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NHKと講談社の対決 「本当の敗者」は誰だ?を突き止める(4)

第3章:辻村深月

前回までの記事を振り返ろう。

 

作家・辻村深月氏の小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』を

NHKがドラマ化しようとした。

しかし、脚本の内容について辻村氏が納得しなかったため、

講談社がドラマ化の許可を土壇場になって取り消した。

怒ったNHK講談社を訴えたが、裁判では負けてしまった。

 

講談社の立場で考えると、

自分では権利を持てないので、権利を持っている辻村氏と一心同体となり、

NHKに対して強い態度に出る必要があった。

 

NHKの立場からは、

俳優やスタッフみんながドラマ制作のために頑張っているのに、

講談社だけが邪魔しているように見えていた。

裁判しても勝てる見込みは低かったが、

今後のドラマ制作のことも考えて、あえて裁判を戦った。

 

以上が、これまでの流れだ。

 

残る謎は1つだ。

・結局のところ、損をしたのは誰か?

 

ここまでは、ずっとNHK講談社という大企業の目線で考えていた。

講談社が「辻村先生の作品を変えるな!」と主張すれば、

NHKは「辻村先生に会わせろ!」と対抗し、

両者は激しくぶつかっていた。

 

この間、当の辻村さんは何を考えていたのだろう?

 

今回は、辻村氏の目線で事件を考えたい。

「第3章:辻村深月」だ。

 

辻村氏について

辻村深月さんは、山梨県出身だ。

小さな頃から読書が大好きだった。

また『ドラえもん』のファンでもあったそうだ。 

 

大学卒業後は地元で働きながらも小説を書き続け、

ついに講談社の新人賞を受賞する。

これをきっかけに講談社とのつながりが出来たのか、

その後の作品の多くが講談社から出版されるようになる。

順調に作品の発表を続け、徐々に人気作家として認められるようになっていく。

自分を見出し育ててくれた講談社に対しては、強い信頼感をもっていただろう。

 

辻村さんの作品には、

若者の微妙な気持ちを、分かりやすい言葉で丁寧に描いたものが多い。

そんな作品の中でも、当時の辻村さんが「自分の代表作」と考えていたのが、

『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』だ。

 

この作品の主人公は、

山梨県から東京に出ていき、また山梨に戻ってきた女性ライターだ。

設定、経歴ともに辻村さん本人に非常に似ている。

主人公を自分自身に重ねるような思いで書き上げたに違いない。

かなり思い入れの強い作品だっただろう。

 

当時、辻村さんは31才。

仕事をやめ作家に専念して3年ほどたっていた。

これから作家としてもっと上を目指そうとしていた時期だったと思う。

 

そんな時期に、日本最大の放送局・NHKから

「ぜひドラマ化させてください」と依頼が来たのだ。

しかも自分の代表作に対して。

嬉しかったに違いない。

 

しかしこの後、NHK講談社の交渉は難航し、

最後は不幸な結末を迎えることになる。

 

交渉の役割分担

事件の話に入る前に、

一般的に言って「交渉」とはどういうものか、確認しておきたい。

 

交渉とは、自分の希望と相手の希望をぶつけ合い、すり合わせ、

ほど良い落としどころを決定するプロセスだ。

 

日常生活では、その全てを自分1人で行うことがほとんどだが、

大きな組織同士の交渉では、

「交渉担当者」と「意思決定者」が分かれていることが多い。

 

なぜ分かれているかというと、そちらの方が上手くいくからだ。

 

営業担当者がお得意様から「もっと値下げしてよ!」と求められた場合、

意思決定する人が別にいるからこそ、

「一度社に持ち帰って上司と相談します」

と言って時間を稼ぎ、検討することができる。

 

意思決定する組織のトップが

「正しいのは我々だ!絶対に譲らない!」

と吠えている一方で、

相手と向き合う実務の担当者が

「トップはああ言ってますが、本心では仲良くやりたいと思っているんです」

とささやき、交渉をうまく進めることもできる。

トランプ大統領は、この方法で北朝鮮とのトップ会談を実現してしまった)

 

逆にトップ同士はにこやかに握手する一方で、

交渉担当者同士が厳しいやりあいをするパターンもある。

 

とにかく、「交渉担当者」と「意思決定者」が分担し、

「俺はこう言うから、お前はこう言え」としっかりと打ち合わせをし、

それぞれが違う役割を演じれば、何かと話を進めやすいのだ。

 

『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のケースで言うと、

「意思決定者」は「改変禁止権」を持っている辻村氏だ。

そして「交渉担当者」は講談社となる。

 

この2人の役割分担はどう進行したのだろうか?

