マネー、著作権、愛

創作、学習、書評など

人口知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(5)

 

今回の連載では、AIを入口にして

色んな方向へ考えを進めてきた。

 

・作家やアーティストは、AIに仕事を奪われるのか?

・AIの活躍する時代に、コンテンツの長さはどうあるべきか?

・そもそも著作物とは何か?

 

今日は、これらの話題の中で掘り下げられなかったテーマや

関連する小ネタをとりあげようと思う。

 

AIが作曲

・AIが活躍しやすい分野は、作曲。

・AIの生成した音楽を人間の作曲家が活用できる。

 

連載の中で、私は上記のようなことを予想していた。

すると、6日前に本当にそんな内容の記事が出てきた。

 

●【音楽の未来】AIとのコラボで生まれる創造性に満ちた音楽の世界

https://newspicks.com/news/3664960/body/

 

タリン・サザンというアーティストが、

世界で初めてAIで作曲・編曲されたアルバムをリリースしたそうだ。

記事によれば、

AIが作った作品をサザン氏がアレンジ・編集し、

まとまりのある曲に仕上げたという。

 

やはり、音楽の「部品」を提供するという役割なら、

AIが活躍することは十分に出来るようだ。

今後も、サザン氏に続くクリエイターは増えるに違いない。

 

でも、このテのニュースを目にする機会は少しずつ減っていくだろう。

AIが使われなくなるからではない。

その逆だ。

AIが使われることが珍しくなくなっていき、

ニュースとしての価値を失うからだ。

 

本当はAIに頼っていても、そのことを隠すクリエイターもいるだろう。

「全てを自分の頭から生み出すこと」と、

「AIを自在に操って効率的に作品を生み出すこと」のあいだに

価値の差があるのか?

といった議論も起きるかもしれない。

 

(食品の世界では似たような議論が既にある。

 物質としては全く同じものでも、

 「天然由来成分」と「化学的に合成された成分」には、

 違いがあると主張する人も多いし、

 「天然由来」を売りにした商品、それを欲しがる消費者も多い。)

 

AI作曲については、今後も注目していこう。

 

 音楽の長さと著作権

「どのくらいの長さの文章なら著作権が発生するのか?」については、

連載の中で詳しく解説した。

 

では、文章ではなく音楽なら?

メロディが何秒以上なら著作物といえるのだろうか?

 

「4小節までなら大丈夫(つまり、著作権は無い)」

といった「常識」を、昔はよく聞いた。

もちろん、これは俗説にすぎない。

4小節以内の音楽でも著作権がある可能性は高い。

 

RPGゲームの傑作『ドラゴンクエスト』の音楽で有名な

すぎやまこういち氏は、

あの、レベルアップの曲(♪パカパカパンパンパ~ン♪)にも

著作権が発生すると主張している。

 

●やさしい著作権のお話~すぎやまこういちを囲む会にて~

http://sugimania.com/says/backnumber1.html

 

しかし、ここまで短い曲の場合、

裁判になってみないと確かな結論は出せないだろう。

 

「著作物かどうか?」の判断基準は文章の場合と全く同じだ。

 

「思想又は感情」

「創作的」

「表現したもの」

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

この4つで判断するしかない。

 

そして「結局のところ、明確に判断できる基準はない」というのも、

文章と同じだ。

 

「自分の作った曲の一部のパーツが、人の曲の一部と似てしまっている!」

「世の中の全ての曲の短い「部分」までチェックするのは不可能!」

と心配になる作曲家がいるかもしれないが、

必要以上に怖がらなくても良いと思う。

 

「記念樹事件」という有名な裁判がある。

大物作曲家の小林亜星氏が、これまた大物作曲家の服部克久氏を

「パクリだ!」と言って訴えた事件だ。

 

●「音楽著作権侵害の判断手法について -『パクリ』と『侵害』の微妙な関係」

https://www.kottolaw.com/column/000051.html

 

この裁判では、

「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」とか、

「メロディーの音の72パーセントが同じ高さの音」のように、

「曲全体」を比べながら争った結果、小林氏がギリギリで勝利した。

 

曲のごく短い部分がたまたま似ている。という程度で、

著作権侵害になってしまう可能性は低いだろう。

(もちろん、意図的に部分的なパクリをやるのはダメ)

 

マンガで名作を読む

連載の中で、

「短いコンテンツが好まれるようになっている。

 有名な文学作品もマンガ等で短時間で読めるようになった」

という状況を紹介した。

 

