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グーグル VS ディズニー 抗争の勃発とその行方を予想する(1)

私はグーグルとディズニーの間で争いが起きると予想している。

 

その抗争は、

経済的・ビジネス的な戦いである以上に、

思想的・宗教的な戦いとなるだろう。

 

そう考える理由と戦いの行方について、

これから数回かけて説明していこう。

 

 著作権における左派と右派

 著作権の世界には、「左の思想」と「右の思想」がある。

といっても、

憲法9条を改正すべきだ!」とか、

同性婚を認めるべきだ!」とか、

そういう話じゃない。

 

著作権を強めるべきか?弱めるべきか?」という話だ。

 

あなたが小説を書くケースで考えてみよう。

 

あなたは自分が面白いと思う物語を創作する。

自分以外の誰にも書けないと思える素晴らしい作品ができあがる。

さあ、この作品をどうしよう?

まずは身近な友人に読んでもらう。

すると「面白い!」「一気に読んじゃった!」と言ってもらえた。

嬉しい。

もっと沢山の人に読んでほしい。

自分でコピーを作って、周りの人に配る。

ネット上にも公開する。

すると全国から声が届きはじめる。

「感動した!」「生きる勇気をもらえた!」

嬉しい。嬉しい。

書いて良かった。

もっと読んでほしい!

 

そのうち、作品のファンクラブができる。

ファンの中には、あなたの小説をマンガにしたり、

パロディにしたりして、同人誌を販売する人も出始めた。

これがなかなか良く出来ていて面白い。

小説ではなく、マンガを読んではじめてあなたを知る人もいるようだ。

「そうか。私の作品を元にして、また新たな作品が生まれて、

 新たなファンが増えていく。

 これって素晴らしいことだわ!」

一方で、少しひっかるものも感じる。

「私がこだわって書いた主人公のセリフ。

 本当は変えてほしくなかったな・・。

 まあ、作品が好きでやってくれてるんだし、いいか」

 

あなたが「何でもOK」という姿勢をみせているので、

これをビジネスにしようという人も現れる。

あなたに無断で「あの小説の豪華装丁本!限定版です!」と宣伝して

出版した業者が多額の売り上げをあげてしまう。

調子にのったファンが、

あなたの小説をエッチなバージョンに書き変えて売り出し、

大人気の小説家になってしまう。

セクシーな女優を起用したドラマ化の話もあるらしい。

 

ここまで来ると、あなたも黙ってはいられない。

「この作品は、わ・た・し、のものなんです!

 私の許可なくお金儲けに利用したり、

 勝手に内容を変えられるなんて、我慢できません!

 こんなことが許されるなら、誰も作品をつくって発表しなくなります!」

こうして、あなたは著作権を主張するようになる。

 

著作権・左派思想

上記のお話のうち、

前半にあなたが感じていた気持ちから「著作権・左派思想」が生まれた。

 

「もっと沢山の人に読んでほしい」

「どう利用されてもOK」

「私の作品を元にして、新たな作品・価値を生み出してほしい」

こんな思いをベースにし、次のような主張がされるようになる。

 

「作品が自由に流通するのは良いことだ。

 お金持ちであっても、貧しい人であっても、

 みんが平等に作品楽しめることができる世界は素晴らしい。

 作品は社会全体の財産だ。

 過去の作品を自由に使えるからこそ、新たな作品も生まれる。

 作品の自由な流通・利用をジャマする著作権なんてものは、

 弱めた方がいい!」

 

これを私は「著作権・左派思想」と呼んでいる。

このコトバは私の勝手なネーミングだが、

これに近い考え方で「copyleftコピーレフト)」という考え方が実際にある。

主にソフトウェアの業界の思想で、

強すぎる「copyright(コピーライト)」への反動から生まれた。

プログラミングを好きな人たちが

ネット上で様々なソフトウェアを自由に利用し合い改良を重ねたからこそ、

革新的なソフトが生まれるんだ!

厳しい規制は良くない!

という考えに基づいた思想運動だ。

 

「小説、マンガ、音楽などを自由に使えることが「善」だ」という考えは、

コピーレフトにも通じる哲学なので、

このブログでは「著作権・左派思想」と呼びたい。

 

左派思想の中には

著作権を全て廃止したい!」という「極左」の人もいれば、

「今の著作権制度はそのままに、みんなが利用しやすい工夫をしよう」という

「穏健派」もいて、幅が広い。

クリエイティブ・コモンズ」という運動は、「穏健派」に分類されるだろう。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンスとは

https://creativecommons.jp/licenses/

 

著作権・右派思想

著作権・右派思想」は、

上記のお話のうち、後半にあなたが感じた気持ちを出発点にしている。

 

「私の魂から生み出した作品は私のもの」

「勝手に使われたら、私の気持ちが踏みにじられる」

「経済的にもアンフェアだ」

こんな思いから、次のような主張が生まれる。

 

「作品には作家の人格が込められている。

 作品は作家個人のものなのだ。

 これを守ることは人権上とても大切なことだ。

 作品が守られるからこそ、

 「次もがんばって良いものを書こう」と思えるのだ。 

 作品が勝手に他人に使われないために著作権を強くしよう!」 

 

