マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

コロナ下の世界で文化芸術を守る意味はあるのか?

以前の記事に書いたとおり、

コロナウイルスとの戦いは長期戦になりそうだ。

 

台湾やニュージーランドなどのように

「短期集中決戦」でコロナをやっつけて、

後はのびのびと生活する選択肢もあったはずだが、

日本人は違う意思決定をした。

生活を緩めたり締めたりを繰り返しながら、

ダラダラと戦いを長引かせる道を選んだようだ。

 

よほどの幸運がない限り、この状態があと数年は続く。

そのぐらいのつもりでいた方がよい。

 

文化芸術の危機

この状況で多くの人が経済的に苦しんでいる。

あらゆる業界の人が叫んでいる。

「援助が必要です!」

補助金をください!」

 

舞台芸術やライブイベントを生業にしている人たちも同様だ。

「3密」の状況を意図的に作り上げ、

場を盛り上げることが仕事だった彼らは、困り果ててしまっている。

 

●新型コロナで西田敏行が政府に“俳優の危機”を訴える、過去にも“仕事仲間”を激励

https://news.yahoo.co.jp/articles/6d462c9c459cebb4efde27ce25b6ba5dac327873

 

少しずつ援助の仕組みができつつあるようだが、

まだまだ全然足りない状態だ。

 

●緊急事態舞台芸術ネットワーク

http://www.jpasn.net/

 

少しでも早いコロナの終息と、

安心して文化芸術を楽しめる毎日が戻ってくることを心から願っている。

私も何か良い方法がないか知恵を絞りたい。

 

文化芸術は守られるべきか?

ただし、現状の問題点も指摘しておきたいと思う。

 

援助を求める彼らの多くが口にするのが、以下のような言葉だ。

 

「日々の食糧、水、物資と同じように、

 文化芸術だって人間の豊かな生活のためには欠かせないものです。

 今失われてしまえば、もう取り戻せなくなります。

 だから文化の担い手である我々は守られるべきなのです」

 

この主張、多くの人に賛同してもらえるものだろうか?

文化芸術を仕事にしていない人や、

多くの業界から悲鳴を聞かされ続けている政治家や役人を納得させ、

「その通りだ!あなた方を優先的に援助します!」

と言わせられるだけの理屈になっているだろうか?

 

私にはそうは思えない。

 

主張の内容が正しいかどうかはともかく、

人の心を動かすだけの強い説得力を持っていないように感じる。

 

理由は以下の3つだ。

 

1.本当に失われたら取り戻せないのか?

文化芸術の活動は楽しい。

とてつもなく楽しい。

自分を表現し、多くの人に賞賛してもらえればなおさらだ。

だからこそ、多くの若者が夢をもってこの業界に飛び込んでくる。

嫌な想像だが、数年後にコロナが終息したときに

多くの俳優や歌手が廃業しているかもしれない。

それでも俳優や歌手になりたい!という人が途切れることはないだろう。

製造業の世界で多くの中小企業の社長が

「今廃業してしまえば、世界で唯一無二の我が社の加工技術が

 失われてしまう。人材難だが何とかして後継者を見つけないと!

 若者には見向きもされないが、何とかしないと・・」

と焦っているが、

エンタメの世界はそんな悩みとは無縁なのだ。

 

2.どちらにせよ取り戻せない

文化芸術は、人間の個性に頼っている部分が大きい。

俳優の高倉健さんが亡くなった後、

彼と同じ存在感を放って演技できる役者は出てきていない。

彼の役は彼にしかできない。当然だ。

今失われようが、将来失われようが、

どちらにせよ取り戻せないものなのだ。

もちろん、他の役者に受け継がれる役者魂やテクニックのようなものは

あるだろう。

しかし、製造業の技術と比べると再現度が段違いに低いことは間違いない。

どうせ失われるものを、なぜ今守らないといけないのか?

 

3.文化の担い手はあなただけなのか?

文化は様々な形で存在する。

高尚な舞台の上だけにあるものじゃない。

母親が子供に聞かせる子守唄や、町の落書きだって、文化だ。

街中のカラオケ店には、プロと名乗る人より圧倒的に人の心を動かす

歌唱を披露する素人だっている。

みんなが文化の担い手なのだ。

なぜ、あなた方だけが保護される必然性があるのか?

 

上記3つの理由をみれば、文化芸術の担い手の主張が、

一般の人にはイマイチ説得力がないのが少しは理解してもらえると思う。

 

それでも、文化芸術は守られるべきなのか・・・?

