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迫る東京オリンピック!今こそ、あの「パクリ疑惑」のモヤモヤを解消する(6)

歴史的な大炎上

前回の記事では、東京オリンピックエンブレムのことを

著作権侵害だ!」と訴えたベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏が、

ついに裁判に向けたアクションをとったことを書いた。

そして大会組織委員会(以下、組織委)が

そのまま大会の準備を進めれば良い状態だったことを説明した。

 

しかし、事態は悪化する。

ドビ氏に次々と❝援軍❞が現れるのだ。

 

今回の記事では、炎上が起きる様子と、組織委の対応をみていこう。

これを読めば、炎上が起きた時に、真っ先に考えるべきことが分かるだろう。

 

それでは、事件の続きを見てみよう。

 

ドビ氏の訴えの前後にも、

エンブレムをデザインした佐野氏の過去の「パクリ作品」が、

ネット上で次々と❝発見❞される。

そのうち2点だけ見てみよう。

 

これが佐野氏がデザインした京扇堂という京扇子屋のポスター。

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そしてこれが、

❝元ネタ❞と言われる秋田県横手市「よこてイースト」『団扇展』のポスター。

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先に説明した「著作権侵害の3つの条件」をここでは繰り返さないが、これも著作権侵害にはならない。

 

「涼」という漢字は誰のものでもない。

その漢字の一部を扇子や団扇に置き換えるのは、ただのアイディアにすぎない。

そして、「涼」の一部を置き換えるとしたら、

多くの人がこのデザインと同じ個所を置き換えるだろう。

「涼」の色を水色にするのも、ありふれた考えだ。

それぞれのデザインが「著作物」として認められる可能性はあるが、

ありふれたアイディアの部分が一致しているだけでは、著作権侵害にはならない。

 

次の例は、佐野氏がデザインした東山動物園のマーク。

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これがその❝元ネタ❞のコスタリカ国立博物館のマーク。

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ここまでくると、もはや言いがかり以外の何物でもない。

三本の線を交差させて線の先に丸を付ける表現を、誰かに独占させていいはずがない。 

 

これ以外にも無数の「パクリ疑惑」が発見されるが、

ほとんどがこのレベルのものだった。

何も問題はないはずだった。

 

しかし、ネットから佐野氏と組織に対して浴びせられる攻撃は、

「パクリ疑惑」だけで収まらなかった。

様々な方向から多種多様な非難が押し寄せる。

 

「そもそもエンブレムの選考過程が不透明だ!」

「佐野は経産省のキャリア官僚の弟だ!エンブレム審査委員とも身内に近い関係だ!」

「最初から佐野を選考することに決まっていたはずだ!」

「談合だ!」

八百長だ!」

 

「ベルギー王族への侮辱だ!」

「国際問題だ!」

 

「佐野はパクリを部下のせいにして逃げている!」

 

「泣きながら謝るまで追い詰めろ!!!」

 

非難の声は止まるところを知らない。

インターネット史上、稀に見るほどの❝歴史的大炎上❞へと発展し、

大手マスコミも連日この問題を取り上げる。

 

組織委の事務所へも、意見・苦情・嫌がらせ・取材申し込みの電話、ファックス、メール等が止まらない状態だったはずだ。

組織委の内部でも毎日のように対策会議が開かれただろう。

 

パクリ疑惑をどう釈明する?

訴訟をIOCとどう進める?

やっぱり、和解にもっていけないか?

IOCの考えを聞くか?

記者会見すべきか?

エンブレムの選考過程に問題なかったか検証しなおすか?

三者委員会を立ち上げ外部の意見を反映するか?

 

しかし、方針が決まる前に、新たな情報が飛び込む。

「大変です!また新しいパクリ疑惑が出ました!」

 

またか!?

どうする?

本当に佐野氏を選んで正解だったのか・・・?

 

組織委の上層部、ひょっとしたら政府からも

「どうなってるんだ!

 コンプライアンスは大事だと言ってただろう!

