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GLAYは「かっこいいアニキ」なのか問題を解決する(1)

GLAYの印象が変わった

人気ロックバンドのGLAYが、

「自分達の曲を結婚式に使用する場合は、料金をとらない」

と発表した。

 

これを受け、ネット上では

GLAYかっこいい!」

「アーティストの鑑(かがみ)!」

といった賞賛の声が多数あがった。

 

しかし、このニュースを見たときの筆者の第一印象は、

GLAYの皆さん、セコイことやってるな~~」

だった。

 

今回の記事では、なぜ筆者がそう考えたのか説明しよう。

この連載を読めば、「複雑で分かりにくい」と言われている音楽業界の権利関係を、

ざっくり理解することが出来る。

そして、あなたのGLAYに対する印象が、2度、変わることになるだろう。

 

GLAYの発表

そのころ、世間ではJASRAC日本音楽著作権協会ジャスラック)に対する反感が高まっていた。

JASRACが、ヤマハ音楽教室などの音楽教室に対して著作権の使用料を要求しているというニュースが継続的に流れていたからだ。

多くの人がJASRACに対して

「子どもたちが音楽に触れる場所からも、お金をむしり取る欲深い団体」

という、悪いイメージを持っていた。

ネット上ではJASRACのことを

さげすんで呼ぶ「カスラック」という言葉も踊っていた。

 

そんな雰囲気の中、国民的な人気アーティストのGLAY

「料金をとらない」と宣言したのだ。

インパクトは大きかった。

 

大切な部分なので、2017年12月10日の彼らの発表内容を全文引用する。

 

GLAY及び有限会社ラバーソウルは、

 GLAY名義で発表しているGLAY楽曲をブライダルで使用する場合に限り、

 著作隣接権について使用者からの料金を徴収しないことを報告させて頂きます。

 GLAYの楽曲を結婚式で使用したいという多くのお客様からのお問い合わせを受け、

 メンバー自身も

 「結婚式という人生の素晴らしい舞台で自分達の曲を使用してもらえる事は

  大変喜ばしいことであり、それであれば自分達は無償提供したい」

 という思いから、今回、ブライダルで使用する場合に限り、

 著作隣接権についての無償提供をさせて頂く運びとなりました。

 つきましては、使用法により演奏権と複製権の使用料を各管理団体

 (「JASRAC」or「NexTone」)にお支払いいただくこととなります。

 ブライダルでGLAY楽曲を使用する場合は、

 有限会社ラバーソウルへ申請していただく必要はありません。

 使用希望の楽曲につきまして、SONG LISTより著作権管理団体の区分をご確認の上、

 下記をご参照いただき、お手続きくださいますようお願いいたします。

 (注記は筆者の方で省略)」

http://www.glay.co.jp/news/detail.php?id=2633

 

この発表を知った人々は、ネット上に以下のような書き込みをした。

GLAY素晴らしいですね!!」

「良い人たち!」

GLAYは大人の対応!JASRACは何のために存在するの?」

「余計にカスラックのクソさが際立つ」

 

俺たちのアニキたちが、JASRACに反抗して、声をあげてくれた!

さすがはGLAY、かっこいいぜ!

・・・と言いたげな反応だ。

 

しかし、彼らは勘違いしている。

音楽業界の権利関係を理解すれば、何が勘違いなのか分かる。

 

音楽業界の3人の登場人物

 まずは、音楽業界の権利関係を、大まかに説明する。

 

あなたが音楽を好きなら、ストリーミング等で配信されてくる歌や、CDに収録されている歌などを聴いているだろう。

この歌は、3人の(3種類の)人たちが協力して作っている。

 

まず1人目は、歌を書いた人。

つまり、「作詞・作曲家」だ。

安室奈美恵氏に楽曲提供していた小室哲哉氏をイメージすれば良い。

まずは彼が曲を書かないと、何も生れない。

 

2人目は、もちろん、歌手だ。

安室奈美恵氏がこれにあたる。

ここでは、安室氏のバックで演奏するバンドマンも合わせて「歌手」と言っておこう。

歌手の熱唱・熱演があるから、感動が生まれる。

 

もしあなたが幸運にもチケットを手にしてライブ会場にいるのなら、

上記の2人さえいれば、歌を楽しむことができる。

 

しかし、ライブ会場ではなく、自宅で日常的に配信やCDで歌を聴きたいのなら、

もう1人必要だ。

それが3人目の登場人物、「レコーディングする人」だ。

安室奈美恵氏の歌の例でいえば、❝エイベックスの人❞のようなイメージで良い。

レコーディングスタジオや技術スタッフを手配し、費用を支払う人がいないと、

世界中の沢山の人に歌を届けることは難しくなる。

 

これで、3人の登場人物が出そろった。

1.作詞・作曲家

2.歌手

3.レコーディングする人

 

権利の世界で、彼ら3人が平等に扱われているだろうか?

「そりゃ~、アーティストなんだし、Love & Peaceなんだから、

 みんな平等に決まってるじゃん!」

と思うかもしれないが、そうではない。

 

 そこには、明確な「差別」というか、「区別」が存在する。

「作詞・作曲家」だけが偉くて、

「歌手」と「レコーディングする人」は、一段低く扱われている。

 

古代社会で、元からいた市民は「一級市民」とされ、

後から参加した市民は「二級市民」として扱われたのに似ている。

著作権の歴史では、最初に作詞・作曲家の権利が認められた。

その後で、歌手、レコーディングする人の権利が認められたので、

与えられる権利に差が付けられたのだ。

(作詞・作曲家だけが「無」から「有」を生み出しているので偉いのだ!

 と説明する人もいる)

 

権利の差

では具体的に、どのような「区別」があるのか?

 

例えば、「プレイ(演奏)禁止権」という権利がある。

人がその音楽をプレイ(演奏)するのを禁止できるという強力な権利だ。

 

作詞・作曲家は、この権利を持ってる。

彼らの許可なく、コンサートで彼らの歌を演奏したり歌ったりすることはできない。

彼らの許可なく、お店でCDをプレイして歌を流すこともできない。

 

一方で、歌手、レコーディングする人は、

この「プレイ(演奏)禁止権」が与えられていない。

だから、彼らの許可がなくても、

彼らが熱唱し、彼らがレコーディングした歌のCDを、

お店で流すことができる。

 

これが、作詞・作曲家と、歌手、レコーディングする人の「区別」の一例だ。

 

ちなみに、「コピー禁止権」という権利もあり、

この権利は、3者全てに与えられている。

CDに収録されている歌をコピーするときは、

3人の全てに許可を得ないといけないのが原則だ。

 

巨大集金組織

法律上の扱いの他にも、大きな差がある。

 

作詞・作曲家には、彼らのために日々働いてくれる巨大組織がある。

それが、JASRACだ。

全国津々浦々にある小さな商業施設の1件1件と契約し、

使用料を徴収するという地道で手間のかかる作業を、

作詞・作曲家に代わって行っている。

 

歌手やレコーディングする人には、そういう団体は無い。

(業界団体はあるが、JASRACとは規模が違う)

上記の例でいうと、

JASRAC小室哲哉氏のために全国から集金することはあっても、

安室奈美恵氏やエイベックスのために働くことは一切ないということだ。

 

歌手やレコーディングする人が全国の小規模な業者から使用料を集めようと思うなら、

細かい事務作業を全て自分でこなさないといけない。

日本レコード協会という団体が、一部そのような業務を引き受けているが、

 JASRACのように積極的な集金作業をやっているわけではない)

 

音楽の権利関係のまとめ

まとめると、こういうことだ。

 

音楽の世界には3人の権利者がいる。

1.作詞・作曲家

2.歌手

3.レコーディングする人

 

作詞・作曲家は優遇されていて、

歌手やレコーディングする人が持っていない権利をもっている。

例えば、「プレイ(演奏)禁止権」。

 

作詞・作曲家には、彼らのために働く巨大集金組織(JASRAC)があるが、

歌手やレコーディングする人には無い。

 

ちなみに、作詞・作曲家の権利を「音楽著作権」と言い、

歌手とレコーディングする人の権利を

著作隣接権(ちょさくりんせつけん)」と言ったり、

「原盤権(げんばんけん)」と言ったりする。

覚えておこう。

 

GLAYは、上記3種類の登場人物のうち、誰にあたるか?

作詞・作曲はGLAYのメンバーが自分でやっているので、「作詞・作曲家」だ。

もちろん、自分で歌い演奏しているので、「歌手」でもある。

そして、「レコーディングする人」の権利を

メンバーの個人会社で買い取っているので、「レコーディングする人」でもあるのだ。

音楽の世界の3種類の登場人物の全てを兼ねていることになる。

 

彼らの発表の意味

ここでやっと、冒頭の話に戻る。

 

GLAYはこう発表した。

「結婚式で私たちの曲を使いたいという声が多い」

「結婚式という素晴らしい場で使ってもらえるのは、私たちも嬉しい」

著作隣接権を無償でOKにします」

「音楽著作権の方はJASRACに使用料を払ってね」

 

つまり、

「歌手」と「レコーディングする人」の権利はタダにします!

「作詞・作曲家」の権利は、これまで通り!

ということだ。

 

GLAYJASRACを否定していない。

「作詞・作曲家」の権利は、これまで通りJASRACを通じて集金しているので、

むしろ、JASRACを活用していると言える。

 

そして、ここまで読み進んできたあなたは、重要なことに気付いているかもしれない。

 

結婚式の会場で、GLAYのCDを流すときに働く権利は、「プレイ(演奏)禁止権」だ。

この権利を持っているのは誰だったか?

そう。「作詞・作曲家」だけだ。

「歌手」と「レコーディングする人」は、この権利を持っていない。

 

GLAYは「著作隣接権を無償でOKにします」と言っている。

つまりGLAYは、

そもそも存在しない権利を「無料でOKですよ!」と言っていることになる。

 

先にも書いたとおり、「歌手」と「レコーディングする人」も、

「コピー禁止権」は持っている。

だから、会場で流すBGM集を自分で事前にコピーして作るときや、

新郎新婦を紹介する映像のBGMとして事前に映像にコピーするときは、

この権利が働くことになる。

 

しかしそれは理屈上の話だ。

「歌手」と「レコーディングする人」は、

JASRACのような巨大集金組織を持っていない。

GLAYの事務所の人は、

全国の結婚式会場の1件1件をまわり、契約し、集金するような手間のかかることは、

そもそもやっていなかったはずだ。

 

GLAYの発表を知ったときの筆者の第一印象が、

GLAYの皆さん、セコイことやってるな~~」

だったというのは、こういうことだ。

そもそも存在しない商品を「タダにします!」とアピールしておいて、

存在する商品(音楽著作権)の方で、しっかり稼ぐという姿勢が見えたのだ。

 

もしも「スマイル0円」で有名なマクドナルドが、こう発表したら、

あなたはどう思うだろう。

 

「お客様から大人気なので、

 当社の商品、「スマイル」を無料にすることを決定しました!

