マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

AI漫画「ぱいどん」に著作権はあるのか?

人工知能が作った漫画『ぱいどん』に著作権はあるの?」

こんな質問があったので、簡単に答えておきたい。

 

『ぱいどん』

漫画の神様・手塚治虫さんの❝新作❞漫画をAIの力で生み出そう!

というプロジェクトから生まれたのが『ぱいどん』だ。

今なら前後編が全てネット上で読めるようになっている。

 

●「TEZUKA2020」キオクシア公式サイト

https://tezuka2020.kioxia.com/ja-jp/

 

かなりニュースでも取り上げられたので、

記憶に残っている人も多いと思う。

 

事実

人工知能が作った漫画『ぱいどん』に著作権はあるの?」

この質問をした人は、そもそもの事実認定が間違っている。

 

『ぱいどん』を作ったのは、AIではない。人間だ。

 

たしかに大量の手塚作品等を学習したAIが出力した

「キャラクターデザイン」と「プロット(物語の骨格)」を

使っていはいる。

でもそれだけだ。

 

そのままでは使い物にならないようなデザインとプロットを、

人間のクリエイターが苦労して使えるレベルにまとめあげ、

それをもとに人間が脚本、ネーム等をつくり、

作画を行って完成させている。

 

「ぱいどん」は人間製なのだ。

「ぱいどん」に著作権はある。

 

著作権は単なるアイデアを提供した人には与えられない。

イデアに基づき、

実際に汗をかきながら具体的な表現に落とし込んだ人こそが、

著作権の持ち主になる。

 

『ぱいどん』の著作権は、

人間のクリエイター(もしくはその人の所属する組織)のものだ。

 

そろそろ冷静に

手塚プロも、いつまでも「鉄腕アトム」や「ブラックジャック」に

頼ってばかりもいられない。

新しい人気キャラがほしい。

 

AIの研究者も、

この分野が注目を浴びているうちに名前を売っておきたい。

研究予算もほしい。

 

そんな両者の思惑が一致したのだろう。

こうして「AIが作る手塚治虫の新作漫画!」という

話題になりやすいプロジェクトがスタートしたと思われる。

 

しかし以前の記事でも触れた通り、

文化芸術の分野ではAI創作なんてものは❝お寒い状況❞だ。

 

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まともなレベルの漫画が作れるわけはない。

実際には人間が作るしかなかった。

(彼らもそのことを隠しているわけではない。

 ただ、AIを前面に出してアピールしているだけだ)

それが現実だ。

 

AI創作の記事に触れる我々も、冷静にならないといけない。

 

例えば、

人気アイドルが立ち上げたファッションブランド。

「全て私がこだわってデザインしました!」

多くのアイドルはこう言うが、我々はそれを鵜呑みにすることはない。

「きっと裏ではヤリ手のプロデューサーと本物のデザイナーが

 やってるんだろうな。

 アイドルはちょっと意見を言ったり、

 ラフなイメージ図を描いたりしただけなんだろうな」

と分かっているはずだ。

 

今となっては、AIもアイドルと同じようなものだ。

ただの広告塔にすぎない。

 

「AIが作った!」

こんな記事を見ても、冷静に受け止めよう。

 

クリエイターは

私がこんなことを言うのは、

本当のクリエイターが可哀そうだと思うからだ。

 

『ぱいどん』が多くのメディアで取り上げられ話題になったその日、

きっと場末のスナックでこんな会話が交わされていたはずだ。

 

「ママ、知ってるか?

 今話題の『ぱいどん』。

 世間ではAIが作ったとか言われてるけど、

 ここだけの話、本当は俺が作ったんだぜ。

 でも、俺の名前じゃ話題にならないから、

 AIが作ったってことにしてるんだ。

 自分の作品が奪われたような気がしてくやしいよ・・

 ママ!水割りもう1杯!」

 

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よほどのブレイクスルーが起きない限り、

AIが意味のある作品を創作できるようにはならない。

 

もう一度、人間のクリエイターを正当に評価しよう。

 

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パクリならNG! オマージュならOKか?(簡略版)

この時期、家にこもって創作活動にはげんでいる人も多いと思う。

 

小説も漫画も音楽もゲームも、

読んだり聞いたりするより、自分で生み出す方が楽しい。

生みの苦しみも、楽しみの一つだ。

 

創作活動の初心者は、まずは人マネから始めるのが普通だ。

文化というものは、いつもそうやって生まれてきた。

 

例えば漫画。

有名な作品のキャラクターや世界観を借用して、

作品を作るひとも多いだろう。

いわゆる「二次創作」というやつだ。

 

個人的な範囲で楽しんでいるなら、それで問題ない。

でも、それをコミケで販売するなら?ネットにアップするなら?

