今回は、文化庁の立場で考えよう。
テレビをめぐる著作権の問題について、議論がつづいている。
全体的には文化庁が「わるもの扱い」されているような雰囲気で進んでいる。
「インターネットの世界に進出しようとするテレビ局の要望を
ぜんぜん聞き入れようとしない!」
「文化庁の提案している改善案は、的外れだ!」
「古臭い規制にしがみついている!」
そんな論調で批判されている。
批判自体はそれなりに正当なものだが、
私は文化庁に同情的だ。
文化庁だけが悪いわけじゃない。
日本版フェアユースのなれのはて
日本の著作権法は古臭い!という議論は昔からある。
周期的に盛り上がりを見せるのだが、
10年くらい前にもかなり熱くなった。
「どうして日本にはGoogleやFacebookのような企業が生まれないんだ!
日本の著作権が厳しすぎるからじゃないのか!?」
と言われていた時代だ。
そのときの議論の内容はこんな感じだった。
・「権利者の許可を取らないと使っちゃダメ」というのが、
著作権の世界の原則になっている。
・「ただし、こういう場合に限っては勝手に使ってOK」という
例外ルールもある。
・「こういう場合」というのが、細かくひとつひとつ決められている。
(非営利無料で上映する場合とか、屋外にある美術品を使う場合・・とか)
・このやり方では限界があるんじゃないか?
ひとつずつ細かく決めるんじゃなくて、
「実質的に権利者の利益を損なっていなければOK」とかいう風に
ザックリと決めてしまえばいいんじゃないか?
それで色んな場合をカバーできるんじゃないか?
・じっさい、アメリカにはそういうルールがある。
「フェアユース」(フェアな利用ならOK)というものだ。
それで上手く回っている。
・日本版フェアユースを作ろう!!
こんな話が大いに盛り上がり、文化庁を中心に法案を作ることになった。
しかし実際に調整を進めていくと、大量の異論が噴出した。
・そんな曖昧なルールじゃ、誰もOKかNGか判断できない!
まじめな人は安全策をとって結局は許可をとる。
これではフェアユースの意味がない。
・悪意のある利用者がフェアユースを隠れ蓑にして
好き勝手するようになってしまう!
損するのは権利者だ。
・裁判で白黒つけるのが好きなアメリカ人にはそれで良いだろうけど、
日本人には馴染まない!
最初は「著作権法を大改革するぞ!」と
意気込んでいた文化庁は、身動きがとれなくなってしまった。
色んな方面の意見を聞いて調整した結果、
ほどよい“落としどころ”として
「写りこみを例外規定に入れればいいんじゃない?
それなら誰からも文句でないし」
ということになった。
(「写りこみ」というのは、人物写真を撮ったときに
背景に小さく入ってしまう街中のポスターのようなもの。
これはOKにしようということ。
特に誰からも本気で要望されていなかった末端の議論だった)
多方面で調整を重ねて落としどころを探る。
これが日本のスタイルなので、どうしてもそうなってしまう。
(Go Toキャンペーンの迷走ぶりを思い出してほしい)
このときの法改正は「フェアユースのなれのはて」と言われ、
多くの人の批判をあびることになった。
最初は大きなビジョンとともに、やる気まんまんで取り組むが、
最終的にはショボい結果におわる。
そして世間からは批判される。
これと似たような経験を何度もくりかえしている。
もうトラウマになってしまっているのだ(多分)。
そして今回また
「放送とインターネットの枠組みを変えよう!」
という大きな話が始まった。
文化庁は最初からストーリーの結末は見えていた。
大きなことを言っているけど、どうせまたショボい結果におわると。
そして先手をうった。
ショボい結論を先取りした。
(レコード実演・レコードのアウトサイダー問題)
大きな反対が出なさそうな末端の論点の改正案だけを示した。
これで収まれば、延々と続く無駄な調整をしないで済む。
これが、今回の文化庁の動機だと思う。
決して素晴らしい対応だとは言えないが、
これまでの歴史をみてくると仕方ない気もする。
反対論があっても長期的なビジョンをもって必要な改革を断行する。
これが政治家や官僚に求められていることだろうが、
日本人にはそういうスタイルが向いていない。
権利者も利用者も、お上に陳情だけはするが、
自分で汗をかいて改革の先頭に立つことは避ける。
そして結論には不満を言う。
結局、何も進まない。
これが、著作権の世界で我々が置かれている現状だ。
なんだか絶望的な気分になってくるが、
それでもできることをやっていくしかない。
文化庁だけを悪者あつかいしても、何も変わらないと思う。
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次回はテレビ局の立場から考えよう。
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