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スパイダーマン VS モンキー・D・ルフィ 日米2大ヒーローの対決に完全決着!(1)

スパイダーマン VS モンキー・D・ルフィ

今回は、スパイダーマンと『ONE PIECE』のルフィ、

どちらが強いのか?について考えたい。

 

スパイダーマンは、

マーベル社のコミック『アメイジングスパイダーマン』から生まれた

キャラクターだ。

冴えない高校生だったピーター・パーカーが、

特殊なクモに噛まれることで超能力を手に入れる。

壁に貼りついたり手から飛び出るクモの糸を使ったりして、自由自在に動き回り、

悪者をやっつける。

1960年代に誕生して以来、何度もアニメ化、ドラマ化、映画化されている

超人気キャラクターだ。

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初期の『アメイジングスパイダーマン』のコミック表紙 ⒸMARVEL

 

一方で、モンキー・D・ルフィは、

集英社の少年ジャンプで連載中の『ONE PIECE』(作:尾田栄一郎)の

キャラクターだ。

海賊にあこがれる少年・ルフィは、

悪魔の実」を食べることで、全身伸び縮みするゴム人間なってしまう。

この能力をいかし、両手両足を自在に操り悪者をやっつけながら、

冒険の旅を続けている。

1997年の連載開始以来、

日本人なら誰もが知っている超人気キャラクターに成長した。

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ONE PIECE』(作:尾田栄一郎)第1巻

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コミック『ONE PIECE』より

 

アメリカと日本を代表するマンガ・ヒーロー。

どちらも、❝ビヨーン❞と伸びる力を使って

変幻自在に空間を移動する能力をもっている。

この2人、いったいどっちが強いんだろう・・?

日米のコミックファンなら、議論が尽きないテーマだろう。

 

しかし、この「夢の対決」の勝者はどちらか?という難問に対し、

答えは簡単に出る。

 

スパイダーマンの圧勝だ。

 

ファンにとっては悔しいだろうが、ルフィではどうやっても勝てない。

 

理由は2つある。

これからそれを説明したい。

 

勝敗の目線

スパイダーマン VS ルフィ。

すぐには決着がつかないだろう。

どちらも幅広いファンを持ち、

映像化やグッズ化など収益化の手段もたくさん持っている。

どちらか一方だけが力尽きるということは、簡単には起きそうにない。

 

しかし、10年後ならどうだろう?

スパイダーマンもルフィも、今と同じように❝元気❞だろうか・・?

30年後なら?

 

きっとスパイダーマンは元気だ。

でもルフィは、元気を失っているだろう・・。

 

このブログの読者なら、もうお分かりだと思うが、

2人の人気キャラを空想の中で殴り合わせて決着をつけさせよう!

という話をしているのではない。

2つのキャラクターは、どちらがビジネス的に強いのか?

という話をしたいのだ。

 

ビジネス的な観点でいうと、

・キャラクターの権利をちゃんと集約できているのか?

・キャラクターの権利を集約しているのは誰か?

という点が重要になる。

 

結論から言うと、それぞれ以下のようになる。

 

ルフィ

・権利は(当面は)集約できている。

・権利を集約しているのは、マンガ家の尾田栄一郎氏。

 

スパイダーマン

・権利は集約できている。

・権利を集約しているのは、マーベル社。

 

この違いによって、スパイダーマンとルフィの❝強さ❞に差が出るのだ。

 

まずは、

・権利の集約

・誰が権利をもつか

について、1つずつ解説しよう。

 

マンガキャラクターの権利を分解

マンガの著作権は、大まかにいって2つの著作権に分解できる。

1つは、マンガの「ストーリーやセリフ」についての著作権

もう1つは、マンガの「絵」についての著作権だ。

 

日本では「ストーリーやセリフ」と「絵」の両方を

1人のマンガ家が作っているケースが多い。

 

しかし、そうでない作品もけっこうある。

人気マンガ『DEATH NOTE』のストーリーやセリフは大場つぐみ氏が考えているが、

絵を描いているのは小畑健氏だ。

 

もしも、大場氏と小畑氏がケンカしたらどうなるだろう?