「個人的な範囲」とは言えなくなってくる。

著作権的に問題はないのだろうか?

 

「パクリはダメなのは知ってるけど、パロディなら許されるの?」

「「あなたの作品を尊敬したオマージュです」といえばOKになるの?」

「パロディ、オマージュ、リスペクト、インスパイア。

 著作権的に許されるのはどれ?」

というのは、よく聞く質問だ。

 

著作権的な解説

パロディ、オマージュ、リスペクト、インスパイア。

どれも、著作権上の用語ではない。

 

だから、

「これはオマージュだ!」

「リスペクトしてます!」と言っても、

著作権的には全く関係ない。

 

ある作品が他の作品の著作権を侵害しているかどうかは、

以前に解説した通り、「3つの条件」で判断される。

 

1.元になった作品が「著作物」である。

2.元の作品を見た上で二次創作した。

3.元の作品と二次創作の作品が似ている。

 

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1.元になった作品が「著作物」である。

漫画、小説、音楽、ゲームなど、一つの作品として成立しているなら、

ほとんどのものは「著作物」と言える。

短い文章だったり、シンプルなロゴマークのようなものでない限りは、

著作物だと考えた方がよい。

 

2.元の作品を見た上で二次創作した。

これは「二次創作」である以上は前提になっている話だ。

逆に言うと、元の作品の存在を知らずにたまたま似てしまっただけなら

著作権侵害にはならない。

 

3.元の作品と二次創作の作品が似ている。

単なるアイデアレベルではなく、

具体的な表現部分が全体として似ているという意味だ。

「未来から殺人ロボットが送り込まれてきて、

 人類の存亡をかけて戦う」

という程度の設定が似ているのなら問題ない。

それは単なるアイデアだからだ。

もっと具体的なキャラクターの描写やストーリー展開が似ていれば、

「似ている」ということになる。

 

上記3つ全てがあてはまると、著作権侵害になる。

 

コミケ等でよく見る二次創作作品は、ほとんどの場合は

著作権侵害ということになるだろう。

 

実際は

実際には素人の二次創作が問題になることはほとんどない。

元の作品の権利者(多くの場合は作者)が、

問題だと思っていないからだ。

プロである彼らも昔は二次創作をしながら成長してきた。

だから二次創作が大切な文化の土壌だということは分かっている。

自分の作品がマネされて単純にうれしいという理由もあるだろうし、

結果的に認知度があがってビジネス上もプラスだという理由も

あるだろう。

 

ただし、ごく一部の例外はある。

 

ポケットモンスター」を成人向けの漫画にして販売した事件。

ポケモンのイメージが悪くなるから、権利者も黙っていられなかった。

 

ドラえもん」の「最終回」が同人誌として販売された事件。

あまりに出来が良すぎて評判になったせいで、権利者も無視できなくなった。

 

どちらも著作権侵害にあたるので、販売は止められることになった。

 

つまり、こういうことだ。

 

二次創作をしても99%は問題にならない。

ただし、「あまりにもひどい内容」のときと

「あまりにも素晴らしい内容」のときだけは、

問題になるかもしれない。

 

まとめ

・パロディ、オマージュ、リスペクト、インスパイアなど、

 どう表現しても著作権的には関係ない。

・二次創作は、ほとんどのものが著作権侵害になる。

・素人の二次創作については、

 権利者が問題視しないので、実際には問題にならない。

・あまりに極端に悪いもの、良いものであれば、

 問題になることもある。

 

二次創作は楽しい。

十分に楽しんだあとは、

少しずつオリジナリティーを高めていけば、もっと楽しくなる。

いずれは完全オリジナル作品を作ってほしい。

 

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同じテーマの記事は過去にも書いている。

興味があれば、こちらも読んでほしい。

 

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村上春樹ファンの皆さん、朗報です!

