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NHKと講談社の対決 「本当の敗者」は誰だ?を突き止める(5)

より良い関係へ

前回までの記事では、ドラマを制作するにあたって、

出版社、放送局、作家がそれぞれの立場で考え行動した結果、

残念な結果になってしまうまでの過程を見てきた。

 

これじゃダメだ。

こんなことを続けていると、みんなが不幸になってしまう。

 

そこで今回は、三者がより良い関係になれる方法を

それぞれの立場から考えてみたい。

 

難しく考える必要はない。 

考え方は、いたってシンプルだ。

 

 出版社の戦略

今後、出版社はどうしていくべきだろう?

 

ここまでの連載で書いたとおり、出版社には権利がない。

権利を持たないままインターネット時代に突入するのは恐ろしい。

恐怖にかられ、ネットの浸透を少しでも遅らせるよう頑張ってみたり、

権利を持っている作家に近づき権利者のように振る舞うような行動をとってきた。

 

しかしそんなことを続けていても、

第二の『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件を起こしてしまうだけだ。

そのうち作家からも放送局からも相手にされなくなってしまい、

長い目でみると「本当の敗者」は出版社だった。ということになりかねない。

 

では、どうするべきか?

 

シンプルに考えよう。

 

出版社の「恐怖」を克服すれば良いのだ!

恐怖の原因が、権利を持っていないことなら、

権利を獲得してしまえば良い!

 

権利を持つ方法として、3つの方法を提案したい。

 

・権利を共有するパターン

・プロモーションを頑張るパターン

・制作工房になるパターン

 

1つずつ説明しよう。

 

権利を共有するパターン

編集者がよく言うセリフがこれだ。

「今回の作品については、とことん作家と話し合いました。

 テーマや登場人物について掘り下げ、2人で考え抜きました。

 作家と私の二人三脚で作り上げた作品です!」

 

これを受け、作家もこう言う。

「編集の〇〇さんがいなかったら、この作品は生まれていませんでした!」

 

これを聞いた私は思う。

「じゃあ、なんで作品の著作権は作家が独り占めしてるの??」

 

作家と編集者が本当にいっしょに作り上げた作品なら、

その作品の権利もいっしょに持つ。

これは、ごくごく普通の発想ではないだろうか。

 

昔なら、出版社は権利を持たなくても十分やっていけた。

ヒット作が出れば、紙の本を沢山印刷して売れば儲かったからだ。

「権利」ではなく、紙の本という「物」で商売が成り立っていた。

だから、出版社が作品づくりにどれだけ貢献していても、

その対価として権利を要求することは無かった。

 

しかし時代は変わった。

もし本当に編集者が作品づくりに深く関わり、

作家にとって無くてはならない働きをしたのなら、

その分の取り分をもらっても良いはずだ。

 

作家の権利を要求するなんて、

長年のやり方に慣れた人にとっては抵抗があるかもしれない。

でも作家の方だって、本当に編集者を必要と感じているのなら、

交渉に応じてくれるはずだ。

 

出版社が本来もっている

「作家の才能を見出す力」と「作家を育てる力」に自信を持とう。

そして、遠慮なんかせず腹を割って、

堂々と権利について作家と話をしよう。

 

作品が出来てからではなく、作り始める前に、

ちゃんと話し合って契約しておいた方が良いだろう。

(例えば、出来上がった作品の著作権を「作家:出版社=8:2」で持ち合う。

 のような条件を決めておく)

 

こうすれば、出版社は「本当の権利者」だ。

これからは放送局に対して

「出版社も権利者です!」などと無理に威張って見せる必要もなくなる。

作家を囲い込んで、外部の人に会わせまいと頑張る必要もなくなる。

肩の力が抜けたスムーズな交渉が進むようになるだろう。

 

こんなことを言うと、一部の人からは、

著作権の教科書には「作家が権利者で出版社は権利者ではない」と書いてある!」

という、ピントはずれの反論があるかもしれない。

 

それでも、やってみよう。

法律で決まっているルールであっても、

お互い納得していればルールに縛られる必要はない。

 

もちろん、出版社が作品づくりにちゃんと貢献することが大前提だ。

何の役にも立っていないのに、作家の権利を搾取(さくしゅ)するなんてことは、

やってはいけない。

 

ある意味、これまで以上に出版社の存在意義が問われることになる。

それでも、自分を信じてやってみよう。

きっと道はひらける。

 

プロモーションを頑張るパターン

次に紹介する方法は、プロモーションを頑張るパターンだ。

 

音楽出版社」という会社があるのをご存知だろうか?