 

小畑氏が自分の描いた『DEATH NOTE』のキャラクター(例えば、死神のリューク)を

グッズ化したいと考え、

キャラクターの絵を新たに書き起こす。

そして、リュークの絵がプリントされたマグカップを売り出す。

でも大場氏には、これが気に食わないとしたら・・。

 

リュークはマグカップが似合うキャラじゃない!

 湯呑みにプリントするべきよ!」

と主張する。

カチンと来た小畑氏も反論する。

「あなたの作ったストーリーもセリフも一切使ってませんよ。

 あくまで、私が生み出したリュークの絵を使っているだけですよ。

 あなたにとやかく言われる筋合いはありません!」

大場氏も負けてはいない。

「私が考えたストーリー、キャラクター設定があったからこそ生まれたものでしょ?

 リュークは私の許可なく使えません!」

 

あくまで想像上のケンカだが、両者の主張どっちが正しいのだろうか?

著作権的には、すでに結論は出ている。

 

キャンディ・キャンディ事件」(最高裁平成13年10月25日)という

裁判があった。

人気少女マンガ『キャンディ・キャンディ』の権利について争われた裁判だ。

 

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キャンディ・キャンディ』の表紙絵

ストーリーを考える水木杏子氏と、絵を描くいがらしゆみこ氏が、

モメてしまったのだ。

いがらし氏の描いた主人公の絵を使ったグッズを販売したことに対し、

水木氏は

「私のストーリーから生まれたキャラクターは、

 私の許可なく使えません!」

と主張し、

いがらし氏は

「表紙絵は、ストーリーとは関係なく描いたもの。

 水木氏の許可はいらないはず!」

と主張した。

 

裁判所の出した結論は

「水木氏はマンガの原作者にあたるので、

 水木氏の許可なく勝手に絵を使うことはできません」

というものだった。

 

専門家からは

「いくらなんでも、水木氏の権利を広く認めすぎじゃないか?」

と批判の出ている裁判だが、最高裁が出しちゃった結論なんだから仕方ない。

 

結局2人がモメてしまったせいで、

キャンディ・キャンディ』は絶版になってしまった。

アニメ化もされた人気作品だったのだが、今ではそのアニメを見ることもできない。

ファンにとっては非常に残念な事態になってしまっている。

 

これを先ほどの『DEATH NOTE』の例に当てはめると、

ストーリーを考えた大場つぐみ氏の主張の方が正しいことになる。

 

つまり、マンガのキャラクターについては、

ストーリーやセリフを考えた人と、絵を描いた人の、

両方の意見が一致したときだけしか使えないということになる。

 

これは、キャラクタービジネスを考える上では非常に不安定な状態だ。

キャラクターグッズを売り出す人は、

常に「権利者の2人がモメることはないか?」と、

おびえながらビジネスを進めることになってしまう。

 

権利を1人に集約できていないと、ビジネス的には不利なのだ。

 

権利は個人のもの?会社のもの?

次に「誰が権利をもつのか?」について解説しよう。

 

 例えば新聞社に勤める記者が、事件を取材し記事を書いたとして、

その記事の著作権は誰のものになるだろう?

 

記者個人ではなく、新聞社のものになる。

 

日本には「職務著作」という考え方があり、

社員が会社の仕事として著作物を生み出した場合、

その会社のものとして発表する性質のものなら、権利者は会社になる。

 

アメリカにも似たようなルールがあり、

しかも日本より少し「会社のもの」として認められる範囲が広い。

 

個人と会社、どちらが著作権を持っている方がビジネス上有利だろうか?