 ただし、ビッグマックやマックシェイクなどの商品には、

 これまで通りお金をお支払いください」

 

「いやいや!

 スマイルって、もともとダタですやん!」

と即座にツッコミを入れるのではないだろうか?

 

GLAYの場合、「著作隣接権」のような難しい用語を使っているので、

ほとんどの人にとって、この❝ツッコミどころ❞が分からない。

その分、タチが悪い。

 

ファンたちは、GLAYのアニキの❝太っ腹❞に感激し、

結婚式でGLAYの曲を使いまくる。

GLAYJASRACを通じて集金し、しっかり儲けることになる。

上手い❝プロモーション❞を考えたものだ。

 

ファンの反論

GLAYのファンはこう言うかもしれない。

「メンバーはアーティストなんだから、

 そんな著作権の難しいことを分かっていなかったはずだ!」

「マネージャーか誰かの悪だくみに騙されているだけだ!」

 

しかし、私はそうは思わない。

先にも書いた通り、彼らは「レコーディングする人」の権利を、

自らの会社で買い取っている。

これは、音楽業界でそれほど一般的なことではない。

どんな事情があったのかは知らないが、彼ら自身の意思で、

「自分の音楽の権利は、自分で管理したい!」という決断をしている。

権利の買い取りのために、相当な苦労もしただろう。

音楽の権利関係についても、かなり勉強したはずだ。

 

仮に、「プレイ(演奏)禁止権」を

歌手とレコーディングする人が持っていないことに気付いていなかったとしても、

マネージメント・サイドから、

著作隣接権を無料にしましょう」と提案されたときに、

「今までは、それでいくら儲かってたの?」

と質問することは出来たはずだ。

「実は・・・今まではゼロ円なんです」

と答えを聞かされたとしたら、

GLAYのメンバーは、どう考え、何を判断したのか・・?

 

というわけで、筆者のGLAYに対する印象は、かなり悪くなってしまった。

「カラオケで「HOWEVER」と「口唇」を

 喉が枯れるまで熱唱した若かりし日々を返してくれ!」

という気分だった。

 

しかし、である。

もう少しだけ、「現場で何が起こっていたのか?」を丁寧に推理してみたところ、

GLAYの印象が、もう一度変わることになった。

それも、一味違う方向に印象がガラリと覆ったのだ。

 

次回はこれについて説明しよう。

 

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迫る東京オリンピック!今こそ、あの「パクリ疑惑」のモヤモヤを解消する(7)

最初からこうしていれば・・・

前回までの記事で、

東京オリンピックエンブレムのパクリ疑惑、ネットを中心に広がった狂騒、

大会組織委員会(以下、組織委)のミスと敗北の顛末を見てきた。

 

今回は、

「組織委は最初からこうしていれば良かったのに・・」という方法を紹介する。

 

「問題が起きた後なら、結果が分かっているから何とでも言える」

「部外者なら、無責任にどんなことでも言える」

といった批判はあるだろう。

 

しかし、今後同じような事件が起きたときのために、

「もしもあの時こうしていれば」をシミュレーションすることは有効だろう。

同じ悲劇を二度と繰り返してはいけない。

 

ストレートな方法

以前の記事でしつこく説明したが、佐野氏が作ったエンブレムに、

法的な問題は何もなかった。

それでも炎上が拡大してしまったのは、商標権、著作権などの法律の仕組みが、

一般の人には伝わりにくかったからだ。

そのため、法的根拠のない「何となく似ている」という印象が拡散することを

止めることができなかった。

このポイントに的を絞った対策を打てていれば、

あの事件の結果は全く違ったものになっていただろう。

 

2つの方法を提案したい。

1つは、ストレートな方法。

もう1つは、少しズルい❝変化球❞の方法だ。

 

まずは、ストレートな方法から説明する。

この方法は簡単だ。

マークというものの本質を、赤裸々に説明してしまうのだ。

 

「マークというのは、文字や記号の組み合わせにすぎません」

「誰でも同じ物を作れます」

「似たものがあっても全く不思議はないんです」

「だから、このエンブレムに似たものがあるのも当前です」

 

このようなことを、記者会見で堂々と言い放ってしまえば良いのだ。

 

実際に、この「ストレートな方法」が採用された事例がある。

採用したのは、舛添要一氏だ。

当時は東京都知事だった。

 

エンブレムの騒動から間もない2015年10月、

1つの指摘がネット上を騒がせた。

東京都のキャンペーンで使用している「& TOKYO」のロゴが、

フランスの眼鏡ブランドのロゴと似ている!という指摘だ。

 

上が東京都のロゴ、下がフランスの眼鏡ブランドのロゴだ。

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この指摘に対して、舛添氏は10月13日の会見でこう述べた。

 

「一所懸命探されたかもしれないけど、ごまんとあります。こういうのは。

 記号ですから」

「ごまんとあるので、著作権の対象にならないのです。

 だから、もっと見つかってもいいのです」

「全く問題ない」

 

ここまで連載を読んできたあなたなら分かるだろう。

舛添氏の言っていることは、完全に正しい。

マークというものの本質を、ストレートに、赤裸々に説明している。

この会見のおかげか、騒ぎはすぐに治まった。

 

組織委も、会見で同じことを言えば良かった。

 

しかし、そうできなかった事情も分かる。

何しろ、国を挙げた一大イベントだ。

それを象徴するエンブレムに対して

「こんなもの、誰でも作れる」

なんてことは、口が裂けても言えなかったのだろう。

 

 

私は、真実を言ったからといって、

エンブレムを❝貶める❞ことにはならないと思う。

実際、佐野氏のデザインは素晴らしいものだった。

 

佐野氏がオマージュしたという1964年の東京オリンピックのエンブレムは、

もっともっとシンプルで、❝誰にでも作れる❞ものだった。

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コンパスさえあれば、誰にでも作れるデザインだ。

このエンブレムには、価値がないだろうか?

いや、間違いなく価値がある。

 

あの時代、あの場所、あの大会の象徴として、

このデザインを選んだデザイナー、審査員は凄い。

大会への思いが圧倒的に伝わってくる。

誰でも作れる可能性があるからといって、

「このデザインにしよう!」と決断することの価値は減らないのだ。

 

変化球の方法

組織委は、ストレートに説明する方法をとれなかった。

そんなときに提案したいのが、少しズルい❝変化球❞だ。

 

まずはこのマークを見てほしい。

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これは、オンラインマガジン「trendland」のロゴマークだ。

https://trendland.com/

 

こちらの記事によると、このロゴが公開されたのは、

リエージュ劇場のロゴが公開されるよりも数年早い時期だったそうだ。

https://column.tokyo/tokyo-olympic2020-logo/

 

「trendland」のロゴは、リエージュ劇場のロゴに非常に❝似ている❞。

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組織委は、こっそりと「trendland」に連絡をとり、

リエージュ劇場のロゴを「パクリだ!」と

SNS等で大騒ぎしてもらえば良かったのだ。

 

もちろん、こんなものパクリでも何でもない。

仮に裁判になったとしても勝てないだろう。

しかしマスコミやネット上の人々は、面白がってこのネタに飛びつく。

 

「trendland」以外にも、似たマークはいくらでも見つかる。

それらのデザイナーや企業から、「パクリだ!」と次々に声をあげてもらう。

ネット上は大騒ぎになるだろう。

 

組織委が裏で手を回していることがバレたら、

「卑怯な手をつかっている!」と、また炎上するかもしれない。

それでもくじけない。

全てはエンブレムと佐野氏を守るためだ。

 

そのうち、多くの国民が気付く。

「こんなことで似てる似てないを争うのは・・・馬鹿らしい」と。

 

これこそ、商標権、著作権の制度の本質が、一般の人に伝わった瞬間だ。

以後、こんな騒ぎは二度と起きなくなっていただろう。

 

1.ストレートな方法で、赤裸々に説明する。

2.変化球を使って、他の似たマークを次々と登場させる。

どちらの方法も、十分に有効だったはずだ。

 

最後に

以上で7回にわたった連載は終了だ。

最後にポイントをまとめよう。

 

・エンブレムには何の問題もなかった。

・組織委の対応に、法的な面での失敗はほとんどなかった。

・訴えられても、世間に嫌われても、正義があるならブレてはいけない。

・信じた相手を守るという覚悟が大事。

 

今回の事件からは、クリエイティブ業界に広く通用する教訓が得られた。

 

シンプルにまとめると、こういうことだ。

 

「自信をもっていこう!」

 

 

感謝と今後

エンブレム騒動の法的な分析と、組織委の会見の解釈については、

TBSテレビの日向央氏が「調査情報」で連載している

「意外と知らない著作権AtoZ」を、大いに参考にさせていただいた。

日向氏の著作権に対する飽くなき探求心からは、いつも刺激をいただいている。

 

訴訟に対する態度と、炎上したときに検討すべき選択肢については、

青山綜合法律事務所の照井勝弁護士の講演「権利侵害と❝パクリ❞の分水嶺」から、

全面的に学ばせていただいた。

知的財産に関するトラブルがあれば、照井氏に相談すれば間違いない。

 

両氏に深く感謝します。

 

ここで述べた私の意見は私自身のものであり、

間違いがあったとしても両氏に責任は一切ない。

 

今後も、クリエイティブ業界、エンタメ業界で働いている人や、

業界を目指す人の役に立つ記事をアップしていく予定だ。

 

 

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迫る東京オリンピック!今こそ、あの「パクリ疑惑」のモヤモヤを解消する(6)

歴史的な大炎上

前回の記事では、東京オリンピックエンブレムのことを

著作権侵害だ!」と訴えたベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏が、

ついに裁判に向けたアクションをとったことを書いた。

そして大会組織委員会(以下、組織委)が

そのまま大会の準備を進めれば良い状態だったことを説明した。

 

しかし、事態は悪化する。

ドビ氏に次々と❝援軍❞が現れるのだ。

 

今回の記事では、炎上が起きる様子と、組織委の対応をみていこう。

これを読めば、炎上が起きた時に、真っ先に考えるべきことが分かるだろう。

 

それでは、事件の続きを見てみよう。

 

ドビ氏の訴えの前後にも、

エンブレムをデザインした佐野氏の過去の「パクリ作品」が、

ネット上で次々と❝発見❞される。

そのうち2点だけ見てみよう。

 

これが佐野氏がデザインした京扇堂という京扇子屋のポスター。

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そしてこれが、

❝元ネタ❞と言われる秋田県横手市「よこてイースト」『団扇展』のポスター。

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先に説明した「著作権侵害の3つの条件」をここでは繰り返さないが、これも著作権侵害にはならない。