音楽業界では昔からある業態の会社だ。

 

音楽を作る人は、作詞家・作曲家だ。

しかし彼らが曲を作るだけでは、誰の耳にも届かない。

ヒット曲にするためには、

才能ある歌手に歌ってもらったり、ラジオでたくさん流してもらったりして、

沢山の人に聞いてもらえるよう頑張る必要がある。

つまり、「プロモーション」が必要だ。

そのことが分かっている作詞家・作曲家は、

自分が作った音楽の著作権を、音楽出版社に譲ってしまうのだ。

 

音楽出版社は、プロモーションを頑張る。

あらゆる手段を使って、その曲が人々の耳に触れるよう努力する。

例えば、テレビ局のプロデューサーと交渉して、

ドラマの主題歌に使ってもらえるようにしたりする。

 

そして、その努力の代償として、しっかりお金も取る。

音楽著作権で儲かったお金の一部を、自分の取り分としてもらうのだ。

(例えば、儲けの50%だったり、33%だったりする。)

その残りを作詞家や作家曲に配分している。

 

これが、音楽出版社の仕事だ。

 

これと同じことを、出版社もやってみよう。

 

作家から作品の著作権を譲ってもらい、その作品のプロモーションを頑張るのだ。

テレビ局のプロデューサーに

「次のドラマの原作に使ってみませんか?

 その代わり、ドラマの視聴率を上げるために我々も最大限に協力しますから!

 サービスしますよ!!」

などと売り込みをかけても良いだろう。

(もしこんな関係が出来ていたら、

 NHK講談社の交渉は、全然ちがう流れになっていたはずだ)

 

紙の本を売るためだけに宣伝費を使うのではなく、

もっと多方面に展開しよう。

 

そして、プロモーションの貢献度にふさわしいお金を、堂々ともらおう。

 

作家にとっても、

出版社がこれまで以上に積極的にプロモーションしてくれるのは大歓迎だろう。

 

もちろん、プロモーションという名目で作家の権利を搾取するのは、

言うまでもなくダメだ。

 出版社がプロモーションを頑張ることが大前提になる。

 

実際には、先に挙げた「権利を共有するパターン」と

「プロモーションを頑張るパターン」は、組み合わせるのが現実的だろう。

 

出版社の果たす役割、つまり、

「作品を生み出すことへの貢献」と「作品をプロモーションすることへの貢献」を

はっきりと認識した上で作家と話し合い、

出版社の貢献に見合ったお金が手に入るように、

権利の持ち方を整理することが必要だ。

 

制作工房になるパターン

3つ目の方法は、制作工房になるパターンだ。

 

このパターンの場合、小説よりもマンガ作品の方がイメージしやすい。

 

マンガ『ONE PIECE』の作者は、尾田栄一郎氏だ。

彼は、作品を1人で書いているわけではない。

複数のアシスタントと一緒に書いている。

 

尾田氏とアシスタントは、全体として

「マンガ制作工房・尾田栄一郎」として仕事をしている。

 

尾田氏とアシスタントの契約がどんな形態になっているか詳しく知らないが、

おそらくは尾田氏の個人会社がアシスタントを雇っている。

正社員がいたり、アルバイトがいたりするのだろう。

そんなアシスタント達と尾田氏は、協力して『ONE PIECE』を書いている。

 

しかし、作者の名前として

「作:尾田栄一郎山田太郎・佐藤二郎・鈴木花子・・・」などと

アシスタントの名前が一緒になって表示されることはない。

あくまでも「作:尾田栄一郎」と表示される。

 

また、

作品の著作権

尾田氏とアシスタントが共同で持ち合うこともない。

権利者は尾田氏1人だ。

 

なぜこんなことになっているのか?

アシスタントがかわいそうではないのか・・?

 

尾田氏がストーリーを組み立て、主要な絵を描いているからだが、

それだけが理由ではない。

 

尾田氏が『ONE PIECE』の制作を企画し、自分のお財布から彼らに給料を払い、

作品を完成させる責任を背負っているからだ。

 

詳しくは別の記事で書きたいと思うが、著作権的に考えても、

尾田氏1人だけが権利者として扱われるのは、間違ったことではない。

 

この尾田氏と同じ立ち位置に、出版社も立てば良いのだ。

 

出版社が主体的に作品の企画を立てる。

この作品を制作するためのクリエイターを集める。(1人でもよい)

正社員という形でも、アルバイトという形でも、派遣社員という形でも良い。

彼らにはしっかりと契約内容を理解してもらい給料を支払う。

作品が完成するまで責任を負って面倒をみる。

そして「作:講談社」として発表する。

そうすることで「作家の作品」ではなく、

「出版社の作品」にしてしまうのだ。

 

作家個人ではなく、出版社が主体となった「制作工房」になるということだ。

これで、「正真正銘の権利者」になれる。

 

実際アメリカンコミックの出版社は、この方法で自らが権利者になっている。

(近いうちに、記事でとりあげたい)

 

以上、3つの方法を駆け足で紹介した。

どれも「権利がなくて恐いのなら、権利を持とう!」という

きわめて単純な発想に基づく戦略だ。

 

放送局のドラマ作り

次に、テレビ局の立場から考えたい。

 

テレビ局のプロデューサーは、

原作者が積極的にドラマ制作に関わることを、あまり歓迎しないことが多い。

 

原作者は自分の書いた小説にこだわりを持っていて、

内容を変えられてしまうのを嫌がる。

脚本家は映像のプロとして仕事をしているのに

原作者にケチをつけられていると感じてしまう。

そのことが分かっているから、

プロデューサーは脚本制作の打ち合わせに原作者を呼んだりしない。

原作者と脚本家がケンカになってしまっても困るからだ。

どちらがヘソを曲げてもドラマ制作が止まってしまう。

 

しかし、ここでも私の提案はシンプルだ。

 

もっとクリエイターを信じよう!

