていたものが、

メディアにのって世界中に公開されてしまう。

ご先祖様に顔向けできない。

 

小さな村の中に資本主義が入り込み、

正しいフォークロアを伝える跡継ぎがいなくなってしまう。

文化が滅びる。

 

その民族だけでなく世界全体にとっても

「文化の多様性」が失われてしまう。

 

これは大問題だ!

民族の文化は守らねばならない!

 

事務局のたたき台 

こんな流れの中で2005年に

WIPOの事務局が“たたき台”としての文書を作った。

その中身は、特許や著作権などの既存の制度にそっくりのルールだった。

おおまかに言うと、以下のような内容だった。

 

・何を守るか?

 伝統的な文化表現(フォークロア)を守る。

 フォークロアには、

 詩、物語、音楽、踊り、名前やサイン、

 儀式、美術工芸品や建築などを含む。

 コミュニティ(民族)の文化的特徴を受けついだもの。

 

・誰を守るか?

 そのコミュニティ。

 (個人ではなく、コミュニティ全体)

 

・どうやって守るか?

 不正使用を禁止する。

 事前に公的機関に登録されたフォークロアは、

 コミュニティの許可がないと勝手に使えない。

 そのフォークロアを原作にした新たな作品も作れない。

 (つまり、許可もらうためにお金を払う必要がある)

 登録されていないフォークロアであっても、

 その文化をバカにしたような使い方はできない。

 「秘伝」にされたものは、勝手に公開できない。

 

・いつまで守るか?

 ずっと。

 (期限切れにならない)

 

 

こんな感じのルール案だった。

これを読んで、あなたはどう感じるだろう?

「すばらしい!これで民族の文化が守られる!」

そう思うだろうか?

 

途上国 vs 先進国

途上国の代表団は、そう思ったようだ。

「この案をもとに進めよう!」

 WIPOの議場で次々とそう発言する。

 

しかし先進国はその議論に乗るわけにはいかない。

事務局のルール案に“ツッコミどころ”は沢山あるが、

そこにツッコミを入れてしまうと、

途上国の議論に乗ることになる。

「その案のここが問題だ!」

「ご指摘ありがとうございます。

 その問題点は、こうやって改善しましょう」

「いやいや、こうすればもっと良い制度になります・・」

 

という感じで、制度を作ることが前提の流れになってしまう。

 

問題点を指摘したい気持ちをグッと抑えて

「文化の守り方は人それぞれ。国それぞれだ。

 作るとしても、強制力のないガイドラインだろう。

 まだまだ中身の議論をする段階じゃない」

という発言に終始した。

 

議論は平行線となった。

 

ツッコミどころは?

そんなわけで、

具体的なツッコミがほとんど入らないままで終わってしまったが、

もしもツッコミを入れるとしたら、どんな点が問題だったのだろう?

いくつか考えてみよう。

 

・何を守るか?

 伝統的な文化表現(フォークロア)を守るって言うけど、

 何年たてば「伝統的」と言えるの?10年?100年?10世代?

 どうやってそれを証明するの?言ったもの勝ち?

 クリスマスツリーのような世界中に広まったものも入る?

 (そんなことになれば、みんなが困る)

 日本の「おもてなし」のような、

 形のないボンヤリしたものは入る?

 入らないとしても茶道でお客を迎える作法のようなものは?

 (そんなことになれば、みんながもっと困る)

 

・誰を守るか?

 そのコミュニティを守るっていうけど、コミュニティの単位は?

 家族? 一族? 民族? 宗教の信者全体? 国?

 「広島カープのファン」とか「AKB48のファン」とかも入る?

 (彼らも独自の踊りやしきたり等の文化を持っている.

  彼らの誇りや尊厳は保護しなくて良いのか?)

 そのコミュニティの代表者は誰?

 その人が決めたことがそのコミュニティの意思なのか?

 それともコミュニティ内で選挙をして意思決定すべきなのか?