 なんでもっとしっかり調査していなかったんだ!

 スピード感を持って対応しろ!

 国民を納得させるために、説明責任を果たさなければいけないぞ!」

と怒号が飛んできていたかもしれない。

 

1ヶ月間、ずっとこんな状態が続いていたのだ。 

 

さあ、こんな状況の中、あなたが組織委の責任者の立場ならどうしただろう?

どうすれば、こんな大混乱を乗り切ることができただろう?

考えてみてほしい。

 

組織委の行動

組織委の出した答えは、記者会見をすることだった。

8月28日、

組織委はエンブレムの審査委員を務めたデザイナー・永井和正氏とともに、

あらためて会見を開いた。

 

組織委と永井氏が説明した内容は以下の通り。

 

「メディアと国民の皆さまの疑問に答えることが重要だと判断し、

 選考のプロセスを詳しく説明することにした」

 

「エンブレムだけでなく展開案もデザインしてもらう必要があるので、

 応募資格は高いレベルに設定した」

「審査委員はデザイナーを中心にしつつも幅広い人員構成にした」

「応募作品を作った人の名前は隠した上で、審査委員に選んでもらった。

 審査委員は佐野氏の作品であることを知らずに選んだ。」

 

「佐野氏からは、街中での展開案も提案してもらっていた。

 展開力も素晴らしい作品だった」

 

「選ばれた時点での佐野氏のデザインはドビ氏の作品とは全く似ていないものだった」

「商標調査をしたところ似たものが見つかったので、佐野氏に改善してもらった」

「2度の改善を経て、現在のエンブレムになった」

 

これが、組織委が示したエンブレムのデザインの変遷だ。

左から順に、最初のデザイン、1回目の修正案、決定版。 

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たしかに、最初のデザインの時点ではドビ氏のデザインとは全然似ていない。

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そしてこれが、「街中での展開案」の写真の一つだ。

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さらなる大炎上

つまり、組織委はネット上での批判の高まりを受け、

「佐野氏ありきで選んだわけじゃないんです!」

「もともと全然違うデザインだったんだから、パクってるわけがないんです!」

「皆さん、分かってくださいよ!」

と言っているのだ。

 

言っている内容自体は、特段問題のない❝まっとう❞な内容なのだが、

組織委はここで一つだけ、ミスを犯す。

 

上記の「街中での展開案」の写真が、パクったものだったのだ。

 

これが❝ネタ元❞の写真だ。

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外国人女性のブログ「SLEEPWALKING IN TOKYO」に投稿されていた写真だという。

 

今までの連載で、私は

「佐野氏の作品で著作権侵害だと断言できるものはない」と言ってきた。

しかし、さすがにこれは著作権侵害だと認めるしかない。

著作権侵害3つの条件」を、間違いなく全て満たしている。

しかも勝手に写真の中身を改変までしている。

法的にはアウトと言わざるをえない。

 

この写真がさらなる❝大炎上❞を巻き起こしてしまう。

しかも、これはネット上の人々が自分で探し出してきたネタではない。

組織委が自分で提供したネタなのだ。

(ただし、この写真自体は最初のエンブレム決定会見ですでに見せているものだ。

 組織委は最初の時点からミスをしていたことになる。)

自分で自分の家の火事に油をそそいだ格好なので、

炎上を煽りたい人々にとっては、これ以上ない❝美味しい❞材料だったことだろう。

「ほらみろ!佐野がパクリデザイナーだという動かぬ証拠が、身内から出たぞ!」

というわけだ。

結果的には、これが決定打になってしまう。

 

組織委が「疑惑を晴らしたい」という一心で使える材料を全て使おうとした結果、

細心の注意を払うべきシーンで、基本的な確認作業が抜けてしまったのだ。

大炎上で冷静さを失ったまま行動すると、このような初歩的ミスが起きてしまう。

 

ただし、1つだけ言っておきたい。

この写真の盗用って、そんなに悪いことなのか?

