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創作、学習、書評など

アリータ!スパイダーマン!ドラえもん! 最新キャラクター映画から貰ったもの

先週は「ダウンロード違法化」の法改正が行われつつある状況を解説した。

このまま進んでしまうのか・・・と思われていたが、

自民党でストップがかかったようだ。

 

●ダウンロード違法化拡大、自民総務会が了承先送り

https://www.asahi.com/articles/ASM314VP6M31UTFK012.html

 

●「賛成意見を水増し」DL違法化、専門家が文化庁を批判

https://www.asahi.com/articles/ASM3351BKM33UCVL007.html

 

世間で反対の声が上がっていることに対して、政治家が反応した結果だ。

日本の民主主義は、まだ機能しているらしい。

 

とはいえ、この先どういう流れになるかは分からない。

引き続き注目していきたい。

 

注目映画3本

このブログの筆者としては見逃せない映画が上映中だ。

しかも3本同時に。

 

スパイダーマン:スパイダーバース』

アリータ:バトル・エンジェル

『映画ドラえもん のび太の月面探査記』

 

週末を使って3本全てを見ることができた。

新たな気づきもあったので報告しようと思う。

 

スパイダーマン:スパイダーバース』

まずは1本目。

スパイダーマン:スパイダーバース』。

おなじみのアメコミ・ヒーローが活躍するCGアニメーション映画だ。

 

●映画『スパイダーマン:スパイダーバース』オフィシャルサイト

www.spider-verse.jp

 

これまでのスパイダーマンといえば、

白人の高校生ピーター・パーカーが

クモの特殊能力を手に入れたことをきっかけに

ヒーローとして成長していく物語だった。

 

ところが今回のスパイダーマンの主人公は、

黒人の少年、マイルス・モラレスだ。

新しい学校になじめず自分に自信を持てないマイルスが、

クモの特殊能力を手に入れ、

少しずつヒーローとして目覚めていく・・というお話になっている。

 

この映画、映画会社が黒人の観客を取り込むために

白人の主人公を黒人に置き換えました。という安易なものではない。

もっと複雑で重層的な構造の映画だ。

 

我々の住んでいる世界とは別の次元に別世界があり、

それぞれの世界にそれぞれのスパイダーマンがいる。という設定。

つまり、スパイダーマンが何人も出てくるのだ。

 

黒人のスパイダーマン

白人のスパイダーマン

女性(白人)のスパイダーマン

日本人だってスパイダーマンとして登場する。

(他にも、〇〇や〇〇のスパイダーマンが・・!!

 劇場で確かめてほしい)

 

こんなにもバラエティ豊かなスパイダーマンたちが協力して悪と戦うのだ。

盛り上がらないわけがない!

 

コミックがそのまま動き出したような独特の映像も新鮮だし、

音楽も要所要所でキッチリとテンションを高めてくれる。 

 

自信の無かった主人公マイルスが、悩みを吹っ切り、

真のスパイダーマンとして覚醒するクライマックスは

爽やかで、熱い。

 

大人が観ても十分に感動できる。

 

すでに沢山の映画賞を受賞していたが、つい先日、

アカデミー賞の長編アニメ賞まで受賞してしまった。

(日本からノミネートされていた『未来のミライ』は、この映画に敗北)

いわゆる❝上質な❞映画が好まれることの多いアカデミー賞の舞台で、

スパイダーマン」のような❝俗っぽい❞映画が受賞するなんて異例のことだ。

それほど完成度が高いということになる。

 

まだ観ていない人は、

急いで観に行った方が良いだろう。

 

マスクの力

私がこの作品に注目していたのは、アカデミー賞をとったからではない。

 

以前このブログで、

アメコミヒーローと日本のマンガヒーローの違いについて分析したことがある。

 

www.money-copyright-love.com

 

この連載の中で以下のようなことを書いていた。

アメリカのヒーローはマスクをかぶっていることが多い。

・マスクをかぶれば、アメリカ人でもインド人でもそのヒーローになれる。

 

スパイダーマン:スパイダーバース』は、

まさに上記マスクヒーローのメリットを証明する映画となっている。

私が映画を観に行ったのは、そのことを確かめたかったからだ。

 

白人のスパイダーマンに慣れ親しんだ私にとって、

黒人のマイルスが登場するシーンでは、

「え?この子がスパイダーマンに??」

という違和感は少なからずあった。

 

しかし物語が進み、試練を乗り越えた彼がマスクをかぶるクライマックスでは、

まぎれもなく「本物のスパイダーマン」がそこにいた。

最初の違和感は吹き飛んだ。

 

黒人の少年だけではない。

女性だってマスクをかぶり、本物のスパイダーマンとして

違和感なく大活躍している。

 

素顔をマスクでおおうことで、どんな人種の人でもスパイダーマンになれる。

 

この映画はCGアニメだが、実写化しても十分に通用するだろう。

 

マスクの力は、やはり偉大だった。

マスクは人種、そして性別の壁も越える。

 

この映画の最後のセリフに、その全てが表現されていた。

 

「誰もがマスクをかぶることができる。

 そう、君もね!」

 

日本のマンガヒーローは?

一方で日本のマンガヒーローは、マスクをかぶらないことが多い。

ほとんどが素顔だ。

人種の壁を越えにくい。

 

ONE PIECE』のルフィが複数登場し、

それぞれが東洋人、黒人、白人、女性・・・だったりするシーンは想像しづらい。

アニメ映画ならギリギリ成立しそうな気もするが、

実写映画にすると、致命的に「変な感じ」になってしまう。

 

その違和感を逆手に取った演出で

物珍しいシーンを撮ることは出来るかもしれないが、

スパイダーマン:スパイダーバース』のような、

チームの一体感を感じさせるものにはならないだろう。

 

やはり日本のヒーローマンガは、実写化に向いていないのか・・。

 

ルフィや孫悟空

もっともっと世界的な規模で活躍してほしい私としては、

アメリカの傑作アニメを素直に楽しむことは出来なかった。

 

アリータ:バトル・エンジェル

映画をみて勝手に落ち込んでいた私に希望を与えてくれたのが、

2本目の映画『アリータ:バトル・エンジェル』だ。

 

●映画『アリータ:バトル・エンジェル』オフィシャルサイト

www.foxmovies-jp.com

 

この映画の原作は、日本のSFマンガ『銃夢(ガンム)』。

荒廃した未来の世界で悪と戦いながら

たくましく生き抜く女性サイボーグのガリィが主人公のお話だ。

(体は機械だが、脳は人間の少女)

 

このマンガに、

ハリウッド映画の巨人ジェームズ・キャメロン氏が目を付けた。

アバター』などの制作を挟みながらも、

10年以上の歳月をかけて映画を完成させたのだ。

 

北米や中国を中心に世界的なヒットとなっている。

日本マンガ原作としては史上最高の興収を記録する模様だ。

 

●北米映画興行収入=「アリータ:バトル・エンジェル」が初登場首位

https://jp.reuters.com/article/usa-boxoffice-idJPKCN1Q7048

 

●「アリータ:バトル・エンジェル」中国で公開 3日で北米超える興行収入

http://j.people.com.cn/n3/2019/0225/c206603-9549664.html

 

「日本発のマンガヒーロー(ヒロイン)もやるじゃないか!」

ということで、前日に原作マンガを読み込み、

「予習」を済ませた上で観に行ってきた。

 

そして、観おわったときの感想としては、

「この手があったか!」

というものだった。

 

テコリンの壁

上にあげた連載の中で、「テコリンの壁」というものを解説したことがある。

 

「マンガだと格好よかったのに、

 実写にすると何だかヘンテコリンになってしまう」

という問題のことだ。

 

実写にしてしまうと、

スーパーマンが派手な全身タイツを着た変なおじさんになってしまう。

峰不二子峰不二子に見えず、女優本人に見えてしまう。

これが、テコリンの壁だ。

 

テコリンの壁は2つの要素に分解できる。

 

第1の壁:原作とのギャップ

原作マンガ・アニメを知っている人にとっては、

原作のイメージと、生身の役者が演じる登場人物との間に違和感が生まれてしまう。

 

第2の壁:周囲とのギャップ

マンガキャラの衣装や髪形は、派手で現実離れしていることが多い。

しかし実写映画では、我々の暮らす現実の世界に

そんな派手なキャラが登場する。

つまり、周囲は現実感・生活感があるが、そこにいる人物だけが浮世離れしている。

(家族連れでにぎわうショッピングモールに、

 ビジュアル系バンドの人が歩いているのを発見したときの感覚に近い)

周囲の人、景色からキャラだけが浮いてしまう。

 

第1の壁は「原作とのギャップ」。

第2の壁は「周囲とのギャップ」。

ということになる。

 

マンガの実写化がなぜ失敗したかについては、

この「テコリンの壁理論」に当てはめれば、だいたいうまく説明できる。

(「ストーリーやセリフが悪い」という論点は別)

 

スーパーマン(特に昔のスーパーマン)は、

原作とのギャップ、周囲とのギャップの両方を埋められていない。

峰不二子(女優の黒木メイサ氏が演じたもの)が失敗だったのは、

原作とのギャップが大きかったからだ。

 

アメコミヒーローの場合、第1の壁はそんなに高くない。

多くの場合、マスクがあるからだ。

どんな役者でも、マスクをかぶれば顔が見えなくなる。

画面に映るのは役者の顔ではなく、マスクヒーローの顔だ。

原作との違和感はなくなる。

第2の壁をどう越えるか?に集中すれば良い。

(1989年のティム・バートン監督の『バットマン』では

 美術に徹底的に力を入れ、背景の全てをマンガのような世界にしてしまうことで、

 「周囲とのギャップ」を埋めてしまっている)

 

一方で日本のマンガヒーローの場合、

「原作とのギャップ」「周囲とのギャップ」、2つの大きな壁が立ちはだかる。

ドラゴンボール』の実写化映画『DRAGONBALL EVOLUTION』は

この両方の壁を越えられずに失敗した。

 

そして『銃夢(ガンム)』である。

ガリィ(アリータ)の顔は「素顔」だ。

マスクをかぶっていない。

 サイボーグとはいえ、人間の女の子の顔だ。

 

「テコリンの壁理論」を

アリータ:バトル・エンジェル』に当てはめて考えると、どうなるだろう?

