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日本語、その愛しさと切なさと心細さと(1) 新元号はなぜいまだに漢字2文字なのか?

元号

まもなく新元号が発表になる。

「どんな元号になるんだろう?」とワクワクしている人も多いと思う。

 

私には、確実に予想できることが1つだけある。

それは「新元号は漢字2文字になるだろう。」ということだ。

 

「何を当たり前のことを・・」と言われるかもしれないが、

なぜそれが「当たり前」なのだろう?

 

日本の元号なんだから、

「桜元年」とか「しあはせ元年」とかでも良いのでは?

グローバルな時代なんだし、

「Peace元年」とか「ダイバーシティ元年」でもOKなんじゃないか・・?

 

漢字2文字のパワー

昔の日本人は、おとなりの超先進国・中国をお手本にしていた。

中語から文化や法律をたくさん取り入れた。

その中国の元号は漢字2文字だった。

だから日本もそれをマネして元号を漢字2文字にした。

ここまでは良い。 

 

しかしその後の日本は、

遣唐使の廃止」「鎖国」等をして海外文化が入ってくるのにブレーキをかけ、

独自の文化を発展させた。

明治維新では西洋文明を急速に取り入れ、

中国を追い抜いて近代化してしまった。

 

そんな時代にも

元号を日本オリジナルの平仮名にしよう」とか、

「西洋の先進国の言葉を元号に取り入れよう」などの声が

あがることはなかった。

 

いまだに我々は無意識のうちに

元号は漢字2文字」ということを前提にしている。

なぜだろう?

 

答えを簡単に言ってしまえば、

日本人にとって漢字2文字が一番

深い意味が込められていて、格式高そうに感じる。

つまり、「もっともらしく見える」からだ。

 

逆に「桜元年」、「しあはせ元年」、「Peace元年」からは、

なんとなく締まらない感じがしたり、軽薄な印象を受けたりしてしまう。

「コレジャナイ感」がある。

 

これだけ英語がもてはやされている時代でも、

日本人にとって漢字2文字には不思議なパワーがあるのだ。

 

『漢字と日本人』 

おもしろい本を紹介したい。

『漢字と日本人』だ。

元号について直接的に書かれたものではないいが、

日本人の思考回路と漢字の関わりについて深い理解を与えてくれる。

 

著者は中国文学の専門家・高島俊男氏。

漢字についての幅広い知識をもとに、

中国語の特徴、日本語の成り立ち、使うべき言葉などについて語っている。

 

この本、たびたび話が本筋からはずれる。

1ページ目からいきなり「ちょっと横道にそれますね」と言って、

「仮名」と「假名」の使い方について数ページ使って解説する。

やっと元の話に戻ったかと思うと、またすぐに

「こうせん」と「コーセン」の書き方の違いについての説明が始まる。

何度も寄り道を繰り返す。

そして、それぞれの寄り道が面白い。

 

言葉に興味のある人なら、ぜひ読んでみてほしい。

 

 

 

 

寄り道のせいで、なかなか話が進まないのだが、

著者のメインのメッセージは明確だ。

「日本人は漢字無しではモノを考えれられないようになった」

ということだ。

 

本の内容を大幅に変えさせていただき、私なりの理解で説明しようと思う。

 

日本語の歴史

「ことば」は変化する。

社会環境の変化、外国語の影響などによって、

少しずつ進化(または退化)していく。

 

日本語も同じだ。

日本の歴史を通じて、ことばは劇的に変わってきた。

 

日本語の歴史は大きく3つの時代に分けられる。

1.やまとことばの時代

2.漢字がジワジワ浸透した時代

3.西洋文明が一気に流れ込んだ時代

 

それぞれの時代をみていこう。

 

やまとことばの時代

ユーラシア大陸の東の果てに浮かぶ島に、日本人のご先祖様が住んでいた。

彼らが話していた言葉が「やまとことば」だ。

「やま」「あめ」「かぜ」「あつい」「さむい」というような、

今でも日本語に残っているような言葉を使って会話していた。

(発音は今とはかなり違っていたようだが。)

 