記事の文脈の中では、少し否定的なニュアンスで書いたが、

私は文学をマンガで読むのも「全然アリ!」だと思う。


「名作の良さは文章じゃないと伝わらないよ」という人もいるが、

そういう人だって海外の有名作品は

日本語(もしくは英語)への翻訳作品で読んでいるはずだ。

作品をダイレクトに楽しんでいるわけではなく、

翻訳家のフィルターを通して味わっていることになる。

マンガという表現も、そうしたフィルターの一種だ。

マンガ家の理解を通じて文学作品の世界に飛び込んでみるのも、

アリだと思う。

 

以前の記事で書いたとおり、

文化というものは先人の作品に手を加え新しい作品を生み出し、

さらに次の世代の人が手を加えることを繰り返して発展してきた。

 

www.money-copyright-love.com

 

文学作品をマンガにすることも、文化の発展のプロセスの一部だ。

文学、マンガ、映画・・・色んなスタイルで自由に楽しめばいい。

マンガを読んで興味が湧いたら、

その元になった文学作品に挑戦してみるのも良いだろう。

それぞれの作品の違いを発見するのも楽しい。

 

 

ちなみに、有名作品をマンガにした『まんがで読破』というシリーズが

あるのをご存知だろうか?

 

このシリーズの一部が、

アマゾンのKindleで、なんと1冊10円でセールされている!

 

いつまでセール価格になっているかは分からないが、

「いつかは読みたかったあの名作」を手っ取り早く読破する良い機会だ。

気になっていた作品がないか、チェックしてみよう。

 

 

 

私にも、学生時代から何度か挑戦し、

結局は難しすぎて最後まで読めなかった本が何冊かある。

そのうちの1冊がカントの『純粋理性批判』だ。

今回のセールのおかげで、たったの30分、たったの10円で、

長年の夢がかなってしまった!

ありがとう!アマゾン!

 

 

 

 

 

「意味」の意味

今回の連載では、繰り返し以下のように主張した。

 

「AIは意味を理解しない。

 人間は作品に意味を込めるべきだ」

「意味のある作品を生み出していれば、大丈夫です!」

 

ところが、偉そうに言っていた筆者に対して

「意味って何?」という、鋭すぎる質問が飛んできた。

 

「意味」の意味とは?

 

めちゃくちゃ難しい!

哲学者なら、それだけで1冊の本が書ける。

神学者なら「神の意図です」と一言で答えてしまうかもしれない)

 

意味とは何か?は難問だが、

「人は何に対して「意味がある」と感じるのか?」

という視点でなら考えることが出来そうだ。

 

私の考える「意味」とは「物語」だ。

 

そして、「物語」とは「人の感情を動かす因果関係」のことだ。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントです。」

これは物語ではない。

ただのデータだ。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントです。

 この確率に従って、100万人の中から田中さんが当選しました。」

ここには因果関係があるが、感情が動かない。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントしかありません。

 田中さんは、当選を願って毎朝神社にお参りしました。

 すると、100万人の中から田中さんが当選しました。」

こうなってくると、感情が少し動く。

物語になってくる。

「意味」のある話のような気がしてくる。

 

AIには、神社と宝くじの因果関係を理解することは出来ないだろう。

だって、理論的には因果関係なんてあるはずが無いから。

でも、人間は「神社に行ったから宝くじが当たった」と感じてしまう。

 

素晴らしい文学、音楽、映画には、全て「物語」がある。

 

人間は、独自の感性で原因と結果のつながりを感じ取り、

それによって感情が動かされたときに、

「物語」を感じる。

「意味がある」と感じるのではないか・・?

 

今のところ、私に言えるのはこれぐらいだ。

 

ついつい因果関係を考えてしまう人間の特徴。

感情が動くものに価値があると感じてしまう人間の性質。

このあたりに、「意味」というものの本質が隠れている気がする。

 

最後に

今回の連載は、人工知能をテーマにしておきながら、

気が付けば「人間とは?」ということばかりを考えていた。

 

・人間は意味が理解できる。

・人間は意味を求める。

・人間にとって大切な文化・芸術とは。

 

AIという比較対象に照らし出されることで、

人間というものの姿がよりはっきりと見えてくる

 

江戸時代に日本で暮らしていた人々が、

幕末に外国人と接触することではじめて

「日本人とは?」と考え始めたようなものだ。

 

AIの出現によって、

我々はやっと「人間とは?」を考えるスタート地点に立ったのかもしれない。

 

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