マネー、著作権、愛

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ターミネーターの暴走を食い止めろ!

最強の敵が襲ってきた!

ハリウッドの超大物が、ついに動いた。

 

ターミネーター」、「エイリアン2」、「タイタニック」、「アバター」・・

数々の名作を世に送り出した、ジェームズ・キャメロン監督だ。

 

彼は、「日本のコミックに、自分の映画をパクられた!」と、

怒りを爆発させ、ついに裁判に踏み切った。

 

そのコミックは、彼の代表作「ターミネーター」と「ターミネーター2」に、

そっくりだと言う。

共通点は以下のように多数ある。

 

・ある日突然、未来からタイムトラベルをして来た精巧なロボットが現れる。

・そのロボットは、主人公の子孫が未来の悲惨な状況を変えるために

 送りこんだものだった。

・ロボットの持つ能力は圧倒的。

 力自慢の人間でも歯が立たない。

・ロボットの持つ未来の技術を利用しようとする人間も現れる。

・主人公とロボットの間には、不思議な友情が生まれる。

・主人公はロボットの存在に励まされ、困難に立ち向かう。

・最後に、ロボットとの悲しい別れがやってくる・・。

 

あなたは、この漫画をどう思うだろう?

「明らかにターミネーターのパクリだ!」と思うだろうか?

 

この漫画のタイトルは、

ドラえもん」だ。

 

のび太くんの孫の孫のセワシが、

ネコ型ロボット・ドラえもんを現代に送り込むことで、物語が始まる。

のび太が作った借金で子孫が苦しんでいる状況を変えるために送り込まれたのだ。

ドラえもんは、四次元ポケットから次々と便利な道具を取り出す。

いじめっ子のジャイアンも未来の道具には敵わない。

でもスネ夫は、その道具を自分のために使う方法を考え出す。

ドラえもんとの友情に力を得て、少しずつ成長するのび太

そして遂に、涙の別れがやってくる・・・。

 

確かに❝そっくり❞だ。

 

一方で、「ドラえもん」の作者の藤子不二雄氏も反論する。

「「ドラえもん」の連載開始は、「ターミネーター」の公開日より早い!

 パクったのは「ターミネーター」の方だ!」

 

キャメロン氏も負けてはいない。

「脚本はずっと昔に書き上げていた!

 映画にするのが遅れただけだ!

 証拠だってある!」

 

両者一歩も譲らない。

ターミネーターVSドラえもん

未来からやってきたロボット同士の戦い。

その最終決戦の舞台は、現代だ。

そう、今夜に・・・。

ターミネーターのオープニング風)

 

理解の基礎づくり

あなたもお気付きの通り、上記の話はフィクションだ。

 

以前の連載の中で、私はパクリかどうかを判断する方法を説明した。

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この記事の中で書いた、3つの条件は以下の通りだ。


1.そもそも自分の作品が「著作物」である。

2.相手が自分の作品を見た上で制作した。

3.自分の作品と相手の作品が似ている。

 

この全てを満たさないと、著作権侵害にはならない。

 

この記事に対して筆者のもとに

「〇〇の作品と△△の作品も似ているのでは?」

「◇◇の事件も騒がれてたけど、どうなの?」

といった声がいくつか寄せられた。

 

どれも、3つの条件によって判断できる事例だったのだが、

もう少し丁寧に説明した方が良さそうだ。

 

今回は、ストーリーもの(漫画、映画、小説など)を扱いながら、

3つの条件のベースとなる「3つの視点」を説明しておこう。

このブログの全ての記事の理解に役立つだろう。

 

 ターミネーターの暴走

 先ほどの「ターミネーターVSドラえもん」の例について、

これがパクリだというのは、いくら何でもおかしい!と、あなたも感じるだろう。

こんなものは、❝ターミネーターの暴走❞だ。

「どっちが先に作ったのか?」の論点は脇においておくとして、

この程度似ているだけで著作権侵害になってしまっては、たまらない。

 

でも、なぜそのように判断するのだろう?

似ているポイントが、あんなに沢山あったのに。

 

ドラえもんんのファンなら、正しく反論することができる。

 

ドラえもんはネコ型だけど、ターミネーターは人間タイプだ!」

ドラえもんは22世紀から来たけど、ターミネーターは21世紀製だ!」

ドラえもんには、他にも魅力的なキャラクターが沢山でてくる!