原作者だって、脚本家だって、少しでも良いものを作りたいと願っている。

彼らの熱い気持ちをぶつけ合えば、きっと「化学反応」が起きる。

顔を合わせて話し合おう。

原作者が作品に込めた思いを聞こう。

脚本家が原作をどう解釈したのか?それをどう脚本に表現したのか?

その狙いを伝えよう。

もちろん、監督にも参加してほしい。

そうすれば、新しい発想が生まれる。

もっと面白いドラマになる。

もし何も解決策が出てこなかったとしても、

顔をみて話し合っていれば、相手の情熱だけは分かる。

「あいつら、全然わかってない!」とお互いにストレスを溜めあい、

対立を深めるようなことにはならないはずだ。

 

楽観的すぎるだろうか?

しかし第二の『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件を起こさないためにも、

主要なクリエイターが腹をわって話し合うことは非常に重要だ。

私は、あくまでもクリエイター達の前向きな気持ちを信じている。

 

放送局のもう一つのドラマの作り方

テレビ局のプロデューサーには、あともう1つ提案したい。

 

プロデューサーが原作を読まない。ということだ。

 

ドラマ制作のスタッフの中で、

プロデューサーは「船長」としての役割をになっている。

船長は最も冷静でいなければならない。

そして、作品を視聴者と同じ目線で評価できないといけない。

「私はこの原作が大好きだ!この作品の世界観をドラマで表現したい!」と

熱くなりすぎると、

視聴者には伝わらない空回りした作品が出来上がってしまう。

 

だから、「あえて原作を読まない」という選択肢は、アリだと思うのだ。

原作を知らないからこそ、初めて脚本を読んだときに

「このセリフじゃ、原作を読んでいない視聴者には伝わらない」

「この表現にこだわる必要はないんじゃない?」

といった意見を適格に言えるようになる。

 

原作にのめり込み、「ぜひドラマ化させてください!」と原作者を口説き落とし、

その熱い思いで俳優やスタッフ全体を巻き込み、

素晴らしいドラマを作るタイプのプロデューサーも、もちろん必要だ。

 

しかし、それ以外のパターンの作り方も積極的に試してみてほしいと思うのだ。

もっともっと自由にドラマを作って良いと思う。

 

作家のあり方

作家も、どんどん外に出よう!

 

出版社に囲い込まれている時代ではない。

出版社の人が

「先生はゆっくりしていれば大丈夫です。

 面倒なことは全てお任せください」

と言ってきても、言うことを聞く必要はない。

積極的に、その「面倒なこと」に関わろう。

 

もしドラマ化の話があれば、打ち合わせに出席させてもらうべきだ。

出版社やテレビ局の人に最初は戸惑われてしまうかもしれない。

でも気にしなくて良い。

前向きに「私もドラマづくりに貢献したい!」という気持ちを伝えれば、

拒否する人はいないはずだ。

脚本家や監督など、自分と違う考え方をするクリエイターの意見を聞けば、

必ず作家自身にとっても勉強になる。

 

ドラえもん」の脚本を引き受けた辻村深月さんのように、

積極的に違うタイプの仕事もやってみよう。

映像化する上でのセオリーなど、

今までなかった視点から自分の作品を見ることができるようになる。

次の作品づくりにも生かせるだろう。

 

もし出版社から

「作品づくりやプロモーションに貢献するから、権利の一部を譲ってほしい」

と言われたら、ちゃんと話を聞こう。

契約内容についても、ややこしがらずにちゃんと聞こう。

本当に納得できたときだけ契約すれば良い。

 

もしテレビ局のプロデューサーから

「私はあなたの作品を読んだことがありません。

 でも、ドラマ化したいと思っています」

と言われても、

「失礼な!まずは作品を読んでから申し込むのがスジだろう!」

と怒ってはいけない。

色んなタイプのドラマ制作があって良いはずだ。

 

作家も、もっともっと自由になろう。

 

まとめ

今回の連載では『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件を題材に、

出版社、放送局、作家、それぞれの立場を解説した。

 

『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ化が散々にモメた末に裁判になり、

辻村氏にとって極めて残念な結果になってしまったのは、

結局のところ、

お互いが自分の立場に捉われて本音を言える場を作れなかったからだ。

 

今回の連載の結論はこうだ。

 

出版社も、放送局も、作家も、

もっともっと自信を持とう!

自由になろう!

そして、思っていることをぶつけ合おう!

 

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