事件の流れを振り返ってみよう。

 

事件の流れ(辻村氏目線)

 2011年9月11日

NHKから講談社

「『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』をドラマにしたい」

と企画書が送られる。

 

すぐに講談社から辻村氏にも連絡がいっただろう。

自分の代表作をNHKがドラマ化して全国に放送したいと言っている。

これは嬉しい。

 

「予定キャスト」として、長澤まさみ黒木華など、

そうそうたる役者の名前も挙がっている。

辻村氏が「小説のイメージにぴったり!」と思ったのか、

「少しイメージとは違うけど、どんな演技をしてくれるんだろう?」

と思ったのか、分からないが、

ワクワクしながら講談社に話を進めてくれるよう伝えただろう。

 

それからおよそ3か月後の12月19日、

第1話の脚本がNHKから講談社に提出され、それが辻村さんにも渡される。

 

脚本では原作と大きく変えられているところがあった。

主人公が母親とすぐに会ってしまっているのだ。

NHKは、主人公と母親の難しい関係を、

 ちゃんと分かってくれているのか・・?」

少し不安になってくる。

 

実は、この時点での辻村氏には『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』の他にも、

映像化の話が進んでいる作品があった。

『ツナグ』という作品の映画化が、講談社東宝のあいだで進んでいた。

また、『本日は大安なり』という作品のドラマ化が、

こちらは角川書店NHKのあいだで進んでいた。

 

しかし、どちらも翌年に公開・放送する予定のものなので、

この時点では、完成作品として出来上がった映像はなかったと思われる。

辻村さんには自分の小説が映像作品になるという一連の流れを、

最後まで体験したことがなかったのだ。

 

自分には「映像化の経験値」が少ない。

そんな中で、自分にとって一番大切な作品がドラマ化される。

自分の思いとは全然違うモノになって全国の視聴者に届いてしまうかもしれない。

大丈夫だろうか・・・?

不安になって当然だ。

 

辻村さんは、映像化の経験が豊富なはずの講談社に相談しただろう。

「この部分、気になるんですけど、大丈夫でしょうか?」

 

これに対し講談社は、前回の記事で書いたような、

「ドラマ化する上での都合・セオリー」を説明した上で、

「大丈夫だと思います。第2話以降の脚本がどうなるか、様子を見ましょう」

とは答えなかった。

「先生のご懸念わかります。ちゃんと修正してもらいます」

と答えたようだ。

 

12月22日

講談社NHKに対して、

「主人公がいきなり実家に行くのはおかしい。

 原作の中の母と娘の関係を変えないようにしてください」

と要望した。

 

12月26日

NHKから講談社

「第1話の脚本だけだと、全体の流れが分からなかったのだと思います。

 第2話の脚本が出来た時点でお送りしますから、

 それを読んだ上で、もう一度考えてもらえないでしょうか?」

とメールが来た。

 

このメールの内容が、そのまま辻村氏に伝えられたかどうかは分からないが、

このあたりから、講談社NHKへの態度が厳しいものになっていく。

 

12月28日

講談社NHK

「一切譲歩できない」と伝えている。

 

以前の記事に書いたとおり、私は講談社の態度が変わった理由は、

講談社と辻村氏が「一心同体」であることを、NHKが疑ったからだと考えている。

 

疑われた講談社は、「我々は一心同体だ!」と示すことに必死になってしまう。

辻村氏に対しては

NHKは何にも分かってないですよねー。ガツンと言ってやりますよ!」

と言い、

NHKに対しては

「辻村先生の意思です。一切譲歩できません!」

と強く出ることになる。

 

こうして徐々に、相手と交渉する上で大切な「役割分担」のバランスが、

おかしくなっていったのではないか・・・。

 

辻村氏は、経験豊富な講談社に、自分とは違う目線でのアドバイスが欲しかった。

しかし「分担」するどころか「一体化」したい講談社

「辻村先生の言うことが正しいです!NHKの方が間違ってます!」

ということばかり言うようになる。

 

それなのに、NHKから送られる脚本では、

気になっているポイントが全然修正されてこない・・・。

 

脚本制作の現場や、NHK講談社の交渉の現場から遠いところにいた辻村さんは、

どんどん不安に、そして、孤独になっていったのではないだろうか。

 

年の明けた1月10日、撮影開始のスケジュールが近づく中、

第1話の脚本(修正版)と第2話の脚本が、

講談社に届く。

第1話の脚本の中で、

主人公が最初から母親と会ってしまう点は変わっていない。

しかし、自分から進んで会いにいったわけではなく、

仕方なく行った。ということが分かるように設定が変わっていた。

 

これを読んで、辻村氏はどう考えたのか。

 

あることを考え、辻村氏は講談社NHKへのコメントを託す。

そのコメントの中で辻村氏はこう書いていた。

「第1話で母と会うことの必然性が映像としてある、

 ということでしょうか。

 正直なところ、まだ承諾しかねる部分はあります」

 

このコメントを読んで、あなたはどう感じるだろう?

