マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

村上春樹ファンの皆さん、朗報です!

コロナウイルスとの戦いは長期化、持久戦になる気配が濃厚だ。

 

でも戦いを長引かせるのは避けたい。

命と経済の両方を救うためにも、戦争は短い方がいい。

少しでも早く終わらせるため、家にいよう。

中国、台湾やニュージーランドの例を見れば分かるように、

「短期集中決戦」で勝利することは十分に可能だ。

今は素直に専門家の言うことを聞くときだ。

家にいよう。

家で本を読もう。

 

今、読書の習慣が身に付けば、人生の楽しみが一つ増える。

一生モノの武器にもなる。

この機会を利用して、本と仲良くなろう。

 

コロナを退治しながら読書が身に付けば、

一石二鳥だ。

 

村上春樹

私は今、村上春樹さんの作品をデビュー作から1作ずつ読んでいる。

日本一有名な作家さんの1人なのに、

実は今まで1冊も読んだことがなかった。

この期間にじっくりと読み進めていきたいと思っている。

 

私が読んだ感想としては

「癖のある文章だけど、読みやすい!

 頭の中にすいすいと入ってくる!」

というものだった。

 

なぜだろう?

普通なら、文章に癖があれば読みづらく感じるはずなのに。

 

そう思っていたところ、答えが見つかった。

この記事だ。

 

●契約書の「甲・乙」を「僕・君」に変換したら… やれやれ。 村上春樹を感じる文書になったよ!

https://maidonanews.jp/article/12586732

 

記事の内容をまとめると、以下だ。

・契約書で使われる「甲・乙」を「僕・君」に変換すると、

 村上春樹風の文章になる。

・例えばこう。

 「君は僕に対し、進捗状況の報告を定期的に行うものとする」

 「前項に定める届け出は、君の遅滞責任を免ずるものではなく、

  僕が前項に定める指示を行わなかったとしても、君の遅滞を

  容認するものではない」

・契約書の世界に一石を投じる大発見だ。

 

なるほど、そういうことか。

私は普段から仕事で契約書を読みなれているので、

文体の近い村上春樹さんの作品を抵抗なく受け入れられたのか。

 

たしかにこれは、大発見だ。

 

この大発見には、まだ先があるかもしれない。

以下は私の仮説だ。

 

私の場合、

「契約書に慣れ親しむ」→「村上春樹作品を受け入れやすくなる」

という順番だった。

逆もまた真なり。

村上春樹作品に慣れ親しむ」→「契約書を受け入れやすくなる」

ということも起こりえるのではないか?

 

これは、コンテンツビジネスの世界で契約書に苦労している

皆さんへの福音となるかもしれない。

 

「契約書に強くなりたければ、村上作品を読めばよい」

 

村上さんの小説を読もう!

読書を楽しみながら契約書を読むのが得意にもなれる。

一石二鳥だ。

 

機会があれば大規模なRCT(ランダム化比較試験)を実施して、

仮説を検証してみることにしよう(笑)。

 

契約書については、こちらの記事でも解説しているので、

参考にしてみてほしい。

 

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読書を続ければ、

ちょっとしたネット記事からでも発想が広がるようになる。

 

家で本を読もう!

 

 

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英雄になるのは義務ではない

One World: Together At Home

コロナと戦う医療関係者を称え支援するために

オンライン上のチャリティーライブ

「One World: Together At Home」が実施された。

レディー・ガガを中心とした世界的アーティストたちが

自宅から世界中の医療関係者へエールを送った。

 

鑑賞した私は、違和感を強く感じた。

 

番組はこんな素敵なメッセージから始まる。

We may be separated.

But we are not aloe.

(私たちは離れ離れになっている。でも、一人じゃない。)

 

そのあとは命を救うために必死で戦う医療現場の人々。

彼らに感謝をささげる人々。

「彼らは本物の英雄だ・・」

そんな感動的な映像の後にライブが始まる。

 

アーティストたちは、みんな自宅からの出演だ。

彼女ら、彼らは、カメラに向かって語る。

「この歌を最前線で戦うヘルスケアワーカーに捧げる。

 私たちの心はいつもあなたと共にあります。

 彼らに祝福を。サンキュー」

 

そして持ち歌を披露する。

音響設備が整わない部屋での演奏なので、

正直なところクオリティが高い音楽とは言えない。

それでも精一杯の熱唱だ。

 

次々にビッグアーティストが登場する。

メッセージの内容は、だいたい同じようなものだ。

医療関係者への感謝と応援。

 

そんな内容だった。

 

