人類とコロナウイルスとの戦いが続いている。
残念ながら長期戦になりそうな気配だ。
日本では「和牛券」を配る案に批判が殺到したり、
舞台芸術を中心とした文化を支える人に補償金を求める声が
あがったりしている。
どちらの優先順位が高いのか、私には分からない。
当面は人命を守る活動に全力を注ぐしかないだろう。
あなたの大切な人に感染させてはいけない。
「戦時中」は不必要な外出を控え、
家に閉じこもっているのが一番良い。
それがコロナへの最大の攻撃になる。
イベントや飲み会で大騒ぎしてSNSにアップすることだけが、
人生を豊かにする方法じゃない。
この機会を前向きにとらえ、家で本を読もう。
教養を高める大チャンスの到来だ。
英語の歴史
私は今、英語の歴史に関する本を多く読んでいる。
学術論文のようで読みづらいものや、
単なる小ネタの羅列で深みのないものも多かったが、
この本は良かった。
『英語の歴史から考える英文法の「なぜ」』
実際に使われている「生きた英語」を例にしながら、
しっかりと体系立てて英語の進化の過程を説明してくれる。
ところどころに入れられている小ネタも面白い。
読みやすさと学問的内容のバランスがとれた良い本だった。
ほとんどの日本人が悩む「theをつけるかつかないか?」の問題も、
この本を読めば、かなり肚落ちして理解できる。
名著として名高い「日本人の英語」と一緒に読めば、
「aか?theか?それとも無冠詞か?」という悩みは、
かなり解消されると思う。
(それでも、私はいまだに悩むことも多いが)
「200フレーズを丸暗記するだけで、ペラペラになれる!」
とうたう薄っぺらな英会話教材を買うより、
歴史を勉強した方が
はるかに身近な感覚で英語を理解できるようになる。
古英語と屈折
詳しくは上記の本をぜひ読んでほしいが、
ここでは英語の歴史のエッセンスを軽く紹介しておきたい。
英語の歴史は西暦449年に始まる。
ローマ帝国の力が衰え、ブリテン島(今のイギリスのメインの島)に
ゲルマン民族(アングル、サクソン、ジュート)が侵入する。
彼らの使っていた言葉が英語の元となった。
(アングル民族の言葉 → English)
英語は大きく4つの時代に分かれる。
古英語・・・・449年~1100年ごろ
中英語・・・1100年~1500年ごろ
近代英語・・1500年~1900年ごろ
現代英語・・1900年ごろ~
それぞれの時代に英語は独特の変化をするのだが、
重要なのは古英語時代だ。
キーワードとして「屈折」を覚えよう。
「屈折」とは何か?
例えば、動詞の「sing(歌う)」は
過去形、過去分詞形、三単現のS、などにより変化する。
sing、sang、sung、sings、singing
このような語形の変化を「屈折」という。
古英語時代は、屈折が今よりはるかに多かった。
現在形か?過去形か?1人称か?2人称か?3人称か?
単数か?複数か?直説法か?仮定法か?命令法か?・・・
などによって、動詞の「singan(歌う)」が様々に変化する。
singan、singe、sang、singest、sunge、singep、singap、
sungon、singen、sungen、sing
動詞だけじゃない。
名詞もはげしく屈折した。
今は「king(王)」という名詞は
king、kings、king's
とシンプルに変化するだけだが、
古英語で王を表す「cyning」は、
cyning、cyningas、cyninges、cyninga、cyninge、cuyningum
と複雑に変化した。
日本語を使う我々の感覚からすると、
動詞が屈折するのは理解できる。
日本語だって「歌う」「歌い」「歌って」「歌えば」「歌え」
などと動詞が変化するからだ。
でもなぜ名詞まで屈折するのか?
日本語なら、どんな文脈で使っても「王」は「王」だ。
王が歌う。
王に歌う。
王を歌う。
日本語は名詞が屈折しないのに、英語ではなぜ屈折するのか?