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ここまで読んだあなたの頭の中には、

色んな反論が浮かんでいると思う。

 

その反論を練り上げてほしい。

そして、新しい強固な理屈をもつ主張として発信してほしい。

 

それが

文化芸術への援助が今よりもっと手厚くなることにつながるはずだ。

 

コロナとの長期戦にそなえ、

「それでも文化芸術を守るべきだ!」

と堂々と言える理論をじっくり作り上げる時期に来ていると思う。

 

 

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そろそろ認めよう。あれはヤラセ番組だと。

恋愛リアリティーショー『テラスハウス』に出演していた

木村花さんが亡くなった。

ご冥福をお祈りします。

 

番組内で「意地の悪い女」として描かれたせいで、

SNS上で誹謗中傷が飛び交い、

そのために自殺することになったのだと言われている。

 

本当の原因はまだ分からないが、彼女の死をきっかけにして

普段からネットでの悪口に悩んでいた有名人やインフルエンサー

ここぞとばかりに声を上げている。

「誹謗中傷は卑怯だ!取り締まりを強化しろ!」と。

こうした世論に押される形で、投稿者の身元を特定しやすくする

制度改正も検討されているようだ。

 

●ネット中傷「制度改正で対応」 高市総務相、「テラハ」木村さん死亡で

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020052600293&g=soc

 

「名誉棄損」や「侮辱」は良くない。

「自由な批評活動」を委縮させない範囲で、

まっとうな規制ができれば良いと思う。

 

しかし、この事件のもう一つの問題点はあまり話題になっていない。

そもそも番組の構造が異常だったんじゃないか?という点だ。

 

恋愛リアリティーショー

視聴者やタレント志望の若者が参加する恋愛ショーの歴史は古い。

 

ラブアタック!』(1975年~)では、

大学生たちがテレビ局に集められ、

かぐや姫」と呼ばれる女性に愛の告白をする権利を獲得するために

様々なゲームに挑戦した。

テレビカメラの前で舞い上がった彼らが、

ひょうきんな行動をとってアピールする様子も番組の面白さの一つだった。

スタジオでの収録という、

時間も空間も設定も特殊な状況での非日常的なショーなのだから、

視聴者もほとんどの場合は

「彼らはおバカなことやってるけど普段は真面目な子なんだろうな」

と分かっていた。

そんな時代だ。

 

ねるとん紅鯨団』(1987年~)は、男女の集団お見合い番組だ。

「ご対面」「フリータイム」「告白タイム」などでがんばる男女の様子と、

カップルが成立するのか?というドキドキがウリになっていた。

撮影は半日から1日かけたオールロケになった。

場所は彼らが普段のデートで使いそうなお洒落な店や

海辺のエリア等になった。

集団お見合いという特殊な設定ではあるが、

視聴者からみても「普段の彼らの一面がわかる」ような気持ちで

見ることができるようになった。

 

『あいのり』(1999年~)は、

男女がラブワゴンという車に相乗りして、

世界中を貧乏旅行する中での恋愛模様を観察する番組だ。

ロケ番組であることは『ねるとん紅鯨団』と同じだが、

撮影期間が大幅にのびた。

参加者は数か月前後の期間ずっと撮影されるようになった。

海外旅行という特殊な設定ではあるが、

こうなるともう視聴者にもショーと現実の区別がつかなくなってくる。

参加者の「素」をのぞき見しているような気持ちで見ていた人が

多かった。

「実は台本があるんじゃないか?」という

疑惑が報じられるようになったのも、この番組からだ。

 

そして『テラスハウス』(2012年~)。

ロケの設定が「共同生活する場」になった。

こうして、撮影の場所、時間、設定の全てが、

「撮影のための特殊なもの」から「日常生活の一部」へと変換された。

視聴者は、出演者のありのままの人間性を見るような気持ちで

番組を見られるようになった。

相変わらず「台本があるのでは?」という疑惑も出たが、

番組の制作者もそれが話題になるなら「おいしい」と感じるように

感覚が変わってきていたように思う。

 

これが恋愛リアリティーショーの歴史だ。

 

ヤラセ

私は『テラスハウス』はヤラセ番組だと思う。

 

ヤラセとは、視聴者と番組制作者とのあいだで共有されている

「お約束」を、制作者が破ってしまうことだ。

 

その「お約束」は、明分化されていないことが多い。

 

例えば旅番組で、往年の名俳優が田舎の商店街を歩いている。

「おや?なんだか良い匂いがしてきますね。

 ちょっとこの店にはいってみましょう」

そうして❝ぶらり❞と立ち寄ったおせんべい屋さん、

実は江戸時代から続く名店だった。

 

こんな展開は多い。

スタッフが事前に下調べして、取材許可もとっているのだろう。

これはヤラセだろうか?