アメリ

このライブを見ていて違和感を感じたのは、

私が日本人であり日本的な文化に慣れているからだろう。

 

アメリカでは・・・。日本では・・・。

と「二項対立」でものごとを見るのは時代遅れだ!と言う人も多いが、

やっぱりアメリカと日本の文化の差は大きい。

無視して良いわけがない。

 

アメリカは戦争によって独立を勝ち取り、

「独立宣言」に代表される理念によって国の形を作った国だ。

理念の下に集い、敵と戦い、国を守る。

最前線で戦う人は英雄だ。

そんな世界観(「文化」や「物語」と言ってもいい)を持っている。

 

アメリカは戦争の度に、この世界観が盛り上がる。

歌、映画、コミックなどの文化も総動員される。

第二次大戦のときもそうだった。

最近になって人気が再燃した

キャプテン・アメリカ」は、

アメリカの兵隊をヒーロー化するために生まれたキャラクターだし、

ハリウッド映画の名作「カサブランカ」も

悩んだ末に戦争に参加する主人公をすごくカッコよく描く。

メッセージはこうだ。

「正義のために戦おう!

 悪者ヒットラーをやっつけろ!

 最前線で戦うあなた方は英雄だ!」

 

ベトナム戦争イラク戦争では、

時代の変化もあり、この物語が上手く機能しなかった。

 

しかし今回は、昔ながらのアメリカ物語が完全復活した。

❝コロナ戦争❞で戦う人々へ

アーティストがメッセージを送っている。

「命のために戦おう!

 悪者コロナをやっつけろ!

 最前線で戦うあなた方は英雄だ!」

 

「One World: Together At Home」は、

きわめて伝統的なアメリカ物語なのだ。

 

日本

日本人である私は、そこに違和感を覚えてしまう。

 

「英雄だ!」と言って持ち上げておいて、

命のリスクを押し付けているだけなんじゃないの?

 

あまり褒めたたえすぎると、

彼らの逃げ道がなくなってしまうんじゃないの?

 

がんばりたくてもがんばれない元医療関係者が、

罪悪感をかかえることになってしまうんじゃないかな・・?

 

最前線での献身的な努力が尊いことは間違いないし、

彼らを応援するアーティストたちの善意も素晴らしいけど、

全面的にはノレない・・・。

そんな感覚がある。

 

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日本でも先の大戦では文化が総動員されて

兵隊さんを英雄視する歌や物語は多く作られた。

でもアメリカと違ってそれが戦後も定着することは無かった。

結果的に戦争に負けたせいでもあるし、

戦後教育(「WGIP」のような・・)のせいもあるかもしれないが、

元々、日本にそういう世界観が希薄だったからではないか。

 

平家物語」や「判官びいき」や「熱闘甲子園」に

見られる敗者への目線。

万葉集の防人の歌や、

与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」に見られるような

1人の弱い人間への目線。

そんなものの方が、日本人の心にはしっくりきてしまうのだ。

 

今回の❝コロナ戦争❞でも日本で話題になったのは

女優の杏さんが弾き語りで披露した

「にげなさい かくれなさい」

(つまり、英雄になるより自分の命を大事にしろ!)

という歌詞だった。

 

●杏『教訓1』cover

https://www.youtube.com/watch?v=8Oo_DaRTJWM

 

アメリカ人の物語と、日本人の感性。

戦時中には文化の差が際立って目立つようになる。

 

とりあえず今言えるのはこれだけだ。

 

各国の多様な文化を守るためにも、家にいよう!

 

 

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コロナ時代のテレビ番組 短期予測

外出できないこの時期、

「家でテレビを見る以外やることがない」

という人も多いと思う。

 

でも、テレビ局も新作番組のストックがそろそろ無くなりそうだ。

 

テレビ局は制作班を2班に分けるなど工夫をしながら

番組制作を続けている。

「報道番組」や「情報番組」など、

生放送で情報を伝える番組はそれでなんとかしのいでいる。

 

しかしゴールデンタイムで流される

「ドラマ番組」や「バラエティ番組」は、

どうにもしようがない。

今までの制作体制は、

出演者も3密。

撮影スタッフも3密。

ポスプロ(編集等)も3密。

3密てんこもりだった。

3密をさけて作るノウハウが存在しない。

ドラマ番組とバラエティ番組の制作はストップしてしまっている。

 

日本文化の大きな一角を占めてきたテレビ番組だが、

曲がり角にさしかかっている。

 

おそらくコロナはそんなに簡単に収束してくれない。

今後は3つの段階をたどることになるだろう。

 

 

●第1段階(1~2か月程度)