 

「涼」という漢字は誰のものでもない。

その漢字の一部を扇子や団扇に置き換えるのは、ただのアイディアにすぎない。

そして、「涼」の一部を置き換えるとしたら、

多くの人がこのデザインと同じ個所を置き換えるだろう。

「涼」の色を水色にするのも、ありふれた考えだ。

それぞれのデザインが「著作物」として認められる可能性はあるが、

ありふれたアイディアの部分が一致しているだけでは、著作権侵害にはならない。

 

次の例は、佐野氏がデザインした東山動物園のマーク。

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これがその❝元ネタ❞のコスタリカ国立博物館のマーク。

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ここまでくると、もはや言いがかり以外の何物でもない。

三本の線を交差させて線の先に丸を付ける表現を、誰かに独占させていいはずがない。 

 

これ以外にも無数の「パクリ疑惑」が発見されるが、

ほとんどがこのレベルのものだった。

何も問題はないはずだった。

 

しかし、ネットから佐野氏と組織に対して浴びせられる攻撃は、

「パクリ疑惑」だけで収まらなかった。

様々な方向から多種多様な非難が押し寄せる。

 

「そもそもエンブレムの選考過程が不透明だ!」

「佐野は経産省のキャリア官僚の弟だ!エンブレム審査委員とも身内に近い関係だ!」

「最初から佐野を選考することに決まっていたはずだ!」

「談合だ!」

八百長だ!」

 

「ベルギー王族への侮辱だ!」

「国際問題だ!」

 

「佐野はパクリを部下のせいにして逃げている!」

 

「泣きながら謝るまで追い詰めろ!!!」

 

非難の声は止まるところを知らない。

インターネット史上、稀に見るほどの❝歴史的大炎上❞へと発展し、

大手マスコミも連日この問題を取り上げる。

 

組織委の事務所へも、意見・苦情・嫌がらせ・取材申し込みの電話、ファックス、メール等が止まらない状態だったはずだ。

組織委の内部でも毎日のように対策会議が開かれただろう。

 

パクリ疑惑をどう釈明する?

訴訟をIOCとどう進める?

やっぱり、和解にもっていけないか?

IOCの考えを聞くか?

記者会見すべきか?

エンブレムの選考過程に問題なかったか検証しなおすか?

三者委員会を立ち上げ外部の意見を反映するか?

 

しかし、方針が決まる前に、新たな情報が飛び込む。

「大変です!また新しいパクリ疑惑が出ました!」

 

またか!?

どうする?

本当に佐野氏を選んで正解だったのか・・・?

 

組織委の上層部、ひょっとしたら政府からも

「どうなってるんだ!

 コンプライアンスは大事だと言ってただろう!

 なんでもっとしっかり調査していなかったんだ!

 スピード感を持って対応しろ!

 国民を納得させるために、説明責任を果たさなければいけないぞ!」

と怒号が飛んできていたかもしれない。

 

1ヶ月間、ずっとこんな状態が続いていたのだ。 

 

さあ、こんな状況の中、あなたが組織委の責任者の立場ならどうしただろう?

どうすれば、こんな大混乱を乗り切ることができただろう?

考えてみてほしい。

 

組織委の行動

組織委の出した答えは、記者会見をすることだった。

8月28日、

組織委はエンブレムの審査委員を務めたデザイナー・永井和正氏とともに、

あらためて会見を開いた。

 

組織委と永井氏が説明した内容は以下の通り。

 

「メディアと国民の皆さまの疑問に答えることが重要だと判断し、

 選考のプロセスを詳しく説明することにした」

 

「エンブレムだけでなく展開案もデザインしてもらう必要があるので、

 応募資格は高いレベルに設定した」

「審査委員はデザイナーを中心にしつつも幅広い人員構成にした」

「応募作品を作った人の名前は隠した上で、審査委員に選んでもらった。

 審査委員は佐野氏の作品であることを知らずに選んだ。」

 

「佐野氏からは、街中での展開案も提案してもらっていた。

 展開力も素晴らしい作品だった」

 

「選ばれた時点での佐野氏のデザインはドビ氏の作品とは全く似ていないものだった」

「商標調査をしたところ似たものが見つかったので、佐野氏に改善してもらった」

「2度の改善を経て、現在のエンブレムになった」

 

これが、組織委が示したエンブレムのデザインの変遷だ。

左から順に、最初のデザイン、1回目の修正案、決定版。 

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たしかに、最初のデザインの時点ではドビ氏のデザインとは全然似ていない。

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そしてこれが、「街中での展開案」の写真の一つだ。

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さらなる大炎上

つまり、組織委はネット上での批判の高まりを受け、

「佐野氏ありきで選んだわけじゃないんです!」

「もともと全然違うデザインだったんだから、パクってるわけがないんです!」

「皆さん、分かってくださいよ!」

と言っているのだ。

 

言っている内容自体は、特段問題のない❝まっとう❞な内容なのだが、

組織委はここで一つだけ、ミスを犯す。

 

上記の「街中での展開案」の写真が、パクったものだったのだ。

 

これが❝ネタ元❞の写真だ。

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外国人女性のブログ「SLEEPWALKING IN TOKYO」に投稿されていた写真だという。

 

今までの連載で、私は

「佐野氏の作品で著作権侵害だと断言できるものはない」と言ってきた。

しかし、さすがにこれは著作権侵害だと認めるしかない。

著作権侵害3つの条件」を、間違いなく全て満たしている。

しかも勝手に写真の中身を改変までしている。

法的にはアウトと言わざるをえない。

 

この写真がさらなる❝大炎上❞を巻き起こしてしまう。

しかも、これはネット上の人々が自分で探し出してきたネタではない。

組織委が自分で提供したネタなのだ。

(ただし、この写真自体は最初のエンブレム決定会見ですでに見せているものだ。

 組織委は最初の時点からミスをしていたことになる。)

自分で自分の家の火事に油をそそいだ格好なので、

炎上を煽りたい人々にとっては、これ以上ない❝美味しい❞材料だったことだろう。

「ほらみろ!佐野がパクリデザイナーだという動かぬ証拠が、身内から出たぞ!」

というわけだ。

結果的には、これが決定打になってしまう。

 

組織委が「疑惑を晴らしたい」という一心で使える材料を全て使おうとした結果、

細心の注意を払うべきシーンで、基本的な確認作業が抜けてしまったのだ。

大炎上で冷静さを失ったまま行動すると、このような初歩的ミスが起きてしまう。

 

ただし、1つだけ言っておきたい。

この写真の盗用って、そんなに悪いことなのか?

 

写真を会見でみんなに見せてしまったのは組織委の凡ミスだ。

しかし少なくとも佐野氏は、

この写真を一般の人々に向けて公開しようと考えていたわけではないと思う。

これは、組織委や審査委員に「このエンブレムが採用されたら、こうなりますよ」と

説明するための❝内部資料❞にすぎなかったはずだ。

 

例えば、あなたがテレビCMのプランナーだとして、

「新商品のCMには広瀬すずを起用しよう」と考えたとする。

そしてそのプランを、クライアントに説明するために企画書を作る。

広瀬すず氏の写真が必要だが、彼女に会ったこともないのに、

自分で彼女を撮影した写真なんて持っているはずがない。

その場合、ネット上にある広瀬すずの写真を使わないだろうか?

「これを撮影した写真家の許可は取らなくてもよいのか?」と

疑問にすら思わないかもしれない。

当たり前のように一番かわいい広瀬すずの写真をネットで探し、

当たり前のようにコピー&ペーストするだけだろう。

写真を改変して、彼女の手に新商品を持たせてみたりもするだろう。

だって、クライアントに説明するだけの❝内部資料❞なんだから。

 

このようなことは、あらゆる企業の内部資料で毎日おきていることではないか?

佐野氏がやったのは、これと同じレベルのことだ。

確かに著作権侵害ではあるが、エンブレムを取り下げるほどの大犯罪とは、

断じて違う。

 

炎上が起きたら、どうすべき?

 では、1か月も続く大炎上に襲われたとき、どうすべきだったのか?

 

答えはこうだ。

 

「無視」

 

世間から叩かれ、上からは「早く何とかしろ!」とつめ寄られ、

下からは「お願いです!このままでは現場が持ちません!」と懇願される。

胃がキリキリと痛む。

こんな状況を打開する解決策をとらなければいけない・・・!

 

そんな状況でこそ「何もしない」ことを選ぶべきだった。

 

あちこちに火が付いた「炎上」という状況の中、

全ての火を一度に消す魔法なんてない。

重要な火元だけを押さえれば良い。

そして今回の事件の火元であるドビ氏の訴えには、対応済みだ。

 

「説明すれば分かってもらえる」と会見を開いても、分かってもらえないのだ。

炎上を煽る人は、「分かる」ことを目的にしていない。

説明しても、新たな炎上ネタを提供するだけだ。

 

パクリ疑惑が出た後に組織委が行った最初の会見は、

著作権の反論ポイントを押さえるという明確な目的をもった会見だった。

しかし今回の会見は、

「世間に色々言われている!・・・と、と、とにかく何かやらなきゃ!」

という気持ちで行った❝やらされ会見❞になってしまった。

主導権を握れないまま行う会見なら、しない方が良かった。

 

もちろん、本当に組織委が「アウト」なことをやったのなら、しっかりと謝るべきだ。

組織委のせいで、選手や観客がケガをしてしまった!というようなことであれば、

しっかり原因を究明し、ケガさせた相手に謝り、補償し、本人とメディアに説明し、

再発防止をするべきだ。

会見でも何でもやるべきだろう。

 

しかし、今回は違う。

全然違う。

本質的に問題はなかった。

そして組織委もそれを分かっていたはずだ。

 

いわゆる「危機管理専門のコンサルタント」の方々はこう言う。

 

「初動が大事です」

「できるだけ早く情報開示しましょう」

「様子見していても、事態は悪化するばかりです」

「沈黙していたら、事実だと認めたと思われてしまいます」

「法的にテクニカルな論点で反論しても、世間から反感を買うだけです」

「まずは、騒動を起こしたことを謝罪すべきです」

「組織への不信感を払拭することが大事です」

「組織のトップが自分でしっかり説明すべきです」

「説明して理解してもらうことが大事です」

 

ごもっともなことを言っているようだが、つまり、こう言っているのだ。

 

「炎上は怖いんです!!

 すごーく怖いんです!

 世間を怒らせちゃダメ!

 とにかく、嫌われちゃダメ!