コロナウイルスとの戦いは長期化、持久戦になる気配が濃厚だ。

 

でも戦いを長引かせるのは避けたい。

命と経済の両方を救うためにも、戦争は短い方がいい。

少しでも早く終わらせるため、家にいよう。

中国、台湾やニュージーランドの例を見れば分かるように、

「短期集中決戦」で勝利することは十分に可能だ。

今は素直に専門家の言うことを聞くときだ。

家にいよう。

家で本を読もう。

 

今、読書の習慣が身に付けば、人生の楽しみが一つ増える。

一生モノの武器にもなる。

この機会を利用して、本と仲良くなろう。

 

コロナを退治しながら読書が身に付けば、

一石二鳥だ。

 

村上春樹

私は今、村上春樹さんの作品をデビュー作から1作ずつ読んでいる。

日本一有名な作家さんの1人なのに、

実は今まで1冊も読んだことがなかった。

この期間にじっくりと読み進めていきたいと思っている。

 

私が読んだ感想としては

「癖のある文章だけど、読みやすい!

 頭の中にすいすいと入ってくる!」

というものだった。

 

なぜだろう?

普通なら、文章に癖があれば読みづらく感じるはずなのに。

 

そう思っていたところ、答えが見つかった。

この記事だ。

 

●契約書の「甲・乙」を「僕・君」に変換したら… やれやれ。 村上春樹を感じる文書になったよ!

https://maidonanews.jp/article/12586732

 

記事の内容をまとめると、以下だ。

・契約書で使われる「甲・乙」を「僕・君」に変換すると、

 村上春樹風の文章になる。

・例えばこう。

 「君は僕に対し、進捗状況の報告を定期的に行うものとする」

 「前項に定める届け出は、君の遅滞責任を免ずるものではなく、

  僕が前項に定める指示を行わなかったとしても、君の遅滞を

  容認するものではない」

・契約書の世界に一石を投じる大発見だ。

 

なるほど、そういうことか。

私は普段から仕事で契約書を読みなれているので、

文体の近い村上春樹さんの作品を抵抗なく受け入れられたのか。

 

たしかにこれは、大発見だ。

 

この大発見には、まだ先があるかもしれない。

以下は私の仮説だ。

 

私の場合、

「契約書に慣れ親しむ」→「村上春樹作品を受け入れやすくなる」

という順番だった。

逆もまた真なり。

村上春樹作品に慣れ親しむ」→「契約書を受け入れやすくなる」

ということも起こりえるのではないか?

 

これは、コンテンツビジネスの世界で契約書に苦労している

皆さんへの福音となるかもしれない。

 

「契約書に強くなりたければ、村上作品を読めばよい」

 

村上さんの小説を読もう!

読書を楽しみながら契約書を読むのが得意にもなれる。

一石二鳥だ。

 

機会があれば大規模なRCT(ランダム化比較試験)を実施して、

仮説を検証してみることにしよう(笑)。

 

契約書については、こちらの記事でも解説しているので、

参考にしてみてほしい。

 

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読書を続ければ、

ちょっとしたネット記事からでも発想が広がるようになる。

 

家で本を読もう!

 

 

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英雄になるのは義務ではない

One World: Together At Home

コロナと戦う医療関係者を称え支援するために

オンライン上のチャリティーライブ

「One World: Together At Home」が実施された。

レディー・ガガを中心とした世界的アーティストたちが

自宅から世界中の医療関係者へエールを送った。

 

鑑賞した私は、違和感を強く感じた。

 

番組はこんな素敵なメッセージから始まる。

We may be separated.

But we are not aloe.