 

アリータとテコリンの壁

上映が終わり映画館から出ていく道すがら、

アリータとテコリンの壁について色々と考えてみた。

 

この理論をこの映画に当てはめると・・・

 

不思議なことに、これが何とも当てはめにくいのだ!

 

 

私が見た限りでは「原作とのギャップ」はほとんど感じなかった。

原作マンガのイメージをしっかりと持っていた私は、

実写のアリータ(本当はCG)をみて、最初は違和感を感じた。

「こんなのガリィじゃない!」と言いたくなった。

 

でもそれは最初だけだった。

アリータが走り、笑い、戦い、恋に落ちる様子を見ているうちに

ガリィの本質をつかんでる!

 そうだよ!実写のガリィはこんな感じだよ!」

という気持ちになっていく。

ガリィとアリータの間にあったギャップが消えていく。

しまいには、アリータに恋してしまいそうになったぐらいだ。

 

 

でもこれって「原作とのギャップ」を越えていると言えるんだろうか?

アリータは、実写のように見えるとはいえ、CGなのだ。

生身の役者が演じているわけではない。

「原作マンガのキャラと生身の役者とのギャップ」という問題が、

もともと存在していない。

 

「周囲とのギャップ」にしてもそうだ。

背景は実写とCGが合わさったものだし、

アリータの周りにいる登場人物は、生身の役者とCGキャラが入り乱れている。

見せ場だけでCGを使っていた昔のSF映画と違い、

この映画では全編にわたって実写とCGが融合している。

「現実離れしたキャラと現実世界の景色とのギャップ」という問題も、

あって無いようなものだ。

 

そもそも、この映画を「実写映画です!」と

言い切ってしまって良いかどうかも分からない。

 

テコリンの壁は、越える必要が無くなっていた。

壁そのものが消えていたのだ!

 

CG技術の進歩によって、実写映画とアニメ映画の区別がつかなくなってきている。

実写とアニメの中間のような映画は、これからどんどん増えていくだろう。

 

そんな映画には、テコリンの壁理論がマッチしない。

この理論は、時代遅れのものになりつつあるのかもしれない。

 

そして、SF映画の新時代には、

日本のマンガヒーローにチャンスが回ってくる。

テコリンの壁が完全に消えたとき、

素顔であることのデメリットから解放されたヒーローたちが、

縦横無尽に活躍してくれるだろう!

 

・・そんなことを予感をさせてくれる映画だった。

 

読者の皆さんはどう感じるだろうか?

アリータ:バトル・エンジェル』をみて感想を聞かせてほしい。

 

ドラえもん のび太の月面探査記』

3本目は、ドラえもんの最新作『映画ドラえもん のび太の月面探査記』。

 

●『映画ドラえもん  のび太の月面探査』公式サイト

doraeiga.com

 

ミステリー作家の辻村深月氏が

初めて脚本を書くことに挑戦した映画だ。

 

辻村氏は子供の頃からドラえもんの大ファンだった。

そんな彼女が渾身の力で作り上げた脚本だ。

これは気になる。

 

辻村氏については、以前に連載で取り上げたことがある。

小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ化にあたり、

原作者の辻村氏がNHK講談社の争いに巻き込まれ

さんざんな目にあった。という内容だった。

 

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辻村さんのことは応援したい!

ということで、数十年ぶりにドラえもんの映画を観に行ってきた。

 

ストーリーは、のび太くん達が月を舞台に大冒険するというものだ。

 

前半にさりげなく張られた伏線を、

次々と回収していく後半は見ていて気持ちがいい。

さすがはミステリー作家の脚本だ。

 

ドラえもんのび太のドジっぷりを見ているのも楽しい。

劇場では、子供たちの笑い声があちこちから聞こえてくる。

久々に、ほっこりした気分になれる映画体験だった。

 

1つだけ難点を挙げさせてもらうと、上映時間が長い。

初期のドラえもん映画は90分程度だった。

最近では少し長くなって100分強ぐらいになっているが、

今回の映画は111分ある。

途中でトイレにいく子供たちが多く目についた。

 

でも、それ以外の点では十分に楽しめる。 

辻村さんは脚本の才能も持っているようだ。

 

読者の皆さんも、

子供の頃の懐かしい友人たちに会いに

劇場に足を運んでみてはどうだろう?

 

映画3本

以上、映画3本をレビューした。

 

スパイダーマンには興奮させられると同時に落ち込まされた。

アリータからは希望をもらった。

ドラえもんには癒された。

 

自宅で落ち着いて映画をみるのも楽しいが、

劇場での体験は格別だ。

 

このブログのテーマに沿った内容の映画があれば、

今後も報告していきたいと思う。

 

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スカートめくりを撲滅しよう! ~ダウンロード違法化について~

ある小学校での事件

とある小学校で、いたずら好きの男子生徒が女子生徒のスカートをめくった。

スカートめくりにショックを受けた女の子は、泣き出してしまう。

 

これを聞いた女子生徒の両親は激怒する。

「うちの大切な娘に何てことを!

 学校の管理はどうなっているんだ!」

 

怒鳴りこまれた小学校の教頭先生は謝罪に追い込まれる。

「申し訳ございません。

 わが校の校則では「スカートめくり禁止」になっているのですが・・

 早急に対策を考えます!」

 

こうして、教頭先生は何らかの対策をとらないといけなくなった。

 

「どうしたらスカートめくりが無くなるんだろう?

 世間ではセクシャル・ハラスメントが大問題になることも多い。

 小学校とはいえ、ちゃんとしないと大騒ぎになってしまう・・。

 かといって、すでに「スカートめくり禁止」のルールはあるし、

 先生が指導もしている。

 これ以上、何をすれば良いのか・・・」

 

考えはまとまらない。

 

そんなとき、テレビのニュースが目にとまる。

変質者が女子高生のスカートの中を盗撮して捕まった!というニュースだ。

 

これを見た教頭先生は考えた。

 

「女性のスカートの中が見られてしまうという意味では、

 スカートめくりも盗撮も一緒だよな・・・」

 

「そうだ!

 盗撮対策に力を入れよう。

 盗撮の被害者がうちの学校にいるわけではないけど、

 女性のスカートの中を守ることは大切だ!」

 

「そういえば、椅子に座った女性を正面から写真撮影をした場合、

 角度によっては中のパンツが写ってしまうことがあるな・・・。

 これは良くない。

 スカートを着て座った女性を撮影することを禁止すればいいんじゃないか?」

 

「パンツが写った写真がSNSで拡散してしまったら、大変なことになる。

 女性の心が傷つくに違いない。

 スカートを着て座った女性の写真をネットに上げることも

 禁止にした方が良さそうだ」

 

「これで、女子生徒と保護者も安心してくれるだろう」

 

ここまで考えた教頭先生は、生徒会の生徒たちに指示を出す。

 

「君たち、女性のスカートの中を守るために、検討会議を開いてくれないか。

 教師が勝手に決めてしまうよりも、

 生徒自身で考えて、より良い校則の案を作ってほしいんだ。

 ちなみに私は、

 スカート着て座った女性の撮影とアップロードに問題があると思う」

 

こうして生徒会の優等生たちは

「スカートの中の保護・検討会議」を組織する。

 

検討会議

生徒会は優秀だ。

「そもそも、スカートめくりと盗撮って、別問題じゃないか?」

こうは思うものの、

教頭先生の意図をしっかりと汲み取って、検討会議のメンバー選びをする。

 

盗撮問題に詳しい生徒。

セクハラ問題に詳しい生徒。

校則に詳しい生徒。

 

次々とふさわしいメンバーが決まっていく。

 

でもこれだけだとバランスが悪く見えるから、

写真部の部長(男子生徒)も入れておく。

 

検討会議の資料は、生徒会が用意する。

内容はこんな感じだ。

・座った女性を撮影したときに間違ってパンツが写ってしまった事例

・インターネットで情報が拡散するスピードについての研究

・座った女性の撮影とアップロード禁止化の提案

・他校の似たような校則の例

 

資料に従い、

「撮影とアップロードは問題じゃないか」という雰囲気で

会議は進んでいく。

 

写真部の部長が

「禁止にするのは、いくらなんでも厳しすぎるんじゃないでしょうか?

 これだと写真撮影がやりづらくなります」

と意見を言ったが、流れは変わらない。

 

検討会議の「まとめ」は生徒会が作る。

そこにはこう書かれてあった。

「写真撮影がしづらくなるという意見も一部にはあったが、

 全体としては、撮影とアップロードを禁止することで

 スカートの中を守ることが大事だという意見だった」

 

こうして新たな校則の案が作られることになった。

 

【スカートの中 保護校則案】

・この校則は、女性のスカートの中を保護することで、

 女性の心を守り、女子と男子が仲良く学校生活を送るためのものである。

・着座した女子生徒を撮影することを禁止する。

・着座した女子生徒の写真をネットにアップロードすることを禁止する。

・この校則に違反した生徒は、1週間の停学処分とする。

 

校則案が発表されると、全校生徒に動揺が走った。

「撮影禁止ってどういうこと!?」

「友だちとカラオケしてる写真とれないの!?」

SNSできなくなるじゃん!」

「生徒会、何やってるんだよ!」

今まで生徒会の活動に興味のなかった生徒たちまで騒ぎ出す。

 

生徒会にとっては、この状況は誤算だった。

今までは、生徒会活動なんて、

ほとんどの生徒にとって「どうでもいいこと」だったからだ。

今までは、ほとんどの校則が誰にも気づかれずにシレっと成立していた。

今回もそうなる予定だったのだ。

 

生徒会の予想を超えて、新しい校則案への非難の声が高まっていく。

 

遂には、ことの発端となったスカートめくりの被害者の女子生徒も声をあげる。

「こんなこと、求めてなかったのに!」

 

 

・・・これが、今さわぎになっている「ダウンロード違法化」の現状だ。

 

ダウンロード違法化

「ダウンロード違法化」の問題ついては、知っている読者も多いと思う。

 

著作権侵害、スクショもNG 「全面的に違法」方針決定

https://www.asahi.com/articles/ASM2D6F8NM2DUCVL03V.html

 

●違法ダウンロード対象拡大 海賊版対策、誘導サイト規制も 

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41217310T10C19A2CR8000/

 

山田太郎さんが懸念する表現の自由侵害の危機・静止画DL違法化とコスプレの著作権違反化

https://togetter.com/li/1297860

 

多くのメディアで取り上げられているので詳しい解説はここではしない。

大まかにいうと、以下のような話だ。

 

 

・これまでも、権利者に勝手にアップロードすることは禁止だった。

 今後は、それをダウンロードすることも禁止になる。

・それが個人的に使うためであっても禁止。

・ただし、ネットに上がっていることが違法だと知っていた場合に限る。

・今までは動画や音声データだけが対象だったが、

 これからは写真、画像、漫画、文章など全ての著作物が対象になる。

 

この法改正案にたくさんの批判が出ているのだ。

「ネットにあがっているもので、

 どれが違法でどれが適法かなんて分かるわけない!」

「一般の人が日常的にやっていることが、違法なことになってしまう!