 好かれてもらえるまで、ひたすら愛想をふりまきなさい!」

 

本当に、こんなアドバイスに従うべきなのだろうか。

「反感を買わない会見」のやり方を教えてもらい、その通りやれば、

アドバイスをするコンサルだけは儲かるだろう。

 

たしかに国民的なイベントだし、

多くの国民から愛されるエンブレムであってほしいと私も思う。

炎上を煽る人の中には、

自らの「正義感」にかられて善意で頑張っていた人もいると思うし、

そんな彼らからも愛されるエンブレムなら、最高だと思う。

しかし、正義や信念を曲げてまで

「愛してくれませんか?こんなに説明してるんだから、愛してくれませんか?」

とお願いする人を、あなたは本当に愛することができるだろうか。

 

必要な説明は、すでにしている。

あとは自分を信じて、じっと耐えるべきなのだ。

「何かやらなきゃ!」という状況の中、

あえて「何もしない」ことを選ぶことは大変な勇気が必要だ。

それでも、耐える。

全方位から責め立てられ、冷や汗、脂汗、わき汗、

全てが噴き出すような窮地もあるだろう。

それでも、耐える。

苦しいが、耐える。

ひたすら、耐える。

 

そのうち、攻撃する側にも綻びが出る。

一部の人が佐野氏へのプライバシー侵害、誹謗中傷、嫌がらせ、脅迫などの

極端な行動をとるようになる。(実際に起きた)

そういった犯罪には警察と一緒に断固たる対応をとる。

そして、「犯罪行為には立ち向かう」という毅然とした意思をメディアに公表する。

いずれ、「正義はどちらにあるか?」世間も気付くだろう。

 

そして、エンブレムとは関係のない、新たな炎上ネタが世の中のどこかで起こる。

大物政治家がワイロを受け取っていた証拠が出るかもしれない。

どこかのスポーツ団体でパワハラの告発が起きるかもしれない。

人々の興味はそちらへ移る。

パクリ騒動は話題にならなくなっていく。

 

組織委には、このように行動してほしかった。

 

佐野氏の決断

実際には、このような流れにはならなかった。

 

組織委は「分かってください!」と言わんばかりの会見を行った。

しかし、その会見が火に油を注いだ。

大炎上はさらに激しくなり、佐野氏への攻撃は止まらない。

佐野氏の元へ、誹謗中傷のメールが大量に送られる。

本人に記憶のないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが次々と届く。

佐野氏の家族、親族のプライバシーがネット上にさらされる・・。

 

ついに佐野氏は決断した。

「大会を成功させたい。

 家族やスタッフを守るためにも、エンブレムを取り下げたい」

と組織委に伝えたのだ。

 

佐野氏の意思を受け、組織委は即座に記者会見を開いた。

 

そして会見で

「佐野氏が取り下げたいと言っている。

 国民の理解が得られなくなったから、エンブレムを取り下げる」

と発表した。

 

こうして、組織委は敗北した。

 

組織委が釈明会見を開いてから、わずか3日後のことだった。

 

組織委の本心

1つはっきりさせておきたい。

エンブレムの取り下げを決断したのは、佐野氏ではなく組織委だということだ。

 

今後の展開を自由に行うために、

組織委は佐野氏からエンブレムの権利を全面的に譲り受けている。

佐野氏には、このエンブレムを使うか?使わないか?を選択する権限はなかった。

もともと作った人として、「単なる希望」を言っただけだ。

しかし、組織委はこの「単なる希望」を全面的に受け入れ、

即座に取り下げを決定し、すぐさま会見を開いたのだ。

 

組織委は、佐野氏から「取り下げたい」と聞かされたとき、どう考えたのだろう?

 

内心、❝ホッとした❞のではないか。

「良かった。これを理由に、取り下げできる。

 やっと、この辛い状況から解放される!」

そう考えたのではないか。

「そうですか。佐野さんがそうおっしゃるのなら、仕方ないですね」

と即答したのではないか。

だからこそ、あれほど迅速な決断・対応ができたのだろう。

 

でもそれは、組織委がとるべき行動ではなかった。

いわれなき非難を浴びつつけ、肩を落とす佐野氏に対して、

組織委は何をすべきだったか?

 

佐野氏の手をとり、相手の目をみて、こう言うべきだった。

 

「お気持ちよく分かります。

 辛いですね。

 でも、もう少しだけ一緒に頑張りませんか。

 正義はこっちにあるんです。

 私があなたを全力で守ります。

  世界中が敵になっても、私はあなたを信じぬきます。 

 今は本当にきついけど、一緒に頑張りましょうよ!

 ほら、夜明け前は一番暗いって言うじゃないですか。

 もう少し、もう少しだけ頑張れば、必ず希望が見えてきますよ!」

 

こんな、❝昭和の香り❞のする、気持ちのこもった言葉が必要だったのではないか。

 

コンプライアンス

「説明責任」

「スピード感のある対応」

こんな、❝平成生まれ❞の言葉に惑わされ、

組織委は一番大事なことを忘れてしまっていたのではないか。

 

「一番辛いときにこそ、信じた相手を守る」という、

昭和の、そして昔から大切にされてきたことが、大切だったのだ。

 

問題の本質

この連載の最初に、私はこう問いかけた。

東京オリンピックエンブレム、パクリ疑惑」の何が本当の問題だったのか?

 

多くの人が、この事件についてこんな印象を持っていると思う。

「なんだかややこしい知的財産の問題がおきた」

著作権でモメたから、取り下げになった」

「エンブレムの選考過程にも問題があったから、取り下げになった」

 

違う。

そうではない。

さんざん著作権や商標権について解説してきた筆者だからこそ言うが、

知的財産は本質的な問題ではない。

選考過程についても、何の不正も発覚していない。

 

組織は一連の記者会見で、何があっても佐野氏を守る!という覚悟を見せず、

どちらかというと他人事のようなコメントに終始した。

 

打ちひしがれた佐野氏が「もうやめたい」と言ったときには、

簡単にそれを受け入れ、さっさと会見を開いてエンブレムを取り下げた。

 

そして、その後に佐野氏の名誉を回復するようなことを何一つしなかった。

 

知的財産や選考過程は、本質的な問題ではなかった。

組織委に「信じた相手を守る」という覚悟がなかっただけなのだ。

これが問題の本質だ。

 

考えてみてほしい。

もし佐野氏に「不倫疑惑」が浮上していたらどうなっただろう?

 

ベルギーの女性がSNSで「私、ミスター・サノの愛人です」とつぶやいたとしたら。

彼女の主張はこうだ。

「エンブレムの「T」の字は私のイニシャルよ。

 あのエンブレムは、私への愛のメッセージが込められてるの!」

佐野氏は否定するし、明確な証拠も出ないが、女性は裁判で慰謝料を請求する。

「国民的イベントのエンブレムに、愛人への個人的メッセージを忍ばせるとは、

 何たる不届きもの!!」

大スキャンダルに発展し、炎上が拡散する。

そして他にも、次々と佐野氏の❝自称愛人❞が現れる。

「佐野さんにホテル(の喫茶店での打合せ)に誘われた」

「佐野さんに(初対面の握手で)手をにぎられた」

佐野氏が女性アシスタントに渡したメモが発見される。

そこにはこう書かれていた。

「いつも頼りにしているよ」

さらなる大炎上!

たまりかねた組織委は会見をひらく。

「「T」の文字はTOKYOの「T」であって、女性のイニシャルではありません」

しかし、その会見で組織委が見せた「街中での展開案」の写真の中に、

たまたま佐野氏の昔の交際相手が小さく写りこんでいた。

これは決定的証拠だ!

佐野というデザイナーは、仕事に女性関係を持ち込む男なんだ!

多くの国民が佐野氏へ疑惑の目を向ける。

佐野氏への嫌がらせがエスカレートする。

そして遂に、佐野氏が「もうやめたい」と言い出す・・・。

 

馬鹿げた設定だし、佐野氏に失礼な想像だと思うかもしれない。

本当にその通りだ。(佐野さん、ごめんなさい)

 

しかし、パクリ騒動も同じくらい馬鹿げていたし、失礼だった。

明確な証拠もないまま、「決めつけ」だけが横行したのだ。

 

パクリ疑惑だろうが不倫疑惑だろうが、世間が騒げば組織委は動揺する。 

この不倫疑惑・大炎上の中で佐野氏が「やめたい」と言い出したら、

組織委はどうするだろうか?

「そうですか。佐野さんがそうおっしゃるのなら、仕方ないですね」

と言ってしまわないだろうか?

そして、実際に組織委がやったように

「佐野氏が取り下げたいと言っている。

 国民の理解が得られなくなったから、エンブレムを取り下げる」

という会見を開いたのではないだろうか?

 

 

 「信じた相手を守る」という覚悟に欠けた組織委では、

どんなくだらない問題が起きたとしても、対応はできなかっただろう。

 

悲しい結末

組織委は敗北した。

その後の展開を駆け足で見ていこう。

 

9月21日、騒ぎの発端となったロゴの当事者、

リエージュ劇場は「訴えを取り下げる」と発表する。

ドビ氏本人は「使用中止は良いことだが、ロゴが似ていると認められるまで戦う」

という意向だという。

 

9月28日、組織委は会見を開く。

今回のエンブレムの問題については

「国民に対して閉じられた選考過程になってしまっていた」

「一部の人で進めたので十分なチェック機能が働かなかった」

という、ピント外れの反省点を述べた。

そして新たなエンブレムを選びなおすために、

「エンブレム委員会」を設置すると発表した。

 

選考過程は「より国民に開かれた」ものにされ、改めてデザイン案が公募された。

1万4599点の応募が集まったという。

 

2016年4月8日、最終候補の4案が発表される。

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この4案に対して国民からハガキとインターネットで意見を送ってもらい、

それを参考にした上でエンブレム委員会が決定するという流れだ。

 

そして4月25日、江戸時代の「市松模様(いちまつもよう)」を生かした「A案」に

決定したと発表される。

制作したのは、東京で活躍するデザイナー・野老朝雄氏だ。

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これが、「国民に開かれた」選考過程の結果、選ばれたエンブレムである。

あなたは、どういう感想を持っただろうか?

もちろん、デザインの好みは人それぞれだ。

 

タレントのマツコ・デラックス氏はテレビ番組「5時に夢中!」の中で、

このようなコメントをしたという。

「決してA案が何か秀でてるって感じはしないけど、他のがありきたりじゃない?」

「ただこう見ると、パクリだったかもしれないけど、

 あの(佐野氏の)エンブレムってよく出来てたんだなって思うよね」

「ごちゃごちゃしてモメて、みんながスゴく色んなものに注意しながら作ってやると、

 こういう凡庸なものになるのよね」

 

私には、デザインの専門知識はないし、

デザイナーの野老氏や、その他多くの応募者を貶める意図は全くない。

しかし、マツコ氏のコメントは、

多くの人が「何となく感じていたこと」の核心を突いているのではないだろうか。

さすがはコメントのプロだと思う。

 

もう一度だけ、二つのデザインを見てみよう。

  

     

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        f:id:keiyoshizawa:20180812171214p:plain

 

どちらが、「国を挙げた一大イベント!」という感じがするだろうか?