(私たちは離れ離れになっている。でも、一人じゃない。)

 

そのあとは命を救うために必死で戦う医療現場の人々。

彼らに感謝をささげる人々。

「彼らは本物の英雄だ・・」

そんな感動的な映像の後にライブが始まる。

 

アーティストたちは、みんな自宅からの出演だ。

彼女ら、彼らは、カメラに向かって語る。

「この歌を最前線で戦うヘルスケアワーカーに捧げる。

 私たちの心はいつもあなたと共にあります。

 彼らに祝福を。サンキュー」

 

そして持ち歌を披露する。

音響設備が整わない部屋での演奏なので、

正直なところクオリティが高い音楽とは言えない。

それでも精一杯の熱唱だ。

 

次々にビッグアーティストが登場する。

メッセージの内容は、だいたい同じようなものだ。

医療関係者への感謝と応援。

 

そんな内容だった。

 

アメリ

このライブを見ていて違和感を感じたのは、

私が日本人であり日本的な文化に慣れているからだろう。

 

アメリカでは・・・。日本では・・・。

と「二項対立」でものごとを見るのは時代遅れだ!と言う人も多いが、

やっぱりアメリカと日本の文化の差は大きい。

無視して良いわけがない。

 

アメリカは戦争によって独立を勝ち取り、

「独立宣言」に代表される理念によって国の形を作った国だ。

理念の下に集い、敵と戦い、国を守る。

最前線で戦う人は英雄だ。

そんな世界観(「文化」や「物語」と言ってもいい)を持っている。

 

アメリカは戦争の度に、この世界観が盛り上がる。

歌、映画、コミックなどの文化も総動員される。

第二次大戦のときもそうだった。

最近になって人気が再燃した

キャプテン・アメリカ」は、

アメリカの兵隊をヒーロー化するために生まれたキャラクターだし、

ハリウッド映画の名作「カサブランカ」も

悩んだ末に戦争に参加する主人公をすごくカッコよく描く。

メッセージはこうだ。

「正義のために戦おう!

 悪者ヒットラーをやっつけろ!

 最前線で戦うあなた方は英雄だ!」

 

ベトナム戦争イラク戦争では、

時代の変化もあり、この物語が上手く機能しなかった。

 

しかし今回は、昔ながらのアメリカ物語が完全復活した。

❝コロナ戦争❞で戦う人々へ

アーティストがメッセージを送っている。

「命のために戦おう!

 悪者コロナをやっつけろ!

 最前線で戦うあなた方は英雄だ!」

 

「One World: Together At Home」は、

きわめて伝統的なアメリカ物語なのだ。

 

日本

日本人である私は、そこに違和感を覚えてしまう。

 

「英雄だ!」と言って持ち上げておいて、

命のリスクを押し付けているだけなんじゃないの?

 

あまり褒めたたえすぎると、

彼らの逃げ道がなくなってしまうんじゃないの?

 

がんばりたくてもがんばれない元医療関係者が、

罪悪感をかかえることになってしまうんじゃないかな・・?

 

最前線での献身的な努力が尊いことは間違いないし、

彼らを応援するアーティストたちの善意も素晴らしいけど、

全面的にはノレない・・・。

そんな感覚がある。

 

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日本でも先の大戦では文化が総動員されて

兵隊さんを英雄視する歌や物語は多く作られた。

でもアメリカと違ってそれが戦後も定着することは無かった。

結果的に戦争に負けたせいでもあるし、

戦後教育(「WGIP」のような・・)のせいもあるかもしれないが、

元々、日本にそういう世界観が希薄だったからではないか。

 

平家物語」や「判官びいき」や「熱闘甲子園」に

見られる敗者への目線。

万葉集の防人の歌や、

与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」に見られるような

1人の弱い人間への目線。

そんなものの方が、日本人の心にはしっくりきてしまうのだ。

 

今回の❝コロナ戦争❞でも日本で話題になったのは

女優の杏さんが弾き語りで披露した

「にげなさい かくれなさい」

(つまり、英雄になるより自分の命を大事にしろ!)

という歌詞だった。

 

●杏『教訓1』cover

https://www.youtube.com/watch?v=8Oo_DaRTJWM

 

アメリカ人の物語と、日本人の感性。

戦時中には文化の差が際立って目立つようになる。

 

とりあえず今言えるのはこれだけだ。

 

各国の多様な文化を守るためにも、家にいよう!