 

写真を会見でみんなに見せてしまったのは組織委の凡ミスだ。

しかし少なくとも佐野氏は、

この写真を一般の人々に向けて公開しようと考えていたわけではないと思う。

これは、組織委や審査委員に「このエンブレムが採用されたら、こうなりますよ」と

説明するための❝内部資料❞にすぎなかったはずだ。

 

例えば、あなたがテレビCMのプランナーだとして、

「新商品のCMには広瀬すずを起用しよう」と考えたとする。

そしてそのプランを、クライアントに説明するために企画書を作る。

広瀬すず氏の写真が必要だが、彼女に会ったこともないのに、

自分で彼女を撮影した写真なんて持っているはずがない。

その場合、ネット上にある広瀬すずの写真を使わないだろうか?

「これを撮影した写真家の許可は取らなくてもよいのか?」と

疑問にすら思わないかもしれない。

当たり前のように一番かわいい広瀬すずの写真をネットで探し、

当たり前のようにコピー&ペーストするだけだろう。

写真を改変して、彼女の手に新商品を持たせてみたりもするだろう。

だって、クライアントに説明するだけの❝内部資料❞なんだから。

 

このようなことは、あらゆる企業の内部資料で毎日おきていることではないか?

佐野氏がやったのは、これと同じレベルのことだ。

確かに著作権侵害ではあるが、エンブレムを取り下げるほどの大犯罪とは、

断じて違う。

 

炎上が起きたら、どうすべき?

 では、1か月も続く大炎上に襲われたとき、どうすべきだったのか?

 

答えはこうだ。

 

「無視」

 

世間から叩かれ、上からは「早く何とかしろ!」とつめ寄られ、

下からは「お願いです!このままでは現場が持ちません!」と懇願される。

胃がキリキリと痛む。

こんな状況を打開する解決策をとらなければいけない・・・!

 

そんな状況でこそ「何もしない」ことを選ぶべきだった。

 

あちこちに火が付いた「炎上」という状況の中、

全ての火を一度に消す魔法なんてない。

重要な火元だけを押さえれば良い。

そして今回の事件の火元であるドビ氏の訴えには、対応済みだ。

 

「説明すれば分かってもらえる」と会見を開いても、分かってもらえないのだ。

炎上を煽る人は、「分かる」ことを目的にしていない。

説明しても、新たな炎上ネタを提供するだけだ。

 

パクリ疑惑が出た後に組織委が行った最初の会見は、

著作権の反論ポイントを押さえるという明確な目的をもった会見だった。

しかし今回の会見は、

「世間に色々言われている!・・・と、と、とにかく何かやらなきゃ!」

という気持ちで行った❝やらされ会見❞になってしまった。

主導権を握れないまま行う会見なら、しない方が良かった。

 

もちろん、本当に組織委が「アウト」なことをやったのなら、しっかりと謝るべきだ。

組織委のせいで、選手や観客がケガをしてしまった!というようなことであれば、

しっかり原因を究明し、ケガさせた相手に謝り、補償し、本人とメディアに説明し、

再発防止をするべきだ。

会見でも何でもやるべきだろう。

 

しかし、今回は違う。

全然違う。

本質的に問題はなかった。

そして組織委もそれを分かっていたはずだ。

 

いわゆる「危機管理専門のコンサルタント」の方々はこう言う。

 

「初動が大事です」

「できるだけ早く情報開示しましょう」

「様子見していても、事態は悪化するばかりです」

「沈黙していたら、事実だと認めたと思われてしまいます」

「法的にテクニカルな論点で反論しても、世間から反感を買うだけです」

「まずは、騒動を起こしたことを謝罪すべきです」

「組織への不信感を払拭することが大事です」

「組織のトップが自分でしっかり説明すべきです」

「説明して理解してもらうことが大事です」

 

ごもっともなことを言っているようだが、つまり、こう言っているのだ。

 

「炎上は怖いんです!!

 すごーく怖いんです!

 世間を怒らせちゃダメ!

 とにかく、嫌われちゃダメ!