ヤラセではない。

この旅番組での視聴者との「お約束」は、

「アポなしで取材すること」ではなく

「旅行するうえでの有益な情報を正しく伝えること」だ。

この「お約束」が守られている限りは、ヤラセにはならない。

 

(逆に「タレントがガチのアポなしで美味しい店を探します!」

 という企画なら、上記の演出はヤラセになってしまう)

 

テラスハウス』の場合、「お約束」は何だったのだろうか?

「出演者の人間性の部分では嘘をつかない」とか

「出演者の恋愛感情の根っこでは嘘をつかない」とか、

そういうことだろうと思うが、

私にもはっきりとは分からない。

その「お約束」が意図的にボヤかされていたからだ。

恋愛番組の歴史が、時間・空間・設定すべての面で

「特殊」から「日常」へと向かう中で、

本来は明確だったはずの「虚構」と「本当」の区別が

曖昧になっていった。

「虚構」の中のものを「本当」のように見せるのが

当たり前の「演出」になった。

「ヤラセと演出の線引きは難しい」とか、

「視聴者もある程度はわかって楽しんでいるはず」とか、

いろんな言い訳をしているうちに、

制作者も何が視聴者との「お約束」だったのか、

分からなくなってしまったのではないか。

いくら曖昧になったとしても、「お約束」が消えることはない。

どこかにラインはあったはずだ。

誰も意識しないうちに、誰も意思決定しないうちに、

いつの間にか「お約束」のラインを踏み越えてしまっていたと思う。

 

そんな異常な状況の中で、

誰も解決しようとしない矛盾を一身に引き受けてしまったのが、

木村花さんだ。

番組内で演出された彼女を「本当の彼女」だと信じた視聴者から

罵詈雑言を浴びせられた。

 

彼女は亡くなった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

コンテンツの作り手と、コンテンツの受け手のあいだには、

信頼関係が必要だ。

そして信頼の基礎になるのが「お約束」だ。

曖昧なままに放置はできないと思う。

 

そろそろ認めよう。

あれはヤラセ番組だと。

 

 

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AI漫画「ぱいどん」に著作権はあるのか?

人工知能が作った漫画『ぱいどん』に著作権はあるの?」

こんな質問があったので、簡単に答えておきたい。

 

『ぱいどん』

漫画の神様・手塚治虫さんの❝新作❞漫画をAIの力で生み出そう!

というプロジェクトから生まれたのが『ぱいどん』だ。

今なら前後編が全てネット上で読めるようになっている。

 

●「TEZUKA2020」キオクシア公式サイト

https://tezuka2020.kioxia.com/ja-jp/

 

かなりニュースでも取り上げられたので、

記憶に残っている人も多いと思う。

 

事実

人工知能が作った漫画『ぱいどん』に著作権はあるの?」

この質問をした人は、そもそもの事実認定が間違っている。

 

『ぱいどん』を作ったのは、AIではない。人間だ。

 

たしかに大量の手塚作品等を学習したAIが出力した

「キャラクターデザイン」と「プロット(物語の骨格)」を

使っていはいる。

でもそれだけだ。

 

そのままでは使い物にならないようなデザインとプロットを、

人間のクリエイターが苦労して使えるレベルにまとめあげ、

それをもとに人間が脚本、ネーム等をつくり、

作画を行って完成させている。

 

「ぱいどん」は人間製なのだ。

「ぱいどん」に著作権はある。

 

著作権は単なるアイデアを提供した人には与えられない。

イデアに基づき、

実際に汗をかきながら具体的な表現に落とし込んだ人こそが、

著作権の持ち主になる。

 

『ぱいどん』の著作権は、

人間のクリエイター(もしくはその人の所属する組織)のものだ。

 

そろそろ冷静に

手塚プロも、いつまでも「鉄腕アトム」や「ブラックジャック」に

頼ってばかりもいられない。

新しい人気キャラがほしい。

 