 

脚本に対して、仕方なくOKを出しているように読めないだろうか?

「今後の第3話~第4話で、

 母親との関係の描き方をちゃんと意識して作ってくれるなら・・

 納得したわけではないけど・・・OKです。」

そう言っているように感じないだろうか?

私はそう感じる。

 

これは、辻村氏からの「隠しメッセージ」だ。

講談社は「先生の言う通り!」しか言わなくなってしまっている。

こんな講談社に対して、

「やっぱり、OKすることにしました」

とは、直接には言いづらい。

そんなことを言えば、「一切譲渡できない!」と自分のために頑張っていた

講談社の顔を潰すことになるかもしれない。

講談社にはお世話になっているし、そんなことは出来ない。

かといって、スケジュールの差し迫ったNHKが困っているのも分かる。

せっかくのドラマ化の話が壊れてしまうのも嫌だ。

 

ひとまず、NHKに「OK」という自分の気持ちを、さり気なく伝えよう。

それで何か状況が動くかもしれない。

講談社も、自分のメッセージをくみ取って理解してくれるかもしれない。

 

こんな、ささやかな希望を込めて辻村氏はコメントを書いたのだ。

「第1話で母と会うことの必然性が映像としてある、

 ということでしょうか。

 正直なところ、まだ承諾しかねる部分はあります」

 

裁判へ

しかし、状況は変わらなかった。

講談社NHKへの厳しい態度を崩さない。

撮影スケジュールがどんどん迫ってくる。

NHKとの交渉を講談社に任せてしまっている辻村氏は、

「隠しメッセージ」が届かなかった以上、もう何も言えない。

講談社の意向に沿う形で、手紙まで書くことになってしまう。

 

撮影ギリギリになってNHKは大幅に譲歩する。

脚本は辻村氏と講談社の希望にあう方向に修正されることになり、

撮影は延期されることになった。

それでも講談社は態度を変えなかった。

NHKに対して

「許可を取り消す。今回の話は白紙にする。」

と通告した。

ドラマ化の話は無くなった。

 

こうして、

最初は「ウキウキ」した気持ちで始まったものが、

「不安と孤独」をさんざん感じさせた末に、

最後は「絶望」で幕を閉じることになった。

 

しかし、これだけでは終わらなかった。

今度はNHKが怒り出すのだ。

「無駄になった6000万円を賠償しろ!」と講談社に要求する。

 

こうなると、裁判になる可能性が出てくる。

講談社にとっては、

「出版社は権利者だ!作家の味方だ!」

と示すために、絶対に負けられない戦いだ。

 

講談社には、ますます辻村氏と一枚岩になる必要が出てくる。

NHKがこんな恥知らずなこと言ってきてますよ!

 我々は先生を守るために戦ったというのに!」

のようなことを言って、辻村氏の意思を確認しようとしただろう。

 

辻村氏は内心

NHKはそんなに損しちゃったんだ・・。悪いことしたな」

と思っていたかもしれない。

しかし今となっては、講談社に「そうですよねー」と返答するしかない。

 

こうして、NHK講談社は裁判に突入する。

日本を代表する放送局と出版社の戦いだ。

当然、大きなニュースになる。

 

かといって、多くの人はニュースの内面までしっかり理解するわけではない。

「作家の辻村深月が何かモメたんだ」とだけ記憶される・・。

 

敗者

NHK講談社の対決。

「本当の敗者」は、辻村深月氏だ。

 

さんざん苦労したのに、

ドラマ化で入ってくるはずだった権利料は入ってこなかった。

ドラマの効果で、原作の本があらためて沢山売れるはずだった。

その分の印税も入ってこなかった。

 

何よりも、

自分が心を込めて作り上げた作品を、より多くの人に届けるチャンスが失われた。

作家にとっては、一番残念なことだ。

 

でもそれだけじゃない。

 

「作家・辻村深月」に、脚本が気に入らず許可を取り消したという

「実績」ができてしまった。

 

将来、辻村氏の小説を読んだ若いプロデューサーが

「これ、ドラマにできないか?」と考えることもあるだろう。

そこで、ウィキペディアなどで辻村氏のことを調べてみる。

そこにはなんと、

ドラマの撮影開始の当日になって許可が取り消された事件のことが

書いてあるではないか!