 

 

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コロナ時代のテレビ番組 短期予測

外出できないこの時期、

「家でテレビを見る以外やることがない」

という人も多いと思う。

 

でも、テレビ局も新作番組のストックがそろそろ無くなりそうだ。

 

テレビ局は制作班を2班に分けるなど工夫をしながら

番組制作を続けている。

「報道番組」や「情報番組」など、

生放送で情報を伝える番組はそれでなんとかしのいでいる。

 

しかしゴールデンタイムで流される

「ドラマ番組」や「バラエティ番組」は、

どうにもしようがない。

今までの制作体制は、

出演者も3密。

撮影スタッフも3密。

ポスプロ(編集等)も3密。

3密てんこもりだった。

3密をさけて作るノウハウが存在しない。

ドラマ番組とバラエティ番組の制作はストップしてしまっている。

 

日本文化の大きな一角を占めてきたテレビ番組だが、

曲がり角にさしかかっている。

 

おそらくコロナはそんなに簡単に収束してくれない。

今後は3つの段階をたどることになるだろう。

 

 

●第1段階(1~2か月程度)

今後1~2か月は「総集編」の次期になる。

特にバラエティ番組では、

「とにかく制作を再開できるまで、

 過去の名シーンをつなぎ合わせて番組を成立させよう。

 総集編でも「新作」は「新作」だ。

 放送枠に穴をあけてはいけない。」

という考え方が大勢になる。

 

●第2段階(2か月~1年程度)

2か月程度をすぎると「再放送」の次期になる。

総集編を作ろうにもネタが尽きる。

いつまでも総集編ではもたない。

半ば諦めの気持ちで、

過去の番組に編集を加えずにそのまま流す再放送が主流になる。

「俳優の〇〇が選ぶ、もう一度見たいあのドラマ」、

「大御所タレントが選ぶ、伝説のお笑い番組」などの企画が

多くなるだろう。

(番組の冒頭で俳優がお勧めコメントを言うために少しだけ出演する)

 

●第3段階(1年程度以降)

1年を過ぎたころから「新たなテレビ番組」の時期になる。

再放送ばかりでは、テレビがもたない。

テレビは「今」の文化を伝えるメディアだ。

3密を避けながら面白い番組を作るノウハウが模索されるようになる。

撮影スタッフを密閉空間に閉じ込める「スタジオ」や、

お笑いタレントを密集させる「ひな壇」や、

役者同士が密接になる「会話劇」などに代わるものが必要になる。

それがどんなものなのか?今はまだ分からないが、

いち早く未来を見通しトライ&エラーを繰り返す番組制作者が、

次の時代のテレビ番組の覇者になるだろう。

 

 

コロナとの戦いは、長期戦になる可能性が高い。

コンテンツ制作にかかわるアーティスト、クリエイターにとっては

短期的にも辛い時期だと思うが、

こんな時だからこそ、

先を見越してコンテンツと文化の未来を考えないといけないと思う。

 

 

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コロナウイルスはSDGsを嘲笑うのか?

人類はコロナウイルス相手に瀬戸際の戦いを続けている。

 

医療関係者、政府機関、専門家、

生活を支えるキーワーカーの方々が必死で頑張っている。

それ以外の人間ができるのは、家にいることだ。

「在宅」。

これが、頑張る彼らへの最大の応援になる。

 

家にいよう。

家で本を読もう。

 

SDGs

私は今、SDGs関連の本を多く読んでいる。

このブログで紹介したくなるほど面白いものは

まだ見つかっていないが、

人類全体にとって、かなり大きなテーマだ。

まずはSDGsをごく簡単に解説しておきたい。

 

SDGsエスディージーズ)は

「Sustainable Dvelopment Goals(持続可能な開発目標)」

の略称だ。

国連で

「2030年までに達成しよう!」

と決められた。

 

全部で17の目標で構成されている。

 

1.貧困をなくそう

2.飢餓をゼロに

3.すべての人に健康と福祉を

4.質の高い教育をみんなに

5.ジェンダー平等を実現しよう

6.安全な水とトイレを世界中に

7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに

8.働きがいも経済成長も

9.産業と技術革新の基盤をつくろう

10.人や国の不平等をなくそう

11.住み続けられるまちづくりを

12.つくる責任 つかう責任

13.気候変動に具体的な対策を

14.海の豊かさを守ろう

15.陸の豊かさも守ろう

16.平和と公正をすべての人に

17.パートナーシップで目標を達成しよう

 

これだけ読むと、

空疎なスローガンの羅列にしか見えないかもしれないが、

それぞれの目標に対して細かい数値目標が設定されていて、

進捗度をモニタリングする仕組みもあり、

かなり本気度の高い内容になっている。

 

