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「文化の盗用」が大流行!! 未来の議論を過去から予習する(4)

「文化の盗用だ!」とネット上で大炎上させる手法が流行っている。

しかしこれは、昔から続く議論の続きだ。

ネット上の浅はかな大騒ぎではなく、

フォークロア、つまり民族の文化をどう守っていくのか?」

という大きなテーマで国際政治の場で真剣に話し合われていたのだ。

 

この議論が最も盛り上がった2005~6年あたりの、

WIPO世界知的所有権機関。ワイポ)での議論に話を戻そう。

 

デッドロック

WIPOの事務局が❝たたき台❞として提出した文書は、

特許や著作権と同じような「権利」に基づく厳しい制度を作ることが

前提であるかのようになっていた。

 

途上国は大喜びでその案を支持した。

制度の「中身」の議論を進めようと次々と発言する。

「先住民の許可なく、その文化をマネできないようにしよう」

「お金を徴収する組織をしっかり整備しよう」

「この言葉は、もっと分かりやすく書き変えたほうがいいんじゃないか?」

「じゃあ、こうしよう」

次々と話が進んでいく。

 

しかし先進国はその議論に乗るわけにはいかない。

ツッコミを入れたい点はいっぱいあるが、

ツッコミを入れると議論が進んでしまう。

「まだ中身の話をする段階じゃない」

「そもそも何を目的にするのか?そこから話をしよう」

「強制力のあるルールじゃない方がいい」

そんな発言ばかりする。

 

全く議論はかみ合わない。

まるで「マイホームを買いたい妻と乗り気じゃない夫」の会話だ。

 

「ねえ、あなた。

 壁の色はピンクとグリーンどっちがいいかしら?

 私はピンクがいいと思うんだけど」

「まだ僕らに持ち家は早いんじゃないかな?」

「あなたもそう思う?

 じゃ、寝室はピンク、リビングはグリーンね!」

「そもそも家を買う意味あるのかな?

 賃貸でもいいんじゃないか?」

「あとは、床暖房をどの部屋に入れるかよね?

 あなたどう思う?」

「ローンを組んでしまうと、会社をやめられなくなるよ」

 

こんなコントのような会話が、

各国の優秀な代表団のあいだで繰り広げられた。

議論は全く進まず、デッドロックとなった。

 

途上国の優勢

途上国はあきらめなかった。

彼らの方が単純に国の数が多い。

WIPOで発言するチャンスは自然と途上国の方が多くなる。

途上国同士が団結して❝人海戦術❞をしかける。

ナイジェリアが

「法的拘束力のある枠組みが必要だ!」

と演説をぶつ。

すると間髪おかずにエジプト、チュニジア、ガーナ等のアフリカ諸国が

「ナイジェリアに賛成!」

「我が国も賛成!」

「進めよう!」

と応援する。

 

先進国が「反対!」と割って入るすきもない。

場内は賛成一色のような雰囲気になる。

 

その上、先進国であるオーストラリアやニュージーランドは国内に

大きな先住民グループがいる。

あからさまに反対もできずに黙りこんでしまう。

今までずっと反対を表明してきたEUも、

ほとんど発言しない。

 

場の空気は途上国が支配してしまった。

反対発言をする先進国は日本とアメリカだけだ。

応援もなく完全に孤立してしまった。

このまま途上国が押し切ってしまうのか・・・

 

日本の事前準備

実は、日本はWIPOの会議の前に

国内でじっくりとこのテーマについて考えてきていた。

日本は世界有数の「文化大国」であり、

この問題は非常に大切だと理解していたのだ。

 

文化庁の会議で「3つの視点」をまとめていた。

 

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フォークロアをなぜ守るのか?

3つの視点から考えられる。

 

第1の視点は、「お金」だ。

フォークロアを使って金儲けしたのなら、

 それを伝承していた人たちに分け前があるべきでは?」

という考え方。

 

第2の視点は「尊厳」だ。

「民族にとって大切な伝承文化が汚された!

 我々の尊厳がおかされた!

