今回は、「コンテンツの長さ」という視点で見てみたい。
AIが文化・芸術作品を作るうえでの特徴については、
以下のようにまとめられる。
・長い作品、意味のある作品は作れない。
・作品の「部品」になるような短いものなら作れる。
これを出発点に考えてみよう。
TikTok
動画アプリのTikTok(ティックトック)が人気を集めている。
ダンスや一発ネタなどの動画を投稿し共有できるアプリだ。
インパクトのある動画を投稿し、世間に注目されれば、
一躍有名人、インフルエンサーになれるかもしれない!
そう考える多くの人々が、たくさんの動画を日々アップし続けている。
このアプリで共有される動画の基本の長さは、15秒だ。
「私に注目して!」と言わんばかりのティックトッカーたちが
15秒ごとに次から次へ
入れ替わり立ち代わりのパフォーマンスを繰り広げてくれる。
ダンサーやお笑い芸人が瞬間的に入れ替わる舞台を見ているようで、
「次はどんな人が?」「もう少しだけ見てみよう」と、
ついつい見入ってしまう。
このアプリをしばらく楽しんだ後に、
YouTube(ユーチューブ)を見てみるとどうだろう?
試しに、5分程度のミニコンテンツを見てみよう。
画面の中では、人気ユーチューバーが
体を張って必死にユーザーを楽しませようとしてくれている。
しかし、TikTokを見た直後だと、こう感じる。
「なんか、テンポが悪いな~。
5分って長!!」
ユーチューバーの全力のパフォーマンスも空しい。
古臭い昔のコンテンツを見ているような気になってしまう・・。
これは、なんとも不思議な現象だ。
ほんの少し前までは、
「YouTubeのような短いコンテンツが今の時代に合っている!
1時間も見なきゃいけないテレビ番組は古い!」
と言われていたのだ。
1時間から5分へ。
5分から15秒へ。
動画コンテンツはどんどん短くなっていく。
コンテンツの短縮化
これは、動画に限った話ではない。
他の種類のコンテンツも、徐々に短くなってきている。
日々の出来事や自分の考えを世の中に発表したい人々は、
以前なら自分のブログで数千字程度の長さの文章を書いていた。
今では、彼らはTwitterで140字以内でつぶやいている。
ここ数年よく売れているのが、
「有名な本の内容が、短時間で理解できます!」
という本だ。
本屋に行けば、
『あらすじで読む世界の名著 ー 世界文学の名作が2時間でわかる!』
『一冊で日本の名著100冊を読む』
『有名すぎる文学作品をだいたい10ページの漫画で読む。』
こんなタイトルがたくさん目に入ってくる。
5分で読めてしまうとしたら、
どれだけ「便利」なんだ!と驚いてしまう。
音楽も同じ傾向のようで、1曲の長さが年々短くなっているようだ。
●SpotifyやApple Musicなど音楽ストリーミングの影響でヒット曲がどんどん短くなっている
https://gigazine.net/news/20190121-spotify-make-music-shorter/
この記事によると、Billboard Hot 100にランクインする曲の長さの平均が
この5年間で3分50秒から3分30秒にまで縮まったらしい。
サクッと聴ける2分台の曲も増えている。
多くの人がスマホを手にしている時代だ。
通勤時間、待ち合わせ、エレベーター待ちの時間でさえ、
コンテンツにアクセス出来るようになった。
細切れの時間でも楽しめる短いものが人気になるのも無理はない。
こんなニーズに合わせて、
企業も個人もどんどん短いものを作って発信するようになる。
こうして我々のコンテンツは、どんどん短くなっていく。
この傾向は今後も変わらないだろう。
こんな時代に、成功を目指す作家やアーティストは、
どんな作品を作れば良いのだろう?
世間の流れに合わせて、できるだけ短い作品をつくるべきだろか?
人間とAIが出会う日
思い出してほしいが、
AIは長い作品を作ることはできないが、
細切れの短いものなら作るのは得意だった。
今後、大量のデータから学習することで、
作れる作品の長さは少しずつ伸びていくだろう。
一方で、人間の方は創作するコンテンツをどんどん短くしていっている。
作品を長くしようと努力するAI。
作品を自分から短くしていく人間。
山の両側からトンネルを掘り進んでいるようなものだ。
両者はいずれ出会う。
人間の作る作品とAIの作る作品の長さが一致する日がやってくる。
その時、何が起きるだろうか?
AI作品が人間の作品を圧倒するに違いない。
AIは、人間の脳と違って迷わない。疲れない。
もの凄いスピードで24時間作品を生み出し続けることができる。
人間のティックトッカーが
「次はどんな映像にしよう?」と悩んでいるうちに、
「疲れたから明日にしよう」と休んでいるうちに、
数千、数万もの短い映像を生成しているだろう。
もちろん、その作品のほとんどは意味不明のつまらないものだろう。
でも、何しろ作品の数が膨大だ。
下手な鉄砲も数うちゃ当たる。
「まぐれ当たり」によって、大ヒットするコンテンツも出てくる。
それでも当面は、人間らしい表現、表情、声、質感によって、
人間の作る作品とAI作品との区別はつくだろう。
だが映像・音声の品質は向上する。
いずれは人間と見分けがつかない
AIティックトッカーが大活躍するようになる。
山の両側からトンネルを掘り進んだ両者が出会った瞬間、何が起きるか?