AIの研究者も、

この分野が注目を浴びているうちに名前を売っておきたい。

研究予算もほしい。

 

そんな両者の思惑が一致したのだろう。

こうして「AIが作る手塚治虫の新作漫画!」という

話題になりやすいプロジェクトがスタートしたと思われる。

 

しかし以前の記事でも触れた通り、

文化芸術の分野ではAI創作なんてものは❝お寒い状況❞だ。

 

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まともなレベルの漫画が作れるわけはない。

実際には人間が作るしかなかった。

(彼らもそのことを隠しているわけではない。

 ただ、AIを前面に出してアピールしているだけだ)

それが現実だ。

 

AI創作の記事に触れる我々も、冷静にならないといけない。

 

例えば、

人気アイドルが立ち上げたファッションブランド。

「全て私がこだわってデザインしました!」

多くのアイドルはこう言うが、我々はそれを鵜呑みにすることはない。

「きっと裏ではヤリ手のプロデューサーと本物のデザイナーが

 やってるんだろうな。

 アイドルはちょっと意見を言ったり、

 ラフなイメージ図を描いたりしただけなんだろうな」

と分かっているはずだ。

 

今となっては、AIもアイドルと同じようなものだ。

ただの広告塔にすぎない。

 

「AIが作った!」

こんな記事を見ても、冷静に受け止めよう。

 

クリエイターは

私がこんなことを言うのは、

本当のクリエイターが可哀そうだと思うからだ。

 

『ぱいどん』が多くのメディアで取り上げられ話題になったその日、

きっと場末のスナックでこんな会話が交わされていたはずだ。

 

「ママ、知ってるか?

 今話題の『ぱいどん』。

 世間ではAIが作ったとか言われてるけど、

 ここだけの話、本当は俺が作ったんだぜ。

 でも、俺の名前じゃ話題にならないから、

 AIが作ったってことにしてるんだ。

 自分の作品が奪われたような気がしてくやしいよ・・

 ママ!水割りもう1杯!」

 

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よほどのブレイクスルーが起きない限り、

AIが意味のある作品を創作できるようにはならない。

 

もう一度、人間のクリエイターを正当に評価しよう。

 

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パクリならNG! オマージュならOKか?(簡略版)

この時期、家にこもって創作活動にはげんでいる人も多いと思う。

 

小説も漫画も音楽もゲームも、

読んだり聞いたりするより、自分で生み出す方が楽しい。

生みの苦しみも、楽しみの一つだ。

 

創作活動の初心者は、まずは人マネから始めるのが普通だ。

文化というものは、いつもそうやって生まれてきた。

 

例えば漫画。

有名な作品のキャラクターや世界観を借用して、

作品を作るひとも多いだろう。

いわゆる「二次創作」というやつだ。

 

個人的な範囲で楽しんでいるなら、それで問題ない。

でも、それをコミケで販売するなら?ネットにアップするなら?

「個人的な範囲」とは言えなくなってくる。

著作権的に問題はないのだろうか?

 

「パクリはダメなのは知ってるけど、パロディなら許されるの?」

「「あなたの作品を尊敬したオマージュです」といえばOKになるの?」

「パロディ、オマージュ、リスペクト、インスパイア。

 著作権的に許されるのはどれ?」

というのは、よく聞く質問だ。

 

著作権的な解説

パロディ、オマージュ、リスペクト、インスパイア。

どれも、著作権上の用語ではない。

 

だから、

「これはオマージュだ!」

「リスペクトしてます!」と言っても、

著作権的には全く関係ない。

 

ある作品が他の作品の著作権を侵害しているかどうかは、

以前に解説した通り、「3つの条件」で判断される。

 

1.元になった作品が「著作物」である。

2.元の作品を見た上で二次創作した。

3.元の作品と二次創作の作品が似ている。

 

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1.元になった作品が「著作物」である。

漫画、小説、音楽、ゲームなど、一つの作品として成立しているなら、

ほとんどのものは「著作物」と言える。

短い文章だったり、シンプルなロゴマークのようなものでない限りは、

著作物だと考えた方がよい。

 

2.元の作品を見た上で二次創作した。

これは「二次創作」である以上は前提になっている話だ。

逆に言うと、元の作品の存在を知らずにたまたま似てしまっただけなら

著作権侵害にはならない。

 