 そう感じさせないようにすべきでは?」

という考え方。

 

第3の視点は「継承」だ。

「このまま放っておくと、グローバル化、資本主義化の中で

 文化を受け継ぐ人がいなくなる。

 何とか次の世代にバトンタッチできるようにすべきでは?」

という考え方。

 

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フォークロアについては色んな人が色んな意見を言っていたが、

それを「お金」「尊厳」「継承」の3つの視点にまとめている。

シンプルで分かりやすい論点整理だと思う。

その上で、こう結論づけている。

 

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「お金」の視点については、

すでに著作権という制度がある。

これ以上新しい制度を作ることには反対。

そもそも著作権

「新たな作品を作った人に期間限定で権利を与える。

 期間が切れたら作品は「みんなのもの」になる」

という考え方だ。

大昔に作られ、すでに「みんなのもの」になっているはずの

フォークロアに権利を与えてしまうことは、

著作権の思想と根本的にぶつかってしまう。

 

「尊厳」の視点については、

「制度」というよりは「モラル」の問題。

ルール化するのに馴染まないが、

今後の議論の流れ次第で、具体的に検討する可能性はある。

 

「継承」の視点については、

その国の「文化財」として保護する話。

それぞれの国に合わせた形で保護すれば良い。

(日本の「人間国宝」「重要文化財」のように。)

国際的なルールにする話ではない。

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つまり、「尊厳」については少しは考えるけど、

それ以外は反対だよ。ということだ。

 

別に日本が文化の保護に消極的というわけじゃない。

むしろ逆だ。

日本が文化を大事にしているからこそ、

フォークロア問題を真剣にとらえ、

まっとうな結論にたどり着いているのだ。

 

それだけにとどまらない。

日本はさらに踏み込んだ。

フォークロアを守る制度をつくると、

 逆にフォークロアが滅びちゃうんじゃないか?」

という考え方をしているのだ。

 

日本がWIPOに事前に提出したコメントの中で

以下のように言っている。

 

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歴史上、文化というものは異なる文化圏がお互いの文化的表現をほとんどの場合に相手方の了承に基づくことなくして拝借し合い、それに独自の表現を付け加えていくことによって発展してきている。フォークロアについて新たな財産的権利を創設することは、このような文化の自由な交流や相互啓発による発展を妨げる可能性があり、慎重に検討する必要がある。

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まさにこういうことだ。

「文化っていうのは、お互いにマネし、

 マネされ続けてきたからこそ、進化したんだよ!

 マネすることを禁止したら、文化がダメになっちゃうじゃん!」

 

これは、本質を突いた議論だ。

「文化」とは、煎じ詰めると「マネされ続けてきたもの」のことだ。

 

子供が親の口ずさんだ歌を思い出して歌う。

となり村の祭りの一部を拝借して踊る。

競合他社のコンテンツを参考にアニメ制作する。

これが文化だ。

 

逆に、マネされなかったものは、

「文化」として生き残れない。

 

「マネ」は文化そのものに埋め込まれている本質なのだ。

 

日本は事前にここまで考え抜いていた。

 

日本の起死回生

途上国が押しに押しまくるWIPOの議論。

先進国が次々と戦線から離脱していく中、

日本は一歩も引かなかった。

 

「「先住民への配慮」を見せておかないと、

 国際的に非難されちゃうんじゃないか」

そう心配する人も多い中で、

日本は空気を読まなかった。

正論を言った。

真正面からルール化に反対した。

日本の立場から、堂々と文化を語った。

 

「日本は古くは中国から文化を借用し、(中略)近代以降は逆に日本文化が西洋に影響を与えたことも多い。これら借用はほとんどの場合、事前同意手続などなかったが、双方に有益なものであったと考える」

 

途上国が押し切ろうとしたときも、こう演説した。

 

「議論を前に進めるための方法は、(中略)ストレートに問題の核心についての議論を始めることである。」

 

「①我々が議論すべきフォークロアの定義とスコープは何か。②我々が解決すべき真の問題とは何であり、そのどの部分が知的財産権の問題なのか。(中略)我々は、このようなステップバイステップの「基本的事項優先アプローチ」こそが、議論を前に進めると信じる。各国の協力的な理解を求める」

 

日本の演説に、すかさずアメリカが「賛成!」と発言する。

あまりにも正論だったので、途上国も無視できない。

 

日本が流れをググっと引き戻した。

 

最終的には

「具体的な制度の話に入る前に、根本的な論点を解決しよう」

ということになった。

 

