『オシムの言葉』
『オシムの言葉』は
ノンフィクション・ライターの木村元彦氏の書いた本だ。
世界的なサッカー指導者であるイビツァ・オシム氏の
「名言」を中心に据えながら、
・サッカー界における偉大な業績
・多くの選手に愛される人柄
・祖国ユーゴスラビアの崩壊による苦悩
・脳梗塞からの奇跡の復活
などを丁寧に描いている。
オシム氏は日本でも
ジェフユナイテッド市原や日本代表の監督を務めていた超有名人だし、
この本も話題になっていたので、あなたも読んでいるかもしれない。
彼の言葉には、不思議な魅力がある。
本の中で紹介されているものをいくつか挙げよう。
「今のジェフは上位にいけるチームではないし、それを把握しながら戦っていくことが大事だ。本当に強いチームというのは、夢を見るのではなく、できることをやるものだ」
「サッカーとは危険を冒さないといけないスポーツ。それがなければ例えば塩とコショウのないスープになってしまう」
「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は、選手に『走って、走って、走れ』と言っている」
「皆さんも新聞を読む時に行と行との間、書かれていない部分を読もうとするでしょう?サッカーのゲームもそのような気持ちで見て欲しい」
「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか?要は準備が足らないのです」
どの言葉も聞いた瞬間に
「あ、なんか凄く深いことを言っている」
という気持ちになる。
でも、あらためて一つ一つの言葉を眺めてみると、
そんなに目新しいことや特別なことを言っているわけではない。
それでも、何だか心に残る。
その言葉の奥にある本当の意図や、
言葉を生み出した彼の人生観までも知りたくなる。
オシムの言葉は、深そうで、浅そうで、すごく深い。
『ブラック・スワン』
『オシムの言葉』を読んだとき、不思議な感覚にとらわれた。
「あ、なんか、こういう言葉を発する人、
もう一人知っている気がする・・」
記憶をたどったところ、一冊の本が思い当たった。
それがこの本だ。
『ブラック・スワン ー 不確実性とリスクの本質』
著者はレバノン出身のナシーム・ニコラス・タレブ氏。
金融トレーダー、エッセイスト、研究者など多彩な顔を持つ人物だ。
この本の内容を一言で説明するのは難しい。
金融理論や統計学の常識を批判し、
人間の脳が持つ厄介なクセを解説し、
哲学的な命題も取り扱う。
ジャンル分けが不可能な本になっている。
(本屋さんがどの棚に置けばいいか困る!)
メインテーマは「黒い白鳥」だ。
想定外の出来事で、とても大きな衝撃があり、
それなのに後付けの説明ならできてしまうもの。
(例:9.11のテロ。市場の大暴落など)
著者はこれを黒い白鳥と呼ぶ。
世界が複雑に結びつき始めた現代。
黒い白鳥はより頻繁に現れるようになり、
その影響はより大きくなっている。
我々はどのように黒い白鳥と付き合い、生きていけば良いのか?
その考え方を説いている。
金融商品などに投資している人には特に参考になる。
(お世話になりました。)
投資に興味がない人にもお勧めだ。
一読しただけでは何が言いたいのか分かりにくいが、
読み進めるうちに少しずつ世界の見え方が変化していく。
ナシーム氏のいう「果ての国」(まぐれが支配する世界)へと、
誘われていく。
自分の考えが浅はかだったことを思い知らされる。
数年おきに読んでみたくなる本だ。
ナシームの言葉
『ブラック・スワン』の著者・ナシーム氏の文章をいくつか挙げてみよう。
「フランス人は歴史からよく学ぶ人たちだ。ただ、おうむ返しに学びすぎる。彼らは現実的すぎて、同時に、自分たちの身の安全ばかりを気にしているのである。
私たちは、
「友だちの性格や道徳観や品格を知りたかったら、見ないといけないのはその人が厳しい環境でどうするかであって、ばら色の光に包まれた普通の日常生活でどうするかではない。犯罪者の危なさを見極めようというとき、
「今度火星人が地球にやってきたら、母親の腹の中にいる子どもを堕ろすのは賛成なのに死刑には反対する人がいるのはどうしてか説明してみればいい。中絶を認める人が高い税金には賛成し、軍備の拡大には反対するのはなぜか、でもいい。フリー・セックスが大好きな人が、どうして個人の経済活動の自由には反対するんだろう?」
「私たちは、後ろを振り返るときには優れた性能を発揮する機械だ。人間は自分をだますのがとてもうまい。」
どの言葉も、なんか、深いこと言っている気がする。
でも、言っていることの一つ一つは、そんなに凄くもない。
それでも、心にひっかる。残る。
その思考の奥をのぞいてみたくなる。
オシムの言葉とナシームの言葉は、似ている。
言葉から感じられる肌ざわりが非常に近い。
この感覚を共有してもらえると嬉しい。
共通点
なぜ二人の言葉は似ているんだろう?