この言語には、

おとなり中国の人がしゃべっていた漢語の影響が見られない。

ご先祖様は他のどの言語とも関係を持たないオリジナルの言葉を使っていた。

 

やまとことばは、おおらかでのんびりしている。

当時の会話を聞いたら、なんとものどかな空気を感じ取れただろう。

 

そして重要なのが、この時代に「文字」はなかったということだ。

やまとことばの全ては、話し言葉(とたぶん、歌)だけだった。

言葉を文字にして記録しようという発想そのものがなく、

言葉とは、音で聞いて理解するものだった。

 

(ちなみに、文字が無い言語は珍しいものではなく世界中にある。)

 

漢字がジワジワ浸透した時代

ゆったりした日本文化の世界に「漢字」がやってきた。

今から千数百年前のことだ。

 

話し言葉しか持たなかった日本人が、

ついに「書ける言葉、読める言葉」があることを知ったのだ。

 

「これは便利だ!」「言葉を書き残せるってステキ!」

たちまち大好評に・・・とは、ならなかった。

逆に、多くの人々が苦労するようになった。

漢字と、やまとことばの相性が非常に悪かったのだ。

やまとことばは漢語の影響を受けずに発達したので、

発音や文法が全然違っていた。

 

漢字は中国大陸に住む人がしゃべる漢語に合うように発明されたものだ。

漢字を設計した人が、東の島国のことまで考慮していたわけがない。

だから、漢語になら完璧にフィットする一方で、

やまとことばには全然合わなかった。

他人のためにオーダーメイドされた服を、

体形の全く違う人間が着るようなものだ。

とにかく合わない。

 

(日本の隣の国がアルファベットを使っていたなら、まだマシだったろう。)

 

でも残念ながら、当時の日本人にとって「文字」といえば漢字しかなかった。

「文字イコール漢字」だった。

他の選択肢はない。

しかも、中国といえば物凄く進んだ国なのだ。

その国が使っている文字なら素晴らしいものに違いない!

自分たちでゼロから文字を作るなんて発想は生まれるはずもない。

 

こうして、やまとことばを漢字で書くための涙ぐましい努力が始まった。

 

訓読み・かな

まず「訓読み」という荒業を使った。

「shan」と発音すべき「山」という字の音を無視して

「やま」と読むことにしてしまったのだ。

訓読みに慣れた今の日本人にはフツーのことに思えるかもしれないが、

これはかなり強引なことだ。

「これからは「mountain」と書いて「やま」と読むことにします!

 意味が同じなんだから、それでいいでしょう?」

と政府が発表したら、全国民から大反対が起きるだろう。

それぐらい無茶なことをやったのだ。

 

かといって全てを訓読みにしたわけではなく、

「山」を「shan」と読む読み方も残した。

これが「音読み」となり、

我々は「山」を「やま」と読んだり「サン」と読んだりするようになった。

 

訓読みは漢字の「意味」に注目したやり方だが、

漢字の「音」の方を利用する方法もあった。

「阿」「伊」「宇」の意味は無視してしまい、

「ア」「イ」「ウ」という音を表す文字にしてしまったのだ。

 

つまり、当て字だ。 

この当て字が少しずつ簡略化されていき、

ひらがなとカタカナが出来上がった。

 

こうして相性のわるい漢字に四苦八苦しながら

数百年かけて適応しているうちに、

日本の書き言葉はゴチャゴチャしてきた。

漢字は読み方が何種類もあるし、

ひらがな、カタカナ、漢字の3種類を使い分けないといけない。

こんな言葉は世界的にも珍しい。

今でも日本語を学ぼうとする外国人が最初につまづくポイントだ。

 

高等な概念

漢字は書き言葉だけでなく、日本人の考え方そのものにも影響を与えた。

 日本人の思考を一段上に押し上げたのだ。

 

やまとことばには

「あめ」「かぜ」「ゆき」「あつい」「さむい」などの

目に見えるものや体で感じ取れるものを表す言葉はあった。

しかし、それら全体を表す「天候」「気象」という抽象的な言葉はなかった。

日本人は「天候」「気象」という漢字を通じて、

「あめ」「かぜ」「ゆき」・・という共通性のあるものを

「上位概念」として一発でまとめてしまう考え方を学んだ。

 

同じように「理」「義」「恩」「徳」といった、

日本人がまだ知らなかった価値観・概念が漢字の形をとって入ってきた。

 

我々は言葉なしでモノを考えることはできない。

「概念」という言葉の意味・概念を「概念」以外の言葉をつかって

とらえることが出来るだろうか?

