マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

ゴッホは天国でお金持ちになれるのか? 美術の特殊な世界(3)

ピカソゴッホ

19世紀以降の芸術家として最も有名なのは、

ピカソゴッホの2人だろう。

 

前々回の記事で書いたように、

ピカソは持ち前のマーケティング能力をフルに発揮し、

大金持ちになると同時に、モテにモテた。

 

ゴッホは生前、たったの1枚しか絵が売れなかったと言われており、

ずっと貧乏に苦しみ、モテなかった。

 

あなたは、この2人の天才画家のうち、

どちらの絵が好きだろう?

どちらの人生に共感するだろう?

 

ゴッホの生涯

ゴッホが生まれたのは、ピカソの生まれるおよそ30年前。

1853年のことだった。

 

不器用なタイプで、すぐにキレれてしまう性格だったこともあり、

家族の中でも浮いた存在だったという。

 

会社勤めをしても、上司とうまくやっていけずクビになってしまう。

キリスト教の伝道師を目指すが、勉強についていけずに挫折する。

最終的には、画家を目指すようになった。

 

尊敬していた画家・ミレーの絵から学んだり、

当時の流行だった印象派からの影響を受けたりしながら、

少しずつ自分のスタイルを作り上げていった。

 

南フランスで過ごした時期には、

『ひまわり』『夜のカフェテラス』『ローヌ川の星月夜』など

彼の代表作となるような傑作を次々と生み出していく。

 

本当に素晴らしい作品ばかりだったが、絵は全く売れなかった。

彼の絵を売る仕事は、弟のテオが担当していたが、

テオ自身が兄の絵をそんなに評価していなかったようだ。

当時の売れ筋に合わせて

「もっと流行りの色を使ったらいいのに」とか言っていた。

内心で「イマイチ」と思っている商品を売れるセールスマンはいない。

 

(この弟に、ピカソマーケティング・センスの1%だけでもあれば・・!!

 「私の兄は天才です」と言い切ってしまえる図々しさがあれば・・!!)

 

絵が売れることはなく、ゴッホはずっと極貧生活を送ることになった。

弟からのわずかな仕送りは画材とモデル代に消えていく。

ろくなものを食べていなかったので、歯がボロボロと抜けていく。

生活費をケチって画家仲間のゴーギャンと同居したりもするが、

すぐにケンカ別れしてしまう。

ゴッホの精神は少しずつ追い詰められていく。

 

ゴッホは、女にもモテなかったと思われる。

少なくとも彼の残した手紙からは「モテ男の匂い」が全然漂ってこない。

逆に、女にフラれたエピソードは多く残っている。

20才のときに好きだった女が別の男と結婚してしまったり、

28才のときに7才年上の未亡人にプロポーズしたが、

ダメ。ゼッタイ。

覚せい剤防止のような言われようで拒否されたりしている。

一方で弟のテオは結婚し、かわいい男の子を授かっていた。

 

孤独に苦しめられたゴッホは、たびたび発作に襲われるようになる。

 

治療と発作を繰り返した挙句、

37才のときに自分を銃で撃って亡くなった。

 

これが最も有名な天才画家・ゴッホの生涯だ。

 

作品の評価

 彼の死後、テオの妻が熱心にマーケティング活動をしたかいあって、

作品の評価がグングンと高くなっていく。

 

彼の壮絶な人生を物語るエピソードの数々が紹介され、

ゴッホという人物自身がブランドとなっていった。

 

20世紀に入っても作品の価格は高騰し続け、

今や100億円を超える作品だってある。

あの貧乏だったゴッホの絵が!