 ターミネーターに、ジャイ子のような子はいないだろう!」

「日本とアメリカで舞台設定が違う!」

ドラえもんは沢山の短編が集まってできた複合的なストーリーだ!

 2時間で完結する映画とは違う!」

「そもそもテーマが全然違う!」

 

他にも、「違う」と言えるポイントは無数に挙がってくるだろう。

彼らファンの主張は正しい。

つまり、

「似ているポイントだけじゃなく、似てないポイントも見よう」

ということ。

これが1つ目の視点だ。

 

「似ている!」「パクリだ!」と騒がれる事件の多くで、

この視点が欠けている。

 

似ている箇所だけに注目して熱くなるのではなく、

1歩後ろに引いてみて、作品の全体像を眺める。

「似ているの部分はどこで、似ていない部分はどこか?

 そして、その部分は作品全体でどんな位置を占めるのか?」

冷静に考えよう。

その上で、じっくり判断すべきなのだ。

 

戦いは大乱戦に

ターミネーターVSドラえもん」の❝悪ふざけ気味❞の設定の続きを、

もう少しだけ見てみよう。

 

アメリカと日本、それぞれの国を代表する偉大なクリエイター同士が、

お互いを「パクリだ!」と言い合い、火花を散らす中、

今度はイギリスから大作家が参戦する。

言わずと知れた「SF小説の父」H・G・ウェルズ氏だ。

既に亡くなっているウェルズ氏だが、

タイムマシーンに乗って現代にやってきたという。

彼はこう主張する。

「そもそもタイムトラベルは、私の小説「タイム・マシン」が元祖だ!

 「ターミネーター」も「ドラえもん」も、私の作品のパクリだ!」

こうして、時空を超えた三つどもえの大乱戦が勃発する・・・

 

あり得ない想定だが、

ウェルズ氏の主張については、どう考えるべきだろう?

 

もちろん先に挙げたように、

「似ているポイントだけじゃなく、似てないポイントも見る」

という視点から、それぞれの作品がお互いに侵害ではないと説明することはできる。

 

しかし、少し違う視点で考えてみよう。

それが、

「アイディアはみんなで共有すべきもの。

 でも、具体的な表現は、その表現を生み出した作者のもの」

という考え方だ。

 

ある作家が、「過去や未来に行く物語を作ったら面白くなりそうだ!」と思いつく。

このアイディアをもとに、ストーリーの展開、登場人物の性格などを考える。

そして、読者を引き込む文章や、カッコいいセリフ回しで物語を表現していく。

こうして完成した小説が発売され、大ヒットする。

 

そうなると、今度は別の作家がタイムトラベルをテーマにして、

全く違う新しい物語を書く。

この新しい小説では、最初の作家には思い付かなかったような、

斬新な着想でタイムトラベルが描かれており、これもまた大ヒットになる。

さらに別の作家がこの小説に刺激され、新たなタイムトラベルの物語を書く。

こうして、「タイムトラベルもの」というジャンルが確立され、

次々と素晴らしい作品が生み出されていく・・・。

 

こうして我々の文化は豊かになってきた。

 

実際、H・G・ウェルズ氏はタイムトラベルの元祖ではない。

(もちろん、ご本人もそんなことは主張しないだろう)

彼が「タイム・マシン」を書くずっと前から、時間を移動する物語はあった。

(「浦島太郎」だって、そんなタイムトラベラーの1人だ)

 

アイディアはみんなで共有しよう。

そうすることで、みんなが豊かになれる。

  

「名探偵ホームズ」だけが推理をしているより、

名探偵ポワロ」も「名探偵コナン」も「金田一少年」も活躍する文化の方が、

はるかに豊かだ。

 

でも、何でも共有してOKってわけじゃない。

越えてはいけない一線は、ある。

作家ががんばって生み出した「具体的な表現」まで共有するのは、やりすぎだ。

ストーリー展開、登場人物、文章表現、セリフ回しなど、

そのほとんどが同じ作品を作ってしまうのは、さすがにアウトだ。

「具体的な表現」だけは、作家が独り占めできるようにして、

作家をパクリから守ろう。

 

このような考え方が、著作権制度の基礎になっている。

 

「アイディアはみんなで共有すべきもの。

 でも、具体的な表現は、その表現を生み出した作者のもの」

ということ。

 これが2つ目の視点だ。

 

