マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

今、肖像権が熱い!

肖像権の円卓会議

肖像権についての勉強会に参加してきた。

いや~、熱い会だった。

 

「肖像権ガイドライン円卓会議 ー デジタルアーカイブの未来をつくる」

http://digitalarchivejapan.org/3661

 

主催は「デジタルアーカイブ学会」。

日本中にある歴史、伝統、文化にかかわる情報を、

どうすれば上手く集めて保存し、みんなで共有し、

未来へ残していけるのか?

研究を積み重ねている団体だ。

(「アーカイブ」とは、記録の保存書のこと)

 

アーカイブを作る上で問題になるのが、著作権や肖像権だ。

例えば、巨大台風の被害にあった人々を撮影した写真。

今後の災害対策で貴重な資料になるはずなのに、

保存してみんなが見れるようにしたら、

撮影した人の著作権侵害になるかもしれない。

撮られた人の肖像権侵害になるかもしれない。

公的なアーカイブが人の権利を侵すわけにはいかないので、

どんなに良い写真であっても、諦めることが多かった。

 

特にやっかいなのが、著作権よりも肖像権だ。

以前に解説した通り、肖像権については法律が存在しないので、

グレーゾーンが多い。

 

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「肖像権侵害になるかどうか、何とも言えない」

専門家でさえ、そう答えるしかないケースも多い。

 

せめて、はっきりした判断基準があれば・・・!!

 

そんな我々の宿願を果たすために、専門家たちが立ち上がった。

 

大学教授、弁護士、写真家、アーカイブ作りの実務家など、

業界の第一線にいるメンバーが集まり、

「肖像権的にアウトか?セーフか?」の基準を作るために

議論を交わすための会が、私が参加した勉強会だ。

 

秋葉原の駅から歩いて6分。

御茶ノ水の会場には、200人ぐらいのオーディエンスが来ていたと思う。

 

ガイドライン

会では、最初に「ガイドライン」の案が示された。

いずれ何らかの形で公開されると思うので、詳細は省略するが、

重要なのは「ポイント制」を導入していたことだ。

 

・撮られた人が政治家なら、プラス10ポイント。

・撮られた人が16才未満なら、マイナス20ポイント。

・屋外や公共の場なら、プラス15ポイント。

・水着などを着ていて肌の露出が多いなら、マイナス10ポイント。

・撮影から20年たっているなら、プラス10ポイント。

 

こんな感じで、ポイントを計算していく。

合計がマイナスにならなければ、つまり、ゼロポイント以上なら、

肖像権的にはセーフだ。

アーカイブ写真として公開できる。

 

以前の私の記事でも似たようなポイント加算の計算をしていたが、

このガイドライン案は、それ以上に詳細で明確だ。

過去の裁判例なども研究し、

ポイントの項目や点数に反映させているという。

 

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「裁判をしないと、はっきりしたことは言えません」

などと言ってお茶を濁す専門家も多い中で、

かなり❝攻めた❞ガイドラインになっていると感じた。

 

議論

このガイドラインを叩き台にして、熱い議論が始まった。

 

「ここのポイント数は、もっと少なくて良いのでは?」

「屋外かどうかではなく、

 普通なら撮影されてもおかしくない場所かどうかが大事なのでは?」

「性的な見方をされやすい若い女性の場合、他と同じ基準でいいのか?」

「撮影から何十年たっても、誰が写っているか分かる人には分かる。

 経過した年数をプラスポイントに数えて本当に良いのか?」

などなど。

 

一線級の専門家が次々と思いもよらない角度から

球を放り込んでくる。

それを別の専門家が巧みに打ち返す。

徐々に会場の熱量が上がり、エキサイティングな場へと変わっていく。

 

何より司会の福井健策弁護士が素晴らしかった。

発言者の問題提起に対して的確なコメントで論点をまとめ、

スピーディに議論を発展させ、

ときにはユーモアを交えてなごませる。

空中分解してもおかしくない程に広がった議論を、

無理に方向づけようとせず、

より高い次元のテーマへと昇華させていく。

会場全体を巻き込んで盛り上げるので、

オーディエンスも次々と手を挙げて発言する。

参加者全員が一体となっていく。

神がかった司会ぶりだった。

 

目立つのが苦手な私も場の熱さにやられてしまい、

思わず挙手してしまった。

「自分の顔や姿は、自分のアイデンティティとつながっている。

 勝手にモザイクをかけられたり、加工されたりするのは嫌だ。

 そんな観点も必要では?」

と言って余計な論点を増やしたのは私です。

 

今後

今回の議論をもとに、

ガイドライン案はさらにブラッシュアップされるだろう。

いずれは公開されると思うので、楽しみに待っていてほしい。

 

世間では、小泉進次郎大臣の「セクシー発言」が話題となり、

環境保護活動家グレタ・トゥンベリさんの怒りのスピーチが注目を集め、

あいちトリエンナーレ文化庁が「補助金ださない」と決めて

非難されたりしていた日だった。

 

そんな中で「アーカイブの肖像権問題」という、

マイナー(?)なテーマの会に200人が集まった。

そして、みんなで熱く語り合った。

 

AKB48も、始まりは秋葉原の小さな劇場だった。

観客も少なかった。

それでも会場の熱量は当時から高く、

熱狂的なファンがグループを支えていた。

そして国民的アイドルへと駆け上がっていった。

 

これはもう間違いない。

今、肖像権が来ている。

肖像権が熱い!

みんなも乗り遅れるな!

 

肖像権が、国民的な議論のテーマになる日も近いだろう。

そう予感させる良い勉強会だった。

 

 

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JASRAC 嫌いの人を、キャバクラから理解する

「ちょっと音楽つかっただけなのに請求書が来た!」

JASRACジャスラック)は金の亡者だ!」

「あいつらはカスだ!カスラックだ!」

 

あいかわらずJASRAC嫌いの人は多い。

JASRACから音楽を守る党」なんてものも出来そうな勢いだ。

 

JASRACから音楽を守る党 設立準備会

https://nojasrac.com/

 

今回はJASRACを毛嫌いする人々について考えてみよう。

 

キャバクラ

キャバクラというシステムのお店がある。

 

綺麗に着飾った女性が隣に座って水割りを作ってくれる。

自慢話、グチ、ウンチク、どんな話でも

「えー!すごーい!」

「おもしろーい!」

と聞いてくれる。

嬉しい。

つい調子にのって「フルーツ盛り合わせ」を注文してしまう。

僕のお気に入りの愛ちゃんも

「えー!おいしー!ありがとー!」

と喜んでくれている。

 

愛ちゃんは僕のことを好きに違いない。

思い切ってデートに誘ってみた。

 

「えー!うれしー!同伴かアフターで行きましょう!」

「いや・・お店とは関係なく2人だけで楽しみたいんだ」

「えー、私もあなたのこと好きだから、そうしたいんだけどー、

 お店に怒られちゃうんです・・」

「そんな・・」

 

仕方がないからお店を出ることにした。

そこへ黒服の人がスッとやってきた。

「お客様、本日はありがとうございました。

 お会計をお願いします」

 

5万円!

た、高い!高すぎる!

水割りを飲んだだけなのに、なんでこんなにするんだ!

フルーツ盛り合わせなんて、原価は数百円しかしないだろ!

 

「ボッタクリだ!」そう怒鳴りたい気持ちをグッとおさえて

黒服をにらみつける。

しかし彼は涼しい顔で

「適正なサービス料です」と言わんばかりだ。

 

仕方なく会計をすませて店を出る。

 

その後、愛ちゃんからメッセージが来た。

「今日はありがとー♡

 またお話したいな♡」

 

ほら見ろ!

愛ちゃんは僕のことが好きなんだ!

お店とは関係なく会いたいんだ!

僕と愛ちゃんの純粋な気持ちを邪魔しやがって・・・あの黒服め!

あいつ嫌いだ!!

 

悲しい気持ち

もしもこんなことを言っているオッサンがいたら、

悲しい気持ちになる。

 

このオッサンに「世の中の仕組み」を教えてあげる人はいなかったのか?

 

愛ちゃんと黒服は、単に役割分担をしているだけだ。

愛ちゃんは、接客サービスを提供してオッサンに好きになってもらう役割。

黒服は、しっかりと料金を回収する役割。

つまり、愛ちゃんは「愛され役」。黒服は「嫌われ役」だ。

個人個人がそれを意識しているかどうかは関係ない。

業界全体として戦略的に役割を分けているのだ。

だって、その方が儲かるから。

 

こんなことは、知識以前の問題だ。

生きる上での知恵というか、常識だ。

 
彼らの戦略にうまく乗せられている黒服嫌いのオッサンは悲しい・・・。

 

音楽

 音楽というジャンルの芸術がある。

 

素晴らしい感性をもった音楽家が作詞・作曲をする。

 

愛情、悲しみ、誇り、色んな気持ちを

心地よいメロディーに乗せて運んでくれる。

感動させられる。

この素敵な曲をみんなと共有したい。

自分のお店で流そう。

コンサートで演奏しよう。

僕のお気に入りの音楽家

「ぜひみんなに聞いてほしいです!」と言っていたし、

喜んでくれるに違いない。

 

お店は繁盛し、コンサートは成功した。

 

そこへ、JASRACがやってきた。

著作権使用料をお支払いください」

 

5万円!

た、高い!高すぎる!

音楽を流しただけなのに、演奏しただけなのに、

なんでこんなにするんだ!

音楽なんて、原価はゼロだろ!