 

値段の話はともかく

彼の残した作品は、掛け値なしに素晴らしい。

「絵に魂を込めた」という安っぽいフレーズも、

ゴッホの作品に関してだけは紛れもなく真実だ。

彼の絵を見ているとそう確信できる。

 

f:id:keiyoshizawa:20190323102741j:plain

ひまわり

 

f:id:keiyoshizawa:20190323102934j:plain

夜のカフェテリア

 

f:id:keiyoshizawa:20190323103059j:plain

ローヌ川の星月夜

 

f:id:keiyoshizawa:20190323103211j:plain

アルルの跳ね橋

 

f:id:keiyoshizawa:20190323103506j:plain

星月夜

 

孤独と貧乏に苦しむ男の魂の奥底には、

こんなにも激しく美しい世界が広がっていた。

 

私はゴッホのような人生を送るのはまっぴらだし、

彼のような破天荒な人とは友人になれなかったと思う。

でも、こんな目で世界を見ることができるのなら、

一瞬だけでもいいからゴッホになりたい。

彼のように、この世界から降り注ぐ光を全身全霊で浴びてみたい。

そう思わせてくれる作品だ。

 

著作権のどうどう巡り

私の大好きなゴッホについて語ったところで、

先週の話の続きをしよう。

 

文学、音楽、映画・・など様々なジャンルの著作物がある中で、

美術品だけは特別で「モノ重視」「所有権重視」

という考え方になっていることを解説した。

 

www.money-copyright-love.com

 

このことを念頭に置きながら、

著作権制度について、そもそもの話をしよう。

 

今から数百年前、著作権というものが無かった時代では

小説家は自分が書いた作品の原稿を出版社に渡し、

その原稿の対価としてギャラをもらっていた。

 

面白い小説なら大人気になり、本は飛ぶように売れる。

出版社は儲かった。

 

しかし、小説家にお金が回ってくることはなかった。

出版社のお情けで、ちょっとしたボーナスぐらいは貰えたかもしれないが、

たかが知れていた。

 

小説家は不満だ。

自分が生み出した作品で、出版社だけが儲かっている。

この状態はおかしいんじゃないか?

 

小説家の中でも頭のいい人が、こんなことを言い出す。

「俺たちは原稿を渡すときにお金をもらっている。

 つまり払いきりのギャラだ。

 これじゃ、いつまでたっても俺たちは貧乏なままだ」

「そうだ!ちょっと違う考え方をしないか?

 作品がヒットしたとしても、

 作者の許可がないと本を印刷できないってことにしてしまおう。

 そうすれば、増刷のたびにギャラが稼げるんじゃないか?」

 

こうして、著作権という新しい権利が生まれ、

作者は印税という後々までお金を貰える手段を手に入れた。

 

つまり、原稿という「モノ」を売って単発的に稼ぐというやり方から、

著作物という「データ」を使って長期的に収入を得る方法へと

マネタイズの仕組みを転換したのだ。

 

このシステムは上手く機能した。

 

作品を世間に発表したとしても、最初は売れ行きが悪いこともある。

でも、少しずつ口コミが広がって作品の評価が上がり、

数年後にブレイクすることだってある。

(『君たちはどう生きるか』は80年後に大ブレイクした!)

そんな場合でも、本の増刷が作家のギャラに直結する仕組みになっているので、

作家はしっかりお金を確保できた。

著作権は作品の価値評価の「タイムラグ」を

うまく調整する機能を持っていたのだ。

 

こうなると作家たちも

「すぐには世間にウケなくてもいい。

 いずれは分かってもらえるはずだ。

 流行に左右されない本当に良い作品をつくろう!」

と自分の才能を信じて、より自由に作品をつくるようになっていく。

 

これが著作権だ。

文学の世界で上手くいったので、

音楽や映画など他のジャンルにも同じ制度が当てはめられるようになっていった。

もちろん、美術作品にも著作権が与えられた。

 

しかし、美術のジャンルには著作権の仕組みが上手くマッチしなかった。

小説なら、ヒットすればみんなが本を読みたがり

どんどん増刷され印税がガッポガッポと入ってくる。

絵画の場合では、評価が高くなっても

その絵の画集やポスターが爆発的に売れるということは起きづらい。

人々はあいかわらず美術品という「物体」に価値を感じており、

モノの所有権に基づいた商売をしている。

 

法律の方でも実情に合わせて、

著作権より所有権の方に配慮した内容になった。

・美術品を買った人は、作者の許可なく展覧会を開いてお金を稼げる。

 (著作権法45条)

・展覧会では、作者の許可なくその絵を掲載したパンフレットを

 作ることができる。

 (著作権法47条)

・その絵を売りたいときには、

 作者の許可なく作品の画像をネットに上げることができる。

 (著作権法47条の2)

