問題意識
「人工知能は人間のコンテンツ作りをどう変えるのか?」という
セミナーに行ってきた。
今回はこの報告をしよう。
●コンテンツ東京 基調講演
https://d.content-tokyo.jp/cont/
以前、人工知能とコンテンツ創作、そして著作権の関わりについて
書いたことがある。
この記事の中では、以下のようにまとめていた。
・AIは意味を理解しないので、
当てずっぽうで作品を生み出すことしかできない。
・今後もAIが意味のある長い作品を作ることは期待できない。
・短く意味のない作品を量産することならできるので、
人間が創作するときの助けにはなるだろう。
作品の「部品」を作らせて、それを人間が選んで構成するような。
(特に作曲の分野で使いやすい)
私はこのように考えているが、私自身はAIの専門家ではない。
本当はAIってもっと凄いものなのかもしれない・・。
そう思っていたときに
「人工知能は人間のコンテンツ作りをどう変えるのか?」という
魅力的なセミナーのお知らせが届いた。
AIについて、新しい知見が得られるかもしれない!
そう期待して、参加してみた。
結果から言うと・・・何も得るものはなかった。
私のAIへの評価は1ミリも変わらなかった。
セミナー報告
話題のAIについての最新の話が聞けるとあって、
有料のセミナーなのに、4~500人ぐらいは集まっていたと思う。
登壇したのは、公立はこだて未来大学の松原仁氏。
大学の副理事長であり、「人工知能学会の元会長」という
SF小説に出てきそうな肩書の持ち主だ。
将棋や囲碁でAIがプロを破った!という話題や、
絵画、音楽、パズルなどをAIが作れるようになっているというネタを
次々と紹介してくれた。
特に詳しく解説していたのは「小説」と「俳句」のAI創作についてだ。
AI小説
松原氏は 以前の記事でも紹介した小説を書くAIのプロジェクト
「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」
の立ち上げメンバーの一人だ。
●きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ
https://www.fun.ac.jp/~kimagure_ai/
AIに短編SF小説を書いてもらい、
それを実際の文学賞である「星新一賞」に応募し、受賞することを目指している。
このプロジェクト、松原氏によると以下のように進んだという。
・人間が大まかなストーリーを考える。
・そのストーリーの構造を人間が分析する。
(冒頭に出てくる要素は「時間」「場所」「人物」・・など)
・日本語の文法に合うように、AIが言葉を当てはめていく。
実際にはもっと複雑な手順を踏んでいるのだが、
正確な説明は私の手に余る。
興味がある方は
プロジェクトの中心メンバーの佐藤理史氏が書いた本を読んでほしい。
そもそも意味を理解しないAIに、
意味のある文章を書かせる苦労がよく分かる本だ。
(私も以前の記事を書く前に読んでおくべきだった)
優秀な研修者が苦労をかさねてAIに短編小説を書かせようとしたが、
結局のところストーリーを考え、その構造を分析しているのは人間なのだ。
最後に文章として仕上げる部分だけをAIが担っている。
これって「AIが小説を書いた」と言えるのだろうか・・?
(上記の本にそのような問題意識が詳しく書かれている。
著作権の発生に関わる非常に興味深いテーマだ)
けっきょく「星新一賞」に応募できるレベルの作品は完成したが、
受賞することはできなかった。
これが2015年の話だ。
その後の研究の話題はセミナーで出なかった。
つまり、いまだに3年以上前の古いネタでトークしていることになる。
語れるだけの成果が出ていないのだろう。
松原氏の「数年後には入賞したい」という前向きな言葉だけが浮いていた。
AI俳句
次に丁寧に説明してくれたのが、
AIで俳句を作るプロジェクト「AI一茶くん」だ。
大量の俳句をAIに学習させた上で、
画像データをマッチングさせつつ俳句を詠ませる研究が進められている。
最近ではAIと人間の俳句対決!のイベントも開催されているという。
おしくもAIが敗れたが、なかなか良い勝負だったらしい。
AI俳句で最も高く評価されたのは以下の句だ。
「かなしみの片手ひらいて渡り鳥」
うーーん、なかなか味わい深い。ような気がする。
一方で、よく意味の分からない句もあるらしい。
「山肌に梟のこげ透きとほる」
この対決、本当にAIと人間が対決しているのか?と問われると
よく分からない。
AIが大量に生成した俳句の中から対決用のものを選んでいるのは人間なのだ。
松原氏が自分で言っていたとおり、
AIが俳句対決に勝利することになったとしても、
それはAIが進歩したからではなく、
選ぶ人間が成長しただけのことかもしれない。
それにしても、AIが俳句を詠むって、そんなに凄いことだろうか?
