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読書は数珠つなぎ

読書の楽しみ

秋は本を読もう!

たくさん読もう!

 

「あ!ここで書かれていることは、

 あの本の内容とつながってる!」

 

そんな発見があれば、

読書は途方もない楽しみを与えてくれる。

 

今回は良い本を紹介しつつ、

頭の中で本の記憶がつながっていく様子も説明したい。

 

『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』

最近読んだ本はこれだ。

『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』

 

 

死とは何か?

死は悪いことか?

死を恐れるべきか?

自殺は許されるか?

どう生きるべきか?

 

全ての人間が悩む大問題について、

丁寧に理屈立てしながら追求していく本だ。

 

古典的な哲学や倫理学上のテーマを

非常にわかりやすく解説した上で、

著者の考えも聞かせてくれる。

 

人生の価値

例えばこんなテーマがある。

「人生に価値があるかどうか、どう測れば良いのか?」

 

1つの考え方はこういうものだ。

人生における良いこと、悪いこと、

すべてのプラスとマイナスを合計した結果がプラスなら、

その人生には価値がある。

マイナスなら価値がない。(というかマイナス)

 

2つめの考え方は、1番目の考え方を調整したものだ。

人生の中身の問題とは別に、「生きることそのもの」に価値がある。

だから上記の計算に加えて、「生」の価値をプラスすべきだ。

結果として合計がプラスなら、人生には価値がある。

 

3つめの考え方は、「生」の価値を絶対視する。

人生で何があったとしても、「生」は無条件にすばらしい!

だから、辛いことしか起きない人生にも価値がある。

全ての人生に価値がある。

 

本の筆者は、1番目と2番目の見方のあいだで揺れている。

もちろん、簡単に答えなど見つかるわけはない。

4つめ、5つめの考え方だってあるだろう。

 

仮に2つめの考え方に立つとして、

「生」の価値、つまり「命の価値」って、どう測ったら良いのだろう・・?

 

ルクレーティウスの難問

他にも面白い論点が紹介されている。

古代ローマのルクレーティウスが提起した難問だ。

 

私たちは自分がいずれ死んでしまうこと残念がる。

自分という存在がなくなってしまうからだ。

でも「自分が存在しない」という意味では、

生まれる前も同じ状態だ。

なぜ人は、死ぬことは残念がるのに、生まれる前を残念がらないのだ??

 

たしかにそう言われれば、不思議な気がする。

多くの人は「あと10年の人生が欲しい」というときに、

死ぬタイミングを「後ろ」にずらして考える。

生まれるタイミングを「前」に発想する人はめったにいない。

どちらも同じ10年なのに。 

なんとも不合理だ。

 

人間は「未来志向」だから、過去よりも未来の方が大事なんだ!

とりあえずそう説明することはできる。

でも、なぜ未来志向なのか?それは正当な考え方なのか?

納得のいく回答は無い・・。

 

ん?

なんか、こんな議論を別の本で読んだ気がするぞ・・。

そうだ!

経済学の本だ!

 

行動経済学の逆襲』

思い出したのは、この本だ。

行動経済学の逆襲』 

 

 

内容をきわめて大雑把にまとめると、こんな内容だった。

 

・ これまでの経済学は、

 人間は合理的に判断して行動することを前提に理論を作っていた。

・しかし実際の人間はそんなんじゃない。

 不合理な行動をとることが多い。

・人間の脳には「不合理な判断をするクセ」がある。

 それを理解した上で、良い方向へ人を動かす経済政策をとろう。

 

人間の脳のクセに焦点をあてて経済を考えるのが、行動経済学

この20年ぐらいで何度もノーベル賞をとっている成長分野だ。 

 

クセの中でも代表的なものが以下の例だ。

 

質問1:あなたはどちらを選びますか?

A:100万円が無条件で手に入る。

B:コインを投げて、表なら200万円が手に入るが、

  裏なら何ももらえない。

 

質問2:あなたには200万円の借金がある。どちらを選びますか?

A:無条件で借金が100万円免除になる。残りの借金は100万円。

B:コインを投げて、表なら借金が全てチャラになる。

  裏なら借金200万円のまま。

 

多くの人が質問1ではAを選び、質問2ではBを選ぶ。

リスクを嫌い確実な利益を好む我々は、

借金を背負うとなぜか急にリスクを好みだす。

なんとも不合理だが、これが脳のクセなのだ。

 

なんだかこの議論、

さっきの「ルクレーティウスの難問」に似ていないか?

 

人生を前に延ばすより、後ろに延ばしたがる傾向・・・

これって、ただの「脳のクセ」に過ぎないのでは??