これが「著作権・右派思想」だ。

 

「人権」「作家のやる気」などをキーワードにして、 

 「小説、マンガ、音楽などをちゃんと守ることが「善」だ」

という考え方になっている。

 

左派と右派の一致点

左派思想と右派思想、ぜんぜん違う考え方のようだが、そうではない。

どちらも著作権の存在そのものは否定していない。

(ただし極左思想だけは別。)

著作権の必要性は認めながらも、

「今の著作権は強すぎる」というのが左派で、

「今の著作権は弱すぎる」というのが右派なのだ。

 

上記で紹介した「copyleftコピーレフト)」のルールの一つに

こんなものがある。

「あなたにこのソフトウェアを自由に改良することを許可します。

 その代わり、条件があります。

 あなたが改良したソフトウェアも

 みんなに自由に使わせないといけません」

こうして自由に使えるものを世の中に増やしていこうという作戦なのだが、

もとのソフトウェアに著作権があることを前提にしないと、

この作戦は機能しない。

ハナから著作権が存在しないのなら、

このルールに従う必要がなくなってしまうからだ。

 

著作権・左派思想も、

著作権があること自体は認めている。

 

また、左派と右派の究極的な目標も同じだ。

どちらも「良い作品がたくさん生まれる豊かな文化・社会」を目指している。

ただ、その目標にたどり着くための方法が違うのだ。

 

左派思想の強み

左派思想の強みは、人間の自然な感覚に訴えかけやすい点だ。

 

「自分が頑張って作ったものを、みんなに知ってほしい」という思いは、

人間のナチュラルな感情だ。

源氏物語』を書いた紫式部もそうだった。

当時の日本の貴族社会では、

みんなが彼女の書いた物語を読みたがった。

勝手に手書きのコピーをとられ回し読みされていた。

彼女はそれが嬉しくて仕方なかった。

だから頑張って、「世界最古の長編小説」と言われる作品を

書きあげることが出来た。

彼女は作品の著作権を主張しようなんて、これっぽっちも思わなかった。

そもそも、そんな発想がなかった。

 

紫式部

「あなたはなぜ、

 自分の作品が勝手にコピーされているのを黙ってみているんですか?」

と質問しても、目が点になるだけだろう。

 

そして、当時の人々も当然のように他人が作った作品を自由に利用していた。

それが「普通のこと」だった。

 

人類の歴史上、著作権なんてものが生まれたのは

つい最近の話だ。

我々は、まだ著作権という新しい考え方に十分に馴染んでいない。

これは、「酢豚に入ったパイナップル」のようなものかもしれない。

「これが入っている方がお肉が柔らかくなる

 (著作権がある方が豊かな文化が生まれる)」と頭ではわかっていても、

どうしても違和感を感じてしまう。

「お肉料理に、なんで果物が入っているの?」となってしまう。

そんな状態で「パイナップルをもっと増やそう」と言われたら、

拒否反応が出て当然だ。

「ちょっと、これ以上は勘弁してよ!」

著作権を強くすることには反対!規制はもっと少ない方がいい!」

と主張することになる。

これは日常的に著作権に違和感を感じている人々の共感を呼びやすい。

音楽教室著作権利用料を請求したJASRACが世間の非難をあびたのも、

「子供たちが音楽にふれる場に、なんで著作権が??」という、

素朴な違和感があったからだ。

 

 

左派思想のもう一つの強みは、「表現の自由」と相性がいいことだ。

 

あなたが人々に何かを伝えたい!表現したい!と思っていても、

著作権にひっかることは出来ない。

著作権は「表現の自由」を奪う権利であることは間違いない。

 

そして「表現の自由」は日本国憲法にも書いてあるくらい、

「由緒正しき権利」だ。

(一方で「著作権」は憲法のどこにも書いていない!)

 

著作権をこれ以上強くしたら、

 憲法で保証されている表現の自由がなくなってしまう」

という主張には、すごく説得力がある。

 

著作権・左派思想には、

「人間の自然な感覚」と「表現の自由」という後ろ盾があるのだ。

 

右派思想の優勢

 ここまで書くと、左派の方が優勢なんじゃないか?と思える。

しかし、現実の世界では逆のことが起こっている。

 

著作権の誕生以来、一貫して右派の方が勝利をおさめてきた。

 

最初は「本を勝手に追加製造させない権利」としてスタートした権利だが、

少しずつその勢力範囲を広げていった。

「勝手に演奏・上演させない権利」

「勝手に放送させない権利」

「勝手にインターネットで使わせない権利」

など、次々と新しい権利を獲得していった。

 

また、最初のころは「作者の死後10年」くらいで

著作権は切れることになっていた。

死後10年待てば誰でも自由に作品を使えた。

しかし、この保護期間もどんどん長くなっていった。

10年から20年へ、20年から30年へ、30年から50年へ・・・

最近では、また日本の著作権法が改正され「死後70年」まで延びてしまった。

大きな反対運動があったにもかかわらず。

またも右派思想が勝利をおさめたのだ。

 

著作権を侵害したときの罰則もどんどん厳しくなっている。

 次々と基準が引き上げられた結果、刑事罰は個人に対して

「マックスで懲役10年 & 罰金1000万円」になった。

会社に対しては「マックス罰金3億円」だ。

これは窃盗罪の「マックスで懲役10年 or 罰金50万円」より厳しい。

リアルなモノを盗むより、形のないモノを盗む方が罪が重いのだ。

 

右派の勝利に次ぐ勝利。

左派の敗北に次ぐ敗北。

これが著作権の歴史なのだ。

 

なぜこのようなことが起きるのか?