漢字で新しい概念をインプットされた人間は、

それを漢字で考えることしかできないのだ。

日本人の根本的な思考回路に漢字がジワジワと浸透しくいく。

 

まだよちよち歩きだった段階のやまとことばに、

成熟した大人の言葉・漢字が 入ってきた。

まだ試作段階のOSである昔のWindowsに、

最先端のAndroidを無理やりつなげたようなものだ。

かなり危なっかしい。

我々のご先祖様は、原始的なプログラムを必死で作動させながら、

超高度なプログラムを制御しようとしたのだ。

本当に大変だったろうと思う。

 

漢字2文字

中国の人が使う言葉は、漢字2文字がセットになったものが多い。

「学校」「家庭」「風景」「音楽」「同胞」・・・など無数にある。

その方が言葉として安定するからだ。

1文字だけで意味は十分に伝わるのに、

2文字にするためにわざわざ同じような意味の漢字を重ねたものだってある。

「幸福」「闘争」「尊敬」「負担」「安定」・・・など。

 

なぜ2文字だと安定するかのか・・?については、感覚的な話なので、

理屈ではちょっと説明しづらい。

(私も中国語を少し勉強しているだけなので、何となく分かる程度だ。)

不正確な説明なのを承知で言うと、

話しはじめの赤ちゃんが親のことを「ママ」「パパ」と呼ぶような感覚だ。

「マ」「パ」だけでも十分に伝わるのに、何となく頼りない感じがする。

だから語を重ねて「ママ」「パパ」となる。

祖父、祖母だって「じぃじ」「ばぁば」になる。

 

2文字で安定するという特徴を背負った言葉が日本に入ってきたときに、

日本人はその感覚をそのまま受け入れた。

「漢字というものは2文字が良いのである」と思い込んだ。

このせいで「皮膚」の「膚」のような、

わざわざ付けなくても意味は変わらないうえに、

他には使いようのない漢字が残ったりしている。

 

日本語の方向性

何百年もかけて「他人のために作られた文字」と格闘しているうちに、

日本語と日本人の思考の方向性が定まってきた。

 

・日常的で具体的なことは、やまとことばで。

・高級で抽象的なことは、漢字で。

 できれば漢字2文字で。

 

というのが基本になった。

 

今でも私たちが

元号は漢字2文字がいい」

元号は格式高いもので深い意味が込められたものだ」

と思うのは、こういうわけだ。

我々の感覚の中には、日本人と漢字の長いお付き合いの歴史の跡が

残っているのだ。

 

西洋文明が一気に流れ込んだ時代

日本語は、時間と労力をかけて漢字を取り込むことに

どうにかこうにか成功した。

 

一安心と思ったのも束の間、今度は黒船がやってきた。

明治維新だ。

西洋文明がものすごい勢いで流れ込んできた。

 

当然、新しい概念と言葉が入ってくる。

「science」「phylosophy」「life」「insurance」・・・

これらをどう取り込めばいいんだ!?

 

千数百年前に漢字を取り込もうとしたときの日本語は、

まだよちよち歩きの状態だった。

でも明治では違う。

もう十分に成長し、大人の言語になっている。

それに「高級な文字」である漢字という心強い武器をもっている!

西洋の言葉だって怖くない!

 

西周福沢諭吉など当時のトップレベルの知識人たちは、

とんでもない質と量の西洋の言葉・概念に対し、ひるむことは無かった。

積極的に貪欲に日本語の中に取り込んでいった。

(ちなみに福沢諭吉著作権を日本に紹介した人でもある。

 さすがは一万円札になるだけのことはある!)


