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マンガ作ったよ! & 権利はいつ切れるのか?

マンガ完成

制作していたマンガが完成した。 

 

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マンガ「助手席には流れ星」

 

(※実際の色味はもっと綺麗。写真撮影は苦手)

 

物流会社からの依頼を受けて制作したものだ。

トラック運転手が謎の女性と出会い、

ドライバーとして、人間として成長していく物語になっている。

 

マンガ制作は、端的に言って楽しかった!

そして、著作権への理解も深まった気がする。

 

創作の喜び

私はストーリー制作、脚本、ネーム(コマ割り)までを担当し、

作画を円井在郎(つぶらいあろう)氏にお願いした。

(ネット上のスキルマーケット「ココナラ」を通じて依頼。

 ほとんどネット上だけで作業が完結する。

 良い時代になったものだ)

 

創作活動はとにかく楽しかった。

 

物流会社の大豊物流システムさんからは、

知らなかった業界の話をたくさん伺うことができ、

非常に勉強になった。

 

ストーリー作りでは、

必要な要素をいかに効果的に構成するかを考え、

脳みそに汗をかいた。

 

脚本を作る過程では、

❝自分が創作した登場人物が、意志をもって勝手に行動し始める❞

という感覚を味わうことができた。

 

ネーム作りのときは、

これまで見てきた映画のカット割りが自分の中で醸成され、

見せたいカットを自然に選ぶことができた。

 

作画の段階では、

円井さんが描き出す人物の生き生きとした表情を見るのが

毎回楽しみだった。

「あ、このキャラはこんな顔もするんだな」という発見も多かった。

 

そして何より、最終的に良い作品ができた。

 

コンテンツ制作に携わることはこれまで何度もあったが、

今回ほど実際に自分の手を動かしてモノづくりをしたのは、

学生のとき以来だ。

みずみずしい気持ちを思い出した。

 

貴重な機会を与えてくれた大豊物流システムさんと、

素晴らしい仕事をされた円井在郎先生に、

心からの感謝を申し上げます。

 

著作権の保護期間

マンガを制作したからといって、

いっぱしのクリエイターを気取る気はないが、

今回は創作者の立場から著作権についての感想を語りたい。

 

強く違和感をもったのが、

なんといっても「著作権の保護期間」についてだ。

 

私のマンガの著作権はいつ切れるのだろう?

誰もが自由に使えるようになるのは、いつだろう?

 

なんと、私が死んだ70年後だ!

私が長生きしてあと50年生きるとしたら、今から120年後になる!

あまりに遠い先の話すぎて、自分では何一つ想像できない・・・

 

保護期間?存続期間?

保護期間の話をする前に、

少しだけこまかい言葉の整理をしておこう。

 

一般的には「著作権の保護期間」と言われている。

でも、これは本当は間違いなのだ。

 

作品が勝手にパクられないように発明された権利が「著作権」だ。

著作権は「手段」であって「目的」ではない。

本当の目的は「作品を(パクリから)保護すること」。

つまり保護すべきなのは、「著作権」ではなく「著作物(作品)」だ。

 

だから、正しい言葉づかいは「著作物の保護期間」だ。

どうしても「著作権」という言葉を使いたいなら、

著作権の存続期間」と言えば良い。

著作権法でも、丁寧に言葉の使いわけがされている。

 

ひじょーに細かい話なのだが、人間は言葉の影響を受けやすい。

何も気にせずに「著作権の保護期間」と言い続けると、

ただの手段に過ぎない「著作権」が保護すべき大切なものに見えてくる。

著作権こそが大事だ!」という思想に染まりやすい。

 

もちろん著作権は「人権」の一種なので、守るべきものなのだが、

どの程度大切にすべきかについては色んな見解がある。

そのあたりは以前の記事で「著作権・右派思想と左派思想」として

解説した通りだ。

 

www.money-copyright-love.com

 

 

無頓着に「著作権の保護期間」と言うのはやめた方がいい。

このブログでも、今後はできるだけ

「著作物の保護期間」を使いたいと思う。

 

(分かりやすさ重視のときは「著作権の保護期間」と

 言ってしまうかもしれないけど)

 

創作意欲

著作権は「人権」であると同時に、「手段」でもある。

 

著作権がなぜあるかというと、

「作品をちゃんと保護すれば、

 作者がちゃんとお金を受け取れるようになる。

 そうなると、作者がやる気を出してもっと良い作品を生み出すだろう」

と考えられているからだ。

 

つまり、著作権は「作者からやる気を引き出すためのエサ」なのだ。

 

この考え方を延長していくと、こんな理屈になる。

「著作物を長いあいだ保護すれば、

 作者はもっとやる気を出して、もっと良い作品を生み出すだろう」

 

こうして著作物の保護期間はどんどん延びていった。

発行後14年から、作者の死後30年へ。

30年から50年へ。

50年から70年へ。

強い反対運動もあったにもかかわらず。

 

クリエイターはこう言われてきたことになる。

「あなた方は、保護期間が短いと、つまらない作品しか生み出せない。

 期間を20年延ばしてあげるから、もっとマシなもの作りなさい!」

 

それなのに、

ほとんどの作家や作曲家等は期間延長を喜んで受け入れてきた。

 

これっておかしくないか??