 

「ボッタクリだ!」という気持ちでにらみつけるが、

JASRAC

「使用料規定に基づいた料金です」

とゆずらない。

 

その後、大好きな音楽家ツイッターでつぶやいていた。

「本当はお金のことなんか気にせずに、私の音楽を使ってほしい」

 

JASRAC方針に宇多田ヒカルさん「気にしないで無料で使って欲しいな」 歌手も一般人もネットで批判、反発、困惑…

https://www.sankei.com/entertainments/news/170206/ent1702060003-n1.html

 

ほら見ろ!

楽家だってお金のことを気にせず使ってほしいんだ!

 

純粋な音楽の喜びを邪魔しやがって・・・JASRACめ!

あいつ嫌いだ!!

 

再び悲しい気持ち

こんなことを言っている人が実際にいる。

悲しい気持ちになる。

 

この人たちに「世の中の仕組み」を教えてあげる人はいなかったのか?

 

楽家JASRACは、役割分担をしているだけだ。

楽家は、作詞・作曲をして音楽を好きになってもらう役割。

JASRACは、しっかりと料金を回収する役割。

「愛され役」と「嫌われ役」だ。

個人個人がそれを意識しているかどうかは関係ない。

業界全体として戦略的に役割を分けているのだ。


キャバクラほど露骨な分担ではないかもしれないが、

楽家JASRACの戦略も、相当分かりやすいと思うのだが・・

 

JASRACを嫌う人は、

キャバクラに通う黒服嫌いのオッサンと同じだ。

 

JASRAC嫌いの人は悲しい・・・。

 

優しく

世のJASRAC批判の中には、耳を傾けるべきものもある。

しかしネット上で見られる批判のほとんどが、

黒服嫌いと同レベルなのだ。

 

もしあなたの周りにJASRAC嫌いの人がいたら、

優しく接してあげよう。

できれば、世の中の仕組みについても教えてあげてほしい。

あなた自身が嫌われてしまわないように気を付けて。

 

上記の宇多田ヒカルさんの発言について、

彼女がどんな意図を込めているのかは知らない。

こちらの記事も一応よんでおいてほしい。

学校の授業ではもともと使用料はかかっていないという内容だ。

 

宇多田ヒカルJASRAC著作権料にツイート 内容を誤解していた?

https://news.livedoor.com/article/detail/12639151/

 

音楽とJASRACについては、こちらの記事でも解説しているので、

参考にしてほしい。

 

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音楽もキャバクラも、正しく楽しもう!

 


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能年玲奈さんの名前は誰のもの? 肖像権の深淵に挑む(5)

ここまでは、肖像権や人の顔を中心に解説してきたが、

今回は人間を表すそれ以外の要素についても浅く広く考えてみよう。

 

能年玲奈の決起集会

最近、ヤマダ君の気分が晴れない。

ブログ「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」に有村架純さんの記事を

毎日更新しているが、大きな反響があるわけではない。

書いている時間は楽しいが、

書籍化を果たしたスズキ君のブログとつい比べてしまう。

それにスズキ君の方が活動的だ。

有村さんだけでなくお姉さんの藍里さんにまで興味の範囲を広げ、

忙しそうに応援している。

スズキ君の毎日は充実しているようだ。

ヤマダ君にも、

有村さんへの気持ちだけは誰にも負けないプライドはある。

だけど「僕、このままでいいのかな・・」と考えてしまう。

 

ある日、なじみのない人からメッセージが届いた。

 

「久しぶり。ヤマダ君。

 「「あまちゃん」女優・ファンの集い」の幹事、タカダです。

 実は今度、能年玲奈さんのファンだけで、

 決起集会をしようと企画しています。

 ヤマダ君も能年さんの大ファンだったよね?

 新聞の写真みたから知ってるよ。

 ぜひ参加してください。

 次の土曜日、日比谷公園で!」

 

・・・誤解だ。

あの時の新聞に曖昧な書き方をされたから、

能年ファンだと思われている。

どうしよう?

・・でも、行ってみても良いかも。

スズキ君のように視野を広げてみるのも悪くない。

新しい視点から有村さんの魅力を再発見できるかもしれないし。

これは浮気じゃない!

 

会場に行ってみると、ハチマキを巻いた20人ほどの集団がいる。

その1人が近づいてきた。

 

「いや~、ありがとう!ヤマダ君!

 やっぱり来てくれたんだね!

 はいこれ!」

 

そう言ってハチマキを渡される。

ハチマキには「能年玲奈さんに名前を返せ!」と書いてある。

 

「君も能年ファンなら知ってるよね?

 能年さんが所属事務所とモメちゃって、

 自分の名前が使えなくなってること。

 だから今は「のん」って名乗ってるんだ。

 でも、能年玲奈って本名なんだよ!?

 本人が使えないなんておかしいよ!

 僕らファンが何とかしなくちゃ!

 だから能年さんには内緒で署名活動を始めたんだ!」

 

タカダ君は署名用のペンと用紙を手渡すと、

すぐに「いや~、ありがとう!ハマノ君!来てくれて!」と

行ってしまった。

 

どうしよう?

タカダ君の言っていることは正しいと感じる。

名前はその人を表す大切なものだ。

簡単に人から奪っていいものじゃない。

能年さんのファンではないけど、署名活動には協力してもいい。

 

こうしてヤマダ君は人々に署名を求めて一日を過ごすことになった。

 

名前は誰のもの?

「顔」だけでなく「名前」も、その人を表す重要な要素だ。

本人のアイデンティティと深く関わっている。

実際、パブリシティ権の対象には、

顔だけではなく名前も含まれる。

イチロー選手の顔写真を使っていなくても、

イチローモデル」として野球グッズを売り出せば、

彼のパブリシティ権が働く。

 

「名前」は誰のものだろう?

「当然、本人のものでしょう!」と言いたくなるが、

過去の裁判では必ずしもそうなっていなかった。

長嶋一茂事件」や「加勢大周事件」は、

名前(や肖像)が本人ではなく「所属事務所のもの」の場合もある。

という考え方だった裁判だ。

(争点が違うので、能年さんのケースと単純比較はできない)

 

しかし「ピンクレディー事件」で流れが変わった。

名前(や肖像)のパブリシティ権は本人の人格から生まれたものだ。

とハッキリ宣言されたので、

今では「名前は本人から切り離せない」という考え方が優勢だ。

能年さんの名前は、能年さんのものなのだ。

 

彼女と事務所の争いにどんな決着がつくか分からないが、

本人が自分の名前を名乗れないなんて、どう考えても異常だ。

堂々と「能年玲奈です」と出演する彼女の姿を見たいと思う。

 

名前以外は誰のもの?

「顔」や「名前」以外はどうだろう?

本人を表現しているもの。そして権利が発生するものはあるだろうか?

 

手や足のモデル、いわゆる「手タレ・足タレ」の手足は?

撮影されることで経済的な価値を生んでいるという意味では、

タレントの顔と同じだ。

体のパーツに肖像権はあるのだろうか?

 

フツーに考えると、権利は発生しないだろう。

人間は人間の顔を重視する。

待ち合わせの場で相手の手の形を確認して

「久しぶり!」とは言わない。

顔をみて、待ち合わせ相手だと判断する。

「人格」と「顔」のつながりは強いが、

それ以外のパーツとのつながりは弱い。

 

「声」ならどうだろう?

竹中直人井上陽水、クロちゃん・・・

声だけで誰か分かる。

その独特の声色に、本人の人格を感じる。

声色に肖像権(のようなもの)はあるだろうか?

 

国内には事例がなさそうだが、アメリカにはいくつか判例があるらしい。

有名な歌手の声に似せた歌をテレビCMに使った事件だ。

(「Midler判決」「Lahr事件」など)

本人の歌声を使ったわけではないのに、

権利侵害になるのか?という興味深い裁判だ。

勝った裁判も負けた裁判もあり、

「声色に権利がある」とまでは断言しづらい状況だ。

 

人間にまつわる情報は?

そもそも肖像権とは、「人権」の一種だ。

顔が「人間の中身(アイデンティティ)」と

深くつながっているから生まれた権利だ。

 

でも、人間の中身とつながっているのは、顔や名前だけじゃない。

「自分が自分である」と確信できる根拠は、人それぞれだ。

 

それは、学歴かもしれない。

会社での肩書かもしれない。

クラスで一番モテるという事実かもしれない。

親友の数かもしれないし、

ツイッターのフォロワーの数かもしれない。

人間ドックで優秀だった数値かもしれない。

好きな音楽に打ち込んでいる瞬間かもしれない。

世の役に立つ仕事に生涯を捧げたという誇りかもしれない。

泣いているとき母親に抱きしめてもらえたという記憶かもしれない。

 

それら全ての事実や記憶や感情によって、私は私でいられる。

 

権利の対象を「顔」や「名前」だけに限定するのは、

おかしいんじゃないか??

自分に関する全ての事柄に、何らかの権利があって良いのでは・・?

 

最近、そんな考え方が流行っている。

「自己情報のコントロール権」という言葉も、

よく聞かれるようになってきた。

 

以前なら個人に関する情報のうちで、

気軽に扱ってはいけないものは限られていた。

「病歴」や「犯罪歴」や「思想信条」など、

いわゆる❝センシティブ❞な情報だけは、取扱注意だった。

今や「個人情報保護法」によって、

氏名や住所など、きわめて基本的な情報も

本人の同意なく扱えなくなっている。

 

EUでは、日本よりもはるかに厳しい規則(GDPR)が実施された。

グーグルやフェイスブックに吸い取られた個人の情報・履歴を、

ユーザーへ取り戻すためのルールだ。

 

「忘れられる権利」なんていう不思議な権利まで出てきた。

 

●「忘れられる権利」で日本の最高裁が初の判断

https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/8915.html

 

「個人にまつわる情報は、全てその人のものである」

これが発想の出発点になっているようだ。

顔や名前に限らない。

自分に関するものは、全部自分のもの!