 全国民を犯罪者にするつもりか!」

「法改正しても、肝心の違法サイトは取り締まれないじゃないか!」

「ネット上の資料を手元にコピーしておくことができないと、

 新たな創作活動がしづらくなる!」

 

法改正の経緯

いつの間にこんな法改正の話が進んでいたのだろう?

 

この法改正は、上記の「スカートめくり」の話と同じような流れをたどっている。

 

大まかに言うと、以下のような流れだ。

 

・「漫画村」のような違法なサイトが話題になる。

  ↓

・「漫画家の著作権を保護することは大切だ!

  何とかしないと!」という話になる。

  ↓

・権利者に無断でアップロードすることは、すでに禁止されている。

 「それでも何かしないと!」というプレッシャーがかかる。

  ↓

・サイトをブロッキング(強制的に見れなくすること)できる制度を

 作ろうとするが、「通信の秘密」を大切にする人の反対にあって失敗する。

  ↓

・ダウンロードを禁止にすればいいんじゃないか?

 という案が浮上する。

  ↓

・政府の会議(文化審議会著作権分科会)に有識者が集められ、

 ダウンロード違法化の方向で検討される。

  ↓

漫画村のような違法サイトから漫画家を守る!という話とは

 ズレた話になっちゃっていることに皆気づいているし、

 反対意見も出るが、会議は進んでしまう。

  ↓

・ダウンロード違法化すべし!という結論にまとめられる。

  ↓

・このことがニュースになり、多くの人が反対の声を上げる。

  ↓

・本来守りたかったはずの漫画家の皆さんからも

 「こんなもの要らない」という反対の声が出てくる。

 

多くの漫画家は、ネット上で見つけた写真や文章を

「参考資料」として手元にコピーして取っておく。

そしてそれを自分の創作活動に生かしているのだ。

コピーできなくなると、新しい漫画を作りづらくなってしまう。

(これが「個人的な利用のためのコピー」と言えるかどうかは

 微妙な問題だが、実務上は問題になっていない)

 

 

●こんな違法化「誰が頼んだ?」漫画家や専門家ら声上げる

https://www.asahi.com/articles/ASM2L748HM2LUCVL04G.html

 

●「漫画家と二次創作コミュニティは近くにいる」伝説の漫画家、竹宮惠子さんも「違法DL拡大」に反対

https://www.bengo4.com/internet/n_9230/

 

 

トホホ・・・である。

「スカートの中 保護校則」と同じくらい馬鹿げたことになっている。

 

「何かやらなきゃ!」ということになり、

優秀な人たちがアサッテの方向を向いた会議を行い、

本来の目的とはズレた誰も望んでいないルールが

出来上がろうとしているのだ。

 

政府の読み違い

そんなバカげたことが起こっているわけがない!と思う人がいるかもしれないが、

こういうことは、これまで何度も行われてきている。

(いずれ記事でとりあげたい)

 

以前は「著作権法」というのは、

特に注目を集めない「マイナーな法律」だった。

 

一部の人の意見や思惑だけで議論が進み、

検討の形式だけが整えられ、

国民の注目を集めないままに、

シレッと法改正されることが多かったように思う。

 

しかし時代は変わったようだ。

 

日本の漫画、アニメ、ゲームは重要な産業になった。 

インターネットが普及したおかげで、

人の作品を楽しみつつ自分も作品を作って公開できるようになった。

多くの人が日常的に著作権に関わるようになった。

 

マイナーだった著作権は、国民の関心を集めるようになった。

著作権法は「メジャーな法律」になった。

 

政府は、ここのところを読み違えたのではないか。

昔の感覚でシレッと通そうとしたが、

予想以上に注目が集まってしまったのではないか。

 

今後「著作権法をいじりたい」と思う人は、

時代の変化をしっかりと認識しないといけないだろう。

 

どうしたらいいのか?

たくさんの反対意見が出ているものの、法律は改正されてしまうようだ。

(条文が作られていく中で、あまり厳しくないものになるかもしれない)

 

ダウンロードが違法になってしまったら、我々はどうすれば良いのか?

 

ダウンロードはやめといた方がいいのか?

どうしてもしたければ、

全てのネット上のデータが違法じゃないかどうか

自分でチェックしないといけないのか・・?

 

結論を言うと、特に気にしなくて良い。

 

そもそもが「とにかく何かしなきゃ!」ということで始まった話なのだ。

法改正をして「ちゃんと対策してます!」という形さえとれたら

それで良い。と政府が考えていることは間違いない。

この法律を使って個人のダウンロードを取り締まろう!

などとは誰も考えていない。

警察もそんなにヒマじゃない。

 

今まで通り、必要なものがあれば個人的にコピーをとって保存しておけば良い。

 

ただし、「この人、違法なダウンロードをしてますよ!」と嫌がらせで

通報される可能性はある。

あきらかに悪質なサイトを利用するのはやめよう。

それだけで十分なはずだ。

 

実際の法律の条文がはっきりしたら、

あらためて対策について説明しようと思う。

 

作家やアーティストの皆さんは、

必要以上に怖がらずに他人の作品を参考にしながら、

新たな素晴らしい作品をつくってほしい。

 

つまり、

萎縮せず、自信をもって行こう! 

ということだ。 

 

ツイッター

以前書いた通り、

このブログは最新ニュースや時事ネタを追いかけることを目的にしていない。

 

しかし今回は、政府の動きがあまりにお粗末であり、

クリエイターに不安が広がっているようだったので、

記事でとり上げることにした。

 

今後、時事ネタがある場合は、ツイッターで発信していきたい。

 

吉沢計

Twitter

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たまにつぶやきますので、フォローいただければ幸いです。

 

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人口知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(5)

 

今回の連載では、AIを入口にして

色んな方向へ考えを進めてきた。

 

・作家やアーティストは、AIに仕事を奪われるのか?

・AIの活躍する時代に、コンテンツの長さはどうあるべきか?

・そもそも著作物とは何か?

 

今日は、これらの話題の中で掘り下げられなかったテーマや

関連する小ネタをとりあげようと思う。

 

AIが作曲

・AIが活躍しやすい分野は、作曲。

・AIの生成した音楽を人間の作曲家が活用できる。

 

連載の中で、私は上記のようなことを予想していた。

すると、6日前に本当にそんな内容の記事が出てきた。

 

●【音楽の未来】AIとのコラボで生まれる創造性に満ちた音楽の世界

https://newspicks.com/news/3664960/body/

 

タリン・サザンというアーティストが、

世界で初めてAIで作曲・編曲されたアルバムをリリースしたそうだ。

記事によれば、

AIが作った作品をサザン氏がアレンジ・編集し、

まとまりのある曲に仕上げたという。

 

やはり、音楽の「部品」を提供するという役割なら、

AIが活躍することは十分に出来るようだ。

今後も、サザン氏に続くクリエイターは増えるに違いない。

 

でも、このテのニュースを目にする機会は少しずつ減っていくだろう。

AIが使われなくなるからではない。

その逆だ。

AIが使われることが珍しくなくなっていき、

ニュースとしての価値を失うからだ。

 

本当はAIに頼っていても、そのことを隠すクリエイターもいるだろう。

「全てを自分の頭から生み出すこと」と、

「AIを自在に操って効率的に作品を生み出すこと」のあいだに

価値の差があるのか?

といった議論も起きるかもしれない。

 

(食品の世界では似たような議論が既にある。

 物質としては全く同じものでも、

 「天然由来成分」と「化学的に合成された成分」には、

 違いがあると主張する人も多いし、

 「天然由来」を売りにした商品、それを欲しがる消費者も多い。)

 

AI作曲については、今後も注目していこう。

 

 音楽の長さと著作権

「どのくらいの長さの文章なら著作権が発生するのか?」については、

連載の中で詳しく解説した。

 

では、文章ではなく音楽なら?

メロディが何秒以上なら著作物といえるのだろうか?

 

「4小節までなら大丈夫(つまり、著作権は無い)」

といった「常識」を、昔はよく聞いた。

もちろん、これは俗説にすぎない。

4小節以内の音楽でも著作権がある可能性は高い。

 

RPGゲームの傑作『ドラゴンクエスト』の音楽で有名な

すぎやまこういち氏は、

あの、レベルアップの曲(♪パカパカパンパンパ~ン♪)にも

著作権が発生すると主張している。

 

●やさしい著作権のお話~すぎやまこういちを囲む会にて~

http://sugimania.com/says/backnumber1.html

 

しかし、ここまで短い曲の場合、

裁判になってみないと確かな結論は出せないだろう。

 

「著作物かどうか?」の判断基準は文章の場合と全く同じだ。

 

「思想又は感情」

「創作的」

「表現したもの」

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

この4つで判断するしかない。

 

そして「結局のところ、明確に判断できる基準はない」というのも、

文章と同じだ。

 

「自分の作った曲の一部のパーツが、人の曲の一部と似てしまっている!」

「世の中の全ての曲の短い「部分」までチェックするのは不可能!」

と心配になる作曲家がいるかもしれないが、

必要以上に怖がらなくても良いと思う。

 

「記念樹事件」という有名な裁判がある。

大物作曲家の小林亜星氏が、これまた大物作曲家の服部克久氏を

「パクリだ!」と言って訴えた事件だ。

 

●「音楽著作権侵害の判断手法について -『パクリ』と『侵害』の微妙な関係」

https://www.kottolaw.com/column/000051.html

 

この裁判では、

「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」とか、

「メロディーの音の72パーセントが同じ高さの音」のように、

「曲全体」を比べながら争った結果、小林氏がギリギリで勝利した。

 

