ついに訴訟へ!
前回までの記事では、
「東京オリンピックエンブレム」と「サントリー・トートバッグ」について、
「パクリだ!」と騒ぎになったものの多くは、法的に問題ないものだと説明した。
特に東京オリンピックエンブレムについては、
問題ないものだということを詳しく述べた。
そのエンブレムに対して「著作権侵害だ!」と主張していたドビ氏が、
ついに訴訟に踏み切る。
今回は「訴えられた」という事実を、どう捉えるべきか?について見ていこう。
リスクに対する見方が変わるはずだ。
組織委からにじみ出る気持ち
8月14日、ドビ氏側の弁護士がリエージュの裁判所に
エンブレムの使用差し止めを求め提訴したと発表した。
(訴えた相手は、東京の大会組織委員会(以下、組織委)ではなく、
ドビ氏側が、単なるクレームのレベルをこえ、
ついに法律で白黒つけるための明確なアクションを起こしたことになる。
8月17日、これに対し組織委は、以下のコメントを発表した。
「我々の詳細な説明に耳を傾けようともせず、
提訴する道を選んだ態度は受け入れがたい」
あれ・・?
組織委の人たち、怒ってる?
ここまでの組織委の対応を、筆者は「しっかりした対応だ」と評価してきた。
しかし、このコメントに対しては、初めて違和感を覚える。
もちろん、これから戦う相手に対して
「そっちがやる気なら、こっちだって黙ってないぞ!」と
ファイティングポーズをとって見せる必要はあるし、
世間に対して「正しいのは我々だ!」とアピールすることも大切だろう。
しかし組織委のコメントからは、
そういった❝訴訟戦略上の必要性❞というものを超えて、
訴えられたことを本当に嫌がっている気持ちが、
にじみ出てしまっている気がするのだ。
これに対する私のツッコミはこうだ。
「いやいや、組織委さん!
そこは嫌がるところじゃないでしょ!
むしろ、小躍りして喜ぶところでしょ!」
なぜこう考えるのか、説明したい。
ドビ氏の選択肢
ドビ氏の立場で考えてみよう。
エンブレムの使用を止めるための戦略としては、
大まかに言って2つの方法が考えらる。
1つ目は、裁判で白黒つける方法。
そして2つ目は、メディアに意見を発信し続け、世論を味方につける方法だ。
ドビ氏は1つ目を選んだ。
もしドビ氏が2つ目の方法をとっていたら、どうなっていたか?
この後の展開をすでに知ってしまっている立場で、
このような予想をするのはフェアではないが、おそらくこうなっただろう。
数日おきにドビ氏から新しい❝ネタ❞が提供される。
発信内容が拡散し、❝炎上❞が拡大する。
エンブレムのイメージは大ダメージを受け、組織委は大いに苦しむ・・・。
結果的には、ドビ氏に❝援軍❞が現れ、
この役割をドビ氏に代わってネット上の人々が行った。
大炎上を起こすことによって組織委を打ち負かし、
この2つ目の方法が有効だったことを証明することになる。
しかし、実際にはドビ氏はそのような手段をとらなかった。
正々堂々と裁判で戦うことを選んでくれた。
以前の記事にも書いたとおり、
クリエイターとしての純粋な気持ちを持っていたのだろう。
組織委の立場から
組織委にとっては、これは「大ラッキーチャンス」である。
先の記事で述べたように、そもそも「負けない戦い」なのだ。
そしてそれ以上に、
裁判になってしまえば戦う相手がドビ氏側だけに限定されることが大きい。
つまり、あとは法律の専門家同士の❝閉じた世界の戦い❞になるので、
❝外野の声❞を完全にシャットアウトできるのだ。
ドビ氏側も、裁判への影響を考えるとヘタは発言は出来なくなり、
発言を控えるようになる。
費用の面で考えても、IOCや組織委の予算規模を考えると、
裁判費用など問題にならないレベルだろう。
(すでに訴訟関連の費用は予算として組み込まれているはずだ)
むしろ、ドビ氏側にこの厳しい裁判を戦い抜く資金があるのか?
と余計なお節介の心配をしたくなる。
こう考えると、ドビ氏が裁判に訴えてくれたことは、
非難するどころか感謝したいぐらいのことだと分かってもらえると思う。
「提訴する道を選んだ態度は受け入れがたい」
と不機嫌に非難するのではなく、
顔がニヤつくのを必死でこらえながら
「我々は侵害ではないと確信しておりますので、エンブレムの使用は続けます。
あとは専門家に判断していただき、IOCと一緒にしっかりと結論を出します。
ドビさん、お互い正々堂々とやりましょう!!」
などと、余裕しゃくしゃくのコメントをしておけば良かった。
そしてその後は、専門の弁護士に粛々と訴訟を担当してもらい、
気兼ねなく大会の準備を進めれば良かったのだ。
裁判はイメージ悪い?
こういう反論があるかもしれない。
「裁判で正当性が争われているエンブレムは、イメージが悪い!
裁判が長引けば、さらにイメージが悪くなる!
国を挙げた一大イベントに、そんなエンブレムはふさわしくない!
スポンサーだって離れるかもしれない!
リスク・ゼロのものじゃないとダメだ!」
たしかに気持ちは分かる。
しかし、リスク・ゼロなんてものは存在しない。
Google画像検索で、あらゆる❝似たモノ❞を瞬時に検索できる時代だ。
そして❝似たモノ❞は常にある。
「似ている!」と感じた人は、
いつでも誰でもSNSを通じて世界中に発信できるのが現在の世界だ。
このテの訴訟は、今後も起こるだろうし、避けようがない。
はっきり言って❝慣れる❞しかない。
事前に可能な範囲で問題ないか確認した上で作品を発表し、
不幸にも問題が起きてしまったら、
大騒ぎせずに専門家と一緒に粛々と対応するだけだ。
また、当事者ではない人々にも、慣れていただくしかない。
実際、世間の興味は移ろいやすい。
あのままエンブレムを使い続けていたとしても、一年もたてば、
「あー、そう言えばそんな騒ぎあったね。まだ裁判なんかやってたの?」
という状態になっただろう。
スポンサーだって大金を使う以上は、
エンブレムの法的リスクがほとんど無いことを把握した上で、
世論の動きを冷静に分析しただろう。
「問題なかったのに、ネットの風評を怖がってスポンサーを降りた腰抜け企業」
と、後になって言われるリスクも考慮しながら。
そして何よりも大事なことは、裁判は
「面倒に引きずれこまれてしまう、なんだかオゾマシイ場所」
なんかではないと理解することだ。
裁判は「正義を実現する場」なのだ。
実際、裁判になれば組織委は勝利を手にしていた。
正義を求めて戦うことを、必要以上に避ける理由はない。
戦うことそのものを忌み嫌う姿勢こそが、敗北を呼び込むことも多いのだ。
これからの世界を「言った者勝ち」の世界にしないためにも、
この問題については「世論の暴力」ではなく、
「法の下の正義」で白黒つけて欲しかったと思う。
次回の記事は、この連載のクライマックスだ。
インターネット史上、稀に見る「大炎上」が起き、
事件はあっけない、そして悲しい幕切れを迎えることになる。