きわめて「人権尊重」「個人主義」的な発想だ。

 

私はこの風潮に対しては、

「ちょっと行き過ぎなのでは?」

と感じている。

前回も述べた通り、自分に関する情報は、

「自分のもの」であると同時に「社会のもの」でもある。

何でもかんでも「自分のものだ!」と主張するのは、

極端すぎるのではないだろうか。

 

人間って何だろう?

自分を形作っているものは何だろう?

こう問いかけてから、1つ1つのルールを考えるべきだと思う。

 

ヤマダ君のアイデンティティ

ヤマダ君は能年さんのために署名活動をがんばった。

けっこうな数の署名が集まった。

日も暮れてきたし、そろそろ帰ろうとしたところ・・

 

「こんばんは」

 

綺麗な女性2人が話しかけてきた。

そのうち1人がこう言ってきた。

 

「あの・・・ありがとうございます。

 本当は色々ややこしいことになるから、

 来ちゃダメだって言われてるんですけど、

 こんなに熱心に応援してくれている人がいるって聞いて、

 どうしてもお礼がいいたくて・・・こっそり来てしまいました。

 いつも応援ありがとうございます!」

 

よく見ると・・じぇじぇじぇ!能年玲奈さんだ!

 

「い、い、いえ、とんでもない!

 当然のことをしてるだけです!

 でも・・・実は・・いつも応援してるわけじゃないんです」

 

「正直なんですね(笑)」

 

「僕、本当は有村架純さんのファンなんです」

 

「そうなんですか!

 聞いた?架純ちゃん?」

 

え?

もう1人の女性は・・有村架純さんだった!!

 

そうか、共演者同士仲が良いと聞いたことはあったが・・・

 

それからの10秒間は夢のようだった。

自分が何を言ったかは覚えていないが、

「応援ありがとうございます」と言ってもらい、握手をしてもらえた。

間近で笑顔を見ることができた。

 

有村さんは「今度よんでみますね!」と言い残して、

能年さんと連れ立って他の署名活動家に挨拶をしに去っていった。

 

最高だ。

有村さんのファンで良かった。

その上、今度よんでみるなんて・・・

 

ん?よむって何を?

 

そうだ!自分が言ったことを思い出した!

「「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」っていうブログを、

 毎日書いています!」

って言ったんだ!

 

有村さんがそれを読むと言っている!

これは大事件だ!

 

これからは今まで以上に有村さんを応援しよう。

彼女が読むかもしれないブログも、もっと頑張ろう。

有村さんに会えたこと、有村さんのファンでいること。

これこそが、僕のアイデンティティだ。

 

ヤマダ君の憂鬱は吹き飛んだ。

 

おわりに

( 当然ですが、ヤマダ君に関する部分は全てフィクションです)

 

肖像権について考えると、

どうしても「人間とは何か?」といった論点まで行きついてしまう。

 

今回の連載は話が広がりすぎて

舌足らずで掘り下げ不足のところも多い。

 

深淵なテーマなので、引き続き考えていきたいと思う。

 

積み残しの宿題についても簡単に触れておこう。

 

・覆面レスラーに肖像権はあるのか?

  → 覆面の顔はマンガのキャラクターと同じようなものなので、

    本来は肖像権ではなく著作権で守られるべきもの。

    肖像権は認められづらいと思うが、

    長いレスラー生活で本人とマスクが完全に一体となった人生を

    送っている人なら、肖像権は発生するかも??

 

ディープインパクト(馬)の肖像権は?

  → 肖像権やパブリシティ権は「人権」なので、

    人間以外には無い。

    「ギャロップレーサー事件」という有名な裁判で、

    「俺の馬を勝手にゲームに使うな!」という訴えがあったが、

    認められなかった。

 

パブリシティ権については、以下の本を参考にさせていただいた。

感謝申し上げます。

 

 

 


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整形アイドルの顔は誰のもの? 肖像権の深淵に挑む(4)

おさらい

ここまで3週にわたって肖像権について見てきたが、

簡単におさらいしておこう。

まとめると、以下だ。

 

・肖像権について定めた法律は無い。

・肖像権は、あいまいな権利。

 だからこそ「私には肖像権がある!」と強く主張する人もいるので、

 注意が必要。

・肖像権は、「肖像権」と「パブリシティ権」に分けられる。

 

・肖像権は、自分の姿を勝手に撮影されること、

 撮影されたものを公表されることについて

 「イヤだ!ダメだ!」と言える権利。

・肖像権侵害になるかどうかは、

 「相手に分かるように撮影していたか?」

 「撮影される人は何をしていたか?」

 「撮影・公表する目的は正当なものか?」

 など色んな要素を考えて、最後は常識的に判断するしかない。

 

パブリシティ権は、

 タレントパワーを商売目的で人に勝手に使わせない権利。

パブリシティ権侵害になるかどうかは、

 タレントの顔や名前(タレント肖像)を使った人の動機を分析して、

 「タレントパワー目的が90%以上」と言えるかどうかによる。

・目安として大事なのは、以下の3類型に当てはまるかどうか。

 1.タレント肖像それ自体を見て楽しむための商品。

 2.他の商品より目立たせて買ってもらいやすくするために

   タレント肖像を付けた商品。

 3.タレント肖像を使った広告。

 

今のところ肖像権ついてはっきり分かっているのは、

上記ぐらいのことだ。

 

ここから先は、よく分かっていない論点も考えてみたい。

 

肖像権そのものからは少し離れた議論になるかもしれないが、

「そもそも顔とは?」と考えてみるもの、

肖像権への理解が深まって良いと思う。

 

スズキ君の再異変

最近、またスズキ君の様子がおかしい。

ヤマダ君と2人で有村架純さんについて語る例会をしていても、

ぼーっとしている時間が多い。

モゴモゴと独り言をいっている。

耳を澄ませてその内容を聞いてみると・・

「・・アイリ・・・アイリ・・・」

とか言っている。

いったいどうしちゃったのか?

 

「ねえ!スズキ君!どうしたの?」

「あぁ・・・・ん?聞いてる、聞いてる。」

「アイリって誰のこと?」

「(ドキっ)いや!・・その・・実は・・・

 有村架純さんの他に気になる女優さんがいるんだ」

「そんな・・有村さん一筋だった君が?」

「うん・・彼女にお姉さんがいるの知ってる?

 有村藍里さん。

 彼女も女優さんでアイドルなんだ。

 映画『Bの戦場』での熱演は素晴らしかったよ」

 

それから延々と1時間も有村藍里について語ったスズキ君は、

最後にこう付け加えた。

 

「僕、彼女の生き方にも共感してる。

 藍里さんは整形してるんだ。

 そしてそのことを公表してるんだ。

 彼女はこう言ってる。

 「自分の写真をみても、何かしっくりこなかった。

  自分の顔にコンプレックスがあった。

  だから整形を決意した。

  整形後は内面も変わった。

  明るく、自分らしく生きられるようになった」って。

 ねえ?すごいと思わない?」

「う、、うん。そうだね」

 

●<有村藍里、整形公表後インタビュー>番組で公表した理由「失うものはない」 見た目にコンプレックスを持つ女の子たちに伝えたいこと

https://mdpr.jp/interview/detail/1828447

 

「実は、僕が有村架純さんのグッズ販売をやめることができたのも、

 彼女のことを知ったからなんだ。

 藍里さんの生き方から教わったんだ!

 人は自分の意志で変われるっんだって!」

「そうだったんだ・・」

「だから僕、これからは架純さんだけじゃなく藍里さんも応援するよ」

 

こうして2人の「例会」は、

「藍里と架純について語る会」に変わった。

 

でも、ヤマダ君は架純さん一筋だ。

藍里さんにはそんなに興味が持てない。

ますます熱のこもるスズキ君の「藍里トーク」についていけない。

つい、こんなことを言ってしまった。

 

「でも・・やっぱり藍里さんが整形したのはもったいない気がするな。

 せっかく架純さんのお姉さんの顔をもって生まれてきたのに。

 それに、整形前の藍里さんを応援してきたファンにとっては、

 急に顔が変わってショックだったんじゃないかな・・」

 

スズキ君の顔が少しひきつる。

 

「ヤマダ君、今のは聞き捨てならないな。

 彼女の顔は彼女のものなんだよ。

 自分の思う顔と実際の顔が違っていた彼女が、

 悩んだ末に自分の意志で選び取った顔なんだ。

 それを否定するなんて、誰にもできないよ!」

 

さすがスズキ君。

理屈ではとても敵わない。

 

それでも、ヤマダ君は何だかモヤモヤしたものを感じてしまう・・・

 

顔は誰のもの?