どちらが、「50年前のように、もう一度東京を盛り上げよう!」という

気持ちがこもっているだろうか?

考えてみてほしい。

 

私はつい想像してしまう。

もし、佐野氏のシンプルで力強いエンブレムが東京中を飾っていたら・・と。

 

いずれにせよ、エンブレムは決定した。

 

こうして、組織委の莫大な予算と、若きデザイナーの夢が、完全に失われたのだ。

 

次回の記事は、この連載の最終回となる。

「タラ・レバ」の話になってしまうのを承知で、

「あのとき、本当はこうしていれば良かった」という案を紹介しよう。

 

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迫る東京オリンピック!今こそ、あの「パクリ疑惑」のモヤモヤを解消する(5)

ついに訴訟へ!

前回までの記事では、

東京オリンピックエンブレム」と「サントリー・トートバッグ」について、

「パクリだ!」と騒ぎになったものの多くは、法的に問題ないものだと説明した。

特に東京オリンピックエンブレムについては、

問題ないものだということを詳しく述べた。

 

そのエンブレムに対して「著作権侵害だ!」と主張していたドビ氏が、

ついに訴訟に踏み切る。

 

今回は「訴えられた」という事実を、どう捉えるべきか?について見ていこう。

リスクに対する見方が変わるはずだ。

 

組織委からにじみ出る気持ち

8月14日、ドビ氏側の弁護士がリエージュの裁判所に

エンブレムの使用差し止めを求め提訴したと発表した。

(訴えた相手は、東京の大会組織委員会(以下、組織委)ではなく、

 IOC国際オリンピック委員会))

ドビ氏側が、単なるクレームのレベルをこえ、

ついに法律で白黒つけるための明確なアクションを起こしたことになる。

 

8月17日、これに対し組織委は、以下のコメントを発表した。

「我々の詳細な説明に耳を傾けようともせず、

 提訴する道を選んだ態度は受け入れがたい」

 

あれ・・?

組織委の人たち、怒ってる?

 

ここまでの組織委の対応を、筆者は「しっかりした対応だ」と評価してきた。

しかし、このコメントに対しては、初めて違和感を覚える。

 

もちろん、これから戦う相手に対して

「そっちがやる気なら、こっちだって黙ってないぞ!」と

ファイティングポーズをとって見せる必要はあるし、

世間に対して「正しいのは我々だ!」とアピールすることも大切だろう。

 

しかし組織委のコメントからは、

そういった❝訴訟戦略上の必要性❞というものを超えて、

訴えられたことを本当に嫌がっている気持ちが、

にじみ出てしまっている気がするのだ。

 

これに対する私のツッコミはこうだ。

「いやいや、組織委さん!

 そこは嫌がるところじゃないでしょ!

 むしろ、小躍りして喜ぶところでしょ!」

 

なぜこう考えるのか、説明したい。

 

ドビ氏の選択肢

ドビ氏の立場で考えてみよう。

 

エンブレムの使用を止めるための戦略としては、

大まかに言って2つの方法が考えらる。

 

1つ目は、裁判で白黒つける方法。

そして2つ目は、メディアに意見を発信し続け、世論を味方につける方法だ。

 

ドビ氏は1つ目を選んだ。

もしドビ氏が2つ目の方法をとっていたら、どうなっていたか?

この後の展開をすでに知ってしまっている立場で、

このような予想をするのはフェアではないが、おそらくこうなっただろう。

 

数日おきにドビ氏から新しい❝ネタ❞が提供される。

発信内容が拡散し、❝炎上❞が拡大する。

エンブレムのイメージは大ダメージを受け、組織委は大いに苦しむ・・・。

 

結果的には、ドビ氏に❝援軍❞が現れ、

この役割をドビ氏に代わってネット上の人々が行った。

大炎上を起こすことによって組織委を打ち負かし、

この2つ目の方法が有効だったことを証明することになる。

 

しかし、実際にはドビ氏はそのような手段をとらなかった。

正々堂々と裁判で戦うことを選んでくれた。

以前の記事にも書いたとおり、

クリエイターとしての純粋な気持ちを持っていたのだろう。

 

組織委の立場から

組織委にとっては、これは「大ラッキーチャンス」である。

 

先の記事で述べたように、そもそも「負けない戦い」なのだ。

 

そしてそれ以上に、

裁判になってしまえば戦う相手がドビ氏側だけに限定されることが大きい。

つまり、あとは法律の専門家同士の❝閉じた世界の戦い❞になるので、

❝外野の声❞を完全にシャットアウトできるのだ。

ドビ氏側も、裁判への影響を考えるとヘタは発言は出来なくなり、

発言を控えるようになる。

 

費用の面で考えても、IOCや組織委の予算規模を考えると、

裁判費用など問題にならないレベルだろう。

(すでに訴訟関連の費用は予算として組み込まれているはずだ)

むしろ、ドビ氏側にこの厳しい裁判を戦い抜く資金があるのか?

と余計なお節介の心配をしたくなる。

 

こう考えると、ドビ氏が裁判に訴えてくれたことは、

非難するどころか感謝したいぐらいのことだと分かってもらえると思う。

「提訴する道を選んだ態度は受け入れがたい」

と不機嫌に非難するのではなく、

顔がニヤつくのを必死でこらえながら

「我々は侵害ではないと確信しておりますので、エンブレムの使用は続けます。

 あとは専門家に判断していただき、IOCと一緒にしっかりと結論を出します。

 ドビさん、お互い正々堂々とやりましょう!!」

などと、余裕しゃくしゃくのコメントをしておけば良かった。

そしてその後は、専門の弁護士に粛々と訴訟を担当してもらい、

気兼ねなく大会の準備を進めれば良かったのだ。

 

裁判はイメージ悪い?

こういう反論があるかもしれない。

 

「裁判で正当性が争われているエンブレムは、イメージが悪い!

 裁判が長引けば、さらにイメージが悪くなる!

 国を挙げた一大イベントに、そんなエンブレムはふさわしくない!

 スポンサーだって離れるかもしれない!

 リスク・ゼロのものじゃないとダメだ!」

 

たしかに気持ちは分かる。

しかし、リスク・ゼロなんてものは存在しない。

Google画像検索で、あらゆる❝似たモノ❞を瞬時に検索できる時代だ。

そして❝似たモノ❞は常にある。

「似ている!」と感じた人は、

いつでも誰でもSNSを通じて世界中に発信できるのが現在の世界だ。

このテの訴訟は、今後も起こるだろうし、避けようがない。

はっきり言って❝慣れる❞しかない。

事前に可能な範囲で問題ないか確認した上で作品を発表し、

不幸にも問題が起きてしまったら、

大騒ぎせずに専門家と一緒に粛々と対応するだけだ。

 

また、当事者ではない人々にも、慣れていただくしかない。

実際、世間の興味は移ろいやすい。

あのままエンブレムを使い続けていたとしても、一年もたてば、

「あー、そう言えばそんな騒ぎあったね。まだ裁判なんかやってたの?」

という状態になっただろう。

 

スポンサーだって大金を使う以上は、

エンブレムの法的リスクがほとんど無いことを把握した上で、

世論の動きを冷静に分析しただろう。

「問題なかったのに、ネットの風評を怖がってスポンサーを降りた腰抜け企業」

と、後になって言われるリスクも考慮しながら。

 

そして何よりも大事なことは、裁判は

「面倒に引きずれこまれてしまう、なんだかオゾマシイ場所」

なんかではないと理解することだ。

裁判は「正義を実現する場」なのだ。

実際、裁判になれば組織委は勝利を手にしていた。

正義を求めて戦うことを、必要以上に避ける理由はない。

戦うことそのものを忌み嫌う姿勢こそが、敗北を呼び込むことも多いのだ。

 

これからの世界を「言った者勝ち」の世界にしないためにも、

この問題については「世論の暴力」ではなく、

「法の下の正義」で白黒つけて欲しかったと思う。

 

次回の記事は、この連載のクライマックスだ。

インターネット史上、稀に見る「大炎上」が起き、

事件はあっけない、そして悲しい幕切れを迎えることになる。

 

keiyoshizawa.hatenablog.com

迫る東京オリンピック!今こそ、あの「パクリ疑惑」のモヤモヤを解消する(4)

他にもパクリ疑惑が

前回のまでの記事では、

ドビ氏に❝パクリ疑惑❞をかけられた東京オリンピックエンブレムが、

商標権・著作権の両面で、問題なかったことを見てきた。

 

騒動はこのまま治まるかと思われたが、想定外のところから問題が浮上する。

サントリー・トートバッグ問題だ。

サントリーが「オールフリー」という飲料のキャンペーンを実施し、

プレゼントのトートバッグのデザインを佐野氏が担当していた。

全30種類のデザインが用意されていたが、そのうち複数のデザインに対して

「パクリだ!」という指摘がネット上で噴出したのだ。

 

今回の記事では、前回の復習もかねて、「著作権的にパクリか?パクリじゃないか?」

を判断する基準を完全に身に付けよう。

 

水着のイラスト 

指摘を受けたデザインは多数あるが、ここでは2点を取り上げる。

これが佐野氏のデザイン。

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そしてこれが、❝ネタ元❞だと言われるジェフ・マクフェトリッジ氏の作品。

Tシャツのデザインだそうだ。

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さあ、これは「著作権侵害」だろうか?

判断してほしい。

 

著作権侵害を判断

著作権侵害か?」を判断するためのポイントはすでに述べた。

以下の3つの条件だ。

 

1.そもそも自分の作品が「著作物」である。

2.相手が自分の作品を見た上で制作した。

3.自分の作品と相手の作品が似ている。

 

この3つの条件の全てを満たさなければ、著作権侵害にはならない。

 

まず1つ目の条件。

マクフェトリッジ氏の作品は「著作物」と言えるものだろうか?

おそらく「Yes」と言えるだろう。

たしかにTシャツのデザインなので、純粋な芸術作品とは言えないかもしれない。

しかし、脱力感のある独特の構図・タッチで、

リラックスした雰囲気を個性的に表現している。

十分に著作物と言えると思う。

(実際に、Tシャツのデザインを著作物だと認めた裁判もある)

 

2つ目の条件である「佐野氏がこの作品を見た上で制作したか?」については、

後に佐野氏側のスタッフが他のデザインからトレース(描き写し)したことを認めているので、これも「Yes」だ。

 

そうなると、

3つ目の条件「マクフェトリッジ氏の作品と佐野氏の作品が似ているか?」が

最大のポイントになる。

 

この2つの作品、たしかに共通する箇所は多い。

 ・水に浮かぶ人物と影がメインになっていること。

 ・人物の胴体、左足の形。

 ・塗りつぶしの絵筆のタッチ。

 

一方で異なる箇所も多い。

 ・水着の形と色。

 ・人物の髪型と色。

 ・人物の両手、右足のポーズ。

 ・人物と影との距離。

 ・魚の存在。

 ・背景の色。

 

こういった場合、どう判断したら良いだろうか?