5・7・5に合うように単語を選んで並べるなんて
コンピューターなら一瞬でできることだろう。
そのうえ、俳句には「季語を入れる」というルールまであるのだ。
制約が多いほうが作品を作りやすいことは素人にも分かる。
小説と俳句
AI小説は3年以上前のネタしかなかったが、
AI俳句は最近の話が多かった。
今もりあがっているのは俳句の方らしい。
でも普通に考えると、順番が逆なのでは?
AIにも取っつきやすい俳句の方でまず成果を上げ、
それから難しい小説に挑戦するのが順序というものでは?
それぞれのプロジェクトの研究メンバーが違うことは分かっているのだが、
「小説には手も足も出なかったから、
成果を出しやすい俳句に方向転換した」
みたいに見えてくる。
まるで、
メジャーリーグに挑戦した野球選手が結果を出せずに日本に帰ってきて、
自信を取り戻すためにチビッコ相手の草野球に必死になっているかのようだ。
研究者たちは真面目にとりくんでいる。
彼らは小説や俳句を生み出すことだけを目的にしているわけではなく、
難しい課題に挑戦することで知識を深めることも目指している。
しかし研究の状況を引いた目線で見てみると、印象が変わる。
「最初は大きな期待とともに始まったけど、すぐに限界がみえてきた。
でも世間の注目が集まっているから、
それらしい成果だけは見せておかないと!」
こんな業界の空気が感じ取れるような気がするのだ。
セミナーのまとめ
セミナーの最後に松原氏はこのようにまとめていた。
・AIはランダムジェネレーション(※当てずっぽうに創作すること)は得意。
・できたものが良い作品かどうかを評価するのは人間が得意。
・AIが大量に作ったものから人間が選び取るのが効率的な創作スタイル。
というわけで、
当初から私が抱いていたAIへの評価と同じような内容のまとめとなっていた。
印象的だったのは
目新しいネタのない松原氏の話の内容ではなく、
松原氏のしゃべり方の方だった。
大人数を前に落ち着いていながらも聴衆を気持ち引き込むような話しぶり。
つまり、トーク技術が高かったのだ。
世の中のAIブームのおかげで講演依頼が多く、
人前で話す場数をこなしているのだろうと想像できた。
AIのことは、いったん忘れてしまおう。
AIのことを今は忘れてしまおう。
世間はいまだにAIの話題で持ち切りだが、
少なくともコンテンツ創作の分野では、大したことは起きそうにない。
真剣に研究している人たちを、そっとしておこう。
周りで大騒ぎするよりも、静かな環境で研究してもらった方がいい。
その方が、世間の期待やプレッシャーに惑わされずに、
自分の興味のあるテーマをトコトン追求してくれるだろう。
コンテンツ創作以外の分野で役立つ発見をしてくれるかもしれない。
(研究者の中には、ブームにうまく乗っかって
予算を多く確保しようという人もいるかもしれないが・・)
マスコミが中途半端な知識で書く記事を鵜呑みするのもやめよう。
記者は面白い記事を書きたがる。
研究者に取材し、良いコメントを何とか引き出そうと努力する。
「AIが小説を書けるんですか?」
「書けません」
「でも作品はできてますよね?
これはAIが書いたと言えるんじゃないですか?」
「人間の設計に従い最終的に出力したのはAIです。
AIが書いたと言えるかどうかは、人間の解釈の問題です」
「(まずい。これでは記事にならない・・・)
で、で、でも、
将来的にAIが小説を書けるようになる可能性は否定できませんよね?」
「それはそうですね」
研究者は誠実に答えているだけなのだが、
こうして取材にもとづいた記事ができあがる。
「人口知能の研究で有名な〇〇氏も『AIが小説を書けるようになる可能性は否定できない』と語る。AI作家が書いた本が書店に並ぶ日は案外遠くないかもしれない。」
こんな記事は多い。
AIをさしおいて、
記者の方が想像力豊かなSF作家になってどうするんだよ。
こんな「でっちあげ」に踊らされるのはやめよう。
意味と意識
AI創作の分野でブレークスルーが起き、
面白いコンテンツが次々と自動的に生み出されるのなら、
こんなに素敵なことはない。
私の好みに合った私だけのコンテンツを
無限に楽しめるようになったら・・・。
しかし、コンテンツには「意味」が必要だ。
そして「意味」を生み出し理解するのは人間の「意識」だ。
以前に触れたとおり、意識の仕組みについてはほとんど何も分かっていない。
「意識」のことが分からないのに
「意味」のあるものを人工的に作れるわけがない。
というのが、今のところ私の結論だ。
AIのことは、いったん忘れてしまおう。
https://twitter.com/Kei_Yoshizawa_t