 

一番の理由としては、ここ数百年の人類の❝流行りの思想❞である

「人権尊重」というブームに見事にのることが出来たからだろう。

以前の記事で書いたとおり、昔は神様が全てを支配していた時代だった。

しかし、ルネッサンスで「人間こそが尊いのだ」という思想がうまれ、

フランス革命のころには、人権尊重という大ブームがヨーロッパを駆け巡り、

それが世界中に広まった。

 

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右派思想は賢かった。

著作権も大切な人権の一つである!」 と主張し、

人々にそれを納得させた。

 

左派思想の人がいくら「人間の自然な感覚」と「表現の自由」を訴えても、

「あなたは人権を軽視するのか!」と言われてしまうと、反論しづらい。

何しろ人権尊重の時代だ。

時代にのった主張の方が通りやすいのだ。

 

右派と左派の不思議な分布

右派と左派の数百年にわたる戦い。

ここまでは、右派が左派をボコボコに叩きのめしてきた。

細かい部分、つまり局地戦で左派が勝つこともたまにはあったが、

右派のワンサイドゲームであったことは間違いない。

 

しかしこうなると、

さすがに著作権の制度全体のバランスが右に傾きすぎてるんじゃない?

と感じる人が増えてきている。

著作権を専門とし、法改正の歴史に詳しくなればなるほど、

そう感じるようだ。

私の知る限り、著作権に詳しい専門家はみな「左派思想」になっている。

(本人が認めるかどうかはともかく。)

左派思想の人の特徴として、

やたらと「バランス」という言葉を使うので、見分けがつきやすい。

かく言う私も左派寄りだ。

バランスが大事だと考えている。

 

逆に著作権についてなんとなくの知識しかもっていない人は、

著作権で稼いでいる業界団体(つまり右派)の影響を受けやすい。

著作権は人権です。人権侵害の被害が深刻な状態になっています。

 知的財産を守ることは競争政策の上でも重要です」

といった説明にコロリとやられ、知らないうちに「右派思想」になる。

「知的財産は大切です。しっかり守らないといけません」と言った方が、

かしこく見えるし。

法律をつくる国会議員も、ほとんどがそうだ。

こうして著作権制度は右に傾き続けてきた。

 

そういう観点では、

以前の記事で紹介した「ダウンロード違法化」にストップがかけられたのは、

画期的なことだったと言える。

文化庁の審議会で「GO」が出たものを、

政治家が止めるなんて、これまでなら考えられなかったことだ。

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著作権に詳しい人ほど「著作権を弱めよう」と言い、

著作権を知らない人ほど「著作権を強めよう」という考えに賛成する。

そんな、逆転現象のような不思議なことが起きているのだ。

 

1つの目線として

もちろん、世の中にある色んな考え方を「右か左か?」で

スッパリと切り分けてしまうことが、いつでも可能なわけじゃない。

でも、どこから理解したらいいか分からないものを勉強するときに、

自分の中で一つの基準をもつことは大切だ。

 

政治に全然興味がない人は、政治家の長い演説をきいても退屈するだけだ。

言ってることは「未来のために」とか「力を合わせて」とか、

当たり前の聞き飽きた言葉ばかりだし、

肝心のポイントについては玉虫色のことしか言わない。

でも、自分の中で一つの目線をもつと違って聞こえてくる。

「この人は憲法改正に賛成なのか?反対なのか?」

「この人は大阪都構想に賛成なのか?反対なのか?」

など、何か一つのテーマをもって注意深く演説をきけば、

自然とその人の狙いが読み解けるようになってくる。

 

著作権の世界を理解する上では、

「左派思想か?右派思想か?」という目線は、きわめて有効なのだ。

今後、ニュースなどで著作権の話題が出たときには、

「これは左派か?右派か?」と意識しながら聞いてみてほしい。

 

 

次回は「左派思想の権化」であるグーグルと、

「右派思想の最強戦士」であるディズニーについて見ていこう。

 

オリンピックの・・

以前の記事で

東京オリンピック利用規約ジャイアンより乱暴だ」

という趣旨の内容を書いた。

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大手メディアも、やっと気付き出したようだ。

朝日新聞の記事になっている。

 

●五輪会場、自撮り動画ダメなの? SNS投稿禁止に波紋:朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/ASM5Q7J9YM5QUTIL082.html

 

今後どういう流れになるのか?

大炎上するのか・・??

注目だ。

 

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https://twitter.com/Kei_Yoshizawa_t

 

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