人間は徒歩でトンネルを通り抜けようとするが、
山の反対側から猛スピードやってくる機関車に蹴散らされてしまうのだ。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の恐怖再び
前回の記事で私は
「作家やアーティストがAIに仕事を奪われることはありません!」
と請け合った。
しかし、それは
「意味のある作品を生み出し続ける」
という条件を守っていれば。の話だ。
人間の方から積極的に「意味」を捨て、
感覚だけに頼った短い作品しか作れなくなった瞬間に
AIの勝利がやってくる。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を書いた新井紀子氏が
雇用の未来を心配したのと同じように、
私は文化・芸術の未来に危機感を覚え始めている。
もちろん私も
「最近の若者の文化は軽薄だ!ケシカラン!」などと、
つまらないことを言いたいわけではない。
短いコンテンツの交換は、
友達と楽しい時間を共有するには最高の方法だろう。
ただ、短いものしか作れない人、短いものしか楽しめない人が増えることで、
長い作品が絶滅してしまうのではないか?
長い作品にしか表現できない気持ちや考え方が
世の中から消えてしまうのではないか?
多様な文化が無くなってしまうのではないか?
ということを心配している。
これからの創作
AI時代の創作活動は、どうやっていけば良いのだろう?
未来を予測するのは簡単ではないが、考えてみよう。
小説家や作曲家など、長いコンテンツを作るのが好きな人、得意な人は、
そのまま続ければ良い。
自分の持ち味を生かして、作品を生み出そう。
短い作品に慣れた人が増えるにしたがって、
あなたの作品は「長い」と言われ、避けられるようになるかもしれない。
でもそれは仕方ない。
無理に時代に合わせる必要なんて無いと思う。
長い作品に込められた深い意味を味わえる人は、
いつの時代にも必ずいると信じよう。
多くのライバルが長い作品の制作から撤退すれば、
あなたの作品には希少価値が生まれる。
自分を信じて自分らしい表現を続けていれば、
AIに脅かされることのない唯一無二の存在になれる。
そのまま行けば良い。
一方で、TikTokのように短い瞬発的なコンテンツを作るのが好きな人に、
「やめときなさい」などと言う気はない。
そのまま続けて良いと思う。
ただし、それだけで稼いでいけるようになる可能性は低い。
少しずつAIに市場を奪われていくからだ。
あくまでも「楽しみ」と割り切って、どんどん作品をつくろう。
そして、ごく一部の天才には別の可能性もある。
コンテンツがどんどん短くなっていけば、
その先には今まで見たこともないような
新しいタイプの「表現の形式」が生まれる可能性だってあるからだ。
今はそんなに深い意味のないように見える15秒動画にも、
奥深い感情や思想を込めることは出来るはずだ。
松尾芭蕉が、言葉を極限まで切り詰めて
「俳句」という新しいスタイルを生み出したように。
俳句は「世界で一番短い詩」と言われている。
5・7・5のたった17文字にさまざまな意味を含ませ、
宇宙の広がりだって表現できてしまう。
荒海や 佐渡に横たう 天の川
日本の文化には、
短くシンプルな表現に深い意味を込めるという伝統がある。
今の時代にピッタリじゃないか!
日本のティックトッカーが、
全く新しいショートコンテンツの形式を創造する日がくるかもしれない。
「短いコンテンツをあれこれ工夫して作るのが楽しい!」
「俺、天才かも!?」
と思う人は、ぜひとも突き詰めていってほしい。
「現代の松尾芭蕉」の登場が楽しみだ。
そして、ここでも大切になるのは「意味」だ。
単純な感覚だけに頼らず、
短いながらも沢山の意味を込めたコンテンツを作り続けていれば、
AIには到達できない高みに上ることができるだろう。
熱中できることを
結局のところ、
自分が伝えたい意味のあることを
自分が熱中できるスタイルで表現しよう。
ということだ。
洞窟に壁画を描き、宴会で歌っていた人類のご先祖様は、
「最近の世の中の傾向」を考えながら
そんなことをしていたわけではない。
描いている瞬間、歌っている瞬間は、
ただ喜びを感じていたはずだ。
そもそも創作活動というのは、楽しいことなのだ!
「AI時代にどんな作品をつくるべきか?」
そんな問いかけ自体がナンセンスなのかもしれない。
長い作品でも、短い作品でも良い。
自分が打ち込めることをすれば良いのだ。
AIの時代には、熱中することこそが大事になる気がする。
次回
次回は、今回の連載に合わせた著作権の話をしよう。
AIは「にこにこうぱうぱブルーベリー」と作詞することができる。
こんな短い作品にも著作権は発生するのだろうか?
いや、そもそもAIが作った作品に著作権はあるのか?
こういった疑問に答えたい。