 

会社が持っている方が有利なことが多い。

 

会社の法務部門やライセンス部門が、

専門的な知見からビジネス展開を考えることができる。

 

作家個人の「気に食わない!」などの感情に振り回されることなく、

(良くも悪くも)冷静にビジネス的観点で判断できる。

 

悪質な業者に権利侵害されても、組織的に対応できる。

 

作者個人が何らかの理由(事故、不祥事、スランプなど)で

作品を生み出せなくなっても、

会社という組織で作品を続けることができる。

(『るろうに剣心』は作者・和月伸宏氏が不祥事を起こしたせいで、

 使いづらい作品になってしまった。

 「和月氏の作品」ではなく「会社の作品」だったら、

 このようなことにはならなかっただろう。)

 

作者個人が亡くなってしまった後も、会社は残る。

会社が権利者になっていれば、

作者の遺族全員に著作権が相続され、権利がバラバラになってしまうこともない。

 

会社が権利を持つと不利な点も多少はあるが(「保護期間」など)、

全体的には有利なことの方が圧倒的に多いのだ。

 

ONE PIECE』について

ここまでの解説をまとめる。

 

キャラクターの「ビジネス的な強さ」を考えた場合、

・権利は1人に集約しておくべき。

・個人ではなく会社が権利を集約しておくべき。

ということだ。

 

この観点でみると、『ONE PIECE』はどうなっているだろう?

 

「 ストーリーやセリフ」も、「絵」も、

両方を尾田栄一郎氏が生み出しているので、

尾田氏1人に権利を集約できている。

 

しかし、その権利を持っているのは、尾田氏という「個人」だ。

(おそらくは、尾田氏の個人会社で管理していることになっていると思うが、

 実質的には「個人」の管理だ。)

 

今のところは、

出版社である集英社と連携しながらビジネス的な展開を組織的にできているだろう。

 

でも、将来は分からない。

尾田氏と集英社がモメてしまうかもしれない。

不吉なことを言って申し訳ないが、尾田氏個人に何かの問題が起き、

ONE PIECE』を続けることができなくなってしまうかもしれない。

遠い将来には、尾田氏の子どもや孫に権利がバラバラに相続されているかもしれない。

そのとき、モンキー・D・ルフィは「元気」でいられるのか?

キャンディ・キャンディのように、徐々にファンに忘れられていくのではないか?

非常に心配だ。

 

また、『ONE PIECE』が無事最終回まで描きあげられたとして、

その後はどうなるだろう?

グッズは販売され続けるだろうし、関連作品は制作され続けるかもしれないが、

❝尾田氏個人のもの❞であるルフィが、尾田氏自身によって❝引退❞させられた結果、

キャラクターの勢いは少しずつ失われていくだろう。

日本のコミックキャラクターは、ほとんどの場合そのような流れをたどる。

 

アメイジングスパイダーマン』について

一方で、スパイダーマンの方はどうだろう?

 

アメリカン・コミックの世界は、

日本では考えられないほどに「分業体制」が発達している。

 

ストーリーや脚本を作る「ライター」。

鉛筆で下書きをする「ペンシラー」。

下書きにインクでペン入れする「インカー」。

絵に色をぬる「カラリスト」。

(アメコミは、全ページカラーなのが普通)

文字や擬音語(「ゴゴゴゴ!」みたいな)を入れる「レタラー」。

これらの人の共同作業で作品を作り上げている。

 

そして、それぞれの「ペンシラー」や「インカー」なども、

1人でやっているのではなく、分業している。

 

ちなみに、先日惜しまれながら亡くなったスタン・リー氏は、

上記の「ライター」を主に担当していた。

本当に天才的なクリエイターで、

スパイダーマン」、「ハルク」、「X-MEN」、「アイアンマン」、

マイティ・ソー」、「アントマン」、「ファンタスティック・フォー」など、

多数の魅力的なキャラクターを生み出している。

冥福を祈りたい。

 

アメコミの世界では、 スタン・リー氏のような大天才でも、

1人で作品を生み出すわけではない。

多くのクリエイターとの共同作業でキャラクターを生み、活躍させている。

 