今後1~2か月は「総集編」の次期になる。

特にバラエティ番組では、

「とにかく制作を再開できるまで、

 過去の名シーンをつなぎ合わせて番組を成立させよう。

 総集編でも「新作」は「新作」だ。

 放送枠に穴をあけてはいけない。」

という考え方が大勢になる。

 

●第2段階(2か月~1年程度)

2か月程度をすぎると「再放送」の次期になる。

総集編を作ろうにもネタが尽きる。

いつまでも総集編ではもたない。

半ば諦めの気持ちで、

過去の番組に編集を加えずにそのまま流す再放送が主流になる。

「俳優の〇〇が選ぶ、もう一度見たいあのドラマ」、

「大御所タレントが選ぶ、伝説のお笑い番組」などの企画が

多くなるだろう。

(番組の冒頭で俳優がお勧めコメントを言うために少しだけ出演する)

 

●第3段階(1年程度以降)

1年を過ぎたころから「新たなテレビ番組」の時期になる。

再放送ばかりでは、テレビがもたない。

テレビは「今」の文化を伝えるメディアだ。

3密を避けながら面白い番組を作るノウハウが模索されるようになる。

撮影スタッフを密閉空間に閉じ込める「スタジオ」や、

お笑いタレントを密集させる「ひな壇」や、

役者同士が密接になる「会話劇」などに代わるものが必要になる。

それがどんなものなのか?今はまだ分からないが、

いち早く未来を見通しトライ&エラーを繰り返す番組制作者が、

次の時代のテレビ番組の覇者になるだろう。

 

 

コロナとの戦いは、長期戦になる可能性が高い。

コンテンツ制作にかかわるアーティスト、クリエイターにとっては

短期的にも辛い時期だと思うが、

こんな時だからこそ、

先を見越してコンテンツと文化の未来を考えないといけないと思う。

 

 

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コロナウイルスはSDGsを嘲笑うのか?

人類はコロナウイルス相手に瀬戸際の戦いを続けている。

 

医療関係者、政府機関、専門家、

生活を支えるキーワーカーの方々が必死で頑張っている。

それ以外の人間ができるのは、家にいることだ。

「在宅」。

これが、頑張る彼らへの最大の応援になる。

 

家にいよう。

家で本を読もう。

 

SDGs

私は今、SDGs関連の本を多く読んでいる。

このブログで紹介したくなるほど面白いものは

まだ見つかっていないが、

人類全体にとって、かなり大きなテーマだ。

まずはSDGsをごく簡単に解説しておきたい。

 

SDGsエスディージーズ)は

「Sustainable Dvelopment Goals(持続可能な開発目標)」

の略称だ。

国連で

「2030年までに達成しよう!」

と決められた。

 

全部で17の目標で構成されている。

 

1.貧困をなくそう

2.飢餓をゼロに

3.すべての人に健康と福祉を

4.質の高い教育をみんなに

5.ジェンダー平等を実現しよう

6.安全な水とトイレを世界中に

7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに

8.働きがいも経済成長も

9.産業と技術革新の基盤をつくろう

10.人や国の不平等をなくそう

11.住み続けられるまちづくりを

12.つくる責任 つかう責任

13.気候変動に具体的な対策を

14.海の豊かさを守ろう

15.陸の豊かさも守ろう

16.平和と公正をすべての人に

17.パートナーシップで目標を達成しよう

 

これだけ読むと、

空疎なスローガンの羅列にしか見えないかもしれないが、

それぞれの目標に対して細かい数値目標が設定されていて、

進捗度をモニタリングする仕組みもあり、

かなり本気度の高い内容になっている。

 

2030年の目標達成に向け政府もけっこう力を入れている。

産業界をSDGsへ向かわせるための政策も次々と出てくるだろう。

 

SDGsコンサル❞も活躍するようになり、

あなたの会社に乗り込んできて

「これからはSDGsを実践しない企業は生き残れません!」

と演説するかもしれない。

横文字ばかりを連呼するインチキコンサルに騙されないためにも、

SDGsについて表面的な知識だけでも仕入れておいた方が良い。

ネット上にいくらでも解説記事はある。

それらを軽く読んでおくだけで、ひとまずは十分だ。

 

SDGsの人類史的意味

私がSDGsを無視できないと思っているのは、

ビジネスに役立つからではない。

(もちろん、ビジネス上も大事になっていくと思うが。)

人類の歴史上、なかなか意義深い目標だと思うからだ。

 

人類は誕生以来、ずっと3つのことに悩まされてきた。

 

飢餓。

疫病。

戦争。

 

この3つだ。

 