 好かれてもらえるまで、ひたすら愛想をふりまきなさい!」

 

本当に、こんなアドバイスに従うべきなのだろうか。

「反感を買わない会見」のやり方を教えてもらい、その通りやれば、

アドバイスをするコンサルだけは儲かるだろう。

 

たしかに国民的なイベントだし、

多くの国民から愛されるエンブレムであってほしいと私も思う。

炎上を煽る人の中には、

自らの「正義感」にかられて善意で頑張っていた人もいると思うし、

そんな彼らからも愛されるエンブレムなら、最高だと思う。

しかし、正義や信念を曲げてまで

「愛してくれませんか?こんなに説明してるんだから、愛してくれませんか?」

とお願いする人を、あなたは本当に愛することができるだろうか。

 

必要な説明は、すでにしている。

あとは自分を信じて、じっと耐えるべきなのだ。

「何かやらなきゃ!」という状況の中、

あえて「何もしない」ことを選ぶことは大変な勇気が必要だ。

それでも、耐える。

全方位から責め立てられ、冷や汗、脂汗、わき汗、

全てが噴き出すような窮地もあるだろう。

それでも、耐える。

苦しいが、耐える。

ひたすら、耐える。

 

そのうち、攻撃する側にも綻びが出る。

一部の人が佐野氏へのプライバシー侵害、誹謗中傷、嫌がらせ、脅迫などの

極端な行動をとるようになる。(実際に起きた)

そういった犯罪には警察と一緒に断固たる対応をとる。

そして、「犯罪行為には立ち向かう」という毅然とした意思をメディアに公表する。

いずれ、「正義はどちらにあるか?」世間も気付くだろう。

 

そして、エンブレムとは関係のない、新たな炎上ネタが世の中のどこかで起こる。

大物政治家がワイロを受け取っていた証拠が出るかもしれない。

どこかのスポーツ団体でパワハラの告発が起きるかもしれない。

人々の興味はそちらへ移る。

パクリ騒動は話題にならなくなっていく。

 

組織委には、このように行動してほしかった。

 

佐野氏の決断

実際には、このような流れにはならなかった。

 

組織委は「分かってください!」と言わんばかりの会見を行った。

しかし、その会見が火に油を注いだ。

大炎上はさらに激しくなり、佐野氏への攻撃は止まらない。

佐野氏の元へ、誹謗中傷のメールが大量に送られる。

本人に記憶のないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが次々と届く。

佐野氏の家族、親族のプライバシーがネット上にさらされる・・。

 

ついに佐野氏は決断した。

「大会を成功させたい。

 家族やスタッフを守るためにも、エンブレムを取り下げたい」

と組織委に伝えたのだ。

 

佐野氏の意思を受け、組織委は即座に記者会見を開いた。

 

そして会見で

「佐野氏が取り下げたいと言っている。

 国民の理解が得られなくなったから、エンブレムを取り下げる」

と発表した。

 

こうして、組織委は敗北した。

 

組織委が釈明会見を開いてから、わずか3日後のことだった。

 

組織委の本心

1つはっきりさせておきたい。

エンブレムの取り下げを決断したのは、佐野氏ではなく組織委だということだ。

 

今後の展開を自由に行うために、

組織委は佐野氏からエンブレムの権利を全面的に譲り受けている。

佐野氏には、このエンブレムを使うか?使わないか?を選択する権限はなかった。

もともと作った人として、「単なる希望」を言っただけだ。

しかし、組織委はこの「単なる希望」を全面的に受け入れ、

即座に取り下げを決定し、すぐさま会見を開いたのだ。

 

組織委は、佐野氏から「取り下げたい」と聞かされたとき、どう考えたのだろう?

 

内心、❝ホッとした❞のではないか。

「良かった。これを理由に、取り下げできる。

 やっと、この辛い状況から解放される!」

そう考えたのではないか。

「そうですか。佐野さんがそうおっしゃるのなら、仕方ないですね」

と即答したのではないか。

だからこそ、あれほど迅速な決断・対応ができたのだろう。

 

でもそれは、組織委がとるべき行動ではなかった。

いわれなき非難を浴びつつけ、肩を落とす佐野氏に対して、

組織委は何をすべきだったか?