日本がしっかり深く考えていたからこそ、

最後まで負けない議論ができたのだ。

 

日本の特性

国際政治の場で、

うまく立ち回るのが苦手と言われることの多い日本だが、

このときは輝いた。

 

日本が昔から文化を大事にする国だったという理由もあるだろう。

 

それ以外の理由として大きいのは、

日本では先住民や少数民族の問題が、

他国と比べてそれほど大きく表面化していないということも

あると思う。

 

大臣が「日本は単一民族の国」と、

あっけらかんと言っちゃえる程度なのだ。

 

●麻生財務相、「単一民族」発言訂正 アイヌ新法と矛盾指摘も

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020011400584&g=pol

 

だからこそ、

オーストラリアのように国内の先住民に気をつかうこともなく、

真正面から反対意見を言えたのだ。

 

もちろん、日本に「民族問題」が全くないわけではない。

今後のアイヌ琉球などとの関わり合いの中で、

大きな問題として表面化していく可能性もある。

そのときは、日本もWIPOで何も言えなくなるかもしれない。

 

「文化の盗用」問題について

2006年の日本の演説の後、フォークロアの保護をめぐる議論は、

いまいち盛り上がっていない。

フォークロアとは?」「守るべきコミュニティとは?」

というような、前回の記事で挙げたような論点について、

いつまでたっても結論が出せないからだ。

 

一時は「新しい権利が生まれるのでは?」と思われたが、

フォークロアを権利化する議論は下火になってしまった。

 

それが今になって、

同じテーマがネット上で盛り上がっている。

「文化の盗用だ!」という炎上騒ぎだ。

 

私に言わせると、この騒動は極めて幼稚で未熟だ。

 

ずっと前から深く考えられ、それでも結論が出なかった問題なのに、

表面的に似たものを見つけては「盗用だ!」と

感情的に騒いでいるだけだ。

過去から学んでほしいと思う。

 

いずれは、(日本のように)真正面から反論する人が出てくるだろう。

「文化の盗用っていうけど、

 具体的にはどの部分があなたの文化なの?

 それは本当にあなたの文化なの?

 不正な使用だと断言できるの?

 あなたは文化の盗用をせずに生きているの?」

「盗用されるからこそ、文化なんじゃないの?」

 

今さわいでる人では、

この反論に対してまともに答えることも出来ないだろうが、

少しずつ議論は成熟していくと思う。

 

そして、最終的には「答えは出せない」ということになる。

WIPOでの議論がそうだったように。

 

切り口

政治的、経済的、文化的に

マイノリティ(少数派)や弱者側にいる人にとっては、

「この社会の何かがおかしい。

 うまく言えないけど、どこかに不正がある」

という感覚を持つことはあると思う。

 

その感覚は正しいかもしれない。

間違っているかもしれない。

マジョリティ(多数派)や強者側にいる人も

無視してはいけない問題だ。

 

ただ、その問題を解決するための糸口というか、

とっかかりとして、「文化」を持ち出すのは良い作戦とは言えない。

筋の悪い戦略だ。

 

そんな曖昧でお互いにマネし合っているものを「武器」にしようとしても、

使い物にならないからだ。

 

「文化」以外の切り口を、我々みんなで見つけていくしかないと思う。

 

「文化の盗用!」という言葉を聞いても、冷静に対応しよう。

 

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WIPOでの議論の流れについては、

以下の資料を大いに参考にさせていただきました。

 

『コピライト』

2004.5.「伝統的文化表現の保護とこれからー第6回政府間委員会を終えてー」伊佐進一2005.3.「伝統的文化表現の保護をめぐる議論ー第7回政府間委員会を終えてー」伊佐進一

2005.9.「第8回知的財産と遺伝資源、伝統的知識及びフォークロアに関する政府間委員会の概要ー事務局提示案の解説と議論の今後ー」伊佐進一

2007.5.「フォークロア等の保護に関するWIPO政府間委員会(IGC)第9回第10回会合の概要及びフォークロア問題の今後の展望について」藤井宏一郎氏

 

深く感謝申し上げます。

ここで述べた私の意見は私自身のものであり、

間違いがあったとしても上記資料の著者に責任は一切ありません。

 

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https://twitter.com/Kei_Yoshizawa_t

 

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