 

「過去より未来に価値を感じるのはなぜか?」という疑問に

真正面から答えてはいないが、

「ただのクセです」と言わてれしまえば、それはそれで納得感がある。

人類が数千年も悩んできた哲学的難問に、

行動経済学が「正解」を与えてしまったのかもしれない。

 

すごい。

さすがは、ノーベル経済学賞

 

そういえば・・・今年の経済学賞はRCTの人だった。

ランダム化比較試験(RCT)の手法を使って

世界の貧困問題に取り組んだ人が受賞していた。

RCTを解説した本も読んだことがあるぞ・・。

 

『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』

これは、統計学の本だ。

『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』

難しい本が多い中で、これは読みやすかった。

 

  

大量のデータが計測される現代社会では、

データを正しく分析する力が重要だ。

 

しかし、統計を駆使してどんなに正しく分析しても、

「因果関係」が分からない。

 

「広告を打ったときにアイスクリームの売上が伸びた」と分かっても、

広告を打ったからなのか?

その夏が暑かったからなのか?

景気が良かったからなのか?

全然違う原因があるのか?

因果関係がわからない。

 

こうなると正しい行動がとりづらい。

売上アップのために、広告を打つことに意味があるのか、

証拠に基づいた判断ができない。

 

統計は因果関係が苦手だった。

 

しかし、学問は進歩する。

ランダム化比較試験(RCT: Randomized Controlled Trial)

という方法が開発され、因果関係が分かるようになってきた。

 

RCTは、現実の世界で実際に実験をしてしまう手法だ。

ランダムにグループ分けした上で、

結果の差を比べることで因果関係を調べることができる。

 

例えば、消費者をAグループとBグループにランダムに分け、

片方には広告を見せ、片方には見せない。

各グループの売上の差を分析することで広告の効果を明らかにするのだ。

(こう書くと簡単なようだが、いつもRCTが使えるわけではなく、

 特定の条件に当てはまったときに初めて有効になる)

 

こうして、様々な問題の解決策がわかるようになってきた。

実際にアメリカでは、

政府がRCTを活用して政策を決めるようになってきている。

アイスクリームの広告と同じように

「この政策は効果がある」という科学的な証拠に基づいて、

国の予算が組まれているのだ。

 

そういえば、

科学的な政策決定についての本も読んだことがあるな。

何だっけ・・・

 

ナッジ

行動経済学は、人間のクセを分析する。

この新しい経済学から得られる知見を活かし、

うまく相手を良い方向へ誘導する手法が「ナッジ」と呼ばれている。

(「ナッジ」=「ひじで軽くつつく」)

 

例えば、年金制度に多くの人に加入させるため、

「初期設定」を「加入」にしておく。

嫌なら加入しないことも選べるが、自分でそれを選択しないといけない。

そのようにデザインしておく。

たったそれだけのことで、加入率が跳ね上がるのだ。

 

大切なのは、「強制」ではないこと。

最終的に選択する権利は、ナッジを受ける人々に残すという点だ。

 

そういえば、何かと話題の小泉進次郎氏も、ナッジが好きだったな・・。

 

小泉進次郎オフィシャルブログ 「ナッジ」とは。

https://ameblo.jp/koizumi-shinjiro/entry-12422659472.html

 

よく考えてみれば、ナッジに近いことは昔から行われてたんじゃないか?

政府が国民を誘導するって、普通にやることなんじゃないか?

例えば、子育て世帯にたくさんの補助を与えることで

子作りを奨励するとか。

 

そういえば、このあいだ読んだ歴史の本にも似たようなものがあったな・・。

 

オスマン帝国500年の平和』

 この本も本当に面白かった。

オスマン帝国500年の平和』

歴史の本だが「戦争」よりは「統治」に重点がおかれた内容だ。

 

 

行動経済学統計学と同じように、

オスマン帝国の研究もここ数十年で大きな進歩を見せている。

 

オスマン帝国は、13~20世紀に繁栄した多民族帝国だ。

アナトリア、バルカン、アラブ地域などを支配していた。

 多種多様な文化、宗教、風習をもつ民族を治めるのは大変だ。

この本は、帝国のスルタン(皇帝)や官僚たちが、

苦労しつつも柔軟に統治を進めていった様子を詳しく教えてくれる。

 

オスマン帝国は「右手に剣、左手にコーラン」を持って、

 征服した民族を無理やりイスラム教に改宗させていた。❞

以前は、そんなイメージが一般的だったが、

研究の進んだ今は、全然ちがう。

間違ったイメージだったとわかっている。

 

それぞれの民族が、

それぞれの宗教を認められながら平和に共存していた。

 

それでも帝国の「公式な」宗教はイスラム教だったので、

できるだけ多くの人にイスラムの教えを信じてほしい。

 

そこで帝国は「イスペンチ」という税金を導入した。

これによって、イスラム教を信じない人は、

イスラム教徒より少しだけ多く税金がとられるように調整した。

でも、改宗することは強制ではない。

自分の宗教を信じ続けることは自由だ。

 

これって、「ナッジ」のようなもんだな。と思う。

 