以前書いたとおり、

「あなたの顔」と「あなたの中身」つまり「アイデンティティ」は、

切っても切り離せないものだ。

あなたの人格を表しているものが、顔なのだ。

(だから、顔に関する話はデリケートな話題になりやすい。)

自分の顔は「自分のもの」だ。

間違いない。

 

一方で、顔には別の意味合いもある。

例えば、あなたの運転免許証やパスポートを見てほしい。

あなたの顔が貼ってある。

警察や出入国の審査官が、目の前にいるあなたを

「間違いなくあなただ」と確信できるのは、

写真と顔が一致しているからだ。

友人や恋人と待ち合わせをして出会うことができるのは、

あなたがあなたの顔をもっているからだし、

家族や親戚が「血縁の絆」を感じられるのは、

顔が似ているから。という要素もあるはずだ。

(「この子、目もとがおじいちゃんにそっくり!」)

顔は、人があなたを他の人と見分けるための「目印」という役割も

もっている。

自分だけの意志で簡単に変えてしまえたら、

周りの人が困ってしまう。

あなたの顔は「社会のもの」でもあるのだ。

ヤマダ君が引っかかったのも、このポイントだ。

 

顔の改変権

昔なら、こんな議論に大きな意味はなかった。

顔を変えるなんて、不可能だったからだ。

でも今は違う。

整形は手軽にできるようになりつつある。

整形までいかなくても、

メイクで「盛る」のは普通のことだ。

別人のようになることが出来る。

ネット上には加工されたプロフィール写真が飛び交っている。

自分の顔を選ぶことができる時代になった。

 

「自分の顔は自分のものだ」と信じる人を「自分派」と呼ぼう。

親やDNAによって与えられた顔は、本当の自分ではない。

自分の顔へのコンプレックスは本当に辛い。

顔は自分の内面を反映させつつ、

自分の意志で選び取り、作り上げるものなのだ。

 

「自分の顔は社会のものでもある」と信じる人を「社会派」と呼ぼう。

顔は社会があなたを認知するために必要なものだ。

生まれたままの顔が、あなた自身を表すものなのだ。

勝手にコロコロと変えて良いはずがない。

 

自分派の人々は「整形するのは個人の自由だ」と主張するだろう。

整形が一般的な韓国では「自分派」が主流のように思われるだろうが、

根強い「社会派」からの反発もあるようだ。

 

K-POP界の過剰な美容整形問題、韓国政府が提言

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/30065

 

女性も多くは「自分派」らしい。

男性が無神経に「素顔の方がかわいいね」とか言ったりすると、

すごく怒られる。

「メイクの努力を全否定された気持ちになる」というのが、

彼女たちの主張だ。

彼女たちにとっては、自分の意志で盛った顔が「本当の自分」なのだ。

 

パスポート、免許証、社員証、学生証など、

公的な意味を持っている写真では、❝盛った写真❞は許されない。

カラーコンタクトで申請すると撮り直しを要求されてしまう。

彼らにとって顔は「社会のもの」だ。

 

●外務省 パスポート申請用写真の規格

https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/passport/ic_photo.html

 

自分の顔は誰のものなのか?

「顔の改変権」は、個人が独占しているのか?

考え出すと、けっこう切実な問題だと分かる。

 

もう少し考える

「顔の改変権」を掘り下げると、ますます不可思議な話になっていく。

 

・整形したら、整形前の顔については肖像権が働かなくなるのか?

 「今の顔」が本当の自分つまり人格と結びついているのなら、

 「過去の顔」はもはや関係ないってことなんじゃないの?

 それとも、何度も整形を繰り返す人は複数の顔に肖像権があるの?

 

・自分の顔を有名人そっくりに変えることは、自由にできるのか?

 浜崎あゆみそっくりになるためには、彼女の許可が要るのか?

 そっくりになってCM出演しても良いのか?

 本人だと偽るのは良くないとしても、

 「あくまでも別人です」と表示さえすればOKか?

 

・インスタグラムが肖像権を尊重した新しい機能を開発!

 撮影されたあなたの顔を、あなた好みに改変できます!

 例えそれが、人が撮影してアップしている写真でも。

 → 「友達と行ったカラオケ楽しかった~」とアップした写真が

   知らないうちに改変されてる!

   あなたと仲良く肩を組んでいるのは、

   お目めぱっちりの知らない人だ!

   友達に確認したら、こう言ってきた。

   「あ~、私の顔イマイチだったから加工しといた。

    私の顔は私のものなんだから、いいでしょ?」

 

・ある東南アジアの国では、国王が全国民から敬愛されている。

 肖像画があちこちに貼ってある。

 ある日、国王がこう言い出す。

 「俺、整形したい。白人みたいな顔立ちになりたい」

 こんなことは許されるのか?

 国民の気持ちはどうなってしまうのか?

 

顔を自由に作り変えることができる時代には、

顔が変わらないことを前提にしていた社会の仕組みが

揺さぶられてしまうのだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ここで挙げた論点について、今のところ明快な答えは一切ない。

スズキ君の意見もヤマダ君の感覚も、どちらも正しいのだ。

 

いずれは「顔は誰のもの?」という議論が必要な時代が来ると思う。

そのときになって極端な意見に引っ張られないように、

今のうちから考えを巡らせておいても良いと思う。

 

次回はもう少し話を広げて、顔以外の要素についても考えてみよう。

ヤマダ君の物語も、あと少しだけ続く。


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タレントの本やグッズを勝手に発売しても大丈夫なのか? 肖像権の深淵に挑む(3)

「肖像権」は、

「肖像権」と「パブリシティ権」の2つの権利に分けられる。

今回は「パブリシティ権」の方について説明しよう。

 

スズキ君の異変

最近、スズキ君の様子がおかしい。

ヤマダ君と2人で有村架純さんについて語り合っているときも、

何だか身が入っていない。

 

「昨日『ナラタージュ』を見返してみたんだけど、

 有村さんの演技について、新たな発見をしたよ。

 ・・・・ねえ!スズキ君!聞いてる?」

「あぁ・・・・ん?聞いてる、聞いてる。

 ごめん、ヤマダ君。僕もう行かなきゃ。

 打ち合わせの予定が入ってるんだ」

「打ち合わせ?何の?」

「それはまだ秘密だよ」

そう言って「お~いお茶」を残して、そそくさと立ち去っていく。

2人の「例会」は、開かれなくなった。

 

次にスズキ君と会えたのは、3か月後だった。

「いやーー、ごめんごめん。

 なかなか時間つくれなくて」

「久しぶりだね。何でそんなに忙しかったの?」

「実はね・・・これを作ってたんだ」

 

スズキ君が取り出したのは、1冊の本だった。

タイトルは

ムッシュ・スズキのカスミレビュー!完全保存版!

 これで有村架純の全てが分かる!』。

表紙の真ん中にポーズを決めたスズキ君が輝いている。

 

彼は誇らしげだ。

「実は、出版社から僕にオファーがあったんだ。

 「あなたのブログを是非とも出版させてほしい」って。

 僕の有村さんについての知識を全て詰め込んで、

 最高の本ができたよ!」

「そうだったんだ・・・おめでとう!

 きっと全国のファンが喜んで買うと思うよ」

「ありがとう。

 本の印税が入ってきたら、ヤマダ君にもご馳走してあげるね」

 

スズキ君のブログの中でも人気コーナーだった、

「豆知識クイズ」を中心に構成した本だという。

「問題:有村架純が最初に出演したドラマは?

 答え:『ハガネの女

 ムッシュの視点:実は、当時の有村さんは役作りのために

 ドラマの役柄と同じような環境で特訓を・・・

 ・・彼女の仕事熱心さがよく分かるエピソードだ」

のような内容の本になっている。

「スキマ出版」という聞いたこともないような弱小の出版社から、

来週発売されるらしい。

本の中をみてみると、ズズキ君の文章の他に、

有村さんが出演した映画やCMの写真がところどころに使われている。

 

「すごい。よくこんな写真使えたね」

「うん。写真の著作権の許可は出版社がとってくれたんだ」

「有村さんか、有村さんの事務所の許可はどうしたの?」

「あ~、うん。

 実は・・・とってない」

「え!なんで?」

「出版社の人に「有村さんの権利については、

 専門家のズズキ先生にお任せしたい」って言われて、

 つい「任せてください!」って答えちゃって。

 でも、以前ヤマダ君が有村さんの事務所に許可をとろうとして

 断られた話を思い出したんだ。

 どうしても出版したかったし・・。

 だから、許可はとってない」

「で、でも、大丈夫なのかな?

 権利とか色々むずかしい問題になるんじゃないかな?」

「きっと大丈夫なんじゃないかな?

 悪口を書いてるわけじゃないし。

 あくまでも女優としてのお仕事について書いてるだけで、

 彼女の私生活を暴くようなことはしてないんだから」

「それはそうだけど・・・出版社もスズキ君も、

 有村さんを使ってお金儲けすることになるわけだから、

 無断でやるのはマズい気がするよ・・・」

 

パブリシティ権

ヤマダ君がひっかかっているポイントが

パブリシティ権」と言われる権利だ。

タレントやスポーツ選手などの有名人には、タレントパワーがある。

彼らの名前や顔がメディアや広告に使わていると、

ついつい目がいってしまう。

興味が引かれてしまう。

 

パブリシティ権は、

「タレントパワーを商売目的で人に勝手に使わせない権利」だ。

 

かといって、タレントの名前や顔(以下「タレント肖像」)を

ほんの少し使うだけで

なんでもかんでも「権利侵害だ!」と言われたら困ってしまう。

何らかの基準が必要だ。

 

権利の侵害になるかどうかの判断基準は、

キング・クリムゾン事件」と「ピンクレディー事件」という

2つの裁判で明らかになった。

 

【判断基準】

 ●「専ら(もっぱら)基準」で判断しましょう。

 ●「専ら基準」で考えるための目安として

  「3類型」を当てはめてみましょう。

 

以下、説明しよう。

 

専ら基準 

「専ら基準」では、

タレント肖像を使った人の「動機」が問題になる。

 

あなたはなぜ彼女の写真を使ったんですか?