我々のご先祖様は、

ほとんどの期間おなかがペコペコだった。

やっと農業を覚えても、日照りが続いたりイナゴが大量発生したりしたら、

すぐに飢饉がおきた。

大勢の人が飢えの中で死んでいった。

 

原因不明の病気が大流行することもあった。

いくら神に祈りをささげても病気は治らない。

人々は苦しみながら倒れていった。

 

飢餓と疫病をのりこえても、次は人間が襲ってくる。

敵対関係にある部族や国が、

土地、食料、奴隷を求めて戦争を仕掛けてくる。

平和な村も戦場になり、多くの人が殺された。

 

飢餓。

疫病。

戦争。

我々は数十万年ものあいだこの3つの災厄と戦い続けてきた。

それが人類の歴史だった。

つい最近までは。

 

くわしくは、

ベストセラーの『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』を読んでほしい。

 

人類は科学と経済発展の力を使って

3つの災厄を乗り越えつつある。

 

食料を効率的に生産できるようになり、

余りものが大量に捨てられるまでになった。

人類の多くの人が「飢え」を実感できなくなった。

(「ファスティング」という、ある種のレジャーになった)

 

ワクチンによって天然痘は根絶された。

 

経済の重点が土地や奴隷から知的資産に移ったことで、

大規模な戦争も起きなくなった。

 

途上国にはまだまだ苦しんでいる人も多いが、

その数は着実に減らしていくことができる。

 

人類は3つの大きな悩みから解放された。

ついに❝次の段階❞へ進めるようになった。

それが、SDGsだ。

今までじっくり取り組めなかったテーマに本気で取り組もう。

まずは「格差問題」と「環境問題」を解消しよう。

かといって「経済成長」も諦めない。

2030年にSDGsが達成できれば、

地球の文明は次の段階に進むことができる。

我々は今こそ試されているのだ・・・!!!!

 

 

そこへ、今回のコロナショックである。

せっかく卒業できると思っていた「3つの災厄」の一つ

「疫病」にからめとられてしまった。

 

我々は傲慢だった。

「飢餓」や「戦争」も実はまだ卒業できていないのかもしれない・・。

 

「人類よ、君たちはまだ次のレベルには行けないよ!」

そう神様に釘をさされたような気分だ。

 

コロナウイルスは大それた夢であるSDGsを嘲笑っている。

 

コロナに負けて人類はバラバラに断絶されてしまうのだろか?

それとも、

コロナをきっかけに更に強く結びつき

SDGsを達成することになるのだろうか?

 

10年後にはその結果が明らかになる。

 

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コロナウイルスは移民問題を解決するのか?

コロナウイルスの猛威が止まらない。

社会の価値観も大きく変わろうとしている。

 

華やかなパーティーに出てSNSに上げていた

リア充」の皆さん!

これを機に、生き方を見直そう。

大切な人を守るために家で過ごそう。

 

家で本を読む方が、かっこいい。

そんな時代だ。

 

ヨーロッパの移民問題

私は今、移民問題に関する本を多く読んでいる。

移民といえば、トランプ大統領が建設したメキシコ国境の壁が有名だが、

移民の規模や議論の深まりから言えば、

ヨーロッパの方が中心地だ。

 

私の読んだ中では、これらの本が勉強になった。

どれも有名な本だ。

 

『西洋の自死 移民・アイデンティティイスラム

 

 

 

 『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』

 

 

 

服従

 

 

詳しくは上記を読んでみてほしいが、

ヨーロッパの移民問題を私なりに簡単にまとめたい。

 

EUの大失敗

アフリカ大国で続く政治上の混乱。

シリアで発生した内戦。

行き場を失った大量の難民がEUへ押し寄せた。

 

難民は助けるべきだ。

彼らは命の危険を負っている。

でも「難民」と「移民」の区別をつけるのは難しい。

お金を稼いで豊かな生活をするためにやってくる「移民」も

多くやってくる。

彼らは身分証を持っていないことも多いし、

入国するためには嘘もつく。

 

EUに大量の移民が流入した。

 

本来、難民の受け入れにはルールがあった。

一定の手続きが必要だし、彼らの移動にも制限があった。

しかしあまりにも大量にやってくるので、手続きが追い付かない。

受け入れ国の経済的負担も大きい。

その上、世間では

「難民はかわいそうだ!命を守れ!」の大合唱が始まった。

世論は1人の難民を受け入れることと、

30万人の難民を受け入れることの区別が本能的にできない。

圧倒的な数の前に事務手続きはパンクした。

ルールは❝なし崩し❞になり、

次々と移民が入国し他のEU諸国へ広がっていった。

 

その結果、多くの犯罪がおきた。

強盗、レイプ、人身売買、テロ・・・

それでもメディアは事実を正確には報じなかった。

「犯罪者は中東の〇〇国から来たアラブ人です」

などと言うと

「そんなこと報道したらアラブへの差別につながる!