曲のごく短い部分がたまたま似ている。という程度で、

著作権侵害になってしまう可能性は低いだろう。

(もちろん、意図的に部分的なパクリをやるのはダメ)

 

マンガで名作を読む

連載の中で、

「短いコンテンツが好まれるようになっている。

 有名な文学作品もマンガ等で短時間で読めるようになった」

という状況を紹介した。

 

記事の文脈の中では、少し否定的なニュアンスで書いたが、

私は文学をマンガで読むのも「全然アリ!」だと思う。


「名作の良さは文章じゃないと伝わらないよ」という人もいるが、

そういう人だって海外の有名作品は

日本語(もしくは英語)への翻訳作品で読んでいるはずだ。

作品をダイレクトに楽しんでいるわけではなく、

翻訳家のフィルターを通して味わっていることになる。

マンガという表現も、そうしたフィルターの一種だ。

マンガ家の理解を通じて文学作品の世界に飛び込んでみるのも、

アリだと思う。

 

以前の記事で書いたとおり、

文化というものは先人の作品に手を加え新しい作品を生み出し、

さらに次の世代の人が手を加えることを繰り返して発展してきた。

 

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文学作品をマンガにすることも、文化の発展のプロセスの一部だ。

文学、マンガ、映画・・・色んなスタイルで自由に楽しめばいい。

マンガを読んで興味が湧いたら、

その元になった文学作品に挑戦してみるのも良いだろう。

それぞれの作品の違いを発見するのも楽しい。

 

 

ちなみに、有名作品をマンガにした『まんがで読破』というシリーズが

あるのをご存知だろうか?

 

このシリーズの一部が、

アマゾンのKindleで、なんと1冊10円でセールされている!

 

いつまでセール価格になっているかは分からないが、

「いつかは読みたかったあの名作」を手っ取り早く読破する良い機会だ。

気になっていた作品がないか、チェックしてみよう。

 

 

 

私にも、学生時代から何度か挑戦し、

結局は難しすぎて最後まで読めなかった本が何冊かある。

そのうちの1冊がカントの『純粋理性批判』だ。

今回のセールのおかげで、たったの30分、たったの10円で、

長年の夢がかなってしまった!

ありがとう!アマゾン!

 

 

 

 

 

「意味」の意味

今回の連載では、繰り返し以下のように主張した。

 

「AIは意味を理解しない。

 人間は作品に意味を込めるべきだ」

「意味のある作品を生み出していれば、大丈夫です!」

 

ところが、偉そうに言っていた筆者に対して

「意味って何?」という、鋭すぎる質問が飛んできた。

 

「意味」の意味とは?

 

めちゃくちゃ難しい!

哲学者なら、それだけで1冊の本が書ける。

神学者なら「神の意図です」と一言で答えてしまうかもしれない)

 

意味とは何か?は難問だが、

「人は何に対して「意味がある」と感じるのか?」

という視点でなら考えることが出来そうだ。

 

私の考える「意味」とは「物語」だ。

 

そして、「物語」とは「人の感情を動かす因果関係」のことだ。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントです。」

これは物語ではない。

ただのデータだ。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントです。

 この確率に従って、100万人の中から田中さんが当選しました。」

ここには因果関係があるが、感情が動かない。

 

「宝くじで1億円が当たる確率は0.0001パーセントしかありません。

 田中さんは、当選を願って毎朝神社にお参りしました。

 すると、100万人の中から田中さんが当選しました。」

こうなってくると、感情が少し動く。

物語になってくる。

「意味」のある話のような気がしてくる。

 

AIには、神社と宝くじの因果関係を理解することは出来ないだろう。

だって、理論的には因果関係なんてあるはずが無いから。

でも、人間は「神社に行ったから宝くじが当たった」と感じてしまう。

 

素晴らしい文学、音楽、映画には、全て「物語」がある。

 

人間は、独自の感性で原因と結果のつながりを感じ取り、

それによって感情が動かされたときに、

「物語」を感じる。

「意味がある」と感じるのではないか・・?

 

今のところ、私に言えるのはこれぐらいだ。

 

ついつい因果関係を考えてしまう人間の特徴。

感情が動くものに価値があると感じてしまう人間の性質。

このあたりに、「意味」というものの本質が隠れている気がする。

 

最後に

今回の連載は、人工知能をテーマにしておきながら、

気が付けば「人間とは?」ということばかりを考えていた。

 

・人間は意味が理解できる。

・人間は意味を求める。

・人間にとって大切な文化・芸術とは。

 

AIという比較対象に照らし出されることで、

人間というものの姿がよりはっきりと見えてくる

 

江戸時代に日本で暮らしていた人々が、

幕末に外国人と接触することではじめて

「日本人とは?」と考え始めたようなものだ。

 

AIの出現によって、

我々はやっと「人間とは?」を考えるスタート地点に立ったのかもしれない。

 

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人口知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(4)

AIは、短い作品なら作り出すことができる。

 

では、短い作品に著作権は発生するのだろうか?

どの程度の長さから著作権は生まれるのか?

AIが作った作品に著作権はあるのか?

 

こうした疑問に答えたい。

 

今回は、これまでで一番「お勉強チック」な記事になるが、

著作権の神髄」に最も近づくことができる回になるだろう。

 

クイズ

以下の文のうち、「著作物」といえるもの。

つまり、著作権が発生しているものはどれだろう?

 

① 世界の人口は70億人以上です。

 

② 女性が差別されているのを見ると悲しくなる。

  人間は性別によって差別されるべきではありません。

 

③ 8日の日経平均先物は3日続落した。3月物は前日比235円安の2万0305円で終え、大阪取引所の終値を15円上回った。米中貿易協議の難航見通しや、欧州景気の減速懸念を背景に売りが進んだ。米株式相場が下げ幅を広げる場面で、3月物は一時2万0160円まで売られた。取引終了にかけては米株式相場が下げ渋り日経平均先物にも買いが入った。3月物の高値は2万0535円だった。

日本経済新聞の記事)

 

④ 咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや

(20世紀を代表する俳人中村汀女の俳句)

 

⑤ 咳をしても一人

(自由律俳句の俳人・尾崎放哉の俳句)

 

⑥ ボク安心 ままの膝より チャイルドシート

交通安全のスローガン

 

⑦ 朝めざましに驚くばかり

(古文の単語を記憶するための語呂合わせ)

 

⑧ 音楽を聞くように英語を聞き流すだけ 英語がどんどん好きになる

(英会話教材のキャッチフレーズ)

 

⑨ 鈴懸(すずかけ)の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの

AKB48の歌のタイトル)

 

⑩ にこにこうぱうぱブルーベリー

(AIが作った歌詞) 

 

どうだろう?

答えられるだろうか?

 

著作物か?

著作物ではないか?

1つずつ正解を確認していこう。

 

「著作物」とは

著作権をテーマにしたブログを開始して半年。

ついにこの時が来てしまった。

著作権の基礎中の基礎、「著作物」とは何か?

について語る時が・・。

 

先に結論から言ってしまうと、

著作物かどうか?の判断基準について、

いまだに誰もはっきりした結論にたどり着いていない。

裁判で結果が出ているもの以外では

「この作品は著作物である」と、

断言できる人はいないのだ。

 

そんな無茶な話ってあるか!?

みんな著作権があるということを前提に、

権利にお金を払ったり、ビジネスを成立させたりしてるんじゃないのか?

その前提がアヤフヤなら、全てがひっくり返っちゃうじゃないか!?

と言いたくなる話だが、それが現実だ。

 

そんな状況の中でも、

我々は法律や裁判所の言っていることをヒントにしながら、

個々の作品について「著作物かどうか?」を判断していくしかないのだ。

 

というわけで、法律や実際の裁判を見ながら、

上記10個のクイズを解いていこう。

 

法律は何と言っているか?

このブログは、法律の条文を紹介することを避けてきた。

だって、「お堅い」文章になっちゃうから。

 

でも、今回は避けられない。

 

著作権法で「著作物」はちゃんと定義されている。

以下の通りだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【「著作物」の定義】

思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

やっぱりお堅い文章だが、これだけは理解する必要がある。

 

 

 条文を分解した上で、1つ1つ見ていこう。

まずは、以下の4つに分解しよう。

「思想又は感情」

「創作的」

「表現したもの」

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

 

それぞれの言葉を理解するには、「著作物とは何か?」ではなく、

「何が著作物ではないか?」という発想で考えると良い。

 

●「思想又は感情」のないものは著作物ではない。

喜び、悲しみ、愛情・・そういった人間らしい気持ちや、

自由、平等、博愛・・といった人間の考えこそが、

著作物を生み出す。

そういう気持ちや考えのこもっていない物は著作物ではない。

つまり、単なる「事実」や「データ」は著作物にはならない。

 

だから、クイズの第1問の文章

「世界の人口は70億人以上です。」

は著作物ではないと判断できる。

単なる事実・データに過ぎないからだ。

 

●「創作的」でないものは著作物ではない。

作家が表現を工夫し、個性を発揮してこそ、素晴らしい作品が生まれる。

どんなに価値のある「感情」や「思想」であっても、

ありきたりのフツーの表現しかしていなければ、著作物とは言えない。

 

だから、

クイズの第2問

「女性が差別されているのを見ると悲しくなる。

 人間は性別によって差別されるべきではありません。」

は著作物ではないと言える。

言っている内容は立派でも、ありきたりな表現でしかないからだ。

 

第3問の日本経済新聞の記事は、結構な長さのある文章だが、

これは2重の意味で著作物とは言えない。

単なるマーケットのデータに過ぎないし、

書き手の個性が全く感じられない文章だからだ。

長い文章だからといって、必ずしも著作物になるとは限らない。

 

●「表現したもの」でないものは著作物ではない。

これは当たり前のことだ。

いくら作家が

「素晴らしい作品が私の頭の中で完成している!