ライオンVSライオン

3つ目の視点を考えるために、今度は実際に騒動になった事例を見てみよう。

 

「パクリだ!」と指摘されたのは、

ディズニーアニメの「ライオン・キング」だ。

 

 この映画は世界中で大ヒットし、

ディズニーアニメ歴代1位(当時)の興行収入をあげた。

 その後ミュージカル舞台化され、その分野でも大ヒットを続けている。

ディズニーの代表作の1つだ。

 

しかし、この「ライオン・キング」に対して、

日本の漫画家やアニメファンの多くから「パクリだ!」という指摘の声があがった。

ジャングル大帝」にそっくりだ!というのだ。

 

ジャングル大帝」は、「マンガの神様」手塚治虫氏の代表作の1つだ。

漫画を原作としたアニメ化もされている。

 

この2つの作品、どのくらい似ていたのだろうか。

ストーリーの類似点は以下の通りだ。

 

・主人公は子どものライオン。

・主人公の父親は、動物たちの王様。

・この父親が悲劇的な死を迎える。

・主人公は、さすらいの旅に出る。そして成長する。

・おさななじみのメスライオンがやって来て、王国に戻るよう主人公を説得する。

・王国に帰還する。

・悪役のライオンを倒し、王位につく。

・おさななじみのメスライオンが妻となる。

 

登場キャラクターの類似点も多い。

 

・主人公の名前が似ている。

 (「ジャングル大帝」のアメリカのテレビ版の名前は、キンバ。

  「ライオン・キング」では、シンバ。)

・長老役のヒヒ(またはマンドリル)。

・おしゃべりな鳥。

・悪役のライオンは黒髪で左目が不自由(または傷がある)。

・悪役の子分はハイエナ。

 

似たようなシーンもある。

 

・冒頭で、様々な動物が一斉にサバンナを進む(集まる)シーン。

・たくさんのフラミンゴが飛ぶシーン。

・王になった主人公が岩の上に立つシーン。

・死んだ父が雲となって現れるシーン。

 

たしかに、❝似ている❞。

共通点が、てんこ盛りだ。

 

しかし、「パクリだ!」と判断するには早い。

似ているポイントだけじゃなく、似てないポイントもしっかり見よう。

以下の通りだ。

 

・「ジャングル大帝」の主人公は白ライオンだが、

 「ライオン・キング」の主人公は白くない。

・「ジャングル大帝」のアニメシリーズは、全78話の壮大なストーリー。

 「ライオン・キング」と似ているのは、その中のほんの一部に過ぎない。

 全然違うエピソードも沢山ある。

 (先ほどの「ドラえもん」ファンの反論と同じ)

・「ライオン・キング」には、人間が登場しない。

 「ジャングル大帝」では、人間が重要な要素として登場し、

 人間の文明と自然との対立が、テーマとして深く描かれる。

 つまり、テーマが全然違う。

 (先ほどの「ドラえもん」ファンの反論と同じ)

 

他にも沢山の「似てないポイント」が見つかるだろう。

 

また別の視点からも検討しよう。

「アイディアはみんなで共有すべきもの。

 でも、具体的な表現は、その表現を生み出した作者のもの」

という視点だ。

 

先ほど挙げた共通点のほとんどは、

「具体的な表現」ではなく、「アイディア」に過ぎないことではないだろうか?

 

父を殺された王子が旅に出て、やがて王国に戻り、

父の仇に復讐し、王になる。

こんなストーリーは、昔から多数あった。

ライオン・キング」の基本的な物語の流れは、

シェイクスピアの「ハムレット」にそっくりだ。

(息子の前に父親の幻が現れるシーンだってある)

当のディズニーの「バンビ」も同じ流れで作られている。

 

キャラクターが似ているという指摘に対しても同じことが言える。

動物たちの王様をどんな動物にするか?

ほとんどの人がライオンを選ぶだろう。

悪役の子分役にピッタリなのは、多分ハイエナだ。

こんなものは、アイディアに過ぎない。

 

「どこまでがアイディアで、どこからが表現か?」については、

専門家も頭を悩ます難しいテーマだが、

ライオン・キング」と「ジャングル大帝」の共通点は、

全て、ただのアイディアだ。という主張には説得力がある。

 

ここまで読んで、あなたはどう感じるだろうか?

ライオン・キング」は、

ジャングル大帝」のパクリだろうか?パクリじゃないだろうか?