 お前は人種差別主義者か!」

と抗議を受けてしまうからだ。

彼らは遠慮して「アジア系の人が・・」などと

曖昧な表現に逃げるようになった。

報道の自由は❝なし崩し❞になっていき、

人々は正しい事実を知れなくなった。

 

こうなると警察も及び腰になる。

外国人を集中的に取り締まろうとすると、

「警察は人種差別している!」と非難されてしまうからだ。

警察が立ち入れない無法地帯が次々と発生した。

そこでは法律ではなく、組織のボスや宗教的権威者が

物事を決めるようになる。

法による統治が❝なし崩し❞になっていき、

治安が悪化した。

 

無法地帯では、女性への迫害が平気で行われた。

性的なマイノリティーは差別された。

ユダヤ教のような宗教的マイノリティー

命の危険を感じながら生きるようになった。

人権思想が❝なし崩し❞に消えていった。

 

そんな状況でも、

イスラム教を批判したり揶揄したりするメディアもあった。

しかし彼らも襲撃を受けたり

「差別主義者」のレッテルを貼られたりして、

自由な発言ができなくなっていく。

表現の自由が❝なし崩し❞に奪われていった。

 

ヨーロッパ人の中では少子化が進んでいた。

彼らはあまり子供を作らない。

一方で移民は次々と子供を作る。

移民ルーツの人々が増えていく。

人口の比率がどんどん変わっていく。

 

古き良きヨーロッパの文化は消えていった。

彼らが拠り所にしたかったキリスト教文化は、

科学思想の発展をうけて、とっくの昔に活力を失っている。

一方でイスラム教は非常に強固なままだ。

 

ヨーロッパ人は自信を失った。

「俺たちの築いてきた文化・文明って、

 たいしたことなかったんだな」

と思うようになった。

 

ヨーロッパの文化は危機に瀕している。

 

コアバリュー(中心的な価値観)を守れ

なぜこんなことになったのか?

 

色んなことを❝なし崩し❞にしていったからだ。

 

最初はルールのなし崩し運用から始まった。

そこから色んなものが、なし崩しになっていった。

 

もちろん、差別主義はいけないし、

他者の文化を尊重することは大切だ。

それでも、絶対に譲ってはいけないラインはあったはずだ。

 

報道の自由

表現の自由

法による統治。

人権。

 

これは、ヨーロッパで生まれた価値観だ。

これを生んで定着させたヨーロッパ人とその文化を

私は尊敬している。

 

それなのに、

ヨーロッパ人が自分でその価値観を捨ててしまおうとしている。

 

どんなに批判を受けても、

文化のコア(中心)にある価値観を譲ってはいけないのだ。

 

揺り戻し

そんな状況の中で、一部のヨーロッパ人は

「俺たちのヨーロッパを取り戻そう!」

と立ち上がった。

いわゆる❝極右政党❞というやつだ。

 

(極右政党の中には、本当に差別主義的な発言をする人もいれば、

 穏当でまともな考えをする人もいる。)

 

いわゆる❝リベラル❞な政党が

「今どき国境を守るなんて古い!

 人命は大切だ!

 我々は分かりあえる!

 難民と移民を受け入れよう!」

と大合唱する一方で、

❝極右政党❞が

「国境を閉じろ!

 我々の暮らしを守る方が優先だ!

 これ以上の外国人の受け入れは御免だ!」

と大合唱している。

 

ヨーロッパの政界は、右と左ばかりになってしまった。

 

つまり、人々が分断された。

 

そこへ、今回のコロナショックだ。

 

各国は強制的に国境を閉じ、移民が入ってこれなくなった。

人々の移動はストップし、移民も自由がなくなった。

ある種の❝戦時体制❞に入っている。

戦時中に盛り上がるのが「ナショナリズム」だ。

「敵と戦おう!我が国を守れ!」となる。

 

この流れの中で、増える一方だった移民に急ブレーキがかかる。

各国の伝統的な文化を見直す機運が高まる。

 

ある意味、極右政党への強烈な追い風が吹き始めている。

この流れに乗って、EUを長年苦しめ続けてきた移民問題は、

❝解決❞してしまうかもしれない。

 

それでも、

「命の危機にさらされた難民をどう守るのか?」

という問題は残り続けるのだが・・・・

 

 

日本では

日本では、どうだろう?