3.元の作品と二次創作の作品が似ている。

単なるアイデアレベルではなく、

具体的な表現部分が全体として似ているという意味だ。

「未来から殺人ロボットが送り込まれてきて、

 人類の存亡をかけて戦う」

という程度の設定が似ているのなら問題ない。

それは単なるアイデアだからだ。

もっと具体的なキャラクターの描写やストーリー展開が似ていれば、

「似ている」ということになる。

 

上記3つ全てがあてはまると、著作権侵害になる。

 

コミケ等でよく見る二次創作作品は、ほとんどの場合は

著作権侵害ということになるだろう。

 

実際は

実際には素人の二次創作が問題になることはほとんどない。

元の作品の権利者(多くの場合は作者)が、

問題だと思っていないからだ。

プロである彼らも昔は二次創作をしながら成長してきた。

だから二次創作が大切な文化の土壌だということは分かっている。

自分の作品がマネされて単純にうれしいという理由もあるだろうし、

結果的に認知度があがってビジネス上もプラスだという理由も

あるだろう。

 

ただし、ごく一部の例外はある。

 

ポケットモンスター」を成人向けの漫画にして販売した事件。

ポケモンのイメージが悪くなるから、権利者も黙っていられなかった。

 

ドラえもん」の「最終回」が同人誌として販売された事件。

あまりに出来が良すぎて評判になったせいで、権利者も無視できなくなった。

 

どちらも著作権侵害にあたるので、販売は止められることになった。

 

つまり、こういうことだ。

 

二次創作をしても99%は問題にならない。

ただし、「あまりにもひどい内容」のときと

「あまりにも素晴らしい内容」のときだけは、

問題になるかもしれない。

 

まとめ

・パロディ、オマージュ、リスペクト、インスパイアなど、

 どう表現しても著作権的には関係ない。

・二次創作は、ほとんどのものが著作権侵害になる。

・素人の二次創作については、

 権利者が問題視しないので、実際には問題にならない。

・あまりに極端に悪いもの、良いものであれば、

 問題になることもある。

 

二次創作は楽しい。

十分に楽しんだあとは、

少しずつオリジナリティーを高めていけば、もっと楽しくなる。

いずれは完全オリジナル作品を作ってほしい。

 

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同じテーマの記事は過去にも書いている。

興味があれば、こちらも読んでほしい。

 

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村上春樹ファンの皆さん、朗報です!

コロナウイルスとの戦いは長期化、持久戦になる気配が濃厚だ。

 

でも戦いを長引かせるのは避けたい。

命と経済の両方を救うためにも、戦争は短い方がいい。

少しでも早く終わらせるため、家にいよう。

中国、台湾やニュージーランドの例を見れば分かるように、

「短期集中決戦」で勝利することは十分に可能だ。

今は素直に専門家の言うことを聞くときだ。

家にいよう。

家で本を読もう。

 

今、読書の習慣が身に付けば、人生の楽しみが一つ増える。

一生モノの武器にもなる。

この機会を利用して、本と仲良くなろう。

 

コロナを退治しながら読書が身に付けば、

一石二鳥だ。

 

村上春樹

私は今、村上春樹さんの作品をデビュー作から1作ずつ読んでいる。

日本一有名な作家さんの1人なのに、

実は今まで1冊も読んだことがなかった。

この期間にじっくりと読み進めていきたいと思っている。

 

私が読んだ感想としては

「癖のある文章だけど、読みやすい!

 頭の中にすいすいと入ってくる!」

というものだった。

 

なぜだろう?

普通なら、文章に癖があれば読みづらく感じるはずなのに。

 

そう思っていたところ、答えが見つかった。

この記事だ。

 

●契約書の「甲・乙」を「僕・君」に変換したら… やれやれ。 村上春樹を感じる文書になったよ!

https://maidonanews.jp/article/12586732

 

記事の内容をまとめると、以下だ。

・契約書で使われる「甲・乙」を「僕・君」に変換すると、

 村上春樹風の文章になる。

・例えばこう。

 「君は僕に対し、進捗状況の報告を定期的に行うものとする」

 「前項に定める届け出は、君の遅滞責任を免ずるものではなく、

  僕が前項に定める指示を行わなかったとしても、君の遅滞を

  容認するものではない」

・契約書の世界に一石を投じる大発見だ。

 

なるほど、そういうことか。

私は普段から仕事で契約書を読みなれているので、

文体の近い村上春樹さんの作品を抵抗なく受け入れられたのか。

 

たしかにこれは、大発見だ。

 

この大発見には、まだ先があるかもしれない。

以下は私の仮説だ。

 

私の場合、

「契約書に慣れ親しむ」→「村上春樹作品を受け入れやすくなる」

という順番だった。

逆もまた真なり。

村上春樹作品に慣れ親しむ」→「契約書を受け入れやすくなる」

ということも起こりえるのではないか?