これはプロデューサーにとっては、考えたくもない事態だ。

 

「辻村先生って、難しい人なんだな・・」と多くのプロデューサーが考える。

それだけで諦めてしまう人は多くないとしても、

ドラマ化を検討する上での1つのハードルになることは確かだ。

 

事件の後、辻村氏の作品がドラマ化されることが、

全く無くなってしまったわけではない。

東海テレビWOWOWなどで数件のドラマが作られている。

 

しかし辻村氏の作品の魅力を考えると、これでは少なすぎると、

筆者は感じてしまう。

 

半沢直樹』や『下町ロケット』など、

書く小説が片っ端からドラマ化されてしまう

池井戸潤氏のような作家もいるというのに。

 

ドラマ化されることが全てではないし、

池井戸氏と単純に比較しても仕方ないが、

辻村氏の作品だって、十分にドラマ化に合った小説だ。

 

なぜこんなことになってしまったのか?

 

NHK講談社が大々的に戦ったからだ。

NHKが「辻村先生に分かってほしかった!」と主張し、

講談社が「辻村先生が変えるなと言っている!」と主張する。

この戦いの様子を少し引いた目線から見ると、

2つの巨大企業が協力して、1人の作家について

「私たち、辻村先生のことでモメてます!」と世間に大声で宣伝している、

というグロテスクな構図が浮かび上がってくる・・。

 

私は思う。

そんなことをしたら、辻村さんがかわいそうじゃないか!!

NHKは、辻村さんの作品に惚れ込んでドラマ化しようと思ったんじゃないのか!?

講談社は、誰よりも辻村さんの将来を考え、

守らないといけないんじゃなかったのか!?

それなのに、何で自社のことばかり考えて戦ってるんだよ!

 

以前の記事で触れたように今回の事件については、

辻村さんが出産直後だったという特殊な事情があったのかもしれない。

だから「辻村先生には会わせられない」ということになり、

余計に話がこじれたのかもしれない。

しかしだからこそ、何よりも辻村さんのことをちゃんと考えてほしかった。

 

相手に対する怒りや、絶対に勝ってやる!という思いに駆られるのではなく、

作家のことを大切にする気持ちを忘れずにいてほしかった。

そうすれば、もっと他の解決方法が見つかったのではないだろうか?

非常に残念だ。

 

その後

『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ化は無くなってしまったが、

それとは別に話が進んでいた『本日は大安なり』については、

無事にドラマが完成し、NHKで放送された。

この話の窓口になったのは、講談社ではなく角川書店だった。

 

講談社に任せたドラマ化の話は失敗した。

一方で、角川に任せたドラマは放送され、多くの人に届いた。

 

この結果について、辻村氏が何を思ったのかは分からない。

しかし、デビュー以来ほとんどの作品を講談社で出版してきた辻村氏が、

この事件以降は、他の出版社で精力的に作品を発表するようになる。

そして、講談社で出版する作品を極端に減らしている。

辻村氏が講談社との間に距離をとっているように思える。

 

そして、最近では小説以外にも仕事の幅を広げているようだ。

なんと、憧れだった『ドラえもん』の映画の脚本の仕事を引き受けている。

来年の3月に公開予定だという。楽しみだ。

 

辻村さんは、実力のある作家だ。

今後も沢山の素晴らしい作品を生み出してくれるに違いない。

 

次回

 今回の連載では、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件について、

出版社、放送局、作家、それぞれの立場から、

何を考えてたのか?について推理した。

 

それぞれの立場で頑張った結果、不幸な結末になってしまった事件なのだが、

全体的には、講談社について厳しい見方をすることになった。

講談社がもっと上手くやっていれば、違う結果になっていたのでは・・?

と、ついつい考えてしまう。

 

私は出版社を嫌っているわけではない。

以前の記事にも書いたが、私は紙の本を愛している。

出版社がなくなってしまうと、本当に困る。

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そこで次回は、出版社、放送局、作家のそれぞれが、

将来に向けてどう向き合ったら良いのか?について考えてみよう。

特に、出版社のあり方については、重点的に検討したいと思う。

 

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