2030年の目標達成に向け政府もけっこう力を入れている。

産業界をSDGsへ向かわせるための政策も次々と出てくるだろう。

 

SDGsコンサル❞も活躍するようになり、

あなたの会社に乗り込んできて

「これからはSDGsを実践しない企業は生き残れません!」

と演説するかもしれない。

横文字ばかりを連呼するインチキコンサルに騙されないためにも、

SDGsについて表面的な知識だけでも仕入れておいた方が良い。

ネット上にいくらでも解説記事はある。

それらを軽く読んでおくだけで、ひとまずは十分だ。

 

SDGsの人類史的意味

私がSDGsを無視できないと思っているのは、

ビジネスに役立つからではない。

(もちろん、ビジネス上も大事になっていくと思うが。)

人類の歴史上、なかなか意義深い目標だと思うからだ。

 

人類は誕生以来、ずっと3つのことに悩まされてきた。

 

飢餓。

疫病。

戦争。

 

この3つだ。

 

我々のご先祖様は、

ほとんどの期間おなかがペコペコだった。

やっと農業を覚えても、日照りが続いたりイナゴが大量発生したりしたら、

すぐに飢饉がおきた。

大勢の人が飢えの中で死んでいった。

 

原因不明の病気が大流行することもあった。

いくら神に祈りをささげても病気は治らない。

人々は苦しみながら倒れていった。

 

飢餓と疫病をのりこえても、次は人間が襲ってくる。

敵対関係にある部族や国が、

土地、食料、奴隷を求めて戦争を仕掛けてくる。

平和な村も戦場になり、多くの人が殺された。

 

飢餓。

疫病。

戦争。

我々は数十万年ものあいだこの3つの災厄と戦い続けてきた。

それが人類の歴史だった。

つい最近までは。

 

くわしくは、

ベストセラーの『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』を読んでほしい。

 

人類は科学と経済発展の力を使って

3つの災厄を乗り越えつつある。

 

食料を効率的に生産できるようになり、

余りものが大量に捨てられるまでになった。

人類の多くの人が「飢え」を実感できなくなった。

(「ファスティング」という、ある種のレジャーになった)

 

ワクチンによって天然痘は根絶された。

 

経済の重点が土地や奴隷から知的資産に移ったことで、

大規模な戦争も起きなくなった。

 

途上国にはまだまだ苦しんでいる人も多いが、

その数は着実に減らしていくことができる。

 

人類は3つの大きな悩みから解放された。

ついに❝次の段階❞へ進めるようになった。

それが、SDGsだ。

今までじっくり取り組めなかったテーマに本気で取り組もう。

まずは「格差問題」と「環境問題」を解消しよう。

かといって「経済成長」も諦めない。

2030年にSDGsが達成できれば、

地球の文明は次の段階に進むことができる。

我々は今こそ試されているのだ・・・!!!!

 

 

そこへ、今回のコロナショックである。

せっかく卒業できると思っていた「3つの災厄」の一つ

「疫病」にからめとられてしまった。

 

我々は傲慢だった。

「飢餓」や「戦争」も実はまだ卒業できていないのかもしれない・・。

 

「人類よ、君たちはまだ次のレベルには行けないよ!」

そう神様に釘をさされたような気分だ。

 

コロナウイルスは大それた夢であるSDGsを嘲笑っている。

 

コロナに負けて人類はバラバラに断絶されてしまうのだろか?

それとも、

コロナをきっかけに更に強く結びつき

SDGsを達成することになるのだろうか?

 

10年後にはその結果が明らかになる。

 

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読書は楽しいよ!

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コロナウイルスは移民問題を解決するのか?

コロナウイルスの猛威が止まらない。

社会の価値観も大きく変わろうとしている。

 

華やかなパーティーに出てSNSに上げていた

リア充」の皆さん!