タレントパワーに乗っかりたかっただけなんじゃないですか?

写真を使った理由のうち90%以上が、

「タレントパワーに乗っかること」なら、

それはパブリシティ権侵害です!

ということになる。

 

逆に、

「タレントパワーを利用したいという気持ちも少しはあったけど、

 それは全体の90%には達していません。

 せいぜい70%ぐらいです!」

と言えるのなら、パブリシティ権侵害ではない。

 

※「専ら」「もっぱら」の言葉の意味は

 「他はさしおいて、ある一つの事に集中するさま。

  ひたすら。ただただ。」

 数値化するなら「90~100%」ぐらいのイメージのようだ。

 裁判官が「専ら」という言葉を使ったので

 「専ら基準」と言われている。

 

もちろん、本人が「俺の気持ちのうち70%だ」と言い張れば勝てる

というものではない。

タレント肖像の利用状況が客観的に分析された上で判断される。

 

パブリシティ権侵害にあたるかどうかは、

使った人の「動機」を分析し、

タレントパワー目的が90%に達しているかどうか?が基準になるのだ。

 

3類型

基本的には「専ら基準」だけで判断すれば良い。

でも、人の動機の中身を他人が理解するのは難しい。

そこで目安として示されたのが「3類型」だ。

以下の3つのパターンのどれかに当てはまれば、

「タレントパワー目的が90%に達している」と言えるだろう。

ということになっている。

 

パターン1

タレント肖像それ自体を見て楽しむための商品。

 例:アイドルの写真集

 

パターン2

他の商品より目立たせて買ってもらいやすくするために

タレント肖像を付けた商品。

 例:パッケージにアイドルの写真を使ったお菓子

   「イチローモデル」という名前のついた野球用品

 

パターン3

タレント肖像を使った広告。

 例:女優の写真を使った化粧品のポスター

 

この3つのうちどれか1つに当てはまるか?が焦点となる。

(3類型以外のパターンの可能性が全くないわけではないが、

 実務上はこの3つが主戦場)

 

どれかに当てはまればパブリシティ権侵害の可能性がすごく高い。

逆に、当てはまらなければ侵害ではないという結論へ

強く引っ張られることになる。

 

「専ら基準」と「3類型」。

覚えておこう。

 

基準が示された結果

この基準は最高裁判所が示したものなので、

国内の裁判は全てこれに従うことになった。

その結果、タレントがパブリシティ権で訴えても、

なかなか勝てないようになってしまった。

(ちなみに、キング・クリムゾンピンクレディーも負けている)

 

あからさまな❝タレントグッズ❞でない限り、

「利用目的の90%以上」や「3類型に当てはまる」を証明することは

非常に難しい。

微妙なケースでは、ほとんどの場合タレントが負けてしまう。

 

パブリシティ権というものが存在する」ということが

ハッキリした一方で、

パブリシティ権は使い勝手が悪い」ということも

ハッキリしてしまったのだ。

 

スズキ君の暴走

ヤマダ君は前に相談したことのある弁護士にスズキ君を紹介した。

弁護士の意見はこうだ。

「この本は有村さんの女優活動について評論することが目的で

 書いた本ですよね?

 タレントパワーに乗っかりたいという気持ちも

 頭の片隅にはあったでしょうが、

 それが気持ちの90%以上だったとまでは言えないですよね?

 3類型にモロに当てはまるものもないですし、

 おそらくパブリシティ権侵害にはならないでしょう。

 それに、日本には言論・出版の自由があります。

 法律的には負けないでしょう。

 ただし、トラブルを避けるために有村さんの事務所に

 「ごあいさつ」だけはしておいた方が安心だと思います」

 

弁護士事務所からの帰り道、スズキ君は気持ちを固めたようだ。

 

「僕、有村さんの事務所には連絡しないことに決めたよ。

 そもそも権利侵害じゃないんだし。

 それに、発売は来週にせまってるんだから、今さら引き返せないよ。

 ヤマダ君もそう思うでしょ?」

「う~ん。それはそうかもしれないけど・・・

 法律的には大丈夫だとしても・・・有村さんの気持ちはどうなるの?

 ファンから勝手に本を出されたら、

 悲しい気持ちになるんじゃないかな?」

「大丈夫だよ!

 きっと有村さんだって喜んでくれるよ!」

 

こうして、有村さんサイドには無断で本が発売された。

 

そして、当然のように有村さんの事務所からスキマ出版社に

抗議の電話がかかってきた。

「当社の有村の権利を侵害しています!

 今すぐ販売を止めてください!」

 

最初はうろたえたスキマ出版社だったが、

この事態を逆手にとって利用することにした。

有村架純が出版停止を要求した、あの❝禁断の書❞が、

 緊急発売!!

 手に入るのは今だけかも!!

 書店へ急げ!!」

こんなキャンペーンを展開したのだ。

 

弱小出版社としては、記録的なヒット本となった。

スズキ君もちょっとした有名人になった。

 

調子にのったスズキ君、今度はゲームソフトを作ることにした。

 

本に掲載されていた豆知識クイズが次々と出題され、

レベルが上がるとムッシュ・スズキと直接対決できるという設定らしい。

当然、有村さんの許可はとっていない。

「本がパブリシティ権侵害じゃないのなら、ゲームだってOKのはずだ。

 どちらも❝メディア❞であることに変わりはないんだから。

 表現形式が違うだけの話さ」

スズキ君はそんなことを言っているという。

 

ヤマダ君が思い切って電話しても、

まともに話を聞いてもらえない。

「え?ヤマダ君?ちょっと今忙しいんだけど」

「スズキ君すごいね。大活躍だね。

 でも・・有村さんをゲームにするのはやりすぎなんじゃないかな?」

「君の意見なんかいらないよ!もうかけてこないで!」

 

スズキ君は、すっかり人が変わってしまった・・

キラキラした目で有村さんの魅力を語っていた彼が懐かしい。

もうあの頃には帰れないのだろうか・・・

 

スズキ君の暴走は止まらない。

今度はTシャツを発売するという。

シャツの表にはクイズの問題が書いてあり、

裏には答えが書いてある。

それなりに需要があるらしい。

「僕にとってはTシャツだってメディアだよ!

 Tシャツを通じて有村さんの魅力を広めたいのさ!!」

スズキ君はパブリシティ権侵害にはならないと考えているようだ。

 

ゲームならNG?Tシャツなら?

スズキ君のしていることは、大丈夫なんだろうか?

 

ブログ → 本 → ゲーム → Tシャツ

 

表現している内容自体はどれも同じだ。

でも、右に行くに従って、❝マズイ感じ❞がしてくる。

 

ブログは、ほとんどの場合は個人メディアなので、

自由に何でも書いていい気がする。

本は、伝統的に自由な言論をすべき媒体だったので、

それを規制してはいけない気がする。

ゲームだと、「メディア」というよりは「商品」に近い気がする。

Tシャツになってしまうと、完全に「タレントグッズ」だ。 

これは「アウト」だろう。

 

「専ら基準」と「3類型」。

基準は明確になったものの、

実際には簡単に判断できないものもある。 

パブリシティ権については

まだまだ分かっていないことが多いのだ。

 

暴走の顛末

ムッシュ・スズキの勢いは、長く続かなかった。

有村さんの許可なくビジネスしているという噂が流れ、

ファンから嫌われてしまったのだ。

ネット上では、スズキ君への非難や悪口が吹き荒れた。

誰も彼の商品を買わなくなった。

ブログの更新も止まってしまった。

 

それから1年後。

ヤマダ君にメッセージが届いた。

 

「ヤマダ君へ

 ご無沙汰しています。スズキです。

 このあいだは、ひどいことを言ってごめんなさい。

 せっかくアドバイスしようとしてくれてたのに。

 僕は本当に有村さんに喜んでほしくて、あの本を作ったんだ。

 でも、事務所から抗議が来てしまった。

 それ以来、僕が有村さんを傷つけてしまったんじゃないかって、

 そんな気持ちになって苦しかったんだ。

 だから、自分でも歯止めがきかなくなって

 次々とグッズを作っちゃったんだ。

 今は本当に反省している。

 昨日、有村さんの事務所にも謝ってきたよ。

 ねえ、ヤマダ君。

 君さえよかっら、また「例会」をしようよ。

 ヤマダ君の『ナラタージュ』談義を聞きたいんだ。

 どうかな?   スズキ」

 

ヤマダ君はさっそく返事をうった。

 

「じゃ、土曜日はどう?

 『コーヒーが冷めないうちに』についても語ろうよ!」

 

(つづく)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

次回は、肖像権についての様々な論点について考えていこう。

 

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自分の顔が勝手にネットにのせられた場合、訴えたら勝てるのか? 肖像権の深淵に挑む(2)

前回の記事では「肖像権」と一言でいっても、

「肖像権」と「パブリシティ権」の2つの権利に分けられることを

説明した。

 

今回は「肖像権」の方についての判断基準、

つまり「肖像権で訴えた場合に勝てるかどうか」の基準について

解説したい。

 

ヤマダ君の近況

前回登場したヤマダ君に再登場してもらおう。

有村架純さんの大ファンの、あのヤマダ君だ。

 

ブログに彼女の写真を使おうとして断られてしまったが、

有村さんへの思いは依然として燃えている。

ブログ「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」に、

有村さんについての評論記事を書きつらねている。

ブログのメッセージ機能を通じてズズキ君という人と知り合った。

彼も有村さんの大ファンだという。

スズキ君のブログタイトルは

ムッシュ・スズキのカスミレビュー!」だ。

なかなか良い記事を書いている。

 

ヤマダ君とスズキ君は直接会うようになった。

話してみるとスズキ君は、いい奴だった。

しかも、ヤマダ君さえ知らないようなマニアックな「有村ネタ」を

沢山しっている。

2人で「お~いお茶」を飲みながら、

何時間も有村さんについて語り合う時間が楽しい。

2人は親友になった。

 

そんな彼らに魅力的なイベントのお知らせが届く。

「「あまちゃん」女優・ファンの集い」。

人気ドラマ「あまちゃん」に出演していた女優のファンが

一堂に会して、交流できるイベントだ。

これに参加すれば、沢山の人と思う存分に語り合うことができる。

参加しない手はない!