 

これは、コンテンツビジネスの世界で契約書に苦労している

皆さんへの福音となるかもしれない。

 

「契約書に強くなりたければ、村上作品を読めばよい」

 

村上さんの小説を読もう!

読書を楽しみながら契約書を読むのが得意にもなれる。

一石二鳥だ。

 

機会があれば大規模なRCT(ランダム化比較試験)を実施して、

仮説を検証してみることにしよう(笑)。

 

契約書については、こちらの記事でも解説しているので、

参考にしてみてほしい。

 

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読書を続ければ、

ちょっとしたネット記事からでも発想が広がるようになる。

 

家で本を読もう!

 

 

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英雄になるのは義務ではない

One World: Together At Home

コロナと戦う医療関係者を称え支援するために

オンライン上のチャリティーライブ

「One World: Together At Home」が実施された。

レディー・ガガを中心とした世界的アーティストたちが

自宅から世界中の医療関係者へエールを送った。

 

鑑賞した私は、違和感を強く感じた。

 

番組はこんな素敵なメッセージから始まる。

We may be separated.

But we are not aloe.

(私たちは離れ離れになっている。でも、一人じゃない。)

 

そのあとは命を救うために必死で戦う医療現場の人々。

彼らに感謝をささげる人々。

「彼らは本物の英雄だ・・」

そんな感動的な映像の後にライブが始まる。

 

アーティストたちは、みんな自宅からの出演だ。

彼女ら、彼らは、カメラに向かって語る。

「この歌を最前線で戦うヘルスケアワーカーに捧げる。

 私たちの心はいつもあなたと共にあります。

 彼らに祝福を。サンキュー」

 

そして持ち歌を披露する。

音響設備が整わない部屋での演奏なので、

正直なところクオリティが高い音楽とは言えない。

それでも精一杯の熱唱だ。

 

次々にビッグアーティストが登場する。

メッセージの内容は、だいたい同じようなものだ。

医療関係者への感謝と応援。

 

そんな内容だった。

 

アメリ

このライブを見ていて違和感を感じたのは、

私が日本人であり日本的な文化に慣れているからだろう。

 

アメリカでは・・・。日本では・・・。

と「二項対立」でものごとを見るのは時代遅れだ!と言う人も多いが、

やっぱりアメリカと日本の文化の差は大きい。

無視して良いわけがない。

 

アメリカは戦争によって独立を勝ち取り、

「独立宣言」に代表される理念によって国の形を作った国だ。

理念の下に集い、敵と戦い、国を守る。

最前線で戦う人は英雄だ。

そんな世界観(「文化」や「物語」と言ってもいい)を持っている。

 

アメリカは戦争の度に、この世界観が盛り上がる。

歌、映画、コミックなどの文化も総動員される。

第二次大戦のときもそうだった。

最近になって人気が再燃した

キャプテン・アメリカ」は、

アメリカの兵隊をヒーロー化するために生まれたキャラクターだし、

ハリウッド映画の名作「カサブランカ」も

悩んだ末に戦争に参加する主人公をすごくカッコよく描く。

メッセージはこうだ。

「正義のために戦おう!

 悪者ヒットラーをやっつけろ!

 最前線で戦うあなた方は英雄だ!」

 

ベトナム戦争イラク戦争では、

時代の変化もあり、この物語が上手く機能しなかった。

 

しかし今回は、昔ながらのアメリカ物語が完全復活した。

❝コロナ戦争❞で戦う人々へ

アーティストがメッセージを送っている。

「命のために戦おう!

 悪者コロナをやっつけろ!

 最前線で戦うあなた方は英雄だ!」

 

「One World: Together At Home」は、

きわめて伝統的なアメリカ物語なのだ。

 

日本

日本人である私は、そこに違和感を覚えてしまう。

 

「英雄だ!」と言って持ち上げておいて、

命のリスクを押し付けているだけなんじゃないの?

 

あまり褒めたたえすぎると、

彼らの逃げ道がなくなってしまうんじゃないの?