彼らの必死の努力のおかげで、

日本の大学では政治経済、物理学、医学などの高度な学問であっても、

今でも日本語で授業ができている。

西洋以外の多くの国の大学では、英語等の授業が当たり前なのとは、

エライ違いだ。

 

明治の偉人たちが西洋の高等な概念を日本語に導入するために頼ったのが、

同じように高等な文字である漢字だ。

「science」「phylosophy」「life」「insurance」を

「科学」「哲学」「生活」「保険」と翻訳した。

やはり漢字2文字だ。

 

こうして現代の私たちが当たり前のように使っている言葉が、

漢字2文字を使って次々と生み出されていったのだ。

政府、議会、会社、物流、道路、郵便、電気、野球、選手・・・・

挙げだすとキリがない。

ためしに、あなたがさっき送ったメールの文章をみてみるといい。

明治維新で生まれた言葉を使わずに生きていくことが

出来なくなっていることが分かるだろう。

 

西洋文明に必死で食らいつこうとする努力の中で、

日本語はリニューアルされた。

そのおかげで紆余曲折はありながらも、先進国の一員になれたのだ。

 

 偉人たちの「手抜かり」

漢字を使って新語を次々と生み出した明治の人は、本当に凄かった。

彼らのおかげで日本語がまた一段上のレベルに上がった。

 

しかし偉い人といえども「手抜かり」はある。

 漢字に頼りすぎたせいで「同音異義語」が大量に発生してしまったのだ。

 

もしあなたが初対面の相手と話しているときに

「それは、カテーの問題なのでコメントできません」と言われたら、

「家庭」か?「仮定」か?

判別できるだろうか?

(ひょっとしたら「過程」かも?)

 

「カガクを勉強しています」と言われたら、

「科学」か「化学」か?

判別できるだろうか?

(できないからこそ「化学」を「バケガク」と読む裏ワザもある)

 

西洋の言葉を翻訳するときに、

漢字の意味だけに着目し、発音のことをあまり気にしなかったせいで

こんなことが起きるようになってしまった。

また、日本語の持っている発音の種類が少なかったことも災いした。

違う意味なのに同じ音の言葉が山のようにできてしまった。

 

工業、鉱業、興行、興業・・・

汽車、記者、貴社、帰社、喜捨・・・

製紙、製糸、生死、静止、精子、正史、制止、正視・・・

 

漢和辞典を開けば、無数の同音異義語が並んでいる。

 

もちろん、明治の偉人たちに責任があるわけではなく、

日本語がそもそもそういう言葉なんだから仕方がなかった。

漢字に頼っているわりに、

漢語のような豊かな発音のバリエーションを持っていないので、

どうしてもこうならざるを得なかったのだ。

 

日本人の思考回路

大量の同音異義語があるのは事実だが、

実際のところ日本人がそのことに苦労しているわけではない。

 

「希望するコーコーに一発で合格してくれました。

 ほんとに親コーコーな息子です」

と言われても「高校」「孝行」だと悩まずに分かる。

 

「キシャのキシャがキシャでキシャした」と言われたとしても

「貴社の記者が汽車で帰社した」と理解できる。

 

さきほど「カガクを勉強しています」の「カガク」が分からないという例をあげたが、

これはレアケースだ。

ほとんどの場合、文脈で分かるのだ。

 

なぜ文脈で分かるのだろう?

このとき、日本人の頭の中で何が起きているのだろうか?

 

以下のようなプロセスだ。

 

・まず耳から「コーコー」という音が入ってくる。

・次に、この音に当てはまる漢字の候補が脳の中で浮かび上がる。

 「高校」か?「孝行」か?「航行」か?「後攻」か?

・漢字の意味と文脈を照らし合わせて一番適切な漢字を選びとり、

 意味を理解する。

 

日本人は、こんな複雑なことを一瞬のうちに何度も繰り返している。

 「日本人は漢字無しではモノを考えれられないようになった」

という意味が分かってもらえただろうか?