 

2019年4月に入国管理法が改正され、

外国人の労働者を(条件つきで)正式に受け入れることになった。

 

しかし、議論はそんなに成熟していない。

 

日本の移民問題について読み応えのある本は、

私が読んだ中では見つからなかった。

 

多く見かけたのが、

「「同化主義」から「多文化主義」へ」

という議論だ。

 

「同化主義」とは、簡単に言えば

「郷に入りては郷に従え」という考え方だ。

移民の方が移民先の国(ホスト国)の文化に合わせていくべきであり、

言葉や習慣を変える努力を求めるものだ。

 

多文化主義」は、簡単に言えば

「お互いの違いを尊重しましょう」という考え方だ。

移民が独自の文化を保てるように、

ホスト国の方により多くの努力を求めている。

 

日本の多くの本で

「同化主義はもう古い。

 文化に上も下もない。

 お互いが違いを認め合って共生できるようにすべきだ。

 「同化主義」から「多文化主義」へ!」

と主張されている。

 

この主張自体は、100%正しい。

全く反論することができない。

「多様性」という言葉は、私の最も好きな言葉の一つだ。

 

しかし、である。

 

我々はヨーロッパの失敗から、もう少し学ぶべきなんじゃないか?

彼らは違いを認め合おうとして大失敗したんじゃないか?

「同化主義」さえなかなか上手くいなかにのに、

多文化主義」なんて上級者コースに進めるのか?

女性や性的マイノリティーを差別することが正しいという

相手の文化を尊重しても良いのか?

そもそも人間って、そんなに簡単に分かりあえるものなのか?

 

日本の議論は

ヨーロッパに比べて周回遅れの状況にあるように感じる。

 

コロナで大騒ぎの最近のSNSを見ても感じるが、

人間ってそんなに利口でもないし強くもない。

我々は少しずつ変わっていくしかない。 

 

 

日本文化のコアバリューは?

違う文化の人との交流が増えるに従って、

日本の文化とは何か?を考える機会が増える。

 

日本文化の絶対的に譲れないラインは?

我々の「コアバリュー」はどこにあるのか?

 

黄色人種であること?

皇室や神道や仏教?

武士道精神?

日本語?

GDPが世界3位であること?

清潔さや礼儀正しさ?

空気を読むこと?

ラーメンやマンガやアイドル?

 

グローバル化が進む中で、全てを保つことはおそらく出来ない。

何が日本文化のコアなのか?

ゆっくり考えても良いと思う。

 

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コロナウイルスは英語を滅ぼすのか?

人類とコロナウイルスとの戦いが続いている。

残念ながら長期戦になりそうな気配だ。

 

日本では「和牛券」を配る案に批判が殺到したり、

舞台芸術を中心とした文化を支える人に補償金を求める声が

あがったりしている。

日本にとって、畜産農家舞台芸術家の

どちらの優先順位が高いのか、私には分からない。

当面は人命を守る活動に全力を注ぐしかないだろう。

 

あなたの大切な人に感染させてはいけない。

「戦時中」は不必要な外出を控え、

家に閉じこもっているのが一番良い。

それがコロナへの最大の攻撃になる。

 

イベントや飲み会で大騒ぎしてSNSにアップすることだけが、

人生を豊かにする方法じゃない。

この機会を前向きにとらえ、家で本を読もう。

教養を高める大チャンスの到来だ。

 

英語の歴史

私は今、英語の歴史に関する本を多く読んでいる。

 

学術論文のようで読みづらいものや、

単なる小ネタの羅列で深みのないものも多かったが、

この本は良かった。

 

 『英語の歴史から考える英文法の「なぜ」』

 

 

 実際に使われている「生きた英語」を例にしながら、

しっかりと体系立てて英語の進化の過程を説明してくれる。

ところどころに入れられている小ネタも面白い。

読みやすさと学問的内容のバランスがとれた良い本だった。

 

ほとんどの日本人が悩む「theをつけるかつかないか?」の問題も、

この本を読めば、かなり肚落ちして理解できる。

名著として名高い「日本人の英語」と一緒に読めば、

「aか?theか?それとも無冠詞か?」という悩みは、

かなり解消されると思う。

 (それでも、私はいまだに悩むことも多いが)

 

 

「200フレーズを丸暗記するだけで、ペラペラになれる!」

とうたう薄っぺらな英会話教材を買うより、

歴史を勉強した方が

はるかに身近な感覚で英語を理解できるようになる。

 

古英語と屈折

詳しくは上記の本をぜひ読んでほしいが、

ここでは英語の歴史のエッセンスを軽く紹介しておきたい。

 