 

参考になる裁判がある。

「マンション読本事件」(大阪地裁2009年3月26日)だ。

まずは次のイラストを見てほしい。

ãã³ã·ã§ã³èª­æ¬

左が「独り暮らしをつくる100」という書籍のイラスト。

右が不動産会社がマンション購入希望者に配った

「マンション読本」という冊子のイラスト。

左のイラストの作者が、右のイラストを「著作権侵害だ!」と言って訴えた事件だ。

そしてこの事件では、裁判になる前の時点で被告側が

「あなたのイラストを無断で参考にして描いてしまいました。ごめんなさい」

と既に謝ってしまっている。

❝たまたま似てしまった❞ということではないのだ。

それでも、裁判官は「著作権侵害ではない」と判断した。

判断の理由としては

「たしかに体のポーズの描き方は似ている。

 でもそれは、人物をイラスト化するときに普通にみんなやることですよね。

 それに、顔の表情はだいぶ違いますよね」

というものだった。

 

もう一度、マクフェトリッジ氏の作品と佐野氏の作品に戻ろう。

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どうだろうか?

この2つの作品は、本当の意味で「似ている」だろうか?

両作品に共通するポイントは、「アイディア」にすぎないことであったり、

「人物をイラスト化するときに普通にみんなやること」ばかりではないだろうか。

著作権侵害と言えるための3つの条件のうち3つ目の答えは「No」。

このトートバッグのデザインは、著作権侵害にならないだろう。

 

「BEACH」の看板

トートバッグについて、もう一点取り上げよう。

 

これが佐野氏のデザイン。

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そしてこれが、ベン・ザラコー氏のデザイン。

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矢印の看板部分を切り抜いて貼り付けただけのものだと言われている。

「さすがにこれはアウトでしょ!」と多くの人が感じたと思う。

 

しかし、少しだけ待ってほしい。

前回の記事で書いたように、

「純粋な気持ち」や直感だけでは著作権の戦いに勝てないのだ。

 

直感だけで判断するよりも、まずは著作権侵害の3つの条件をチェックしよう。

1.そもそも自分の作品が「著作物」である。

2.相手が自分の作品を見た上で制作した。

3.自分の作品と相手の作品が似ている。

 

このうち2つ目の条件については、

佐野氏側がトレースを認めているので問題なく当てはまるだろう。

しかし、1つ目の条件についてはどうか?

「矢印の形」は著作物だろうか?

「BEACHという文字」は著作物だろうか?

「赤色」は著作物だろうか?

ザラコー氏がデザインした後は、

誰も「BEACHと書かれた赤い矢印の看板」をデザインできないのだろうか?

そんなことはないだろう。

ザラコー氏のデザインが著作物だったとしても、

3つ目の条件「(本当の意味で)似ているのか?」についても、

ザラコー氏のデザインの中の個性が発揮された部分はコピーしていない。

ありふれた要素の部分しかコピーしていない。と言えないだろか?

 

もちろん、文字の配置、矢印全体のバランス、色のかすれ具合などに、

ザラコー氏の個性が表現されているので「著作物だ」と判断することもできるし、

その個性が表れた部分をコピーしているので、「著作権侵害だ」と判断される可能性は十分にある。

実際に裁判になっていれば、佐野氏側に不利な戦いになっただろう。

しかしここで強調したいのは、佐野氏側にも十分に反論出来る材料があること。

そして、直感的に「これはアウトだ」と思えるものであっても、

それほど「シロ/クロ」はっきり付けられるものではなく、

「グレー」なものが多いということだ。

 

サントリー・トートバッグ問題」では、今回挙げた二つのデザイン以外にも、

複数のデザインに対して「パクリだ!」という指摘があった。

その中には「どう考えてもシロ(著作権侵害じゃない)」というものから、

「シロに近いグレー」、「クロに近いグレー」まで様々なものがあった。

しかし、「著作権侵害だ」と即座に断言できるものは無かったのだ。

 

今後、あなたが著作権侵害を判断することになったときは、

直感だけに従わず、3つの条件で考えてほしい。

今回の事例で考え方は身についたはずだ。

 

マナー違反では?

ここまでは、佐野氏のデザインが法的に問題だったかどうかを検証した。

しかし、たとえ法的に問題なかったとしても、

人のデザインをトレースする行為は、

デザイナーとしてのモラル、マナーに反しているという主張もあるだろう。

そして、その主張は確かにその通りである。

この問題に対して、佐野氏はどう対応したのか?を見ていこう。

 

8月13日、サントリーは、

問題が指摘されていたトートバッグの使用を中止すると発表した。

佐野氏からの申し出を受けての発表だったという。

 

8月14日、佐野氏は自身のホームページで謝罪文を公開した。

内容をまとめると以下のようなものだ。

「トートバッグのデザインは複数のデザイナーと共同で制作した」

「社内調査の結果、第三者のデザインをトレースしたものがあったと判明した」

「そんなことは想像すらしていなかった」

「法的問題以前に、決してあってはならないことだ」

「管理不行き届き、教育不十分であり、代表として責任を痛感している」

「権利主張する方から連絡があれば、誠実に対応する」

「なお、東京オリンピックエンブレムは自分一人で制作したものであり、

 模倣は一切していない」

 

この謝罪文について、あなたはどう感じるだろうか?

ネット上では「スタッフのせいにしている!」という声もあったが、

自身で責任を負う姿勢を明確にしていると思える。

著作権的な問題とは別に、モラル、マナーの問題としても認識した上で

「あってはならないことだ」と断じている。

十分な内容ではないだろうか?

 

しかし、この騒ぎが起きてからは、「エンブレムはパクリか?」という問題ではなく、

「佐野というデザイナーは信頼できる人物なのか?」という疑惑の方が、

ネット上のメインテーマになってしまう。

そして「佐野はエンブレムを取り下げるべきだ!」という声が大きくなっていく。

 

私は聞きたい。

オリンピックのエンブレムをデザインするのにふさわしい人物とは、

どんな人物なのか?

清廉潔白で、部下や仲間を完璧に「管理」し、

過去の全ての作品において一点の曇りもない人物でないといけないのか?

そんな完璧な人間はこの世界にいるのか?

そんな完璧な(そして多分、デザイナーとして面白みのない)人間が、

人の心に強く訴えるデザインを作ることができるのか?

そんなことはない!

少しぐらい過去にミスをやらかしたぐらいの人物が、ちょうど良いじゃないか!

と私は思う。

オリンピックのエンブレムを作る人は、

管理能力の高いロボットのような人間ではなく、

デザイナーとしての確かな腕前と、

大会への暑苦しいほどの情熱をもった人物であって欲しい。

最初の会見で佐野氏はこう述べている。

「オリンピックのシンボルを作るのが夢だった」

「選手の皆さんにも練習して成果を残そうと思われる存在にしたかった」

「1964年の東京オリンピックのマークを承継したいという思いを込めた」

こう語る佐野氏には、十分にその資格があると思う。

 

次の記事では、エンブレムに対して「パクリだ!」と言っていたドビ氏が、

ついに法的手段をとったことと、

それに対する大会組織委員会の動きについて見ていこう。

 

keiyoshizawa.hatenablog.com

迫る東京オリンピック!今こそ、あの「パクリ疑惑」のモヤモヤを解消する(3)

前回の記事では、東京オリンピックのエンブレムに対して

ドビ氏が「著作権」を根拠に使用停止を求めたこと、

そして、ドビ氏にとってはそれが勝ち目の少ない戦いだったと書いた。

今回は、なぜドビ氏が勝つ可能性が低かったかを説明したい。

 

今回の記事を読めば、

著作権について「パクリか?パクリでないか?」の区別を

自分で出来るようになるだろう。

 

著作権的に「パクリ」とは?

ドビ氏側の主張は

東京オリンピックのエンブレムは、

 ドビ氏のデザインしたロゴマーク著作権侵害である」というものだ。

では、「著作権侵害」とはどういう状態のことか?

作者が直感的に「あ!似ている!パクられた!」と思ったら、

その全てが著作権侵害になるのか?

当然そんなことはない。

そんなことを許すと、世の中が大混乱になる上、誰も新しい作品を作れなくなる。

著作権侵害か?そうでないか?」の線引きをするためのルールが必要だ。

そしてそのルールはすでに確立されている。

「自分の作品の著作権が侵害されている!」と言うためには、

以下の3つの条件全てに当てはまらないといけない。

 

1.そもそも自分の作品が「著作物」である。

2.相手が自分の作品を見た上で制作した。

3.自分の作品と相手の作品が似ている。

 

この3つのうち、どれか1つでも当てはまらなければ、

それは著作権侵害とは言えない。

自分の作品が著作物と言えるような作品でなければ

著作権侵害だ!」なんて言うのはそもそもナンセンスだ。

相手が自分の作品を見たことがなければ

前回の記事で書いたように「仕方のないレアケース」なので問題ない。

仮に見た上で作ったとしても、

相手の作品が自分のものと似ていなければ、当然、侵害にはならない。

 

この3つの要件は、誰にでも納得できるものだと思う。

実際に世界中で認められている考え方なので、

日本だろうが、ベルギーだろうが、他の国であろうが、

基本的には同じ考え方で判断される。

 

今回のエンブレムのケースについて、この3つの条件を当てはめて考えてみよう。

 

最大の難関 著作物か?

ドビ氏の立場から考えると、3つの要件のうち最大の難関が1つ目の要件だ。

「そもそも自分の作品が「著作物」である」と言えるのか?

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ドビ氏の作品は上記の通り、

アルファベットの「T」と「L」の文字を組み合わせたものを円形で囲ったものだ。

これは著作物だろうか?

この作品の一番の特徴はアルファベットの表現に仕方にあると思われる。

そこで、文字のデザインに関して参考になる2つの裁判を挙げたい。

 

タイプフェイス事件

まずは「タイプフェイス事件(最高裁2000年9月7日)」から。

フォントとは「明朝体」や「ゴシック体」のような、

文字の書体デザイン一式のことだ。

そのフォントを開発する企業が、別のフォントの企業を訴えた。

「我々の書体は著作物だ。その書体をマネされた!」といって。

 

これが、その企業の開発した「ゴナU」というフォント。

そしてこれが、「真似した」とされる「新ゴナU」というフォント。

どうだろうか?