 

非常に悩ましい問題だ。

専門家でも、すぐには答えられない。

こんなとき、私は「3つ目の視点」で考えるようにしている。

 

「結局のところ、自分はどんな世界で生きていきたいんだろう?」

 

著作権に限らずどんな問題を考えるときでも重要な視点だ。

 

これだけ似ている作品を、自由に作れる世界が良いのか。

それとも、ちゃんと作者に許可をとる世界が良いのか。

 

私は「ライオン・キング」については、

ディズニーのクリエイターが「ジャングル大帝」を見たことがあったかどうか?

に、かかっていると思う。

 

見たことがないのに、たまたま似てしまっただけで逮捕されてしまうような世界で、

私は暮らしたくない。

 

しかし、もしも見たことがあるのなら、手塚氏に許可を取るべきだったと思うのだ。

 

「似てないポイントも多い」「アイディアに過ぎない」という反論もあるが、

全体としては、いくら何でも似すぎている。

先輩クリエイターに何の断りもなく似た作品を作って❝知らんぷり❞できる世界より、

若いクリエイターが、国籍に関係なく偉大な先輩の功績をリスペクトする世界の方が、

素晴らしいと私は思う。

 

ライオン同士の戦いの結末

ディズニー側が、「ジャングル大帝」のことを知っていたのかどうか?

 

ディズニーは「知らなかった」と発表した。

 

しかし、「ジャングル大帝」は1960年代に全米で放送されていた。

その後、ヴェネチア国際映画祭で受賞もしている。

アニメを大好きなディズニーのスタッフが、知らなかったとは考えにくい。

(スタッフのうち数名が「知っていた」と認めた報道もあるようだ)

 

果たして真相は・・・・?

 

しかし、真相は分からずじまいになった。

裁判にならなかったからだ。

 

パクリ騒動の最中に、手塚プロダクションはこう発表した。

 

「ディズニーファンだった故人(手塚治虫)が

 もしもこの一件を知ったならば、怒るどころか

 『仮にディズニーに盗作されたとしても、むしろそれは光栄なことだ』

 と喜んでいたはずだ」

 

こうして騒ぎは治まった。

 

手塚氏は、ディズニーアニメから多くを学んでいる。

手塚氏自身が、偉大な先人ウォルト・ディズニー氏をリスペクトする人だった。

ディズニーが存在しなければ、

手塚アニメの多くも、生れていなかったかもしれない。

そして、手塚氏に学んだ日本のクリエイターたちが、

次々とアニメを作るようになった。

こうして、「ジャパニメーション」と呼ばれる

世界中の人が楽しめる豊かな文化が生み出されたのだ。

 

日米のライオン同士の戦いに決着は付かなかったが、

これはこれで、ハッピーな終わり方だったと言えるだろう。

 

まとめ

今回は、著作権的にパクリかどうか?を判断する上で、

基礎となる「3つの視点」を紹介した。

 

・似ているポイントだけじゃなく、似てないポイントも見よう。

・アイディアはみんなのもの。具体的な表現は作者のもの。

・最後は、どんな世界で生きていきたいか?で判断。

 

以前の記事で挙げた「3つの条件」は以下だ。

 

1.そもそも自分の作品が「著作物」である。

2.相手が自分の作品を見た上で制作した。

3.自分の作品と相手の作品が似ている。

 

「3つの視点」と「3つの条件」が、綺麗な対応関係になっているわけではない。

厳密にいうと、食い違う理屈もあるかもしれない。

 しかし経験上、どちらで判断しても、結論は一致する。

 

「美味しい料理を作るコツは?」と聞かれて、

「そりゃ~、食材の良さを引き出すことさ!」と答えても、

「やっぱり、食べてくれる人の顔を思い浮かべて作ることだよ!」と答えても、

どちらも正解なのと同じだ。

 

今後、「3つの条件」の判断で悩むことがあれば、

「3つの視点」で考えてみよう。

 

最後に

ライオン・キング」と「ジャングル大帝」の騒動の事実関係と分析については、

福井健策弁護士の著書「著作権とは何か」(集英社新書)に頼って書いた。

深く感謝します。

ここで述べた私の意見は私自身のものであり、

間違いがあったとしても福井氏に責任は一切ない。

 

この本は、著作権の基礎を学べる上に、制度の根幹に関わる深い洞察が得られる。

お勧めだ。

 

 

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