著作権法は、美術品を完全に「特別扱い」している。

 

しかしそうなると、画家の方は不満だ。

絵の持ち主が何かしようとしても、画家の方で口出しできないのだ。

自分が売却した作品の価値が10年後にはね上がったとしても、

マネタイズできない。

法律が美術品を特別扱いしたせいで

作品の価値評価の「タイムラグ」を調整する機能が働かなくなってしまった。

 

ゴッホの例を見ても分かるように、

美術作品の価値は長い年月をかけることで、

はじめて人々に理解されるケースが多い。

画家たちは「法律で何とかしてよ!」と思うようになる・・。

 

何だか、同じ論点のまわりをグルグル回っているような気がしてくる。

 

美術は特別だ。

 ↓

だから特別扱いをした。

 ↓

そのせいで更なる特別扱いが必要だ。

 

完全にどうどう巡りの議論だ。

 

美術は著作権制度の中でも扱いにくい

「鬼っ子」のような存在になってしまった。

 

どうすれば良いだろう?

この問題を解決するアイディアはないものだろうか?

 

追及権

実は、とりあえずの解決策はすでに存在している。

「追及権」という権利だ。

 

追及権の考え方は割とシンプルで、

美術品が売れたらその金額の数%(例えば3%とか)を、

作家に還元しましょう。というものだ。

 

データではなくモノを対象にした商売にも権利が働くということにして、

著作権と所有権のギャップ」を少しでも埋めようという仕組みになっている。

 

「特別扱い」の上に更なる「特別扱い」を重ねる制度に

なってしまっているし、根本的な解決策ではないかもしれないが、

作家のモチベーションを保つためには、良い仕組みかもしれない。

 

100億円で売れたゴッホの絵の代金のほんの一部だけでも

天国にいるゴッホに届けることが出来れば、

「やっと絵で稼げた!」と

弟と手を取り合って大喜びするのではないだろうか?

もう一度やる気を起こして

素晴らしい天国の景色を描いてくれるのではないか?

 

この追及権、

ヨーロッパやアフリカ、オーストラリアなどでは導入が進んでいるが、

日本では採用されていない。

色んな反対論があるからだ。

 

国内で行われている美術品の取引の全てを把握するなんて

無理じゃないのか?

日本全体でいうと、貰うお金より支払うお金の方が多くなるんじゃないか?

絵の持ち主が作家への支払いから逃れるために、

追及権のない国で商売するようになるだけなんじゃないか?

などと言われている。

(追及権のせいで市場が縮むことはないという調査結果もあるが)

 

世界知的所有権機関WIPO)や日本政府内でも、

検討の議題には上がっているが、議論はあまり盛り上がっていない。

 

そして、当事者の美術家自身が、

作品という「モノ」を売ることばかりに忙しく、

追及権に興味がないように見える。

(日本美術著作権協会という団体が日本への導入を主張してはいるが、

 本気で切実に求めているようには見えない)

 

これが日本の追及権の現状だ。

 

美術家なら

もしあなたが美術家なら、追及権を勉強してみてはどうだろう。

今の状況なら、

ガッツリ勉強すれば短期間で「追及権の第一人者」になれると思う。

学者としての意見ではなく、

美術家ならではの視点で追及権について語れるようになろう。

追及権という「新たなアイディア」を世間に与える

ユニークなアーティストになろう。

今までにない切り口からの仕事も舞い込んでくるかもしれない。

挑戦してみてはどうだろうか。 

 

最後に

以上、3回にわたって美術について書いてきた。

著作権という立ち位置から美術の世界を眺めると、

なんとも特殊で奇怪なジャンルに思えて仕方がない。

 

・ 表現よりもアイディアで目立とうとする現代アートの存在。

・データよりモノを大切にする考え方。

・途方もない金額が動く美術品市場。

 

 著作権の目線で言えば、理解不能だ。

しかし理解不能だからこそ、

美術の世界には何とも言えない魔力があるのだ。

私もついつい引き込まれてしまう。 

 

今日もゴッホの絵を見つめながら、

不思議な魂の世界へ旅立ってみることにしよう。

 

Twitter

https://twitter.com/Kei_Yoshizawa_t

 

www.money-copyright-love.com