 まだ書いてないだけだ!」

と主張しても意味がない。

その頭の中の作品を、

「頭の外」に出してはじめて他の人が鑑賞することができるからだ。

(映画『アマデウス』には、

 「曲は頭の中で出来ている」と言うモーツァルトに対し

 依頼主が「それじゃ意味がない」と答えるシーンがある)

ちなみに頭の外に出す方法は、実際に書く必要はなく、

口で語るという方法でも良い。

どんな方法でも「表現した」ということにはなるからだ。

(だから、即興で演奏した音楽は譜面がなくても著作物にはなる。)

 

また、作品の形になっていないアイディア段階のものも

「表現したもの」とはいえない。

 

●「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」でないものは著作物ではない。

これは、大まかにジャンルを決めている言葉だ。

「文化・芸術の範囲に入るもの」を著作物ということにします。

と言っている。

逆に、「自然科学」や「工業・産業」のジャンルに入るものは、

著作物ではないということだ。

万有引力の法則」「相対性理論」といった、

ニュートンアインシュタインの研究成果は素晴らしいものだが、

それ自体は著作物にはならない。

また、電球、テレビ、自動車といったものは、

世界を変えた凄い発明品・工業製品だが、著作物ではない。

 

以上が、法律が決めている「著作物」の定義だ。

 

解説書・裁判所の傾向

著作権についての解説書は多い。

もちろん、その中では「著作物とは何か?」について

法律の条文をもとに詳しく解説されている。

 

多くの解説書では、このような趣旨・ニュアンスのことが書いてある。

 

「この条文の大事なポイントは3つです。

 「思想又は感情」、「創作的」、「表現したもの」。

 この3点を覚えておきましょう。

 その後に書いてある

 「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」は、

 ただの目安です。

 あんまり大事じゃありません。」

 

興味がある人は本屋などで実際に確かめてほしい。

ここまであからさまに書いてあることは少ないが、

こういう気持ちがにじみ出た解説書が多い。

 

しかし、私は違うと思う。

 

我々が大切にしたい文化・芸術を守り、育てていくために

著作権法は存在している。

その「我々が大切だと思う文化・芸術って何だろう?」という視点を、

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という言葉は与えてくれる。

この根本を見つめることを避けるわけにはいかない。

 

例えば、「友だち」の定義について考えてみよう。

以下のような定義だったとしてみよう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【「友だち」の定義】

毎月1回以上は話をする相手で、将来の夢について語り合ったことがあり、

友情を感じている相手

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「毎月1回以上は話をする」と

「将来の夢について語り合ったことがある」という条件は、判断しやすい。

「YesかNo」で答えの出るデジタルな基準だ。

でも、一番根本的なのは「友情を感じる」という

曖昧でアナログな部分のはずだ。

 

「友情なんて人それぞれの感じ方なんだから、そこを考えても仕方がない。

 判断しやすい「毎月1回以上の話」「将来の夢」の2つの基準でいいじゃないか」

という人がいるかもしれないが、

その人は、致命的な間違いを犯してしまうことになる。

2つの基準だけだと、

「仕方なく付き合っている仕事上のお得意様」や「進路指導の先生」まで

友だちだと判断することになりかねないからだ。

 

「友だちとは何か?」を知るためには、

「友情とは何か?」という、非常に難しい問題に向き合う必要がある。

 

著作物についても同じことが言える。

 

「文化・芸術として何が大切かなんて、人それぞれだから決めようがない。

 そんな曖昧な基準に頼るより、

 「思想又は感情」、「創作的」、「表現したもの」の3点に絞って

 デジタルに判断した方が明確だ」

そういう考え方をする人が多い。

しかし、それでは重大な間違いが起きてしまうのだ。

 

実際、こういう考え方で判断する裁判所が増えているように感じる。

 

その結果、

昔だったら「著作物だ」と判断されることがあり得なかったような物まで、

著作物だと認定されてしまう裁判が出てきている。

 

中でも一番有名な例が「トリップトラップ事件」だ。

 

●椅子デザインにも「著作権」、知財高裁「実用品は意匠権」から一転、保護長期化、そっくり家具姿消す?

https://messe.nikkei.co.jp/ac/news/132056.html

 

幼児向けにオシャレにデザインされた椅子が、

「著作物です」と認められてしまった事件だ。

 

「こんな、よくある家具のデザインにまで著作権を認めてしまったら、

 自宅で写真をとってSNSにアップすることさえ、

 おちおち出来なくなるじゃないか!」

と衝撃の走る裁判となった。

 

椅子のデザインを守るための権利には「意匠権」というものがある。

これは、「文化・芸術」のジャンルではなく、

「工業・産業」の分野の権利だ。

椅子という工業製品を守りたいのなら、

著作権ではなく意匠権を使うべきだった。

 

この裁判の結論は、

「思想又は感情」「創作的」「表現したもの」というデジタル基準だけを重視し、

「文化とは何か?何を文化として守るべきか?」というアナログ基準を

考えることを軽視してしまった結果、

出てしまった結論だと思う。

 

我々の文化・芸術として大切にすべきものは何か?

文化・芸術と、工業・産業の線引きをどうすべきか?

この世界における文化・芸術の意味は?

 

簡単に答えの出る問題ではないが、

この問いかけから逃げるわけにはいかない。

 

我々はAIではない。

人間だ。

デジタルな基準だけに頼らず、

アナログな考え方で答えを見つけ出せるはずだ。

 

「テクノロジーとアートが融合する!」と世間で騒がれている中で、

今後も国民全体で取り組まないといけないテーマになるだろう。

 

「文化・芸術とは」で判断

ここでクイズの問題に戻る。

 

第4問「咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや」という俳句は、

著作物だろうか?

 

著作物と言えるだろう。

「思想又は感情を創作的に表現したもの」と言えるからだ。

 

しかし、本当にそうだろうか?

この俳句が表しているのは、母と子の情景だ。

風をひいた子が、なぞなぞ遊びの相手になってくれるように母親にせがむ

かわいらしい様子を思い浮かべることができる。

この様子を「5・7・5」のたった17文字で表現しようと思えば、

誰が作ってもだいたいこんな俳句に落ち着くのではないか?

本当に作者が個性的に表現していると言えるのか?

本当に「創作的」といえるのか?

実は、著作物じゃないんじゃないのか・・・?

 

こう考え出すと、よく分からなくなってくる。

 

でも、先ほどの問題意識を思い出し、こう質問するとどうだろう?

「俳句は、日本の文化だろうか?

 この俳句は、我々が守り育てるべき文化だろうか?」

 

こう考えると、

自信をもって「Yes!」と答えることができるのではないだろうか。

 

 

次に第5問を見てみよう。

「咳をしても一人」

5・7・5の形式にとらわれない自由律俳句の俳人・尾崎放哉氏の俳句だ。

 

これは著作物だろうか・・?

 

さすがにここまで来ると、私にも分からない。

「咳をしても一人だった」という状況をそのまま言っているだけで、

何の工夫もない「創作的」ではない作品のようにも思える。

が、この俳句から漂ってくる何ともいえない寂しさ、わびしさを考えると、

守るべき文化だという気もする。

 

裁判になった作品ではないので明確な結論は出せないが、

この作品に著作権を認めるわけにはいかないだろうと思う。

ここまでシンプルな表現にも著作権があるとしたら、

その後の人たちが大変だ。

誰も小説の中で「咳をしても一人」と書けなくなる。

SNSで「1人で咳をした」とさえ書けなくなるかもしれない。

「くしゃみをしても一人」と言ったら逮捕されちゃうかもしれない。

そんな世の中は嫌だ。

シンプルさを大切にする日本文化と、

著作権のバランスを取るのは、とても難しい。

 

 

第6問はこれだ。

「ボク安心 ままの膝より チャイルドシート(交通安全のスローガン)」

 

これは、実際に裁判になった作品なので結論は出ている。

著作物だ。

 

例によって裁判所が

「思想又は感情」、「創作的」、「表現したもの」の3点を重視して

デジタルに判断した。

 

私はこの結論に不満だ。

たしかに「5・7・5」という俳句と同じ形式で表現されているから、

俳句と同じように著作物であるべきだ!

という考え方にひっぱられた裁判所の気持ちも分かる。

でも、これは単なる交通標語なのだ。

本当に「守るべき文化」と言えるほどのものだったのだろうか?

 

難しいことだとは思うが、形式だけにとらわれず、

作品の内容やその価値に踏み込んだ判断をすべきだったのではないだろうか。

 

 

続いて第7問。

「朝めざましに驚くばかり(古文の単語を記憶するための語呂合わせ)」

 

これは学生向けの学習参考書にのっていた語呂合わせだ。

(「鳴くようぐいす平安京」で794年を記憶するようなもの)

日本の古文に特有の「あさまし」「めざまし」という単語に

「驚くばかりだ」という意味があることを表している。

 

この語呂合わせについても、裁判で「著作物だ」と認められてしまった。

 

こんな短い文章に著作権があるというのだ!

 

上記第6問と同じく、裁判所が「守るべき文化」について考えなかった結果、

出してしまった結論と言えるだろう。

 

 

第8問はこれだ。

「音楽を聞くように英語を聞き流すだけ 英語がどんどん好きになる

 (英会話教材のキャッチフレーズ)」

 

これについては裁判所も著作権を認めなかった。

「誰が作っても似たようなフレーズになる」つまり、

「創作的な表現ではないから」というのが、その理由だ。

 

これについても、

「創作的な表現かどうか?」を判断する以前に、

「そもそも、文化じゃないじゃん!」と私は思う。

 

 

ここまで、第1問から第8問まで見てきた。

 

これで、「著作物かどうか」を判断できるようになった!

と感じている読者はいないだろう。

 

最初に私が

「「著作物かどうか?」の判断基準について、

 いまだに誰もはっきりした結論にたどり着いていない。」

といった理由が分かってもらえたと思う。

 

短い文章というジャンルに限ってみても、

裁判所の判断はフラフラしているのだ。

 

タイトル・AI

最後に、第9問と第10問を見てみよう。

 

第9問は以下だった。

「鈴懸(すずかけ)の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの

AKB48の歌のタイトル)」

 

これは、著作物にはならない。(多分。)

 

そこそこの長さのある文章だし、作者の気持ちや個性が表れているように感じるが、

なぜ著作物ではないのか?

 

それは、「著作物のタイトル」だからだ。

 

マヨネーズには「キューピーマヨネーズ」というような「商品名」が付いている。

マヨネーズ商品の「中身」と、「商品名」は別だ。

これと同じで、小説、歌、映画の「中身」と「タイトル」は別物だ。

「中身」には著作権があるが、

「タイトル」に著作権は無いということになっている。

 

なぜか?