 1000年前に隣の村を征服して相手の文化を吸収した民族の場合、

 誰が「オリジナル」の文化の持ち主なのか?


・どうやって守るか?

・いつまで守るか?

 不正使用を禁止するって言うけど、すでに特許や著作権の世界で

 何が「不正使用」にあたるのかは決められている。

 これ以上「やっちゃダメなこと」が増えたら、世界中が大混乱になる。

 特許でも著作権でも「期限付き」で権利は認められているのに、

 フォークロアだけが「無期限」で認められてもいいのか?

 その理由がわからない。

 

などなど・・・

ここに挙げた以外にも、大量のツッコミが考えられる。

文化や芸術をめぐる議論は、一筋縄ではいかない。

 

ここまで考えると

「文化の盗用だ!」と簡単には人を非難できなくなる。

 

文化の盗用っていうけど、

具体的にはどの部分があなたの文化なの?

それは本当にあなたの文化なの?

不正な使用だと断言できるの?

あなたは文化の盗用をせずに生きているの・・?

 

日本の活躍

平行線となったWIPOの議論だが、

この後は途上国が力わざで怒涛の攻勢をみせる。

先進国は押されに押される。

 

そこへ、日本の代表団が起死回生の一撃をはなつ。

 

次回は、この様子をみていこう。

 

 

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「文化の盗用」が大流行!! 未来の議論を過去から予習する(2)

前回の記事では「文化の盗用」が

ネット上で非常に攻撃力の強い流行語になっていること、

でもその言葉の意味は曖昧で、

文化の盗用とそうでないものを見分けることが難しいことを解説した。

 

今回は、この議論のそもそもの始まりである1950~60年代まで

時間をさかのぼって見ていこう。

 

反抗の時代

第二次世界大戦がおわり、

戦争に使っていた資源を楽しい生活を送るために使えるようになった。

経済は劇的に成長した。

世界は豊かになった。

そうなると、豊かな人や国と貧しい人や国の「格差」が目につく。

人種や国籍で人間の扱いを変える「差別」にガマンできなくなっていく。

 

1950年代から1960年代にかけて

植民地支配を受けていたアジアやアフリカの人が運動を起こし、

次々と独立を獲得していく。

ラオスカンボジア、モロッコチュニジア、ガーナ、

カメルーンセネガルルワンダケニア・・

 

アメリカでは黒人が声を上げ始める。

キング牧師マルコムXが人種差別の撤廃を訴えた。

いわゆる公民権運動だ。

ベトナム戦争ではベトナム兵士が

最強であるはずのアメリカ軍を苦しめた。

 

途上国・有色人種が、先進国・白人に

世界的な大反抗をはじめた時期だ。

 

「知」の分野での反抗

彼らの反抗は、ほとんどが土地などの「目に見えるもの」を巡る戦いだった。

でも、「目に見えないものも搾取されてるんじゃないか?」

と考える人がいた。

 

例えば薬草の知識。

アマゾンで暮らす先住民が昔から大切に育てていた薬草があり、

宗教儀式や治療につかわれていた。

この地を訪れたアメリカ人がそのことを知り、草をもちかえる。

そこから抽出された成分をつかった素晴らしい新薬が完成する。

当然このアメリカ人は特許をとって大儲けする。

 

それを知った先住民は納得がいかない。

「俺たちがご先祖様から受け継いだ大切な知識を奪われた!」

という気持ちになる。

抗議の声があがる。

 

例えば歌やダンス。

アフリカで昔から受け継がれている神への感謝を表す民謡と踊り。

これをみたヨーロッパの人の芸術家が

自分の表現にとりいれ、斬新な舞台芸術として披露し大成功する。

アレンジが加えられハリウッド映画にもなる。

 

それを知った民族は納得がいかない。

「俺たちの神聖な祈りが汚された!勝手にパクるな!」

抗議の声があがる。

 