民族の時代

おおむね平和に統治されていたオスマン帝国だったが、

18~19世紀に「民族の時代」がやってくる。

 

それまでの人々のアイデンティティは宗教だった。

「俺はイスラム教徒だ」「キリスト教徒だ」「ユダヤ教徒だ」

そうやって自分を理解していた。

イスラム教は他の宗教を認めていたので平和だった。

 

しかし「民族の時代」には、

「俺はギリシャ人だ」「セルビア人だ」「ブルガリア人だ」

と、民族で自分を定義するようになった。

「なぜ俺たちが、他の民族に支配されないといけないんだ!」

となっていく。

 

こうして中東やバルカンで民族紛争が際限なく起きるようになった。

多くの人が死んでいった。

 

以前に紹介した『オシムの言葉』と『ブラック・スワン』で、

ユーゴスラビアレバノンの内戦を話題にしたが、

オスマン帝国を学んだおかげで、そのルーツがよく分かるようになった。

また読み直してみたい。

 

 

 

 

 

『シンプルな政府 ❝規制❞をいかにデザインするか』

 オスマン帝国の政策はわかった。

そうだ!現代の❝帝国❞、アメリカの政策の本を思い出した。

『シンプルな政府 ❝規制❞をいかにデザインするか』 

 

 

行動経済学統計学を使い、

オバマ大統領の下で❝科学的証拠に基づいた❞政策を

実際に作っていた人が書いた本だ。

 

環境規制や福祉の分野で「ナッジ」を活用しまくって

政策を作っている様子がよく分かる。

アメリカって、やっぱり凄い。

 

日本の著作権も、うまく科学的証拠に基づいて再設計できないだろうか?

「作品を創作した人に、著作権という❝ご褒美❞を与える」

これもある意味「ナッジ」かもしれないが、

そんな大雑把な仕組みではなく、

もっと緻密に科学的に制度を作れないだろうか??

そんなことも考えてみたくなる。

 

命の価値

この本の中で印象的だったのが、

「命の価値」をお金で計算している部分だ。

 

例えば、ある政策を実施することで10億ドルのコストがかかるとする。

それによって大気汚染が減り結果的に1000人の人間が

肺がんにかからずに済み、命が助かるとする。

でも、10億ドルを別の政策に使った方が、

もっと人々の幸せを向上させるかもしれない。

この政策を実施すべきか?

 

こんなときは、「命の価値は何ドルか?」を算出しないと、

判断のしようがない。

「人の命は地球より重い!」と叫んで何もしないより、

命の値段を決めた上で前向きなアクションをとった方がいい。

 

では、命の値段って、いくらなの??

 

難しい問題と思われるかもしれないが、 

実は、命の価値はすでに決まっている。

我々が悩むとっくの前に「市場」が決めてしまっているのだ。

 

例えば、同じ会社に勤めるAさんとBさん。

2人とも普通のデスクワークをしているが、

Bさんにだけ特別な業務がある。

工事現場に行ってガス漏れがないか確認する業務だ。

Aさんよりも、ほんの少しだけ危険な仕事だ。

もちろんめったなことは起きないが、

この業務のせいで死んでしまう確率は10万分の1だけある。

だからBさんには危険手当として50ドルのボーナスが支払われている。

Bさんもそれを納得している。

 

この場合、Bさんの命は

「50ドル × 10万 = 500万ドル」

ということになる。

 

市場を調査して広く受け入れられている金額をもとに、

命の値段は算出できる。

というか、いつの間にか市場の中で決まっていたのだ。

命の価値は測れる。

 

ん?

こんな議論、どこかで見た気がするぞ・・。

 

そうだ!

『「死」とは何か』の本の中にあった論点だ!

「生」の価値をどう測るか?

こんな哲学的な難問に、市場が答えを見つけていたのだ!

 同じように人生の喜びや苦しみの価値も値付けしてしまえば、

人生に価値があるかどうか、分かるようになるかもしれない!

 

少しゾッとするような考え方だが、

こんなドライな結論が案外正しいのかも・・。

 

いやいや!そんなことはない!

人の命の価値を数字で測れるわけはない!

そう反論してみたい気もする。

この反抗心こそが「人間らしさ」なのかもしれない・・。

 

読書は数珠つなぎ

こんな感じで、良い本に巡りあうと

次々と本の記憶が呼び覚まされる。

思考が数珠つなぎになっていく。

知識が立体的になったのが分かる。

脳の中で、❝グオッ❞と巨大な建物がたちあがる感じ。

この快感は、他では代えられない。

 

私は読書が大好きだ。

これだけで、私の人生の価値はプラスだ。

間違いない。

 

気になる本を手あたり次第に読めば、

あなただけのつながりが見つかる。

自分だけの建物ができる。

それがあなたの個性になる。

 

秋は本を読もう!

たくさん読もう!

 


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