そうしないと、何かと困るからだ。

 

テレビやネットで作品の紹介をしたくても、

タイトルに著作権があったら、そのタイトルを簡単に言えなくなってしまう。

「昨日めちゃくちゃ面白い映画をみてきました!

 主役はトム・クルーズでカッコいいんです!

 ハラハラドキドキします!

 皆さんも是非ご覧ください!

 でも、その映画のタイトルは言えません!」

こんな映画紹介は嫌だ。

 

 

 AKB48のプロデューサーの秋元康氏も、

せっかく自分が作った歌のタイトルが紹介してもらえないのは困るはずだ。

 

タイトルに著作権はない。

というのが基本ルールだ。

 

 

最後の第10問はこれだ。

「にこにこうぱうぱブルーベリー(AIが作った歌詞) 」

 

これも著作物ではない。

 

 そもそも著作権というのは「人権」の一種だ。

人権は人間にしかない。

だから、AIが作品を生み出しても著作権が発生することはないのだ。

 

見た目には人間が作ったものと見分けがつかない作品であっても、

著作物ではない。

という、不思議な結論になる。

 

(AIを操って作品を作った人間の方に権利を与えよう。

 という議論が一部でされ始めている)

 

今回のまとめ

以上、10問のクイズを通して

著作物かどうか?の判断基準を勉強できた。

 

短い文章に範囲をしぼってのクイズだったが、

それ以外のジャンルでも考え方は同じだ。

 

ポイントは以下の通り。

 

・「思想又は感情」のないものは著作物ではない。

・「創作的」でないものは著作物ではない。

・「表現したもの」でないものは著作物ではない。

・大切にしたい文化・芸術とは?という視点も大事。

・タイトルに著作権はない。

・AI作品は著作物ではない。

 

著作権について考えるとき、これが基礎中の基礎になる。

覚えておこう。

 

 

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人口知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(3)

今回は、「コンテンツの長さ」という視点で見てみたい。

 

AIが文化・芸術作品を作るうえでの特徴については、

以下のようにまとめられる。

 

・長い作品、意味のある作品は作れない。

・作品の「部品」になるような短いものなら作れる。

 

 これを出発点に考えてみよう。

 

TikTok

動画アプリのTikTok(ティックトック)が人気を集めている。

ダンスや一発ネタなどの動画を投稿し共有できるアプリだ。

 

インパクトのある動画を投稿し、世間に注目されれば、

一躍有名人、インフルエンサーになれるかもしれない!

そう考える多くの人々が、たくさんの動画を日々アップし続けている。

 

このアプリで共有される動画の基本の長さは、15秒だ。

「私に注目して!」と言わんばかりのティックトッカーたちが

15秒ごとに次から次へ

入れ替わり立ち代わりのパフォーマンスを繰り広げてくれる。

 

ダンサーやお笑い芸人が瞬間的に入れ替わる舞台を見ているようで、

「次はどんな人が?」「もう少しだけ見てみよう」と、

ついつい見入ってしまう。

 

このアプリをしばらく楽しんだ後に、

YouTube(ユーチューブ)を見てみるとどうだろう?

試しに、5分程度のミニコンテンツを見てみよう。

画面の中では、人気ユーチューバーが

体を張って必死にユーザーを楽しませようとしてくれている。

 

しかし、TikTokを見た直後だと、こう感じる。

「なんか、テンポが悪いな~。

 5分って長!!」

 

ユーチューバーの全力のパフォーマンスも空しい。

古臭い昔のコンテンツを見ているような気になってしまう・・。

 

これは、なんとも不思議な現象だ。

 

ほんの少し前までは、

YouTubeのような短いコンテンツが今の時代に合っている!

 1時間も見なきゃいけないテレビ番組は古い!」

と言われていたのだ。

 

1時間から5分へ。

5分から15秒へ。

動画コンテンツはどんどん短くなっていく。

 

コンテンツの短縮化

これは、動画に限った話ではない。

他の種類のコンテンツも、徐々に短くなってきている。

 

日々の出来事や自分の考えを世の中に発表したい人々は、

以前なら自分のブログで数千字程度の長さの文章を書いていた。

今では、彼らはTwitterで140字以内でつぶやいている。

 

ここ数年よく売れているのが、

「有名な本の内容が、短時間で理解できます!」

という本だ。

本屋に行けば、

『あらすじで読む世界の名著 ー 世界文学の名作が2時間でわかる!』

『一冊で日本の名著100冊を読む』

『有名すぎる文学作品をだいたい10ページの漫画で読む。』

こんなタイトルがたくさん目に入ってくる。

トルストイの長編小説『戦争と平和』を

5分で読めてしまうとしたら、

どれだけ「便利」なんだ!と驚いてしまう。

 

音楽も同じ傾向のようで、1曲の長さが年々短くなっているようだ。

 

SpotifyApple Musicなど音楽ストリーミングの影響でヒット曲がどんどん短くなっている

https://gigazine.net/news/20190121-spotify-make-music-shorter/

 

この記事によると、Billboard Hot 100にランクインする曲の長さの平均が

この5年間で3分50秒から3分30秒にまで縮まったらしい。

サクッと聴ける2分台の曲も増えている。

 

多くの人がスマホを手にしている時代だ。

通勤時間、待ち合わせ、エレベーター待ちの時間でさえ、

コンテンツにアクセス出来るようになった。

細切れの時間でも楽しめる短いものが人気になるのも無理はない。

 

こんなニーズに合わせて、

企業も個人もどんどん短いものを作って発信するようになる。

 

こうして我々のコンテンツは、どんどん短くなっていく。

この傾向は今後も変わらないだろう。

 

こんな時代に、成功を目指す作家やアーティストは、

どんな作品を作れば良いのだろう?

 

世間の流れに合わせて、できるだけ短い作品をつくるべきだろか?

 

人間とAIが出会う日

思い出してほしいが、

AIは長い作品を作ることはできないが、

細切れの短いものなら作るのは得意だった。

 

今後、大量のデータから学習することで、

作れる作品の長さは少しずつ伸びていくだろう。

 

一方で、人間の方は創作するコンテンツをどんどん短くしていっている。

 

作品を長くしようと努力するAI。

作品を自分から短くしていく人間。

 

山の両側からトンネルを掘り進んでいるようなものだ。

両者はいずれ出会う。

人間の作る作品とAIの作る作品の長さが一致する日がやってくる。

 

その時、何が起きるだろうか?

 

AI作品が人間の作品を圧倒するに違いない。

 

AIは、人間の脳と違って迷わない。疲れない。

もの凄いスピードで24時間作品を生み出し続けることができる。

人間のティックトッカーが

「次はどんな映像にしよう?」と悩んでいるうちに、

「疲れたから明日にしよう」と休んでいるうちに、

数千、数万もの短い映像を生成しているだろう。

 

もちろん、その作品のほとんどは意味不明のつまらないものだろう。

でも、何しろ作品の数が膨大だ。

下手な鉄砲も数うちゃ当たる。

「まぐれ当たり」によって、大ヒットするコンテンツも出てくる。

 

それでも当面は、人間らしい表現、表情、声、質感によって、

人間の作る作品とAI作品との区別はつくだろう。

だが映像・音声の品質は向上する。

いずれは人間と見分けがつかない

AIティックトッカーが大活躍するようになる。

 

山の両側からトンネルを掘り進んだ両者が出会った瞬間、何が起きるか?

人間は徒歩でトンネルを通り抜けようとするが、

山の反対側から猛スピードやってくる機関車に蹴散らされてしまうのだ。

 

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の恐怖再び

前回の記事で私は

「作家やアーティストがAIに仕事を奪われることはありません!」

と請け合った。

 

しかし、それは

「意味のある作品を生み出し続ける」

という条件を守っていれば。の話だ。

 

人間の方から積極的に「意味」を捨て、

感覚だけに頼った短い作品しか作れなくなった瞬間に

AIの勝利がやってくる。

 

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を書いた新井紀子氏が

雇用の未来を心配したのと同じように、

私は文化・芸術の未来に危機感を覚え始めている。

 

もちろん私も

「最近の若者の文化は軽薄だ!ケシカラン!」などと、

つまらないことを言いたいわけではない。

短いコンテンツの交換は、

友達と楽しい時間を共有するには最高の方法だろう。

 

ただ、短いものしか作れない人、短いものしか楽しめない人が増えることで、

長い作品が絶滅してしまうのではないか?

長い作品にしか表現できない気持ちや考え方が

世の中から消えてしまうのではないか?

多様な文化が無くなってしまうのではないか?

ということを心配している。

 

これからの創作

AI時代の創作活動は、どうやっていけば良いのだろう?

未来を予測するのは簡単ではないが、考えてみよう。

 

小説家や作曲家など、長いコンテンツを作るのが好きな人、得意な人は、

そのまま続ければ良い。

自分の持ち味を生かして、作品を生み出そう。

 

短い作品に慣れた人が増えるにしたがって、

あなたの作品は「長い」と言われ、避けられるようになるかもしれない。

でもそれは仕方ない。

無理に時代に合わせる必要なんて無いと思う。

長い作品に込められた深い意味を味わえる人は、

いつの時代にも必ずいると信じよう。

多くのライバルが長い作品の制作から撤退すれば、

あなたの作品には希少価値が生まれる。

自分を信じて自分らしい表現を続けていれば、

AIに脅かされることのない唯一無二の存在になれる。

そのまま行けば良い。

 

一方で、TikTokのように短い瞬発的なコンテンツを作るのが好きな人に、

「やめときなさい」などと言う気はない。

そのまま続けて良いと思う。

 

ただし、それだけで稼いでいけるようになる可能性は低い。

少しずつAIに市場を奪われていくからだ。

あくまでも「楽しみ」と割り切って、どんどん作品をつくろう。

 

そして、ごく一部の天才には別の可能性もある。

コンテンツがどんどん短くなっていけば、

その先には今まで見たこともないような

新しいタイプの「表現の形式」が生まれる可能性だってあるからだ。

 

今はそんなに深い意味のないように見える15秒動画にも、

奥深い感情や思想を込めることは出来るはずだ。

 松尾芭蕉が、言葉を極限まで切り詰めて

「俳句」という新しいスタイルを生み出したように。

 

俳句は「世界で一番短い詩」と言われている。

5・7・5のたった17文字にさまざまな意味を含ませ、

宇宙の広がりだって表現できてしまう。

 

 荒海や 佐渡に横たう 天の川

 

日本の文化には、

短くシンプルな表現に深い意味を込めるという伝統がある。

今の時代にピッタリじゃないか!