これは「著作権侵害」だろうか?

 

裁判所はこれを「著作権侵害ではない」と判断した。

そしてその理由は

「そもそもフォントは著作物ではないから」というシンプルなものだった。

最高裁判所の判断だから、ものすごく重たい判断である。

 

もちろん、フォントのデザインに価値がないと言っているわけではない。

数千個もある文字の一つ一つのバランスを根気よく考え、

より読みやすくデザインするデザイナーの地道な努力が、

我々の活字文化、情報社会を支えている。

 

しかしそれは、「著作物」ではないのだ。

前回の記事で書いたように、著作物とは、小説、美術、音楽、映画のように、

鑑賞対象になるような文化的な創作物のこという。

もし小説を読む人がフォントを鑑賞し、「なんて美しいフォントなんだろう!」と

いちいち感動していては、肝心の小説の内容が頭に入ってこない。

むしろフォントは、フォントそのものの存在を意識させず、

文章の内容をストレスなく読む人に伝えることを機能としているのだ。

そして、その機能が高いフォントだからこそ、著作物にはなれない。

フォントは、実用品であって、芸術作品ではないのだ。

 

逆にいうと、装飾の沢山ついたフォントで、

フォントの本来の機能を果たさない(つまり、とても読みづらい)フォントであれば、著作物として認められる可能性は高くなる。(私は使いたくないが)

 

「文字」というものは本来、人間同士が気持ちを通わせるために生まれたもので、

人類全体で共有すべき財産だ。

その利用を制作者に独占させてしまう著作権の制度とは、致命的に相性が悪い。

 

Asahiロゴデザイン事件

つづいて、「Asahiロゴデザイン事件(東京高裁1996年1月25日)」について

見てみよう。

ご存知「アサヒ・スーパードライ」のアサヒビールが、

米穀・雑穀を販売するアサックスという会社のロゴマークを「著作権侵害だ!」と

訴えた事例だ。

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これを見て、あなたはどう思うだろうか?

かなり❝パクリのにおい❞を感じるのではないだろうか?

 

しかし、裁判所の判断は、「著作権侵害ではない」というものだった。

理由は、上記タイプフェイス事件と同じで

「そもそもアサヒビールのロゴは著作物ではない」というものだ。

裁判官の言ったことを大まかにまとめると、

「デザインに工夫があるのは分かるけど、

 それでも美術の芸術作品と同レベルとは言えない」ということだ。

 

もちろんこれも、ロゴのデザインに価値がないと言っているわけではない。

フォントと同様に、

ロゴマークも出来るだけシンプルに読みやすく表現する必要性が高い。

「アサヒ」と読んでもらえないと、アサヒビールも困ってしまう。

だからこそ、著作権には馴染みづらいものなのだ。

 

この2つの裁判例を見て分かったことをざっくりまとめると、こうなる。

文字のデザインは、著作物としては、ものすごく認められにくい。

 

ドビ氏のデザインは著作物か?

ここまで読んできたあなたなら、もう判断できると思う。

ドビ氏のデザインは著作物だろうか?

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そう、著作物ではない。

 

このデザインの中心は、「T」と「L」の文字をデザイン化したものに過ぎない。

確かにデザイン上の工夫はしている。

しかし、これは

「デザインに工夫があるのは分かるけど、

 それでも美術の芸術作品と同レベルとは言えない」というものだ。

 

ドビ氏はこう言うかもしれない。

「「T」と「L」の字を重ね合わせて、「T」の横棒の右側を反転させた。

 こんなの誰にも思いつかない!だから素晴らしいんだ!」

しかし、これは単なるアイディアに過ぎない。

アイディアは著作物ではないのだ。

 

もしドビ氏側が裁判で戦うことになった場合、

この第一の関門「そもそも自分の作品が著作物である」ということを証明するのに、

とても苦労することになるだろう。

そして、その証明に失敗しただろう。

万一、著作物だと認められたとしても、第二、第三の関門が立ちふさがる。

 

佐野氏は見たことがあったのか?

第二の関門は、

「佐野氏がドビ氏のデザインを見た上で作品を作った」と証明すること。

これもかなりの難関だ。

 

リエージュ劇場は、ベルギー国王が設立した施設に起源をもつ歴史的な劇場なのだが、このエンブレム騒動が起きる前にその存在を知っていた人は、

日本に何人いただろうか?

ましてや、そのロゴマークを見たことがある人となると、

ほとんどいなかったのではなないかと思う。

あなたは

ウィーン国立歌劇場ルーヴル美術館大英博物館のことは知っているだろう。

しかし、そのロゴマークを思い浮かべることができるだろうか?

こんな超有名な施設であっても、そのロゴマークとなると大半の日本人は、

「見たことがあるかどうかすら分からない」というレベルだろう。

 

佐野氏の場合はどうだろう?

もちろん、佐野氏はプロのデザイナーであり、

一般の人よりはるかに多くのデザインを意識的に見ているだろう。

 

しかし、たとえプロでも、

世界中で日々無数に生み出されるデザインの全てをチェックすることは不可能だ。

日本で決して有名とは言えない劇場のロゴマークを、

佐野氏が見たことがあるに違いない!と断言できる人は、

いないのではないだろうか。

そして、それを証明する責任があるのは、ドビ氏側なのだ。

 

本当に似ているのか?

著作権侵害だと認められるための3つ目の要件が

「自分の作品と相手の作品が似ている」ということだ。

 

Aという作品と、Bという作品が、本当の意味で似ていると言えるのか?につていは、

他の記事でも多く扱うので、ここでは簡単に述べるに止めたい。

 

著作権的に「似ている」と言えるためには、

単に「アイディア」の部分が似ているということではダメで、

芸術性の現れた「具体的な表現」の部分が似ていないといけない。

そうしないと、

「キリストが弟子と最後の晩御飯を食べているシーンの絵」が一度描かれてしまうと、

もう他の人は描けなくなってしまう。

 

ドビ氏の作品がそもそも著作物ではない以上、

「似ている?似ていない?」を議論すること自体ナンセンスなのだが、

仮に著作物だったとして考えよう。

ドビ氏のデザインが佐野氏のエンブレムと「似ている」と言えるためには、

具体的な表現の部分が似ている必要がある。

単に「T」の文字の一部を反転させるというアイディアが似ていると言っても通用しない。

もし裁判で争われたとしたら、

四角形の縦横の比率、パーツとパーツの間隔、弧の描き方の角度、色づかい、

円形の扱い方、全体的なバランスのとり方・・・・

といった具体的なレベルで一致しているかどうかが問われることになっただろう。

この2つのデザインが、そのレベルで一致しているのか?

私は一致していないと思う。

 

ドビ氏はなぜ無謀な戦いを挑んだのか?

以上、3つのポイントの全てでドビ氏側に不利なことを見てきた。

この3つ全てで❝奇跡の大逆転❞を起こさない限り、

裁判でドビ氏側が勝つことはないのだ。

絶望的なほどに、ドビ氏の方が分が悪い。

 

なぜドビ氏は、こんな無謀な戦いに挑んだのか?

 

ネット上では、

「売名行為だ!」

「和解金目当てだろう!」

といった発言・憶測も多く見られた。

 

しかし、私は違うと思う。

ドビ氏も歴史ある劇場のロゴを任されるほど実力のあるデザイナーだ。

少しでも良い作品を作りたいと努力するクリエイターの一人なのだ。

ドビ氏が声を上げたのは、売名や和解金などの❝不純な❞目的ではなく、

「パクられた!くやしい!」という、

クリエイターとしての素朴で自然な思いがあったからだと思う。

私はドビ氏のクリエイターとしての純粋な気持ちを信じる。

 

著作権の世界では、こんな事例は結構ある。

実績のある作家(「先生」と呼ばれる人が多い。そして、年配の男性が多い)が、

「パクられた!著作権侵害だ!」と声を上げ、

最終的には著作権で勝てないことが判り、訴えを取り下げたり、

あるいは逆に謝罪する羽目になったりする事例だ。

(いずれ記事で取り上げたい)

必死に考えて生み出した作品だからこそ、思い入れがあり、

「こんな作品は、自分にしか生み出せないはずだ」と考えてしまう気持ちは分かる。

しかし、純粋な気持ちだけでは、著作権の世界で戦えないのだ。

 

ついに、組織委が会見

さて、話を戻そう。

8月5日、ついに大会の組織委員会(以下「組織委」)は、佐野氏と一緒に記者会見を開く。

著作権的には圧倒的に有利な状況の中、組織委はどのような会見をしたのか。

あれだけの騒動になったのだから、「この会見で何か重大なミスをしたのでは?」と

考えたくなるが、そんなことは全くない。

 

組織委は以下の説明をした。

「先方(ドビ氏側)は商標を取っていなかった」(←やっぱり)

「選考過程において、デザインナーには二つの課題をお願いした。

 オリンピックとパラリンピックのエンブレムが、

 ひと目見て違うが関連性を持つと分ること。

 そして、グッズなどへの展開力、メディアへの拡張性を持つこと。

 この2つの条件を満たした素晴らしいデザインが佐野氏のデザインだった」

 

そして佐野氏の説明はこうだ。

「制作にあたり、まずは「TOKYO」の「T」の字に注目した。

 そして、世界で広く使われている

 「Didot」という書体と「Bodoni」という書体の特徴を生かそうとした。

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 画面を9分割し、組み合わせることで

 オリンピック、パラリンピックのエンブレムを作った。

 二つのエンブレムは全く同じ設計になっており、

 二つの大会が同等であることを表現している。

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 また、同じデザインでアルファベットや数字を作り、展開できるようになっている。

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 ドビ氏のデザインとは、デザインに対する考えが全く違い、全く似ていない」

「自分はベルギーに行ったこともないし、そのロゴを一度も見ていない」

 

これに対し、記者からは

「デザインの考え方が違うといっても、多くの人は似ていると評価している。

 デザインのプロだけでなく素人にも分かってもらう説明が必要では?」

といったニュアンスの質問も複数あがっていた。

 

会見は良かった!

8月5日の組織委と佐野氏の会見を、私は評価している。

論点が商標権から著作権に移った点にしっかりと対応し、

先に挙げた著作権侵害を判断するときのポイントを押さえた内容になっているからだ。

 

まず、世界中で使われている「T」という書体を元に制作したことを説明している。

同じような書体の「T」と「L」で構成されているドビ氏のデザインが

「そもそも著作物じゃないでしょ?」ということを暗に指摘している。

また、制作の過程を説明するとともに、

ドビ氏の作品を見たことがないと述べることで、

「ドビ氏のロゴを見た上で制作した」という可能性を完全に否定している。

著作権侵害の3つの条件のうち、1つ目と2つ目をしっかり押さえている。

(そもそも著作物ではないのだから、3つ目の条件で争う必要はない)

これだけ説明していれば、十分だ。

 

たしかに

「組織委に当事者意識が感じられなかった」といった感想や、

「あれでは一般の人の理解は得られない」といった批判もあった。

「組織委の当事者意識」という観点では、その通りかもしれない。

 

しかし、あれ以上に「一般の人を納得させる説明」というものがあり得るのか?