もうお気づきだと思うが、彼らの言っていることは

「文化の盗用だ!」という現代のSNS炎上と全く同じだ。

こんなにも昔から、この議論は始まっていたのだ。

 

彼らの声は「民族自決」という時代の空気の力も借り、

少しずつ大きくなっていく。

 

この流れで、国際政治の場でも動きが出てくる。

 

1972年、世界遺産条約

1982年、WIPOユネスコ

フォークロア表現を保護するモデル規定」採択。

1993年、生物多様性条約。

などなど・・。

 

彼らが求めるものを大まかに2つに分けるなら、

・薬草に代表されるような、科学・発明に関するもの

・民謡に代表されるような、文化・芸術に関するもの

ということになる。

 

このうち科学・発明の分野については、

生物多様性条約」である程度は実現された。

天然資源を使うにあたって国の事前承認が必要だったり、

先住民への利益配分をしないといけなかったりするルールができた。

 

こうなると、残りは文化・芸術の分野だ。

こっちもそれなりの条約がすぐに出来るだろう。

 

多くの人が楽観的に考えていた・・。

 

WIPOでの議論

議論の舞台は国連の専門機関である

世界知的所有権機関WIPO=ワイポ)となった。

WIPOは、

特許や著作権のような知的財産を世界的に保護するための組織だ。

 

先住民たちの歌、踊り、絵画、彫刻・・・などの伝統文化を

フォークロア」と呼ぶ。

(「フォーク」は「フォークソング」の「フォーク」。

 「民族的な」という意味)

(この言葉を好まない人もいて、

 代わりにTCEs(Traditional Cultural Expressions) と言ったりもする。

 TCEsだと意味がぼやけるので、ここでは「フォークロア」を使う)

 

2001年、

WIPOフォークロアの保護についての委員会が本格的にはじまった。

各国の代表団が議論を戦わせることになった。

 

基本的な構図は「途上国 vs 先進国」だ。

「先住民の文化を勝手に使うな!使うなら金をよこせ!

 強制力のあるルールを作ろう!」

という途上国。

「文化の守り方は人それぞれ。国それぞれだ。

 作るとしても、強制力のないガイドラインでいいじゃないか」

という先進国。

2つの主張が平行線を続けることになる。

 

しかし途上国も一枚岩ではない。

民族同士の対立が続く国だってある。

国内で優位に立つためにWIPOでの議論を利用したい。

相手の民族の権利は奪いたいと考える民族もいる。

民族という名目で先進国からお金をもらいたい政府の人間もいる。

 

一枚岩でないのは先進国も同じだ。

オーストラリアには先住民のアボリジニがいる。

彼らの利益を守るのは政府の大切な役割だ。

ニュージーランドにも、カナダにも、ノルウェーにも、

先住民がいる。

彼らの声は無視できない。

 

色んな立場から、色んな意見がでる。

話題は拡散して全くまとまらない。

そんな状態で数年が経過する。

 

 当初は「すぐに条約が出来るだろう」と思っていた人もいたが、

「どうやら文化・芸術の話は、そんなに簡単じゃない。

 一筋縄でないかないぞ」と気づく人も増えてきた。

 

そして2005年。

事務局が準備した文書が、より大きな議論を呼ぶことになる。

WIPOの事務局の人は、

特許や著作権などの知的財産の考え方に慣れ親しんでいる。

だから、ついつい発想がそれに引っ張られる。

「権利を認めて、その権利のOKがないと使えない。

 使うときにはお金を払う」

という知的財産の脳みそになってしまっている。

彼らが“議論のたたき台”として用意した文書は、

既存の制度にそっくりの制度をフォークロアについても作ることを

前提にしたかのような内容になっていた。

 

当然、先進国は大反発することになる・・。

 

次回以降で、議論の具体的な中身についてみていこう。

なぜ議論が全然まとまらないのか?が分かるはずだ。

 

 

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