 

佐野氏の手をとり、相手の目をみて、こう言うべきだった。

 

「お気持ちよく分かります。

 辛いですね。

 でも、もう少しだけ一緒に頑張りませんか。

 正義はこっちにあるんです。

 私があなたを全力で守ります。

  世界中が敵になっても、私はあなたを信じぬきます。 

 今は本当にきついけど、一緒に頑張りましょうよ!

 ほら、夜明け前は一番暗いって言うじゃないですか。

 もう少し、もう少しだけ頑張れば、必ず希望が見えてきますよ!」

 

こんな、❝昭和の香り❞のする、気持ちのこもった言葉が必要だったのではないか。

 

コンプライアンス

「説明責任」

「スピード感のある対応」

こんな、❝平成生まれ❞の言葉に惑わされ、

組織委は一番大事なことを忘れてしまっていたのではないか。

 

「一番辛いときにこそ、信じた相手を守る」という、

昭和の、そして昔から大切にされてきたことが、大切だったのだ。

 

問題の本質

この連載の最初に、私はこう問いかけた。

東京オリンピックエンブレム、パクリ疑惑」の何が本当の問題だったのか?

 

多くの人が、この事件についてこんな印象を持っていると思う。

「なんだかややこしい知的財産の問題がおきた」

著作権でモメたから、取り下げになった」

「エンブレムの選考過程にも問題があったから、取り下げになった」

 

違う。

そうではない。

さんざん著作権や商標権について解説してきた筆者だからこそ言うが、

知的財産は本質的な問題ではない。

選考過程についても、何の不正も発覚していない。

 

組織は一連の記者会見で、何があっても佐野氏を守る!という覚悟を見せず、

どちらかというと他人事のようなコメントに終始した。

 

打ちひしがれた佐野氏が「もうやめたい」と言ったときには、

簡単にそれを受け入れ、さっさと会見を開いてエンブレムを取り下げた。

 

そして、その後に佐野氏の名誉を回復するようなことを何一つしなかった。

 

知的財産や選考過程は、本質的な問題ではなかった。

組織委に「信じた相手を守る」という覚悟がなかっただけなのだ。

これが問題の本質だ。

 

考えてみてほしい。

もし佐野氏に「不倫疑惑」が浮上していたらどうなっただろう?

 

ベルギーの女性がSNSで「私、ミスター・サノの愛人です」とつぶやいたとしたら。

彼女の主張はこうだ。

「エンブレムの「T」の字は私のイニシャルよ。

 あのエンブレムは、私への愛のメッセージが込められてるの!」

佐野氏は否定するし、明確な証拠も出ないが、女性は裁判で慰謝料を請求する。

「国民的イベントのエンブレムに、愛人への個人的メッセージを忍ばせるとは、

 何たる不届きもの!!」

大スキャンダルに発展し、炎上が拡散する。

そして他にも、次々と佐野氏の❝自称愛人❞が現れる。

「佐野さんにホテル(の喫茶店での打合せ)に誘われた」

「佐野さんに(初対面の握手で)手をにぎられた」

佐野氏が女性アシスタントに渡したメモが発見される。

そこにはこう書かれていた。

「いつも頼りにしているよ」

さらなる大炎上!

たまりかねた組織委は会見をひらく。

「「T」の文字はTOKYOの「T」であって、女性のイニシャルではありません」

しかし、その会見で組織委が見せた「街中での展開案」の写真の中に、

たまたま佐野氏の昔の交際相手が小さく写りこんでいた。

これは決定的証拠だ!

佐野というデザイナーは、仕事に女性関係を持ち込む男なんだ!

