マネー、著作権、愛

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追悼。 京都アニメーションの皆様。

京都アニメーションで34人の方が殺された。

(追記:36人になってしまいました)

負傷した方も30人以上いる。

 

彼らは東京でなくても素晴らしいアニメが制作できることを

証明し続けていた。

なぜこんな酷い目に合わなければいけなかったのだろう。

 

放火殺人の容疑者は

「パクりやがって」

「小説を盗まれた」

などと言っているという。

 

今回の事件について、

このブログのテーマに合った論点はいくつもある。

・(おそらく無いと思うが万が一)

 容疑者が本当に小説を書いていたとして、

 「パクリ」と言えるほどに似ていたのか?

・(おそらく無いと思うが万が一)

 もしその小説を❝商売っ気のある❞出版社が出版するとしたら?

 その行為は許されるのか?

 ピエール瀧氏がコカインの使用で逮捕されたときに

 「作品に罪はない。映画は公開されるべきだ」

 と主張していた人は、今回も同じことを言うのか?

 それとも違う理屈を主張するべきなのか?

著作権は今のままでいいのか?

 相手に不満がある人にとって「パクられた!」という主張は、

 非常にとっつきやすい理屈になってしまっている。

 過激な行動に(少なくとも本人にとっての)大義名分を与えかねない。

 もちろん、どんな理由があっても殺人が許されるわけはないが。

 

いろいろと検討すべきことは多いが、

今は考えたくない。

 

 

京都アニメーションの方々は、

どんな思いでアニメーションを制作していたのだろう?

 

 

以前、東京のアニメ制作会社の人たちと

仕事で深くかかわっていた時期がある。

 

彼らはいつも寝不足だった。

「昨日も帰ってない」と言いながら、

首にタオルをまきサンダルがけで制作スタジオ内を歩き回っていた。

いつも締め切りに追われていたが、

打ち合わせでは常に真剣だった。

 

どのエンタメ業界にも❝スレた❞人はいるものだが、

アニメ業界にだけは、そんな人が見当たらなかった。

本当に一人もいなかった。

彼らはいつも純粋にアニメ制作に打ち込んでいた。

 

私は彼らがうらやましかった。

 

彼らとの打ち合わせが終わった後の帰り道、

自分が高校3年生だったのときのことを思いだしていた。

 

私の通っていた高校は、運動会が異様な盛り上がりを見せる校風だった。

優等生も不良も、みんなが運動会にだけは夢中になっていた。

夏の間中、放課後に生徒全員があつまって

汗だくになりながら「応援合戦」の練習をしていた。

 

当時の私は絵を描くのが得意だった。

観戦用の座席の後ろに掲げる巨大な「バックパネル」に

絵を描くチームのリーダーに選ばれた。

絵の出来栄えが、応援合戦の勝敗を左右することもある。

リーダーは大役だった。

 

放課後おそくまで残って数十枚のベニヤ板に絵を描いた。

秋になり運動会の日は近づくが、なかなか作業は進まない。

それでも私は楽しかった。

自分の頭の中にあるビジョンが、

チームの協力をえて少しずつ形になっていく。

完成に向けて進んでいるのが、目に見えてわかる。

 

チーム一丸となってモノづくりに打ち込むって、

こんなにも楽しいことだったのか!!

 

締め切りが近づいてきた。

私たちは夜中に学校に忍び込み、作業を続けた。

リポビタンDを飲みながら徹夜をするなんて、大人になった気分だった。

あの夜、立ち入り禁止の校舎の屋上でみた空の星は、

人生でダントツに輝いていた。

 

 

それから十数年後に出会ったアニメ制作会社の人たちからは、

懐かしい「高校3年の秋の匂い」がしていた。

私は彼らが大好きだった。

 

 

 

とりとめのない文章で恐縮です。

 

 

京都アニメーションで亡くなった方々が、どんな人だったのか。

毎日どんな思いでアニメを作っていたのか。

炎と煙にのまれながら、何を思っていたのか。

ただ、想像するしかない。

 

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、

負傷された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

一日も早い回復をお祈りいたします。

 


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