 

がんばりたくてもがんばれない元医療関係者が、

罪悪感をかかえることになってしまうんじゃないかな・・?

 

最前線での献身的な努力が尊いことは間違いないし、

彼らを応援するアーティストたちの善意も素晴らしいけど、

全面的にはノレない・・・。

そんな感覚がある。

 

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日本でも先の大戦では文化が総動員されて

兵隊さんを英雄視する歌や物語は多く作られた。

でもアメリカと違ってそれが戦後も定着することは無かった。

結果的に戦争に負けたせいでもあるし、

戦後教育(「WGIP」のような・・)のせいもあるかもしれないが、

元々、日本にそういう世界観が希薄だったからではないか。

 

平家物語」や「判官びいき」や「熱闘甲子園」に

見られる敗者への目線。

万葉集の防人の歌や、

与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」に見られるような

1人の弱い人間への目線。

そんなものの方が、日本人の心にはしっくりきてしまうのだ。

 

今回の❝コロナ戦争❞でも日本で話題になったのは

女優の杏さんが弾き語りで披露した

「にげなさい かくれなさい」

(つまり、英雄になるより自分の命を大事にしろ!)

という歌詞だった。

 

●杏『教訓1』cover

https://www.youtube.com/watch?v=8Oo_DaRTJWM

 

アメリカ人の物語と、日本人の感性。

戦時中には文化の差が際立って目立つようになる。

 

とりあえず今言えるのはこれだけだ。

 

各国の多様な文化を守るためにも、家にいよう!

 

 

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コロナ時代のテレビ番組 短期予測

外出できないこの時期、

「家でテレビを見る以外やることがない」

という人も多いと思う。

 

でも、テレビ局も新作番組のストックがそろそろ無くなりそうだ。

 

テレビ局は制作班を2班に分けるなど工夫をしながら

番組制作を続けている。

「報道番組」や「情報番組」など、

生放送で情報を伝える番組はそれでなんとかしのいでいる。

 

しかしゴールデンタイムで流される

「ドラマ番組」や「バラエティ番組」は、

どうにもしようがない。

今までの制作体制は、

出演者も3密。

撮影スタッフも3密。

ポスプロ(編集等)も3密。

3密てんこもりだった。

3密をさけて作るノウハウが存在しない。

ドラマ番組とバラエティ番組の制作はストップしてしまっている。

 

日本文化の大きな一角を占めてきたテレビ番組だが、

曲がり角にさしかかっている。

 

おそらくコロナはそんなに簡単に収束してくれない。

今後は3つの段階をたどることになるだろう。

 

 

●第1段階(1~2か月程度)

今後1~2か月は「総集編」の次期になる。

特にバラエティ番組では、

「とにかく制作を再開できるまで、

 過去の名シーンをつなぎ合わせて番組を成立させよう。

 総集編でも「新作」は「新作」だ。

 放送枠に穴をあけてはいけない。」

という考え方が大勢になる。

 

●第2段階(2か月~1年程度)

2か月程度をすぎると「再放送」の次期になる。

総集編を作ろうにもネタが尽きる。

いつまでも総集編ではもたない。

半ば諦めの気持ちで、

過去の番組に編集を加えずにそのまま流す再放送が主流になる。

「俳優の〇〇が選ぶ、もう一度見たいあのドラマ」、

「大御所タレントが選ぶ、伝説のお笑い番組」などの企画が

多くなるだろう。

(番組の冒頭で俳優がお勧めコメントを言うために少しだけ出演する)

 

●第3段階(1年程度以降)

1年を過ぎたころから「新たなテレビ番組」の時期になる。

再放送ばかりでは、テレビがもたない。

テレビは「今」の文化を伝えるメディアだ。

3密を避けながら面白い番組を作るノウハウが模索されるようになる。

撮影スタッフを密閉空間に閉じ込める「スタジオ」や、

お笑いタレントを密集させる「ひな壇」や、

役者同士が密接になる「会話劇」などに代わるものが必要になる。

それがどんなものなのか?今はまだ分からないが、

いち早く未来を見通しトライ&エラーを繰り返す番組制作者が、

次の時代のテレビ番組の覇者になるだろう。

 

 

コロナとの戦いは、長期戦になる可能性が高い。

コンテンツ制作にかかわるアーティスト、クリエイターにとっては

短期的にも辛い時期だと思うが、

こんな時だからこそ、

先を見越してコンテンツと文化の未来を考えないといけないと思う。

 

 

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