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そろそろ認めよう。あれはヤラセ番組だと。

恋愛リアリティーショー『テラスハウス』に出演していた

木村花さんが亡くなった。

ご冥福をお祈りします。

 

番組内で「意地の悪い女」として描かれたせいで、

SNS上で誹謗中傷が飛び交い、

そのために自殺することになったのだと言われている。

 

本当の原因はまだ分からないが、彼女の死をきっかけにして

普段からネットでの悪口に悩んでいた有名人やインフルエンサー

ここぞとばかりに声を上げている。

「誹謗中傷は卑怯だ!取り締まりを強化しろ!」と。

こうした世論に押される形で、投稿者の身元を特定しやすくする

制度改正も検討されているようだ。

 

●ネット中傷「制度改正で対応」 高市総務相、「テラハ」木村さん死亡で

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020052600293&g=soc

 

「名誉棄損」や「侮辱」は良くない。

「自由な批評活動」を委縮させない範囲で、

まっとうな規制ができれば良いと思う。

 

しかし、この事件のもう一つの問題点はあまり話題になっていない。

そもそも番組の構造が異常だったんじゃないか?という点だ。

 

恋愛リアリティーショー

視聴者やタレント志望の若者が参加する恋愛ショーの歴史は古い。

 

ラブアタック!』(1975年~)では、

大学生たちがテレビ局に集められ、

かぐや姫」と呼ばれる女性に愛の告白をする権利を獲得するために

様々なゲームに挑戦した。

テレビカメラの前で舞い上がった彼らが、

ひょうきんな行動をとってアピールする様子も番組の面白さの一つだった。

スタジオでの収録という、

時間も空間も設定も特殊な状況での非日常的なショーなのだから、

視聴者もほとんどの場合は

「彼らはおバカなことやってるけど普段は真面目な子なんだろうな」

と分かっていた。

そんな時代だ。

 

ねるとん紅鯨団』(1987年~)は、男女の集団お見合い番組だ。

「ご対面」「フリータイム」「告白タイム」などでがんばる男女の様子と、

カップルが成立するのか?というドキドキがウリになっていた。

撮影は半日から1日かけたオールロケになった。

場所は彼らが普段のデートで使いそうなお洒落な店や

海辺のエリア等になった。

集団お見合いという特殊な設定ではあるが、

視聴者からみても「普段の彼らの一面がわかる」ような気持ちで

見ることができるようになった。

 

『あいのり』(1999年~)は、

男女がラブワゴンという車に相乗りして、

世界中を貧乏旅行する中での恋愛模様を観察する番組だ。

ロケ番組であることは『ねるとん紅鯨団』と同じだが、

撮影期間が大幅にのびた。

参加者は数か月前後の期間ずっと撮影されるようになった。

海外旅行という特殊な設定ではあるが、

こうなるともう視聴者にもショーと現実の区別がつかなくなってくる。

参加者の「素」をのぞき見しているような気持ちで見ていた人が

多かった。

「実は台本があるんじゃないか?」という

疑惑が報じられるようになったのも、この番組からだ。

 

そして『テラスハウス』(2012年~)。

ロケの設定が「共同生活する場」になった。

こうして、撮影の場所、時間、設定の全てが、

「撮影のための特殊なもの」から「日常生活の一部」へと変換された。

視聴者は、出演者のありのままの人間性を見るような気持ちで

番組を見られるようになった。

相変わらず「台本があるのでは?」という疑惑も出たが、

番組の制作者もそれが話題になるなら「おいしい」と感じるように

感覚が変わってきていたように思う。

 

これが恋愛リアリティーショーの歴史だ。

 

ヤラセ

私は『テラスハウス』はヤラセ番組だと思う。

 

ヤラセとは、視聴者と番組制作者とのあいだで共有されている

「お約束」を、制作者が破ってしまうことだ。

 

その「お約束」は、明分化されていないことが多い。

 

例えば旅番組で、往年の名俳優が田舎の商店街を歩いている。

「おや?なんだか良い匂いがしてきますね。

 ちょっとこの店にはいってみましょう」

そうして❝ぶらり❞と立ち寄ったおせんべい屋さん、

実は江戸時代から続く名店だった。

 

こんな展開は多い。

スタッフが事前に下調べして、取材許可もとっているのだろう。

これはヤラセだろうか?

ヤラセではない。

この旅番組での視聴者との「お約束」は、

「アポなしで取材すること」ではなく

「旅行するうえでの有益な情報を正しく伝えること」だ。

この「お約束」が守られている限りは、ヤラセにはならない。

 

(逆に「タレントがガチのアポなしで美味しい店を探します!」

 という企画なら、上記の演出はヤラセになってしまう)

 

テラスハウス』の場合、「お約束」は何だったのだろうか?

「出演者の人間性の部分では嘘をつかない」とか

「出演者の恋愛感情の根っこでは嘘をつかない」とか、

そういうことだろうと思うが、

私にもはっきりとは分からない。

その「お約束」が意図的にボヤかされていたからだ。

恋愛番組の歴史が、時間・空間・設定すべての面で

「特殊」から「日常」へと向かう中で、

本来は明確だったはずの「虚構」と「本当」の区別が

曖昧になっていった。

「虚構」の中のものを「本当」のように見せるのが

当たり前の「演出」になった。

「ヤラセと演出の線引きは難しい」とか、

「視聴者もある程度はわかって楽しんでいるはず」とか、

いろんな言い訳をしているうちに、

制作者も何が視聴者との「お約束」だったのか、

分からなくなってしまったのではないか。

いくら曖昧になったとしても、「お約束」が消えることはない。

どこかにラインはあったはずだ。

誰も意識しないうちに、誰も意思決定しないうちに、

いつの間にか「お約束」のラインを踏み越えてしまっていたと思う。

 

そんな異常な状況の中で、

誰も解決しようとしない矛盾を一身に引き受けてしまったのが、

木村花さんだ。

番組内で演出された彼女を「本当の彼女」だと信じた視聴者から

罵詈雑言を浴びせられた。

 

彼女は亡くなった。

 

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コンテンツの作り手と、コンテンツの受け手のあいだには、

信頼関係が必要だ。

そして信頼の基礎になるのが「お約束」だ。

曖昧なままに放置はできないと思う。

 

そろそろ認めよう。

あれはヤラセ番組だと。

 

 

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