これを機に、生き方を見直そう。

大切な人を守るために家で過ごそう。

 

家で本を読む方が、かっこいい。

そんな時代だ。

 

ヨーロッパの移民問題

私は今、移民問題に関する本を多く読んでいる。

移民といえば、トランプ大統領が建設したメキシコ国境の壁が有名だが、

移民の規模や議論の深まりから言えば、

ヨーロッパの方が中心地だ。

 

私の読んだ中では、これらの本が勉強になった。

どれも有名な本だ。

 

『西洋の自死 移民・アイデンティティイスラム

 

 

 

 『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』

 

 

 

服従

 

 

詳しくは上記を読んでみてほしいが、

ヨーロッパの移民問題を私なりに簡単にまとめたい。

 

EUの大失敗

アフリカ大国で続く政治上の混乱。

シリアで発生した内戦。

行き場を失った大量の難民がEUへ押し寄せた。

 

難民は助けるべきだ。

彼らは命の危険を負っている。

でも「難民」と「移民」の区別をつけるのは難しい。

お金を稼いで豊かな生活をするためにやってくる「移民」も

多くやってくる。

彼らは身分証を持っていないことも多いし、

入国するためには嘘もつく。

 

EUに大量の移民が流入した。

 

本来、難民の受け入れにはルールがあった。

一定の手続きが必要だし、彼らの移動にも制限があった。

しかしあまりにも大量にやってくるので、手続きが追い付かない。

受け入れ国の経済的負担も大きい。

その上、世間では

「難民はかわいそうだ!命を守れ!」の大合唱が始まった。

世論は1人の難民を受け入れることと、

30万人の難民を受け入れることの区別が本能的にできない。

圧倒的な数の前に事務手続きはパンクした。

ルールは❝なし崩し❞になり、

次々と移民が入国し他のEU諸国へ広がっていった。

 

その結果、多くの犯罪がおきた。

強盗、レイプ、人身売買、テロ・・・

それでもメディアは事実を正確には報じなかった。

「犯罪者は中東の〇〇国から来たアラブ人です」

などと言うと

「そんなこと報道したらアラブへの差別につながる!

 お前は人種差別主義者か!」

と抗議を受けてしまうからだ。

彼らは遠慮して「アジア系の人が・・」などと

曖昧な表現に逃げるようになった。

報道の自由は❝なし崩し❞になっていき、

人々は正しい事実を知れなくなった。

 

こうなると警察も及び腰になる。

外国人を集中的に取り締まろうとすると、

「警察は人種差別している!」と非難されてしまうからだ。

警察が立ち入れない無法地帯が次々と発生した。

そこでは法律ではなく、組織のボスや宗教的権威者が

物事を決めるようになる。

法による統治が❝なし崩し❞になっていき、

治安が悪化した。

 

無法地帯では、女性への迫害が平気で行われた。

性的なマイノリティーは差別された。

ユダヤ教のような宗教的マイノリティー

命の危険を感じながら生きるようになった。

人権思想が❝なし崩し❞に消えていった。

 

そんな状況でも、

イスラム教を批判したり揶揄したりするメディアもあった。

しかし彼らも襲撃を受けたり

「差別主義者」のレッテルを貼られたりして、

自由な発言ができなくなっていく。

表現の自由が❝なし崩し❞に奪われていった。

 

ヨーロッパ人の中では少子化が進んでいた。

彼らはあまり子供を作らない。

一方で移民は次々と子供を作る。

移民ルーツの人々が増えていく。

人口の比率がどんどん変わっていく。

 

古き良きヨーロッパの文化は消えていった。

彼らが拠り所にしたかったキリスト教文化は、

科学思想の発展をうけて、とっくの昔に活力を失っている。

一方でイスラム教は非常に強固なままだ。

 

ヨーロッパ人は自信を失った。

「俺たちの築いてきた文化・文明って、

 たいしたことなかったんだな」

と思うようになった。

 

ヨーロッパの文化は危機に瀕している。

 

コアバリュー(中心的な価値観)を守れ

なぜこんなことになったのか?

 

色んなことを❝なし崩し❞にしていったからだ。

 

最初はルールのなし崩し運用から始まった。

そこから色んなものが、なし崩しになっていった。

 

もちろん、差別主義はいけないし、

他者の文化を尊重することは大切だ。

それでも、絶対に譲ってはいけないラインはあったはずだ。

 

報道の自由

表現の自由

法による統治。

人権。

 

これは、ヨーロッパで生まれた価値観だ。

これを生んで定着させたヨーロッパ人とその文化を

私は尊敬している。

 

それなのに、

ヨーロッパ人が自分でその価値観を捨ててしまおうとしている。

 

どんなに批判を受けても、

文化のコア(中心)にある価値観を譲ってはいけないのだ。

 

揺り戻し

そんな状況の中で、一部のヨーロッパ人は

「俺たちのヨーロッパを取り戻そう!」

と立ち上がった。

いわゆる❝極右政党❞というやつだ。

 

(極右政党の中には、本当に差別主義的な発言をする人もいれば、

 穏当でまともな考えをする人もいる。)

 

いわゆる❝リベラル❞な政党が

「今どき国境を守るなんて古い!