 

日曜日の午後、ヤマダ君とスズキ君は

イベント会場となっている代々木公園へ出かけて行った。

 

そこには多くの人が集まっていた。

能年玲奈(のん)さんのファン。

橋本愛さんのファン。

松岡茉優さんのファン。

もちろん、小泉今日子さんのファンも。

 

これは負けていられない。

ヤマダ君とスズキ君は人込みに飛び込み、

「有村愛」について熱く語る。

しかしライバルたちも負けず劣らず熱い。

それぞれの「能年愛」「橋本愛」について語りまくる。

「やっぱり能年さんがウニをとるシーンが・・」

「いや、有村さんの髪形が・・」

「じぇじぇじぇ!」

楽しい。

あっという間に時間が過ぎていく。

 

この一風かわったイベントに新聞記者も来ているようだ。

「読切新聞」と書かれた腕章をつけて、パシャパシャと写真をとっている。

ライバルたちと討論している自分が撮影されたときは、

有村ファンである自分に対して誇らしい気持ちにさえなった。

 

こうして素晴らしい日曜日の午後は幕を閉じた。

 

ヤマダ君の肖像権?

翌朝、読切新聞のネット版を見てみた。

載ってる!

イベントの記事と一緒に、自分たちの写真が掲載されている!

さっそくズズキ君に報告だ!

 

「スズキ君!新聞みた?」

「みたよ・・・・ガッカリしてる」

「え?どうして?」

「記事を読んでないの?」

「いや、、まだだけど」

「記事にはこう書かれてるんだよ。

 「代々木公園には300人余りが集まった。

  彼らは人気ドラマ「あまちゃん」に出演している能年玲奈さんや

  橋本愛さんらの大ファンだ。」

 これじゃ、新聞を読んだ人が僕たちのことを

 能年ファンや橋本ファンだと思っちゃうじゃないか・・」

「そ、そんな・・・」

 

これは許せない。

有村ファンであることは、

自分の「アイデンティティそのもの」だ。

それなのに、全く別の女優のファンであるかのように書かれるなんて!

受け入れがたい!

 

普段は温厚なヤマダ君だが、ここだけは譲れない。

読切新聞に抗議の電話をかけることにした。

 

「読切新聞さんですか?ひどいじゃないですか!

 僕らについて間違った情報をのせるなんて!」

「いいえ。弊社の記事は間違っていません。

 全ての女優さんのお名前を書くわけにはいかなかったので、

 「能年玲奈さんや橋本愛さんら」と書いているんです。

 「ら」が付いているから、間違いではありません」

ぐぬぬ・・・。確かに・・」

 

電話を切ったものの、腹の虫がおさまらない。

大切な有村さんを「ら」扱いされた!

これはもう引き下がれない。

ヤマダ君は弁護士に相談することにした。

 

「弁護士さん、読切新聞を訴えることはできませんか?

 「名誉棄損」とか「プライバシーの侵害」とか、

 そういう名目で・・」

「うーん、名誉棄損は厳しいでしょうね。

 明らかな嘘を書いているわけではないですし。

 プライバシーを主張するのも無理だと思います。

 日中に公園で堂々と活動している内容ですから。」

「他の名目でもいいんです。何とかならないんですか?」

「うーん、顔の写真が載せられているんで、

 「肖像権」で訴えることはできなくはないですが・・」

「じゃあ、それで!」

 

こうしてヤマダ君の使えそうな武器は、

肖像権ということになった。

 

肖像権の誕生

日本で肖像権というものが生まれた過程も、

上記のヤマダ君の事例に似ている。

 

京都府学連事件」という裁判があった。

京都の市中をデモ行進していた人を警察官が写真撮影し、

撮られた人が抗議して起きた事件だ。

まちなかを堂々とデモ行進しているわけだから、

「名誉棄損」や「プライバシーの侵害」で争うのは難しい。

困った彼らが編み出した理屈が「肖像権」だ。

全ての人間には勝手に撮影されない自由がある!というわけだ。

この裁判、最終的には

「警察官が捜査のために必要があって撮影することは問題ない」

ということになり、彼らの主張は認められなかったが、

「肖像権」というものがあるらしい。

と世の中に知れわたるきっかけになった。

 

「人権」を考えるときに、

「名誉」でも「プライバシー」でもすくいきれないものがある。

そんなときに使いやすかったのが「肖像権」なのだ。

 

肖像権の判断基準

京都府学連事件の後に、たくさんの肖像権がらみの裁判があった。

裁判所によって肖像権が認められるかどうかの判断基準が

微妙にちがっていた。

だから、肖像権で勝てるかどうかを予測するのは難しかった。

そんな中で最高裁判所が決定的な(と言われる)判断基準を示したのが

「フォーカス事件」だ。

 

和歌山毒物カレー事件の容疑者・林眞須美被告が、

裁判所などで撮影された自分の写真の肖像権をめぐって

写真週刊誌のフォーカスを訴えた事件だ。

(最終的にはフォーカスが部分的に負けた)

 

最高裁はこう言っている。

 

ステップ1とステップ2で考えましょう。

 

ステップ1

まずは、以下の項目を1つ1つチェックして

ポイントを加算しましょう。

・撮られる人の社会的地位

 (一般人、素人ならプラスポイントになる(肖像権が働きやすい)。

  政治家とかタレントとかなら、

  マイナスポイントになる(肖像権が働きにくい))

・撮られる人の活動内容

 (自宅でくつろでいるならプラスポイント。

  屋外で堂々としているならマイナスポイント。

  犯罪的な活動をしているならマイナスポイント)

・撮影の場所

 (自宅や病院内など人から見られたくなさそうな場所なら

  プラスポイント。

  道、駅、公園など普通に人に見られる場所ならマイナスポイント)

・撮影の目的

 (興味本位で私生活を暴くためならプラスポイント。

  みんなのために報道するのならマイナスポイント)

・撮影のやり方

 (隠し撮りならプラスポイント)

・撮影の必要性

・それ以外の要素

 (例えば、写真をもとにイラストにした場合は、

  マイナスポイントになりやすい。

  そのかわり、ひどく不細工に描いた場合は

  名誉棄損になる可能性が少しだけ増える)

上記全てを考えましょう。

 

ステップ2

普通の人がガマンできないレベルで

「勝手に撮影されたり公開されたりしない自由」を侵害されているか?

を考えましょう。

ガマンできないレベルなら、肖像権侵害になります。

 

これが、今のところは肖像権について考えるときの

ただ一つの判断基準となっている。

 

難しい・・

この基準、理解できただろうか?

これで人の顔写真を使っていいかどうか自信をもって判断できるだろうか?

 

正直なところ、非常に使いにくい基準ではないだろうか?

ステップ1で、

いくつもあるパラメーターでプラスとマイナスを細かく計算した挙句に、

ステップ2では「エイヤ!」と白黒を決めないといけない。

 

私は初めてこの判決文を読んだとき、

「まるで政治家の答弁のようだ」と思った。

政治家はよく「全ての要素を検討し、総合的に適切に判断します」

みたいなことを言う。

これでは、ほとんど何も言ってないのに等しい。

まあ、この判決文の方が検討する要素を具体的に挙げてくれているだけ

ずいぶんとマシなのだが・・

 

使うのが難しい基準だが、これしか無いんだから仕方ない。

 

実務上は

現場で撮影しているカメラマンが、

上記の基準を使って肖像権侵害かどうかを瞬時に判断するなんてことは

不可能だろう。

 

実務上は

・撮影していることが誰の目から見ても分かるようにする。

・撮影された人から「私の肖像をつかってもOKです」という

 サインをもらう

というようなことを地道にやるしかない。

 

ほんとうに法的に争うことになったら、

肖像権に強い弁護士に相談しよう。

その弁護士が法律に詳しいかどうかはポイントではない。

(「肖像権法」なんて法律は存在しない!)

肖像権の裁判例をたくさん勉強しているかどうかがポイントだ。

(多くの事例をみていくうちに、

 肖像権の勝敗についてだいたいの感覚はつかめてくる)

 

ヤマダ君の肖像権

ヤマダ君のケースに戻ろう。

 

ヤマダ君は肖像権を使って読切新聞に勝てるのだろうか?

 

まずはステップ1だ。

項目を1つずつチェックしていこう。

 

・撮られる人の社会的地位

 → ヤマダ君は一般人だからプラスポイント。

・撮られる人の活動内容

 → 堂々とみんなの前で討論していたからマイナスポイント。

・撮影の場所

 → みんなが自由に出入りできる公園だからマイナスポイント。

・撮影の目的

 → イベントの様子を多くの人に知らせるためなので

   「公益のため」と言えなくはない。ややマイナスポイント。

・撮影のやり方

 → 記者は腕章をして誰から見ても分かるように撮影している。

  ヤマダ君も撮られているのを分かっていた。

  これは大きなマイナスポイント。

・撮影の必要性

 → 何とも言えない。

・それ以外の要素

 → 何かあるかもしれないが、今回のケースでは考えない。

 

というわけで、

全体的にはマイナスポイント(つまりヤマダ君に不利な点)が多い。

 

次にステップ2だ。

普通の人がガマンできないレベルで

「勝手に撮影されたり公開されたりしない自由」を侵害されているだろうか?