そして、彼らを集め、雇い、賃金を払い、作品を作らせているのは、

マーベル社のような出版社なのだ。

 

このような体制を作り、

上記で説明した「職務著作」という考え方を使うことで、

マーベル社という「会社」に権利を集約できている。

 

分業にすると権利者がたくさん生まれてしまい、

作品の権利がバラバラになってしまいそうなイメージがあるが、

その分業を徹底することで、かえって権利を集約できてしまっているのだ。

 

これは、キャラクターのビジネス展開を考える上では非常に有利だ。

 

クリエイターの1人に何か問題が起こったとしても、

作品を作り続けることができるからだ。

実際スタン・リー氏が亡くなった後でも、

マーベル社のキャラクターは元気に大活躍を続けている。

 次の世代のクリエイターが力を合わせて書きつないでいるからだ。

 

10年後、30年後であっても、スパイダーマンは大活躍し、

バリバリとお金を稼いでいるだろう。

 

(会社が色んなキャラクターの権利を集約してしまうことで、

 色んなキャラを総出演させる『アベンジャーズ』のような企画も

 やりやすいというメリットもある。)

 

(実は、スパイダーマンの権利については、

 その50年にもおよぶ歴史の中で何度かモメている。

 でも今回の記事の趣旨とはズレる話なので省略)

 

以上をまとめると、こうなる。

 

ルフィは作者個人に生み出され、個人が権利をもつ。

だから、その個人の状況に左右される不安定な存在だ。

 

スパイダーマンは、組織的に制作され、組織が権利をもつ。

だから、特定の個人に振り回されることもなく、常に「現役」でいられる。

 

これが、ルフィがスパイダーマンに勝てない理由の1つ目だ。

 

 

日米文化比較

一般的には、

アメリカ人は個人主義だが、日本人は組織に所属することを好む。

とよく言われる。

 

しかしマンガの権利の世界では、全く逆の現象が起きている。

 

アメリカのマンガは、組織に所属した多くの人が協力して作品を作り、

組織が権利者になる。

「キャラクターの権利は組織のもの」という文化が根付いている。

非常に「日本的」だ。

 

日本のマンガは、個人が作品を生み出し、個人が権利をもつことで、

有名作家になれば大金をつかめる。

まさにアメリカン・ドリーム!

非常に「アメリカ的」だ。

 

この不思議な違いがどういう経緯で生まれたのかは、よく分からない。

日本のマンガが成長し始めたときに、マンガの神様・手塚治虫氏が、

そのような体制を作ったことが原因かもしれない。

もしくは、日本人特有の「職人信仰」のようなものが原因かもしれない。

単に、日本の出版社と作家が明確な契約を結ばなかったせいで、

気づいたらそうなっていただけかもしれない。

 

いずれにせよ、この日米の文化の差によって、

日米のコミック・キャラクターの寿命に違いが生まれている。

 

スーパーマンバットマンスパイダーマン・・・

アメリカには、1930~60年代生まれの「ご長寿ヒーロー」が多い。

 

日本のマンガに、彼らに匹敵する長命のヒーローがいるだろうか?

全然いないのではないか?

(あえて挙げるなら、マンガ作品として生まれ、

 今は特撮ドラマの世界で生き続けている仮面ライダーぐらいか。

 それでも1970年代生まれだが。)

 

「マンガ大国・日本」で、この状況は悔しい。

 

2つ目の理由

最初に述べたとおり、スパイダーマンの方が強い理由は2つある。

 

1つ目の理由は「組織と個人の差」によるものだった。

2つ目の理由は、もっとシンプルな理由だ。

 

それは、

最初にあげたスパイダーマンとルフィの絵を見れば、一目瞭然の理由なのだ。

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ⒸMARVEL

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ONE PIECE』第1巻

 

次回は、そこを説明しよう。

 

その後に、アメコミの弱点や、

日本のヒーローコミックの素晴らしさと未来についても

語りたいと思う。

 

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