日本のティックトッカーが、

全く新しいショートコンテンツの形式を創造する日がくるかもしれない。

「短いコンテンツをあれこれ工夫して作るのが楽しい!」

「俺、天才かも!?」

と思う人は、ぜひとも突き詰めていってほしい。

「現代の松尾芭蕉」の登場が楽しみだ。

 

そして、ここでも大切になるのは「意味」だ。

単純な感覚だけに頼らず、

短いながらも沢山の意味を込めたコンテンツを作り続けていれば、

AIには到達できない高みに上ることができるだろう。

 

熱中できることを

結局のところ、

自分が伝えたい意味のあることを

自分が熱中できるスタイルで表現しよう。

ということだ。

 

洞窟に壁画を描き、宴会で歌っていた人類のご先祖様は、

「最近の世の中の傾向」を考えながら

そんなことをしていたわけではない。

描いている瞬間、歌っている瞬間は、

ただ喜びを感じていたはずだ。

 

そもそも創作活動というのは、楽しいことなのだ!

 

「AI時代にどんな作品をつくるべきか?」

そんな問いかけ自体がナンセンスなのかもしれない。

 

長い作品でも、短い作品でも良い。

自分が打ち込めることをすれば良いのだ。

 

AIの時代には、熱中することこそが大事になる気がする。

 

次回

次回は、今回の連載に合わせた著作権の話をしよう。

 

AIは「にこにこうぱうぱブルーベリー」と作詞することができる。

こんな短い作品にも著作権は発生するのだろうか?

 

いや、そもそもAIが作った作品に著作権はあるのか?

 

こういった疑問に答えたい。

 

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人工知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(2)

 

前回の記事では、

・AIは大量のデータから学習し、どんどん勘が良くなっていく。

・AIが文章の意味を理解することは絶対にない。

ということを確認した。

 

AIは、人間に代わって小説を書いたり、作曲したり、

映画を制作したりするようになるんだろうか?

そのとき、作家やアーティストはどうなるのか?

我々は、AIが作った作品を受け取るだけの存在になっていくのか?

 

ブームの終了

先に言ってしまうと、これは「周回遅れ」の議論になりつつある。

と私は思う。

 

数年前までは、このテの話題は大人気で、

本、ネット記事、セミナーなどで多くの学者やアーティスト達が活発に議論していた。

「AIが創作した作品を、みんなが楽しめる世界がやってくる!」

と本気で語る人もいた。

 

しかしAIが出来ることと出来ないことが分かってくるにつれ、

徐々にこういう話が聞かれなくなってきている。

 

AIの第1次ブームも第2次ブームも、

(未来につながる研究成果は残したものの)

期待されたような人工知能を生み出すことはなく、

ただのブームで終わってしまった。

 

少なくとも文化・芸術の世界では、

第3次AIブームも同じように過ぎ去りつつあるのではないか?

というのが私の見解だ。

 

実際のところ、「AIが作った文化・芸術作品」として、

我々が本当に楽しみ味わえるものは、いまだに出来ていないのだ。

 

このことを、いくつかのジャンルごとに確認していこう。

 

小説

小説を書けるAIのプロジェクトとして、国内で一番有名なのは、

「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」

だろう。

ショート・ショートと呼ばれるSF短編小説の名手だった星新一氏のように、

AIに次々と小説を生み出してもらおう!という研究だ。

 

●きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ

https://www.fun.ac.jp/~kimagure_ai/

 

私も星氏のショート・ショートは大好きだった。

もし本当にAIが小説を書けるようになったら・・・・

そう考えると、星氏の小説を読むのと同じくらいワクワクする。

 

しかし、現実は厳しいようだ。

ホームページの中にある

「コンピューターが小説を書く日」というシステムを試してみてほしい。

 

●コンピューターが小説を書く日

http://kotoba.nuee.nagoya-u.ac.jp/sc/gw2015/

 

 

システムが生成した作品をいくつか読んでみれば分かるが、

どれも「似たり寄ったり」なのだ。

多少の設定の違いがあったとしても、

「ロボットがストレスを感じ、小説を書き始める。

 しかしその小説は、人間から見ればただの数字の羅列にすぎなかった」

という物語であることは変わらない。

そして何より、全然ワクワクしない。

 

開発者たちの苦労が伝わってくる。

最低限は小説として成立するように、

非常に限定された設定、限定されたストーリー、限定された言葉選びという

がんじがらめの条件のもとでAIが無理やり小説を作っているのだろう。

「自由に想像の羽根を広げて!」というスタイルとは

真逆のことになっちゃっている。

 

前回の記事で説明したように、

そもそもAIは文章の意味を理解しない。

そんなAIが意味のある文章を作れるようになるとは、私には思えない。

 

このプロジェクト、

数年前はメディアで取り上げられることも多かったが、

最近ではあまり話題になっていないようだ。

 

集まっているのは一流の研究者だし、今でも研究は続いているようなので、

何か素晴らしい発見をしてくれることを期待したいが、

「小説を生み出す」という面での成果は期待できないように思う。

 

その他、海外で話題になったAIでは

マサチューセッツ工科大学の研究者が開発した「Shelley」というものがある。

 

●Shelley

http://shelley.ai/

 

上で紹介した「コンピューターが小説を書く日」とは

異なる設計がされているようで、

ユーザーの書き込みに反応しながら、

次々とホラー小説のような文章を書き連ねていく機能を持っている。

 

これも読んでみてもらえれば分かるが、

「ホラー小説にありそうな設定や言葉遣いの文章」

「なんとなく前の文と話がつながていそうな文章」

を次々と生み出すことは出来ているだが、それ以上のものではないようだ。

AIの得意分野である「勘」で、当てずっぽうに言葉をつないでいるだけだ。

「Shelley」だけで意味のある小説が生み出せるとは思えない。

 

歌詞

小説は作れないとしても、歌詞ならどうだろう?

 

歌詞は、小説のような厳密な意味のつながりが無くても

それなりに成立する。

 

それに、人の心を動かす歌詞を書くには「感性」が大切だ。

この「感性」とAIの持つ「勘」は、同じもののような気がする。

AIの勘を使って、素晴らしい歌詞を生み出せるんじゃないか?

 

実際にこの研究は行われている。

アイドルグループ「仮面女子」と、

電気通信大学の教授が協力してAIに歌詞を作らせたのだ。

 

●「研究室が沸き立った」――AIが作詞、アイドル新曲ができるまで 電通大教授に聞く

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1705/11/news006.html

 

この研究ではアイドルの描いたイラストをAIが読み取り、

それに基づいて作詞したという。

 

こうして生まれた歌詞が以下のようなものだ。

 

「星、見つけよう!!まぶしい世界」

「白い川と落ち合うバラード」

「にこにこうぱうぱブルーベリー」

 

これを見て研究室は沸き立ったという。

ネット上でも「不思議だけど、どこかすてき」「言葉選びが独特」

と高評価だった。

 

ちなみにAIが作った「僕のくるみがはち切れそうで」という歌詞は、

「アイドルには歌わせられない」と人間が判断し、NGになったという。

 

これらの歌詞を見て、あなたはどう思うだろう?

 

私はこう思った。

「たしかに少しは面白いけど、

 そんなに有難がるほどのものか??」

 

「にこにこうぱうぱブルーベリー」からは独特な感性を感じるけど、

その30年近くも前にB.B.クイーンズ

「ピーヒャラ ピーヒャラ おどるポンポコリン」

と歌ってたぞ!

こっちの方がよほど凄いぞ!

と思ってしまうのだ。

 

 もちろん私も「AIが全然使えない」という気はない。

作詞家が創作中に煮詰まってしまったときに、

試しにAIに作詞させてみて、気に入ったフレーズがあれば使う。

というような使い方ならあるかもしれない。

でも、所詮はその程度のものだろう。

 

ましてや、THE 虎舞竜が歌う「ロード」のような、

長くてストーリーのある歌詞をAIが作るなんてことはあり得ない。

 

音楽

作詞の次は、作曲についても見てみよう。

 

正直にいうと、作曲ならAIでもいけるんじゃないか?

と以前は私も考えていた。

でも、今は少し違う意見だ。

 

作曲するAIについては、たくさんのプロジェクトがある。

AIが人間の注文を受けて、一瞬で曲を作ってくれるのだ。

「楽しい感じで」

「早いテンポで」

「楽器はピアノで」

「バッハのように」

等々の指令を出せば、

すぐにその場で曲を生成してくれるAIは既に存在する。

 

●Orpheus 自動作曲システム オルフェウス

http://www.orpheus-music.org/v3/index.php

 

●Jukedeck

https://www.jukedeck.com/

 

実際に聴いていみると分かるが、なかなかのクオリティだ。

 

しかし長い時間聴いていると、なんだか不安になってくる。

「いったいこの曲、何を表現したいんだろう?」と。

 

前回の記事で紹介した本

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』にも同じことが書いていあった。

著者の新井氏も

「長く聞くには堪えない」

「曲がどこに向かっているのかさっぱりわからない」

「だんだんイライラしてきます」

と言っている。

 

人間の脳は、どうしても「意味」を考えてしまうように出来ているようだ。

感性だけで音楽に浸っているつもりでも、

頭のどこかで音楽の意味を解釈しようとしている。

 

しかし人間が解釈しようにも、

AIの作った曲にそもそも意味なんかないのだ。

勘で作っているだけなんだから。

 

そういうわけで、じっくり鑑賞できる音楽をAIが作ることはないだろう。

でも歌詞の場合と同じように、

人間の作曲家をAIがお手伝いすることは出来そうだ。

AIが作った曲に作曲家がインスピレーションをうけたり、

AIによる短いメロディを人間が「部品」として使うことは十分あり得る。

また、短い映像のBGMとしてなら使い勝手も良さそうだ。

AIの苦手な「意味」は、映像の方で補ってくれるからだ。

 

現時点での私のAI作曲の評価はこのレベルだが、

将来的には、もっと凄いことができるようになる可能性は否定できない。

作曲は「第3次AIブームは終わった」とまでは

言い切ることができない唯一のジャンルだと思う。

 