 

ここでは「普通の人」であることがポイントになる。

有村さんの熱狂的ファンであるヤマダ君の感覚は基準にならない。

あくまで架空の「普通の人」をイメージして、

その人の感覚で判断しないといけない。

 

・普通の人なら、女優のファンイベントに参加している姿を撮られたり、

 公開されたりすることをガマンできるだろうか?

・普通の人なら、本当は有村架純のファンなのに、

 能年玲奈のファンであるかのように写真を使われることを

 ガマンできるだろうか?

 (「普通の」感覚なら、大きな違いはないかも??)

 

最後は「エイヤ!」で決めることになる。

 

私は、このケースなら「肖像権侵害ではない」と判断する。

みなさんはどう感じるだろうか。

 

その後のヤマダ君

弁護士から肖像権について詳しく説明してもらったヤマダ君は、

読切新聞を訴えるのは諦めることにした。

くやしいけれど、仕方ない。

 

嫌なことは忘れてしまおう。

 今後も「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」を通じて、

有村さんの素晴らしさを世の中に広めていけばいいさ!

 

しかし彼はまだ知らなかった。

あの写真が、思いがけない出会いをもたらすことを・・・

 

(つづく)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

肖像権について悩んだら、今回紹介した基準を思い出してほしい。

 

次回は、パブリシティ権について解説しよう。

 

 

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タレントの写真を本人に無断で使って良いのか? 肖像権の深淵に挑む(1)

自分の好きなタレントの顔写真を、

タレント本人(もしくは所属事務所)の許可なく勝手に使った場合、

問題はあるのだろうか?

 

今回はこの疑問に答えたい。

 

ファンがブログで使う場合

ヤマダ君という人物を想像してほしい。

彼は女優・有村架純さんの大ファンだ。

それはもう、好きで好きでたまらない。

もちろん出演作品は、ドラマも映画もCMも全てみている。

彼女の明るい笑顔。

ときおり見せる憂いのある表情。

成長とともに微妙に変化する顔立ち。

語り出したら止まらない。

ロイヤルホストローズヒップティーを飲みながら

友人と何時間でも語り合っていられる。

 

そうだ。

有村さんへの思いを文章で表現しよう。

それをブログにアップしよう。

僕なら誰よりも熱く専門的に掘り下げた記事が書けるはずだ。

ブログタイトルは「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」に決定だ。

 

いざ書き始めてみると止まらない。

彼女への思いがあふれてくる。

気がつくと1万字を超える大論文になっていた。

でも、困ったことに気付く。

彼女の顔立ちや表情について詳しく分析・解説してる以上は、

彼女の写真がどうしても必要だ。

そうしないと分かりやすく説得力のある記事にならない。

ドラマ「あまちゃん」のシーン写真を使いたい!

「お~いお茶」のCMのポスター画像を使いたい!

「このときの彼女の笑顔は、〇〇に出演したときと比べて

 より内面の明るさが発揮されていて・・・」

とか写真をつかって評論したい!!

 

写真のデータはネット上で収集していたので、すでに持っている。

でも、これを使っても大丈夫なんだろうか?

彼女はタレントさんだから「肖像権」というものがある。

そう誰かに聞いたことがある。

やっぱり彼女の許可がないと写真は使えないのだろうか?

困ったぞ。

彼女の連絡先なんて知るわけがないし・・

 

思い切って彼女の所属事務所に電話してみた!

きっと怪しがられると思っていたら、丁寧に対応してくれた。

 

「あの・・有村架純さんの大ファンなんですが、

 彼女の演技や表情について分析したブログを書いています。

 すっごく良い記事が書けました!

 有村さんにも読んでほしいです!

 つきましては「あまちゃん」や「お~いお茶」の写真が

 どうしても使いたいんです。

 使用の許可をいただけないでしょうか!?」

 

「弊社の有村をいつも応援いただき、大変ありがとうございます。

 残念ながらタレントには肖像権というものがございまして、

 一般の方には許可を出せないことになっております。

 申し訳ございませんが、使用は諦めてください」

 

「(がーーん)やっぱりそうですか・・」

 

「ちなみに有村架純の公式ファンクラブがあることはご存知ですか?

 ご入会いただけると会員限定の写真やメッセージが手に入るんですよ。

 入会費は・・・」

 

「あ、ファンクラブにはもう入っているんで大丈夫です・・

 失礼しました・・・」

 

電話を切ったヤマダ君はガックリとうなだれてしまう。

「有村さん(の事務所)に断られた・・」

まるで失恋したような気分だ・・・ しゅん。

 

きっとこんな流れになるだろう。

(有村さんにファンクラブがあるかどうかは確認していないので、

 会話の後半は私の空想です。すみません)

 

結局のところ有村さんの顔は、

「肖像権」があるから使えないのだろうか?

 

そんなことはない。

上記のケースなら、有村さんや所属事務所の許可は必要ない。

 

肖像権のあいまいさ

有名なわりにはちゃんと理解されていない「肖像権」について、

まずは簡単に解説しよう。

 

「肖像権」は、非常にあいまいで❝ふわっ❞とした権利だ。

まず最初に、このことをしっかり理解しよう。

 

著作権とは全然ちがう。

著作権の場合、「著作権法」というちゃんとした法律がある。

著作権は何に発生するのか?

著作権は誰がもつのか?

著作権はどういうときに働くのか?

著作権はいつ切れるのか?

そういったことが、法律に明確に書いてある。 

だから、誰でもルールが分かる。

 

プロ野球のゲームのようなもので、

「3ストライクで1アウトになる。3アウトで攻守交替になる」と

 選手も監督も審判もみんなが分かっている。

たまに審判の判断について文句を言う人もいるが、

ルールそのものについては、みんなの認識は一致している。

 

 これに対し、肖像権についてはちゃんとした法律がない。

「肖像権法」なんてものは、どこにも存在しない。

だから、誰が肖像権を持ち、どういうときに働くのか、

明確なルールが確立していない。

肖像権について争われた過去の裁判を参考にしながら

「きっとこういうルールなんだろう」と

推測しながらやっていくしかないのだ。

 

ボールとバットを与えられた子供たちが、

公園で自由に遊んでいるようなものだ。

「2回空振りしたら交代しろよ!」

「いや、4回まではいいんだよ!」

「あの壁にあたったらホームランな!」

みんなが好き勝手にルールを言い合う。

そのうち、徐々に声の大きな子の言うルールが

「公式ルール」になっていく・・

 

もちろん裁判の事例は少しずつ積み重ねられているので、

ある程度のルールの輪郭は見えるようになってきている。

それでも、まだまだあいまいな部分、「グレーゾーン」は多い。

 

法律の専門家も、歯切れの悪い説明しかできないことが多い。

「〇〇の可能性が高い」とか、

「〇〇だと思われるが、裁判で結論を出さないと確かなことは言えない」

とか、そんな言い方になってしまう。

グレーゾーンがいっぱいあるんだから仕方ない。

 

グレーゾーンでは声の大きい人の意見が通りやすい。

タレントの所属事務所が

「タレントには肖像権があります!我々の許可なく使えません!」

と自信ありげに断言するのは、そいういうわけだ。

とりあえず大きな声で主張すると有利なのだ。

 

肖像権とパブリシティ権

ここまでは「肖像権」と一言で済ませてきたが、

厳密に言うと「肖像権」という言葉には、

種類の違う2つの権利が含まれている。

 

それが「肖像権」と「パブリシティ権」だ。

 

「肖像権」という言葉に「肖像権」が含まれるという時点で

分かりにくいが、そもそもあいまいな権利なんだから仕方ない。

 

2つの権利を1つずつ簡単に解説しよう。

 

肖像権とは

まず「肖像権」とは何か?

 

「自分の姿を勝手に撮影されること、

 撮影されたものを公表されることについて

 「イヤだ!ダメだ!」と言える権利」

 

一般的にはこう説明されている。

 

「あなたの顔」は「あなたの人格」とは切っても切り離せない。

あなたの友人があなたを思い浮かべるときには

必ずその顔を頭の中にイメージさせている。

あなた自身も、自分の❝中身❞つまり「アイデンティティ」と

自分の顔を結び付けて考えている。

だから、自意識に目覚める思春期には、誰もが自分の容姿を気にする。

(それを逆手にとって楽しめるのが、

 ネット上であなた自身を表現する「アバター」や「アイコン」だ)

 

人格とつながっているあなたの顔は、

ひとつの「人権」として守られるべきだ。

他人に好き勝手に扱われていいはずがない。

 

こんな考え方がベースになっている。

だから、「肖像権」は人間なら誰もが持つことになっている。

 

パブリシティ権

パブリシティ権」とはどういう権利だろう?