英語の歴史は西暦449年に始まる。

ローマ帝国の力が衰え、ブリテン島(今のイギリスのメインの島)に

ゲルマン民族(アングル、サクソン、ジュート)が侵入する。

彼らの使っていた言葉が英語の元となった。

(アングル民族の言葉 → English)

 

英語は大きく4つの時代に分かれる。

 

古英語・・・・449年~1100年ごろ

中英語・・・1100年~1500年ごろ

近代英語・・1500年~1900年ごろ

現代英語・・1900年ごろ~

 

それぞれの時代に英語は独特の変化をするのだが、

重要なのは古英語時代だ。

 

キーワードとして「屈折」を覚えよう。

 

「屈折」とは何か?

例えば、動詞の「sing(歌う)」は

過去形、過去分詞形、三単現のS、などにより変化する。

 

sing、sang、sung、sings、singing

 

このような語形の変化を「屈折」という。

 

古英語時代は、屈折が今よりはるかに多かった。

現在形か?過去形か?1人称か?2人称か?3人称か?

単数か?複数か?直説法か?仮定法か?命令法か?・・・

などによって、動詞の「singan(歌う)」が様々に変化する。

 

singan、singe、sang、singest、sunge、singep、singap、

sungon、singen、sungen、sing

 

動詞だけじゃない。

名詞もはげしく屈折した。

今は「king(王)」という名詞は

king、kings、king's

とシンプルに変化するだけだが、

古英語で王を表す「cyning」は、

cyning、cyningas、cyninges、cyninga、cyninge、cuyningum

と複雑に変化した。

 

日本語を使う我々の感覚からすると、

動詞が屈折するのは理解できる。

日本語だって「歌う」「歌い」「歌って」「歌えば」「歌え」

などと動詞が変化するからだ。

でもなぜ名詞まで屈折するのか?

日本語なら、どんな文脈で使っても「王」は「王」だ。

 

王が歌う。

王に歌う。

王を歌う。

 

日本語は名詞が屈折しないのに、英語ではなぜ屈折するのか?

それは、日本語には「助詞」があって、英語にはないからだ。

 

王が歌う。王に歌う。王を歌う。

助詞の「が」「に」「を」があるから、それぞれの意味の違いが分かる。

 

英語には助詞がない。

(前置詞はあるけど、日本語の助詞より応用範囲がずっと狭い)

だから、名詞の方に「が」「に」「を」の意味を込める必要があった。

「王は」「王を」「王の」「王に」それぞれを表すために、

名詞がcyning、cyning、cyninges、cyningeと屈折したのだ。

(その上、単数形と複数形の違いでも屈折した)

 

古英語の特徴は、とにかく屈折が多いということだった。

 

屈折の水平化

8世紀から11世紀にかけて大きな変化がおきる。

屈折が減っていったのだ。

 

793年、ブリテン島に

デーン人(今のデンマークに住んでいたゲルマン民族)が侵入してきた。

アングロサクソンのアルフレッド大王が押し返したものの、

デーン人はそのまま居座るようになる。

アングロサクソンとデーン人は交流し、同化していく。

 

デーン人にとっては、古英語の屈折はやっかいだ。

あまりにも複雑なので、覚えきれない。

それでも、コミュニケーションをとる必要はある。

仕方なく彼らは屈折を無視して会話するようになっていく。

 

カタコトの日本語しかしゃべれない人の会話のようなものだ。

「私は京都へ行きます」と言いたいけど、

「私、京都、行く」としか言えない。

 

同じように8~11世紀の彼らも屈折を無視してカタコトで会話していた。

そのうち次第に英語から屈折が消えていき、

語形の変化がシンプルになっていった。

これを「屈折の水平化」という。

 

しかし、それでは困ったことが起きる。

屈折があったのは文章の意味を表現するのに必要だったからだ。

屈折のない単語を並べるだけでは正確な意思疎通ができない。

例えば

「人類」「ウイルス」「やっつける」だけでは、

「人類がウイルスをやっつける」のか、

「人類をウイルスがやっつける」のか区別できない。

「人類」と「ウイルス」のどっちが主語か、どっちが目的語か分からない。

 

どうすれば良いのか・・・

そこで、彼らは「語順」に注目することにした。

 

最初に出てくる単語を主語とみなそう!

動詞の後に出てくる単語を目的語とみなそう!

ということに決めてしまった。

 

Humanity beats the virus.

The virus beats humanity.