 人命は大切だ!

 我々は分かりあえる!

 難民と移民を受け入れよう!」

と大合唱する一方で、

❝極右政党❞が

「国境を閉じろ!

 我々の暮らしを守る方が優先だ!

 これ以上の外国人の受け入れは御免だ!」

と大合唱している。

 

ヨーロッパの政界は、右と左ばかりになってしまった。

 

つまり、人々が分断された。

 

そこへ、今回のコロナショックだ。

 

各国は強制的に国境を閉じ、移民が入ってこれなくなった。

人々の移動はストップし、移民も自由がなくなった。

ある種の❝戦時体制❞に入っている。

戦時中に盛り上がるのが「ナショナリズム」だ。

「敵と戦おう!我が国を守れ!」となる。

 

この流れの中で、増える一方だった移民に急ブレーキがかかる。

各国の伝統的な文化を見直す機運が高まる。

 

ある意味、極右政党への強烈な追い風が吹き始めている。

この流れに乗って、EUを長年苦しめ続けてきた移民問題は、

❝解決❞してしまうかもしれない。

 

それでも、

「命の危機にさらされた難民をどう守るのか?」

という問題は残り続けるのだが・・・・

 

 

日本では

日本では、どうだろう?

 

2019年4月に入国管理法が改正され、

外国人の労働者を(条件つきで)正式に受け入れることになった。

 

しかし、議論はそんなに成熟していない。

 

日本の移民問題について読み応えのある本は、

私が読んだ中では見つからなかった。

 

多く見かけたのが、

「「同化主義」から「多文化主義」へ」

という議論だ。

 

「同化主義」とは、簡単に言えば

「郷に入りては郷に従え」という考え方だ。

移民の方が移民先の国(ホスト国)の文化に合わせていくべきであり、

言葉や習慣を変える努力を求めるものだ。

 

多文化主義」は、簡単に言えば

「お互いの違いを尊重しましょう」という考え方だ。

移民が独自の文化を保てるように、

ホスト国の方により多くの努力を求めている。

 

日本の多くの本で

「同化主義はもう古い。

 文化に上も下もない。

 お互いが違いを認め合って共生できるようにすべきだ。

 「同化主義」から「多文化主義」へ!」

と主張されている。

 

この主張自体は、100%正しい。

全く反論することができない。

「多様性」という言葉は、私の最も好きな言葉の一つだ。

 

しかし、である。

 

我々はヨーロッパの失敗から、もう少し学ぶべきなんじゃないか?

彼らは違いを認め合おうとして大失敗したんじゃないか?

「同化主義」さえなかなか上手くいなかにのに、

多文化主義」なんて上級者コースに進めるのか?

女性や性的マイノリティーを差別することが正しいという

相手の文化を尊重しても良いのか?

そもそも人間って、そんなに簡単に分かりあえるものなのか?

 

日本の議論は

ヨーロッパに比べて周回遅れの状況にあるように感じる。

 

コロナで大騒ぎの最近のSNSを見ても感じるが、

人間ってそんなに利口でもないし強くもない。

我々は少しずつ変わっていくしかない。 

 

 

日本文化のコアバリューは?

違う文化の人との交流が増えるに従って、

日本の文化とは何か?を考える機会が増える。

 

日本文化の絶対的に譲れないラインは?

我々の「コアバリュー」はどこにあるのか?

 

黄色人種であること?

皇室や神道や仏教?

武士道精神?

日本語?

GDPが世界3位であること?

清潔さや礼儀正しさ?

空気を読むこと?

ラーメンやマンガやアイドル?

 

グローバル化が進む中で、全てを保つことはおそらく出来ない。

何が日本文化のコアなのか?

ゆっくり考えても良いと思う。

 

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