 

「❝タレントパワー❞を商売目的で人に勝手に使わせない権利」

と理解すれば良い。

 

人気のある俳優、アイドル、タレント、スポーツ選手等には、

タレントパワーがある。

彼らがCMに出ていると、ついつい見てしまう。

おススメの商品に興味が湧いてしまう。

彼らの顔写真を商品に使ったら、思わず買ってしまうファンだって多い。

これがタレントパワーだ。

(「顧客吸引力」と呼ぶ人もいる)

 

世の中には、他人のタレントパワーにタダ乗りしようとする人もいる。

ジャニーズタレントの写真をプリントしたグッズを売って儲ける人。

大坂なおみ選手もおススメです」と広告して売上を伸ばす人。

 

こんなことを勝手にやられてしまうと、

彼らが長年の努力で手に入れた名声が不当に「搾取」されている感じがする。

さすがにこれはマズい。ということで、

パブリシティ権」が認められるようになった。

タレントパワーを本人に無断で商売目的に使ってはいけない。

 

「肖像権」は全ての人間が持っている権利だが、

パブリシティ権」は人気のある有名人にしか発生しない権利だ。

タレントパワーを持っていることが前提になっている権利だから

当然そうなる。

 

ヤマダ君と有村さんの場合

ヤマダ君と有村さんのケースに戻ろう。

 

有村架純さんのような有名タレントの場合、

「肖像権」はもちろん、「パブリシティ権」も持つことになる。

だから両方の権利が働いてヤマダ君は写真を使えない!という結論に

なりそうだ。

 

しかし実際にはそうならない。

有名タレントにとっては「2つの権利の両方ともに使いづらい!」

そんなケースもあるのだ。

 

 まず「肖像権」の方だが、

タレントには働かないことが結構ある。

そもそもタレントの仕事は人に撮影されることだ。

そしてその写真や映像を公表されることだ。

「撮影・公表に対して「イヤだ!」と言える権利」が肖像権だが、

「イヤだ!」などと言っていると仕事にならない。

タレントという職業を選んだことと、肖像権を主張することは、

根本的に矛盾しているのだ。

 

仕事をしていないプライベートな時間での写真であれば、

タレントの肖像権が認められるケースも多いが、

仕事として撮影された写真なら、

肖像権を主張するのはかなり厳しい。

 

上記の事例でヤマダ君が使おうとしていたのは、

あまちゃん」「お~いお茶」などの「仕事の場」で撮影された写真だ。

肖像権は主張できないだろう。

 (肖像権の細かい判断基準については次回以降に説明したい)

 

 

それでは「パブリシティ権」ならどうか?

実はこの権利も、かなり使いづらい権利だ。

 

キング・クリムゾン事件」、「ピンクレディー事件」という

有名な2つの裁判があり、

「タレントがパブリシティ権を主張できる範囲は、かなり狭い」

ということが判明してしまったのだ。

詳細は次回以降の記事にゆずるが、大まかにいうと

「モロにタレントパワーに乗っかることが目的じゃない限りは、

 パブリシティ権は働きません」

ということになった。

 

ヤマダ君は、

「女優・有村架純の演技や表情を評論すること」

を目的に記事を執筆している。

評論するためには、彼女の顔が必要なのだ。

決してタレントパワーに乗っかることを

メインの動機にしているわけではない。

 

有村さんはパブリシティ権を主張することもできないだろう。

 

なので、今回のヤマダ君のケースでは、

ブログで彼女の写真を使うにあたって、

有村さんや所属事務所の許可は必要ない。

という結論になる。

 

無名の一般人と有名タレント

こうして見てくると、

「タレントだから肖像権がある」

という考え方は、必ずしも正しいとは言えないことが分かってくる。

 

有名タレントよりも無名の一般人の方が、

肖像権が強く働くことも結構多いのだ。

 

これは、多くの人が理解していることとは逆の結論だと思う。

先に書いた通り、タレント事務所は

「タレントには肖像権があります!」と強く言うことが多い。

グレーゾーンでは声の大きな人が主張する内容が通りやすい。

その主張が多くの人に届き

「ああ、そういうものなんだ」と理解されているのだろう。

 

それ以外の主張

タレントの顔を勝手に使われるのを止めたい所属事務所からは、

肖像権やパブリシティ権以外で攻撃されることも予想される。

 

肖像権やパブリシティ権と「セット」にして主張されやすいものが

いくつかあるので、何点か検討しよう。

 

・「プライバシーの侵害だ!」

肖像権と一緒に主張されることの多いものだが、

上記の事例で使っているのは、あくまでも仕事の場所・公の場で、

彼女自身が「撮影されている」と分かった上で撮られた写真だ。

有村さんの私生活を暴いているわけではない。

プライバシーは全く関係ない。

 

・「名誉が傷つけられた!」

これもよく主張されるものだが、

上記の事例では彼女の名誉をおとしめるような写真は当然つかってない。

文章の内容も彼女を賞賛する内容だ。

ヤマダ君は有村さんの名誉を傷つけるなんてことは決してしない。

(ちなみに、もし批判的なことも書いている場合であっても、

 批判すること自体は悪いことではない。

 健全な批判こそが文化をより高めるからだ。

 よほどひどい悪口を根拠もなく書いていれば話は別だが、

 常識的な範囲の批判なら裁判で負けることにはならないだろう)

 

・「不正競争防止法に違反している!」

有村架純の公式認定ブログ」であると誤解を与えるような

内容やデザインになっていたりしたら、

不正競争防止法にふれる可能性はあるが、

ヤマダ君のブログは、そのようなものではない。

「Mr.ヤマダのカスミウォッチ!」を公式なものとは誰も思わない。

 

というわけで今回のケースでは、

所属事務所からの有効は攻撃材料はないと思う。

 

あれ?著作権は? 

ここまで検討したのは、あくまでも肖像権やパブリシティ権の話だ。

一番忘れてはいけない権利が残っている。

 

そう。写真の「著作権」だ。

 

多くの人はタレントの写真を見たときに、

写っているタレントに目を奪われ「肖像権は・・」とか言ってしまう。

本当に大事なのはそこではない。

肖像権とは違い、明確に確立した権利である「著作権」の方が、

ずっと大きな問題だ。

 

写真には著作権がある。

だから、ブログに写真を使いたかったら

(写っている人ではなく)写真を撮影した人の権利を

クリアしないといけない。

これが基本だ。

 

記事の内容によっては、

「引用」(著作権法32条)というのに当てはまり、

著作権さえも働かないことも有り得る。

ただ、「引用」の判断は専門家でもかなり難しい。

今回は肖像権とパブリシティ権がテーマなのでここでは触れないが、

いずれじっくりとりあげたい。

(本当にまじめに彼女の写真を批評するのなら、

 「引用」になる可能性はけっこう高いと思う)

 

写真を使いたかったら、肖像権を気にするより先に

著作権をクリアしよう。

写真の著作権をもっている人(実際には会社であることが多い)を調べ、

連絡をとり、許可をとろう。

個人のブログに許可を出す会社は多くないと思うが、

的外れの相手(タレント事務所)に許可を求めた挙句に

そもそも権利の無い相手から断られて

ヤマダ君のように「失恋」してしまうよりは、

ずっとマシなプロセスだ。

相手によっては許可をくれるかもしれない。

「写真の著作権の許可は出してもいいですが、

 肖像権についてはあなたの責任で判断してください」

と言われることもあるだろう。

その場合は自分で判断すれば良い。

「あの事務所に許可を必ずとってください。

 それが許可を出す条件です」

とまで言われてしまえば、従うしかない。

写真の著作権をもっている会社も、わざわざグレーゾーンに踏み込んで

「タレントの肖像権は働きませんから大丈夫です!」

なんて太鼓判は押してくれないだろう。

 

ちなみに、事務所に連絡をとって許可をもらおうとした時点で、

「彼女の肖像権かパブリシティ権の存在を認めた」ということに

なってしまう可能性もあるので、連絡するときは慎重にやろう。

 

結局は・・

まとめると、こうだ。

 

・ヤマダ君が有村さんの写った「あまちゃん」「お~いお茶」の写真を

 ブログで使うにあたり、肖像権やパブリシティ権は働かない。

・でも、写真の著作権の許可は必要。

著作権の方は「引用」でクリアできる可能性もあるが、

 判断が難しい。

 

ここまで読むと、

「な~んだ、結局のところ、著作権のせいで写真つかえないじゃん」

となってしまうと思う。

多くの場合はその通りだ。

 

それでも、やはり正しく判断した上で写真の利用を諦めるのなら、

ヤマダ君も納得感が違うと思う。

何だか分からないままに「肖像権」に意識が向いてしまい、

本来の権利者でない人に断られてしまったり、

「なんとなく、うるさそうな気がするらヤメておこう」

となるよりは、ずっといいと思うのだ。

 

次回以降

次回からは、数回に分けて肖像権・パブリシティ権について

考えていこう。

 

今回の例として挙げたケースでは、

タレントの肖像権、パブリシティ権は働かない。と私は判断したが、 

これはあくまでも「今回のヤマダ君の事例」に限った話だ。

・タレントではなく素人ならどうなのか?

・記事の内容がタレント本人と関係が薄い場合は?

・写真をもとに似顔絵にしたらどうなの?

など、今回とは違う色んなケースが考えられ、

その全てで「権利は働きません」と言うことはできない。

 

次回以降の記事では、もっと応用して判断できるように、

肖像権とパブリシティ権について少し詳しく見ていこうと思う。

 

・覆面レスラーに肖像権はあるのか?

・手タレ、足タレ(手や足のモデル)の肖像権は?

ディープインパクト(馬)の肖像権は?

・整形したタレントの肖像権はどうなる??

余裕があれば、こんな難問にも挑戦してみたい。

 

肖像権についてじっくり考えると、

「自分とは?人間とは何だろう?」

という深い謎の淵に立っていることに気付く。

どこまで真実に迫れるか分からないが、

挑んでみたいと思う。

 

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来週の連載はお休みします。

読者の皆さま、

熱中症に気をつけて良い夏休みをお過ごしください。

 

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