多くの国民が佐野氏へ疑惑の目を向ける。

佐野氏への嫌がらせがエスカレートする。

そして遂に、佐野氏が「もうやめたい」と言い出す・・・。

 

馬鹿げた設定だし、佐野氏に失礼な想像だと思うかもしれない。

本当にその通りだ。(佐野さん、ごめんなさい)

 

しかし、パクリ騒動も同じくらい馬鹿げていたし、失礼だった。

明確な証拠もないまま、「決めつけ」だけが横行したのだ。

 

パクリ疑惑だろうが不倫疑惑だろうが、世間が騒げば組織委は動揺する。 

この不倫疑惑・大炎上の中で佐野氏が「やめたい」と言い出したら、

組織委はどうするだろうか?

「そうですか。佐野さんがそうおっしゃるのなら、仕方ないですね」

と言ってしまわないだろうか?

そして、実際に組織委がやったように

「佐野氏が取り下げたいと言っている。

 国民の理解が得られなくなったから、エンブレムを取り下げる」

という会見を開いたのではないだろうか?

 

 

 「信じた相手を守る」という覚悟に欠けた組織委では、

どんなくだらない問題が起きたとしても、対応はできなかっただろう。

 

悲しい結末

組織委は敗北した。

その後の展開を駆け足で見ていこう。

 

9月21日、騒ぎの発端となったロゴの当事者、

リエージュ劇場は「訴えを取り下げる」と発表する。

ドビ氏本人は「使用中止は良いことだが、ロゴが似ていると認められるまで戦う」

という意向だという。

 

9月28日、組織委は会見を開く。

今回のエンブレムの問題については

「国民に対して閉じられた選考過程になってしまっていた」

「一部の人で進めたので十分なチェック機能が働かなかった」

という、ピント外れの反省点を述べた。

そして新たなエンブレムを選びなおすために、

「エンブレム委員会」を設置すると発表した。

 

選考過程は「より国民に開かれた」ものにされ、改めてデザイン案が公募された。

1万4599点の応募が集まったという。

 

2016年4月8日、最終候補の4案が発表される。

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この4案に対して国民からハガキとインターネットで意見を送ってもらい、

それを参考にした上でエンブレム委員会が決定するという流れだ。

 

そして4月25日、江戸時代の「市松模様(いちまつもよう)」を生かした「A案」に

決定したと発表される。

制作したのは、東京で活躍するデザイナー・野老朝雄氏だ。

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これが、「国民に開かれた」選考過程の結果、選ばれたエンブレムである。

あなたは、どういう感想を持っただろうか?

もちろん、デザインの好みは人それぞれだ。

 

タレントのマツコ・デラックス氏はテレビ番組「5時に夢中!」の中で、

このようなコメントをしたという。

「決してA案が何か秀でてるって感じはしないけど、他のがありきたりじゃない?」

「ただこう見ると、パクリだったかもしれないけど、

 あの(佐野氏の)エンブレムってよく出来てたんだなって思うよね」

「ごちゃごちゃしてモメて、みんながスゴく色んなものに注意しながら作ってやると、

 こういう凡庸なものになるのよね」

 

私には、デザインの専門知識はないし、

デザイナーの野老氏や、その他多くの応募者を貶める意図は全くない。

しかし、マツコ氏のコメントは、

多くの人が「何となく感じていたこと」の核心を突いているのではないだろうか。

さすがはコメントのプロだと思う。

 

もう一度だけ、二つのデザインを見てみよう。

  

     

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どちらが、「国を挙げた一大イベント!」という感じがするだろうか?

どちらが、「50年前のように、もう一度東京を盛り上げよう!」という

気持ちがこもっているだろうか?

考えてみてほしい。

 

私はつい想像してしまう。

もし、佐野氏のシンプルで力強いエンブレムが東京中を飾っていたら・・と。

 

いずれにせよ、エンブレムは決定した。

 

こうして、組織委の莫大な予算と、若きデザイナーの夢が、完全に失われたのだ。

 

次回の記事は、この連載の最終回となる。

「タラ・レバ」の話になってしまうのを承知で、

「あのとき、本当はこうしていれば良かった」という案を紹介しよう。

 

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