それは、日本語には「助詞」があって、英語にはないからだ。
王が歌う。王に歌う。王を歌う。
助詞の「が」「に」「を」があるから、それぞれの意味の違いが分かる。
英語には助詞がない。
(前置詞はあるけど、日本語の助詞より応用範囲がずっと狭い)
だから、名詞の方に「が」「に」「を」の意味を込める必要があった。
「王は」「王を」「王の」「王に」それぞれを表すために、
名詞がcyning、cyning、cyninges、cyningeと屈折したのだ。
(その上、単数形と複数形の違いでも屈折した)
古英語の特徴は、とにかく屈折が多いということだった。
屈折の水平化
8世紀から11世紀にかけて大きな変化がおきる。
屈折が減っていったのだ。
793年、ブリテン島に
デーン人(今のデンマークに住んでいたゲルマン民族)が侵入してきた。
デーン人はそのまま居座るようになる。
アングロサクソンとデーン人は交流し、同化していく。
デーン人にとっては、古英語の屈折はやっかいだ。
あまりにも複雑なので、覚えきれない。
それでも、コミュニケーションをとる必要はある。
仕方なく彼らは屈折を無視して会話するようになっていく。
カタコトの日本語しかしゃべれない人の会話のようなものだ。
「私は京都へ行きます」と言いたいけど、
「私、京都、行く」としか言えない。
同じように8~11世紀の彼らも屈折を無視してカタコトで会話していた。
そのうち次第に英語から屈折が消えていき、
語形の変化がシンプルになっていった。
これを「屈折の水平化」という。
しかし、それでは困ったことが起きる。
屈折があったのは文章の意味を表現するのに必要だったからだ。
屈折のない単語を並べるだけでは正確な意思疎通ができない。
例えば
「人類」「ウイルス」「やっつける」だけでは、
「人類がウイルスをやっつける」のか、
「人類をウイルスがやっつける」のか区別できない。
「人類」と「ウイルス」のどっちが主語か、どっちが目的語か分からない。
どうすれば良いのか・・・
そこで、彼らは「語順」に注目することにした。
最初に出てくる単語を主語とみなそう!
動詞の後に出てくる単語を目的語とみなそう!
ということに決めてしまった。
Humanity beats the virus.
The virus beats humanity.
語順が違うだけで、意味が180度変わる。
屈折が多かった時代の古英語では、語順はおおらかだったが、
屈折が消えていく中で語順のルールが厳格になった。
そうしないと意味が伝わらないからだ。
複雑な屈折を覚えるよりは、語順を覚える方がずっと楽でいい。
屈折の名残
英語が進化するとともに屈折はどんどんなくなっていったが、
今の英語にも昔の屈折の名残がある。
代名詞の
I、my、me、mine
などは、古英語の雰囲気をよく残しているらしい。
be、am、is、was、wereなどのbe動詞もそうだし、
複数形になると語形が変わる
children(←child)やmen(←man)も、
屈折の名残のようだ。
(変化の経緯は複雑)
その後の変化
その後も英語は変化を続ける。
1066年、
ウイリアム征服王がフランスからやってきた。
この「ノルマン・コンクエスト」を契機に
フランス語由来の単語が激増し、語彙がやたらと増えた。
同じ「牛」でも「cow」と「beef」がある。
ブリテンで暮らしていた人が家畜にしていた「cow」は英語由来だが、
支配者層が食用にしていた「beef」はフランス語由来だ。
その他、「語尾の消失」「大母音推移」
「シェイクスピアの登場」「印刷技術による綴りの統一」
などなど・・・を経て、現代英語に辿り着いている。
詳しくは本を読んでみてほしい。
これからの英語
歴史を知ると、その言語がすごく身近な存在になる。
「日本語も苦労を重ねてきた言語だけど、
英語もけっこう大変だったんだね」
と思えるようになる。
「日本語も不自由な言葉だけど、
英語もけっこう不自由だよね」
と感じられるようになる。
(日本語は同音異義語が多すぎて、「音」だけでは意味が通じない。
漢字に頼る必要がある。
英語は語順の柔軟性が低い。
単語がシンプルになりすぎて、ヒアリングが難しい)
英語はこれから、どう変化していくのだろう。
アングロサクソンとデーン人の交流の例を見ても分かるように、
異なる言語を使う人が会話するようになると、
言語はどんどん単純化していく傾向にある。
グローバル化が進んだ現代、英語を世界中の人が使うようになった。
そしてコロナウイルスの襲来。
人々は家にこもるようになる。
その上「5G」の時代がやってくる。
テレワーク化が進む。
ネットゲームで地球の裏側の人と会話するようになる。
「人」の移動が減る分、「情報」の交流はさらに進む。
英語の流通量が爆発的に増大する。
ネット上では今まで以上に「カタコトの英語」が氾濫する。
「カタコト英語」が「本流の英語」を駆逐していく。
受験生を悩ませた「3単現のs」なんて消えてしまうだろう。
昔ながらの美しい英語を愛する人にとっては受難の時代かもしれない。
「最近の若者は動詞の変化すらロクにできなくなった・・」
と嘆くようになる。
コロナウイルスは、古き良き英語を滅ぼしてしまうのだ!!
これが、私の未来予想だ。
読書は楽しいよ!
みんなで家で本を読もう!
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