オシムとナシーム。
その共通点は多い。
2人とも数学が得意だ。
高度な数式を駆使するトレーダーのナシームが数学に強いのは当然だが、
オシムも負けてはいない。
大学では数学を専攻しており、
なろうと思えば数学の教授になることもできた。
彼らはサッカー、金融、それぞれの分野で
緻密に数字で練り上げた戦略を駆使することで成果を上げてきた。
2人は型にはまった思考を嫌う。
オシムは「4-4-2」や「3-5-2」など、
選手の配置を決めるシステム論について語ることを嫌がる。
「選手の個性を活かすシステムでなければ意味がない」と言い切る。
状況に応じた戦術を自在に繰り出した上で、
選手が自分の頭で考えたプレーをすることを求める。
ナシームも金融アナリストが偉そうに語る誰かの受け売りの解説や、
ノーベル賞を受賞した経済理論に頼ることを嫌悪する。
独学でオリジナルの研究をすることの素晴らしさを訴える。
2人はお金に執着しない。
オシムはヨーロッパの名だたるビッグクラブから
監督就任へのオファーを受けているが、全て断っている。
そして、ギャラの安いクラブの育成に力を入れる。
ナシームは市場の大暴落を狙った戦略を的中させ、
業界の有名人になった。
その知名度を利用してさらに稼ぐこともできたはずだが、
トレーディングよりも自身の研究に力を入れることを選んでいる。
他にも共通点はたくさんある。
2人ともリスクを取ることを恐れない。
(オシムの戦術や生き様、ナシームの研究対象そのもの。)
2人ともユーモアが好きだ。
(笑いを誘う言葉の数々については、本を読んで確かめてほしい。)
2人ともユーモアの裏側に熱い気持ちを隠している。
(これも、本を読めばわかる!)
内戦
多くの共通点があるが、やはり一番大きいのは、
それぞれの祖国が凄惨な内戦に突入し、苦しんだ経験を持つことだろう。
5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つと歌われた
モザイク国家だ。(実際には、もっと複雑)
オシムが若い時には、
みんなが仲良くお互いを尊重して暮らしていた。
違いを意識せず入り混じって生きていた。
当然、ユーゴスラビアのサッカー代表チームにも、
さまざまな民族、地域から優れた選手が集められていた。
しかし政治的な緊張が高まり、
それぞれの地域やグループが対立しあうようになっていく。
そして、殺し合いになった。
昨日までの友人同士が銃を向け合うようになった。
爆撃、難民、虐殺・・・・多くの悲劇を生みながら、
国家は解体され、崩壊した。
紛争が勃発したまさにその時に代表チームを率いていたオシムは、
国内の憎しみの連鎖の影響をモロに受けた。
民族対立をあおるマスコミは
「わが民族出身の〇〇を出場させるべきだ!」
と書き立てる。
そんな記者に対してヘタに選手の評価を語るわけないはいかない。
自分の発言かきっかけになって、どんな暴動が起きるか分からない。
政治的に大きな圧力がかかる中でも、
彼は純粋にサッカーに勝つためだけに選手の起用を決断しつづけた。
それでも選手たちは、
それぞれのやむにやまれぬ事情でチームを去っていく・・。
こんな経験をしたオシムだからこそ、
自分の発する言葉に慎重になったのだろう。
本人もそう言っている。
「今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ」
「だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ」
一方のナシームは若いころに内戦を経験している。
レバノンは多くの文化と宗教が複雑に入り乱れていたが、
平和に共存し、繁栄していた。
お互いに礼儀正しく寛容に暮らしていた。
しかし、キリスト教徒とイスラム教徒が激しい殺し合いを始めた。
そこへパレスティナ難民も加わった。
笑顔にあふれる天国が、血みどろの地獄に変わった。
内戦は15年つづいた。
ティーンエイジャーのときに友人の葬式に何度も出席した
ナシーム自身は自分の体験について多くを語らない。
しかし、言葉で表現することが出来ないような思いを抱えて
毎日を過ごしていたはずだ。
彼の思想や言葉に大きな影響を与えているのは間違いない。
隣人同士が殺し合う。
その様子を目の前でみてきたからこそ、
自分の発する言葉の影響を考える。
身の回りの大切な人、直接は知らないけど守りたい人、
彼らに悪い影響はないか?
優しい彼らは
言いたいことをズバリとそのままは言えない。
しかし言うべきことは絶対にある。
真実に近いことを例え話やユーモアを使って伝える。
こんな風にして、彼らの言葉は紡ぎ出されているのだ。
2人のお叱り
内戦を経験したから、2人の言葉には同じような深みがある。
私はそう考えているが、
そんな短絡的なことを言うと彼らから叱られそうだ。
ナシームからはこう言われるだろう。
「君の目には、
内戦を経験したのに深みのないことを言う人の姿が見えないらしい。
多くの人間は単純化した理屈を信じたがるが、
現実の世界はもっと複雑だ。
君みたいな奴のシャツの中にネズミを放り込んでやりたい!」
オシムからは静かに諭されるだろう。
「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが・・・。
ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言った方がいいだろう。
そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。
そういう戦争が・・・」
(実際のオシムの言葉)
オシムの言葉を聞くとき、ナシームの本を読むとき、
彼らの心の声が聞こえてくる。
「考えろ!考えろ!
表面的な理解に満足するな!
安易な単純化に飛びつくな!
もっと考えろ!」
彼らはいつもそう言っている。
関連本
『オシムの言葉』は、
木村氏が書いた「ユーゴサッカー3部作」の3作目だ。
気になった人は、1作目から順に読んでいっても良いかもしれない。
1作目は『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』。
そして2作目は『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』。
ユーゴスラビアのサッカー界全体と内戦の状況を、
木村氏が自分の足を使いまくって取材した力作だ。
情報量が多いので、まずは1作目の方を読んでからの方が理解しやすい。
投資が好きな人には、このあたりの本が定番だろう。
これらを読んだうえで、あらためて『ブラック・スワン』を読むと、
その際立ったユニークさが更に理解できる。
夏は日陰で涼みながら、たっぷりと読書を楽しもう!
https://twitter.com/Kei_Yoshizawa_t