そもそも佐野氏が「見たことがない」と言っているのである。

それ以上に何を説明しろというのか?

 

たしかに著作権や商標権の仕組みは分かりにくいかもしれない。

しかし、それは制度の問題であって、

組織委、ましてや佐野氏の責任では断じてない。

 

サッカー選手に対して

オフサイドのルールが分かりにくい。もっと観客に分かるように説明してください」と要求するスポーツ記者はいないだろう。

そんなことを言うと

「私はプレイヤーなのでルールに従うだけです」と言われるか、

「あなたもプロなら、もう少し勉強してから来てください」と笑われるだけだ。

佐野氏に説明を要求した記者は、これと同じことをしているのだ。

(「一般の人を納得させる説明」についての私案については、

 この連載の最後に触れたいと思う)

 

会見の翌日、ドビ氏は

「結果的に2つは極めて似ていて、どうやって創作したかではなく、結果が大事です」

とコメントしていると報じられた。

このコメントを見ても、

ドビ氏が「著作権侵害の3つの条件」を全く理解していないことが分かる。

 

この時点では、組織委はまだまだ盤石の構えだったのだ。

しかし、この会見で「勝負あった!」とはならなかった。

ドビ氏に続々と❝援軍❞が現れるのだ。

援軍の第一陣が、「サントリー・トートバッグ騒動」である。

次回は、この問題について見ていこう。

 

keiyoshizawa.hatenablog.com

迫る東京オリンピック!今こそ、あの「パクリ疑惑」のモヤモヤを解消する(2)

知的財産のメジャーどころを、ざっくり理解

前回の記事では、

東京オリンピックのエンブレムマークの❝パクリ疑惑❞が浮上したときに、

大会の組織委員会(以下、組織委)は正しい初期対応をしたことを説明した。

 

今回の記事を読めば、

知的財産と呼ばれるものの中でもメジャーな権利である

著作権」と「商標権」をざっくり理解できる。

そして、人にエラそう語るには十分なレベルになるだろう。

 

それでは、その後の展開を見ていきたい。

 

ドビ氏の反応 

組織委がコメントを発表した直後の8月1日、ドビ氏側からの書簡が到着する。

エンブレムの使用停止を求めたもので

「停止しない場合は、著作権侵害になる」と主張した内容だという。

 

ここで分かることが2つある。

1つは、組織委の主張とドビ氏の主張が全然噛み合っていない!ということ。

前回の記事にもある通り、

組織委は「国内外における商標調査を経た上で決定したものであり、

問題ないと考えています」と「商標権」について主張している。

しかし、一方のドビ氏は「商標権」ではなく「著作権」について主張しているのだ。

分かることのもう1つは、この時点ですでに、

ドビ氏の方が❝敗色濃厚❞で、コーナーに追い詰められているということである。

その理由を説明したい。

 

著作権と商標権

ここで簡単に、著作権と商標権について説明する。

 

まずは「著作権」について。

あなたが芸術家だったとしよう。

あなたは渾身の芸術的感性を込めて美しい風景画を描く。

そしてその作品を発表する。

素晴らしい絵画だったので、美術界で評判になる。

すると、その絵を真似て同じような絵を描いて売りさばく人や、

その絵を勝手に広告に使ってお金儲けする人が現れ始める。

それなのに、その絵画を生み出したあなたには1円も入ってこない・・。

 

こんなことが起きないよう、あなたの許可なく勝手に作品を使ってはダメです!

と言える権利が、「著作権」だ。

芸術家が自身の魂・個性を表現して創作した作品には「文化的な価値」があり、

それは保護するべきだという考え方がベースになっている。

 

一方で「商標権」とは何か。

あなたが飲料メーカーを経営しているとしよう。

あなたは試行錯誤を繰り返して、とても美味しいコーラを開発した。

このコーラを発売するにあたり、

他のコーラ(「コカ・コーラ」や「ペプシ・コーラ」)とは違うということをはっきりさせるため、

「ドリーム・コーラ」というネーミングにして売り出した。

ドリーム・コーラは消費者の間で「美味しい!」と評判になる。

ドリーム・コーラのファンが増えて、売上が伸びる。

すると、他の飲料メーカーまでもが自社の商品に「ドリーム・コーラ」という商品名を付けて発売するようになる。

そうなると、ドリーム・コーラのファンは間違えて他社の商品を買ってしまう。

あなたの会社の売上は下がり、

「ドリーム・コーラは美味しい」と信じたファンは「期待した商品と違う!」と

裏切られることになってしまう・・。

 

こんなことが起きないよう、あなたの許可なく勝手に商品名を使ってはダメです!

と言える権利が「商標権」である。

著作権と大きく違うのは、芸術家が魂をこめて創作した作品とは違い、

「ドリーム・コーラ」という言葉は、単なる「言葉」でしかないこと。

芸術作品のように、文化的な価値があるものではないということだ。

しかし、この単なる「言葉」が、消費者が商品を選ぶときの「目印」になっており、

メーカーと消費者の間の「信頼」をつなぐ「接続点」になっているのである。

この「信頼」こそ、社会における経済活動の基本なので価値があり、

保護すべきだという考え方がベースになっている。

しかし、「信頼」とは人々の心の中にあるもので、形のあるものではないので、

法律的に保護しづらい。

だから「信頼」の代わりに、「目印」になるものを保護しようという、

少し❝回りくどい❞制度が、商標権の制度なのである。

 

著作権と商標権の違い

このような根本的な考え方の差が、

著作権と商標権の様々な面で違いとして現れることになる。

 

著作権は、創作的で文化的なもの(絵画、小説、音楽、映画など)でないと保護しないが、

商標権は、単なる言葉やマーク(「プリウス」という言葉、リンゴの形のマークなど)でも保護する。

 

著作権が発生するは、その作品が生まれた、その瞬間だ。

作者が何もしなくても、権利は勝手に生まれてくる。

作品それ自体に価値があるからだ。

また、作品は作者の個性の表れたもので❝世界で一つだけのもの❞なので、

他人の権利と調整する必要がないからだ。

一方で商標権が発生するのは、

特許庁に出願され、審査を通過し、登録されたときである。

国に対して手続きをし、それが通過して初めて権利が認められるのである。

これは、単なる言葉やマークなのでそれ自体に価値は無いからだ。

そして、「ドリーム・コーラ」なんて言葉は誰でも思いつくものだ。

他人の商標とかぶってしまう可能性がある。

だから、調整のために国に届け出る必要があるのだ。

ちなみに、調整のルールはシンプルで、先に出願した人のもの。

つまり❝早いもの勝ち❞である。

 

もし著作権で守られている芸術作品と同じ物を、

その作品を全く見たことが無い人が偶然に作ってしまったら?

「そんなことは無い」というのが、著作権制度の前提である。

だって、人はそれぞれ違う個性を持ち、その個性を表現したものが作品なのだから、

1つとして同じものは無いはずでしょ?ということだ。

しかし、実際には同じようなものが出来てしまうことがある。

でもそれは、限られた❝レアケース❞に過ぎない。

それはそれで仕方のないことだから、

それぞれの作品をそれぞれに著作権で守りましょう。ということになっている。

(後で同じ作品を作った人も自由に使える。)

一方で商標権では、

他人が「ドリームという言葉を使いたい!」「リンゴの形を使いたい!」と

同じ言葉やマークを選んでしまうことは、レアケースではない。

当然に起こることだ。

だから、そのことを前提にして、

特許庁の登録が必要」、「先に出願した人のもの」といった制度が組み立てられてる。

 

以上をまとめると、こうなる。

 

著作権・・・・小説、美術、音楽、映画などを守る。

       自動的に権利が発生する。

       偶然似たものができちゃってもOK。

 

商標権・・・・言葉、マークなどを守る。

       国の審査をクリアしたら権利発生。

       似たものがあれば、先に届け出た人が優先。

 

ドビ氏の思考の軌跡

ここでもう一度、ドビ氏の主張に戻ろう。

ドビ氏側は「使用を停止しないと著作権侵害になる」と言っている。

 

あれ?

この主張に違和感はないだろうか?

東京オリンピックのエンブレムにしても、

ドビ氏が作ったリエージュ劇場のロゴデザインにしても、

いわゆる「マーク」なのである。

マークを守る権利は、著作権と商標権どちらだったか?

そうだ。商標権だ。

 

ドビ氏がマークの権利を主張したいなら、

まずは当然に「商標権」を主張すべきシーンなのだ。

商標権の方が裁判になったときも、制度になじむ主張なので勝利をつかみやすい。

しかしドビ氏側はそれをしなかった。

それはつまり、ドビ氏側が商標権を主張したくても出来なかったということだ。

組織委の反論コメントにあったように、

組織委は国内外(当然、ドビ氏のいるベルギーも含むだろう)の商標調査を済ませ、

問題なかったので今回のエンブレムに決定している。

おそらくドビ氏やリエージュ劇場は、

ロゴデザインについて商標をとる手続きはしていなかったのだろう。

 

ドビ氏の思考の流れを想像するとこうなる。

 

「あ!東京オリンピックのデザイン、俺が作ったのにそっくりだ!」

 ↓

「パクリだ!とっちめてやる!」

 ↓

弁護士に相談するが、手続きをしていなかったので商標権を主張できないと判明する。

 ↓

「うーん、くやしい。他に方法はないのか?」

 ↓

弁護士から、どうしても主張したいなら著作権だと教えてもらう。

 ↓

「よし!じゃあ著作権で訴えてやる!」

 

つまり、本来なら商標権を武器に戦うべきシーンで、

そもそも自分がその武器を持っていないことが判り、

仕方なく「代わりの武器」を手に取ったということだ。

しかも、その「代わりの武器」が何とも頼りないシロモノなのである。

例えていうなら、プログラミングの競技大会に出ておきながら、

コンピューターではなく間違えてソロバンを持ってきちゃった!というような。

ドビ氏は❝場違い❞な武器しか持っていなかったのだ。

 

この時点で、ドビ氏側は自分が起こした戦いにおいて、

すでにコーナーに追い詰められてたのである。

 

次回以降の記事では、なぜ著作権は、この戦いで頼りない武器にしかならいなのか?

そして、それなのになぜ❝大逆転❞が起き、組織委が❝負け❞ることになったのか?

について見ていきたい。

 

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