語順が違うだけで、意味が180度変わる。

 

屈折が多かった時代の古英語では、語順はおおらかだったが、

屈折が消えていく中で語順のルールが厳格になった。

そうしないと意味が伝わらないからだ。

複雑な屈折を覚えるよりは、語順を覚える方がずっと楽でいい。

 

屈折の名残

英語が進化するとともに屈折はどんどんなくなっていったが、

今の英語にも昔の屈折の名残がある。

 

代名詞の

I、my、me、mine

などは、古英語の雰囲気をよく残しているらしい。

 

be、am、is、was、wereなどのbe動詞もそうだし、

複数形になると語形が変わる

children(←child)やmen(←man)も、

屈折の名残のようだ。

(変化の経緯は複雑)

 

その後の変化

その後も英語は変化を続ける。

 

1066年、

イリアム征服王がフランスからやってきた。

この「ノルマン・コンクエスト」を契機に

フランス語由来の単語が激増し、語彙がやたらと増えた。

同じ「牛」でも「cow」と「beef」がある。

ブリテンで暮らしていた人が家畜にしていた「cow」は英語由来だが、

支配者層が食用にしていた「beef」はフランス語由来だ。

 

その他、「語尾の消失」「大母音推移

シェイクスピアの登場」「印刷技術による綴りの統一」

などなど・・・を経て、現代英語に辿り着いている。

 

詳しくは本を読んでみてほしい。

 

これからの英語

歴史を知ると、その言語がすごく身近な存在になる。

「日本語も苦労を重ねてきた言語だけど、

 英語もけっこう大変だったんだね」

と思えるようになる。

「日本語も不自由な言葉だけど、

 英語もけっこう不自由だよね」

と感じられるようになる。

 

(日本語は同音異義語が多すぎて、「音」だけでは意味が通じない。

 漢字に頼る必要がある。

 英語は語順の柔軟性が低い。

 単語がシンプルになりすぎて、ヒアリングが難しい)

 

英語はこれから、どう変化していくのだろう。

 

アングロサクソンとデーン人の交流の例を見ても分かるように、

異なる言語を使う人が会話するようになると、

言語はどんどん単純化していく傾向にある。

 

グローバル化が進んだ現代、英語を世界中の人が使うようになった。

そしてコロナウイルスの襲来。

人々は家にこもるようになる。

その上「5G」の時代がやってくる。

テレワーク化が進む。

ネットゲームで地球の裏側の人と会話するようになる。

「人」の移動が減る分、「情報」の交流はさらに進む。

英語の流通量が爆発的に増大する。

 

ネット上では今まで以上に「カタコトの英語」が氾濫する。

「カタコト英語」が「本流の英語」を駆逐していく。

受験生を悩ませた「3単現のs」なんて消えてしまうだろう。

 

昔ながらの美しい英語を愛する人にとっては受難の時代かもしれない。

「最近の若者は動詞の変化すらロクにできなくなった・・」

と嘆くようになる。

コロナウイルスは、古き良き英語を滅ぼしてしまうのだ!!

 

これが、私の未来予想だ。

 

読書は楽しいよ!

みんなで家で本を読もう!

 

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巣ごもり読書の時代が到来!

コロナウイルスが荒れ狂っている。

イベントの自粛要請も続く。

その上、花粉のシーズンだ。

 

外出できない・・

 

でも大丈夫。

 

僕らには本がある。

家に閉じこもって読書をする良い機会だ。

春は、巣ごもり読書を楽しもう!

 

固め読み

どんな本を読もう?

 

目についた本を次から次へと気ままに読むのもいい。

買ったけど積んだままになっている本を読んでみるもいい。

一度は挑戦したかった大長編を一気に読み上げるのもいい。

 

私がお勧めするのは、「固め読み」だ。

 

何かテーマを決めて、関連する本をまとめて読むのだ。

10冊ぐらい読めば、その分野のだいたいのことが理解できる。

どの著者にも共通する内容や、

著者によって言っていることが違う点、

それを把握することで業界の言論状況も分かる。

 

自分の頭の中に、一まとまりの建築群が突貫工事で出来上がる。

とても楽しい。

 

ちなみに、今私が固め読みしているのは、以下の分野だ。

 

移民問題

 (文化と文化が衝突するとき、何が起きるのか!?)

 

・英語の歴史

 (日本語の歴史に負けないくらい波乱万丈!)

 

・SDGs

 (人類文明は次の段階に進むのか!?)

 

村上春樹さんの小説

 (実は今まで1冊も読んだことがなかった!)

 

私はプチ専門家になりつつある。

人に偉そうに語ることだってできる。

聞く方は迷惑かもしれないけど。

 

外出しづらいこの時期、固め読みはお勧めだ。

 

春は、家に閉じこもって本を読もう!

 

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