 

日本に西洋の文明が流れ込んだ場合、

普通に考えると漢字との日本語の距離が開きそうな気がする。

しかし、事態は全く逆になった。

日本人は常に頭の中で漢字を思い浮かべながら会話するようになった。

日本語と日本人の脳は、ますます漢字と一体化したのだ。

 

明治以後たびたび

「漢字を廃止しよう。漢字は旧時代のものだ。

 日本語を新しい時代にふさわしいものにリニューアルしよう」

という運動が起こっている。

しかしこれは、絶対に不可能なことだと分かるだろう。

「高校」を「コーコー」とか「koko」などと表記するようになり、

漢字が忘れ去られてしまえば

日本人同士がコミュニケーションを取れなくなってしまう。

「漢字を廃止する」とは「日本人の脳を廃止する」のと

ほとんど同じ意味なってしまったのだ。

 

 言語学的には

西洋の言語学、つまり主流の言語学では、

こんなことは有り得ないはずの事態だった。

 

言語学の世界では、 言葉というものの実体は「音」だ。

音を書き表した記号である「文字」は言葉の影のようなものに過ぎない。

と考えられている。

実際、話し言葉だけしかなく文字を持たない言語はたくさんある。

文字は、あってもなくても構わない「オマケ」のようなものだ。

 

しかし日本語の場合、この法則が当てはまらない。

漢字無しでは日本語は成立しないのだ。

漢字は「オマケ」の立場から昇格し「言語の実体」となった。

 

こんなに珍妙な言葉は、日本語の他にはない。

漢字を生み出した当の中国人だって、こんなことはしない。

中国語は「音」だけで意味が通じるからだ。

会話をしながら脳の中で高速で漢字の候補を検索し最適なものを選択する。

こんな神業を平気な顔してやってのけているのは、

日本語ネイティブだけなのだ。

 

 日本語って・・

 以上『漢字と日本人』の内容を私なりの解釈を大幅に加えて紹介した。

もし間違ったことを言っていれば、本の著者ではなく私の間違いだ。

ご指摘いただければ有難い。

 

それにしても、日本語って何と数奇な運命を辿ったのだろう!

 

やまとことばが生まれ、まだよちよち歩きだった時期に、

漢字という非常に高度で洗練された文字がやってきた。

しかも、その文字との相性は抜群にわるかった。

生まれたばかりで右も左も分からないご先祖様の言語は、

自分よりはるかにレベルが高い上に、

自分とは合わない文字と必死になって格闘した。

それも数百年にわたって。

そうしてやっと一人前に成長した日本語の前に、

西洋文明という全く違うタイプの相手が現れる。

日本語はこのときもガムシャラに頑張った。

自分なりに使いこなせるようになった漢字を最大限に活用し、

自分自身を変化させていった。

努力に努力を重ね、やっとのことで世界の最先端に追いついたときには、

他の誰にも似ていない独特の姿になっていた。

 

これが今の日本語だ。

なんと危なっかしい、なんと逞しい、なんと愛おしい言語なんだろう!

 

『漢字と日本人』の著者の高島氏は、

「漢字が入ってきたことは日本語にとって不幸なことだった」と言う。

漢字に頼ったせいで、やまとことばの成長が止まってしまった上に、

相性が悪い文字だったせいで沢山の苦労をしないといけなかったからだ。

 

本当にその通りだと思うが、

「だからこそ良かったんだよ!」

「だからこそ、こんなに面白い言葉と出会えたんだよ!」

とも私は思うのだ。

 

高島氏はこうも言う。

「漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。」

「しかし日本語は、これなしにはやっていけないこともたしかである。

 腐れ縁である。」

 

漢字との腐れ縁に育てられ、

日本語は世界でもずば抜けてユニーク言葉になった。

 

人間は言語を使って考える生き物だ。

ユニークな言語を使うということは、

ユニークな考え方をするということでもある。

 

国境を越えた人と文化の移動が激しくなったこの時代、

ユニークさは、それだけで武器になると思うのだ。

 

日本語の個性を理解し、愛し、面白がってみよう!

機会があれば、海外の人にも伝えてみよう!

そうすれば、日本と世界のハッピーな関係が作れるだろう。

 

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次回の記事をアップする頃には、新元号が発表になっている予定だ。

楽しみに待ちたい。

 

次回は日本語の未来にとって避けては通れない話題、

「英語」について取り上げようと思う。

 

 

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