画像・映像

絵画、写真、映像も「感性」が重要になる分野だ。

 

ここでもAI研究は盛んで、

画家のレンブラントが描いたような絵画を生み出すAIが開発されている。

 

機械学習したAIがレンブラントの"新作"を出力。絵具の隆起も3D再現した「The Next Rembrandt」公開

https://japanese.engadget.com/2016/04/07/ai-3d-the-next-rembrandt/

 

これにとどまらず、

動画を「ゴッホ風」に変換できるAIを使った商品だって既に発売されている。

 

●動画を「ゴッホ風」「印象画風」に一発変換できるPowerDirector用AIプラグイン

http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1804/25/news084.html

 

どれも素晴らしい技術だと思うし、最初に見たときは驚いたものだが、

「そのうち見慣れてしまうだろうな」というものだ。

 

こういいう視覚的な芸術の世界でも、感性だけが大切なのではない。

もっと重要なのは「意味」や「文脈」だ。

 

オークションで売れた絵画を

バラバラに切ってしまうパフォーマンスで世界的なニュースになった

芸術家のバンクシー氏が良い例だ。

 

バンクシーの絵、1億5000万円で落札直後にシュレッダーで裁断。なぜ?

https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/06/banksy-painting_a_23553085/

 

彼の絵そのものに数億円を超える価値があるとは思えない。

しかし、

「権力や資本主義に反抗するアーティストが、

 自身の作品を破壊することで強烈なメッセージを放った」

という「物語」としての付加価値が上乗せされることで、

オークションの落札価格の1億5千万円をはるかに超える価値を得たのだ。

 

アーティストとしての生き様、社会との関わり方、メッセージの発信方法・・

全てを計算し大成功したバンクシー

マーケティングの達人」と言えるだろう。

 

(話は逸れるが、ピカソは史上最高のマーケターだ。

 カンバスに絵の具を塗りつけた物体に数億円の価値がある!

 と世間にまんまと思い込ませてしまったからだ。

 ピカソ以後に成功を収めた画家は、みなマーケターとしての資質をもっている)

 

我々は画像や映像そのものではなく、

そこに込められた意味を読み取ったうえで価値を判断しているのだ。

 

何度も言うように、AIには「意味を込める」ということが出来ない。

「社会に対するアーティストの目線」という文脈全体を使った

マーケティング戦略をAIが立てることは出来ない。

 

今回のまとめ

文化・芸術の全ジャンルを横断したわけではないが、

大まかな傾向は見えてきたのではないだろうか?

 

・AIは意味のある作品や長い作品を作ることは出来ない。

・人間が作品を創る上でAIを上手く使う方法はありそう。

 

というわけで、

「明日にもAIに仕事を奪われるんじゃないか!?」と

眠れない夜をすごしていた作家やアーティストの皆さん、

ご安心ください!

 

「意味のある」良い作品を、

自信をもって生み出し続けていれば大丈夫です!

 

雑感

AIと比べると分かるが、

つくづく人間は「意味」が欲しくて欲しくて仕方がない生き物なのだな。

と思う。

 

あの山に落ちた雷の意味は?

我が民族が苦労ばかりしている意味は?

勉強する意味は?

あなたと過ごす意味は?

自分の人生の意味は?

 

答えなんて出るはずの無い問いかけを、我々はずっと続けてきた。

 

でも、そんな無限の問いかけこそが

人類の奥深い文化・芸術を生んできたのかもしれない。

 

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次回は、「コンテンツの長さ」という視点から

AIについて考えてみよう。

 

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人工知能 × 著作権 第3次AIブームを振り返る(1)

 

AIが人間を超える!

AIに仕事を奪われる!

AIが人間を支配する!

 

ここ数年、毎日のように聞く言葉だ。

 

文化・芸術の世界でも、

AIが作曲できるようになったり、小説を書くようになったり、

美しい映像を作れるようになったりして、

作家・アーティストは仕事がなくなるのではないか?

ということが言われている。

 

本当にそうなんだろうか?

 

AIが作品を生み出せるようになったら、

我々の創作活動はどう変わるのだろうか?

 

その場合の著作権の扱いは?

 

今回は人工知能著作権について、自由に考えてみたいと思う。

 

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

年末年始のお休みで、本棚にある本を読み返してみた。

その中の1冊が『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』だ。

去年とても話題になった本なので、読んだ人も多いと思う。

 

AIブームの中で、山のような数の解説書・関連書籍が出版されたが、

私が読んだ中ではこれが一番分かりやすく、しかも刺激的だった。

 

書いたのは数学の専門家・新井紀子氏。

「ロボットは東大に入れるのか」

というAI開発のプロジェクトを立ち上げ、有名になった方だ。

AIに大学入試を突破できる能力を与えようとする試みの中で得た

知見を解説した上で、

・AIとはどのようなものか?

・AIの活躍する社会で人間はどうなるのか?

といった疑問に対して、明快に答えてくれている。

 

まずは、私なりの解釈で本の内容を説明したい。

AIについては世の中でさんざん語りつくされているので、

「もう分かってるよ」という人も多いと思うが、お付き合いください。

 

本の内容

今回のAIブームは3回目だ。

 

過去2回のブームの中で開発されたAIは、

「論理の積み重ね」によって作られていた。

「AならばB。BならばC」というルールを事前にAIに教えておけば、

AIが自力で「AならばC」と判断できるという考え方だ。

全てのルールを事前に入力できていれば、

あとはAIが正しく判断してくれるはずだった。

 

しかしこの方法では上手くいかなかった。

人間なら当然のように分かっていることの全てを

ルールとして教えることは現実には不可能だったからだ。

野球に例えると、

野球のルールや打撃・守備の理論を身につけていても

選手としては使い者にならないということだ。

ピッチャーとバッターの駆け引き、チームメイトの体調、

球場の天気など、

その場その場の状況はいつも違う。

その全ての対策を事前に教え込むなんて出来るわけがない。

 

最近になって、全く新しいやり方でAIが開発されるようになった。

ルールを教えることはハナから諦めたのだ。

ルールを教えず、ひたすら「現場」に学ばせる手法がとられた。

何も教えずに野球選手をいきなりゲームに出すのだ。

最初は全然使えないだろうが、

場数をこなすうちにプレイのコツを掴んでくれるに違いない。

 

このAI開発の方法が、なかなかのヒットとなった。

これまでの「事前にルールを教える」という考えで開発されたAIよりも、

圧倒的に良い成績を出せるようになったのだ。

野球選手が

「以前の球と似ているから、きっとこうすれば打てる」

と一瞬で判断するようなものだ。

AIは、写真や囲碁の対局をみて

「以前みた猫の写真と似ているから、きっとこれは猫だ」

とか

「以前やったときの対局と似ているから、きっと次はこう打てば勝てる」

とか、上手く判断できるようになった。

(ただし、AIに大量の場数をこなしてもらうために、

 すごい量のデータが必要になる)

 

これがきっかけで第3次AIブームがやってきた。

 

要するにAIとは、

「何も考えてないけど、めちゃくちゃ勘がいい奴」

ということだ。

 

でも、AIは万能ではない。

勘だけはいいが、「意味」を理解できない。

AIには「文章を読んでその意味を理解する」ということは、

絶対にできない。

 

モーツァルトの最後の、そして最も力強い交響曲には、

 ある惑星の名前が付けられています。

 この惑星は何ですか?」

というクイズに

「ジュピター」と正しく答えることはできる。

しかし、問題文の意味を理解しているわけではなく、

「こういう問題のときは、こう答えると正解の可能性が高い」

と判断しているにすぎない。

 

アマゾン・エコーのようなAIスピーカーが人間の呼びかけに

上手く返答したとしても、意味を理解しているわけではない。

勘で答えているだけだ。

 

AIが進化して人間の知能を超えてしまうなんてことも、

ありえない。

 

かといって、人間の立場は安泰だ。ということではない。

 

中学生、高校生に対してテストを行ったところ、

多くの学生がふつうの文章を読んでも、

その意味を理解できていないということが判明した。

例えば以下の問題。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 次の文を読みなさい。

 

 Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、

 男性の名Alexanderの愛称でもある。

 

 この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを

 選択肢のうちから1つ選びなさい。

 

 Alexandraの愛称は(   )である。

 

 ①Alex ②Alexander ③男性 ④女性

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

正解は当然①のAlexだが、

中学生の正答率は38%、高校生でも65%という恐るべき低さだった!

 (「④女性」と間違って答えた生徒が多かった)

 

多くの学生が文章の意味はちゃんと分からないままに

「以前のテストで似たような問題あったから、きっとこれが正解だ」

という「勘」で答えていたのだ!

 

文章の意味は分からないけど、勘で当てにいく。

これは、AIの能力と全く同じだ。

 

AIはデータから学習し、どんどん勘の鋭さに磨きをかけていく。

勘の良さでは、人間はAIに勝てない。

AIと似た能力しか持っていない人間は仕事を奪われる。

失業者が増え、世界経済はひどい状態になっていくだろう。

 

文章を読んで意味を理解する力を身につけ、

人間にしか出来ない仕事をやっていくしかない。

 

こんな内容の本だ。

(上記の「野球選手のたとえ」や

 「何も考えてないけど、めちゃくちゃ勘がいい奴」といった理解は、

 私の理解なので、間違っていたとしても新井氏の間違いではありません)

 

感想 

雇用の未来が、本当にお先真っ暗なのかどうかは異論のある人もいるだろうが、

読み物としては非常に面白い。

「AIのせいで仕事が無くなる!」と、むやみやたらと不安を煽る本は多いが、

この本はちゃんと根拠に基づいて怖がらせてくれる。

中高生の読解力を解説する部分では、

あまりの現状に背筋が寒くなる。

 

AIへの理解が深まると同時に、テスト結果に衝撃を受けるという、

贅沢な読書体験ができる。

まだ読んでいないのなら、読んでみてはどうだろうか。

 

 

 

文化はどうなる?

AIが発達した世界はどんな世界なのか?

雇用問題ももちろん心配だが、筆者の関心は文化・芸術への影響だ。

 

すでにAIは

作曲ができる。

動画も作れる。

 

こんな時代に、芸術家は生き延びることができるのか?

AIが作った作品の著作権で儲けることはできるのか?

 

今回説明したAIの知識を前提に、

次回以降はいろいろと自由に考察してみたい。

 

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