 

クリエイター代表

今回だけは勝手にクリエイターを代表して言わせてもらいたい。

 

ふざないでほしい!

俺たちはニンジンをぶら下げられた馬じゃない!

創作の喜びを知るひとりの人間だ! 

なぜ作品作りに打ち込むのかって?

そんなの決まってるじゃないか!

魂が「つくりたい!」って叫んでるからだよ!

それ以外の理由なんてない!

もちろん、大切な作品で好き勝手なことをされると困るし、

お金だって大切だ。

だから作品を守るための仕組みは必要だ。

それは認める。

でもそれは保護期間の延長ではない!

断じて違う!

自分が死んだ50年後に、あと20年プラスされる。

だから、もっとやる気を出して今より良い作品を作れるだろうって?

そんなわけないだろ!

俺たちはいつも目の前の作品に真摯に向き合っている。

いつだって真剣だ。

保護期間が短いからって、出し惜しみするわけないだろ!

もっとクリエイターの心、創作の喜びを理解してくれ!

 

心からそう思う。

 

企業の場合

個人としてのクリエイターの思いと、

企業としての意思決定は分けて考えるべきかもしれない。

 

個人なら多くの場合、やる気さえあれば作品をつくれるが、

企業の場合、「制作費をかけるべきか?」という意思決定が必要になる。

(大型予算の映画などを想像してほしい)

創作意欲だけではどうにもならない。

この作品が将来的にどれだけのキャッシュを生むか?を計算しないと、

制作に着手すらできない。

できるだけ長い期間のキャッシュフローがある方が、

前向きな意思決定がしやすい。

これは間違いない。

 

しかし、50年も先の話になると、

現実的にはあまり意味のない議論になってくる。

 

不動産なら「この物件は10年後も1億円の家賃収入がある」と

ある程度は確信をもって言うことが出来る。

でもコンテンツ産業の場合は全然違う。

「今年はこの映画の興収が10億円だった。

 だから10年後も興収10億円だろう」と言う人はだたのバカだ。

コンテンツの賞味期限は短い。

旬な期間はせいぜい最初の数年までだ。

10年後にそれなりのキャッシュを生んでいる作品は、

ごくごく一部の例外にすぎない。

ましてや50年後となると、いったいどれだけの作品が

「現役」として生き残っているというのか。

 

また、50年先のキャッシュは「現在価値」で考えると、

どれだけの価値があるのか?

(「現在価値」というのは、

 「10年後にもらえる10万円より、

  今日もらえる9万円の方がいい!」という考え方。

 つまり、遠い将来のお金は価値を割り引いて考えないといけない)

だれも本気で計算しようと思わないほどの額になってしまうだろう。

 

こう考えると、保護期間を50年から70年に延ばしたことで、

どれだけの企業が「よし!それなら制作費を出そう!」と思うのか?

きわめて疑問だ。

 

多くの論点

著作物の保護期間については、

「クリエイターのやる気」や「企業の意思決定」以外にも、

多くの論点がある。

 

たとえば、

「海外(特にヨーロッパやアメリカ)と同レベルにすべき」

「過去の名作が忘れ去られてしまう」

「効率的な権利処理システムがあれば大丈夫」

などだ。

 

以下のサイトでほぼ議論は尽くされているので、

興味がある人は読んでみてほしい。

どの論点でも保護期間を延ばすことに

説得力がないのが分かる。

 

著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム

 保護期間「延長派」「慎重派」それぞれのワケ

http://thinkcopyright.org/reason.html

 

保護期間の憂鬱

日本の著作権の保護期間は去年の年末に

「死後50年」から「死後70年」に延長された。

(映画以外の著作物についての話。

 映画は一足先に20年延長されていた)

 

10年前に同じような話があったときは、

大きな反対運動が起きて見送られたのだが、

今回は「TPPで決まってるから」ということで

反対運動をするヒマもないまま、シレッと延長されてしまった。

 

これは、色んな意味で憂鬱になる事態だ。

 

著作権が切れて「みんなのもの」になるはずだった作品が、

 この先20年は使えなくなってしまった。

 

・人は一度手に入れたものを奪われるのを極端に嫌う。

 (流行りの行動経済学が指摘するとおりだ)

 一度延長されてしまった期間が短縮される望みはない。

 

・国民の意見とは関係なく

 著作権法がシレッと改正されるなんてことが

 いまだに起きることが証明された。

 

我々の文化は、こんなんで本当に大丈夫なんだろうか?

そんな気持ちになってくる。

 

でも憂鬱になってばかりもいられない。

豊かな文化のために、何かできることはあるはずだ。

 

クリエイターのはしくれ(!)として良い作品を生み出しつつ、

崩れた著作権のバランスを回復させるべく、

できることを考えていきたいと思う。

 

保護期間については、

いずれ改めて1から分かりやすく説明する予定だ。

 


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